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2017年11月19日
拓馬篇前記−新人5
イオという娘は教師を目指しているのだと大力が説明した。彼女はまだ高校生。いずれ教師業に就く際の参考として、妹の圭緒が二人の会話に同席することになった。──というのは建前だ。圭緒は父親がいたく心待ちにした人物が気になり、女中の仕事を代わりに引き受けてきたのだという。
「お父さまが心なしかはしゃいでいたんです。ひょっとして熊みたいにいかついお方かと思ったのですけど、案外スレンダーでいらっしゃるのですね」
初対面の感想を述べた圭緒は敷物なしで横座りした。男が「座布団を使いますか」と自分の真下にある座布団を引き抜こうとすると、彼女は首を横にふる。
「招いたお客さまを地べたに座らせるわけにいきません。大力家の恥になります」
「そうですか……」
家の名を汚すようなことなのかと男は疑問を感じた。しかし家の流儀に他人が口出ししては失礼にあたる。男はやむをえず居住まいを正した。男の得心がいかない様子を見た圭緒が笑顔をつくる。
「お気になさらず。冬場はいつも冷たい木の床に正座させられていますもの。畳のほうがあたたかいし柔らかくて、ずっと快適です」
お嬢さまらしからぬ苦行の告白だ。男はその親の顔をじっと見た。大力は「人聞きのわるいことを」と苦笑する。
「道場の稽古が苦痛か?」
「ええ、暖房がきいてない早朝は床が冷えてて、イヤです」
「しょうのないやつだ。ではもう三十分は早く道場の暖房をつけさせよう」
圭緒は鈴を転がすように笑った。
「もう三月ですよ。これから暖かい春になるんですもの。そう指示なさるのにはおそすぎます」
「お前が言わなかったせいだろう」
親子の平和な小競り合いがはじまった。子が親の指示を守りながらも「イヤだ」と言えるのは良好な関係を築けている証拠だ。男は大力が厳格な父親だろうとうっすら想像していたが、実際はその真逆。彼は子に理解のある親のようだ。
(『道場の稽古』……空手や剣道か?)
男は圭緒がなんらかの武術を習っているのだと推測する。
(強い者が好きな親だからか……)
親の勧めでやっている習い事なのだろう。「正座させられている」との口ぶりは、自分の望みで習っていないという意思表示に受け取れる。
(自分から『やりたい』という子は、そんな不満を言わなさそうだ)
親が半強制的にやらせる一方で、子が武術を習いたくとも親が拒む家庭がある。世の中、丸くおさまらないものだと思う。
「や、デイルさんが蚊帳の外になってしまったな」
「いえ、興味深く拝聴しておりました。娘さんは武術を習っていらっしゃるのですか?」
「そうだ。このご時世、女も強くあらねばならん。常に護衛をつけることはむずかしいゆえ、自衛の手段を学ばせておる」
「娘さんを大切に思うから、そうなさるのですね」
大力は目を丸くした。すぐににこやかな顔つきにもどる。
「そう言われると、こそばゆいが……おっしゃる通りだ。中には『子どもに武道を習わせると怪我をするからさせない』という親もいるが、その価値観は人それぞれだな」
どこかで聞いた話だ。だが男は大力の話に乗っからない。不用意な発言は己が首を絞めることになりかねなかった。
「子が一生、盗人や暴漢に遭わぬと知っておれば護身術を身につけさせる必要はない。いたずらにつらく、痛い思いをさせてしまうのでな。それはわかるのだ」
「はい。その考えがまちがいとは言えないと思います」
「だが儂は不慮の事故、危険はあって当然だと思っておる。その時に被害を軽くする準備がしておけるなら……全力を賭す価値はある」
ただし欠点もある、と大力は言う。
「戦うすべがあると自負するから、厄介事に首をつっこんでしまうやからもいる。貴公が行こうとする才穎高校の生徒がそうだ。武術の心得のある子らが、素行の悪い子らと戦う事件が起きた」
「強さが、また別の危険を引き寄せてしまうのですね」
「そういうことだ。かくいう儂の娘のイオも、負けん気が強いというのか……関わらんでもいいもめごとを解決しようとして、危険にぶつかっていく時があってな。気が気でない」
圭緒がふふっと笑う。
「だから、デイルさんに薦める就職先にお姉さまの高校を混ぜたのですよね?」
