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2017年11月14日
拓馬篇前記−新人1
広大な瓦屋根の塀が続く。いったいどれだけの敷地面積があるのだろう、と考えながら、一人の男が黒い車の後部座席で鎮座していた。一八〇センチ以上ある身であっても車内はゆったりとした空間だった。
乗車中の車は、目前の屋敷の持ち主が手配した高級車だ。運転席とは仕切りが設けられていて、運転手の顔を見ることも会話することもない。男は移動時間を利用して運転手から情報収集しようと思っていたのだが、そうはいかなかった。
運転手とは乗車前に二、三言葉を交わしたきり。老齢だが覇気を感じる男性だった。男が想像する、一般的なタクシーの運転手とはイメージが異なる。これから面会する大力会長もこのような内なる強さを秘めた人物か、またはそれ以上なのではないかと男は予想した。
男は一角(ひとかど)の人物であろう運転手が目的地へいざなってくれることを信じた。じっと流れに身をゆだねる。この車は走行時の振動が少ないことに気づいた。普段、男の上司が乗るものとは乗り心地がちがう。
(金持ちは見栄のために高額な車に乗るわけではないんだ……)
男は世事にうとい。体験の一つひとつが、彼の知識や考えをより現実的な方向へ上塗りしていった。
白塗りの塀をながめているうちに、高さと色の異なる壁が見えてきた。格段に高くなった塀に、木製の門扉がそびえている。これが正門だ。
正門の前に車がゆるやかに停まる。自動で車のドアが開いた。男はビジネス鞄をたずさえ、車を降りる。
門の前に立ってみるとその大きさにおどろいた。幅は縦も横も普通の玄関の倍近く。城跡の門のようでもある。その扉は常人が一人で開けるには少々苦労する重さがありそうだ。大きな扉のとなりに普通サイズの扉があるので、日常的にはそちらから出入りするらしかった。
重そうな木の両扉が後退していく。二人の袴姿の男性がそれぞれ片方の扉を手で引いていた。両手を使っているとはいえ、足腰に力を込めた様子はない。彼らは思いのほか軽々と扉を動かしている。見た目ほど重量はないのかもしれない。
扉の奥からさらに一人の男性が現れた。彼は前開きの中華服を着ている。扉を開ける係の男性は和装であるのに、この差はなんだろうと男は不思議に思った。
中華服の男性は四十代ばかりの中年だ。立ち居振る舞いに隙がない。男は彼が武人だと察する。
中年は武人らしさをおくびにも出さぬ和やかな表情で、うやうやしく一礼する。男もそれに応じて頭を下げた。
「あなたが、大力会長と面会されるデイルさんで?」
男は「はい」と答える。中華服の中年は笑んで「では私についてきてください」と背を向けた。男は素直に後を追い、平らな石畳の上を歩く。通路の周りには砂利が敷き詰めてあったり、松の木や灯篭などを配置していたりと、日本庭園の様相が広がっていた。
案内役が正面を見たまま、自己紹介をはじめる。
「私は崔俊(ツイジュン)というものです。まあ覚える必要はないでしょうけど、一応ね」
「ツイジュンさんは中国人、なのですか?」
「ええ、そうです。だからこういう服を着てるというわけでもないんですがね」
「どんな意図があるんです?」
「動きやすいからですよ。あなたも、ラフな格好でよいと言われませんでした?」
服装に関する指示は上司から聞いてある。だがまがりなりにも就職の面接だ。男は無難なスーツを着てきた。伸縮性に富んだ素材を選んであるので、この格好でも激しい運動はできる。
「お聞きしました。ですが、ほかに見栄えする服もないので……スーツは良くなかったのでしょうか」
「とんでもない。これから体を動かしてもらいますから、そのハンデにならなければなんでもいいんです」
「『ハンデ』……? 試合でもするのですか」
「ちょっとした腕試しです。あまり気張らずにいてください」
崔俊は男に課せられる試験内容をくわしく述べなかった。その時になるまで隠しておくように、といった上の者の指示を守っているのだろう。男は追究せずにおいた。
二人は玄関で靴を脱ぎ、板張りの廊下を渡る。屋内はふすまや障子戸がいたるところにあった。女中らしき着物姿の女性が出入りする光景と合わせて、旅館かと錯覚する。あたり一面にただよう雰囲気は、西洋のスーツと中国の民族服を着た二人を異物にしていた。
場違いな二人は奥まった座敷にたどりついた。このあたりに近づくと女中を一切見かけなくなる。男はここが大力会長との面接の場なのだと思った。崔俊がふすまを開ける。
「こちらでしばらく待っててください。会長を呼んできます」
崔俊にうながされ、男は宴会場かと見間違う広さの座敷に入る。男がふすまを閉めようとしたところ、廊下にいる崔俊が閉めた。
一人になった男は室内を見回す。何畳もある広い和室に、座布団が一つ敷いてあるのを見つける。おそらくそこが男に用意された座席だ。
(一つだけ?)
