2018年11月03日
拓馬篇後記−16
体験会に参加した客は全員帰途についた。練習場には道場関係者がのこる。彼らは輪になって、新規の指導員について議題にする。
「あの状況じゃ拓馬くんがことわれません」
とは神南の言葉だ。彼女は大畑が土壇場で拓馬を指導員に仕立てたことをやり玉に挙げる。
「お客さんには『人手を増やしたいと思っています』と答えるぐらいじゃ、ダメだったんですか」
普段は控えめな神南がめずらしくキツいことを言っている。大畑に言動の反省をうながしているのだ。責められた大畑は「言われればたしかに」と萎縮する。
「あそこで急に決めなくてもよかったな……」
「ひとりでも多くの門下生がほしいのはわかります。でも子どもに気を遣わせるなんて、いい大人のすることじゃありません」
「むう、スマンな、拓馬くん……」
大畑がうなだれながら謝った。拓馬は謝罪を要求するほどのことではないと思っていたので、この対応にはあわてる。
「いや、どうせ予定はないし……トシさんが俺の手を借りたいっていうなら、貸していいなって」
「おお、トシを気に入ってくれたか!」
落ち込んでいた中年が一気に元通りになった。その変貌に拓馬は面食らう。
「あ……べつに気に入るってわけじゃ……」
「照れんでもいい! ワシもトシは好きだ」
「え」
「家族として好きという意味だ。誤解はせんでくれ。きみはどうもワシをカンちがいしとるようだからな」
拓馬が大畑に男色のケがあるとうたがっている。そのことがバレた。それをどう言い繕おうかと拓馬がまごまごすると、大畑の父である師範は「どうだかの」とうたがいのまなざしを子に向ける。
「トシに会えたその晩に、トシにくっついて寝たのはだれだ?」
「妻もいっしょだからいいでしょう!」
「よそさまの夫はな、川の字になって寝るのは妻と子どもとだけだ。この夏場の暑苦しいときに男同士でひっつき合うのはどうかしとる」
「長年積もった情があふれ出ておるのです!」
大畑は稔次と肩を組もうと手をのばした。しかし稔次がひらりと身をかわす。
「オレもーヤダよ」
「なんと! このファミリー愛をこばむというのか!」
「くっつかれるなら女の人がいいって」
「そんなスケコマシにそだてたおぼえはないぞ!」
「普通の男ならだれだってそうだよ」
ねー、と稔次が拓馬に同意を求める。拓馬は家族間の言い争いに加わりたくなかったので、無言でうなずいた。同時に大畑の発言を考察する。
(師範代がトシさんをそだてたって言ってるから……二人はちっちゃいときから一緒だったみたいだな)
稔次が身よりのない親戚の子どもだったのか、あるいは大畑とは兄弟なのか。その二つが可能性として浮上した。大畑の名が豊一で長男らしいのと、稔次の名が次男らしいのをふまえると、兄弟の線が濃厚だ。
(でも弟を親戚だなんて言うかな)
稔次が大畑家と直接の関わりがあると周囲に知れてはこまる──そんな事情が両者の間にあるのかもしれない。そう思った頃合いに、大畑が質問の好機となるセリフを言う。
「──これまでにいろいろあったが、これからのトシには人生をたのしんでほしいと思っておる」
「いろいろって?」
拓馬はその質問をするのが当然のようにたずねた。過去を隠したがる彼らが直接答えを教えるはずもないが、想像の種くらいは言ってくれるのではないかと思った。大畑は稔次の顔色をうかがう。稔次は気まずそうだ。
「それを知りたくば……」
大畑は満面の笑みを拓馬に見せる。
「ワシと家族になるかい?」
「なんで?」
「家族のヒミツを知りたいんだろう? ではきみにも家族になってもらわんとな!」
「どうやって?」
「ワシの息子に──」
拓馬はとっさに首を横にふる。いくら大畑が娘ばかりの家庭状況とはいえ「養子に入れ」とは急な話だと思ったためだ。
