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2018年05月27日
拓馬篇−6章1 ☆
拓馬はヤマダと別れた。自宅にたどり着くと玄関口に猫が座っている。全体の毛皮は白いが顔のまん中や耳先、足先が黒い。シャム猫のような柄だ。ヤマダがこの場にいたら、即行でかまいにいきそうである。
あえて拓馬はいつもの調子で玄関に近づいた。猫は逃げない。
(人に馴れてる? それか──)
拓馬は今朝自分がシズカに報告したことを思い出した。この珍客が普通の猫ではないと仮定して、白黒模様の獣のそばでしゃがむ。
「どうした、俺に用か?」
猫はちいさな頭を縦にうごかした。その仕草は偶然か、と拓馬が半信半疑になったところ、猫は玄関の戸に頭をつっこんだ。猫の耳や鼻はするっと戸をすり抜ける。またたく間に胴体が半分見えなくなった。
(シズカさんとこの、化け猫か……)
たびたび駆り出される猫だ。おもに二匹の猫がシズカの指示のもと、諜報活動を行なっているという。拓馬はこの猫たちに何度か会ったことがあるようなのだが、彼らはその都度体毛の模様と色を変えてくるので、どの猫がだれかという区別はついていない。
(なにかを伝えにきたのかな)
拓馬は玄関の鍵を開けた。猫のあとを追おう──と思いきや、猫は玄関内でまた座っていた。勝手に家屋へ侵入するのを遠慮しているのだろうか。鍵のかかった玄関を通過した時点で、不法侵入相当だと拓馬は思うのだが。
「あがっていいよ。シズカさんのおつかいなんだろ?」
『ではお言葉に甘える』
猫は中高年らしき男性の声で答えた。想像以上に高齢な性格の化け猫のようだ。
(化け物なら長生きしてるだろうし……)
と、ギャップがあることを自分なりに納得した。
猫が音もなく廊下にあがる。彼らはもとより実体のない身。通路などあってないようなものだが、そのあたりは人間の常識に合わせてうごいてくれた。
拓馬は玄関の鍵をかけた。現在は拓馬以外の人間の家族は不在。すこし仮眠するつもりだったので、防犯用に用心しておいた。
拓馬が猫にひとこと「すこしまっててくれ」とたのんだ。自室へいき、制服をぬぐ。よごれてもよい私服に着替えた。その格好で、居間の檻で留守番をしていた飼い犬を放す。トーマは拓馬の帰宅を全身でよろこんだ。拓馬の手や顔をなめたり、自身の体を拓馬にこすりつけたりする。ひとしきり犬の歓待を受けおえて、拓馬はソファに移動した。シズカの使いもソファのへりに乗る。位置的に猫は拓馬のななめ後ろにいる。視線を合わせるため、拓馬はソファに片足をのせ、体の向きを変えた。床につけた足にはトーマのあたたかい体が触れている。話をする態勢がととのった。拓馬は精神体な猫に話しかける。
「それで……なんの用事できたんだ?」
予測はついていたが、いちおうの確認をした。万一、この猫がシズカの使者を偽装する異形ということもありうる。シズカからの連絡がない以上、軽率な情報漏えいはさけたかった。
『今朝がたの連絡を受けての返事、と思ってもらいたい』
この言葉によって、拓馬は猫を信用する。
「シズカさんが忙しくて、あんたがその代わりに話をしにきたと?」
『その認識で大差ない。ゆうても、あやつは今晩におぬしと話すつもりでいる』
夜まで待てない理由があるのか──と拓馬は不安がる。
「夜に話してちゃ、手遅れになる?」
『いんや、火急の用ではない。わしが遣わされたのは、言葉では教えきれぬことを見せるため』
「『見せる』?」
『事実を語るためにまぼろしを映し出す。わしの得意分野じゃて』
これができるやつはほかにもいるがの、と老猫は自虐めいて言う。
『いままでわしが知り得たことを、おぬしに見せてしんぜよう』
「へえ、ドキュメンタリー映画みたいなものか?」
『そうじゃ。多少脚色は入るが……抵抗はないか?』
「ん? なんで?」
『幻術なんぞ体験したことはなかろうに、不気味ではないのか?』