対談する大力会長の分の座布団が無いのが妙だ。二つ置くとどちらが客人用か混乱すると判断されたのかもしれない。男は日本の文化に数年慣れ親しんではいるが、名前と外見は西洋人である。外国人向けの配慮の結果だろうと思った。
だだっ広い部屋にぽつんとある座布団を目標に、男は移動する。
(畳のへりを踏まずに、すり足で……)
男は事前に和室におけるマナーを学んでいた。大力会長が和風を尊ぶ人物だと上司から聞いており、失礼がないように予習した。これが茶室になると掛け軸やら生け花の鑑賞なども作法に含まれるらしい。この座敷の床の間にも掛け軸等はある。茶会に参加するつもりはないので普通に待つことにした。
乗車中の車は、目前の屋敷の持ち主が手配した高級車だ。運転席とは仕切りが設けられていて、運転手の顔を見ることも会話することもない。男は移動時間を利用して運転手から情報収集しようと思っていたのだが、そうはいかなかった。
運転手とは乗車前に二、三言葉を交わしたきり。老齢だが覇気を感じる男性だった。男が想像する、一般的なタクシーの運転手とはイメージが異なる。これから面会する大力会長もこのような内なる強さを秘めた人物か、またはそれ以上なのではないかと男は予想した。
男は一角(ひとかど)の人物であろう運転手が目的地へいざなってくれることを信じた。じっと流れに身をゆだねる。この車は走行時の振動が少ないことに気づいた。普段、男の上司が乗るものとは乗り心地がちがう。
(金持ちは見栄のために高額な車に乗るわけではないんだ……)
男は世事にうとい。体験の一つひとつが、彼の知識や考えをより現実的な方向へ上塗りしていった。
白塗りの塀をながめているうちに、高さと色の異なる壁が見えてきた。格段に高くなった塀に、木製の門扉がそびえている。これが正門だ。
正門の前に車がゆるやかに停まる。自動で車のドアが開いた。男はビジネス鞄をたずさえ、車を降りる。
門の前に立ってみるとその大きさにおどろいた。幅は縦も横も普通の玄関の倍近く。城跡の門のようでもある。その扉は常人が一人で開けるには少々苦労する重さがありそうだ。大きな扉のとなりに普通サイズの扉があるので、日常的にはそちらから出入りするらしかった。
重そうな木の両扉が後退していく。二人の袴姿の男性がそれぞれ片方の扉を手で引いていた。両手を使っているとはいえ、足腰に力を込めた様子はない。彼らは思いのほか軽々と扉を動かしている。見た目ほど重量はないのかもしれない。
扉の奥からさらに一人の男性が現れた。彼は前開きの中華服を着ている。扉を開ける係の男性は和装であるのに、この差はなんだろうと男は不思議に思った。
中華服の男性は四十代ばかりの中年だ。立ち居振る舞いに隙がない。男は彼が武人だと察する。
中年は武人らしさをおくびにも出さぬ和やかな表情で、うやうやしく一礼する。男もそれに応じて頭を下げた。
「あなたが、大力会長と面会されるデイルさんで?」
男は「はい」と答える。中華服の中年は笑んで「では私についてきてください」と背を向けた。男は素直に後を追い、平らな石畳の上を歩く。通路の周りには砂利が敷き詰めてあったり、松の木や灯篭などを配置していたりと、日本庭園の様相が広がっていた。
案内役が正面を見たまま、自己紹介をはじめる。
「私は崔俊(ツイジュン)というものです。まあ覚える必要はないでしょうけど、一応ね」
「ツイジュンさんは中国人、なのですか?」
「ええ、そうです。だからこういう服を着てるというわけでもないんですがね」
「どんな意図があるんです?」
「動きやすいからですよ。あなたも、ラフな格好でよいと言われませんでした?」
服装に関する指示は上司から聞いてある。だがまがりなりにも就職の面接だ。男は無難なスーツを着てきた。伸縮性に富んだ素材を選んであるので、この格好でも激しい運動はできる。
「お聞きしました。ですが、ほかに見栄えする服もないので……スーツは良くなかったのでしょうか」
「とんでもない。これから体を動かしてもらいますから、そのハンデにならなければなんでもいいんです」
「『ハンデ』……? 試合でもするのですか」
「ちょっとした腕試しです。あまり気張らずにいてください」
崔俊は男に課せられる試験内容をくわしく述べなかった。その時になるまで隠しておくように、といった上の者の指示を守っているのだろう。男は追究せずにおいた。
二人は玄関で靴を脱ぎ、板張りの廊下を渡る。屋内はふすまや障子戸がいたるところにあった。女中らしき着物姿の女性が出入りする光景と合わせて、旅館かと錯覚する。あたり一面にただよう雰囲気は、西洋のスーツと中国の民族服を着た二人を異物にしていた。
場違いな二人は奥まった座敷にたどりついた。このあたりに近づくと女中を一切見かけなくなる。男はここが大力会長との面接の場なのだと思った。崔俊がふすまを開ける。
「こちらでしばらく待っててください。会長を呼んできます」
崔俊にうながされ、男は宴会場かと見間違う広さの座敷に入る。男がふすまを閉めようとしたところ、廊下にいる崔俊が閉めた。
一人になった男は室内を見回す。何畳もある広い和室に、座布団が一つ敷いてあるのを見つける。おそらくそこが男に用意された座席だ。
(一つだけ?)
