2018年10月18日
拓馬篇後記−7
三人は練習場の片隅にすわった。拓馬はさっそく古馴染みたちの服装選択について問う。
「学校の体操服……じゃなくてもよかったんだぞ」
体験会の参加者には服装の指定があった。うごきやすい格好でくること──それがチラシに明記されている。当人が運動できると判断した服装であればよく、ことさら自分たちの所属なり年齢層なりがあきらかになる衣服を着る必要はなかった。あからさまな学生アピールは好奇の目にさらされるかもしれない。
「僕が言い出したことなんだ。ほかにいい服が思いつかなくて」
これまで運動には縁遠かった男子が言う。つまりヤマダと相談して、二人とも学校指定の運動着を着ていこうと決めたらしい。ヤマダのほうはほかに運動に適した衣類を所持しているだろうが、椙守ひとりが目立つのを気遣ったようだ。
「お前は運動用の私服なんて、もってないよな……」
「これから用意する……」
椙守はばつがわるそうだ。彼は運動を特別視している。私服の運動着がどうあるべきか、勝手がわからないのかもしれない。
「むずかしく考えるな。普段着でもいいんだ」
「いつも着ている服で?」
「ああ、簡単に洗えて、うごきやすけりゃいい。親の手伝いをしてるときも、そういう服をえらんでるんじゃないか?」
椙守の家業の花屋は意外と重労働だという。その際に着る服は機能性を優先しているはず、と拓馬は勝手に思っている。手伝い中の友人の姿がどんなものだったかは、意識して見たおぼえはない。
拓馬が話す間、ヤマダは両手を後頭部に回していた。長いポニーテールを掻き上げている。彼女はよく学校の体育の時間まえに、髪が邪魔にならないよう一工夫する。そのヘアセットをしている。今日は運動するために外出したのだから、家にいる時点でいつもの髪型を変更してもよさそうなのだが。
「家でやる時間がなかったのか?」
「んー、そんなとこ」
「椙守の待ち合わせに間に合わなかった?」
「あ、これは偶然だよ」
ヤマダが頭から手をはなした。垂れていた髪の房は後頭部に留まって、大きな団子状になっている。
「だったらなんで二人して早くきたんだ?」
「わたしはタッちゃんに用事があったから。ミッキーのほうは家にいたくないから」
ヤマダは自身の答えと同時に、椙守の代弁をした。自分で言うべきことを言われた椙守は「もうちょっと表現をどうか」と苦笑する。
「合ってるけど……」
「ああ、ごめん。『体験会がまちきれなかった』って言ったほうがまるくおさまるし、タッちゃん的にもうれしいよね」
拓馬は別段気分を害していない。椙守が実家にいたがらないのはいつものことだ。彼は家業を嫌々手伝っている。就業時間をへらしたいがために、部活の活動日ない日も部活を理由に帰宅時刻を遅らせることは日常茶飯事だ。
「言い方はどんなのでもいいよ。それで、お前が俺になんの用事だ?」
「えーっと、それがねー」
ヤマダは瞳をうごかした。顔は拓馬に向けたまま、視線を椙守のほうへそそぎ、数回まばたきする。
「あんまり大したことじゃないから、いいや」
「なんだ、それ」
「簡単にいうとね……かわった客がくるかもしれないんで、そのときはオーバーなリアクションをしないようにしてね」
なんとも抽象的な注意だ。しかし彼女があいまいに言わざるをえない理由はある。椙守の知らない秘密。その秘密にまつわることを拓馬に伝えたかったのだ。椙守が一足おそく道場へ着いていれば、きっと明確な注意をうながせた。彼女の目配せはそのように語っている。
「なんとなくわかった。ところで、店はどうした?」
「お母さんが代わってくれた!」
実澄は飲食店の店員ではないが、娘の務めを代替わりすることはまれにある。勤務先が個人経営の店ならではの融通のよさだ。拓馬は店事情を把握できた。しかしあらたな疑問が出てくる。
「でもミスミさんがバイトを代わってまで……お前に空手を習わせたかったのか?」
「参加していいのはこの体験会だけね。習っていいとは言われてない」
「やっぱり、許可はおりないか」
