2019年08月12日
御巣鷹に響く鐘の音
日航ジャンボ機墜落事故から34年
昭和六十年(1985年)8月12日、羽田空港発伊丹空港行のJAL123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故から今日で34年が経ちました。
この事故は、乗客乗員524名中520名が死亡するという、単独の旅客機事故としては世界史上最悪の死者数を出してしまった大変悼ましい事故です。
僕はこの事故が起こった時のことをよく覚えています。
当時、高校の柔道部だった僕は、この前日まで柔道部の合宿で長野県に行ってました。
へとへとになって帰宅し、翌日は夕方近くまで寝ていたのですが、夜の7時過ぎから各テレビ局で「日航機の消息が不明」というニュース速報が入り、時間が経つにつれて騒ぎが大きくなり、家族とテレビを見ながら「昨日の帰りにバスでこの近くを通ったんだよ!」と話していた記憶があるのです。
今回はこの日航機事故について語りたいと思います。
事故の経過と原因
昭和六十年(1985年)8月12日
この日は夏休みのお盆帰省ラッシュで、最終便一本前の当機はほぼ満席状態でした。
18:04 出発
羽田発伊丹行JAL123便は乗客乗員524名を乗せ、定刻より4分遅れで羽田空港を出発、18:12に離陸
18:24 緊急事態発生
相模湾上空を飛行中、突然の衝撃音とともに垂直尾翼が破損し落下する。直後、操縦に必要な油圧システムに重大な損傷が発生し、操舵が不可能になる
18:40 左右に旋回
機長は軟着陸を試みるため、ランディングギア(着陸する時の装置)を降ろすが、山梨県や埼玉県の上空を左右に旋回しながら群馬県の山中へ進んでゆく
18:56 墜落
乗組員の必死の努力も虚しく、機長の「あー、だめだ!」の声を最後に、JAL123便は群馬県上野村御巣鷹山山中に墜落した
運輸省航空事故調査委員会の報告によると、
1.事故機は後部の圧力隔壁が損傷し、大量の空気が機体後部に流れ込んだため垂直尾翼が破損した
2.圧力隔壁が損傷した原因は、接続部の金属疲労による亀裂が生じたため
3.この亀裂が起こった原因は、ボーイング社(アメリカ)が行なった同機の修理が不完全だったため
などが主な墜落の原因とされています。
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不可解に残る謎
しかし、この墜落事故にはいくつかの不可解な謎が残されています。
1.墜落から救助活動に至るまで10時間以上も掛かっていること
2.事故現場の機体の損傷や炎上があまりに激し過ぎたこと
このような理由から様々な憶測や説を唱える人もいますが・・・・真相は不明です。
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明石家さんまも搭乗予定だった!
この事故で亡くなった520名の中には著名人も含まれていました。
『上を向いて歩こう』をはじめ様々なヒット曲を生んだ歌手の坂本 九さんや、阪神タイガースの球団社長だった中埜 肇(なかの はじむ)さんなどです。
逆に、当初この便に乗る予定だったが、直前にキャンセルしたことで助かった著名人もいます。
もっとも有名なのが明石家さんまさんです。
さんまさんはこの日の夜、大阪のラジオ番組に出演するためこのJAL123便に搭乗予定でしたが、『オレたちひょうきん族』の収録が予定より早く終わったため、一本前の全日空機で大阪へ向かったのだそうです。
その他にも搭乗予定でキャンセルした著名人は意外に多く、笑点メンバー(五代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家木久蔵、林家こん平、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎、山田隆夫 敬称略)、ジャニー喜多川さん、稲川淳二さん、逸見政孝さんなどです。
この事故の後、阪神球団社長が犠牲になったことを受け、ほとんどのプロ野球球団は日本航空との契約を打ち切り全日空に切り替え、さんまさんは東京−大阪の移動は極力、新幹線を使うようになったそうです。
まとめ
- 日航ジャンボ機墜落事故は乗客乗員520名が死亡した世界航空史上最悪の旅客機事故
- 垂直尾翼落下による操縦不能が墜落原因とされているが事故現場の状況が様々な憶測を呼んでいる
- この事故で亡くなった有名人は坂本九さん、搭乗回避して助かったのは明石家さんまさんなど
近い将来、リニア新幹線の登場などで、鉄道と旅客機の顧客獲得競争がますます激しくなるでしょうが、毎年8月12日には”空の安全”について考えなければなりませんね。
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