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2018年06月03日
拓馬篇−6章3 ★
1
拓馬がめざめたのは夕飯時だった。家族はさきに夕食をとっており、寝過ごした拓馬も早々にくわわる。今夜ひかえたシズカとの通話に専念できるよう、夕飯を早めにすませた。ほかの雑事もおわらせるため、犬の散歩を支度したところに、シズカの連絡が入る。いま話せるか、との確認だった。いつも連絡がとれる時間帯より早い。
(しゃーない、シズカさんを優先しよう)
シズカを待たせても怒られはしないが、助けてもらう身でそんなことはできない。拓馬は犬の散歩を翌朝に延期し、自室へこもった。
電子機器を起動させる間、拓馬は内省した。夕寝する時間に犬の世話をしておけばよかった、と思う。しかし休養をとらないデメリットもある。集中力を欠いた状態で、シズカの話が耳を通りぬけていくのもまずい。両存はむずかしかったと考え、反省を切り上げた。
ヘッドホンを装着し、通信を開始する。さっそくシズカは『幻術はどうだった?』と聞いてくる。
『イメージ映像だけど、大男さんの顔は見れた?』
「はい、しっかりと」
『よし、それなら込み入った話ができるね』
「そのまえにひとつ、聞かせてください。どうしてこのタイミングで話すんです?」
老猫の話ぶりを考慮すると、シズカは大男の経歴について昨日今日知れたわけではない。もっと早くに、拓馬に教えようと思えばできたはず。そのことを暗に拓馬が指摘すると、シズカは『だまっててわるかった』とわびる。
『すこし迷ってたんだ。きみに教えていいかって』
「まようって、なにに?」
『理由をひとつあげると……異界にはちょっとした決まりがある。こちらとあちらは時間の流れが複雑だから、なにかの拍子に未来を知ってしまう人があらわれる。知るだけならまだいい。それで未来を変えようとしたらよくないんじゃないか、という考えのもと、二つの世界に関わる人同士の、不必要な情報交換はしないように推奨されている。その決まりごとに違反するんじゃないか、と思った』
拓馬はこの言葉に同調できなかった。規則をおもんじるせいで、異界の者による被害が食い止められなくては、納得がいかない。
「そんな決まりを守ってて、だれかがひどい目に遭ったらどうするんですか」
『その指摘はもっともだ。ヤマダさんが襲われたと聞いちゃ、きみに知らせないわけにいかなくなった。きみは猫から、大男さんがどういう人の指導を受けたか聞いたよね?』
「はい」
『じゃあその次にいこう。彼が学び舎《や》を去って、なにをしていたか──』
シズカは推測できる大男の来歴を語りはじめる。商家の一家消失事件に関わった犯人、政治家の親戚をねらった誘拐未遂──簡単にいってしまえば人攫いをしていたという。
『彼は人を捜しているみたいだ。どういう人を求めているのか、異界での活動だけじゃ、はっきりしないけどね』
「こっちの世界にきたのも、人捜し?」
『たぶん。あっちでハデに指名手配されたから、ほとぼりが冷めるまでここにいるとか』
シズカの主張はそれっぽく聞こえた。しかし拓馬はその見方に穴があると感じる。
「ほんとうに、そんな理由なんでしょうか?」
『どうしてそう思う?』
「大男はここへくる方法を学んでいたと、猫から聞きました。人攫いをやるまえから、こっちへきたいと思ってたんじゃないですか」
『なかなかするどいね。実をいうと、拓馬くんの言うとおりだと思う』
シズカはまたも真相を述べずにやりすごそうとしていたらしい。拓馬はあきれる。
「なんでテキトーなことを言うんです?」
『ウソを言ってるつもりはないよ。彼はスタールという通り名までつけられた犯罪者だ。あちらで活動しにくくなって、こっちへ拠点を移したのも、自然な流れだと思う。でもその動機は進退窮まって、ではなくて、計画を前倒しにしたんだとも思う』
「そいつの捜す人が、ここにいると?」
『そう。きっと、おれがそのひとりだ』
シズカはさらっととんでもない告白をした。彼が大男の標的。そうと自覚するシズカの落ち着きぶりが、拓馬には信じられない。
「あの、かるーく言ってますけど、かなり危ないんじゃ?」
『ああ、心配しないで。彼がおれを捕まえにくることはないと思うよ』
「そうなんですか?」