現状、拓馬はしゃべる猫と接している。そんな状況を受け入れる自分が、いまさら故意の幻覚を見せられて、取り乱すだろうかと自問する。
(不気味なもの……は、見るときは見るしなぁ)
幼少時のトラウマがかすかによみがえった。悪意をもった霊が拓馬を自宅まで追ってきたことがあるのだ。その原因は拓馬がうっかり霊に注目してしまったせいだと記憶している。それにくらべて、見る者をどうこうする気のない幻影はおそれるに足らないように感じた。ただし、苦手な映像自体はある。
「まあ、グロテスクなもんを見せられたらイヤだけど……」
『それは安心されよ。しょっきんぐ映像は出てこぬ』
「ならいいや」
『かるいのう』
老猫は拓馬の感性が常人離れしていると言いたげだ。おそらく霊視という特性がもたらす人格形成への影響を想定していないのだ。そればかりは感覚を共有できる者がほぼいないため、わかれと言うほうが無理である。
拓馬は自分が非日常的な能力をおそれぬ理由を、もっともらしく言ってみる。
「シズカさんがいいと思ってやることなら……平気だと思う」
『そうか。信頼しておるのだな』
老猫はしっぽをうねらせて『映画といえばの』となにか思いつく。
『なれーしょんの種類は変更可能じゃぞ。若いおなごの声にしようか?』
「あんたがラクな方法でいいよ」
『そうか、ではこのままでやるぞ』
「どうやって見るんだ? スクリーンがぽんっと空中に出るのか?」
『それはめんどくさいんじゃ』
老猫は技術的に不可能ではないと示唆する。その言い方がなんだか人間くさくて、拓馬は老猫に親しみをおぼえた。
『おぬしが夢を見るのと同じ要領で、映像を流すぞ』
老猫は拓馬に、横になって目をつむるよう指示した。老猫もへりのうえで腹這いになる。
『りら〜っくすじゃ』
拓馬は言われるままにソファに寝転がり、目をとじた。今朝からの疲労を感じる。そのせいで、なんだか寝てしまいそうになる。
「これ、ねたらダメだよな?」
『大丈夫じゃ。そうなれば夢見のほうをチョチョイといじるまで』
寝落ちしても問題はないと知り、拓馬はだいぶ気楽になった。
『これからある男のいめーじを伝えるぞ。おぬしの近辺に出没しておる男と、同一だと思われるやからじゃ』
暗い視界が徐々に明るんでいく。目を閉じても見える光景は、色のない世界だった。
あえて拓馬はいつもの調子で玄関に近づいた。猫は逃げない。
(人に馴れてる? それか──)
拓馬は今朝自分がシズカに報告したことを思い出した。この珍客が普通の猫ではないと仮定して、白黒模様の獣のそばでしゃがむ。
「どうした、俺に用か?」
猫はちいさな頭を縦にうごかした。その仕草は偶然か、と拓馬が半信半疑になったところ、猫は玄関の戸に頭をつっこんだ。猫の耳や鼻はするっと戸をすり抜ける。またたく間に胴体が半分見えなくなった。
(シズカさんとこの、化け猫か……)
たびたび駆り出される猫だ。おもに二匹の猫がシズカの指示のもと、諜報活動を行なっているという。拓馬はこの猫たちに何度か会ったことがあるようなのだが、彼らはその都度体毛の模様と色を変えてくるので、どの猫がだれかという区別はついていない。
(なにかを伝えにきたのかな)
拓馬は玄関の鍵を開けた。猫のあとを追おう──と思いきや、猫は玄関内でまた座っていた。勝手に家屋へ侵入するのを遠慮しているのだろうか。鍵のかかった玄関を通過した時点で、不法侵入相当だと拓馬は思うのだが。
「あがっていいよ。シズカさんのおつかいなんだろ?」
『ではお言葉に甘える』
猫は中高年らしき男性の声で答えた。想像以上に高齢な性格の化け猫のようだ。
(化け物なら長生きしてるだろうし……)
と、ギャップがあることを自分なりに納得した。
猫が音もなく廊下にあがる。彼らはもとより実体のない身。通路などあってないようなものだが、そのあたりは人間の常識に合わせてうごいてくれた。
