2018年10月19日
拓馬篇後記−8
最終的に、参加者は三十人ほどあつまった。拓馬の予想以上の集客ぶりだ。ただし子どもの付添人もふくむので、実際に門下生候補となるのは全体の半分程度におさまる。そのうちの何人が入門するかはわからない。これだけの人たちがこの道場に関心をもってくれた、という事実はよろこばしいことだった。
体験会の開始には大畑が冒頭説明をおこなった。彼は師範代である。名目上、道場の長を補佐する立場にある。こういった場の演説者は師範が適役だと拓馬は思っていた。
(世代交代、かな……)
拓馬の門下生時代では師範が練習場に顔を出すことがよくあった。それもいまはむずかしいのだろう。大畑が主動する様子は、彼が実質的な師範になっていることのあらわれのようだった。だが完全に身を引く予定はないようで、体験会の後半に師範が参加することになっている。
説明の次は慣例の準備運動をする。部屋の前方にお手本となる拓馬たちがならび、大畑の解説とともに体をほぐす。まるでラジオ体操のようだ。うごき自体も体育の準備運動と似た部分が多く、未就学児以外の客はわりとすんなり模倣していった。小さな子どもは親の補助つきでそれらしいポーズをとる。子どもはあたらしい遊びをやっているかのように、はしゃいでいた。拓馬は他人事ではないような、なつかしさをおぼえる。
(俺もああだったのかな)
拓馬はかなり小さいときに道場に入門した。まだ小学校にかよっていなかった時期だ。当時の記憶はおぼろげになっているが、親に連れられて、空手にはげんでいたことは思い出にのこっていた。
準備運動ののちはやっと武道らしい形(かた)の指導に入る。指導形式はさきほどと同じ。道場の者がやるうごきを皆が真似る。拓馬にとっては準備運動とひとしい、なんでもない修練だ。やり方は体がおぼえている。詰まることなくスムーズにできるはずが、視界に妙なものが入ったとたん、ぎこちなくなってしまった。
練習場の窓から人の顔がうつった。頭巾を覆面のごとく巻いて、目元だけを露出している。常人ではなさそうな風体だ。窓が見えているはずの大畑と神南は覆面の者に気付いていない。
(これが「かわった客」か?)
ヤマダが直前に珍客の到来を拓馬に告げていた。その客なのかもしれない。拓馬が予想した人物とはちがったが、一時窓辺の不審者を無害なものと見做し、無視することにした。ただしあやしい行動を起こさないか、警戒はおこたらない。無関心をよそおい、目の端で対象をとらえつづけた。
覆面の者は締めきったガラス窓に顔をつっこむ。その顔はガラスをするっと通過した。生身の生き物ではない証だ。幼少時から人外を見続ける拓馬にとって、おどろくような怪奇現象に値しない。
頭部しか見えなかった覆面の者の首回りが可視化される。着物の衿が見えた。和風な装束のようである。
(忍者の幽霊……?)