実澄は娘に武道を習わせない。習い事自体は娘に数多く経験させたらしいが、ことケガの危険性のある分野には手を出さなかった。娘の安全をねがうがゆえの方針だ。
「じゃ、この体験会は完全に冷やかしにきたってわけだな」
拓馬は門下生になりえぬ女子に皮肉を言った。ヤマダは臆さず「そうだね」とみとめる。
「お母さんの感覚だと、道場でお祭りやってる、って感じなんだろうね。だから見るだけ見にいっておいで、というわけ」
「このイベントは商売なんだけど……」
「人がたくさんきたら、帰るよ。道場は広いけど、稽古ができる人数に限界があるもんね」
「まーそんなに客はこないと思うなあ」
入門の意思がない者を立ち退かせねばならないほどの集客は見込めない。むしろ本当に入門希望者がくるのか、と拓馬はいささか心配になっている。参加者がすくなすぎても道場の体面はわるくなるだろう。だれからも注目されない、人気のない道場──そんなところにかよいたい、と思える人はちょっとした変わり者だ。ヤマダたちの参加は、ないよりはあったほうがいいという、枯れ木も山のにぎわいに相当する。
拓馬は意図せずサクラ役を担当する痩身な男子を見る。
「椙守は? お前も見にきただけか」
「あ……僕は……まだなんとも」
椙守が首を小刻みに横にふった。体験会の結果次第では門下生になる可能性があるようだ。
「親はどう言ってる? お前んちも親の意見がいちばん強いんだろ」
「いい、とは思ってるみたいだ。やっぱり、普通の人程度には体をきたえておいていいだろう、って」
「それは俺もそう思う」
拓馬も椙守の貧弱な体と身体能力には不安をおぼえている。人間苦手なものがあって当然だし、苦手を克服すべきだとは拓馬は思わないが、それにしても限度がある。健康体な若者ならとくに、災害などの緊急事態を乗り切れる体力はそなえておきたい。だれしも努力次第で一定レベルの運動能力は体得できるのだから。そのような観点で、椙守の意思を尊重したい気持ちが拓馬にはあった。しかし、苦手を克服する鍛錬にしても向き不向きはある。
「ただ体をきたえるだけなら、べつに武道を習わなくてもいいんだぞ?」
「それは、たしかに……」
肉体改造のみを求めるなら筋トレをすればいい。水泳や自転車などの自分のペースでやるスポーツもいい。わざわざいきなり他者との戦いを想定した競技に着手しなくてもいいだろう、というのが拓馬の本音だ。
「ここの流派はなるべくケガしない練習をするけど……なんだかんだ攻撃を食らえば痛い思いをするし、そういう思いを自分が他人にさせるときもある」
「だから『やめとけ』と言いたいのか?」
椙守は真顔で聞いてきた。怒ってはいないようだ。これが何か月まえの彼なら不機嫌な顔を見せていただろう。いまの彼はある教師の影響により、情緒が安定していた。椙守が空手に興味を示したのも、おそらくその教師が武芸家であることが関係している。
「やめろとは言わない。金を払ってまで痛い目に遭ってもいいのか、ちょっと考えてほしい」
われながら出過ぎた言葉だ、と拓馬は内省する。門下生の勧誘のために道場へ招かれた者が口にするにはふさわしくない忠告だ。拓馬は雇い主の目的にそぐわぬ発言を自認しながらも、撤回しようとは思わなかった。ひとえに椙守のためだ。入門したはいいが数日で辞めたくなった、となれば椙守が損をする。入門時に必要となる月謝に道着代は、学生にとって安い出費ではない。悔いがのこらない決定をしてほしいと拓馬は思った。
三人だけがいた練習場に人がやってくる。小学生になるかならないか、くらいのちいさな子どもと、親らしき女性の二人組だ。とうとう客人が到来した。拓馬はすっと立ち上がる。
「じゃ、いまからは俺と他人のふりしててくれよ」
友人二人はあっさり了承した。バイト経験のある彼らは拓馬以上に接客の知識がある。勤務中は私語をつつしむべきなのだと察してくれた。
拓馬はいったん練習場を出る。戸を開きっぱなしにした練習場入り口のそばに神南が立っていた。彼女は受付をおえた人を練習場へ誘導している。それに倣い、拓馬は彼女と反対側に立った。門番のごとく左右にひかえる必要はないのだが、ほかによいポジションもない。受付時間がおわるまでじっと立っていた。
