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2015年06月26日
金剛界 供養会 尊像パーツ貼り
金剛界 供養会 尊像パーツ貼り
供養会の尊像パーツ描きが終わったので、下絵製図に続いてパーツ貼りをします。
下絵製図は今月の初め(2015/06/01の記事参照)に作ってあります。
尊像パーツの貼りつけ方などについては三昧耶会の時と基本的に同じですし、尊像パーツの記事をまとめている間に紋様などは下絵製図に書き入れててあります(2015/05/25の記事参照)。
というわけで、尊像パーツを切ったり貼ったりしてできたのがコレ
というわけで今日はここまで。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
2015年06月25日
金剛界 供養会 尊像パーツ描き18(金剛輪7)
金剛輪の尊像パーツ描き7
今回は供養会の金剛輪諸尊で最後となるC 内四供養菩薩(桃色番号:26〜29)です。
金剛界曼荼羅は上が西で、東南(26)から時計回り。
供養会 金剛輪 内四供養菩薩
26)金剛嬉菩薩
三昧耶会では曲がった三鈷杵によって嬉びを表現するが、供養会では曲がることなどを特に指定していない。意味合いからすれば曲がった三鈷杵を蓮上に載せても良いと思うのだが。
金剛嬉は梵名のヴァジュラ・ラースヤーの意訳。毘盧遮那如来が遊戯・愛楽の嬉びをもって阿閦如来を供養するために出生した金剛輪東南の月輪に座す女尊。
遊戯・愛楽の嬉びをもって供養することを象徴する三鈷杵を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
27)金剛鬘菩薩
あまり女尊らしく見えない。
金剛鬘は梵名のヴァジュラ・マーラーの意訳。毘盧遮那如来が華鬘・宝鬘をもって宝生如来を荘厳し供養するために出生した金剛輪南西の月輪に座す女尊。
宝鬘をもって供養することを象徴する宝鬘を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
28)金剛歌菩薩
ここに描かれている内四供養の四菩薩は着衣、光背色、蓮華座の配色が全て同じ。
金剛歌は梵名のヴァジュラ・ギーターの意訳。毘盧遮那如来が歌詠・偈頌をもって阿弥陀如来を供養するために出生した金剛輪南西の月輪に座す女尊。
妙音歌詠をもって供養することを象徴する金剛箜篌を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
29)金剛舞菩薩
絵の具の剥離が多く、尊格の詳細が比較的掴みにくい。
金剛舞は梵名のヴァジュラ・ヌリトヤーの意訳。毘盧遮那如来が舞踊・技芸をもって不空成就如来を供養するために出生した金剛輪西北の月輪に座す女尊。
精進をもって供養することを象徴する十二鈷杵を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
内の四供養菩薩は毘盧遮那如来が四方如来を供養するためにそれぞれ、
阿閦如来の瞋恚の炎を滅した徳を嬉びで供養し
宝生如来の一切財宝の施しの徳を宝鬘で供養し
阿弥陀如来の極楽不死の徳を歌詠偈頌で供養し
不空成就如来の精進・済度の徳を舞踊で供養している。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
2015年06月24日
金剛界 供養会 尊像パーツ描き17(金剛輪6)
金剛輪の尊像パーツ描き6
今回はB 十六大菩薩のうちの北方の不空成就如来の四親近菩薩(水色番号:22〜25)です。
金剛界曼荼羅は上が西です。
供養会 金剛輪 北方四親近菩薩
22)金剛業菩薩
一部不明瞭なところもあるが全体の雰囲気はよく保存されている。
金剛業は梵名のヴァジュラ・カルマの意訳。不空成就如来の南方の月輪に住し、諸仏を供養し衆生を済度する働きを誓願する菩薩。