対談する大力会長の分の座布団が無いのが妙だ。二つ置くとどちらが客人用か混乱すると判断されたのかもしれない。男は日本の文化に数年慣れ親しんではいるが、名前と外見は西洋人である。外国人向けの配慮の結果だろうと思った。
だだっ広い部屋にぽつんとある座布団を目標に、男は移動する。
(畳のへりを踏まずに、すり足で……)
男は事前に和室におけるマナーを学んでいた。大力会長が和風を尊ぶ人物だと上司から聞いており、失礼がないように予習した。これが茶室になると掛け軸やら生け花の鑑賞なども作法に含まれるらしい。この座敷の床の間にも掛け軸等はある。茶会に参加するつもりはないので普通に待つことにした。
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2017年11月13日
拓馬篇前記−校長5
羽田校長は八巻の見舞いから学校へもどると、さっそく大力会長に電話をかけてみた。大抵は彼の部下に繋がる。今回も事務員か秘書かは知らぬ女性が出て、今日は会長と話はできないと断られた。
『会長のお時間ができましたら、折り返しお電話をおかけいたします』
そう言われて日をまたぎ、現在は昼休み。折り返しの電話はまだ来ない。来るとしたら学校の電話に連絡が入るようにしてある。今回の話は学校に関する用件であり、私事ではないからだ。
(むむむ……やはりお忙しいのか?)
大力会長は自分で「会長職はお飾りの身分。気楽なものだ」と言いふらしていたが、まだまだ影響力の衰えない人物なのだろう。
(今月中に話ができないなら、あきらめよう)
いまなら良い人材を捜してもらい、四月から就労する段取りは組める。これが来月に人捜しから始めるとなると、一学期開始には間に合わないかもしれない。相手方に急ぎの用事をおしつける真似はしたくなかった。
(会長には得にならん話だ。無理を言うわけにもいくまい)
連絡がつかなくて当然という姿勢を保った。気持ちを切り替え、自身の鞄を手にとる。今日は日中、校長室で待機できるように弁当を持参した。この生活スタイルを今月の終わりまで続けるつもりである。
小さな手提げ袋に弁当が入っている。袋から出したとたん、机上の電話が鳴った。すぐに受話器を取る。
「はい、羽田です」
『校長、大力会長さんからお電話です。外線一番をどうぞ』
「ああ、ありがとう」
校長は電話のランプが点滅するボタンを押した。プツっと音声が切り替わる音が鳴る。校長は自身の名を名乗る。
「もしもし、才穎高校の羽田と申しますが、会長さんですが?」
『おお、羽田さん! 久しいな』
大力会長の口調はハツラツとしている。急な電話を不快に感じていないようで、校長は一安心した。
『さて、用件は……学校の職員を一人、募集したいんだったか?』
「ええ、そうなんです。ぶしつけなお願いで恐縮です」
『この儂に頼むのだ、よほど変わった募集条件なのだろうな?』
「端的に言いますと、格闘かなにかに強い教師がもしいれば、と思いまして」
『ふむ、面妖であるなぁ』
「え、どういうことです?」
校長は「面妖」が意味する事情を思いつけなかった。大力会長は『心配めされるな』と古風に返事をする。
『羽田さんがいまおっしゃったのとピッタリな男がそちらで働きたいと言っておってな。昨日はその男の上司と話をしておったのだよ』
「はあ、それはなんともタイムリーな」
昨日、会長との連絡がつかなかったのはそのせいか、と校長はそれとなく納得した。
『その男はまったく教職業に就いたことのない素人だ。だが仕事の合間に勉強して、教員免許を取ったそうだ』