『わりに合わないからね。よっぽど彼の得意なフィールドでの戦いをしいられないかぎり、おれのほうが勝率は高い』
「『得意なフィールド』?」
実態のつかめない、ふわふわした言葉だ。それが物理的な場所を指すのか精神的な領域を意味するのか、発話者の意図によってだいぶ変わる。シズカも適切な表現がしづらいようで、うなる。
『えーっと、なんというか、特殊な空間をつくる術があるんだよ。そこに入ったら、とある条件を満たさないと出られなかったり、その空間にいると特定の生き物がすごく強くなったり、まあいろいろだ』
補足説明もあまり実感のわかない内容だ。拓馬は卑近な例としてサッカーが思いうかぶ。
「……ホームとアウェーみたいなもん?」
『イメージはそんな感じかな。自分が慣れた場所で戦うのと、知らない土地で戦うのとじゃ、戦いやすさがちがう……てところは』
これは核心を突いたたとえではなかったようだ。シズカ自身も、超常現象的な物事を拓馬にわからせるのはむずかしいのだろう。拓馬はもっと建設的な質問に変える。
「その空間をつくる術って、大男は使えるんですか?」
『使えるだろうね』
「え」
『向こうの住民がこっちの世界へこれるのは、空間をあやつる術の成果なんだ。彼はその系統の術が得意だというし、やれないことはない』
緊迫感のない口調だ。シズカの不利をまねく要素が大男にあるのに、なぜ鷹揚にかまえていられるのか、拓馬はやきもきする。
「だったら、ぜんぜん安心できないですよね」
『言っただろう、「わりに合わない」って。その術を仕掛けるにはものすごーく力を消耗するんだ。彼がおれに勝てたとしても、力の使いすぎで死んでしまう』
つまるところ、危険視すべき事態は実現不可能なようだ。拓馬が知ったところで取り越し苦労になるがゆえ、シズカはすべてを語ろうとしなかったのかもしれない。
「シズカさんは安全なことはわかりました』
『うん、だから心配しなくていいよ』
「シズカさんがねらわれてないなら、いったいだれが標的にされてるんです?」
『いまは言えないな』
シズカは躊躇なく答えた。拓馬はたずねても秘匿されると思っていたが、食い下がる。
「俺がどういうことをしたら、教えてもらえます?」
『拓馬くんはいつもどおりにしててくれ』
「いいんですか、そんなのんびりしてて」
『まだあわてる段階じゃない。大男さんのほうも、いまはちょっかいを出してみてるだけだろうから』
「ちょっかいって、ヤマダに?」
『いや、きっと間接的におれを挑発してるんだ。きみとおれが繋がってることはバレてるからね』
シズカに手を出せないからほかの者を利用し、出方をうかがう、という理屈はわかる。ただそれがシズカの知人の拓馬でなく、拓馬の友人をねらうとは、なんともまだるっこしい。
「なんでそんなまわりくどいまねを?」
『はっきりしたことはわからない。彼がなぜ、わざわざヤマダさんの目の前にあらわれたのか』
「『わざわざ』?」
まるでそうする必要がないと言いたげだ。あの大男は活動力の補給目的でヤマダに手を出したというのだが。
『ああ、知ってると思うけど異界の生き物は体のない状態でうごけるよね。おれはその姿を精神体とよぶ』
拓馬は自宅にきていたシズカの猫を思い出した。あの化け猫は玄関の戸をするっと通り抜けた。あの状態のことをシズカは言っている。
『あの姿だと並みの家は簡単に侵入できる。物音も気配もなく、ね』
「じゃあ……?」
『彼女が部屋で寝ているところを侵入されて、力を吸われてると思う』
拓馬は目を白黒させた。ヤマダは普段の素行が奇抜ではあっても、恋愛観が旧日本的な大和撫子である。その身が得体の知れない生き物にどうこうされていると知れば、きずつくにちがいない。
「そそそ、それって婦女暴行ってやつじゃ」
『あー、それはないよ』
シズカがあかるく否定する。そのトーンのおかげで拓馬は平常心が多少もどってきた。
『彼、そのへんはお堅い考えの持ち主なんだってさ。「一生添い遂げる」と思った人にしか、スケベなことはしないように教育されたんだとか』
「どっからそんな話を知ったんです?」
『きみに送った猫と、おれの知り合いが言ってたよ。ほかにも聞いた話……彼はお色気ムンムンな女性にほだされて、一晩同じベッドですごしたことがあったそうだけれど、なにも起きなかったってさ』
「異性には興味なし、と……」
