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2018年10月26日
拓馬篇後記−13
頭巾の男性は「掃除道具をとってくる」と言って、別行動をとる。拓馬は手持ちの道着を一時保管すべく、練習場へ入る。室内の床にはジョイントマットが一面敷かれていた。今日はマットを外しての床掃除はしないらしい。
室内の中央には神南がいた。彼女は長い柄つきの掃除用ワイパーをふるって天井を掃除している。拓馬はまずあいさつをする。
「神南さん、おはようございます」
「うん、おはよう」
「俺はなにをしたらいいですか?」
「棚の拭き掃除……」
神南は棚の端っこ部分を指差す。
「布巾がおいてあるところの右、もう拭いたから、そこに道着を置いて。そこ以外はまだ拭いてないの」
その箇所を勧めるわけは、拭きおえてから時間が経っており水気がとんでいるはず、という根拠にある。拓馬のために一か所だけ先に拭いてくれたようだ。
「だいじょうぶだと思うけど、ぬれてないか確認してね」
「はい」
拓馬は言われたとおりに棚にふれた。湿り気がないのをたしかめたのち、荷物を置く。そしてその左隣りにある棚の布巾を手にした。布巾を使い、物が入っていない棚部分を拭いていった。
棚掃除を終えようかとしたころに頭巾の男性がやってきた。彼はバケツを二つもっている。おそらく片方は拓馬の分だ。
「お、そっちの棚を拭いてるんだ」
「はい、でももうおわります」
「じゃあその布巾でミット用の棚も拭こうかな」
男性はミット置き場からすこし距離を置いたところにバケツをおろした。ミットをぎっしり積んだパイプ棚の前に立つ。側板と背板のない棚を抱えるように両腕を広げた。四本ある棚の支柱を、対角線上に二か所つかむ。
「棚をうごかすよ〜」
男性は横幅も重量もある棚を簡単に持ち上げた。ゆっくり後退し、壁から一メートルほどはなれた場所におろす。
「ここの壁もきれいにしたいんだ。掃除をやれてないって話だから」
「はい、棚をずらすの、たいへんですから……」
その大変さは作業工程の多さに由来する。通常、棚を移動するときは最初に棚にあるものをどかす。そののちに棚本体をうごかす。そうしなくては安定した棚の持ち方ができない。安定した持ち方というのは、対角線上の支柱をつかむこと。棚板や手前の支柱二本を持とうとするとあぶないのだ。拓馬のような体の小さい者では、棚板にあるものをすっきりなくしたうえで、棚板の上へ腕を通して、奥の支柱を持つ必要がある。
「オレはものぐさだからいっぺんにうごかしちゃったけど、きみが掃除するときはミットをどかしていいし、二人がかりでもいいからね」
「はい、いまのやり方は真似したくてもできません」
この男性は力技で荷物ごと棚を運んだ。彼の体格がなせることだ。拓馬は自身の身長が平均未満であることを気にしているので、高身長だからできることを見せつけられると、内心ではおもしろくなかった。
拓馬はすぐに荷物置きの棚を拭きおわらせた。掃除に使った布巾を手にしたまま、次の作業場である男性のもとへ近寄る。男性はパイプ棚上段のミットを両手に持つ。
「どうせミットをどかさなきゃ棚は拭けないんだ。さきにミットを移動したほうがいいね」
男性は自身のやり方を推奨しない口ぶりをした。拓馬の微妙な傷心を察して、フォローしたのだろうか。そのやさしさを受けて、拓馬は妙に男性への親しみをおぼえる。
「あの、この棚を拭くのは、だれが?」
男性の言い方では拓馬にやってもらう、という意思があまり伝わらない。どちらかがやることはたしかなのだが、男性は分担を決めていないようだった。
男性は全高一七〇センチほどのパイプ棚の天板を見下ろす。拓馬にとって棚のてっぺんは見上げる部分だ。
「オレがやろう」
「じゃあ俺が壁を拭くってことで」
「ああ、お願いする。こっちのバケツと雑巾を使ってくれ」
男性はいったんミットを棚にもどし、水を張ったバケツを持った。バケツの縁には雑巾がかけてある。拓馬はそれを受け取った。同時に男性は拓馬の手にあった布巾をにぎる。
「ここの壁が拭けたら、ほかの壁もきれいにしてもらっていいかな。手のとどく範囲でいい」
「わかりました」
拓馬は水につけた雑巾を絞り、パイプ棚と密着していた壁を拭く。木製の壁を拭くと茶色のほかに灰色のよごれが雑巾についた。