拓馬は玄関の鍵をかけた。現在は拓馬以外の人間の家族は不在。すこし仮眠するつもりだったので、防犯用に用心しておいた。
拓馬が猫にひとこと「すこしまっててくれ」とたのんだ。自室へいき、制服をぬぐ。よごれてもよい私服に着替えた。その格好で、居間の檻で留守番をしていた飼い犬を放す。トーマは拓馬の帰宅を全身でよろこんだ。拓馬の手や顔をなめたり、自身の体を拓馬にこすりつけたりする。ひとしきり犬の歓待を受けおえて、拓馬はソファに移動した。シズカの使いもソファのへりに乗る。位置的に猫は拓馬のななめ後ろにいる。視線を合わせるため、拓馬はソファに片足をのせ、体の向きを変えた。床につけた足にはトーマのあたたかい体が触れている。話をする態勢がととのった。拓馬は精神体な猫に話しかける。
「それで……なんの用事できたんだ?」
予測はついていたが、いちおうの確認をした。万一、この猫がシズカの使者を偽装する異形ということもありうる。シズカからの連絡がない以上、軽率な情報漏えいはさけたかった。
『今朝がたの連絡を受けての返事、と思ってもらいたい』
この言葉によって、拓馬は猫を信用する。
「シズカさんが忙しくて、あんたがその代わりに話をしにきたと?」
『その認識で大差ない。ゆうても、あやつは今晩におぬしと話すつもりでいる』
夜まで待てない理由があるのか──と拓馬は不安がる。
「夜に話してちゃ、手遅れになる?」
『いんや、火急の用ではない。わしが遣わされたのは、言葉では教えきれぬことを見せるため』
「『見せる』?」
『事実を語るためにまぼろしを映し出す。わしの得意分野じゃて』
これができるやつはほかにもいるがの、と老猫は自虐めいて言う。
『いままでわしが知り得たことを、おぬしに見せてしんぜよう』
「へえ、ドキュメンタリー映画みたいなものか?」
『そうじゃ。多少脚色は入るが……抵抗はないか?』
「ん? なんで?」
『幻術なんぞ体験したことはなかろうに、不気味ではないのか?』
現状、拓馬はしゃべる猫と接している。そんな状況を受け入れる自分が、いまさら故意の幻覚を見せられて、取り乱すだろうかと自問する。
(不気味なもの……は、見るときは見るしなぁ)
幼少時のトラウマがかすかによみがえった。悪意をもった霊が拓馬を自宅まで追ってきたことがあるのだ。その原因は拓馬がうっかり霊に注目してしまったせいだと記憶している。それにくらべて、見る者をどうこうする気のない幻影はおそれるに足らないように感じた。ただし、苦手な映像自体はある。
「まあ、グロテスクなもんを見せられたらイヤだけど……」
『それは安心されよ。しょっきんぐ映像は出てこぬ』
「ならいいや」
『かるいのう』
老猫は拓馬の感性が常人離れしていると言いたげだ。おそらく霊視という特性がもたらす人格形成への影響を想定していないのだ。そればかりは感覚を共有できる者がほぼいないため、わかれと言うほうが無理である。
拓馬は自分が非日常的な能力をおそれぬ理由を、もっともらしく言ってみる。
「シズカさんがいいと思ってやることなら……平気だと思う」
『そうか。信頼しておるのだな』
老猫はしっぽをうねらせて『映画といえばの』となにか思いつく。
『なれーしょんの種類は変更可能じゃぞ。若いおなごの声にしようか?』
「あんたがラクな方法でいいよ」
『そうか、ではこのままでやるぞ』
「どうやって見るんだ? スクリーンがぽんっと空中に出るのか?」
『それはめんどくさいんじゃ』
老猫は技術的に不可能ではないと示唆する。その言い方がなんだか人間くさくて、拓馬は老猫に親しみをおぼえた。
『おぬしが夢を見るのと同じ要領で、映像を流すぞ』
老猫は拓馬に、横になって目をつむるよう指示した。老猫もへりのうえで腹這いになる。
『りら〜っくすじゃ』
拓馬は言われるままにソファに寝転がり、目をとじた。今朝からの疲労を感じる。そのせいで、なんだか寝てしまいそうになる。