『そういう感情自体がないのかもね。だいたい、彼は普通の人間じゃない』
「あ、それはわかります。クロスケの仲間じゃないかと、うちの父が──」
『クロスケってヤマダさんに憑いてる子?』
「はい、それです」
『うーん? そうなのかな……』
シズカは拓馬が出した仮説をもてあましたようで『それはおいとこう』と言う。
『おれの一存で大男さんを放置してたけれど……ヤマダさんが彼の夜間の侵入をいやがるなら、大男さんを追いかえす護衛を出すよ』
「あ、はい……あした、いや今晩のうちに聞いたほうがいいですかね」
『今日は彼がこないんじゃないかな。単独でこっちにきた異界の人が言うには、三日四日はなにもせずに生きていられるらしい。毎日補給しなくても平気なようだよ』
「じゃあ、あしたで……」
拓馬の直近目標が決まった。拓馬は通話を打ちきる。
(あいつに……どう言っていいもんかな)
ヤマダへの伝え方を思いなやんだ。口のうまくない拓馬ではソフトな言い方がしにくい。
(深刻にならないように言おう……)
声のトーンが変わるだけでも話の印象は変わるものだ。重すぎず、かつ不謹慎なほどの軽さもなく、普通でいこうと心に決めた。
拓馬はモニターにうつる現在時刻を見る。いまはまだヤマダが起きていそうな時間帯だ。本題をもう伝えておくか、それがしづらいならせめて明日話がしたいと連絡しておこうかと考える。だが風呂の順番がきたという催促を受けてしまい、それらの決定は中断した。
拓馬がめざめたのは夕飯時だった。家族はさきに夕食をとっており、寝過ごした拓馬も早々にくわわる。今夜ひかえたシズカとの通話に専念できるよう、夕飯を早めにすませた。ほかの雑事もおわらせるため、犬の散歩を支度したところに、シズカの連絡が入る。いま話せるか、との確認だった。いつも連絡がとれる時間帯より早い。
(しゃーない、シズカさんを優先しよう)
シズカを待たせても怒られはしないが、助けてもらう身でそんなことはできない。拓馬は犬の散歩を翌朝に延期し、自室へこもった。
電子機器を起動させる間、拓馬は内省した。夕寝する時間に犬の世話をしておけばよかった、と思う。しかし休養をとらないデメリットもある。集中力を欠いた状態で、シズカの話が耳を通りぬけていくのもまずい。両存はむずかしかったと考え、反省を切り上げた。
ヘッドホンを装着し、通信を開始する。さっそくシズカは『幻術はどうだった?』と聞いてくる。
『イメージ映像だけど、大男さんの顔は見れた?』
「はい、しっかりと」
『よし、それなら込み入った話ができるね』
「そのまえにひとつ、聞かせてください。どうしてこのタイミングで話すんです?」
老猫の話ぶりを考慮すると、シズカは大男の経歴について昨日今日知れたわけではない。もっと早くに、拓馬に教えようと思えばできたはず。そのことを暗に拓馬が指摘すると、シズカは『だまっててわるかった』とわびる。
『すこし迷ってたんだ。きみに教えていいかって』
「まようって、なにに?」
『理由をひとつあげると……異界にはちょっとした決まりがある。こちらとあちらは時間の流れが複雑だから、なにかの拍子に未来を知ってしまう人があらわれる。知るだけならまだいい。それで未来を変えようとしたらよくないんじゃないか、という考えのもと、二つの世界に関わる人同士の、不必要な情報交換はしないように推奨されている。その決まりごとに違反するんじゃないか、と思った』
拓馬はこの言葉に同調できなかった。規則をおもんじるせいで、異界の者による被害が食い止められなくては、納得がいかない。
「そんな決まりを守ってて、だれかがひどい目に遭ったらどうするんですか」
『その指摘はもっともだ。ヤマダさんが襲われたと聞いちゃ、きみに知らせないわけにいかなくなった。きみは猫から、大男さんがどういう人の指導を受けたか聞いたよね?』
「はい」
『じゃあその次にいこう。彼が学び舎《や》を去って、なにをしていたか──』
シズカは推測できる大男の来歴を語りはじめる。商家の一家消失事件に関わった犯人、政治家の親戚をねらった誘拐未遂──簡単にいってしまえば人攫いをしていたという。
『彼は人を捜しているみたいだ。どういう人を求めているのか、異界での活動だけじゃ、はっきりしないけどね』
「こっちの世界にきたのも、人捜し?」
『たぶん。あっちでハデに指名手配されたから、ほとぼりが冷めるまでここにいるとか』