(壁の中じゃここがいちばん汚れてるか……)
そう判断した拓馬は一帯を清掃すると雑巾を一度洗った。バケツの中の水が濁る。これは水を換えたほうがよさそうだ、と思いながら、ひとまず洗った雑巾でいけるところまで清掃した。棚のあった壁以外は思ったほど汚れがたまっておらず、水替えの頻度は一回で済んだ。雑巾では拭けない壁はワイパーを持つ神南が拭く。その間、男性はミットを一段ごとに場所をかためて床におき、棚が空になるまで棚の拭き掃除をした。それらがおわると床──マットの拭き掃除にかかった。
三人がかりで取り組んだおかげで練習場内の掃除は早くおわる。次に道着へ着替えることになる。だが男性は「道具を片付けてくる」とまた別行動をした。その際に、
「おじさんのハダカなんか見たくないだろ?」
と冗談めかして、拓馬にひとりで更衣室を使うようすすめた。男性と気心の知れない拓馬が更衣室で二人きりになる状況を避けてくれたようだった。拓馬としては男性に苦手意識はなく、同時に着替えることになってもかまわなかった。
(なんかいい人みたいだな……)
あの大畑の身内に悪人がいるとも思えず、ある意味正しい状況だと感じた。
(師範代とどういう……ってことは聞かないほうがいいか)
大畑はあまり詮索してほしくないようだった。こちらから男性の素性はたずねないほうがよい。
(名前は聞いていいよな。呼び名がないのはこまる)
体験会の受付がはじまるまでの猶予はある。この自由時間を利用して、最低限の自己紹介をしておこうと拓馬は留意した。
室内の中央には神南がいた。彼女は長い柄つきの掃除用ワイパーをふるって天井を掃除している。拓馬はまずあいさつをする。
「神南さん、おはようございます」
「うん、おはよう」
「俺はなにをしたらいいですか?」
「棚の拭き掃除……」
神南は棚の端っこ部分を指差す。
「布巾がおいてあるところの右、もう拭いたから、そこに道着を置いて。そこ以外はまだ拭いてないの」
その箇所を勧めるわけは、拭きおえてから時間が経っており水気がとんでいるはず、という根拠にある。拓馬のために一か所だけ先に拭いてくれたようだ。
「だいじょうぶだと思うけど、ぬれてないか確認してね」
「はい」
拓馬は言われたとおりに棚にふれた。湿り気がないのをたしかめたのち、荷物を置く。そしてその左隣りにある棚の布巾を手にした。布巾を使い、物が入っていない棚部分を拭いていった。
棚掃除を終えようかとしたころに頭巾の男性がやってきた。彼はバケツを二つもっている。おそらく片方は拓馬の分だ。
「お、そっちの棚を拭いてるんだ」
「はい、でももうおわります」
「じゃあその布巾でミット用の棚も拭こうかな」
男性はミット置き場からすこし距離を置いたところにバケツをおろした。ミットをぎっしり積んだパイプ棚の前に立つ。側板と背板のない棚を抱えるように両腕を広げた。四本ある棚の支柱を、対角線上に二か所つかむ。
「棚をうごかすよ〜」
男性は横幅も重量もある棚を簡単に持ち上げた。ゆっくり後退し、壁から一メートルほどはなれた場所におろす。
「ここの壁もきれいにしたいんだ。掃除をやれてないって話だから」
「はい、棚をずらすの、たいへんですから……」
その大変さは作業工程の多さに由来する。通常、棚を移動するときは最初に棚にあるものをどかす。そののちに棚本体をうごかす。そうしなくては安定した棚の持ち方ができない。安定した持ち方というのは、対角線上の支柱をつかむこと。棚板や手前の支柱二本を持とうとするとあぶないのだ。拓馬のような体の小さい者では、棚板にあるものをすっきりなくしたうえで、棚板の上へ腕を通して、奥の支柱を持つ必要がある。
「オレはものぐさだからいっぺんにうごかしちゃったけど、きみが掃除するときはミットをどかしていいし、二人がかりでもいいからね」
「はい、いまのやり方は真似したくてもできません」
この男性は力技で荷物ごと棚を運んだ。彼の体格がなせることだ。拓馬は自身の身長が平均未満であることを気にしているので、高身長だからできることを見せつけられると、内心ではおもしろくなかった。
拓馬はすぐに荷物置きの棚を拭きおわらせた。掃除に使った布巾を手にしたまま、次の作業場である男性のもとへ近寄る。男性はパイプ棚上段のミットを両手に持つ。