「これ、ねたらダメだよな?」
『大丈夫じゃ。そうなれば夢見のほうをチョチョイといじるまで』
寝落ちしても問題はないと知り、拓馬はだいぶ気楽になった。
『これからある男のいめーじを伝えるぞ。おぬしの近辺に出没しておる男と、同一だと思われるやからじゃ』
暗い視界が徐々に明るんでいく。目を閉じても見える光景は、色のない世界だった。
タグ:拓馬
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2018年05月24日
拓馬篇−5章6
ヤマダの絞め技に苦しむ金髪が「おい!」と第三者に声をかける。
「タブチ! やれ!」
タブチとよばれた刈り上げは「いいんスか?」と挙動不審だ。金髪は声を荒げる。
「確認することか! とっととオレを助けろ!」
「だって、女に抱きつかれてんスよ?」
「はぁ!?」
「胸が顔に当たってるじゃないスか! ラッキースケベッスよ!」
刈り上げが興奮しながら答える。彼の言わんとすることは拓馬には伝わった。しかしこの状況下で下心を優先する者は少数派だ。
「そんなこと言ってる場合か、これ?」
拓馬はごく自然にツッコんだ。刈り上げに金髪の救出をうながす発言が出ると、ヤマダは金髪を解放した。首を持ち上げられていた金髪は横顔を地面に着ける。脱力した金髪を刈り上げが介抱する。
「オダさん、だいじょぶッスか?」
「おめーはさっきの状況をなんだと思ってやがった?」
金髪は救出を躊躇した仲間にガンを飛ばした。刈り上げの目が泳ぐ。
「えーっと、プロレス技をキメられてたと……」
「わかってんだったらはやく助けろ!」
「でもいいじゃないスか。ちょっとかわいい子で」
金髪が鬼の形相で「あぁ!?」と怒りを爆発する。
「なにが『かわいい』だ、このトンマ!」
金髪が立ち上がる。刈り上げは恐れおののきながら、自身も立った。彼は両手のひらを金髪にむける。金髪と目を合わせないようにしているようだ。
「あぁ、スンマセン! でも安心してください!」
「なにをだ!」
「いちばんかわいいのはオダさんッスよ!」
刈り上げはまるで美人に見とれた彼氏が恋人に弁解するようなセリフを吐いた。彼なりに金髪の機嫌をとるつもりなのだ。そのように拓馬には解釈できたが、火に油をそそぐ発言だと思った。案の定、金髪は素っ頓狂な仲間の胸倉をつかむ。
「オレはそんなくだらないことで怒ってねえよ!」
金髪は刈り上げを突き飛ばす。アスファルトに寝転がった刈り上げは、なにが起きたのかわからないふうに呆けた顔をしている。
他校の少年らが仲間割れをする間、ヤマダは拓馬のそばにもどる。彼女はもう格闘家の仮面をはずしていた。
「やーねー、痴話ゲンカしちゃって」
拓馬に耳打ちをする体裁でのべた感想だが、その声量は金髪の耳にもとどくほど。金髪は次にヤマダをにらむ。
「おまえが妙な技を仕掛けなけりゃ、こんなことになってねえ!」
「まず、きみが仕返しをしにこなかったらよかったんじゃないかな?」
ヤマダはそもそも論を展開した。金髪は「今日は偵察だ」と彼女の指摘の一部を否定する。
「本気でやる気だったらこいつを連れてきてねえ」
金髪は地べたに座る刈り上げを指さした。刈り上げが頭をかく。たったいま戦力外通告を受けたというのに、いやに顔はにこやかだ。その能天気ぶりを観察したヤマダが大いにうなずく。
「ムードメーカーみたいだもんね、荒っぽいことにむいてないよ」
「おまえは見かけによらず、好き勝手にやってくれたな」
「さっきのヘッドロックのこと?」
「ああ! 女だと思って手加減したが──」
「まだやる?」
ヤマダが遊戯を続けるかのごとくたずねた。金髪は屈託のない質問を受け、多少の困惑を見せた。だがすぐに強気な姿勢にもどる。
「ひとにプロレス技をかけといて、自分だけ痛い目にあわずにすむと思ってんのか!」
