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2017年11月17日
拓馬篇前記−新人3
目前の敵は二人。一人は天井裏に潜んでいた者、一人は廊下にいた者──こちらは一メートル足らずの棍棒を手にしている。
徒手で挑む者はさきほど不発だったハイキックを繰り出した。男は身を屈め、一気に相手のふところに潜る。がら空きの腹に掌底を当てる。黒装束は軽く吹き飛ぶ。また一人、倒せた。
仲間の犠牲を囮あつかいするかのごとく、棍棒使いが急襲する。横薙ぎの攻撃が続いたかと思うと突きへ、突きの連続攻撃を避けると今度は棍棒が二つに分かれた。二本の棒は鎖で繋がっている。いわゆるヌンチャクだ。
(厄介だな……)
軌道が読みづらい武器だ。初めに攻撃を受けた鎖分銅は射程が長い分、一度に攻撃できる範囲がおおまかに決まった。一方でヌンチャクはフットワークが軽く、攻撃の間隔も角度も小刻みに変わる。おまけに使い手は熟練者のようだ。男が倒した二人よりも動きにキレがある。
(この人が、ツイジュンさんか?)
振るう武器のイメージと初対面の印象において、崔俊がもっとも適合する。運転手が黒装束の司令塔を担う状況もふまえ、襲撃者は男がすでに会った人たちなのかと思った。
(あまり傷つけたくない)
彼らは上の者の命令に従っているだけ。彼らの職務を全うするに足る反撃に抑える。そのために男は崔俊の武器の片割れをつかんだ。崔俊は棒を受け取るはずだった右手で手持ちの棒をすばやく握る。その勢いのまま後ろ回し蹴りを放った。
男は手刀で彼の足首を叩き落とす。無防備になった崔俊の襟首を掴む。続けざま彼の体重を支える軸足に足払いをかける。崔俊は体勢を崩す。瞬間的に抵抗ができなくなった崔俊を、男は背負い投げした。その落下地点は牽制もかねて、最初から戦闘不能だった若者にしておく。まだ足のしびれが抜けない若者と崔俊がぶつかった。
(次はだれがくる?)
男は一度負かした相手が再度襲ってくるのではないかと警戒した。だが鎖使いも、天井裏にいた者も座敷から消えている。彼らは倒れた時点で退場するよう命じられたのだろう。まるで演劇のやられ役のように。
(では……残るは運転手か)
男は開いていないふすまを見遣った。人の気配はある。機敏な動きがしづらくなっていく高年といえど、この試合のトリを務めるのか──男が推測した時、そのふすまは開いた。
一人の男性が立っている。それは運転手ではなかった。立派な袴を着た六十代以上の人物。とても生命力にあふれていて実年齢より若く感じた。その脇には黒装束がふすまに隠れるようにして片膝をついている。彼は切っ先の丸くなった槍を立てていた。おそらくは武器を持つ人物がもと運転手だ。
上等な服を着た男性が拍手する。
「いやはや、お見事! すばらしい技芸だ!」
高年の男性が入室した。それに伴い、槍を持つ黒装束も座敷へ入る。彼は内側からふすまを閉めた。
「不意打ちをしかけてすまなんだ。儂が大力だ。文句の一つも受け付けよう」
「いえ……すこしは予想できましたから」
「ふむ、こちら側に人がおるのもわかっておった様子。噂以上の逸材とみた」
大力は床の間のほうへずんずん進む。床の開いた部分は黒装束の者が元通りに直す最中だ。上から物音がするので男は見上げてみる。真っ暗な部分の天井から黒装束の顔がのぞいた。すぐに板がカコンとはさまり、穴がふさがる。もはや試合は終わった。その参加者が片付けの姿勢でいる。
(合格できたんだろうか?)