大力はバツが悪そうにうなずく。
「お恥ずかしいが、貴公に儂の娘を見守ってもらえれば助かると思ったのは事実だ。この時は羽田さんの近況を知らなかったのでな」
「そうだったのですね。期待に沿えず、申し訳ありません」
大力は首をゆっくり横にふる。
「なにをいう。儂の娘の護衛なぞ、儂が個人的に雇えばすむことだ。だが才穎高校の生徒はそうもいかん。貴公が才穎に行けばそこの生徒たちと教員らが救われる。そちらのほうが何倍も有意義であろう」
男は大力の意見に同意した。大力の見解は正論だと思うし、なにより男の願望に沿っていた。
「おそらく羽田さんと儂の思考は共通しておる。貴公が才穎の面接におもむいたとして、不採用になることはあるまい。たった一学期だけの勤務でも先方は熱望しておる人材だ。その後は八巻という教師が引き継げばよかろうしな」
「はい」
「だが一点、細心の注意を払うべきことがある」
大力の目つきがするどくなる。男の弱点を見透かすかのようだ。
「もし教師を志した理由を問われた時、儂に言ったことをそのまま明かしてはダメだ。貴公の過去は物々しすぎる。ありのままに喋ったなら、貴公が危険な人物だと思われかねん」
大力の忠告はもっともだ。大力は荒くれ者の世界に理解があるために男を危険視していない。その認識は特殊なのだ。一般人の享受する世界では、別世界の理解を求める前に排除される。
「誤解を与えてしまうと学校側が採用できなくなる。教師連中が貴公を仲間だと認めても、生徒やその親が認める保証はない。どこの地域にも異質な職員を歓迎せぬ者がいる──いかに貴公が優れた教師であろうと、その現在以上に不穏な過去を重く見る人間がな」
「はい……」
「嘆かわしいことよな。貴公に『ウソつきになれ』と勧めたくはないが……せめて、言わずにすむことは隠しておけ。それが世渡りというものだ」
男はうなずくことで戒めの言葉を肯定した。大力の表情が和らぐ。
「うかつに過去をさらけ出さなければ、ほかに恐れるものはあるまいて。もう一押し、才穎に受かる手段を教えておこう」
大力はかるく吹き出すふうに笑う。
「羽田さんは男女の恋愛にいたく関心のある御仁だ。貴公が才穎の女教師なり女子生徒なりとの因縁を匂わせてみよ。きっと羽田さんの心を鷲掴みするぞ」
圭緒が「まあ」と口元を両手で覆う。隠した表情はにやついていた。
「よろしいんですか? まるで女性が目当てで行かれるような思い違いを──」
「なに、どこぞで会った話したという程度でよい。あとは羽田さんのほうで勝手に膨らませてくれよう」
大力は大真面目に「儂がこう言ったとは告げるなよ」と男に警告する。男はにっこり笑い、「承知しました」と助言者の顔を立てた。
「お父さまが心なしかはしゃいでいたんです。ひょっとして熊みたいにいかついお方かと思ったのですけど、案外スレンダーでいらっしゃるのですね」
初対面の感想を述べた圭緒は敷物なしで横座りした。男が「座布団を使いますか」と自分の真下にある座布団を引き抜こうとすると、彼女は首を横にふる。
「招いたお客さまを地べたに座らせるわけにいきません。大力家の恥になります」
「そうですか……」
家の名を汚すようなことなのかと男は疑問を感じた。しかし家の流儀に他人が口出ししては失礼にあたる。男はやむをえず居住まいを正した。男の得心がいかない様子を見た圭緒が笑顔をつくる。
「お気になさらず。冬場はいつも冷たい木の床に正座させられていますもの。畳のほうがあたたかいし柔らかくて、ずっと快適です」
お嬢さまらしからぬ苦行の告白だ。男はその親の顔をじっと見た。大力は「人聞きのわるいことを」と苦笑する。
「道場の稽古が苦痛か?」
「ええ、暖房がきいてない早朝は床が冷えてて、イヤです」
「しょうのないやつだ。ではもう三十分は早く道場の暖房をつけさせよう」
圭緒は鈴を転がすように笑った。
「もう三月ですよ。これから暖かい春になるんですもの。そう指示なさるのにはおそすぎます」
「お前が言わなかったせいだろう」
親子の平和な小競り合いがはじまった。子が親の指示を守りながらも「イヤだ」と言えるのは良好な関係を築けている証拠だ。男は大力が厳格な父親だろうとうっすら想像していたが、実際はその真逆。彼は子に理解のある親のようだ。
(『道場の稽古』……空手や剣道か?)