「学校の体操服……じゃなくてもよかったんだぞ」
体験会の参加者には服装の指定があった。うごきやすい格好でくること──それがチラシに明記されている。当人が運動できると判断した服装であればよく、ことさら自分たちの所属なり年齢層なりがあきらかになる衣服を着る必要はなかった。あからさまな学生アピールは好奇の目にさらされるかもしれない。
「僕が言い出したことなんだ。ほかにいい服が思いつかなくて」
これまで運動には縁遠かった男子が言う。つまりヤマダと相談して、二人とも学校指定の運動着を着ていこうと決めたらしい。ヤマダのほうはほかに運動に適した衣類を所持しているだろうが、椙守ひとりが目立つのを気遣ったようだ。
「お前は運動用の私服なんて、もってないよな……」
「これから用意する……」
椙守はばつがわるそうだ。彼は運動を特別視している。私服の運動着がどうあるべきか、勝手がわからないのかもしれない。
「むずかしく考えるな。普段着でもいいんだ」
「いつも着ている服で?」
「ああ、簡単に洗えて、うごきやすけりゃいい。親の手伝いをしてるときも、そういう服をえらんでるんじゃないか?」
椙守の家業の花屋は意外と重労働だという。その際に着る服は機能性を優先しているはず、と拓馬は勝手に思っている。手伝い中の友人の姿がどんなものだったかは、意識して見たおぼえはない。
拓馬が話す間、ヤマダは両手を後頭部に回していた。長いポニーテールを掻き上げている。彼女はよく学校の体育の時間まえに、髪が邪魔にならないよう一工夫する。そのヘアセットをしている。今日は運動するために外出したのだから、家にいる時点でいつもの髪型を変更してもよさそうなのだが。
「家でやる時間がなかったのか?」
「んー、そんなとこ」
「椙守の待ち合わせに間に合わなかった?」
「あ、これは偶然だよ」
ヤマダが頭から手をはなした。垂れていた髪の房は後頭部に留まって、大きな団子状になっている。
「だったらなんで二人して早くきたんだ?」
「わたしはタッちゃんに用事があったから。ミッキーのほうは家にいたくないから」
ヤマダは自身の答えと同時に、椙守の代弁をした。自分で言うべきことを言われた椙守は「もうちょっと表現をどうか」と苦笑する。
「合ってるけど……」
「ああ、ごめん。『体験会がまちきれなかった』って言ったほうがまるくおさまるし、タッちゃん的にもうれしいよね」
拓馬は別段気分を害していない。椙守が実家にいたがらないのはいつものことだ。彼は家業を嫌々手伝っている。就業時間をへらしたいがために、部活の活動日ない日も部活を理由に帰宅時刻を遅らせることは日常茶飯事だ。
「言い方はどんなのでもいいよ。それで、お前が俺になんの用事だ?」
「えーっと、それがねー」
ヤマダは瞳をうごかした。顔は拓馬に向けたまま、視線を椙守のほうへそそぎ、数回まばたきする。
「あんまり大したことじゃないから、いいや」
「なんだ、それ」
「簡単にいうとね……かわった客がくるかもしれないんで、そのときはオーバーなリアクションをしないようにしてね」
なんとも抽象的な注意だ。しかし彼女があいまいに言わざるをえない理由はある。椙守の知らない秘密。その秘密にまつわることを拓馬に伝えたかったのだ。椙守が一足おそく道場へ着いていれば、きっと明確な注意をうながせた。彼女の目配せはそのように語っている。
「なんとなくわかった。ところで、店はどうした?」
「お母さんが代わってくれた!」
実澄は飲食店の店員ではないが、娘の務めを代替わりすることはまれにある。勤務先が個人経営の店ならではの融通のよさだ。拓馬は店事情を把握できた。しかしあらたな疑問が出てくる。
「でもミスミさんがバイトを代わってまで……お前に空手を習わせたかったのか?」
「参加していいのはこの体験会だけね。習っていいとは言われてない」
「やっぱり、許可はおりないか」
実澄は娘に武道を習わせない。習い事自体は娘に数多く経験させたらしいが、ことケガの危険性のある分野には手を出さなかった。娘の安全をねがうがゆえの方針だ。