大力会長の喝采ぶりを信じれば、いまのところ評価は上々である。だが男の就職とはなんの関係もない実力テストだ。男は、高校の教師になる前段階として面会をしにきたのだ。活劇ばりの身のこなしを要求する職務に就く気はない。
大力会長は黒装束が持参した座布団に正座する。男も置きなおされた座布団に座った。位置は床が抜けた部分の畳。その修理をした黒装束が「もう抜けませんぜ」と快活に喋る。
「あ、でも心配だったらずらしてもいいっすよ?」
この口調は床下に潜伏していた若者だ。
「おかまいなく。床を外した貴方が大丈夫だというなら、信じます」
「ありゃ? オレが床下から出てきたやつだってわかるんすか」
「ええ、まあ……声で」
若者は照れたようで、肩をすくめつつ頭をかく。
「あちゃー……『お命、頂戴つかまつる』っつって、カッコつけちゃってましたもんね。外人さんならよろこぶかなーっと思って」
「よろこぶ?」
「だって忍者好きな人が多いでしょ? んでもって『畳のすきまから忍者が刀を刺してくる』なーんて信じてる人もいてさ。そのとーりのことをやってみたんですよ」
畳の縁を踏まない理由の一つとして広まっている俗説だ。忍者に多大な期待を抱く外国人には感涙ものの演出なのかもしれない。男は若者のサービス精神の旺盛さに感心する。
「お気遣い、ありがとうございます。リアクションが薄くて、残念だったでしょう?」
「いいや! こんなヘボ忍者に『ありがとう』だなんてもったいない!」
若者は手のひらをぶんぶん横に振る。そこへ槍を持った黒装束が近づく。
「話はそこまで。客人は会長と大事な用件がある」
「あ、ハイ。どうもお騒がせしました」
黒装束の二人は左右の開いたふすまと障子戸から退室し、戸を閉めていった。畳に刺さっていた小刀は回収されてある。殺陣の現場は普通の広い和室に様変わりした。
「デイルさん、足を崩されてよいぞ。儂も楽に座らせてもらう」
大力はあぐらをかいた。男はこれといって楽な姿勢がないので、正座姿を継続する。
「このままでかまいません。ところで、さきほどの黒装束の方たちにお怪我はありませんか?」
「無事だ。貴公が加減してくれたおかげでな」
大力はにやりと笑った。男が本気を出さなかったことを見抜いている。大力はどこまで男の過去を知っているのか、男は気になった。しかし本題に逸れるため不問にした。
男が黙っていると大力は黒装束の内訳を説明した。鎖分銅の使い手と天井裏の者は兄弟であり、正門の開閉をした袴姿の二人だという。ヌンチャクの使い手は案内役の崔俊。戦わなかった槍使いは車の運転手。
「床から現れたヘッポコ刺客はデイルさんと会っておらん。こやつはあれでも役者をしておってな。もしデイルさんがご存知であれば話がややこしくなると言うて、顔を出さぬことにしたのだ」
「そうでしたか。役者を……」
舞台俳優かなにかの職人魂に火がつき、大げさな役回りをこなそうとしたのだろう。あの若者だけは企画倒れに終わってしまった。その事実を「ヘッポコ」と大力は評価する。男は失礼だと思いながらも正確な表現に感じた。
「桝矢基之(ますやもとゆき)……聞いたことがあるかな?」
「いえ、芸能にはとんと疎くて」
「なぁに、一般の者もよくは知らんだろうて。こやつは端役ばかりの無名同然。だからこのような場に駆り出されるのだ。人気な役者ならばスケジュールがびっちり埋まっておろう」
「でしたら、顔を見せても不都合がなかったのではありませんか」
「そうはっきりと言うてくれるな。やつにもプライドがある」
客の率直な意見に対し、大力は高らかに笑った。
徒手で挑む者はさきほど不発だったハイキックを繰り出した。男は身を屈め、一気に相手のふところに潜る。がら空きの腹に掌底を当てる。黒装束は軽く吹き飛ぶ。また一人、倒せた。
仲間の犠牲を囮あつかいするかのごとく、棍棒使いが急襲する。横薙ぎの攻撃が続いたかと思うと突きへ、突きの連続攻撃を避けると今度は棍棒が二つに分かれた。二本の棒は鎖で繋がっている。いわゆるヌンチャクだ。
(厄介だな……)
軌道が読みづらい武器だ。初めに攻撃を受けた鎖分銅は射程が長い分、一度に攻撃できる範囲がおおまかに決まった。一方でヌンチャクはフットワークが軽く、攻撃の間隔も角度も小刻みに変わる。おまけに使い手は熟練者のようだ。男が倒した二人よりも動きにキレがある。
(この人が、ツイジュンさんか?)