「ほー、努力家ですなぁ。ちなみにその方はどの教科を担当できるか、お聞きになりましたか」
『英語だ。英語教師の数に不足はあるかな?』
「これといって足りないことはありません。なにぶん年配の教師が多いもので、若い人は歓迎したいです」
現在は定年を迎えた英語教師が非常勤で勤務している。仮にその教師が辞めることになれば、すこし厳しいかもしれない。新人を育てる期間を考えると、そろそろ若手を入れたい教科ではある。
『その男は二十代だという。まあ素人だから物の数にはあまり入らんだろう』
「二十代とはずいぶんお若いですな。いまはなんの仕事をしてる方ですか?」
『警備員……だな。そういう子会社をいくつも抱えておるもので』
「手広くやっておいでですな」
校長は大力会長の手腕を称賛した。会長は照れたのか咳払いをする。
『んん、そういうわけだ。この男を紹介したいと思うのだが……』
「なにか問題がおありで?」
『いやなに、個人的にその男と会うつもりだ。しかるのちに羽田さんにやっていいものか考えさせてほしい。その男の上司の太鼓判だけでは責任が持てぬ』
品質を重要視する大力会長らしい懸念だ。彼が直接見て、よいと思ったものを他者に譲りたいのだろう。校長はその誠実さを好ましいと思う。
「ええ、会長のお気に召すようになさってください。こちらとしては、四月の始業式までに間に合えばよいので」
『そこまで品定めに時間はかけない。そうだな、来月の一日……先方の予定が合えばその日に面接をしたい。そこで及第点以上の素質があるとわかれば、羽田さんのほうで面接していただくのはどうかな?』
「では、次に会長からご連絡があるのは三月以降ということですな」
『そうだな。そやつがあまりに教師不適格なやからだと感じた時は、ほかの人材を見繕おう』
「そうはならないことを期待したいものです」
絶妙なタイミングで起きた申し出だ。なにか運命的なものがあるようだと校長は思った。きっと才穎高校とご縁のある新人なのだ。
『さて、羽田さん。どうして腕の立つ教師を欲したのか、理由を聞かせてもらえるかね?』
校長は後回しにしていた説明を丁寧に述べる。──うちの生徒が正義感あふれるあまり、他校の生徒と喧嘩騒ぎを起こすのでとても危険だ。今後同じことが起きた際に対応のできる、そこそこに屈強な職員が必要だと判断した。適任者な教師が不測の負傷をしてしまい、その代わりとなる人員がほしい──そう正直に打ち明けた。大力会長はほがらかに笑う。
『はっはっは! 見所のある若者がお集まりのようで、うらやましいかぎりだ』
「会長好みの生徒ではあるんでしょうが、教職の立場では笑っていられませんよ」
『それは笑って悪かった。門外漢には教師の責任の重さがわからぬようだ』
「いえ、気になさらないでください。あとで振り返った時に笑い話ですむように、いま努力しているわけですから」
この後も二人の会話は続いた。昼休みが終わるチャイムが鳴り、それが大力会長の耳にも届く。
『おや、休憩時間が終わったか。ではまた後日に話そう』
締めの挨拶をして、通話は切れる。校長は自分にできることをやりきった。その達成感を噛みしめつつ、弁当箱を開いた。
『会長のお時間ができましたら、折り返しお電話をおかけいたします』
そう言われて日をまたぎ、現在は昼休み。折り返しの電話はまだ来ない。来るとしたら学校の電話に連絡が入るようにしてある。今回の話は学校に関する用件であり、私事ではないからだ。
(むむむ……やはりお忙しいのか?)