シズカの主張はそれっぽく聞こえた。しかし拓馬はその見方に穴があると感じる。
「ほんとうに、そんな理由なんでしょうか?」
『どうしてそう思う?』
「大男はここへくる方法を学んでいたと、猫から聞きました。人攫いをやるまえから、こっちへきたいと思ってたんじゃないですか」
『なかなかするどいね。実をいうと、拓馬くんの言うとおりだと思う』
シズカはまたも真相を述べずにやりすごそうとしていたらしい。拓馬はあきれる。
「なんでテキトーなことを言うんです?」
『ウソを言ってるつもりはないよ。彼はスタールという通り名までつけられた犯罪者だ。あちらで活動しにくくなって、こっちへ拠点を移したのも、自然な流れだと思う。でもその動機は進退窮まって、ではなくて、計画を前倒しにしたんだとも思う』
「そいつの捜す人が、ここにいると?」
『そう。きっと、おれがそのひとりだ』
シズカはさらっととんでもない告白をした。彼が大男の標的。そうと自覚するシズカの落ち着きぶりが、拓馬には信じられない。
「あの、かるーく言ってますけど、かなり危ないんじゃ?」
『ああ、心配しないで。彼がおれを捕まえにくることはないと思うよ』
「そうなんですか?」
『わりに合わないからね。よっぽど彼の得意なフィールドでの戦いをしいられないかぎり、おれのほうが勝率は高い』
「『得意なフィールド』?」
実態のつかめない、ふわふわした言葉だ。それが物理的な場所を指すのか精神的な領域を意味するのか、発話者の意図によってだいぶ変わる。シズカも適切な表現がしづらいようで、うなる。
『えーっと、なんというか、特殊な空間をつくる術があるんだよ。そこに入ったら、とある条件を満たさないと出られなかったり、その空間にいると特定の生き物がすごく強くなったり、まあいろいろだ』
補足説明もあまり実感のわかない内容だ。拓馬は卑近な例としてサッカーが思いうかぶ。
「……ホームとアウェーみたいなもん?」
『イメージはそんな感じかな。自分が慣れた場所で戦うのと、知らない土地で戦うのとじゃ、戦いやすさがちがう……てところは』
これは核心を突いたたとえではなかったようだ。シズカ自身も、超常現象的な物事を拓馬にわからせるのはむずかしいのだろう。拓馬はもっと建設的な質問に変える。
「その空間をつくる術って、大男は使えるんですか?」
『使えるだろうね』
「え」
『向こうの住民がこっちの世界へこれるのは、空間をあやつる術の成果なんだ。彼はその系統の術が得意だというし、やれないことはない』
緊迫感のない口調だ。シズカの不利をまねく要素が大男にあるのに、なぜ鷹揚にかまえていられるのか、拓馬はやきもきする。
「だったら、ぜんぜん安心できないですよね」
『言っただろう、「わりに合わない」って。その術を仕掛けるにはものすごーく力を消耗するんだ。彼がおれに勝てたとしても、力の使いすぎで死んでしまう』
つまるところ、危険視すべき事態は実現不可能なようだ。拓馬が知ったところで取り越し苦労になるがゆえ、シズカはすべてを語ろうとしなかったのかもしれない。
「シズカさんは安全なことはわかりました』
『うん、だから心配しなくていいよ』
「シズカさんがねらわれてないなら、いったいだれが標的にされてるんです?」
『いまは言えないな』
シズカは躊躇なく答えた。拓馬はたずねても秘匿されると思っていたが、食い下がる。
「俺がどういうことをしたら、教えてもらえます?」
『拓馬くんはいつもどおりにしててくれ』
「いいんですか、そんなのんびりしてて」
『まだあわてる段階じゃない。大男さんのほうも、いまはちょっかいを出してみてるだけだろうから』
「ちょっかいって、ヤマダに?」
『いや、きっと間接的におれを挑発してるんだ。きみとおれが繋がってることはバレてるからね』
シズカに手を出せないからほかの者を利用し、出方をうかがう、という理屈はわかる。ただそれがシズカの知人の拓馬でなく、拓馬の友人をねらうとは、なんともまだるっこしい。
「なんでそんなまわりくどいまねを?」
『はっきりしたことはわからない。彼がなぜ、わざわざヤマダさんの目の前にあらわれたのか』
「『わざわざ』?」
まるでそうする必要がないと言いたげだ。あの大男は活動力の補給目的でヤマダに手を出したというのだが。