覆面で和装、そして偵察行為といえば忍び装束を髣髴した。のぞき魔の衣服は頭部周辺しか見えないので、正確なことはわからない。衣装以上に、スパイ活動のような動作の影響で忍者らしいと感じた。
覆面の者は窓辺で数秒ほどとまっていた。その後は顔をひっこめ、姿を消した。なにかをさぐっていたのだろうか。目当てのものはないと判断して、どこかへ去ったようだ。
(なにをしたかったんだ、あいつ)
こんな平凡な道場に幽霊がこのむようなシロモノがあるはずがない。目的は道場でなく、この場にあつまった人にあるのか。
(ヘンなの……シズカさんに聞いてみるか)
シズカとは拓馬が人ならざる者について相談できる知人だ。その知人は本業の警官で忙しい身だが、拓馬にふりかかる難事にはいつも親身になって対応してくれる。今回の件もこの知人に伝えるか──と拓馬は思ったが、べつの方法を思いつく。
(いや、いまはもっと手軽に聞ける人がいるんだった)
その人物は拓馬がこの場にくると思っていた「かわった客」だ。この人物もまた拓馬を援助してくれる好人物。こちらのほうが近所に住む人なので、会うのも話すのも気安い。
それ以上に気楽に話せるのはヤマダだ。彼女が本当の訪問客の姿を知っている。もしその姿と拓馬の目撃した覆面が別人であったと知れたとき、知人らにたずねる。その段取りを体験会終了後にやると決めた。
形の練習がおわる。最後の指導はミット打ちだ。師範代たちが持ったミットに、体験会参加者が順番に打つ流れである。まず大畑と神南が手本を見せた。人間の胴を隠せる大きさのミットを大畑が両手にかかげ、そのミットに神南が打つ。右こぶし、左こぶしを当てたら蹴りでフィニッシュ、という動作をこなした。拓馬が門下生時代に経験したミット打ちはもっと複雑だった。客に幼い子どももいるので、おぼえやすくやりやすいうごきに絞ったようだ。
デモンストレーションに際して、師範が練習場へあらわれた。ひとめで別格な空手家だとわかる、濃い灰色の道着に身を包んでいた。黒っぽい格好とは反対に、髪とヒゲは真っ白である。老人な風貌だ。とはいえ、背すじが伸びていて足腰はしっかりしている。その動作に老いをにおわせなかった。
師範をふくめた四人が室内の前方に立つ。皆が同じミットを持ち、横に等間隔に離れた。大畑の指示で、それぞれのミットのまえに人を並ばせる。なかば強制的に人を配分したせいで、ほかと風格がことなる師範の列についた子どもはビビった。保護者にだきつく子もいる。
師範はいつもの空手家モードでいるせいで、必要以上に子どもを威圧した。その態度が幼い子どもに不評だと知ると、わざと笑み、
「こわがらんでもいい。じぃじはなーんにもせんよ。ほれ、手をグーにして、ここに当ててみい」
師範は片ひざをつき、視線の高さを子どもに合わせた。祖父モードに入った師範の言うことには子どもがすんなり応じる。神南が実践したうごきを、みじかい手足で真似た。つたないうごきであっても師範は「よくやった」とほめる。ほめられた子どもは屈託のない笑顔を見せた。
一連の動作を二回繰り返すと、列の先頭にいた者は列の最後尾へまわり、ミット打ちを交代する。全員が三順ほどできたところでミット打ちは終了した。その間、拓馬にのみ感知できる生き物はだれもあらわれなかった。
体験会の開始には大畑が冒頭説明をおこなった。彼は師範代である。名目上、道場の長を補佐する立場にある。こういった場の演説者は師範が適役だと拓馬は思っていた。
(世代交代、かな……)
拓馬の門下生時代では師範が練習場に顔を出すことがよくあった。それもいまはむずかしいのだろう。大畑が主動する様子は、彼が実質的な師範になっていることのあらわれのようだった。だが完全に身を引く予定はないようで、体験会の後半に師範が参加することになっている。
説明の次は慣例の準備運動をする。部屋の前方にお手本となる拓馬たちがならび、大畑の解説とともに体をほぐす。まるでラジオ体操のようだ。うごき自体も体育の準備運動と似た部分が多く、未就学児以外の客はわりとすんなり模倣していった。小さな子どもは親の補助つきでそれらしいポーズをとる。子どもはあたらしい遊びをやっているかのように、はしゃいでいた。拓馬は他人事ではないような、なつかしさをおぼえる。
(俺もああだったのかな)
拓馬はかなり小さいときに道場に入門した。まだ小学校にかよっていなかった時期だ。当時の記憶はおぼろげになっているが、親に連れられて、空手にはげんでいたことは思い出にのこっていた。
準備運動ののちはやっと武道らしい形(かた)の指導に入る。指導形式はさきほどと同じ。道場の者がやるうごきを皆が真似る。拓馬にとっては準備運動とひとしい、なんでもない修練だ。やり方は体がおぼえている。詰まることなくスムーズにできるはずが、視界に妙なものが入ったとたん、ぎこちなくなってしまった。
練習場の窓から人の顔がうつった。頭巾を覆面のごとく巻いて、目元だけを露出している。常人ではなさそうな風体だ。窓が見えているはずの大畑と神南は覆面の者に気付いていない。
(これが「かわった客」か?)