「じゃ、この体験会は完全に冷やかしにきたってわけだな」
拓馬は門下生になりえぬ女子に皮肉を言った。ヤマダは臆さず「そうだね」とみとめる。
「お母さんの感覚だと、道場でお祭りやってる、って感じなんだろうね。だから見るだけ見にいっておいで、というわけ」
「このイベントは商売なんだけど……」
「人がたくさんきたら、帰るよ。道場は広いけど、稽古ができる人数に限界があるもんね」
「まーそんなに客はこないと思うなあ」
入門の意思がない者を立ち退かせねばならないほどの集客は見込めない。むしろ本当に入門希望者がくるのか、と拓馬はいささか心配になっている。参加者がすくなすぎても道場の体面はわるくなるだろう。だれからも注目されない、人気のない道場──そんなところにかよいたい、と思える人はちょっとした変わり者だ。ヤマダたちの参加は、ないよりはあったほうがいいという、枯れ木も山のにぎわいに相当する。
拓馬は意図せずサクラ役を担当する痩身な男子を見る。
「椙守は? お前も見にきただけか」
「あ……僕は……まだなんとも」
椙守が首を小刻みに横にふった。体験会の結果次第では門下生になる可能性があるようだ。
「親はどう言ってる? お前んちも親の意見がいちばん強いんだろ」
「いい、とは思ってるみたいだ。やっぱり、普通の人程度には体をきたえておいていいだろう、って」
「それは俺もそう思う」
拓馬も椙守の貧弱な体と身体能力には不安をおぼえている。人間苦手なものがあって当然だし、苦手を克服すべきだとは拓馬は思わないが、それにしても限度がある。健康体な若者ならとくに、災害などの緊急事態を乗り切れる体力はそなえておきたい。だれしも努力次第で一定レベルの運動能力は体得できるのだから。そのような観点で、椙守の意思を尊重したい気持ちが拓馬にはあった。しかし、苦手を克服する鍛錬にしても向き不向きはある。
「ただ体をきたえるだけなら、べつに武道を習わなくてもいいんだぞ?」
「それは、たしかに……」
肉体改造のみを求めるなら筋トレをすればいい。水泳や自転車などの自分のペースでやるスポーツもいい。わざわざいきなり他者との戦いを想定した競技に着手しなくてもいいだろう、というのが拓馬の本音だ。
「ここの流派はなるべくケガしない練習をするけど……なんだかんだ攻撃を食らえば痛い思いをするし、そういう思いを自分が他人にさせるときもある」
「だから『やめとけ』と言いたいのか?」
椙守は真顔で聞いてきた。怒ってはいないようだ。これが何か月まえの彼なら不機嫌な顔を見せていただろう。いまの彼はある教師の影響により、情緒が安定していた。椙守が空手に興味を示したのも、おそらくその教師が武芸家であることが関係している。
「やめろとは言わない。金を払ってまで痛い目に遭ってもいいのか、ちょっと考えてほしい」
われながら出過ぎた言葉だ、と拓馬は内省する。門下生の勧誘のために道場へ招かれた者が口にするにはふさわしくない忠告だ。拓馬は雇い主の目的にそぐわぬ発言を自認しながらも、撤回しようとは思わなかった。ひとえに椙守のためだ。入門したはいいが数日で辞めたくなった、となれば椙守が損をする。入門時に必要となる月謝に道着代は、学生にとって安い出費ではない。悔いがのこらない決定をしてほしいと拓馬は思った。
三人だけがいた練習場に人がやってくる。小学生になるかならないか、くらいのちいさな子どもと、親らしき女性の二人組だ。とうとう客人が到来した。拓馬はすっと立ち上がる。
「じゃ、いまからは俺と他人のふりしててくれよ」
友人二人はあっさり了承した。バイト経験のある彼らは拓馬以上に接客の知識がある。勤務中は私語をつつしむべきなのだと察してくれた。
拓馬はいったん練習場を出る。戸を開きっぱなしにした練習場入り口のそばに神南が立っていた。彼女は受付をおえた人を練習場へ誘導している。それに倣い、拓馬は彼女と反対側に立った。門番のごとく左右にひかえる必要はないのだが、ほかによいポジションもない。受付時間がおわるまでじっと立っていた。
タグ:拓馬
この記事へのコメント
コメントを書く