正しいようで正しくはない主張だ。金髪は確実に拓馬たちへの害意を抱いている。その牽制としてヤマダが金髪を手打ちにした──このやり取りに一方的な非は存在しない。防衛行為がやり過ぎではあっても、やられること自体には金髪に非がある。
屈する必要のない言い分にもかかわらず、ヤマダは神妙にうなずく。
「うん、じゃあわたしにひとつ技をお見舞いしてよ」
「は?」
「同じ技をやり返してもいいし、ほかの技でもいい。それでうらみっこなしになる?」
ヤマダは背負っていたリュックサックをおろした。どんな技でも受けとめるという体勢なのだろう。対する金髪は苦虫をかんだような顔でいる。
「いや、そういうもんでもねえんだよ」
「じゃ、どうしたらいいの?」
「そりゃ、その……」
金髪は言いよどんだ。ヤマダの純粋な質問によって調子を狂わされているのだろう。返答内容を思案する金髪を、拓馬はあわれむように見る。
(まともに相手しなくていいのにな)
と、金髪の対応から悪童らしからぬ律義さを感じとった。
数秒の無言ののち、金髪は良い言葉が見つかったようで「わかりきったことだ」と言う。
「おまえらが苦しめばいい!」
「よし、どんとこーい!」
ヤマダは足を開き、やや腰を落とした。その姿勢は野球の野手が守備についた時と似ている。これは金髪の想定する反応とかけ離れた態度だろうが、金髪はいたって冷静だ。さすがに慣れてきたらしい。
「だけどおまえがのぞんでやられる苦しみじゃ無意味だ。心の底からイヤがるような──」
金髪は大真面目に言っているが、この言い方では正反対の会話へ誘導させてしまう。そのように拓馬はヤマダの思考を勘ぐった。
「わたし、犬がこわい……」
ヤマダは威勢のよい態度から一変、かよわい女を演じる。胸の前で自身の手をにぎり、偽りの恐怖に身をすくめた。ご丁寧に泣き出しそうな表情もつくっている。
「あのあったかくてフカフカな毛皮も、指でつついたらピコピコうごく耳も、人の顔をペロペロするやわらかーい舌もこわいっ」
それらの犬の特徴には万人が恐怖しうる箇所が皆無。ヤマダはバレバレのウソをついている。金髪も「こわがる要素がひとつもねえぞ!」と反論した。ヤマダはそしらぬ顔で演技を継続する。
「あと会うたびにブンブンふるしっぽも──」
「好きなんだろ、そこが!」
ヤマダの隠す気のない犬好きアピールは金髪にも伝わった。金髪がまたもけわしい形相になる。
「こいつ、ふざけたおしやがって!」
この罵声はヤマダに効いたらしい。彼女がかなしげに目を伏せる──といっても、拓馬はこんなことで彼女が落ちこむ人間ではないと知っていた。
「うん、調子にのっちゃった……怒らせちゃったよね」
ヤマダはおもむろに両腕をひろげる。
「だからさ、仲直りのハグをしよう!」
金髪はうろたえた。その反応は常人そのもの。最大級に予想外な申し出をまえにして、金髪が「バ、バカかおまえ」と、しどろもどろな罵詈をひねりだす。
「んなことでオレの気がすむと思うか?」
「やってみなきゃわからないよ」
「やらなくてもわかる! 気持ちわるいだけだ!」
「もー、恥ずかしがりやさんだねー」
ヤマダは腕をひろげた状態で金髪ににじり寄った。金髪があとずさる。彼の顔からはおびえた感情が見え隠れした。金髪の戦意が失われつつあるのだ。ヤマダはダメ押しとばかりに、スマイリーに「ジャストゥルァンイントゥマイアームズ!」と流暢にさけぶ。
「訳すと『わたしの胸に飛びこんでおいで』だよ!」
この常軌を逸した博愛行動が決定打となり、金髪はヤマダに背を向ける。
「くるな、この痴女が!」
金髪は逃げだした。全力疾走だ。彼はみるみるうちに遠ざかっていった。放置された刈り上げも「オダさん、まってー!」と言いながら走り去った。
ヤマダは「んじゃ行こうか」と平然とした様子で自分の荷物を拾う。金髪たちの遁走は彼女の想定内だ。拓馬にもヤマダの目論見はわかってきていた。
「これでわたしたちに絡むの、イヤになってくれたらいいんだけどね」