『ああ、知ってると思うけど異界の生き物は体のない状態でうごけるよね。おれはその姿を精神体とよぶ』
拓馬は自宅にきていたシズカの猫を思い出した。あの化け猫は玄関の戸をするっと通り抜けた。あの状態のことをシズカは言っている。
『あの姿だと並みの家は簡単に侵入できる。物音も気配もなく、ね』
「じゃあ……?」
『彼女が部屋で寝ているところを侵入されて、力を吸われてると思う』
拓馬は目を白黒させた。ヤマダは普段の素行が奇抜ではあっても、恋愛観が旧日本的な大和撫子である。その身が得体の知れない生き物にどうこうされていると知れば、きずつくにちがいない。
「そそそ、それって婦女暴行ってやつじゃ」
『あー、それはないよ』
シズカがあかるく否定する。そのトーンのおかげで拓馬は平常心が多少もどってきた。
『彼、そのへんはお堅い考えの持ち主なんだってさ。「一生添い遂げる」と思った人にしか、スケベなことはしないように教育されたんだとか』
「どっからそんな話を知ったんです?」
『きみに送った猫と、おれの知り合いが言ってたよ。ほかにも聞いた話……彼はお色気ムンムンな女性にほだされて、一晩同じベッドですごしたことがあったそうだけれど、なにも起きなかったってさ』
「異性には興味なし、と……」
『そういう感情自体がないのかもね。だいたい、彼は普通の人間じゃない』
「あ、それはわかります。クロスケの仲間じゃないかと、うちの父が──」
『クロスケってヤマダさんに憑いてる子?』
「はい、それです」
『うーん? そうなのかな……』
シズカは拓馬が出した仮説をもてあましたようで『それはおいとこう』と言う。
『おれの一存で大男さんを放置してたけれど……ヤマダさんが彼の夜間の侵入をいやがるなら、大男さんを追いかえす護衛を出すよ』
「あ、はい……あした、いや今晩のうちに聞いたほうがいいですかね」
『今日は彼がこないんじゃないかな。単独でこっちにきた異界の人が言うには、三日四日はなにもせずに生きていられるらしい。毎日補給しなくても平気なようだよ』
「じゃあ、あしたで……」
拓馬の直近目標が決まった。拓馬は通話を打ちきる。
(あいつに……どう言っていいもんかな)
ヤマダへの伝え方を思いなやんだ。口のうまくない拓馬ではソフトな言い方がしにくい。
(深刻にならないように言おう……)
声のトーンが変わるだけでも話の印象は変わるものだ。重すぎず、かつ不謹慎なほどの軽さもなく、普通でいこうと心に決めた。
拓馬はモニターにうつる現在時刻を見る。いまはまだヤマダが起きていそうな時間帯だ。本題をもう伝えておくか、それがしづらいならせめて明日話がしたいと連絡しておこうかと考える。だが風呂の順番がきたという催促を受けてしまい、それらの決定は中断した。
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2018年05月30日
拓馬篇−6章2 ★
まぶたを閉じた視界にモノトーンの景色がひろがる。拓馬が真っ先に視認したものは、机に向かう男性の姿だ。周囲にも机と椅子がならぶ中、男性はひとり、開いた本を見たり紙になにかを書いたりしていた。
『これはこやつが勉強しておるところじゃ』
拓馬は「こやつ」という老猫の表現に引っ掛かった。老猫はその男性のことを教えにきたというのに、名前を明かさないでいる。
『わるく思わんでくれ。こやつには本名がないのじゃ』
(え、俺はまだなにも……)
『いまはおぬしの心の声がわしに届く』
(俺の気持ちがつつぬけになってる?)
幻を見ることよりも不気味な状態だ。拓馬がそう感じると『安心せい』と老猫が言う。
『わしに聞きたい、と思ったことが伝わる』
そう聞いた拓馬は安心した。口に出さなくていいぶん、かえって便利な会話方法である。
視界が男性に接近する。その風貌が明瞭になる。年のころは二十歳前後だろうか。華やかさはないが、角ばった顔や太い首からはたくましさがうかがい知れる。かなり発達した体躯だ。それらは拓馬が知る、帽子を被った大男のイメージと通じる。
『こやつはとある異人に拾われた男……「異人」というのは、おぬしらの世界に住む人間が、わしらの世界にきたときの呼び名じゃ』
(その異人はシズカさん……ではない?)
『そう、べつの異人。こちらの説明は割愛させてもらうぞ』
(名前や国籍は言えないのか?)