「どうせミットをどかさなきゃ棚は拭けないんだ。さきにミットを移動したほうがいいね」
男性は自身のやり方を推奨しない口ぶりをした。拓馬の微妙な傷心を察して、フォローしたのだろうか。そのやさしさを受けて、拓馬は妙に男性への親しみをおぼえる。
「あの、この棚を拭くのは、だれが?」
男性の言い方では拓馬にやってもらう、という意思があまり伝わらない。どちらかがやることはたしかなのだが、男性は分担を決めていないようだった。
男性は全高一七〇センチほどのパイプ棚の天板を見下ろす。拓馬にとって棚のてっぺんは見上げる部分だ。
「オレがやろう」
「じゃあ俺が壁を拭くってことで」
「ああ、お願いする。こっちのバケツと雑巾を使ってくれ」
男性はいったんミットを棚にもどし、水を張ったバケツを持った。バケツの縁には雑巾がかけてある。拓馬はそれを受け取った。同時に男性は拓馬の手にあった布巾をにぎる。
「ここの壁が拭けたら、ほかの壁もきれいにしてもらっていいかな。手のとどく範囲でいい」
「わかりました」
拓馬は水につけた雑巾を絞り、パイプ棚と密着していた壁を拭く。木製の壁を拭くと茶色のほかに灰色のよごれが雑巾についた。
(壁の中じゃここがいちばん汚れてるか……)
そう判断した拓馬は一帯を清掃すると雑巾を一度洗った。バケツの中の水が濁る。これは水を換えたほうがよさそうだ、と思いながら、ひとまず洗った雑巾でいけるところまで清掃した。棚のあった壁以外は思ったほど汚れがたまっておらず、水替えの頻度は一回で済んだ。雑巾では拭けない壁はワイパーを持つ神南が拭く。その間、男性はミットを一段ごとに場所をかためて床におき、棚が空になるまで棚の拭き掃除をした。それらがおわると床──マットの拭き掃除にかかった。
三人がかりで取り組んだおかげで練習場内の掃除は早くおわる。次に道着へ着替えることになる。だが男性は「道具を片付けてくる」とまた別行動をした。その際に、
「おじさんのハダカなんか見たくないだろ?」
と冗談めかして、拓馬にひとりで更衣室を使うようすすめた。男性と気心の知れない拓馬が更衣室で二人きりになる状況を避けてくれたようだった。拓馬としては男性に苦手意識はなく、同時に着替えることになってもかまわなかった。
(なんかいい人みたいだな……)
あの大畑の身内に悪人がいるとも思えず、ある意味正しい状況だと感じた。
(師範代とどういう……ってことは聞かないほうがいいか)
大畑はあまり詮索してほしくないようだった。こちらから男性の素性はたずねないほうがよい。
(名前は聞いていいよな。呼び名がないのはこまる)
体験会の受付がはじまるまでの猶予はある。この自由時間を利用して、最低限の自己紹介をしておこうと拓馬は留意した。
タグ:拓馬
2018年10月25日
拓馬篇後記−12
道場の体験会初日から一週間が経過した。その間、シドの予定は軌道に乗った旨がヤマダから告げられた。こまかい報告はしなくていい、と拓馬が釘を刺したせいか、彼女の報告回数はすくなかった。拓馬が借り物を返却したときと、終業式で顔を合わせたとき。以後の連絡は拓馬に相談したいことができるか、事態が急変した際にすることになった。ヤマダ自身はちょくちょくシドから話を聞いているらしい。実際は聞くというよりは一緒に方策を考えている、といった感じのようだ。伝達の実態を知った拓馬は彼女に相談役を押し付けてしまったと思い、そのことをやんわり詫びた。ヤマダは笑って、
「タッちゃんにも話してから決めてたら、おそくなっちゃう。それじゃ金髪くんは待ってくれないよ」
と現状のやり方がよいのだと肯定した。そのうえで、
「次の体験会をがんばってね。それはタッちゃんにまかされた人助けなんだから」
と拓馬の役目を優先するように言った。その言い分はもっともなので、拓馬は大畑の手伝いに気持ちを向けた。
拓馬は体験会二回目の準備に参加しにいった。とくに時間の再指定はなかったので、前回と同じ時刻に到着するようにした。
道場の前にはテントが設営されてあった。受付は道場の外でやる方向のままだ。受付係が着く机と椅子のうしろに、首の高い扇風機が設置してある。その扇風機になにかをしている人がいる。
(師範代か?)
