2018年11月16日
拓馬篇後記-20
拓馬は帰宅後、すぐに自室へ行った。大畑からもらった紙幣入りの封筒を机の引き出しにしまう。こういった大事な紙類は不用意に放置しないことに決めている。居間などの家族の目につくところに置いておくと、飼い犬か姉が手をつけかねない。自衛のため、大切に保管した。
自室にきたついでに電子機器を操作する。シズカに話がしたい旨をメールで伝えた。今回の用件は稔次のことだ。シズカの知人かもしれない人を見つけた、といまのうちに知らせておき、シズカの都合のよいタイミングで通話する。あとはシズカの反応待ちだ。
次に拓馬は使用した道着を洗いにかかる。洗濯機の洗濯完了には二、三十分かかるので、その待機時間は居間ですごす。居間では母がくつろいでいた。この場にいない姉は入浴中で、父は犬の散歩に出かけたという。
拓馬は母にすすめられて、自分の分の夕食をとる。このように自分の夕食時間がおくれる状況は最近なかった。
(小学生のころ……こんなふうに食ってたな)
かつての門下生時代、幼年の部から少年の部へ移行したときのことを拓馬は思い出した。少年の部は今日と同じ時間帯の開催だ。当時の夕飯も道場の練習がおわったあとに食べていた。学校でとる昼食と自宅での夕食まで時間がかなり空くので、練習前には軽食をとったおぼえもある。つまり一日四食とっていた。拓馬なりに体によいものを選んで摂取したのだが、あまり成長は促進されなかった。
(けっこう食ってて、この身長なんだもんな)
拓馬の両親は体格に恵まれていない。やはり遺伝は努力ではいかんともしがたいのだ。小学生当時はまだその真実に気付かず、未来に希望を持っていた。
(もう伸びないよな、高二にもなりゃ……)
どこぞの噂では高校入学後に急成長した男子がいたという。その人は丈が合わなくなった制服を着続け、卒業していったとか。拓馬はそれと似た事象が自身にも起こりうるかもしれないという淡い期待を抱いていた。今年の身体計測の結果を見て、ようやくあきらめがついてきた。
(一七〇センチはほしかった……)
と、自身の成長具合に不満をもらすのは拓馬だけではない。ヤマダもまた「一六〇センチ台にいきたかった」とぼやいたことがある。そう言う彼女の身長は日本人女性の平均値と似たりよったり。低身長だと気にするほどではないと拓馬は思っている。
(一七〇あったって、もうちょっと背がほしいって思うんだろうな)
平均値に達している友人がそうなのだから、自身も例外ではないと感じた。人間の欲は深い──そんな哲学めいたことを思いふけっているうちに父が散歩からもどってきた。居間に父と犬が入ってくる。リードを外された白黒の犬は真っ先に拓馬のもとへやってきた。食卓の椅子にすわる拓馬の足に体をこすりつけ、尻尾をぱたつかせている。
(俺に会うだけでこんなによろこんで……)
犬はひとしきり歓迎の行動を行なった。最終的に拓馬の足にもたれかかって、横になる。飼い犬は拓馬のコンプレックスをまったく気にしていない。拓馬の背が伸びようがちぢもうが、動物には関係のないことだ。
(トーマはもっと大きくなりたい、なんて思うことがあるのかな)
この飼い犬は中型犬サイズ。どうにか室内で飼える大きさだ。これより大きいと日々の世話が大変になってしまう。人間の都合を考慮すると、いまのサイズがちょうどよい。
(トーマに足りてないところはないな)
この犬は名目上雑種だがなかなか優秀だ。同じ犬の中では充分に身体能力が高く、愛嬌者で、知性がある。血統書付きであれば上流階級の家庭に愛育されるのに申し分ない。また、作業犬としてもやっていけそうな能力を持っている。しかし平凡な家庭で飼われていてはそのすぐれた能力をぞんぶんに活かせず、その愛らしさに見合う待遇を満足に受けられない。この日常を物足りなく感じているのではないか、と案ずることが拓馬にはときどきあった。それでも根岸一家が目にするトーマは毎日をたのしそうにすごしている。
(毎日が、しあわせか……)
トーマは現在与えられている以上のものをのぞんでいるようには見えない。ただ人間が餌を用意して、寝床をきれいに掃除して、共に散歩しに出かけて、ときどき遊びに付き合いさえすれば、きっと満足なのだ。日々に充足感を持ちえている飼い犬を見ていると、拓馬は自分の悩みが取るに足らぬことだと思えてきた。
(俺も、見習おう)
洗濯機のアラーム音が鳴る。かの機械が仕事をしおえた合図だ。拓馬は空になった食器を流し台に置いた。そのほかにも道着を干す、入浴するといった所用をすませる。その間にシズカからの連絡が届いていた。彼は今夜、拓馬と話せるという。
(よし、部屋に行こう)
拓馬はさっそく自室にこもった。冷房をつけた室内で、パソコンを起動させる。シズカとの会話を他者に聞かれないよう、ヘッドホンの準備をした。そうしてすでに拓馬を待っていたシズカとの通信をはじめた。