拓馬にとっての異人という語句には、どうしてもシズカが念頭に出る。混同を避けるために、区別のつく情報がほしいと思った。
『差しつかえない。この時代をさかのぼったころの日本人で、穂村圭《ほむらけい》という。おなごながら体術に秀でておった』
映像の男性は顔をあげた。彼が横を向く視線のさきに、女性があらわれる。女性の年齢は男性と同じくらいの若さだ。男性が大柄なせいでか、かなりの小柄に見えた。そして白黒の世界でもはっきりわかる、黒髪を有している。彼女が日本人だという前情報も、拓馬の確信に役立っているのだろう。
『この異人はこやつを放っておいてはならぬと考え、わしの住処に連れてきよった』
(どういう理由で保護したんだ?)
『人を殺《あや》めかけた』
拓馬は悪寒を感じた。殺人未遂──そんな凶悪なことをしでかす男なのか、と。
『こやつ自身は人を死なせるつもりがなかった。生まれながらに備わった力を、うまく使えなかっただけなんじゃ。それゆえ教育をほどこそうと、このおなごの異人は考えた』
黒髪の女性が男性のとなりの席に座った。二人がならぶと、その髪と肌の色の濃度差が如実に出る。男性は比較的、髪の色が薄くて肌の色が濃いようだ。女性は彼に笑顔で話しかけているが、男性の仏頂面は変わらない。
『こんな顔でもな、こやつはよろこんでおるんじゃぞ。この異人を姉のように慕っておったでな』
(それはいいんだけど……人殺しをさせないための勉強って、座学でできることか?)
『ああ、それはちょいと話が前後するのう。こやつは言葉をろくに知らなかったゆえ、最初に基礎的な学習をさせたのじゃ』
(意志疎通をとるために、か)
『しかるのちに武術の稽古をつけ、力の使い方を学んでいった。この異人が稽古相手をしておったが、見てのとおりの体格差。おまけに筋力はこやつのほうがすぐれておる。これではまともに教えようがない』
(ああ、俺もそう思う)
『じゃから、こやつと身体的にちょうど合う男が呼ばれた』
あらたに体格のよい人物がやってきた。頭にターバンを巻いた、どことなくアラビアンな格好の男性だ。大男よりは体型が細いようだ。そう見える一因は、彼の腰に提げた大きな曲刀にもあるのだろうか。
『この剣士がこやつを鍛えた師範。剣にかぎらずなんでも武器を扱えるやつじゃて、広く浅く教えたようじゃ。わしはそのしごきを見ておらんので、映像には出せん』
剣士は二人のまえを通りすぎていった。剣士が去った方向からまた別の人物が出てくる。その人は白衣のようなコートを羽織っていた。コートの片方の腕部分が不自然にはためく。
『この方の片腕は戦で失った──』
(いくさで……)
『……これが、わしの住処の家主じゃ。シズカとも仲がよい』
隻腕の人物が机上の紙を手にとった。紙をながめおえると、男性になにやら話している。
『この家主もこやつの勉学を見てやった。こやつがおぬしらの世界へ行くすべを学んだのも、この方の教えによる』
(なんでそんなことまで教えたんだ?)
『こやつが強くのぞんだ。こやつが異人にあこがれて、おぬしらの世界に興味を持ったのじゃと、このときは思っておった』
(いまはどう思ってる?)
『……わしからは言えん。教えてよいという指示は受けておらぬゆえ』
(そこはシズカさんに聞けってことか?)
『そういうことじゃ。これで最低限の職務は果たした。しばらく質問を受けつけよう』
映像はそのままに、老猫の解説がなくなった。拓馬は胸にわだかまりがあるのを感じている。質問の機会をのがしてはいけないと思い、懸命にその違和感の正体をさぐる。すると映像を見るまえに気付けなかった不思議がひとつ見つかった。
(どうして、この男と俺の町にうろつく大男が同じやつだとわかったんだ?)
共通する点は体格と、異なる世界を行き来する技術があるという二点。それだけで断定できるほど、この二点はめずらしい特徴なのだろうか。
『そうさな、厳密には同一人物と言えん。その可能性がきわめて高いだけじゃ』
(可能性でもいい、根拠はあるんだろ?)
『この近辺でこやつを見かけた』
(え、いつ?)
『おぬしがこやつの存在を知るまえじゃ』
つまり、事の発端である成石の襲撃よりむかしのことだ。しかし拓馬は心当たりがない。
『ほれ、黒い化け物を見たと言うておったのじゃろ』
(そうだったっけ……)
『シズカに確認してみい。あやつはマメじゃから記録をつけておるはず』
映像が暗転していく。これで質疑はおわったのかと思いきや、べつのカットで大男が映しだされた。彼は鍔《つば》の広い帽子を被った姿で直立している。その顔は色の濃いサングラスのせいで見えない。
『ここでのこやつはこんな感じじゃな。色メガネをはずしてやると、こうじゃ』
映像の男性がてずからサングラスを取った。拓馬が冒頭に見た、勉強中の男性と同じ顔つきだ。
『この顔をようおぼえておきなされ』
(俺がこいつの顔をおぼえて、なにか意味があるのか?)
