2017年11月18日
拓馬篇前記−新人4
「して、貴公はまことに繁沢のもとを離れるのだな?」
繁沢とは男の上司の姓だ。上司とその一家はながらく男とともに過ごしてきた。家族にも近しい存在──とは上司の一家が思っていることだ。
「はい。もう、シゲさんたちに危険はないと思いますから」
「無いとは言い切れんぞ。ヤクザの足抜けというのは、成功例ができると困る連中がおるでな。いまだに寝首をかこうと企んでおるかもしれん」
繁沢一家は所属元の組員とそこに敵対する同業の者に恨まれ、危険にさらされる過去があった。おりしも男がやってきたのはその渦中。なしくずしに男が危険を取り除いた。そこから八年の月日が経とうとしている。男の成果なのか、ここ最近は報復の音沙汰がやんだ。しかしいつ再発するとも知れないことを、男もわかっている。
「その時は、会長が守ってくれる約束だとお聞きしましたが」
大力は多くの手練れを保有する。それらは弱者を守るための集団だという。普段の彼らは普通の会社員を装い、有事の際は警察が処理しきれない悪にも立ち向かうのだとか。そんなウソか真かわからないことを、男は繁沢から聞いた。すくなくとも警備会社を複数傘下に置く企業なので、護衛を手配できることはまちがいない。守られる側も警備業を経営している点がいびつではあるが。
「確かに約束した。だが急には対応できぬ。連中が怪しいそぶりを見せず、一気呵成に攻めてかかった時は手の打ちようがない。そんな時に貴公がいてくれれば繁沢は安心できように」
「シゲさんの許可は得ています。彼は私が教職に就くことを望んでくれています」
大力が明朗に笑む。
「そうか。その身体能力を存分に活かせぬのは惜しいが、さりとて教師が貴公の天職やもしれんしな」
大力は次に高校について話す。
「儂が繁沢に直接話をする前、数校紹介したのを覚えているか?」
「はい。パンフレットもいただきました」
まるで受験生みたいに、と男は思ったが口に出さなかった。男の実体験ではないからだ。
「迷いなく才穎高校を選んだそうだな。なぜ才穎なのだ?」
繁沢が余計なひと言を漏らしたのだと男は察した。だが上司を責めるつもりはない。彼は男によくしてくれた。繁沢が部下の本懐を遂げる援助をしたおかげで、男はこの場にいるのだ。男は失言がないよう気を払う。
「その高校はよいところだと、噂にうかがったのです」
「ほう、誰の言葉だ?」
男はまずいと思った。この質問に正直に答えたいのだが、もし厳密な調査をされれば矛盾が生じるおそれがある。
「個人名を明かさねばなりませんか?」
「聞かせてもらおう。貴公が気に病むのなら他言はせぬ」
男はその言葉を信じ、発言者を教えることにする。
「ではここだけの話にしてください。……八巻という才穎高校の教員から聞きました」
大力は若干目をきょろつかせた。なにかを思い出しているらしい。
「八巻というと、ケガで入院している人ではなかったか? 貴公の知り合いだったとは」
「いえ、たまたま出先でお会いしました。あちらは私のことを覚えていないでしょう」
「そうか……それならば儂からは伏せておこう。伝えたくなれば、貴公が復帰した八巻さんに追々言えばよい」
「それは……できないと思います」
大力が意表を突かれたかのように眉を動かす。
「できない? なにゆえに」
「彼とは一緒に教壇に立てないかもしれません。私は……一学期だけの就労を希望しています」
大力はささやかな不満を顔色に出す。
「そんな短期間だとは聞いておらんぞ」
「はい。シゲさんはずっと勤めればいいとお考えのようですが……私は、夏にはこの国を離れようと思っています」
男は変える気のない意思を見せた。大力は不思議そうに男を見る。
「この国を発つ理由は聞くまい。儂にはあずかりしらぬことよ」
「ご配慮、痛み入ります」
深く聞かれれば答えられる用意はしてあったが、質問されないほうが男の心的負担は軽い。真実は到底口に出せないからだ。
「だがものの数ヶ月だろう。出立の日までこのまま過ごせばよかろうに、なぜ教師になろうと思った?」
「せっかく教員免許を取得したのですから、最後に活かしたいと思いました」
「繁沢の無念を晴らそうとしてか?」
正確には繁沢の息子の無念だ。男は憐れな青年のことを思うと目を伏せた。その気持ちが大力に伝わり、「事情は聞いておる」と優しげな声をかけられる。