男は圭緒がなんらかの武術を習っているのだと推測する。
(強い者が好きな親だからか……)
親の勧めでやっている習い事なのだろう。「正座させられている」との口ぶりは、自分の望みで習っていないという意思表示に受け取れる。
(自分から『やりたい』という子は、そんな不満を言わなさそうだ)
親が半強制的にやらせる一方で、子が武術を習いたくとも親が拒む家庭がある。世の中、丸くおさまらないものだと思う。
「や、デイルさんが蚊帳の外になってしまったな」
「いえ、興味深く拝聴しておりました。娘さんは武術を習っていらっしゃるのですか?」
「そうだ。このご時世、女も強くあらねばならん。常に護衛をつけることはむずかしいゆえ、自衛の手段を学ばせておる」
「娘さんを大切に思うから、そうなさるのですね」
大力は目を丸くした。すぐににこやかな顔つきにもどる。
「そう言われると、こそばゆいが……おっしゃる通りだ。中には『子どもに武道を習わせると怪我をするからさせない』という親もいるが、その価値観は人それぞれだな」
どこかで聞いた話だ。だが男は大力の話に乗っからない。不用意な発言は己が首を絞めることになりかねなかった。
「子が一生、盗人や暴漢に遭わぬと知っておれば護身術を身につけさせる必要はない。いたずらにつらく、痛い思いをさせてしまうのでな。それはわかるのだ」
「はい。その考えがまちがいとは言えないと思います」
「だが儂は不慮の事故、危険はあって当然だと思っておる。その時に被害を軽くする準備がしておけるなら……全力を賭す価値はある」
ただし欠点もある、と大力は言う。
「戦うすべがあると自負するから、厄介事に首をつっこんでしまうやからもいる。貴公が行こうとする才穎高校の生徒がそうだ。武術の心得のある子らが、素行の悪い子らと戦う事件が起きた」
「強さが、また別の危険を引き寄せてしまうのですね」
「そういうことだ。かくいう儂の娘のイオも、負けん気が強いというのか……関わらんでもいいもめごとを解決しようとして、危険にぶつかっていく時があってな。気が気でない」
圭緒がふふっと笑う。
「だから、デイルさんに薦める就職先にお姉さまの高校を混ぜたのですよね?」
大力はバツが悪そうにうなずく。
「お恥ずかしいが、貴公に儂の娘を見守ってもらえれば助かると思ったのは事実だ。この時は羽田さんの近況を知らなかったのでな」
「そうだったのですね。期待に沿えず、申し訳ありません」
大力は首をゆっくり横にふる。
「なにをいう。儂の娘の護衛なぞ、儂が個人的に雇えばすむことだ。だが才穎高校の生徒はそうもいかん。貴公が才穎に行けばそこの生徒たちと教員らが救われる。そちらのほうが何倍も有意義であろう」
男は大力の意見に同意した。大力の見解は正論だと思うし、なにより男の願望に沿っていた。
「おそらく羽田さんと儂の思考は共通しておる。貴公が才穎の面接におもむいたとして、不採用になることはあるまい。たった一学期だけの勤務でも先方は熱望しておる人材だ。その後は八巻という教師が引き継げばよかろうしな」
「はい」
「だが一点、細心の注意を払うべきことがある」
大力の目つきがするどくなる。男の弱点を見透かすかのようだ。
「もし教師を志した理由を問われた時、儂に言ったことをそのまま明かしてはダメだ。貴公の過去は物々しすぎる。ありのままに喋ったなら、貴公が危険な人物だと思われかねん」
大力の忠告はもっともだ。大力は荒くれ者の世界に理解があるために男を危険視していない。その認識は特殊なのだ。一般人の享受する世界では、別世界の理解を求める前に排除される。