如来のはたらきの象徴である羯磨杵を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
23)金剛護菩薩
色、かたちともよく保存されている。
金剛護は梵名のヴァジュラ・ラクシャの意訳。不空成就如来の西方の月輪に住し、衆生を守護する働きを誓願する菩薩。
守護・救護の象徴である甲冑三鈷杵を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
24)金剛牙菩薩
絵の具の剥離がひどく表情などほとんど不明。
金剛牙は梵名のヴァジュラ・ヤクシャからの意訳。不空成就如来の東方の月輪に住し、あらゆる障害を食い尽くし衆生を救済する働きを誓願する菩薩。
守護・救済の象徴である金剛牙(二つの半三鈷杵)を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
25)金剛拳菩薩
『密教大辞典』によると、金剛拳菩薩は供養會での身色についての記述はなく、「成身會の尊は、身色く」とあるので、供養会でも色とするのだろうと判断するが、金剛牙菩薩の項目では供養會の項目に身色についての記述はなく、「成身會の尊は身色黄白色」とあるにも関わらず上の「24)金剛牙菩薩」では身色は青色である。
なにか身色についての基準を示す儀軌があるのかもしれない。
金剛拳は梵名のヴァジュラ・サンディの意訳。不空成就如来の北方の月輪に住し、衆生を修行の成就へと導く働きを誓願する菩薩。
修行成就の象徴である二手金剛拳を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
以上、不空成就如来の四親近菩薩は、金剛業菩薩の位で諸仏供養、衆生済度し、金剛護菩薩の位で衆生守護・救護し、金剛牙菩薩の位で衆生へのあらゆる障害を滅し、金剛拳菩薩の位で衆生の修行が成就へと導くことを表している。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
2015年06月23日
本紹介 No. 023『ブッダの生涯』
『ブッダの生涯』』
前回、前々回の本紹介に引き続き釈尊の生涯を追っています。
これまでの二冊は創作された「仏伝」を極力排除し、歴史的人物としての釈尊に光を当てることを目的としていましたが、仏教や密教の理解のためには釈尊の伝説的側面も重要と思います。
また、前二冊は図がなく、釈尊の生涯を理解するためのヴィジュアル面での補助がなかった。今回はその意味でもカラー図の多い本を選びました。
ジャン・ボワスリエ 著 木村清孝 監修
『ブッダの生涯』(創元社 1995)
創元社の知の再発見叢書シリーズはカラー図版が楽しい。
構成
B6変形判、カラー132ページ、モノクロ78ページ
構成は以下の通り。
第1章 ブッダの時代
第2章 菩薩 ー ブッダの前身 ー
第3章 悟りとはじめての説法
第4章 布教と遍歴
第5章 入滅
第6章 ブッダ入滅後の布教
資料篇 ブッダ・その過去と現在
1 仏典の基礎知識
2 「尊い真理」ー ブッダのことばから
3 経典に見るブッダ像
4 中国からの巡礼たち
5 ブッダの顔だちと姿
6 原始仏教からマハーヤーナ(大乗)へ
7 アジアにおける仏教の広がり
8 仏教と西洋
9 ダライ・ラマへのインタビュー
用語解説
略年表
INDEX
出典(図版)
参考文献
第1章〜第6章がカラー、資料篇以下がモノクロページ。
内容
本書は南方所伝の仏伝文学と西洋近代仏教研究の成果に基づいて、釈尊の生涯を多数の美しく貴重な資料とともに短くまとめたものです。
ただし、日本を含む東アジア仏教圏の北伝大乗仏教の資料は活用されていません。
筆者は「ブッダの歴史的生涯は、伝説と切り離すことができず、奇跡と史実、聖と俗、天上界と地上界とが渾然としている。」としており、本書は前二冊と異なり伝説的仏伝よりの釈尊伝ということになります。