「繁沢の息子は教師になりたかったそうだな。その障害にならぬように繁沢は足を洗おうとしたと……」
「そう、聞いています」
「だが繁沢が足抜けする前に息子が闘争に巻き込まれ、落命した。そのことを繁沢は死ぬまで悔いるだろうな」
「私も、そう思います」
男にも多少の後悔はある。男は繁沢の子の死後にこの国へ来た。その到着時期は男が選んだものではないが、早期にたどりついていれば青年を守れただろうに、としばしば考える。
「私がシゲさんに『戦う以外の仕事ができるとしたら』とたずねたところ、教師を勧められました。息子さんの生き様を、多少なりとも意味のあるかたちに残したかったのだと思います」
大力があぐらの右膝に肘をつき、あごを手で支える。その顔は笑っている。
「故人を出されてはかなわんな」
「情に訴える気はなかったのですが──」
「いや、そんな意地悪な批判をしたいのではない。貴公はじつに清く、まっすぐな男だ」
男は大力の人物評を心苦しく思った。自分は、大力に本心を隠す卑怯者だというのに。
「私は、そのような身綺麗な人間ではありません」
「卑下をするな。だれしも他人には言えぬ秘め事を抱えておる」
大力はこれまで訳ありの者を庇い続けてきたという。繁沢一家もその範疇にある。大力の言葉には重みがあった。
「純然たる白さを持つのは赤子のうちだけ……だが白に近い灰色を保つ大人はいる。貴公の髪の色のようにな」
大力は得意気に両腕を組む。
「貴公の斡旋、しかとこの大力が承ったぞ」
「よろしいのですか? 私の教員としての知能や指導力を問われなくて」
筆記試験くらいやるのでは、と男は思い、文具を持ってきた。それは採用する高校側が出題する試験だとも思うが、大力会長ならなんでもアリだと想定していた。
「『教師の素質を見る』などと言ったやもしれんがな。あれは方便だ」
「方便……ですか」
「教員免許を取った者には最低限の能力が備わっていよう。儂のような素人が適格不適格を決めおおせられるものではない。儂は貴公の心根が知りたかっただけよ」
ついでに強さも、と大力はいたずらめいて言った。男はそちらがおもに鑑定したかった事項ではないかと勘繰る。
「私の思いを探るために、刺客を五人も用意する必要があったのですか?」
「はっはっは! それは純粋な儂の趣味だな」
大力は悪びれる様子なく笑った。男が呆れる。
「あのような腕試しは、普通の方にはおやりになりませんように……」
「わかっておる。貴公が鬼神のごとき強者(つわもの)だと聞き及んでおったからああしたのだ。並みの武芸家であれば刺客は二人に抑えておく」
「それでも、やるんですね……」
男の控えめな指摘を受けた大力はまた大笑いした。すると廊下から物音がする。ふすまがすっと開いた。
「楽しそうにしてますのね」
一人の少女が正座した姿で現れる。年頃は中学生か。彼女は長袖のワンピースを着ている。女中とは異なる風貌だ。蓋をした湯飲みと菓子入れの器が乗った盆が彼女の手元にある。
「お茶をご用意しました」
「なぜお前が茶請けなぞ運んでおる」
大力は少女が雑用をこなすことに難色を示した。雇われの者ではないらしい。
(娘さんか? ずいぶん歳が離れているな)
男の予想は的中し、大力は少女を自分の娘だと紹介した。
「タマオという。漢字は土を二つ縦に重ねた『圭』と、下駄の鼻緒の『緒』……と言って、想像がつくかな」
「はい。ケイ……と読めるほうのタマですか」
男がみずから発した響きは男の心中に深く刺さる。忘れがたい恩人の名だ。男の人格の多くを、その人によって形成された。男にとってのもう一人の親にあたる。
ぐうぜん恩人と同じ漢字を名付けられた少女が男に近づく。目の前に湯飲みを置いた。男は懐かしい思いをこめて少女をながめる。
(ケイ……)
男と圭緒の目が合う。少女は恥ずかしがって下を向いた。大力が咳払いする。
「うむ、大事な話は終わったところだ。お前も加わる……つもりか?」
大力が問うと圭緒はあわてて顔を上げた。やわらかく笑う。
「はい。教師になりたがっているお方ですもの。きっとお姉さまのご興味のあるお話が聞けます」
「イオのためにか。うまいことを言う」
大力は娘の申し出を聞き入れた。「デイルさんもよろしいか」と聞くので、男はこころよく了承した。