「ヤですよ、養子なんて」
「養子か。そういうことにもなるか」
「ちがうんですか?」
「婿に入れば同じことだな!」
拓馬は呆気にとられた。大畑の娘は年長の者でも小学生。とても恋愛対象には見れない相手だ。神南がおずおずと「まだ言うのは早いんじゃ」と大畑を制止する。
「二人ともまだ子どもです。そんなこと言っても反発されるだけですよ」
「そうは思っていたが、やはり言っておかないと心配だ。噂によれば拓馬くんには美人の女友達ができたそうじゃないか。その子にとられてからではおそい!」
近ごろ拓馬の友人になった女子というと、拓馬の思い当たる人物がいた。しかし彼女と特別親しくはないし、相手の気難しい性格上、大畑の心配はいきすぎだと感じる。
「その子とはそんな関係になれっこないです」
「転ばぬ先の杖だ! さあどうだ、うちの娘と許婚(いいなずけ)に」
「ムリです。歳が離れすぎです」
「うちの妻とワシもそれぐらい離れているぞ」
「そりゃ師範代みたいに三十路で結婚するんだったら気にならないでしょうけど……」
現実味の感じられない申し出だ。拓馬はどうにかこの場を乗り切ろうと話題を変える。
「もういいです。とっとと後片付けを──」
「いいよ、教えてあげる」
稔次が二人の会話に割って入る。表情はやわらかいが、心から笑ってはいない。
「教えるのと婿養子に入るのはべつの話だ。安心していい」
「あ、はい……」
「ぜんぶを言えるわけじゃないけど……それで我慢してくれ」
思いがけず重いトーンのやり取りがはじまることになった。大畑は師範と神南を見遣る。
「……拓馬くんとトシに練習場の掃除をまかせる。ワシらはほかの片付けをしよう」
大畑が厄介払いをした。三人がこの場を出ていく。しかし練習場を担当する拓馬たちも一度出なくては掃除ができない。謎多き男性と分担する掃除箇所を決め、そののちに掃除道具を取りに向かった。
「あの状況じゃ拓馬くんがことわれません」
とは神南の言葉だ。彼女は大畑が土壇場で拓馬を指導員に仕立てたことをやり玉に挙げる。
「お客さんには『人手を増やしたいと思っています』と答えるぐらいじゃ、ダメだったんですか」
普段は控えめな神南がめずらしくキツいことを言っている。大畑に言動の反省をうながしているのだ。責められた大畑は「言われればたしかに」と萎縮する。
「あそこで急に決めなくてもよかったな……」
「ひとりでも多くの門下生がほしいのはわかります。でも子どもに気を遣わせるなんて、いい大人のすることじゃありません」
「むう、スマンな、拓馬くん……」
大畑がうなだれながら謝った。拓馬は謝罪を要求するほどのことではないと思っていたので、この対応にはあわてる。
「いや、どうせ予定はないし……トシさんが俺の手を借りたいっていうなら、貸していいなって」
「おお、トシを気に入ってくれたか!」
落ち込んでいた中年が一気に元通りになった。その変貌に拓馬は面食らう。
「あ……べつに気に入るってわけじゃ……」
「照れんでもいい! ワシもトシは好きだ」
「え」
「家族として好きという意味だ。誤解はせんでくれ。きみはどうもワシをカンちがいしとるようだからな」
拓馬が大畑に男色のケがあるとうたがっている。そのことがバレた。それをどう言い繕おうかと拓馬がまごまごすると、大畑の父である師範は「どうだかの」とうたがいのまなざしを子に向ける。
「トシに会えたその晩に、トシにくっついて寝たのはだれだ?」
「妻もいっしょだからいいでしょう!」
「よそさまの夫はな、川の字になって寝るのは妻と子どもとだけだ。この夏場の暑苦しいときに男同士でひっつき合うのはどうかしとる」
「長年積もった情があふれ出ておるのです!」
大畑は稔次と肩を組もうと手をのばした。しかし稔次がひらりと身をかわす。
