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2016年07月01日

正社員生活の終わり

こんにちはマッサンです。

正社員生活の記事も最終回・・・続きを読む...

2016年06月30日

会社辞めるに辞められず

こんにちはマッサンです。

前回でMLMとおさらばかと思いきや、親がガンであることが判明。続きを読む

2016年06月21日

東日本大震災

こんにちはマッサンです。

入社2年目の最後から3年目のはじめ位までの話で一番生活に影響を受けたのは3.11の東日本大震災だったと思います。

皆さんはその時どのように生活されていたでしょうか?

私は震災当日は午後の営業が終わってとあるビルの1階にあるカフェで休憩していた時に被災しました。
揺れの直後立っていられず、食器棚やテーブルにあるカップなどが床に落ちて店内パニックになり、既に会計はすましていたのでそのまま店外に出ました。

そのまま歩いて見知らぬ人たちと高台の公園に避難したわけですが、出張でその日初めて日本に来たという初対面の中国人の方がパニックになっていたので話し相手になること3時間経過。

いつも会社でやっているBCP避難訓練とおりに社用携帯で状況報告するも音沙汰なし・・・

夜になり自力で帰社するも、サーバーがダウンしたか何かで私含め帰社していない者の足取りはつかめなくなっているとのことでした。いざというときに役に立たないものですね(汗)

その日無理やり自宅に帰るも今度は電車が復旧せず、出社することができない日がありました。
それを社長に怒られ、余震収まるまで1ヶ月近く会社所有の築何十年も経った独身寮に住むことになりました。

結局スーパーに行っても残っているのは大根とカブだったのでみそ汁と浅漬けを作る毎日でした。

独身寮には年上の先輩が1人前々から住んでいたので、時々食事を作っては部屋に運んだりしていました。

一番きつかったのは古い家なので揺れを大きく感じるのと、冬なのに浴槽が使えず、部屋も北向きで窓から隙間風がどんどん入ってくるところでした。

そのため布団の中に持参した寝袋を入れて体を包んでいましたが、これは結構暖かくて効果的でした。

時々会社で社長に「どうだ快適な家だろう?」とニッコリして言われるのですが、住み心地最悪に決まっているだろと内心思っていました。ただ贅沢は言ってられないなと思っていました。

震災後2ヶ月して、会社の関係団体が福島にあるということで、寄付金を渡すのと視察で松島と石巻をまわったのを覚えています。

松島は沿岸の木製の柵などが流されて水とともに周辺の店を壊しており、石巻も連日報道されていたような市街地が瓦礫になっており、バス市街地を移動中も腐敗臭がすごいので窓を開けないでくださいとガイドから言われるくらいでした。

泊まった宿も余震がひどく、独身寮に帰っても余震に悩む日が続きました。

今も熊本だけでなく、北海道も地震があるなどどこで起きてもおかしくない状況ですが、普段からの備えを怠らないようにしてください。

2016年06月20日

勉強法・・・

こんにちはマッサンです。

前回の給与カットがあってから、来年こそは宅建合格と息巻いてようやく自腹で資格の予備校にも行く決心がついたころ勉強方法を考えておりました。

もちろん人それぞれあると思いますし、大げさなものではないのですが、私が取った行動は大手資格予備校をいくつか体験入学ということで申し込みをしました。

なぜかというと高い月謝でしかも半年超の長丁場になるのに自分に合わないところに行っても仕方ないと思ったからです。

何に注目していたかというと、講師の声と質問しやすい雰囲気かをひたすら注目していました。というのも案外聞き取りづらい声で説明されると頭に入ってこないということが経験上あるのではないでしょうか?声の高さであったり話し方のスピードは自分に合ったものでないと長時間聞いているのも苦痛になってしまいます。

そして質問しやすい雰囲気かどうか。疑問が出たときその場で質問できる雰囲気でなければ後で結局質問することを忘れてしまいますし、ペースが完全に持っていかれると結局しったかぶりになってしまいます。

そしてようやく1つの学校に絞り込み、平日の夜通い始めました。

当時のライフスタイルとしては、平日は夜の9時に仕事を終わらせ(というより半分放り投げ)、職場近くの予備校に夜11時頃まで勉強し、終電近くの電車に乗り込み帰宅する。もしくはだるければそのままビジネスホテルかカラオケボックスに泊まってそのまま出社という生活をしていました。