白い頭巾をかぶった人だ。前回の大畑のファッションとはちがうが、肩幅は大畑に似ていた。
頭巾の者が拓馬のいるほうへ振り向いた。その顔は大畑ではなかった。ごつごつとした大畑とはまったく異なる、線の細い顔立ちだ。そのまなざしはおそらく、だれもが認める美男のたぐいである。どこか女性的な顔だと拓馬は感じたが、あきらかに男性だともわかる雰囲気だ。その差異に混乱が生じる。
(あれ? なんで女っぽいと思うんだ?)
相手はどう見ても男性特有のたくましい外見をしている。まごうことなき偉丈夫だ。女性らしさを感じる要素はないはずだが、かといって理屈に合わない直感を捨て置けなかった。
頭巾の男性が首をかしげ、「えっと……」とつぶやく。
「きみが、指導員の男の子?」
「あ、はい……」
正式に指導員になったつもりはないが、と拓馬は反論するのをおさえた。初対面の人とは当たり障りのない会話に努めるべき、と思ったためだ。男性は屈託なく笑む。
「高校生なんだったっけ。学校はもう夏休み?」
「はい、休みに入りました」
「休み中の予定はあるかい?」
「今日の手伝い以外は、とくに……」
「へえ、フリーなのか。夏休みには部活があるもんだと思ったけど」
拓馬は返答に困った。現在の部活動状況は大畑に伝えていない。その関係者である男性に真実を言えば、大畑の知るところとなる。幽霊部員だと知られるメリットはあるか、と考えると、デメリットのほうがあるような気がした。
拓馬が口ごもると人懐っこい男性は立ち上がる。肩回りの発達具合にふさわしい背の高さが顕著になった。背丈は大畑を超えているかもしれない。
「外で話すのもなんだし、中で準備しながらがいいか。ここはもうおわったから」
頭巾の男性は自己紹介を後回しにするつもりだ。拓馬もなるべく日陰で物事をすすめたいと思うので、彼の判断に同調した。
男性は道場の玄関をくぐった。拓馬は大人しくついていく。相手方の身分はまだ明かされていないが、あの男性が大畑の言っていた親戚にちがいなかった。彼は拓馬が思っていたよりも若く、三十代半ばな風貌の人だ。
(どっかで見たような感じがするんだよな……)
この男性を拓馬は知らない。そのはずが、しかし見覚えもあるという違和感がせめぎ合う。
(あの目か?)
彼のぱっちりした目に既視感をおぼえた。そこが女性的だと感じている。
(ああいう目をした女の人を、知ってる?)
自身の直感をかみ砕いて考えてみると、その結論が浮上した。しかし該当する女性がだれかまではすぐに出てこない。
(師範代の家族の女性……奥さん?)
しかし大畑の妻とは顔立ちがちがう。大畑の妻はけっして不美人ではないが、美人と断言するのは人によるような、クセのある外見だ。
(奥さんじゃないなら、娘さんか?)
大畑の娘は複数人いる。まっさきに思い浮かんだのは先週見かけた長女だ。彼女はおよそ普遍的な美形である。
(あの目……師範代の娘さんと似てる?)