ジャータカはもとより、釈尊の誕生、最初の7歩、四門出遊、降魔成道、竜王ムチリンダの守護、シラーヴァスティーの大いなる魔法、33神の天からの降下など様々な奇跡が題材に挙げられています。
伝説的仏伝を排した前二冊の『釈尊の生涯』と比べると、本書の壮麗な仏伝文学は釈尊の教えの本質を見えにくくしているように思う。
そう思うと、シンプルな原始仏教に慣れてから徐々に発展した仏教の教義へと進んだ方が理解しやすいかもしれない。
また、本書は仏伝のダイジェスト版であり、仏伝的表現の全体を簡便に理解するには適しているが、その詳細に不明な点が多く、さらなる理解が必要となる。
経典の多さもそうだが、本書にみられる多数の仏教美術によってもひとびとの仏教に対する強い思いを感じずにはいられない。
曼荼羅作画とのかかわり
釈尊の生涯を理解しようと思った理由の一つである密教像の印契の意味と由来については、「資料篇5 ブッダの顔だちと姿」のなかに、種々の伝統的な印相として禅定印、与願印、施無畏印、転法輪印などについての説明を見出すことができた。
本書は釈尊の仏伝文学的理解の入り口として良書であるが、それ以上に多数の美しい仏教美術に惹かれる。
その中でも、p63の「マーラの来襲」(敦煌, 10世紀)の絵画やp96の「神々を教え導くブッダ」(バールフト, 紀元前2世紀)の彫刻などは曼荼羅的表現を彷彿とさせる。
本書により両界曼荼羅に限らず世界の仏教美術全体への理解を深めたいと感じました。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
2015年06月22日
金剛界 供養会 尊像パーツ描き16(金剛輪5)
金剛輪の尊像パーツ描き5
金剛界供養会の金剛輪内の尊像パーツ描き中です。
今回はB 十六大菩薩のうちの西方に位置する阿弥陀如来の四親近菩薩(水色番号:18〜21)です。
金剛界曼荼羅は上が西です。
供養会 金剛輪 西方四親近菩薩
18)金剛法菩薩
尊像の配色の保存性が高い。
金剛法は梵名のヴァジュラ・ダルマの意訳。観自在菩薩、観世音菩薩ともいい、阿弥陀如来の東方の月輪に住し衆生に法の清浄なるを覚らせる働きを誓願する菩薩。
堅固清浄なる菩提心の象徴である蓮華独鈷杵を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
19)金剛利菩薩
少々剥離しており顔の表情などが分かりにくい。
金剛利は梵名のヴァジュラ・ティークシュナ(鋭利な剣)の意訳。文殊菩薩ともいい、阿弥陀如来の南方の月輪に住し仏智により衆生の苦を断ち切る働きを誓願する菩薩。
堅固清浄なる菩提心の象徴である金剛剣を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
20)金剛因菩薩
ここまで、捧げ持つ蓮華座は全て右腕側に向けている。手にする蓮華座の向きには特にいみがないのかもしれない。
金剛因は梵名のヴァジュラ・ヘートゥの意訳。弥勒菩薩ともいい、阿弥陀如来の北方の月輪に住し、堅固な菩提心を因とし法輪を転ずる働きを誓願する菩薩。
釈尊が説法を開始する初転法輪の象徴である八輻輪を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
21)金剛語菩薩
金剛舌は赤く染められていると思うので、蓮華上の金剛舌の色や形がもう少し残っていても良いとおもうのだが・・・
金剛語は梵名のヴァジュラ・ヴァーシャの意訳。阿弥陀如来の西方の月輪に住し、真言により衆生の正法を示す働きを誓願する菩薩。
如来の説法の象徴である金剛舌を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
