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2024年04月16日

天下第一の桜 後編

こんにちはマッサンです!

昨日は寝落ちして記事更新できなかった(笑)気を取り直して、お花見の後編記事を書いていきます!

場所は引き続き長野県伊那市高遠町。今回は昼間の撮影になります!昼間の方が迫力はある!

写真をアップする前に今回の桜の説明を軽くしようと思います。その方が見ていて理解しやすいと思うので。

この「高遠城址公園」に咲いている桜というのは「高遠小彼岸桜」(タカトオコヒガンザクラ)。エドヒガン桜と近畿豆桜の交配種であり、ここ高遠の地でしか原生していない品種。特徴は花はやや小ぶりで、赤みを帯びており「天下第一の桜」と称されています。

ここの桜は日本三大桜名所の一つとされてもいます。(他は奈良の吉野山、青森の弘前城公園)よって私はここでコンプリートしたことになるわけ(笑)※厳密にいうと青森は花見の時期には行ってないけど…

もともとこの土地には「高遠城」の城郭があったのだけど、明治の廃藩置県で天守閣含むが取り壊されて公園になってからこの桜が植えられた。なので樹齢的には古くて130年くらい。園内には1500本の桜が植えられています。事前知識を踏まえたうえで以下の写真をご堪能ください!

もう園の外から既に立派に咲き誇ってます。

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やはり通常の桜より赤みがかっている。

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ここからが園内で昨晩ライトアップされてた「高遠閣」。実はここも一つのゲート(出入口)になってました。

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たぶん園内一番の撮影スポット「桜雲橋」(おううんきょう)
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なんか屏風が置いてあった。
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私が一番気に入った景色。勘助曲輪(かんすけくるわ)及び本丸付近から見える南側の景色。奥に雪冠雪の中央アルプス(木曽方面)が望めるスポット。
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これは個人的な感想だけど、高遠城址公園の素晴らしさというのは以下の三つじゃないかなと思ってます。
@桜のピンク色が濃い
Aアルプス山脈が見える
B桜の密集度がすごい

特にBについては正直普通のカメラでは捉えきれない伝わらない。360度カメラを体にくっつけて撮影したいくらいでした(笑)ひとたび風が吹けば全方位から桜吹雪が舞ってくる。こんなスポットはそうそう無いと思う。

さて、ここからは周辺散策!入場チケットは当日なら何度でも出入り可能だし、周辺施設も料金がお得になったりしますので!

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無粋なので写真に丸囲いしないけど、左側に建物が写っていると思いますがここは「歴史博物館」当然立ち寄るわけですが、結構衝撃的な町の歴史だった。

搔い摘むと私が気になったのは2つの歴史。

@高遠城の戦い
元々は「高遠氏」という豪族が治めていた土地でしたが、かの武田信玄が侵略してきた。そして統治した時に家臣の「山本勘助」に先ほどの公園があった場所に「高遠城」の建築を命じた。歴史マニアは先ほど「勘助曲輪」の名前で察した人もいるかもね。ところがその統治にも限界が訪れる。

武田信玄が病死し、勝頼が「長篠の戦い」で惨敗し、織田信長軍によって追われる身になることに。「高遠」の地も武田信玄の子息が統治していたので戦火は免れなかった。

長篠のトラウマから各地の戦況は即白旗降伏を武田軍はしていたのだけど、高遠での武田軍は唯一といっていいほど「徹底抗戦」をしたらしい。

あまりの織田軍との戦力差に一日で落城するも双方犠牲は多数に上り、先ほどの桜公園内は血と死体の海で血生臭さが相当残ったらしい。

花綺麗〜なんていうのも大事だけど、歴史背景を知ると昔戦場だったという悲劇に切ない気持ちにはなる。これも大事な勉強だと思います。

かの「信長公記」にも記されたというここでの戦いの中に、武田軍に豪傑がいたのも間違いない。女性なので豪傑という表現は失礼なのかもだけど。

織田軍に対して徹底抗戦した中で「諏訪はな」という女武将は特に奮戦していたという。刀だったり武蔵坊弁慶顔負けの薙刀だったりを振るい、切り込んでいったのだとか。結局は戦死してしまうのだけど。

女性繋がりでもう一つ高遠を知るうえで重要な歴史が

A絵島事件
これはもう少し後世の話で江戸時代。「大奥最大の事件」とも言われる事件の受刑者がここ高遠の地に流されてきた。

大奥では「月光院」という人が絶大な権力を握ってたのだけど、その筆頭女中であった「絵島」という女性(当時30歳代)が、定例だった将軍墓の墓参りの後に、今でいう銀座歌舞伎座に歌舞伎を見に立ち寄りをし、帰りの門限に遅れるというペナルティを受けた。

なんだそんなことと現代では思うかもだけど、当時は賄賂や何やらで乱れに乱れてた大奥で、「規律」は何よりも重要。そして大奥内の権力争いにも発展したので、懲罰の嵐に発展していった。

門限破りに加担した当事者含む関係者70人が死刑含む厳しい処罰を受けた。

これの何が大奥最大の事件かというと、一番重い死罪もあり70人近くの処罰者が出たにも関わらず、1か月以内に全員の裁定が下るという「超スピード判決」。当時の時代背景が物語っているということ。

当の絵島は後程写真で出しますが、ここ高遠の地に流刑となり、江戸の地を二度と踏むことなく60歳代で生涯を終えた。

門限破りが悪いと言えばそれまでだけど、一つの出来事で一気に地位も失い、生涯をかけた刑に処されることがあるというのは、今の世の中でも言えることなのかもしれないですね。

「絵島囲み屋敷」
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外冊もまさに罪人という感じ。
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少し歴史の話をしたのはもう少し場所を回るから。

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博物館及び絵島屋敷を少し進むと湖とダムが見えてきます。

そこをさらに進んでいくと

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「五郎山」という山道に入ってきます。ここは先ほど話した高遠城の戦いの戦死者1000人近くが供養されたといわれる所でもあり、「高遠城址公園の桜」を別の角度から見ることができます。

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見下ろす感じですかね。

ほぼ人がいないので穴場スポットになりますが「健脚」の人だけが行くようにしてください(笑)

最後に五郎山に入る前に見たイチオシの景色。南アルプス甲斐駒ヶ岳が見えるスポット。
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これで最後になりますが、まごうことなき私が人生で見た中では一番の桜スポットでした!

絶景ランキングでは2位かな?1位は記事にもしたけど長崎伊王島灯台。あそこも長崎原爆の被害を受けたところだから、私がランキングに上げたのは絶景だけど歴史的背景には「悲劇」があるところが多いかも。

本当は「華留運(ケルン)」という店の「高遠そば」もおすすめされてたのだけど、混雑凄くて利用できなかったので、またの機会にしたいと思います。

今回も色んな旅情報くださった方々には感謝申し上げます。

充分充電はできたと思うので戦場となるGWは頑張って仕事したいと思います!

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