自室にきたついでに電子機器を操作する。シズカに話がしたい旨をメールで伝えた。今回の用件は稔次のことだ。シズカの知人かもしれない人を見つけた、といまのうちに知らせておき、シズカの都合のよいタイミングで通話する。あとはシズカの反応待ちだ。
次に拓馬は使用した道着を洗いにかかる。洗濯機の洗濯完了には二、三十分かかるので、その待機時間は居間ですごす。居間では母がくつろいでいた。この場にいない姉は入浴中で、父は犬の散歩に出かけたという。
拓馬は母にすすめられて、自分の分の夕食をとる。このように自分の夕食時間がおくれる状況は最近なかった。
(小学生のころ……こんなふうに食ってたな)
かつての門下生時代、幼年の部から少年の部へ移行したときのことを拓馬は思い出した。少年の部は今日と同じ時間帯の開催だ。当時の夕飯も道場の練習がおわったあとに食べていた。学校でとる昼食と自宅での夕食まで時間がかなり空くので、練習前には軽食をとったおぼえもある。つまり一日四食とっていた。拓馬なりに体によいものを選んで摂取したのだが、あまり成長は促進されなかった。
(けっこう食ってて、この身長なんだもんな)
拓馬の両親は体格に恵まれていない。やはり遺伝は努力ではいかんともしがたいのだ。小学生当時はまだその真実に気付かず、未来に希望を持っていた。
(もう伸びないよな、高二にもなりゃ……)
どこぞの噂では高校入学後に急成長した男子がいたという。その人は丈が合わなくなった制服を着続け、卒業していったとか。拓馬はそれと似た事象が自身にも起こりうるかもしれないという淡い期待を抱いていた。今年の身体計測の結果を見て、ようやくあきらめがついてきた。
(一七〇センチはほしかった……)
と、自身の成長具合に不満をもらすのは拓馬だけではない。ヤマダもまた「一六〇センチ台にいきたかった」とぼやいたことがある。そう言う彼女の身長は日本人女性の平均値と似たりよったり。低身長だと気にするほどではないと拓馬は思っている。
(一七〇あったって、もうちょっと背がほしいって思うんだろうな)
平均値に達している友人がそうなのだから、自身も例外ではないと感じた。人間の欲は深い──そんな哲学めいたことを思いふけっているうちに父が散歩からもどってきた。居間に父と犬が入ってくる。リードを外された白黒の犬は真っ先に拓馬のもとへやってきた。食卓の椅子にすわる拓馬の足に体をこすりつけ、尻尾をぱたつかせている。
(俺に会うだけでこんなによろこんで……)
犬はひとしきり歓迎の行動を行なった。最終的に拓馬の足にもたれかかって、横になる。飼い犬は拓馬のコンプレックスをまったく気にしていない。拓馬の背が伸びようがちぢもうが、動物には関係のないことだ。
(トーマはもっと大きくなりたい、なんて思うことがあるのかな)
この飼い犬は中型犬サイズ。どうにか室内で飼える大きさだ。これより大きいと日々の世話が大変になってしまう。人間の都合を考慮すると、いまのサイズがちょうどよい。
(トーマに足りてないところはないな)
この犬は名目上雑種だがなかなか優秀だ。同じ犬の中では充分に身体能力が高く、愛嬌者で、知性がある。血統書付きであれば上流階級の家庭に愛育されるのに申し分ない。また、作業犬としてもやっていけそうな能力を持っている。しかし平凡な家庭で飼われていてはそのすぐれた能力をぞんぶんに活かせず、その愛らしさに見合う待遇を満足に受けられない。この日常を物足りなく感じているのではないか、と案ずることが拓馬にはときどきあった。それでも根岸一家が目にするトーマは毎日をたのしそうにすごしている。
(毎日が、しあわせか……)
トーマは現在与えられている以上のものをのぞんでいるようには見えない。ただ人間が餌を用意して、寝床をきれいに掃除して、共に散歩しに出かけて、ときどき遊びに付き合いさえすれば、きっと満足なのだ。日々に充足感を持ちえている飼い犬を見ていると、拓馬は自分の悩みが取るに足らぬことだと思えてきた。
(俺も、見習おう)
洗濯機のアラーム音が鳴る。かの機械が仕事をしおえた合図だ。拓馬は空になった食器を流し台に置いた。そのほかにも道着を干す、入浴するといった所用をすませる。その間にシズカからの連絡が届いていた。彼は今夜、拓馬と話せるという。
(よし、部屋に行こう)
拓馬はさっそく自室にこもった。冷房をつけた室内で、パソコンを起動させる。シズカとの会話を他者に聞かれないよう、ヘッドホンの準備をした。そうしてすでに拓馬を待っていたシズカとの通信をはじめた。
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