以上、阿弥陀如来の四親近菩薩は、金剛法菩薩の位で衆生に法の清浄なるを覚らせ、金剛利菩薩の位で智慧で衆生の苦を断ち切り、金剛因菩薩の位で衆生への説法へと立ち上がり、金剛語菩薩の位で説法により衆生に正法を示すことを表している。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
2015年06月21日
金剛界 供養会 尊像パーツ描き15(金剛輪4)
金剛輪の尊像パーツ描き4
今回はB 十六大菩薩のうちの南方に位置する宝生如来の四親近菩薩(水色番号:14〜17)です。
各尊の位置と順番については/2015/05/15の記事を参照のこと
供養会 金剛輪 南方四親近菩薩
14)金剛宝菩薩
西院本曼荼羅の尊像図でも蓮華上の宝珠が比較的よく保存されている。
金剛宝は梵名のヴァジュラ・ラトナの意訳。宝生如来の北方の月輪に住し一切の衆生にあらゆる功徳を施与する働きを誓願する菩薩。
無限の財宝の象徴である三瓣宝珠を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
15)金剛光菩薩
尊像はよく保存されているが、蓮華上の三昧耶形は不明瞭。
金剛光は梵名のヴァジュラ・テージャの意訳。宝生如来の東方の月輪に住し、一切世界を照らし衆生の迷妄の闇を破ることを誓願する菩薩。
無限の輝きを象徴である日輪を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
16)金剛幢菩薩
全体的に暗い色彩のせいか細部が不明瞭。蓮華上の三昧耶形も同じく不明瞭。
金剛幢は梵名のヴァジュラ・ケートゥの意訳。宝生如来の西方の月輪に住し、一切世界の衆生のあらゆる願いを円満せしめることを誓願する菩薩。
一切与願の象徴である如意幢幡(旗頭に三瓣宝珠を載せた旗)を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
17)金剛笑菩薩
尊像の墨線は比較的よく保存されているが、配色が暗色形のため細部は不明瞭。
金剛笑は梵名のヴァジュラ・ハーサの意訳。宝生如来の南方の月輪に住し、よく衆生済度したことを嬉び微笑む菩薩。
衆生済度成就の嬉びを象徴する笑杵(三鈷杵の上に微笑みの口もと)を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
以上、宝生如来の四親近菩薩は、金剛宝菩薩の位で衆生に厚く施与し、金剛光菩薩の位で衆生の迷妄の闇を破り、金剛幢菩薩の位で衆生のあらゆる願いを円満せしめ、金剛笑菩薩の位でよく衆生済度したことを嬉び微笑む流れを表しているのだと思う。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
2015年06月20日
金剛界 供養会 尊像パーツ描き14(金剛輪3)
金剛輪の尊像パーツ描き3
金剛界供養会の金剛輪内の尊像パーツ描きをしています。
今回はB 十六大菩薩のうちの東方に位置する阿閦如来の四親近菩薩(水色番号:10〜13)。
各尊の位置と順番については/2015/05/15の記事を参照のこと
供養会 金剛輪 東方四親近菩薩
10)金剛薩捶(こんごうさった)
まず、参考にしている西院本曼荼羅では蓮上の三昧耶形がはっきりしません。三昧耶会での金剛薩埵の三昧耶形は五鈷金剛杵ですが、供養会で金剛薩埵の持つ蓮華上の三昧耶形は『密教大辞典』には「花上に金剛杵を立つ。」とあり、密教辞典では「蓮上に独鈷所を茎とした未敷蓮華を載せる。」となっています。御室版曼荼羅では「独鈷所を茎とした未敷蓮華」に近い三昧耶形が描かれていますので、ここでは独鈷杵を茎とする未敷蓮華を金剛薩埵の持つ三昧耶形とします。
金剛薩捶は梵名をヴァジュラ・サットヴァといい、金剛(ヴァジュラ)が意訳で薩捶(サットヴァ)が音訳。薩捶は衆生の意で金剛薩捶は衆生の代表であり、毘盧遮那如来の教えを衆生に伝える菩薩の代表。阿閦如来の西方の月輪に住す本有菩提心の象徴。