振るう武器のイメージと初対面の印象において、崔俊がもっとも適合する。運転手が黒装束の司令塔を担う状況もふまえ、襲撃者は男がすでに会った人たちなのかと思った。
(あまり傷つけたくない)
彼らは上の者の命令に従っているだけ。彼らの職務を全うするに足る反撃に抑える。そのために男は崔俊の武器の片割れをつかんだ。崔俊は棒を受け取るはずだった右手で手持ちの棒をすばやく握る。その勢いのまま後ろ回し蹴りを放った。
男は手刀で彼の足首を叩き落とす。無防備になった崔俊の襟首を掴む。続けざま彼の体重を支える軸足に足払いをかける。崔俊は体勢を崩す。瞬間的に抵抗ができなくなった崔俊を、男は背負い投げした。その落下地点は牽制もかねて、最初から戦闘不能だった若者にしておく。まだ足のしびれが抜けない若者と崔俊がぶつかった。
(次はだれがくる?)
男は一度負かした相手が再度襲ってくるのではないかと警戒した。だが鎖使いも、天井裏にいた者も座敷から消えている。彼らは倒れた時点で退場するよう命じられたのだろう。まるで演劇のやられ役のように。
(では……残るは運転手か)
男は開いていないふすまを見遣った。人の気配はある。機敏な動きがしづらくなっていく高年といえど、この試合のトリを務めるのか──男が推測した時、そのふすまは開いた。
一人の男性が立っている。それは運転手ではなかった。立派な袴を着た六十代以上の人物。とても生命力にあふれていて実年齢より若く感じた。その脇には黒装束がふすまに隠れるようにして片膝をついている。彼は切っ先の丸くなった槍を立てていた。おそらくは武器を持つ人物がもと運転手だ。
上等な服を着た男性が拍手する。
「いやはや、お見事! すばらしい技芸だ!」
高年の男性が入室した。それに伴い、槍を持つ黒装束も座敷へ入る。彼は内側からふすまを閉めた。
「不意打ちをしかけてすまなんだ。儂が大力だ。文句の一つも受け付けよう」
「いえ……すこしは予想できましたから」
「ふむ、こちら側に人がおるのもわかっておった様子。噂以上の逸材とみた」
大力は床の間のほうへずんずん進む。床の開いた部分は黒装束の者が元通りに直す最中だ。上から物音がするので男は見上げてみる。真っ暗な部分の天井から黒装束の顔がのぞいた。すぐに板がカコンとはさまり、穴がふさがる。もはや試合は終わった。その参加者が片付けの姿勢でいる。
(合格できたんだろうか?)
大力会長の喝采ぶりを信じれば、いまのところ評価は上々である。だが男の就職とはなんの関係もない実力テストだ。男は、高校の教師になる前段階として面会をしにきたのだ。活劇ばりの身のこなしを要求する職務に就く気はない。
大力会長は黒装束が持参した座布団に正座する。男も置きなおされた座布団に座った。位置は床が抜けた部分の畳。その修理をした黒装束が「もう抜けませんぜ」と快活に喋る。
「あ、でも心配だったらずらしてもいいっすよ?」
この口調は床下に潜伏していた若者だ。
「おかまいなく。床を外した貴方が大丈夫だというなら、信じます」
「ありゃ? オレが床下から出てきたやつだってわかるんすか」
「ええ、まあ……声で」
若者は照れたようで、肩をすくめつつ頭をかく。
「あちゃー……『お命、頂戴つかまつる』っつって、カッコつけちゃってましたもんね。外人さんならよろこぶかなーっと思って」
「よろこぶ?」
「だって忍者好きな人が多いでしょ? んでもって『畳のすきまから忍者が刀を刺してくる』なーんて信じてる人もいてさ。そのとーりのことをやってみたんですよ」
畳の縁を踏まない理由の一つとして広まっている俗説だ。忍者に多大な期待を抱く外国人には感涙ものの演出なのかもしれない。男は若者のサービス精神の旺盛さに感心する。
「お気遣い、ありがとうございます。リアクションが薄くて、残念だったでしょう?」
「いいや! こんなヘボ忍者に『ありがとう』だなんてもったいない!」
若者は手のひらをぶんぶん横に振る。そこへ槍を持った黒装束が近づく。
「話はそこまで。客人は会長と大事な用件がある」
「あ、ハイ。どうもお騒がせしました」
黒装束の二人は左右の開いたふすまと障子戸から退室し、戸を閉めていった。畳に刺さっていた小刀は回収されてある。殺陣の現場は普通の広い和室に様変わりした。
