入社2年目の最後から3年目のはじめ位までの話で一番生活に影響を受けたのは3.11の東日本大震災だったと思います。
皆さんはその時どのように生活されていたでしょうか?
私は震災当日は午後の営業が終わってとあるビルの1階にあるカフェで休憩していた時に被災しました。
揺れの直後立っていられず、食器棚やテーブルにあるカップなどが床に落ちて店内パニックになり、既に会計はすましていたのでそのまま店外に出ました。
そのまま歩いて見知らぬ人たちと高台の公園に避難したわけですが、出張でその日初めて日本に来たという初対面の中国人の方がパニックになっていたので話し相手になること3時間経過。
いつも会社でやっているBCP避難訓練とおりに社用携帯で状況報告するも音沙汰なし・・・
夜になり自力で帰社するも、サーバーがダウンしたか何かで私含め帰社していない者の足取りはつかめなくなっているとのことでした。いざというときに役に立たないものですね(汗)
その日無理やり自宅に帰るも今度は電車が復旧せず、出社することができない日がありました。
それを社長に怒られ、余震収まるまで1ヶ月近く会社所有の築何十年も経った独身寮に住むことになりました。
結局スーパーに行っても残っているのは大根とカブだったのでみそ汁と浅漬けを作る毎日でした。
独身寮には年上の先輩が1人前々から住んでいたので、時々食事を作っては部屋に運んだりしていました。
一番きつかったのは古い家なので揺れを大きく感じるのと、冬なのに浴槽が使えず、部屋も北向きで窓から隙間風がどんどん入ってくるところでした。
そのため布団の中に持参した寝袋を入れて体を包んでいましたが、これは結構暖かくて効果的でした。
時々会社で社長に「どうだ快適な家だろう?」とニッコリして言われるのですが、住み心地最悪に決まっているだろと内心思っていました。ただ贅沢は言ってられないなと思っていました。
震災後2ヶ月して、会社の関係団体が福島にあるということで、寄付金を渡すのと視察で松島と石巻をまわったのを覚えています。
松島は沿岸の木製の柵などが流されて水とともに周辺の店を壊しており、石巻も連日報道されていたような市街地が瓦礫になっており、バス市街地を移動中も腐敗臭がすごいので窓を開けないでくださいとガイドから言われるくらいでした。
泊まった宿も余震がひどく、独身寮に帰っても余震に悩む日が続きました。
今も熊本だけでなく、北海道も地震があるなどどこで起きてもおかしくない状況ですが、普段からの備えを怠らないようにしてください。
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