ヤマダが直前に珍客の到来を拓馬に告げていた。その客なのかもしれない。拓馬が予想した人物とはちがったが、一時窓辺の不審者を無害なものと見做し、無視することにした。ただしあやしい行動を起こさないか、警戒はおこたらない。無関心をよそおい、目の端で対象をとらえつづけた。
覆面の者は締めきったガラス窓に顔をつっこむ。その顔はガラスをするっと通過した。生身の生き物ではない証だ。幼少時から人外を見続ける拓馬にとって、おどろくような怪奇現象に値しない。
頭部しか見えなかった覆面の者の首回りが可視化される。着物の衿が見えた。和風な装束のようである。
(忍者の幽霊……?)
覆面で和装、そして偵察行為といえば忍び装束を髣髴した。のぞき魔の衣服は頭部周辺しか見えないので、正確なことはわからない。衣装以上に、スパイ活動のような動作の影響で忍者らしいと感じた。
覆面の者は窓辺で数秒ほどとまっていた。その後は顔をひっこめ、姿を消した。なにかをさぐっていたのだろうか。目当てのものはないと判断して、どこかへ去ったようだ。
(なにをしたかったんだ、あいつ)
こんな平凡な道場に幽霊がこのむようなシロモノがあるはずがない。目的は道場でなく、この場にあつまった人にあるのか。
(ヘンなの……シズカさんに聞いてみるか)
シズカとは拓馬が人ならざる者について相談できる知人だ。その知人は本業の警官で忙しい身だが、拓馬にふりかかる難事にはいつも親身になって対応してくれる。今回の件もこの知人に伝えるか──と拓馬は思ったが、べつの方法を思いつく。
(いや、いまはもっと手軽に聞ける人がいるんだった)
その人物は拓馬がこの場にくると思っていた「かわった客」だ。この人物もまた拓馬を援助してくれる好人物。こちらのほうが近所に住む人なので、会うのも話すのも気安い。
それ以上に気楽に話せるのはヤマダだ。彼女が本当の訪問客の姿を知っている。もしその姿と拓馬の目撃した覆面が別人であったと知れたとき、知人らにたずねる。その段取りを体験会終了後にやると決めた。
形の練習がおわる。最後の指導はミット打ちだ。師範代たちが持ったミットに、体験会参加者が順番に打つ流れである。まず大畑と神南が手本を見せた。人間の胴を隠せる大きさのミットを大畑が両手にかかげ、そのミットに神南が打つ。右こぶし、左こぶしを当てたら蹴りでフィニッシュ、という動作をこなした。拓馬が門下生時代に経験したミット打ちはもっと複雑だった。客に幼い子どももいるので、おぼえやすくやりやすいうごきに絞ったようだ。
デモンストレーションに際して、師範が練習場へあらわれた。ひとめで別格な空手家だとわかる、濃い灰色の道着に身を包んでいた。黒っぽい格好とは反対に、髪とヒゲは真っ白である。老人な風貌だ。とはいえ、背すじが伸びていて足腰はしっかりしている。その動作に老いをにおわせなかった。
師範をふくめた四人が室内の前方に立つ。皆が同じミットを持ち、横に等間隔に離れた。大畑の指示で、それぞれのミットのまえに人を並ばせる。なかば強制的に人を配分したせいで、ほかと風格がことなる師範の列についた子どもはビビった。保護者にだきつく子もいる。
師範はいつもの空手家モードでいるせいで、必要以上に子どもを威圧した。その態度が幼い子どもに不評だと知ると、わざと笑み、
「こわがらんでもいい。じぃじはなーんにもせんよ。ほれ、手をグーにして、ここに当ててみい」
師範は片ひざをつき、視線の高さを子どもに合わせた。祖父モードに入った師範の言うことには子どもがすんなり応じる。神南が実践したうごきを、みじかい手足で真似た。つたないうごきであっても師範は「よくやった」とほめる。ほめられた子どもは屈託のない笑顔を見せた。
一連の動作を二回繰り返すと、列の先頭にいた者は列の最後尾へまわり、ミット打ちを交代する。全員が三順ほどできたところでミット打ちは終了した。その間、拓馬にのみ感知できる生き物はだれもあらわれなかった。
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