土日はというと会社は休みなので、宅建以外の勉強を自宅でしておりました。

それは予備校の先生にすすめられて興味を持ったFP(ファイナンシャルプランナー)の資格でまずは入門の3級から独学で取り組んでいました。

宅建でもFPでも自宅学習において気にかけたのはテキストと過去問をそれぞれ用意するのですが、テキストはまず自分が理解できる最低ラインを意識して選んでいました。ここで理解ができなければ当然最短で合格なんてできないので、時にはアニメ・マンガチックな内容のテキストも購入していました。

過去問はなるべく解説がしっかり乗っているものを選び、よくある応用問題集などには一切手を出しませんでした。

応用問題は確かに勉強しがいはあるのですが結局過去問レベルが本番では重要なので時間節約で切り捨てました。

このやり方を大学受験でもやっておけばよかったと当たり前のように後悔しました。当時は馬鹿みたいに応用力を鍛えようと自分の理解を超えるような勉強ばかりをしていたような気がします・・・

2016年06月19日

突然の給与カット

こんにちはマッサンです。

正社員生活も2年と半年が過ぎ、そろそろ折り返しを迎えるころ、私の所属していた営業部で一大事件が起こりました。

それはただでさえ少人数の部の社員が半数近く辞めてしまったことです。

きっかけは毎年年1回行われる宅建の試験で私含めまだ未取得の社員が試験に全員落ちたことで社長の逆鱗に触れたからでした。

私とその同期は入社2年目なので今までで2回、先輩社員はもっと回数を重ねていました。

仕事上重要な資格なので社長のお怒りはごもっともなのですが、特に会社で資格取得の費用負担や講習会があるわけでなく学習費用はすべて自腹であった上に、連日平均22時近くのサービス残業の中勉強するのは困難を極めていました。

そして言い渡されたペナルティーが営業部全員その日から資格を取得するまで、つまり早くても来年まで1年間減給されることになりました。その場ですぐに社長から人事・経理部に話が通され、給与減額手続きがされました。

これは宅建すでに持っている社員含めて全員の連帯責任ということになり、役職クラスで月数万円、我々平社員でも月数千円の減額になりました。

これは大きな引き金になり、宅建を持っていた私の2人目の上司はふざけるなということで辞めることとなり、資格取得に必死ではなかった先輩社員も何人か辞めることになりました。

私はこれをきっかけに独学をやめ自腹で資格の学校に通い、次の年には合格するのですがそれがまた自分の首をしめることになることを知るのは少し先の話・・・

確かに今まで合格できなかったことは言い訳できるものではないのですが、こんな簡単に給料に手が出されるということは入社2年目にして本当に会社というものに恐怖を感じました。

別の会社でも給与減額を言われたことはあるのですが、私の中でこれが一番サラリーマン=安定の常識をぶっ壊された原因でもあり、今でも会社組織を信用していない要因でもあります。

2016年06月17日

パワハラなどの始まり

こんにちはマッサンです。

新卒で入社して2年目に入ったころ、顧客も増えてきて仕事も増えてきたころ、1つの辞めたいと思うきっかけが発生しました。

とある仕事で先輩に頼まれて仕事の状況報告を社長へすることがあり、資料をもって社長室へ行きました。

そこで内容を説明したのですが、どこか内容に気に食わないところがあったのか、いきなり私に「頭を出せ」といって、拳を振り下ろしてきました。

正直なにが起こったかわからず、報告内容自体私自身は関与しているものではなかったのでその旨説明しましたが、そのまま事務所に行き何十人といる社員の前でこっぴどく叱られました。

あとから先輩のフォローもありましたが、私はよくわからないうちにゲンコツをくらったのと恫喝されたのでパニックになり空会議室にこもり大人げなくひたすら泣きました。

そのあとわかったのですが、この会社では日常茶飯事で、社長から大勢の社員の前で怒鳴る、その流れで頭をたたくことがあり、それは社内会議の場でも時々あったのでその度に空気が凍り付きました。

そんなの訴えればいいじゃんと後では思うのですが、何回も同じことをされると結構当たり前のように感じて判断は鈍ります。特に会社のトップからやられるというのは周りの人もその場で止めようがないという空気もあり、環境が変わるということはありませんでした。

私も年に数回ゲンコツを食らっていましたが他の人はもっとパワハラを受けている人もいました。

これから他の体験した事例も紹介しますが、私の中ではブラック企業て決まったパターンがあるなと感じました。


@社員の前で恫喝される

A叩かれるなどの物理的パワハラを受ける

B朝早く出社させられる(始業1時間前など)