大畑自慢の長女は大畑の母親に似ているという。その娘と頭巾の男性が似る事態は、二人が親戚である以上、ありうることだ。両者に共通する血筋は、大畑の母。外見の特徴をふまえると、男性は大畑の母につらなる親類だということになる。
(この人が娘さんとならんでたら、たぶん父親にまちがわれそうだな)
大畑の長女は実の両親と顔が似ていない。それでいて、親戚の者には似る──そんな子どももいるものなのだと、拓馬は血脈の不可思議を見た気がした。
「タッちゃんにも話してから決めてたら、おそくなっちゃう。それじゃ金髪くんは待ってくれないよ」
と現状のやり方がよいのだと肯定した。そのうえで、
「次の体験会をがんばってね。それはタッちゃんにまかされた人助けなんだから」
と拓馬の役目を優先するように言った。その言い分はもっともなので、拓馬は大畑の手伝いに気持ちを向けた。
拓馬は体験会二回目の準備に参加しにいった。とくに時間の再指定はなかったので、前回と同じ時刻に到着するようにした。
道場の前にはテントが設営されてあった。受付は道場の外でやる方向のままだ。受付係が着く机と椅子のうしろに、首の高い扇風機が設置してある。その扇風機になにかをしている人がいる。
(師範代か?)
白い頭巾をかぶった人だ。前回の大畑のファッションとはちがうが、肩幅は大畑に似ていた。
頭巾の者が拓馬のいるほうへ振り向いた。その顔は大畑ではなかった。ごつごつとした大畑とはまったく異なる、線の細い顔立ちだ。そのまなざしはおそらく、だれもが認める美男のたぐいである。どこか女性的な顔だと拓馬は感じたが、あきらかに男性だともわかる雰囲気だ。その差異に混乱が生じる。
(あれ? なんで女っぽいと思うんだ?)
相手はどう見ても男性特有のたくましい外見をしている。まごうことなき偉丈夫だ。女性らしさを感じる要素はないはずだが、かといって理屈に合わない直感を捨て置けなかった。
頭巾の男性が首をかしげ、「えっと……」とつぶやく。
「きみが、指導員の男の子?」
「あ、はい……」
正式に指導員になったつもりはないが、と拓馬は反論するのをおさえた。初対面の人とは当たり障りのない会話に努めるべき、と思ったためだ。男性は屈託なく笑む。
「高校生なんだったっけ。学校はもう夏休み?」
「はい、休みに入りました」
「休み中の予定はあるかい?」
「今日の手伝い以外は、とくに……」
「へえ、フリーなのか。夏休みには部活があるもんだと思ったけど」
拓馬は返答に困った。現在の部活動状況は大畑に伝えていない。その関係者である男性に真実を言えば、大畑の知るところとなる。幽霊部員だと知られるメリットはあるか、と考えると、デメリットのほうがあるような気がした。
拓馬が口ごもると人懐っこい男性は立ち上がる。肩回りの発達具合にふさわしい背の高さが顕著になった。背丈は大畑を超えているかもしれない。
「外で話すのもなんだし、中で準備しながらがいいか。ここはもうおわったから」
頭巾の男性は自己紹介を後回しにするつもりだ。拓馬もなるべく日陰で物事をすすめたいと思うので、彼の判断に同調した。
男性は道場の玄関をくぐった。拓馬は大人しくついていく。相手方の身分はまだ明かされていないが、あの男性が大畑の言っていた親戚にちがいなかった。彼は拓馬が思っていたよりも若く、三十代半ばな風貌の人だ。
(どっかで見たような感じがするんだよな……)
この男性を拓馬は知らない。そのはずが、しかし見覚えもあるという違和感がせめぎ合う。
(あの目か?)
彼のぱっちりした目に既視感をおぼえた。そこが女性的だと感じている。
(ああいう目をした女の人を、知ってる?)
自身の直感をかみ砕いて考えてみると、その結論が浮上した。しかし該当する女性がだれかまではすぐに出てこない。
(師範代の家族の女性……奥さん?)
しかし大畑の妻とは顔立ちがちがう。大畑の妻はけっして不美人ではないが、美人と断言するのは人によるような、クセのある外見だ。
(奥さんじゃないなら、娘さんか?)
大畑の娘は複数人いる。まっさきに思い浮かんだのは先週見かけた長女だ。彼女はおよそ普遍的な美形である。
(あの目……師範代の娘さんと似てる?)
大畑自慢の長女は大畑の母親に似ているという。その娘と頭巾の男性が似る事態は、二人が親戚である以上、ありうることだ。両者に共通する血筋は、大畑の母。外見の特徴をふまえると、男性は大畑の母につらなる親類だということになる。
(この人が娘さんとならんでたら、たぶん父親にまちがわれそうだな)
大畑の長女は実の両親と顔が似ていない。それでいて、親戚の者には似る──そんな子どももいるものなのだと、拓馬は血脈の不可思議を見た気がした。
タグ:拓馬