繁沢とは男の上司の姓だ。上司とその一家はながらく男とともに過ごしてきた。家族にも近しい存在──とは上司の一家が思っていることだ。
「はい。もう、シゲさんたちに危険はないと思いますから」
「無いとは言い切れんぞ。ヤクザの足抜けというのは、成功例ができると困る連中がおるでな。いまだに寝首をかこうと企んでおるかもしれん」
繁沢一家は所属元の組員とそこに敵対する同業の者に恨まれ、危険にさらされる過去があった。おりしも男がやってきたのはその渦中。なしくずしに男が危険を取り除いた。そこから八年の月日が経とうとしている。男の成果なのか、ここ最近は報復の音沙汰がやんだ。しかしいつ再発するとも知れないことを、男もわかっている。
「その時は、会長が守ってくれる約束だとお聞きしましたが」
大力は多くの手練れを保有する。それらは弱者を守るための集団だという。普段の彼らは普通の会社員を装い、有事の際は警察が処理しきれない悪にも立ち向かうのだとか。そんなウソか真かわからないことを、男は繁沢から聞いた。すくなくとも警備会社を複数傘下に置く企業なので、護衛を手配できることはまちがいない。守られる側も警備業を経営している点がいびつではあるが。
「確かに約束した。だが急には対応できぬ。連中が怪しいそぶりを見せず、一気呵成に攻めてかかった時は手の打ちようがない。そんな時に貴公がいてくれれば繁沢は安心できように」
「シゲさんの許可は得ています。彼は私が教職に就くことを望んでくれています」
大力が明朗に笑む。
「そうか。その身体能力を存分に活かせぬのは惜しいが、さりとて教師が貴公の天職やもしれんしな」
大力は次に高校について話す。
「儂が繁沢に直接話をする前、数校紹介したのを覚えているか?」
「はい。パンフレットもいただきました」
まるで受験生みたいに、と男は思ったが口に出さなかった。男の実体験ではないからだ。
「迷いなく才穎高校を選んだそうだな。なぜ才穎なのだ?」
繁沢が余計なひと言を漏らしたのだと男は察した。だが上司を責めるつもりはない。彼は男によくしてくれた。繁沢が部下の本懐を遂げる援助をしたおかげで、男はこの場にいるのだ。男は失言がないよう気を払う。
「その高校はよいところだと、噂にうかがったのです」
「ほう、誰の言葉だ?」
男はまずいと思った。この質問に正直に答えたいのだが、もし厳密な調査をされれば矛盾が生じるおそれがある。
「個人名を明かさねばなりませんか?」
「聞かせてもらおう。貴公が気に病むのなら他言はせぬ」
男はその言葉を信じ、発言者を教えることにする。
「ではここだけの話にしてください。……八巻という才穎高校の教員から聞きました」
大力は若干目をきょろつかせた。なにかを思い出しているらしい。
「八巻というと、ケガで入院している人ではなかったか? 貴公の知り合いだったとは」
「いえ、たまたま出先でお会いしました。あちらは私のことを覚えていないでしょう」
「そうか……それならば儂からは伏せておこう。伝えたくなれば、貴公が復帰した八巻さんに追々言えばよい」
「それは……できないと思います」
大力が意表を突かれたかのように眉を動かす。
「できない? なにゆえに」
「彼とは一緒に教壇に立てないかもしれません。私は……一学期だけの就労を希望しています」
大力はささやかな不満を顔色に出す。
「そんな短期間だとは聞いておらんぞ」
「はい。シゲさんはずっと勤めればいいとお考えのようですが……私は、夏にはこの国を離れようと思っています」
男は変える気のない意思を見せた。大力は不思議そうに男を見る。
「この国を発つ理由は聞くまい。儂にはあずかりしらぬことよ」
「ご配慮、痛み入ります」
深く聞かれれば答えられる用意はしてあったが、質問されないほうが男の心的負担は軽い。真実は到底口に出せないからだ。
「だがものの数ヶ月だろう。出立の日までこのまま過ごせばよかろうに、なぜ教師になろうと思った?」
「せっかく教員免許を取得したのですから、最後に活かしたいと思いました」
「繁沢の無念を晴らそうとしてか?」
正確には繁沢の息子の無念だ。男は憐れな青年のことを思うと目を伏せた。その気持ちが大力に伝わり、「事情は聞いておる」と優しげな声をかけられる。