本有菩提心を象徴する独鈷杵を茎とする未敷蓮華を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
11)金剛王菩薩
こちらも蓮華上の三昧耶形ははっきりしません。
金剛王は梵名のヴァジュラ・ラージャの意訳。阿閦如来の北方の月輪に住し衆生をを引き寄せ仏道に向かわせる働きを誓願する菩薩。
如来と衆生を行に引き寄せる象徴である双立金剛鉤を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
12)金剛愛菩薩
三昧耶形のみが不明瞭になっているのは、もしかしたら三昧耶形は金箔貼りに描かれており、剥離しやすかったのかもしれないと思ったりします。
金剛愛は梵名のヴァジュラ・ラーガの意訳。愛染明王と同体とされ、阿閦如来の南方の月輪に住し、衆生に菩提心への愛着をもたせる働きを誓願する菩薩。
愛のごとき菩提心の象徴である双立三鈷杵を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
13)金剛喜菩薩
三昧耶会では金剛喜菩薩の三昧耶形は弾指する二手を並べる形でしたが、供養会では宝珠を載せた蓮華を捧げ持っています。
金剛喜は梵名のヴァジュラ・サードゥの意訳。サードゥは「よきかな」の意。阿閦如来の東方の月輪に住し、衆生衆生の迷妄を除去し歓喜せしめる働きを誓願する菩薩。
純粋無垢にして永遠のいのちの象徴である宝珠を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
以上、阿閦如来の四親近菩薩は、金剛薩埵の位で衆生に菩提心を発せしめ、金剛王菩薩の位で衆生を引き寄せ、金剛愛菩薩の位で衆生に菩提心への愛着をもたせ、金剛喜菩薩の位で衆生を歓喜せしめる流れを示している。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
2015年06月19日
本紹介 No. 022 中村 元 著『釈尊の生涯』
中村 元 著『釈尊の生涯』
前回の本紹介は水野弘元 著『釈尊の生涯』でした。
釈尊の生涯を多角的に捉えるためにほかの方の釈尊の生涯に関する著作を読みたいと思い、次にこの本を選びました。
中村 元 著『釈尊の生涯』(平凡社 2003)
タイトルが一緒。
構成
文庫本よりすこし大きめ(16 x 11 cm)、244ページ、図はない
構成は以下の通り。
序
問題の所在
第一章 誕生
第二章 若き日
第三章 求道
第四章 真理を悟る
第五章 真理を説く
第六章 有力信徒の帰依
第七章 晩年
解説 <道の人>としてのゴータマと中村先生 玄侑宗久
シンプル
内容
仏伝でも仏伝研究でもない。神話的要素や後世の付加をできるだけ排除して、歴史的人物としての釈尊を可能なかぎり事実に近いすがたで示そうと努めている。
本書ではパーリ語や漢訳の原始仏典だけでなく、梵語やチベット蔵経を含めた文献比較研究に加え、インド学やインド思想史上の検討、考古学的資料および実施踏査にもとづく風土的考察検討も行っているらしい。
厳密な文献学的研究により仏伝および仏教教義に対する純粋批判的な態度により、より始原的な釈尊の教えを抜きだそうとしている。
文章は大変読みやすく、理解しやすい。また、釈尊の生涯を釈尊のことばで語ることを基本としており、珠玉の名句が並ぶ。ただし、その出典がほとんど不明であるのは残念。
二つの『釈尊の生涯』から見えてくる釈尊の教えの成立は次の三つを基盤にしているように思う。
(1)新興王権勢力や貨幣経済の台頭
(2)形式化された因習や堕落したバラモンやへの不満
(3)同時期に発生した新興宗教の教義・思想への不満
これは、社会勢力の変化が伝統的社会基盤であるバラモンへの不満を増大させ、新しい宗教の到来を促したことを示す。