「誤解を与えてしまうと学校側が採用できなくなる。教師連中が貴公を仲間だと認めても、生徒やその親が認める保証はない。どこの地域にも異質な職員を歓迎せぬ者がいる──いかに貴公が優れた教師であろうと、その現在以上に不穏な過去を重く見る人間がな」
「はい……」
「嘆かわしいことよな。貴公に『ウソつきになれ』と勧めたくはないが……せめて、言わずにすむことは隠しておけ。それが世渡りというものだ」
男はうなずくことで戒めの言葉を肯定した。大力の表情が和らぐ。
「うかつに過去をさらけ出さなければ、ほかに恐れるものはあるまいて。もう一押し、才穎に受かる手段を教えておこう」
大力はかるく吹き出すふうに笑う。
「羽田さんは男女の恋愛にいたく関心のある御仁だ。貴公が才穎の女教師なり女子生徒なりとの因縁を匂わせてみよ。きっと羽田さんの心を鷲掴みするぞ」
圭緒が「まあ」と口元を両手で覆う。隠した表情はにやついていた。
「よろしいんですか? まるで女性が目当てで行かれるような思い違いを──」
「なに、どこぞで会った話したという程度でよい。あとは羽田さんのほうで勝手に膨らませてくれよう」
大力は大真面目に「儂がこう言ったとは告げるなよ」と男に警告する。男はにっこり笑い、「承知しました」と助言者の顔を立てた。
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2017年11月18日
拓馬篇前記−新人4
「して、貴公はまことに繁沢のもとを離れるのだな?」
繁沢とは男の上司の姓だ。上司とその一家はながらく男とともに過ごしてきた。家族にも近しい存在──とは上司の一家が思っていることだ。
「はい。もう、シゲさんたちに危険はないと思いますから」
「無いとは言い切れんぞ。ヤクザの足抜けというのは、成功例ができると困る連中がおるでな。いまだに寝首をかこうと企んでおるかもしれん」
繁沢一家は所属元の組員とそこに敵対する同業の者に恨まれ、危険にさらされる過去があった。おりしも男がやってきたのはその渦中。なしくずしに男が危険を取り除いた。そこから八年の月日が経とうとしている。男の成果なのか、ここ最近は報復の音沙汰がやんだ。しかしいつ再発するとも知れないことを、男もわかっている。
「その時は、会長が守ってくれる約束だとお聞きしましたが」
大力は多くの手練れを保有する。それらは弱者を守るための集団だという。普段の彼らは普通の会社員を装い、有事の際は警察が処理しきれない悪にも立ち向かうのだとか。そんなウソか真かわからないことを、男は繁沢から聞いた。すくなくとも警備会社を複数傘下に置く企業なので、護衛を手配できることはまちがいない。守られる側も警備業を経営している点がいびつではあるが。
「確かに約束した。だが急には対応できぬ。連中が怪しいそぶりを見せず、一気呵成に攻めてかかった時は手の打ちようがない。そんな時に貴公がいてくれれば繁沢は安心できように」
「シゲさんの許可は得ています。彼は私が教職に就くことを望んでくれています」
大力が明朗に笑む。
「そうか。その身体能力を存分に活かせぬのは惜しいが、さりとて教師が貴公の天職やもしれんしな」
大力は次に高校について話す。
「儂が繁沢に直接話をする前、数校紹介したのを覚えているか?」
「はい。パンフレットもいただきました」
まるで受験生みたいに、と男は思ったが口に出さなかった。男の実体験ではないからだ。
「迷いなく才穎高校を選んだそうだな。なぜ才穎なのだ?」
繁沢が余計なひと言を漏らしたのだと男は察した。だが上司を責めるつもりはない。彼は男によくしてくれた。繁沢が部下の本懐を遂げる援助をしたおかげで、男はこの場にいるのだ。男は失言がないよう気を払う。
「その高校はよいところだと、噂にうかがったのです」
「ほう、誰の言葉だ?」
