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2017年11月19日

拓馬篇前記−新人5

 イオという娘は教師を目指しているのだと大力が説明した。彼女はまだ高校生。いずれ教師業に就く際の参考として、妹の圭緒が二人の会話に同席することになった。──というのは建前だ。圭緒は父親がいたく心待ちにした人物が気になり、女中の仕事を代わりに引き受けてきたのだという。
「お父さまが心なしかはしゃいでいたんです。ひょっとして熊みたいにいかついお方かと思ったのですけど、案外スレンダーでいらっしゃるのですね」
 初対面の感想を述べた圭緒は敷物なしで横座りした。男が「座布団を使いますか」と自分の真下にある座布団を引き抜こうとすると、彼女は首を横にふる。
「招いたお客さまを地べたに座らせるわけにいきません。大力家の恥になります」
「そうですか……」
 家の名を汚すようなことなのかと男は疑問を感じた。しかし家の流儀に他人が口出ししては失礼にあたる。男はやむをえず居住まいを正した。男の得心がいかない様子を見た圭緒が笑顔をつくる。
「お気になさらず。冬場はいつも冷たい木の床に正座させられていますもの。畳のほうがあたたかいし柔らかくて、ずっと快適です」
 お嬢さまらしからぬ苦行の告白だ。男はその親の顔をじっと見た。大力は「人聞きのわるいことを」と苦笑する。
「道場の稽古が苦痛か?」
「ええ、暖房がきいてない早朝は床が冷えてて、イヤです」
「しょうのないやつだ。ではもう三十分は早く道場の暖房をつけさせよう」
 圭緒は鈴を転がすように笑った。
「もう三月ですよ。これから暖かい春になるんですもの。そう指示なさるのにはおそすぎます」
「お前が言わなかったせいだろう」
 親子の平和な小競り合いがはじまった。子が親の指示を守りながらも「イヤだ」と言えるのは良好な関係を築けている証拠だ。男は大力が厳格な父親だろうとうっすら想像していたが、実際はその真逆。彼は子に理解のある親のようだ。
(『道場の稽古』……空手や剣道か?)
 男は圭緒がなんらかの武術を習っているのだと推測する。
(強い者が好きな親だからか……)
 親の勧めでやっている習い事なのだろう。「正座させられている」との口ぶりは、自分の望みで習っていないという意思表示に受け取れる。
(自分から『やりたい』という子は、そんな不満を言わなさそうだ)
 親が半強制的にやらせる一方で、子が武術を習いたくとも親が拒む家庭がある。世の中、丸くおさまらないものだと思う。
「や、デイルさんが蚊帳の外になってしまったな」
「いえ、興味深く拝聴しておりました。娘さんは武術を習っていらっしゃるのですか?」
「そうだ。このご時世、女も強くあらねばならん。常に護衛をつけることはむずかしいゆえ、自衛の手段を学ばせておる」
「娘さんを大切に思うから、そうなさるのですね」
 大力は目を丸くした。すぐににこやかな顔つきにもどる。
「そう言われると、こそばゆいが……おっしゃる通りだ。中には『子どもに武道を習わせると怪我をするからさせない』という親もいるが、その価値観は人それぞれだな」
 どこかで聞いた話だ。だが男は大力の話に乗っからない。不用意な発言は己が首を絞めることになりかねなかった。
「子が一生、盗人や暴漢に遭わぬと知っておれば護身術を身につけさせる必要はない。いたずらにつらく、痛い思いをさせてしまうのでな。それはわかるのだ」
「はい。その考えがまちがいとは言えないと思います」
「だが儂は不慮の事故、危険はあって当然だと思っておる。その時に被害を軽くする準備がしておけるなら……全力を賭す価値はある」
 ただし欠点もある、と大力は言う。
「戦うすべがあると自負するから、厄介事に首をつっこんでしまうやからもいる。貴公が行こうとする才穎高校の生徒がそうだ。武術の心得のある子らが、素行の悪い子らと戦う事件が起きた」
「強さが、また別の危険を引き寄せてしまうのですね」
「そういうことだ。かくいう儂の娘のイオも、負けん気が強いというのか……関わらんでもいいもめごとを解決しようとして、危険にぶつかっていく時があってな。気が気でない」
 圭緒がふふっと笑う。
「だから、デイルさんに薦める就職先にお姉さまの高校を混ぜたのですよね?」
 大力はバツが悪そうにうなずく。
「お恥ずかしいが、貴公に儂の娘を見守ってもらえれば助かると思ったのは事実だ。この時は羽田さんの近況を知らなかったのでな」
「そうだったのですね。期待に沿えず、申し訳ありません」
 大力は首をゆっくり横にふる。
「なにをいう。儂の娘の護衛なぞ、儂が個人的に雇えばすむことだ。だが才穎高校の生徒はそうもいかん。貴公が才穎に行けばそこの生徒たちと教員らが救われる。そちらのほうが何倍も有意義であろう」
 男は大力の意見に同意した。大力の見解は正論だと思うし、なにより男の願望に沿っていた。
「おそらく羽田さんと儂の思考は共通しておる。貴公が才穎の面接におもむいたとして、不採用になることはあるまい。たった一学期だけの勤務でも先方は熱望しておる人材だ。その後は八巻という教師が引き継げばよかろうしな」
「はい」
「だが一点、細心の注意を払うべきことがある」
 大力の目つきがするどくなる。男の弱点を見透かすかのようだ。
「もし教師を志した理由を問われた時、儂に言ったことをそのまま明かしてはダメだ。貴公の過去は物々しすぎる。ありのままに喋ったなら、貴公が危険な人物だと思われかねん」
 大力の忠告はもっともだ。大力は荒くれ者の世界に理解があるために男を危険視していない。その認識は特殊なのだ。一般人の享受する世界では、別世界の理解を求める前に排除される。
「誤解を与えてしまうと学校側が採用できなくなる。教師連中が貴公を仲間だと認めても、生徒やその親が認める保証はない。どこの地域にも異質な職員を歓迎せぬ者がいる──いかに貴公が優れた教師であろうと、その現在以上に不穏な過去を重く見る人間がな」
「はい……」
「嘆かわしいことよな。貴公に『ウソつきになれ』と勧めたくはないが……せめて、言わずにすむことは隠しておけ。それが世渡りというものだ」
 男はうなずくことで戒めの言葉を肯定した。大力の表情が和らぐ。
「うかつに過去をさらけ出さなければ、ほかに恐れるものはあるまいて。もう一押し、才穎に受かる手段を教えておこう」
 大力はかるく吹き出すふうに笑う。
「羽田さんは男女の恋愛にいたく関心のある御仁だ。貴公が才穎の女教師なり女子生徒なりとの因縁を匂わせてみよ。きっと羽田さんの心を鷲掴みするぞ」
 圭緒が「まあ」と口元を両手で覆う。隠した表情はにやついていた。
「よろしいんですか? まるで女性が目当てで行かれるような思い違いを──」
「なに、どこぞで会った話したという程度でよい。あとは羽田さんのほうで勝手に膨らませてくれよう」
 大力は大真面目に「儂がこう言ったとは告げるなよ」と男に警告する。男はにっこり笑い、「承知しました」と助言者の顔を立てた。

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