『仮定を確定にちかい状態にしておくと、次の仮定を吟味しやすい』
(次の仮定?)
『なぜこやつがおぬしらの世界にくることになったか、そのいきさつをシズカが今夜、告げる。こちらの話は断言できる裏付けがないゆえ、参考として聞いてもらいたい』
幻影が遠のく。一面暗い視界になると拓馬は目を開けた。老猫はまだソファにいる。
『では失礼するぞ』
老猫が壁をすりぬけた。姿が見えなくなるのを待ってから、拓馬は寝返りをうつ。シズカの話を集中して聞けるよう、いまは休むことにした。寝入るまでの間、脳裏には圭という女性と大男のやり取りが思いうかぶ。
(『姉のように慕ってた』……か)
拓馬には実の姉がいる。だが姉は拓馬が慕えるような人柄ではない。家事はできないしドジは踏むしで、拓馬はよくその尻拭いをさせられる。そのことに嫌悪感をいだくことはないものの、姉というものが頼れる存在だという認識は皆無。老猫が言う姉の定義と、自分の姉との乖離に、おかしみを感じた。
『これはこやつが勉強しておるところじゃ』
拓馬は「こやつ」という老猫の表現に引っ掛かった。老猫はその男性のことを教えにきたというのに、名前を明かさないでいる。
『わるく思わんでくれ。こやつには本名がないのじゃ』
(え、俺はまだなにも……)
『いまはおぬしの心の声がわしに届く』
(俺の気持ちがつつぬけになってる?)
幻を見ることよりも不気味な状態だ。拓馬がそう感じると『安心せい』と老猫が言う。
『わしに聞きたい、と思ったことが伝わる』
そう聞いた拓馬は安心した。口に出さなくていいぶん、かえって便利な会話方法である。
視界が男性に接近する。その風貌が明瞭になる。年のころは二十歳前後だろうか。華やかさはないが、角ばった顔や太い首からはたくましさがうかがい知れる。かなり発達した体躯だ。それらは拓馬が知る、帽子を被った大男のイメージと通じる。
『こやつはとある異人に拾われた男……「異人」というのは、おぬしらの世界に住む人間が、わしらの世界にきたときの呼び名じゃ』
(その異人はシズカさん……ではない?)
『そう、べつの異人。こちらの説明は割愛させてもらうぞ』
(名前や国籍は言えないのか?)
拓馬にとっての異人という語句には、どうしてもシズカが念頭に出る。混同を避けるために、区別のつく情報がほしいと思った。
『差しつかえない。この時代をさかのぼったころの日本人で、穂村圭《ほむらけい》という。おなごながら体術に秀でておった』
映像の男性は顔をあげた。彼が横を向く視線のさきに、女性があらわれる。女性の年齢は男性と同じくらいの若さだ。男性が大柄なせいでか、かなりの小柄に見えた。そして白黒の世界でもはっきりわかる、黒髪を有している。彼女が日本人だという前情報も、拓馬の確信に役立っているのだろう。
『この異人はこやつを放っておいてはならぬと考え、わしの住処に連れてきよった』
(どういう理由で保護したんだ?)
『人を殺《あや》めかけた』
拓馬は悪寒を感じた。殺人未遂──そんな凶悪なことをしでかす男なのか、と。
『こやつ自身は人を死なせるつもりがなかった。生まれながらに備わった力を、うまく使えなかっただけなんじゃ。それゆえ教育をほどこそうと、このおなごの異人は考えた』
黒髪の女性が男性のとなりの席に座った。二人がならぶと、その髪と肌の色の濃度差が如実に出る。男性は比較的、髪の色が薄くて肌の色が濃いようだ。女性は彼に笑顔で話しかけているが、男性の仏頂面は変わらない。
『こんな顔でもな、こやつはよろこんでおるんじゃぞ。この異人を姉のように慕っておったでな』
(それはいいんだけど……人殺しをさせないための勉強って、座学でできることか?)
