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2020年03月27日

なぜ日本は国際連盟を脱退したのか?

国際連盟脱退に至った背景

一昨日、小池都知事が「今週末の外出自粛要請」をした影響により、各地で“買いだめ”が横行しています。

週末に外出しない、いわゆる“巣籠り”のために普段より食糧を買い込んでいるのでしょうが・・・どう考えても(そこまで必要か?)と思われるほど大量に買い物をしている人が多いですよね?

昨夕、買い物に出掛けると、いつものスーパーには普段の倍以上お客さんが入っていて、食品棚は品切れが目立ち、レジ前には長蛇の列ができていました。

僕は普段通り必要な分だけの買い物をしたかったのですが、それがほとんど手に入らず困りました。

少し前のトイレットペーパーの時もそうだったのですが、人は「これが不足するかもしれない」という情報が出回るとアッという間に反応し、それを見聞きした人がさらに追随するという群集心理が働いてしまいます。

店側の方も言ってますが、決して物流が滞っているわけではないので、食糧品は十分に供給されています

だから、週末家にいるとしても普段通りの買い物をして、足りなくなったら必要な分だけ買いに行く、皆がこういう当たり前の行動をしていれば、誰も品不足で困ることにはならないのです。

お年寄りなどの生活弱者の方には深刻な問題となってしまうので、買いだめ行為は本当にやめて欲しいです。


さて、今日3月27日は日本が国際連盟を脱退した日です。(昭和八年 1933年)

国際連盟とは、1920年にアメリカ大統領・ウィルソンの提唱により、国際平和を目的として設立された国際機関であり、現在の国際連合の前身です。

日本は国際連盟の発足当初から常任理事国になったことで、国際的地位も向上しました。

しかしその頃、中国国内では民族運動の高揚により、南満州鉄道などを含む満州(中国の東北部)における日本の既得権益を中国に取り戻そうとする動きがありました。

日本軍はこの中国側の動きに危機感を抱き、武力によって満州の日本権益を死守しようと考えていました。

そのため、日本軍にとっては国際連盟の平和的ルールが足かせになっていたのです。

というわけで、今回は日本が国際連盟脱退に至った流れについて語りたいと思います。

暴走する関東軍

昭和六年(1931年)9月18日、中国・奉天郊外の柳条湖において南満州鉄道の線路が爆破される事件が起こりました。(柳条湖事件)

これは、満州侵攻の突破口を開くために関東軍(満州の権益保護のために駐留した陸軍部隊)が仕組んだ陰謀だったのです。

関東軍はこの事件を「線路爆破は中国軍の仕業だ」と偽り、権益保護の自衛を口実に軍事行動を開始しました。

この事件をきっかけに始まった軍事行動を満州事変といい、昭和二十年(1945年)の終戦まで続く十五年戦争の発端となったのです。

当時の第二次若槻礼次郎内閣は戦線の不拡大方針を表明しましたが、関東軍はこれを無視して侵攻を続け、戦線を拡大していきました。

この関東軍の暴走を止められなかった若槻内閣は総辞職します。

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傀儡国家の誕生

昭和七年(1932年)3月、関東軍は中国から満州の分離独立を画策し、満州国を建国しました。

満州国は清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)を執政として擁立しましたが、実質的には関東軍や日本の官僚が完全支配する日本の傀儡(かいらい=あやつり人形)国家でした。

しかし、若槻内閣の後に組閣した犬養毅内閣はこの満州国を承認しませんでした。

そのため、これを不服とした海軍将校などにより犬飼首相は暗殺されてしまいます。(五・一五事件)

五・一五事件によって政党内閣が軍部に倒されたことにより、それまでの政党政治が崩壊する結果となりました。(5月15日付ブログ参照

同年9月、犬飼内閣の次に組閣した海軍出身の斎藤実内閣は満州国との間に日満議定書を取り交わして満州国を承認しました。

「他所では困難な悪質ヤミ金にも対応!!」
国際的孤立への道

一方、中国は満州事変以来の日本の軍事行動が、不戦条約などに違反する侵略行為だとして国際連盟に提訴していました。

このため連盟はイギリスのリットン調査団を中国に派遣し、1932年2〜9月まで現地を調査させます。

同年10月、調査団による現地調査の結果をまとめたリットン報告書が連盟に提出されました。

調査の結果、

満州事変は日本の自衛行動ではなく侵略行為であり、満州国も満州人による自発的独立ではなく、日本軍が満州における既得権益拡大のため勝手に建国したもの

という事実が明らかになりました。

連盟はこの報告書の内容を受けて翌年2月に国連総会を開き、満州国建国の否認と日本軍の満州からの撤退を審議します。

審議の結果、賛成42 対 反対1(日本のみ)となり、この決議は可決されます。

しかし、日本の全権大使であった松岡洋右

「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」

と発言して、この総会を途中退場したのです。
国際連盟脱退.jpg
 国連総会の結果を伝える新聞記事

そして3月27日、日本は正式に国際連盟脱退を表明しました。

その後、日本はワシントン・ロンドンで締結された海軍軍縮条約の破棄を通告、軍事独立化を進めますが、同時に世界からの孤立も深めていきました。



まとめ

  • 関東軍は柳条湖事件をきっかけに満州事変を起こし、政府の不拡大方針を無視して満州に侵攻した

  • 関東軍は清朝最後の皇帝・溥儀を擁立して満州国を建国したが、犬養内閣が承認を拒んだため五・一五事件を起こして犬飼首相を暗殺した

  • リットン調査団の報告により日本の侵略行為が判明し、国連は日本の満州撤退を決議したが日本はこれを受け入れず国際連盟を脱退した


溥儀はフルネームを「愛新覚羅 溥儀」といい、1987年に公開された映画 『ラストエンペラー』の主人公として知られています。
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元高校教師。 以前に「日本史講座」のタイトルでツイッターをやってました。 ここでは(現代にも繫がる日本史)をテーマにエピソードを多数紹介し、肩肘張らず(ほー、なるほど)と思える話を語っていきたいと思います。
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