そのため、釈尊の教えは
(2)当時の因習を離れ、
(3)他の新興宗教の教義の不備を打破することで集団改宗を促し、
(1)王の帰依による国レベルでの帰化を可能にし、大教団を支持する経済的基盤を獲得した。
そもそもバラモンや新興宗教の教義に満足できたなら、釈尊は新しい教えを見出す必要はなく、王権や商人も釈尊を支持することもなかったかと思う。
このことから釈尊の教えは因習的バラモンへのアンチテーゼとして確立されており、開かれ、自由で、形式化された教義に囚われることがない。
釈尊は自然の摂理をありのままに見、すべては苦であると感じ、苦の連鎖を断ち切る術を確立した。それは新たな教えを渇望するものには誰にでも可能であり、個々に異なる苦へ対応するための基本的な実践的システムとして成立している。
一方で、対機説法といわれる釈尊の教えは個々人を教義に合わせるのではなく、各個人の苦を除くための実践的方法を教え、導いた。これら個々人への教えがのちに教義へと結実したものと考えられる。
本書には出典や参考文献が載っていないので参考資料としては使いにくく、さらに深く進むことが難しい。釈尊を理解するためには原始仏典に順にあたるしかないのかもしれない。
また、本書は水野弘元氏の『釈尊の生涯』とは必ずしも重ならない内容も多い。何を取捨選択して釈尊の生涯を浮かび上がらせるかは著者に依存しており、さらに他の釈尊伝に目を通す必要があると感じた。
曼荼羅作画とのかかわり
「私は身の行い・口の行い・心の行い・生活が完全に清まっている。」と釈尊が語ったとあり、このことは密教修行の身口意につながる思いがする。
原始仏教と密教ではその成立時期も社会的基盤も思想的背景も異なるものと考えられるが、それにもかかわらず、密教の世界観が『釈尊の生涯』から部分的にでも見出されうるのは、密教が釈尊の起こした仏教の流れの中に確固として位置していることをあらためて感じた。
一方で、密教は原始仏教の思想的発展のみによって形作られたのではなく、密教を形成した他の思想的基盤をさらに理解する必要性も同様に感じた。
話は変わるけど、本書の表紙の絵がうつくしい。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
2015年06月18日
金剛界 供養会 尊像パーツ描き13(金剛輪2)
金剛輪の尊像パーツ描き2
引き続き、供養会金剛輪内の尊像パーツ描きをしています。
今回はA 四波羅蜜菩薩(黄番号:6〜9)です。
順番は東南西北の時計回りで、金剛界曼荼羅は上が西。
供養会 金剛輪 四波羅蜜菩薩
6)金剛波羅蜜菩薩
四波羅蜜菩薩は女尊形で羯磨衣を着ている。顔が判別できないのは痛々しい。
金剛波羅蜜菩薩は阿閦如来が毘盧遮那如来を供養するために出現させた女尊。
金剛波羅蜜は梵名のヴァジュラ・パーラミターから。波羅蜜(パーラミター)は「最高に至る」「彼岸に至る」「悟りを開く」などと解される。よって、金剛波羅蜜は「堅固な菩提心により悟りに至る」の意。
堅固な菩提心の象徴である五鈷杵を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
中央解脱輪の東方月輪に住す。
7)宝波羅蜜菩薩
四波羅蜜菩薩の捧げ持つ蓮華上の三昧耶形は火炎が明瞭に見えたので描き入れている。
宝波羅蜜菩薩は宝生如来が毘盧遮那如来を供養するために出現させた女尊。宝波羅蜜は梵名のラトナ・パーラミターより「財宝により悟りに至る」の意。
無尽蔵の財宝の象徴である三瓣宝珠を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
中央解脱輪の南方月輪に住す。
8)法波羅蜜菩薩
四波羅蜜菩薩を順に見てくると羯磨衣の配色が思ったより複雑なことに気がつく。この配色に明確なルールはあるのだろうか?