男はまずいと思った。この質問に正直に答えたいのだが、もし厳密な調査をされれば矛盾が生じるおそれがある。
「個人名を明かさねばなりませんか?」
「聞かせてもらおう。貴公が気に病むのなら他言はせぬ」
男はその言葉を信じ、発言者を教えることにする。
「ではここだけの話にしてください。……八巻という才穎高校の教員から聞きました」
大力は若干目をきょろつかせた。なにかを思い出しているらしい。
「八巻というと、ケガで入院している人ではなかったか? 貴公の知り合いだったとは」
「いえ、たまたま出先でお会いしました。あちらは私のことを覚えていないでしょう」
「そうか……それならば儂からは伏せておこう。伝えたくなれば、貴公が復帰した八巻さんに追々言えばよい」
「それは……できないと思います」
大力が意表を突かれたかのように眉を動かす。
「できない? なにゆえに」
「彼とは一緒に教壇に立てないかもしれません。私は……一学期だけの就労を希望しています」
大力はささやかな不満を顔色に出す。
「そんな短期間だとは聞いておらんぞ」
「はい。シゲさんはずっと勤めればいいとお考えのようですが……私は、夏にはこの国を離れようと思っています」
男は変える気のない意思を見せた。大力は不思議そうに男を見る。
「この国を発つ理由は聞くまい。儂にはあずかりしらぬことよ」
「ご配慮、痛み入ります」
深く聞かれれば答えられる用意はしてあったが、質問されないほうが男の心的負担は軽い。真実は到底口に出せないからだ。
「だがものの数ヶ月だろう。出立の日までこのまま過ごせばよかろうに、なぜ教師になろうと思った?」
「せっかく教員免許を取得したのですから、最後に活かしたいと思いました」
「繁沢の無念を晴らそうとしてか?」
正確には繁沢の息子の無念だ。男は憐れな青年のことを思うと目を伏せた。その気持ちが大力に伝わり、「事情は聞いておる」と優しげな声をかけられる。
「繁沢の息子は教師になりたかったそうだな。その障害にならぬように繁沢は足を洗おうとしたと……」
「そう、聞いています」
「だが繁沢が足抜けする前に息子が闘争に巻き込まれ、落命した。そのことを繁沢は死ぬまで悔いるだろうな」
「私も、そう思います」
男にも多少の後悔はある。男は繁沢の子の死後にこの国へ来た。その到着時期は男が選んだものではないが、早期にたどりついていれば青年を守れただろうに、としばしば考える。
「私がシゲさんに『戦う以外の仕事ができるとしたら』とたずねたところ、教師を勧められました。息子さんの生き様を、多少なりとも意味のあるかたちに残したかったのだと思います」
大力があぐらの右膝に肘をつき、あごを手で支える。その顔は笑っている。
「故人を出されてはかなわんな」
「情に訴える気はなかったのですが──」
「いや、そんな意地悪な批判をしたいのではない。貴公はじつに清く、まっすぐな男だ」
男は大力の人物評を心苦しく思った。自分は、大力に本心を隠す卑怯者だというのに。
「私は、そのような身綺麗な人間ではありません」
「卑下をするな。だれしも他人には言えぬ秘め事を抱えておる」
大力はこれまで訳ありの者を庇い続けてきたという。繁沢一家もその範疇にある。大力の言葉には重みがあった。
「純然たる白さを持つのは赤子のうちだけ……だが白に近い灰色を保つ大人はいる。貴公の髪の色のようにな」
大力は得意気に両腕を組む。
「貴公の斡旋、しかとこの大力が承ったぞ」
「よろしいのですか? 私の教員としての知能や指導力を問われなくて」
筆記試験くらいやるのでは、と男は思い、文具を持ってきた。それは採用する高校側が出題する試験だとも思うが、大力会長ならなんでもアリだと想定していた。