大力会長は自分で「会長職はお飾りの身分。気楽なものだ」と言いふらしていたが、まだまだ影響力の衰えない人物なのだろう。
(今月中に話ができないなら、あきらめよう)
いまなら良い人材を捜してもらい、四月から就労する段取りは組める。これが来月に人捜しから始めるとなると、一学期開始には間に合わないかもしれない。相手方に急ぎの用事をおしつける真似はしたくなかった。
(会長には得にならん話だ。無理を言うわけにもいくまい)
連絡がつかなくて当然という姿勢を保った。気持ちを切り替え、自身の鞄を手にとる。今日は日中、校長室で待機できるように弁当を持参した。この生活スタイルを今月の終わりまで続けるつもりである。
小さな手提げ袋に弁当が入っている。袋から出したとたん、机上の電話が鳴った。すぐに受話器を取る。
「はい、羽田です」
『校長、大力会長さんからお電話です。外線一番をどうぞ』
「ああ、ありがとう」
校長は電話のランプが点滅するボタンを押した。プツっと音声が切り替わる音が鳴る。校長は自身の名を名乗る。
「もしもし、才穎高校の羽田と申しますが、会長さんですが?」
『おお、羽田さん! 久しいな』
大力会長の口調はハツラツとしている。急な電話を不快に感じていないようで、校長は一安心した。
『さて、用件は……学校の職員を一人、募集したいんだったか?』
「ええ、そうなんです。ぶしつけなお願いで恐縮です」
『この儂に頼むのだ、よほど変わった募集条件なのだろうな?』
「端的に言いますと、格闘かなにかに強い教師がもしいれば、と思いまして」
『ふむ、面妖であるなぁ』
「え、どういうことです?」
校長は「面妖」が意味する事情を思いつけなかった。大力会長は『心配めされるな』と古風に返事をする。
『羽田さんがいまおっしゃったのとピッタリな男がそちらで働きたいと言っておってな。昨日はその男の上司と話をしておったのだよ』
「はあ、それはなんともタイムリーな」
昨日、会長との連絡がつかなかったのはそのせいか、と校長はそれとなく納得した。
『その男はまったく教職業に就いたことのない素人だ。だが仕事の合間に勉強して、教員免許を取ったそうだ』
「ほー、努力家ですなぁ。ちなみにその方はどの教科を担当できるか、お聞きになりましたか」
『英語だ。英語教師の数に不足はあるかな?』
「これといって足りないことはありません。なにぶん年配の教師が多いもので、若い人は歓迎したいです」
現在は定年を迎えた英語教師が非常勤で勤務している。仮にその教師が辞めることになれば、すこし厳しいかもしれない。新人を育てる期間を考えると、そろそろ若手を入れたい教科ではある。
『その男は二十代だという。まあ素人だから物の数にはあまり入らんだろう』
「二十代とはずいぶんお若いですな。いまはなんの仕事をしてる方ですか?」
『警備員……だな。そういう子会社をいくつも抱えておるもので』
「手広くやっておいでですな」
校長は大力会長の手腕を称賛した。会長は照れたのか咳払いをする。
『んん、そういうわけだ。この男を紹介したいと思うのだが……』
「なにか問題がおありで?」
『いやなに、個人的にその男と会うつもりだ。しかるのちに羽田さんにやっていいものか考えさせてほしい。その男の上司の太鼓判だけでは責任が持てぬ』
品質を重要視する大力会長らしい懸念だ。彼が直接見て、よいと思ったものを他者に譲りたいのだろう。校長はその誠実さを好ましいと思う。
「ええ、会長のお気に召すようになさってください。こちらとしては、四月の始業式までに間に合えばよいので」
『そこまで品定めに時間はかけない。そうだな、来月の一日……先方の予定が合えばその日に面接をしたい。そこで及第点以上の素質があるとわかれば、羽田さんのほうで面接していただくのはどうかな?』
「では、次に会長からご連絡があるのは三月以降ということですな」
『そうだな。そやつがあまりに教師不適格なやからだと感じた時は、ほかの人材を見繕おう』
「そうはならないことを期待したいものです」
絶妙なタイミングで起きた申し出だ。なにか運命的なものがあるようだと校長は思った。きっと才穎高校とご縁のある新人なのだ。
『さて、羽田さん。どうして腕の立つ教師を欲したのか、理由を聞かせてもらえるかね?』
校長は後回しにしていた説明を丁寧に述べる。──うちの生徒が正義感あふれるあまり、他校の生徒と喧嘩騒ぎを起こすのでとても危険だ。今後同じことが起きた際に対応のできる、そこそこに屈強な職員が必要だと判断した。適任者な教師が不測の負傷をしてしまい、その代わりとなる人員がほしい──そう正直に打ち明けた。大力会長はほがらかに笑う。
『はっはっは! 見所のある若者がお集まりのようで、うらやましいかぎりだ』
「会長好みの生徒ではあるんでしょうが、教職の立場では笑っていられませんよ」
『それは笑って悪かった。門外漢には教師の責任の重さがわからぬようだ』
「いえ、気になさらないでください。あとで振り返った時に笑い話ですむように、いま努力しているわけですから」
この後も二人の会話は続いた。昼休みが終わるチャイムが鳴り、それが大力会長の耳にも届く。
『おや、休憩時間が終わったか。ではまた後日に話そう』
締めの挨拶をして、通話は切れる。校長は自分にできることをやりきった。その達成感を噛みしめつつ、弁当箱を開いた。
タグ:羽田校長