ヤマダはわざと奇矯なふるまいに徹した。それは金髪の復讐心を萎えさせるためにしていたこと。つまり、純然な体罰に走ったシドとは別方向のアプローチだった。肉体でダメなら精神を攻める、という発想自体は真っ当なものだ。
「おまえには関わらなくなるだろうな」
「えー、わたしだけ?」
「たぶんな。あいつは俺と先生に借りがあるんだし」
「じゃあタッちゃんもあの子にハグをせまってみる?」
「やだよ、変態だと思われたくない」
ヤマダの対応は、やるほうも心にダメージを負いかねない。それを苦としない彼女だけができることだ。
「あ、そういえば」
ヤマダがなにかに気付く。拓馬は「なんかあったか?」とたずねた。
「あの子たち、また今日くるかな?」
ヤマダは退散した少年らの来襲を気にしている。学校にはまだ部活中の三郎たちが残っているせいだ。
「さっき『偵察しにきた』と言ってたから、きたとしてもケンカにはならんだろ」
それ以前に、あんなふうに逃走した連中がふたたびもどってくる気力があるとは思えなかった。
「じゃ、サブちゃんたちはほうっておいていいかな」
「ああ、とっとと帰るぞ。本格的にしんどくなってきた」
ヤマダは元気よく「うん!」と答えた。あれだけキテレツなパフォーマンスをこなしていながら、かえって活力がみなぎっているかのようだ。彼女にとって金髪はいい遊び相手になったのだろう。遊ばれた側はたまったものではない。
(『めんどくせーやつだ』って、きっとあの不良どもも思ってんだろうな)
ヤマダを熟知する拓馬が気疲れしたのだ。はじめて言葉を交わした他人では、なおのこと精神的負荷がかかったと見える。
(これでこいつはターゲットからはずれるだろ……)
金髪の感性は案外、常識人に近かった。悪童といえど、その精神はおそらく常識の範疇にある。彼ならば、心身を多大に消耗させてくる変人には寄りつきたくないと考えるはず。これが今日の成果である。根本的な解決になる自信はないものの、ヤマダにふりかかる災禍が減ることはよろこばしい。
(ただでさえ変なやつにねらわれてるんだからな)
その懸念はヤマダだけでなく、須坂にもある。そちらの重大な問題に取り組める者との通話を期待して、拓馬は帰宅した。
「タブチ! やれ!」
タブチとよばれた刈り上げは「いいんスか?」と挙動不審だ。金髪は声を荒げる。
「確認することか! とっととオレを助けろ!」
「だって、女に抱きつかれてんスよ?」
「はぁ!?」
「胸が顔に当たってるじゃないスか! ラッキースケベッスよ!」
刈り上げが興奮しながら答える。彼の言わんとすることは拓馬には伝わった。しかしこの状況下で下心を優先する者は少数派だ。
「そんなこと言ってる場合か、これ?」
拓馬はごく自然にツッコんだ。刈り上げに金髪の救出をうながす発言が出ると、ヤマダは金髪を解放した。首を持ち上げられていた金髪は横顔を地面に着ける。脱力した金髪を刈り上げが介抱する。
「オダさん、だいじょぶッスか?」
「おめーはさっきの状況をなんだと思ってやがった?」
金髪は救出を躊躇した仲間にガンを飛ばした。刈り上げの目が泳ぐ。
「えーっと、プロレス技をキメられてたと……」
「わかってんだったらはやく助けろ!」
「でもいいじゃないスか。ちょっとかわいい子で」
金髪が鬼の形相で「あぁ!?」と怒りを爆発する。
「なにが『かわいい』だ、このトンマ!」
金髪が立ち上がる。刈り上げは恐れおののきながら、自身も立った。彼は両手のひらを金髪にむける。金髪と目を合わせないようにしているようだ。
「あぁ、スンマセン! でも安心してください!」
「なにをだ!」
「いちばんかわいいのはオダさんッスよ!」
刈り上げはまるで美人に見とれた彼氏が恋人に弁解するようなセリフを吐いた。彼なりに金髪の機嫌をとるつもりなのだ。そのように拓馬には解釈できたが、火に油をそそぐ発言だと思った。案の定、金髪は素っ頓狂な仲間の胸倉をつかむ。