「『教師の素質を見る』などと言ったやもしれんがな。あれは方便だ」
「方便……ですか」
「教員免許を取った者には最低限の能力が備わっていよう。儂のような素人が適格不適格を決めおおせられるものではない。儂は貴公の心根が知りたかっただけよ」
ついでに強さも、と大力はいたずらめいて言った。男はそちらがおもに鑑定したかった事項ではないかと勘繰る。
「私の思いを探るために、刺客を五人も用意する必要があったのですか?」
「はっはっは! それは純粋な儂の趣味だな」
大力は悪びれる様子なく笑った。男が呆れる。
「あのような腕試しは、普通の方にはおやりになりませんように……」
「わかっておる。貴公が鬼神のごとき強者(つわもの)だと聞き及んでおったからああしたのだ。並みの武芸家であれば刺客は二人に抑えておく」
「それでも、やるんですね……」
男の控えめな指摘を受けた大力はまた大笑いした。すると廊下から物音がする。ふすまがすっと開いた。
「楽しそうにしてますのね」
一人の少女が正座した姿で現れる。年頃は中学生か。彼女は長袖のワンピースを着ている。女中とは異なる風貌だ。蓋をした湯飲みと菓子入れの器が乗った盆が彼女の手元にある。
「お茶をご用意しました」
「なぜお前が茶請けなぞ運んでおる」
大力は少女が雑用をこなすことに難色を示した。雇われの者ではないらしい。
(娘さんか? ずいぶん歳が離れているな)
男の予想は的中し、大力は少女を自分の娘だと紹介した。
「タマオという。漢字は土を二つ縦に重ねた『圭』と、下駄の鼻緒の『緒』……と言って、想像がつくかな」
「はい。ケイ……と読めるほうのタマですか」
男がみずから発した響きは男の心中に深く刺さる。忘れがたい恩人の名だ。男の人格の多くを、その人によって形成された。男にとってのもう一人の親にあたる。
ぐうぜん恩人と同じ漢字を名付けられた少女が男に近づく。目の前に湯飲みを置いた。男は懐かしい思いをこめて少女をながめる。
(ケイ……)
男と圭緒の目が合う。少女は恥ずかしがって下を向いた。大力が咳払いする。
「うむ、大事な話は終わったところだ。お前も加わる……つもりか?」
大力が問うと圭緒はあわてて顔を上げた。やわらかく笑う。
「はい。教師になりたがっているお方ですもの。きっとお姉さまのご興味のあるお話が聞けます」
「イオのためにか。うまいことを言う」
大力は娘の申し出を聞き入れた。「デイルさんもよろしいか」と聞くので、男はこころよく了承した。
繁沢とは男の上司の姓だ。上司とその一家はながらく男とともに過ごしてきた。家族にも近しい存在──とは上司の一家が思っていることだ。
「はい。もう、シゲさんたちに危険はないと思いますから」
「無いとは言い切れんぞ。ヤクザの足抜けというのは、成功例ができると困る連中がおるでな。いまだに寝首をかこうと企んでおるかもしれん」
繁沢一家は所属元の組員とそこに敵対する同業の者に恨まれ、危険にさらされる過去があった。おりしも男がやってきたのはその渦中。なしくずしに男が危険を取り除いた。そこから八年の月日が経とうとしている。男の成果なのか、ここ最近は報復の音沙汰がやんだ。しかしいつ再発するとも知れないことを、男もわかっている。
「その時は、会長が守ってくれる約束だとお聞きしましたが」
大力は多くの手練れを保有する。それらは弱者を守るための集団だという。普段の彼らは普通の会社員を装い、有事の際は警察が処理しきれない悪にも立ち向かうのだとか。そんなウソか真かわからないことを、男は繁沢から聞いた。すくなくとも警備会社を複数傘下に置く企業なので、護衛を手配できることはまちがいない。守られる側も警備業を経営している点がいびつではあるが。