C突然の給与カット

D退職届だしたにも関わらず受理されず(半年近く引き伸ばされる)


順番や項目は多少違えど大体このあたりはブラック企業にはあるのではないかなと思います。同じ経験をされているのであればすぐに誰かに相談するか退職することをすすめます。

私が取った行動はまた別の記事で書きたいと思います。

この会社ではすべての項目を体験しましたし、その後の転職先でも同じことを体験しました。

もちろん私の仕事ミスということもありましたがここまですることはないだろうということも多々あります。

他にもこんなケースがあったよというのがあれば私も情報として知りたいのでコメントにのせてください。



2016年06月16日

生活リズムの乱れ

こんにちはマッサンです。

仕事を始めて半年が過ぎ、仕事にも慣れてきたころ、だんだん固定客がつくようになりました。

といってもなぜか外資系の特にアジア系の企業が多かったです。

たまたま飛び込み営業をかけた先でニーズがあっただけなのですが、そこからがとても良い付き合いができました。

関係が構築できてくると、母国から同じく日本に来てビジネスをしている方を紹介してくれたりして一時期アジア系企業の紹介案件だけで仕事を回していたこともありました。

本当に人間同士の付き合いを大事にしているんだなという実感があり、時にはランチやディナー、誕生会などにお付き合いすることもあるほどでした。

仕事が増えたのはうれしいのですがやはりネックなのは報告書による残業であり、だんだん終電近くになることも増えてきました。

私は当時はまだ実家から片道1時間半かけて通っていたため終電を逃した場合にはビジネスホテルに泊まって出勤していました。

もちろん毎回予約が取れるわけではないため困っておりました。ネットカフェは個室といっても仕切りがあるだけで完全な密室ではなかったため隣の音が気になったりしたのであまり利用しませんでした。

そこで私が利用したのはカラオケボックスでした。音量を極力抑えてBGM代わりにし、空調完備の密室で食事もた頼めばくる上に料金も安いとありがたく使っていました。シャワーは会社のを使えばよかったので・・・

別に推奨しているわけではありませんがそれだけ忙しくなってきたということです。

仕事はこれからが本番・・・ではまた次回

2016年06月12日

仕事スタート

こんにちは、マッサンです。

いよいよ仕事がスタートしますが、先に記述すると正社員生活は3年半ほど続きます。

今回は半年間くらいのことを記事にしたいと思います。

入社して2週間くらいは同期全員で経理や設備、営業などの部署をまんべんなく周り仕事を把握します。

そのあと各々の部署に別れて仕事を始めるわけてすが私は営業部にいました。

最初は顧客もいないので飛び込み営業と、同業他社の担当者との情報交換がメインでした。

私は不動産営業でも法人相手だったので、アパート契約よりは契約のスピードが遅く、金額も大きいので大体社長が決裁者であるため緊張の連続でした。ただ、常に自分よりかなり年齢も地位も上の方と仕事をするので対法人で金額の大きいものを扱う分野の仕事は相当ビジネスマナーやプレゼンスキルがつくと思います。

しかもリーマンショック直後くらいなので不況でなかなか顧客掴むのも大変だった記憶があります。

実際初契約は半年後でしたし、同期の初契約も全く同じタイミングでした。

だんだん仕事してわかってきたことは、よくある残業代の制度はあるものの申請しないと残業代は出ず、暗黙のルールでよっぽどでないと申請できないということ。つまりサービス残業は当たり前・・・
20時に帰れればまだ早いほうでした。

また、終業前に帰社してPCに報告書をまとめるのですが報告書ソフトのスペック上、入力に最低1時間以上かかるのがきつかったです。

そんな中、同期1人と直属の上司が会社を辞めることになり、衝撃的なできごとでした。

ちなみに私の上司は毎年退職によって変わってしまい、私が辞める直前は課長が全員をまとめるようになっていました。

同期の方は部署が違ったので退職の理由はわかりませんが、上司の方は、契約の際には自社の社長の決裁も絡んでくるので承認を得る必要があるのですが、なかなかに社長も気難しい方で気分によってもコロコロ変わるので承認を得られないという事が多々あり仕事がうまく回らないジレンマがずっとあったからみたいでした。

外部との交渉より社内営業の方が大変という経験をした人もいるのではないでしょうか?