「繁沢の息子は教師になりたかったそうだな。その障害にならぬように繁沢は足を洗おうとしたと……」
「そう、聞いています」
「だが繁沢が足抜けする前に息子が闘争に巻き込まれ、落命した。そのことを繁沢は死ぬまで悔いるだろうな」
「私も、そう思います」
男にも多少の後悔はある。男は繁沢の子の死後にこの国へ来た。その到着時期は男が選んだものではないが、早期にたどりついていれば青年を守れただろうに、としばしば考える。
「私がシゲさんに『戦う以外の仕事ができるとしたら』とたずねたところ、教師を勧められました。息子さんの生き様を、多少なりとも意味のあるかたちに残したかったのだと思います」
大力があぐらの右膝に肘をつき、あごを手で支える。その顔は笑っている。
「故人を出されてはかなわんな」
「情に訴える気はなかったのですが──」
「いや、そんな意地悪な批判をしたいのではない。貴公はじつに清く、まっすぐな男だ」
男は大力の人物評を心苦しく思った。自分は、大力に本心を隠す卑怯者だというのに。
「私は、そのような身綺麗な人間ではありません」
「卑下をするな。だれしも他人には言えぬ秘め事を抱えておる」
大力はこれまで訳ありの者を庇い続けてきたという。繁沢一家もその範疇にある。大力の言葉には重みがあった。
「純然たる白さを持つのは赤子のうちだけ……だが白に近い灰色を保つ大人はいる。貴公の髪の色のようにな」
大力は得意気に両腕を組む。
「貴公の斡旋、しかとこの大力が承ったぞ」
「よろしいのですか? 私の教員としての知能や指導力を問われなくて」
筆記試験くらいやるのでは、と男は思い、文具を持ってきた。それは採用する高校側が出題する試験だとも思うが、大力会長ならなんでもアリだと想定していた。
「『教師の素質を見る』などと言ったやもしれんがな。あれは方便だ」
「方便……ですか」
「教員免許を取った者には最低限の能力が備わっていよう。儂のような素人が適格不適格を決めおおせられるものではない。儂は貴公の心根が知りたかっただけよ」
ついでに強さも、と大力はいたずらめいて言った。男はそちらがおもに鑑定したかった事項ではないかと勘繰る。
「私の思いを探るために、刺客を五人も用意する必要があったのですか?」
「はっはっは! それは純粋な儂の趣味だな」
大力は悪びれる様子なく笑った。男が呆れる。
「あのような腕試しは、普通の方にはおやりになりませんように……」
「わかっておる。貴公が鬼神のごとき強者(つわもの)だと聞き及んでおったからああしたのだ。並みの武芸家であれば刺客は二人に抑えておく」
「それでも、やるんですね……」
男の控えめな指摘を受けた大力はまた大笑いした。すると廊下から物音がする。ふすまがすっと開いた。
「楽しそうにしてますのね」
一人の少女が正座した姿で現れる。年頃は中学生か。彼女は長袖のワンピースを着ている。女中とは異なる風貌だ。蓋をした湯飲みと菓子入れの器が乗った盆が彼女の手元にある。
「お茶をご用意しました」
「なぜお前が茶請けなぞ運んでおる」
大力は少女が雑用をこなすことに難色を示した。雇われの者ではないらしい。
(娘さんか? ずいぶん歳が離れているな)
男の予想は的中し、大力は少女を自分の娘だと紹介した。
「タマオという。漢字は土を二つ縦に重ねた『圭』と、下駄の鼻緒の『緒』……と言って、想像がつくかな」
「はい。ケイ……と読めるほうのタマですか」
男がみずから発した響きは男の心中に深く刺さる。忘れがたい恩人の名だ。男の人格の多くを、その人によって形成された。男にとってのもう一人の親にあたる。
ぐうぜん恩人と同じ漢字を名付けられた少女が男に近づく。目の前に湯飲みを置いた。男は懐かしい思いをこめて少女をながめる。
(ケイ……)
男と圭緒の目が合う。少女は恥ずかしがって下を向いた。大力が咳払いする。
「うむ、大事な話は終わったところだ。お前も加わる……つもりか?」
大力が問うと圭緒はあわてて顔を上げた。やわらかく笑う。
「はい。教師になりたがっているお方ですもの。きっとお姉さまのご興味のあるお話が聞けます」
「イオのためにか。うまいことを言う」
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