2018年11月01日
拓馬篇後記−15
二度目の体験会がはじまった。参加する客層には新顔もいたが、多くは前回の顔ぶれと同じようだと拓馬は感じた。二度の参加を果たす彼らはおそらく入門を決めかねている。この体験会が入門の可否の決め手になる。道場側の者としてはここで客たちに好印象を与えるべきなのだが、あいにく今回の体験会で行なうことは前回と同じ。目立った変化は指導員がひとり増えたことだけだ。これではあまり効果的な勧誘は見込めない。しかし参加する子どもの保護者のうち、婦人方の目つきは多少ちがっていた。彼女らの視線はあらたな男性指導員によくあつまる。やはり見目麗しい異性に関心を寄せてしまうようだ。
(母親がトシさん目当てに子どもを入門させるって線も……)
不謹慎だがありえそうな事態だ。稔次は思いがけず女性客の心をつかんでいる。その彼に一目会いたいがために、子を道場にかよわせる母があらわれるかもしれなかった。
稔次のほうはというと、彼は女性からの注目には無関心だ。もっぱら小さな子どもに視線を落としている。その目は慈愛がこもっていて、拓馬たちに見せた表情とは異なる情が感じられた。
(子ども、好きなのかな……)
稔次は三十代以上の男性だ。これだけの容姿だと女性のほうが彼を放っておかない。そのうえ性格は社交的。彼と懇意になりたがる女性は過去にもいただろう。彼に結婚歴があって、子どもをもっていたとしてもおどろくことではない。
(子どもがいるか、なんて聞いていいのかどうか)
自分の兄弟のことを言いたがらない人だ。妻子の有無もさぐられたくはない個人情報かもしれない。そう考えた拓馬は稔次への疑念を押しとどめながら、指導員の補佐の役目をまっとうした。
体験会の終了間際、大畑は入門書を配布した。前回は希望者にのみ受付で渡していたものだ。今回もそんな受動的な態度でいては客をのがすと思ったのだろうか。拓馬たちも手分けして配った。中には「まえにもらった」と言って断る人がおり、そういった客にはむりに入門書を押し付けなかった。
体験会が閉幕する。客は練習場を出る者とのこる者に二分した。のこった客もまた大きく分けて二種類。入門を申しこもうとする者と、入門にまつわる質問をする者がいた。拓馬はその質疑応答をそばで聞いた。気になっていた夏季日程の担当はやはり稔次。彼に一任すると大畑が宣言する。
「彼の技はワシをしのいでおります。指導するのに不足はありません」
大畑が新人指導員の技芸を称賛した。しかし小さな子を連れた中年女性が意見する。
「それはいいんですけど、教える先生はおひとりなんですか?」
「おもにひとりですが、ときどき師範も参加する予定です。なにか問題が?」
「うちの子、物覚えがわるくって……この子におしえるのにかかりきりになったら、ほかの子にも迷惑をかけるでしょう? もっと先生がいてくだされば安心できるんです」
「ほかの指導員が……いたらいいんですね」
女性に顔を向けていた大畑は突然拓馬を見た。拓馬は体が硬直する。
(ああ、やっぱり……)
体験会の手伝いを承諾する以前からうすうす勘付いていたことだ。しかし快諾する気持ちにはなれなかった。
大畑はじりじりと寄ってきて、拓馬の肩に手をのせる。
「どうだろう、拓馬くん。夏休みの間──」
「俺が指導員をやってて、お客さんが納得すると思います?」
「なにを言う! きみは段位をもっているんだろう?」
拓馬はびっくりした。この情報をみずから大畑に伝えたおぼえはない。空手にまつわることは彼との話題にのぼらせないよう、注意していた。そう配慮したわけは、大畑がめんどくさいことを言い出しそうだと思っていたからだ。現にいま、段位取得を根拠に拓馬の道場の手伝いを継続させようとしている。
「初段は一人前の証拠になる!」
「それ、どこから知ったんです?」
「きみのお友だちが年賀状でおしえてくれたぞ」