「オレはそんなくだらないことで怒ってねえよ!」
金髪は刈り上げを突き飛ばす。アスファルトに寝転がった刈り上げは、なにが起きたのかわからないふうに呆けた顔をしている。
他校の少年らが仲間割れをする間、ヤマダは拓馬のそばにもどる。彼女はもう格闘家の仮面をはずしていた。
「やーねー、痴話ゲンカしちゃって」
拓馬に耳打ちをする体裁でのべた感想だが、その声量は金髪の耳にもとどくほど。金髪は次にヤマダをにらむ。
「おまえが妙な技を仕掛けなけりゃ、こんなことになってねえ!」
「まず、きみが仕返しをしにこなかったらよかったんじゃないかな?」
ヤマダはそもそも論を展開した。金髪は「今日は偵察だ」と彼女の指摘の一部を否定する。
「本気でやる気だったらこいつを連れてきてねえ」
金髪は地べたに座る刈り上げを指さした。刈り上げが頭をかく。たったいま戦力外通告を受けたというのに、いやに顔はにこやかだ。その能天気ぶりを観察したヤマダが大いにうなずく。
「ムードメーカーみたいだもんね、荒っぽいことにむいてないよ」
「おまえは見かけによらず、好き勝手にやってくれたな」
「さっきのヘッドロックのこと?」
「ああ! 女だと思って手加減したが──」
「まだやる?」
ヤマダが遊戯を続けるかのごとくたずねた。金髪は屈託のない質問を受け、多少の困惑を見せた。だがすぐに強気な姿勢にもどる。
「ひとにプロレス技をかけといて、自分だけ痛い目にあわずにすむと思ってんのか!」
正しいようで正しくはない主張だ。金髪は確実に拓馬たちへの害意を抱いている。その牽制としてヤマダが金髪を手打ちにした──このやり取りに一方的な非は存在しない。防衛行為がやり過ぎではあっても、やられること自体には金髪に非がある。
屈する必要のない言い分にもかかわらず、ヤマダは神妙にうなずく。
「うん、じゃあわたしにひとつ技をお見舞いしてよ」
「は?」
「同じ技をやり返してもいいし、ほかの技でもいい。それでうらみっこなしになる?」
ヤマダは背負っていたリュックサックをおろした。どんな技でも受けとめるという体勢なのだろう。対する金髪は苦虫をかんだような顔でいる。
「いや、そういうもんでもねえんだよ」
「じゃ、どうしたらいいの?」
「そりゃ、その……」
金髪は言いよどんだ。ヤマダの純粋な質問によって調子を狂わされているのだろう。返答内容を思案する金髪を、拓馬はあわれむように見る。
(まともに相手しなくていいのにな)
と、金髪の対応から悪童らしからぬ律義さを感じとった。
数秒の無言ののち、金髪は良い言葉が見つかったようで「わかりきったことだ」と言う。
「おまえらが苦しめばいい!」
「よし、どんとこーい!」
ヤマダは足を開き、やや腰を落とした。その姿勢は野球の野手が守備についた時と似ている。これは金髪の想定する反応とかけ離れた態度だろうが、金髪はいたって冷静だ。さすがに慣れてきたらしい。
「だけどおまえがのぞんでやられる苦しみじゃ無意味だ。心の底からイヤがるような──」
金髪は大真面目に言っているが、この言い方では正反対の会話へ誘導させてしまう。そのように拓馬はヤマダの思考を勘ぐった。
「わたし、犬がこわい……」
ヤマダは威勢のよい態度から一変、かよわい女を演じる。胸の前で自身の手をにぎり、偽りの恐怖に身をすくめた。ご丁寧に泣き出しそうな表情もつくっている。
「あのあったかくてフカフカな毛皮も、指でつついたらピコピコうごく耳も、人の顔をペロペロするやわらかーい舌もこわいっ」
それらの犬の特徴には万人が恐怖しうる箇所が皆無。ヤマダはバレバレのウソをついている。金髪も「こわがる要素がひとつもねえぞ!」と反論した。ヤマダはそしらぬ顔で演技を継続する。
「あと会うたびにブンブンふるしっぽも──」
「好きなんだろ、そこが!」
ヤマダの隠す気のない犬好きアピールは金髪にも伝わった。金髪がまたもけわしい形相になる。