『ああ、それはちょいと話が前後するのう。こやつは言葉をろくに知らなかったゆえ、最初に基礎的な学習をさせたのじゃ』
(意志疎通をとるために、か)
『しかるのちに武術の稽古をつけ、力の使い方を学んでいった。この異人が稽古相手をしておったが、見てのとおりの体格差。おまけに筋力はこやつのほうがすぐれておる。これではまともに教えようがない』
(ああ、俺もそう思う)
『じゃから、こやつと身体的にちょうど合う男が呼ばれた』
あらたに体格のよい人物がやってきた。頭にターバンを巻いた、どことなくアラビアンな格好の男性だ。大男よりは体型が細いようだ。そう見える一因は、彼の腰に提げた大きな曲刀にもあるのだろうか。
『この剣士がこやつを鍛えた師範。剣にかぎらずなんでも武器を扱えるやつじゃて、広く浅く教えたようじゃ。わしはそのしごきを見ておらんので、映像には出せん』
剣士は二人のまえを通りすぎていった。剣士が去った方向からまた別の人物が出てくる。その人は白衣のようなコートを羽織っていた。コートの片方の腕部分が不自然にはためく。
『この方の片腕は戦で失った──』
(いくさで……)
『……これが、わしの住処の家主じゃ。シズカとも仲がよい』
隻腕の人物が机上の紙を手にとった。紙をながめおえると、男性になにやら話している。
『この家主もこやつの勉学を見てやった。こやつがおぬしらの世界へ行くすべを学んだのも、この方の教えによる』
(なんでそんなことまで教えたんだ?)
『こやつが強くのぞんだ。こやつが異人にあこがれて、おぬしらの世界に興味を持ったのじゃと、このときは思っておった』
(いまはどう思ってる?)
『……わしからは言えん。教えてよいという指示は受けておらぬゆえ』
(そこはシズカさんに聞けってことか?)
『そういうことじゃ。これで最低限の職務は果たした。しばらく質問を受けつけよう』
映像はそのままに、老猫の解説がなくなった。拓馬は胸にわだかまりがあるのを感じている。質問の機会をのがしてはいけないと思い、懸命にその違和感の正体をさぐる。すると映像を見るまえに気付けなかった不思議がひとつ見つかった。
(どうして、この男と俺の町にうろつく大男が同じやつだとわかったんだ?)
共通する点は体格と、異なる世界を行き来する技術があるという二点。それだけで断定できるほど、この二点はめずらしい特徴なのだろうか。
『そうさな、厳密には同一人物と言えん。その可能性がきわめて高いだけじゃ』
(可能性でもいい、根拠はあるんだろ?)
『この近辺でこやつを見かけた』
(え、いつ?)
『おぬしがこやつの存在を知るまえじゃ』
つまり、事の発端である成石の襲撃よりむかしのことだ。しかし拓馬は心当たりがない。
『ほれ、黒い化け物を見たと言うておったのじゃろ』
(そうだったっけ……)
『シズカに確認してみい。あやつはマメじゃから記録をつけておるはず』
映像が暗転していく。これで質疑はおわったのかと思いきや、べつのカットで大男が映しだされた。彼は鍔《つば》の広い帽子を被った姿で直立している。その顔は色の濃いサングラスのせいで見えない。
『ここでのこやつはこんな感じじゃな。色メガネをはずしてやると、こうじゃ』
映像の男性がてずからサングラスを取った。拓馬が冒頭に見た、勉強中の男性と同じ顔つきだ。
『この顔をようおぼえておきなされ』
(俺がこいつの顔をおぼえて、なにか意味があるのか?)
『仮定を確定にちかい状態にしておくと、次の仮定を吟味しやすい』
(次の仮定?)
『なぜこやつがおぬしらの世界にくることになったか、そのいきさつをシズカが今夜、告げる。こちらの話は断言できる裏付けがないゆえ、参考として聞いてもらいたい』
幻影が遠のく。一面暗い視界になると拓馬は目を開けた。老猫はまだソファにいる。
『では失礼するぞ』
老猫が壁をすりぬけた。姿が見えなくなるのを待ってから、拓馬は寝返りをうつ。シズカの話を集中して聞けるよう、いまは休むことにした。寝入るまでの間、脳裏には圭という女性と大男のやり取りが思いうかぶ。
(『姉のように慕ってた』……か)
拓馬には実の姉がいる。だが姉は拓馬が慕えるような人柄ではない。家事はできないしドジは踏むしで、拓馬はよくその尻拭いをさせられる。そのことに嫌悪感をいだくことはないものの、姉というものが頼れる存在だという認識は皆無。老猫が言う姉の定義と、自分の姉との乖離に、おかしみを感じた。