大畑に年賀状を出す、拓馬の友人──思い当たるのはひとりだけだ。
「ヤマダが……余計なことを」
「いいじゃないか。めでたい報せはみんなで共有するもんだ」
「はぁ」
「で、どうだ? タダでとは言わないから」
正直拓馬はどうとも言えなかった。めんどうごとが増えるのはイヤだ。かといって夏休みの予定はとくになく、ぼーっとすごすのも時間が惜しい。まだ小遣い稼ぎにいそしんだほうが有益だといえる。
(でも俺が先生役なんて……)
その役割を果たす力量があるのか、不安に思っているのは拓馬自身だった。客がどう思う、というのは言い訳にすぎない。
煮え切らない態度の拓馬に、稔次も近寄ってくる。
「オレもきみがいてくれたら心強いな。この図体だと子どもがこわがるかもしれないし」
稔次の懸念は拓馬の視野を広げた。彼もまた不安をかかえている。その解消には拓馬の助勢が必要、とは真に受けがたいが、心にもないこととは思えなかった。
「あたらしく習いはじめた子が慣れるまで、でもいいからさ」
「それぐらいなら……」
予定にないことを引き受けてしまった。本来なら家族とも相談したうえで決めたかったが、指導員の数を気にする客がこの場にいるために、即断せねばならぬと拓馬は思った。
(やっていくのがムリになってきたら、ぬければいい)
大畑のほうが計画性のないことをポンポン言ってきているのだ。拓馬が指導員をやってみてダメだった、とこれまた行き当たりばったりな事態になっても、大畑は文句を言わないだろう。
拓馬の歯切れわるい了承を聞いた大畑は得意気に「よく言った!」と拓馬の決断を称賛した。待たせていた質問者へ向きなおり、「この子も指導員をやります」と拓馬を紹介する。
「まだ歳は若いですが、小さいときからこの道場で修練にはげんできた子です。実力はワシが保証します!」
「その子、イヤイヤ言ってません?」
「なに、彼が本気でイヤがっておればこの体験会にも参加しませんとも」
この場に拓馬が居ることが拓馬のやる気の証明だ、という論調だ。拓馬は(そうなのか?)と自分で自分の意思に疑問を感じた。わかるようなわからないような理屈だ。拓馬はいまひとつ大畑の言い分に納得しないものの、女性のほうは稔次の愛想笑いにほだされ、質問をおえた。
(母親がトシさん目当てに子どもを入門させるって線も……)
不謹慎だがありえそうな事態だ。稔次は思いがけず女性客の心をつかんでいる。その彼に一目会いたいがために、子を道場にかよわせる母があらわれるかもしれなかった。
稔次のほうはというと、彼は女性からの注目には無関心だ。もっぱら小さな子どもに視線を落としている。その目は慈愛がこもっていて、拓馬たちに見せた表情とは異なる情が感じられた。
(子ども、好きなのかな……)
稔次は三十代以上の男性だ。これだけの容姿だと女性のほうが彼を放っておかない。そのうえ性格は社交的。彼と懇意になりたがる女性は過去にもいただろう。彼に結婚歴があって、子どもをもっていたとしてもおどろくことではない。
(子どもがいるか、なんて聞いていいのかどうか)
自分の兄弟のことを言いたがらない人だ。妻子の有無もさぐられたくはない個人情報かもしれない。そう考えた拓馬は稔次への疑念を押しとどめながら、指導員の補佐の役目をまっとうした。
体験会の終了間際、大畑は入門書を配布した。前回は希望者にのみ受付で渡していたものだ。今回もそんな受動的な態度でいては客をのがすと思ったのだろうか。拓馬たちも手分けして配った。中には「まえにもらった」と言って断る人がおり、そういった客にはむりに入門書を押し付けなかった。
体験会が閉幕する。客は練習場を出る者とのこる者に二分した。のこった客もまた大きく分けて二種類。入門を申しこもうとする者と、入門にまつわる質問をする者がいた。拓馬はその質疑応答をそばで聞いた。気になっていた夏季日程の担当はやはり稔次。彼に一任すると大畑が宣言する。