そんな出来事があったなかで入社半年過ぎの段階から正社員=安定の常識は私の中でジワジワ崩れてくるのでした。

次回に続く・・・

2016年06月09日

大学卒業そして入社

こんにちは、マッサンです!

地獄の訓練から無事帰還し、残り1ヶ月の大学生活にもどるのですが、前の記事にも書いた通り訓練で負傷した足を治すのに専念しました。

訓練終わった人はもれなく与えられる余計なおみやげが1つ・・・

それは声がかすれてまともに声が出ないというもので数日は苦しみます(汗)

足は最初は整骨院に通いましたが骨に異常があるわけでは無かったので、いつも通っている鍼治療で治しました。

訓練中は携帯電話の所有は禁止だったので1週間以上音信不通だったのと、会ったら会ったで私が満身創痍になっていて友人からはだいぶ心配されました。

そして大学卒業を迎えるのですが周りの同級生とのギャップに悩みました。

というのも、卒業旅行や社会人になったらしたいことなど希望に溢れた会話をしていましたが、私は一足先に社会の厳しさに触れており、冷めていたのと、また訓練中のキビキビした動作やハキハキした口調が残っており周りから浮いていました。

そして迎えた入社式・・・

ここでも訓練学校の教訓の唱和が・・・どこまで好きなんだと

この会社は就活生なら利用しているだろう大手就活サイトに求人を載せており家族経営のところでした。

第一印象は20歳代の若い社員が多いなと思いました。

後々に私が色々な会社で働いて身に付いた、安定しているであろう企業の1つの目安として、

30代の人が多く活躍している所

というのを大事にしてます。

設立して間もなかったり、しばらく採用を取り止めていたなどの例外はありますが、家庭を持ち始め、男女問わず働き盛りな年代である30代が多いと若手からしたら直近の将来像がイメージできますし、仕事も円滑に回ってた気がします。

また、平均年齢20代くらいで若すぎると上の影響が強すぎて反対意見が出せないということも体験してきました。

働いている年齢層は入社前、面接や見学の時点でも十分に情報は集められるので、給与や福利厚生も大事ですが、それ以外の側面で安定性も見ていくことをおすすめします!

この会社も大半が20代で、課長クラスで40代前後の年齢差があるところでした。

その時は無知でもあり余裕もなく、社内研修が始まり社会人のスタートを切りました!

次回に続く・・・

2016年06月08日

地獄の訓練D

こんにちは、マッサンです!

長々と送ってきた地獄の訓練も今回で最終回…

延長が決まったその日の夜、ご飯と味噌汁、漬物だけという今までで一番質素な夕食を済ませ、意気消沈しながら寝床に着きました。

延長戦になってからは午前と午後1回ずつ卒業試験があり、結果から言うと私は1日半延長しました(汗)

大体みんな同じタイミングに修了しました。

修了式のとき、訓練学校以上に厳しい生活が社会でお前らを待っているが負けるなよと教官に言われました。

私はそんな馬鹿なと思っていましたがその考えが誤りだとすぐ気づかされますがそれは少し先の話…

終わり間際に教官と盃を交わして酒を飲み干すのですがその時に皆色々な苦労を思い出してか号泣しました!

永遠の0という映画でパイロットが戦地に飛び立つ前に盃を交わして地面に割っていたようなシーンがあったと思いますがそんな感じです。

班員とは新幹線の駅でお互い激励して別れました!

同じ会社の同期とは女性陣も含め偶然にも同じタイミングで終わったため、帰宅する前に会社に報告に向かいました。

会社に着いた頃には夕方になっており報告が終わった後、簡単に食事が振る舞われましたがその内社長に全員呼ばれ、お疲れもなく訓練を延長してしまったことを一時間近く叱られてしまいました…

当然ながら延長料金がかかっており、コスト意識がないのかと…正論過ぎてただ黙っているしかありませんでした。

そして私が40km夜間行進で負傷して途中リタイアしたことも当然知っており散々言われました。

今年の新人は期待外れだなという雰囲気がビンビン伝わってきて正直社会人スタートは順調ではありませんでした。

そしてまだ残っている大学生活に今一度戻るのでした。
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Fラン大卒 新卒で正社員になるも退職 2年間ニート 再びの正社員生活で精神を病み、フリーランスの道を模索中! 必死に生きています!!
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