「確かに約束した。だが急には対応できぬ。連中が怪しいそぶりを見せず、一気呵成に攻めてかかった時は手の打ちようがない。そんな時に貴公がいてくれれば繁沢は安心できように」
「シゲさんの許可は得ています。彼は私が教職に就くことを望んでくれています」
大力が明朗に笑む。
「そうか。その身体能力を存分に活かせぬのは惜しいが、さりとて教師が貴公の天職やもしれんしな」
大力は次に高校について話す。
「儂が繁沢に直接話をする前、数校紹介したのを覚えているか?」
「はい。パンフレットもいただきました」
まるで受験生みたいに、と男は思ったが口に出さなかった。男の実体験ではないからだ。
「迷いなく才穎高校を選んだそうだな。なぜ才穎なのだ?」
繁沢が余計なひと言を漏らしたのだと男は察した。だが上司を責めるつもりはない。彼は男によくしてくれた。繁沢が部下の本懐を遂げる援助をしたおかげで、男はこの場にいるのだ。男は失言がないよう気を払う。
「その高校はよいところだと、噂にうかがったのです」
「ほう、誰の言葉だ?」
男はまずいと思った。この質問に正直に答えたいのだが、もし厳密な調査をされれば矛盾が生じるおそれがある。
「個人名を明かさねばなりませんか?」
「聞かせてもらおう。貴公が気に病むのなら他言はせぬ」
男はその言葉を信じ、発言者を教えることにする。
「ではここだけの話にしてください。……八巻という才穎高校の教員から聞きました」
大力は若干目をきょろつかせた。なにかを思い出しているらしい。
「八巻というと、ケガで入院している人ではなかったか? 貴公の知り合いだったとは」
「いえ、たまたま出先でお会いしました。あちらは私のことを覚えていないでしょう」
「そうか……それならば儂からは伏せておこう。伝えたくなれば、貴公が復帰した八巻さんに追々言えばよい」
「それは……できないと思います」
大力が意表を突かれたかのように眉を動かす。
「できない? なにゆえに」
「彼とは一緒に教壇に立てないかもしれません。私は……一学期だけの就労を希望しています」
大力はささやかな不満を顔色に出す。
「そんな短期間だとは聞いておらんぞ」
「はい。シゲさんはずっと勤めればいいとお考えのようですが……私は、夏にはこの国を離れようと思っています」
男は変える気のない意思を見せた。大力は不思議そうに男を見る。
「この国を発つ理由は聞くまい。儂にはあずかりしらぬことよ」
「ご配慮、痛み入ります」
深く聞かれれば答えられる用意はしてあったが、質問されないほうが男の心的負担は軽い。真実は到底口に出せないからだ。
「だがものの数ヶ月だろう。出立の日までこのまま過ごせばよかろうに、なぜ教師になろうと思った?」
「せっかく教員免許を取得したのですから、最後に活かしたいと思いました」
「繁沢の無念を晴らそうとしてか?」
正確には繁沢の息子の無念だ。男は憐れな青年のことを思うと目を伏せた。その気持ちが大力に伝わり、「事情は聞いておる」と優しげな声をかけられる。
「繁沢の息子は教師になりたかったそうだな。その障害にならぬように繁沢は足を洗おうとしたと……」
「そう、聞いています」
「だが繁沢が足抜けする前に息子が闘争に巻き込まれ、落命した。そのことを繁沢は死ぬまで悔いるだろうな」
「私も、そう思います」
男にも多少の後悔はある。男は繁沢の子の死後にこの国へ来た。その到着時期は男が選んだものではないが、早期にたどりついていれば青年を守れただろうに、としばしば考える。
「私がシゲさんに『戦う以外の仕事ができるとしたら』とたずねたところ、教師を勧められました。息子さんの生き様を、多少なりとも意味のあるかたちに残したかったのだと思います」
