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2019年08月02日
花火大会はなぜ始まった?
夏の風物詩といえば・・・
長かった今年の梅雨もようやく明け、八月に入っていよいよ夏本番ですね。
夏といえば、海水浴、プール、お祭り、高校野球と楽しみは人それぞれですが、やっぱり夏に欠かせないのは花火大会です。
おそらく今週末あたりは全国各地で今夏もっとも多くの花火大会が開催されるのではないでしょうか。
そこで、今回は花火大会の歴史について語りたいと思います。
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隅田川花火大会のきっかけは悲しい歴史から
花火大会でもっとも有名なのが隅田川花火大会。
毎年100万人近い観客を集める日本一メジャーな花火大会といってもいいでしょう。
しかしこの隅田川花火大会、元々は華やかなお祭りではなく、災害による死者の慰霊と厄払いのために行われたものでした。
江戸幕府八代将軍・徳川吉宗の頃の享保十七年(1732年)、西日本でイナゴが大発生して深刻な飢饉となり(享保の大飢饉)、さらに江戸でも疫病(コレラ)が大流行したことにより、全国で甚大な死者が出てしまいました。
そこで、吉宗はこれら多数の犠牲者への鎮魂と今後の厄払いを兼ねて、翌年五月二十八日の隅田川の川開きの日に水神祭を両国橋付近で催し、この際に打ち上げ花火をしたのが起源といわれています。
(当時は7月ではなく5月だったのか・・・)と思う方もいると思いますが、前回のブログで述べたように、旧暦と新暦ではおよそ1ヶ月ほどのズレがありますので、享保十八年五月二十八日は新暦だと7月9日にあたるので、やはり夏に行われていたんですね。
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玉屋と鍵屋
昔から花火大会の掛け声といえば、た〜まや〜、あるいは、か〜ぎや〜と歓声を上げるのが有名ですね。(最近はあまり聞かない?)
この玉屋と鍵屋は江戸の二大花火師の屋号のことです。
元々は鍵屋が先で、この鍵屋から暖簾分けされたのが玉屋でした。
隅田川の花火大会では隅田川の上流を玉屋、下流を鍵屋が担当し、お互い競い合うさまを見て観客がそれぞれの屋号を叫んだのです。
しかし、玉屋は失火から江戸の町に大火事を出してしまい、江戸から追放され廃業してしまいました。
鍵屋の方は現在も健在で、今は十五代目が隅田川の花火大会を彩っているそうです。
まとめ
- 隅田川の花火大会は元々死者への追悼と厄除けのために行われた
- 「た〜まや〜」と「か〜ぎや〜」の掛け声は江戸二大花火師の屋号を叫んで応援したもの
- 玉屋は江戸時代に廃業してしまったが鍵屋は現在も続いている
もっとも盛んな今週末、花火大会に出掛けてみては?