「デイルさん、足を崩されてよいぞ。儂も楽に座らせてもらう」
大力はあぐらをかいた。男はこれといって楽な姿勢がないので、正座姿を継続する。
「このままでかまいません。ところで、さきほどの黒装束の方たちにお怪我はありませんか?」
「無事だ。貴公が加減してくれたおかげでな」
大力はにやりと笑った。男が本気を出さなかったことを見抜いている。大力はどこまで男の過去を知っているのか、男は気になった。しかし本題に逸れるため不問にした。
男が黙っていると大力は黒装束の内訳を説明した。鎖分銅の使い手と天井裏の者は兄弟であり、正門の開閉をした袴姿の二人だという。ヌンチャクの使い手は案内役の崔俊。戦わなかった槍使いは車の運転手。
「床から現れたヘッポコ刺客はデイルさんと会っておらん。こやつはあれでも役者をしておってな。もしデイルさんがご存知であれば話がややこしくなると言うて、顔を出さぬことにしたのだ」
「そうでしたか。役者を……」
舞台俳優かなにかの職人魂に火がつき、大げさな役回りをこなそうとしたのだろう。あの若者だけは企画倒れに終わってしまった。その事実を「ヘッポコ」と大力は評価する。男は失礼だと思いながらも正確な表現に感じた。
「桝矢基之(ますやもとゆき)……聞いたことがあるかな?」
「いえ、芸能にはとんと疎くて」
「なぁに、一般の者もよくは知らんだろうて。こやつは端役ばかりの無名同然。だからこのような場に駆り出されるのだ。人気な役者ならばスケジュールがびっちり埋まっておろう」
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2017年11月16日
拓馬篇前記−新人2
男は座布団の上に正座する。ふかふかした座布団だ。座った感触はよいのだが、男は奇妙な感覚を覚える。
(下に……だれか、いる?)
気配は畳の下、つまりは床下にある。何者かがいるであろう位置は座布団のすぐ前方。男はためしに目の前の畳を手でぐいぐい押してみた。畳が深く沈まないことから、床が抜けていないとわかる。だからといって侵入口ではないと断言できない。
(ここから人が出てくる……?)
床板を外したのちに襲撃される可能性もある──と、いつもの警戒のクセが出た男は自制する。
(いや、考えすぎか)
男は上司のそのまた上司にあたる人物に話をしにきたのだ。不審な人物と一戦交えることはないはず。そのような狼藉者の侵入を許す家屋ではあるまい。
(この家の者が手配したのでなければ、だが)
その線は大いにありえた。大力会長は強い者を好むという。男の戦闘技術がいかほどか試すつもりか──そう考えつくに充分な環境が整っている。
(監視カメラ……の音がする。それと衣擦れも……複数)
微細な機械音と人の気配が四方からただよう。機械はまだいい。万一、男が大力会長に無礼を働いた際の証拠として記録する目的だといえる。だが複数の人間を、来訪者に見せないかたちで侍らすことに正当な理由はあるのか。会長の護衛ならば堂々と会長の左右にいればよい。そのほうが抑止力にもなるだろうに。
男の頭上から木のきしむ音が鳴る。なにかが這いずるようでもあった。通常の家であれば蛇か鼠が天井にいるのかと見過ごす物音だ。しかしこの豪邸に小動物の付け入る隙間があるとは考えにくい。
新たに機械の音が鳴る。間髪を容れず人の声も漏れる。
『頭役、配置につきました。いつでもどうぞ』
かすかな話し声は天井の裏から聞こえた。
(手のこんだ歓待を準備してもらったらしい)
男は座布団に座ったまま、目を閉じた。この座敷を取りかこむ者の様子を探る。一人は床下、一人は天井裏にいることは知れた。そのほかには男が通ってきた廊下に一人、その反対側の障子戸に一人。背後のふすまの奥にも一人。合計で五人いるようだ。彼らは無線通話で連絡を取り合っている。
『足役のオレの位置、変更なしでいいですか? お客のケツにぶっ刺さらないっすよね?』
『こちら背役。客人は予定通りの場所にいらっしゃる。ハデにやってやれ』
若々しい男性と年配の男性の声だ。年配のほうは男に聞き覚えがある。
(この声……運転手?)