「彼の技はワシをしのいでおります。指導するのに不足はありません」
大畑が新人指導員の技芸を称賛した。しかし小さな子を連れた中年女性が意見する。
「それはいいんですけど、教える先生はおひとりなんですか?」
「おもにひとりですが、ときどき師範も参加する予定です。なにか問題が?」
「うちの子、物覚えがわるくって……この子におしえるのにかかりきりになったら、ほかの子にも迷惑をかけるでしょう? もっと先生がいてくだされば安心できるんです」
「ほかの指導員が……いたらいいんですね」
女性に顔を向けていた大畑は突然拓馬を見た。拓馬は体が硬直する。
(ああ、やっぱり……)
体験会の手伝いを承諾する以前からうすうす勘付いていたことだ。しかし快諾する気持ちにはなれなかった。
大畑はじりじりと寄ってきて、拓馬の肩に手をのせる。
「どうだろう、拓馬くん。夏休みの間──」
「俺が指導員をやってて、お客さんが納得すると思います?」
「なにを言う! きみは段位をもっているんだろう?」
拓馬はびっくりした。この情報をみずから大畑に伝えたおぼえはない。空手にまつわることは彼との話題にのぼらせないよう、注意していた。そう配慮したわけは、大畑がめんどくさいことを言い出しそうだと思っていたからだ。現にいま、段位取得を根拠に拓馬の道場の手伝いを継続させようとしている。
「初段は一人前の証拠になる!」
「それ、どこから知ったんです?」
「きみのお友だちが年賀状でおしえてくれたぞ」
大畑に年賀状を出す、拓馬の友人──思い当たるのはひとりだけだ。
「ヤマダが……余計なことを」
「いいじゃないか。めでたい報せはみんなで共有するもんだ」
「はぁ」
「で、どうだ? タダでとは言わないから」
正直拓馬はどうとも言えなかった。めんどうごとが増えるのはイヤだ。かといって夏休みの予定はとくになく、ぼーっとすごすのも時間が惜しい。まだ小遣い稼ぎにいそしんだほうが有益だといえる。
(でも俺が先生役なんて……)
その役割を果たす力量があるのか、不安に思っているのは拓馬自身だった。客がどう思う、というのは言い訳にすぎない。
煮え切らない態度の拓馬に、稔次も近寄ってくる。
「オレもきみがいてくれたら心強いな。この図体だと子どもがこわがるかもしれないし」
稔次の懸念は拓馬の視野を広げた。彼もまた不安をかかえている。その解消には拓馬の助勢が必要、とは真に受けがたいが、心にもないこととは思えなかった。
「あたらしく習いはじめた子が慣れるまで、でもいいからさ」
「それぐらいなら……」
予定にないことを引き受けてしまった。本来なら家族とも相談したうえで決めたかったが、指導員の数を気にする客がこの場にいるために、即断せねばならぬと拓馬は思った。
(やっていくのがムリになってきたら、ぬければいい)
大畑のほうが計画性のないことをポンポン言ってきているのだ。拓馬が指導員をやってみてダメだった、とこれまた行き当たりばったりな事態になっても、大畑は文句を言わないだろう。
拓馬の歯切れわるい了承を聞いた大畑は得意気に「よく言った!」と拓馬の決断を称賛した。待たせていた質問者へ向きなおり、「この子も指導員をやります」と拓馬を紹介する。
「まだ歳は若いですが、小さいときからこの道場で修練にはげんできた子です。実力はワシが保証します!」
「その子、イヤイヤ言ってません?」
「なに、彼が本気でイヤがっておればこの体験会にも参加しませんとも」
この場に拓馬が居ることが拓馬のやる気の証明だ、という論調だ。拓馬は(そうなのか?)と自分で自分の意思に疑問を感じた。わかるようなわからないような理屈だ。拓馬はいまひとつ大畑の言い分に納得しないものの、女性のほうは稔次の愛想笑いにほだされ、質問をおえた。
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