法波羅蜜菩薩は阿弥陀如来が毘盧遮那如来を供養するために出現させた女尊。法波羅蜜は梵名のダルマ・パーラミターより「法により悟りに至る」の意。
実相の法の象徴である独鈷杵を茎とする開敷蓮華を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
中央解脱輪の西方月輪に住す。
9)業波羅蜜菩薩
全体的に群青色のつよい尊像で顔など細部がはっきりしない。
業波羅蜜菩薩は不空成就如来が毘盧遮那如来を供養するために出現させた女尊。業波羅蜜は梵名のカルマ・パーラミターより「行いにより悟りに至る」の意。
衆生の三業と仏の三密の象徴である羯磨杵を載せた蓮華を両手で捧げ持つ。
中央解脱輪の北方月輪に住す。
以上、四波羅蜜菩薩の尊像パーツ描きでした。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
2015年06月17日
金剛界 供養会 尊像パーツ描き12(金剛輪1)
金剛輪の尊像パーツ描き1
金剛界 供養会の金剛輪の尊像パーツ描きを始めます。
今回は@ 五仏(白番号:1〜5)です。
供養会 金剛輪 五仏
1)毘盧遮那如来
毘盧遮那如来というと条帛偏袒右肩で宝冠と装飾品を身につけた菩薩形のイメージでしたが、ここでは宝冠と装飾品を身につけ、如来の衣服である衲衣(大衣)とよばれる全身を覆う一枚布を身につけています。これは、毘盧遮那如来が「菩薩形」なのではなく、如来と菩薩の両方の性質を兼ね揃えた尊格であると理解することで、如来形と菩薩形のどちらの様相を示しても良いと理解することができます。
毘盧遮那如来は梵名のヴァイローチャナの音訳で「遍く照らす」の意。
五智如来の中心、世界の中心にあり、法界体性智(法と如来の智慧そのもの)を体現する。
両手で智拳印を結ぶ。
供養される側なので三昧耶形を載せた蓮華を持たない(如来は以下同様)。
2)阿閦如来
ここで阿閦如来は宝飾品などを身につけない衲衣の偏袒右肩。偏袒右肩は毘盧遮那如来への敬意を表している。
阿閦如来は梵名のアクショーブヤの音訳で「瞋りに心を動かさないもの」の意。
東方解脱輪中央の月輪に住し、大円鏡智(すべてをありのままに映す鏡のごとき如来の智慧)を体現する。
右手は触地印を結ぶ。触地印は釈尊が降魔成道の際に悪魔の攻撃を退けた印。開悟の象徴。触地印は悟りを開き、瞋りに心を動かさないもの(阿閦如来)となったことを象徴するか。
3)宝生如来
宝生如来の額の白毫はわかりにくいがあるはず。
宝生如来は梵名のラトナサムバヴァの意訳「財宝を生み出すもの」より。
南方解脱輪中央の月輪に住し、平等性智(すべてのものが差別なく平等であるとする如来の智慧)を体現する。
右手は施願印を結ぶ。施願印は与願印ともいい、衆生の願いに応じ、施しを与える印相。施願印は宝生如来の福徳を衆生に降り注ぐ働きを象徴するか。
4)阿弥陀如来
定印にはいくつかのタイプがあり、ここで阿弥陀如来が結ぶのは弥陀定印。細部まで判別可能な形で残っていることをありがたく思う。
阿弥陀如来は梵名のアミターユスの音訳で「永遠のいのち(光)」の意。無量寿如来、無量光如来ともいう。
西方解脱輪中央の月輪に住し、妙観察智(すべてを見通し明らかにする如来の智慧)を体現する。
両手で弥陀定印を結ぶ。弥陀定印は禅定(瞑想)の象徴。釈尊が定印を結び禅定をおこなって開悟し、永遠の命を得たとすることから阿弥陀如来の印相とするか。ただし、弥陀定印は定印の中でも阿弥陀如来に特有の禅定印。
5)不空成就如来
阿閦、宝生、不空成就如来は左手を金剛拳にしてお腹の前に置いている。ここで金剛拳は金剛の智慧の象徴。
不空成就は梵名のモーガシッディの意訳「必ず(空しくなく)成就する」より。
北方解脱輪中央の月輪に住し、成所作智(すべて正しく感じ、真実の行いをなす如来の智慧)を体現する。
右手で施無畏印を結ぶ。施無畏印は相手の畏れをなくす施無畏の功徳を示す印相。不空成就の必ず願いがかなう、必ず成就することから畏れなくとも良いことを示す施無畏印を結ぶか。
以上、供養会五智如来でした。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