男を大力会長の屋敷まで護送した人物だ。ただならぬ人だとは感じていたが、やはり運転能力のみで雇われた男性ではないようだ。
(動かないほうがいいか)
まもなくサプライズが起きる。きっと崔俊の言っていた「ちょっとした腕試し」だ。
鎖のじゃらつく音が聞こえる。無線の会話は無くなり、周囲一帯に緊張感が高まった。いよいよ試験が始まる。
『胴役、入れ!』
背役という、男の背後に待機する者が命じた。障子戸が勢いよく開け放たれ、柱に当たる。太陽光の差しこむ縁側が露わになる。そこに全身黒装束姿の人がいた。両手に分銅のついた鎖を握っている。黒装束が座敷に足を踏みいれ、分銅を男めがけて投げつけた。
(掴むと腕に絡むな……)
初手で拘束を受けると後続の対処がやりづらくなる──と男は体で感じた。自身が下敷きにする座布団を引き抜く。厚みのある座布団を盾代わりにして攻撃を受け止めた。手元の自分の鞄を使わなかったわけは、中にある文具が衝撃で破損するのを嫌がったためだ。この非常時でも余裕のある判断をしてしまうのを、我ながらふてぶてしいと思った。
分銅が畳にぼとんと落ちた。が、宙へ跳ね上がる。金属の塊は畳とともに下から突き上げられた。
「お命、頂戴つかまつる!」
床下に控えていた若者が抜身の刀を振り上げて登場した。ぴょんと跳び、畳の上に着地する。彼も忍者のような黒装束だ。畳に手と膝をつき、ポーズを決めた。──かと思うと、なかなか立ち上がらない。
「あ、足……しびれた……」
狭い空間で待機していたせいなのだろう。大仰なセリフを吐いたわりに若者の動きはにぶく、なさけない。男は刀を持つ若者を戦力外と見做し、ほかの襲撃者に注意を払う。
分銅がふたたび迫る。申し合わせたように天井から小刀がばら撒かれる。小刀は男には当たらない位置に投げられた。男の回避動作を妨害するための投擲(とうてき)だ。分銅を避けるべきか、男に迷いが生じる。
(受けるか)
男は腕が使えなくなる覚悟をした。分銅の鎖を両手でつかむ。分銅が持つ遠心力により、鎖が右腕に巻きついた。これで右腕の自由は利かなくなる。常人の臂力(ひりょく)相当で応戦するかぎりは、他の手足で戦わねばならない。
男の動きが封じられたのを好機と見てか、天井裏から飛び道具を放った頭役が下りてくる。その足で男の頭を踏みつける気だ。男は自身の右腕を引っぱる鎖の方向へ移動する。
それが彼らの狙いだったか。新手の黒装束と鎖の使い手が蹴りの挟み撃ちをしかける。新手が男の首を、鎖使いが男のすねを狙った。
男は彼らの攻撃の軌道にない、上へ跳んだ。ここでも鎖のあるほうへ接近する。拘束主のそばに近づくほど、男の行動範囲も広がるからだ。
男は高く跳躍した。足先がちょうど鎖使いの頭部を狙える高さだ。回避行動のついでに顎を蹴っておいた。予想外の打撃だったようで、鎖使いはふんばりが利かずに後方へ倒れる。この隙に男は右腕にまとわりつく鎖をほどいた。
(敵は三人……)
束縛の解けた男は後方を向く。二人の黒装束が立ち向かってくるのを目にした。
(下に……だれか、いる?)
気配は畳の下、つまりは床下にある。何者かがいるであろう位置は座布団のすぐ前方。男はためしに目の前の畳を手でぐいぐい押してみた。畳が深く沈まないことから、床が抜けていないとわかる。だからといって侵入口ではないと断言できない。
(ここから人が出てくる……?)
床板を外したのちに襲撃される可能性もある──と、いつもの警戒のクセが出た男は自制する。
(いや、考えすぎか)
男は上司のそのまた上司にあたる人物に話をしにきたのだ。不審な人物と一戦交えることはないはず。そのような狼藉者の侵入を許す家屋ではあるまい。
(この家の者が手配したのでなければ、だが)
その線は大いにありえた。大力会長は強い者を好むという。男の戦闘技術がいかほどか試すつもりか──そう考えつくに充分な環境が整っている。
(監視カメラ……の音がする。それと衣擦れも……複数)
微細な機械音と人の気配が四方からただよう。機械はまだいい。万一、男が大力会長に無礼を働いた際の証拠として記録する目的だといえる。だが複数の人間を、来訪者に見せないかたちで侍らすことに正当な理由はあるのか。会長の護衛ならば堂々と会長の左右にいればよい。そのほうが抑止力にもなるだろうに。
男の頭上から木のきしむ音が鳴る。なにかが這いずるようでもあった。通常の家であれば蛇か鼠が天井にいるのかと見過ごす物音だ。しかしこの豪邸に小動物の付け入る隙間があるとは考えにくい。
新たに機械の音が鳴る。間髪を容れず人の声も漏れる。
『頭役、配置につきました。いつでもどうぞ』
かすかな話し声は天井の裏から聞こえた。
(手のこんだ歓待を準備してもらったらしい)
男は座布団に座ったまま、目を閉じた。この座敷を取りかこむ者の様子を探る。一人は床下、一人は天井裏にいることは知れた。そのほかには男が通ってきた廊下に一人、その反対側の障子戸に一人。背後のふすまの奥にも一人。合計で五人いるようだ。彼らは無線通話で連絡を取り合っている。
『足役のオレの位置、変更なしでいいですか? お客のケツにぶっ刺さらないっすよね?』
『こちら背役。客人は予定通りの場所にいらっしゃる。ハデにやってやれ』
若々しい男性と年配の男性の声だ。年配のほうは男に聞き覚えがある。
(この声……運転手?)