大力があぐらの右膝に肘をつき、あごを手で支える。その顔は笑っている。
「故人を出されてはかなわんな」
「情に訴える気はなかったのですが──」
「いや、そんな意地悪な批判をしたいのではない。貴公はじつに清く、まっすぐな男だ」
男は大力の人物評を心苦しく思った。自分は、大力に本心を隠す卑怯者だというのに。
「私は、そのような身綺麗な人間ではありません」
「卑下をするな。だれしも他人には言えぬ秘め事を抱えておる」
大力はこれまで訳ありの者を庇い続けてきたという。繁沢一家もその範疇にある。大力の言葉には重みがあった。
「純然たる白さを持つのは赤子のうちだけ……だが白に近い灰色を保つ大人はいる。貴公の髪の色のようにな」
大力は得意気に両腕を組む。
「貴公の斡旋、しかとこの大力が承ったぞ」
「よろしいのですか? 私の教員としての知能や指導力を問われなくて」
筆記試験くらいやるのでは、と男は思い、文具を持ってきた。それは採用する高校側が出題する試験だとも思うが、大力会長ならなんでもアリだと想定していた。
「『教師の素質を見る』などと言ったやもしれんがな。あれは方便だ」
「方便……ですか」
「教員免許を取った者には最低限の能力が備わっていよう。儂のような素人が適格不適格を決めおおせられるものではない。儂は貴公の心根が知りたかっただけよ」
ついでに強さも、と大力はいたずらめいて言った。男はそちらがおもに鑑定したかった事項ではないかと勘繰る。
「私の思いを探るために、刺客を五人も用意する必要があったのですか?」
「はっはっは! それは純粋な儂の趣味だな」
大力は悪びれる様子なく笑った。男が呆れる。
「あのような腕試しは、普通の方にはおやりになりませんように……」
「わかっておる。貴公が鬼神のごとき強者(つわもの)だと聞き及んでおったからああしたのだ。並みの武芸家であれば刺客は二人に抑えておく」
「それでも、やるんですね……」
男の控えめな指摘を受けた大力はまた大笑いした。すると廊下から物音がする。ふすまがすっと開いた。
「楽しそうにしてますのね」
一人の少女が正座した姿で現れる。年頃は中学生か。彼女は長袖のワンピースを着ている。女中とは異なる風貌だ。蓋をした湯飲みと菓子入れの器が乗った盆が彼女の手元にある。
「お茶をご用意しました」
「なぜお前が茶請けなぞ運んでおる」
大力は少女が雑用をこなすことに難色を示した。雇われの者ではないらしい。
(娘さんか? ずいぶん歳が離れているな)
男の予想は的中し、大力は少女を自分の娘だと紹介した。
「タマオという。漢字は土を二つ縦に重ねた『圭』と、下駄の鼻緒の『緒』……と言って、想像がつくかな」
「はい。ケイ……と読めるほうのタマですか」
男がみずから発した響きは男の心中に深く刺さる。忘れがたい恩人の名だ。男の人格の多くを、その人によって形成された。男にとってのもう一人の親にあたる。
ぐうぜん恩人と同じ漢字を名付けられた少女が男に近づく。目の前に湯飲みを置いた。男は懐かしい思いをこめて少女をながめる。
(ケイ……)
男と圭緒の目が合う。少女は恥ずかしがって下を向いた。大力が咳払いする。
「うむ、大事な話は終わったところだ。お前も加わる……つもりか?」
大力が問うと圭緒はあわてて顔を上げた。やわらかく笑う。
「はい。教師になりたがっているお方ですもの。きっとお姉さまのご興味のあるお話が聞けます」
「イオのためにか。うまいことを言う」
大力は娘の申し出を聞き入れた。「デイルさんもよろしいか」と聞くので、男はこころよく了承した。
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