「こいつ、ふざけたおしやがって!」
この罵声はヤマダに効いたらしい。彼女がかなしげに目を伏せる──といっても、拓馬はこんなことで彼女が落ちこむ人間ではないと知っていた。
「うん、調子にのっちゃった……怒らせちゃったよね」
ヤマダはおもむろに両腕をひろげる。
「だからさ、仲直りのハグをしよう!」
金髪はうろたえた。その反応は常人そのもの。最大級に予想外な申し出をまえにして、金髪が「バ、バカかおまえ」と、しどろもどろな罵詈をひねりだす。
「んなことでオレの気がすむと思うか?」
「やってみなきゃわからないよ」
「やらなくてもわかる! 気持ちわるいだけだ!」
「もー、恥ずかしがりやさんだねー」
ヤマダは腕をひろげた状態で金髪ににじり寄った。金髪があとずさる。彼の顔からはおびえた感情が見え隠れした。金髪の戦意が失われつつあるのだ。ヤマダはダメ押しとばかりに、スマイリーに「ジャストゥルァンイントゥマイアームズ!」と流暢にさけぶ。
「訳すと『わたしの胸に飛びこんでおいで』だよ!」
この常軌を逸した博愛行動が決定打となり、金髪はヤマダに背を向ける。
「くるな、この痴女が!」
金髪は逃げだした。全力疾走だ。彼はみるみるうちに遠ざかっていった。放置された刈り上げも「オダさん、まってー!」と言いながら走り去った。
ヤマダは「んじゃ行こうか」と平然とした様子で自分の荷物を拾う。金髪たちの遁走は彼女の想定内だ。拓馬にもヤマダの目論見はわかってきていた。
「これでわたしたちに絡むの、イヤになってくれたらいいんだけどね」
ヤマダはわざと奇矯なふるまいに徹した。それは金髪の復讐心を萎えさせるためにしていたこと。つまり、純然な体罰に走ったシドとは別方向のアプローチだった。肉体でダメなら精神を攻める、という発想自体は真っ当なものだ。
「おまえには関わらなくなるだろうな」
「えー、わたしだけ?」
「たぶんな。あいつは俺と先生に借りがあるんだし」
「じゃあタッちゃんもあの子にハグをせまってみる?」
「やだよ、変態だと思われたくない」
ヤマダの対応は、やるほうも心にダメージを負いかねない。それを苦としない彼女だけができることだ。
「あ、そういえば」
ヤマダがなにかに気付く。拓馬は「なんかあったか?」とたずねた。
「あの子たち、また今日くるかな?」
ヤマダは退散した少年らの来襲を気にしている。学校にはまだ部活中の三郎たちが残っているせいだ。
「さっき『偵察しにきた』と言ってたから、きたとしてもケンカにはならんだろ」
それ以前に、あんなふうに逃走した連中がふたたびもどってくる気力があるとは思えなかった。
「じゃ、サブちゃんたちはほうっておいていいかな」
「ああ、とっとと帰るぞ。本格的にしんどくなってきた」
ヤマダは元気よく「うん!」と答えた。あれだけキテレツなパフォーマンスをこなしていながら、かえって活力がみなぎっているかのようだ。彼女にとって金髪はいい遊び相手になったのだろう。遊ばれた側はたまったものではない。
(『めんどくせーやつだ』って、きっとあの不良どもも思ってんだろうな)
ヤマダを熟知する拓馬が気疲れしたのだ。はじめて言葉を交わした他人では、なおのこと精神的負荷がかかったと見える。
(これでこいつはターゲットからはずれるだろ……)
金髪の感性は案外、常識人に近かった。悪童といえど、その精神はおそらく常識の範疇にある。彼ならば、心身を多大に消耗させてくる変人には寄りつきたくないと考えるはず。これが今日の成果である。根本的な解決になる自信はないものの、ヤマダにふりかかる災禍が減ることはよろこばしい。
(ただでさえ変なやつにねらわれてるんだからな)
その懸念はヤマダだけでなく、須坂にもある。そちらの重大な問題に取り組める者との通話を期待して、拓馬は帰宅した。
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