「オレもーヤダよ」
「なんと! このファミリー愛をこばむというのか!」
「くっつかれるなら女の人がいいって」
「そんなスケコマシにそだてたおぼえはないぞ!」
「普通の男ならだれだってそうだよ」
ねー、と稔次が拓馬に同意を求める。拓馬は家族間の言い争いに加わりたくなかったので、無言でうなずいた。同時に大畑の発言を考察する。
(師範代がトシさんをそだてたって言ってるから……二人はちっちゃいときから一緒だったみたいだな)
稔次が身よりのない親戚の子どもだったのか、あるいは大畑とは兄弟なのか。その二つが可能性として浮上した。大畑の名が豊一で長男らしいのと、稔次の名が次男らしいのをふまえると、兄弟の線が濃厚だ。
(でも弟を親戚だなんて言うかな)
稔次が大畑家と直接の関わりがあると周囲に知れてはこまる──そんな事情が両者の間にあるのかもしれない。そう思った頃合いに、大畑が質問の好機となるセリフを言う。
「──これまでにいろいろあったが、これからのトシには人生をたのしんでほしいと思っておる」
「いろいろって?」
拓馬はその質問をするのが当然のようにたずねた。過去を隠したがる彼らが直接答えを教えるはずもないが、想像の種くらいは言ってくれるのではないかと思った。大畑は稔次の顔色をうかがう。稔次は気まずそうだ。
「それを知りたくば……」
大畑は満面の笑みを拓馬に見せる。
「ワシと家族になるかい?」
「なんで?」
「家族のヒミツを知りたいんだろう? ではきみにも家族になってもらわんとな!」
「どうやって?」
「ワシの息子に──」
拓馬はとっさに首を横にふる。いくら大畑が娘ばかりの家庭状況とはいえ「養子に入れ」とは急な話だと思ったためだ。
「ヤですよ、養子なんて」
「養子か。そういうことにもなるか」
「ちがうんですか?」
「婿に入れば同じことだな!」
拓馬は呆気にとられた。大畑の娘は年長の者でも小学生。とても恋愛対象には見れない相手だ。神南がおずおずと「まだ言うのは早いんじゃ」と大畑を制止する。
「二人ともまだ子どもです。そんなこと言っても反発されるだけですよ」
「そうは思っていたが、やはり言っておかないと心配だ。噂によれば拓馬くんには美人の女友達ができたそうじゃないか。その子にとられてからではおそい!」
近ごろ拓馬の友人になった女子というと、拓馬の思い当たる人物がいた。しかし彼女と特別親しくはないし、相手の気難しい性格上、大畑の心配はいきすぎだと感じる。
「その子とはそんな関係になれっこないです」
「転ばぬ先の杖だ! さあどうだ、うちの娘と許婚(いいなずけ)に」
「ムリです。歳が離れすぎです」
「うちの妻とワシもそれぐらい離れているぞ」
「そりゃ師範代みたいに三十路で結婚するんだったら気にならないでしょうけど……」
現実味の感じられない申し出だ。拓馬はどうにかこの場を乗り切ろうと話題を変える。
「もういいです。とっとと後片付けを──」
「いいよ、教えてあげる」
稔次が二人の会話に割って入る。表情はやわらかいが、心から笑ってはいない。
「教えるのと婿養子に入るのはべつの話だ。安心していい」
「あ、はい……」
「ぜんぶを言えるわけじゃないけど……それで我慢してくれ」
思いがけず重いトーンのやり取りがはじまることになった。大畑は師範と神南を見遣る。
「……拓馬くんとトシに練習場の掃除をまかせる。ワシらはほかの片付けをしよう」
大畑が厄介払いをした。三人がこの場を出ていく。しかし練習場を担当する拓馬たちも一度出なくては掃除ができない。謎多き男性と分担する掃除箇所を決め、そののちに掃除道具を取りに向かった。
タグ:拓馬
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