男を大力会長の屋敷まで護送した人物だ。ただならぬ人だとは感じていたが、やはり運転能力のみで雇われた男性ではないようだ。
(動かないほうがいいか)
まもなくサプライズが起きる。きっと崔俊の言っていた「ちょっとした腕試し」だ。
鎖のじゃらつく音が聞こえる。無線の会話は無くなり、周囲一帯に緊張感が高まった。いよいよ試験が始まる。
『胴役、入れ!』
背役という、男の背後に待機する者が命じた。障子戸が勢いよく開け放たれ、柱に当たる。太陽光の差しこむ縁側が露わになる。そこに全身黒装束姿の人がいた。両手に分銅のついた鎖を握っている。黒装束が座敷に足を踏みいれ、分銅を男めがけて投げつけた。
(掴むと腕に絡むな……)
初手で拘束を受けると後続の対処がやりづらくなる──と男は体で感じた。自身が下敷きにする座布団を引き抜く。厚みのある座布団を盾代わりにして攻撃を受け止めた。手元の自分の鞄を使わなかったわけは、中にある文具が衝撃で破損するのを嫌がったためだ。この非常時でも余裕のある判断をしてしまうのを、我ながらふてぶてしいと思った。
分銅が畳にぼとんと落ちた。が、宙へ跳ね上がる。金属の塊は畳とともに下から突き上げられた。
「お命、頂戴つかまつる!」
床下に控えていた若者が抜身の刀を振り上げて登場した。ぴょんと跳び、畳の上に着地する。彼も忍者のような黒装束だ。畳に手と膝をつき、ポーズを決めた。──かと思うと、なかなか立ち上がらない。
「あ、足……しびれた……」
狭い空間で待機していたせいなのだろう。大仰なセリフを吐いたわりに若者の動きはにぶく、なさけない。男は刀を持つ若者を戦力外と見做し、ほかの襲撃者に注意を払う。
分銅がふたたび迫る。申し合わせたように天井から小刀がばら撒かれる。小刀は男には当たらない位置に投げられた。男の回避動作を妨害するための投擲(とうてき)だ。分銅を避けるべきか、男に迷いが生じる。
(受けるか)
男は腕が使えなくなる覚悟をした。分銅の鎖を両手でつかむ。分銅が持つ遠心力により、鎖が右腕に巻きついた。これで右腕の自由は利かなくなる。常人の臂力(ひりょく)相当で応戦するかぎりは、他の手足で戦わねばならない。
男の動きが封じられたのを好機と見てか、天井裏から飛び道具を放った頭役が下りてくる。その足で男の頭を踏みつける気だ。男は自身の右腕を引っぱる鎖の方向へ移動する。
それが彼らの狙いだったか。新手の黒装束と鎖の使い手が蹴りの挟み撃ちをしかける。新手が男の首を、鎖使いが男のすねを狙った。
男は彼らの攻撃の軌道にない、上へ跳んだ。ここでも鎖のあるほうへ接近する。拘束主のそばに近づくほど、男の行動範囲も広がるからだ。
男は高く跳躍した。足先がちょうど鎖使いの頭部を狙える高さだ。回避行動のついでに顎を蹴っておいた。予想外の打撃だったようで、鎖使いはふんばりが利かずに後方へ倒れる。この隙に男は右腕にまとわりつく鎖をほどいた。
(敵は三人……)
束縛の解けた男は後方を向く。二人の黒装束が立ち向かってくるのを目にした。
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