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2020年04月06日

あの“名言”は創作 !? 板垣退助遭難事件

「自分は大丈夫」と考える人の勘違い

新型コロナウイルスの感染拡大が拡がる一方、ついに政府の緊急事態宣言が明日にも発令されることとなりました。

しかしこの期に及んでも、未だに「自分は大丈夫」と思っている危機意識の希薄な人がいるのには驚きます。

これはどうやら中高年の人に多いのですが、店に買い物に行くと、マスクもせず無雑作に品物を物色している人が少なくありません。

またそういう人に限って、レジでは必要以上に前の人に接近する。

こういう方々に声を大にして言いたい。

マスクは自分が感染しないためよりむしろ、周りの人に感染させないために着用するのです

すると、「じゃあ、自分は感染してないから心配ない」と考えるのでしょうが、それは単に自覚症状が出ていないだけで、本当はとっくに感染しているのかもしれないのです。

僕はこのブログで人を批判するようなことを書くつもりはありません。

ですが、世の中これだけ大変な事態になっているのに、まだ「自分には関係ない」と周囲の人に気遣いさえできない無神経な人には、正直怒りすら覚えます。

1.周囲に人がいる場所では必ずマスクを着用

2.周りの人とは常に一定の距離(できれば1.5〜2b以上)を保つ

外出しなければならない時は、この二つを徹底するだけで確実に感染リスクは抑えられるはずです。


さて、今日4月6日は板垣退助が暴漢に襲われた岐阜事件が起きた日です。(明治十五年 1882年)

板垣退助は明治時代の政治家で、幕末の戊辰戦争で活躍し、明治維新後は国会開設に尽力し自由民権運動の旗頭となった人物です。

明治十四年(1881年)日本初の政治政党・自由党を結成して党首となった板垣が遊説中に遭難した岐阜事件。

この事件で特筆すべきは、事件そのものより“ある名言”が世間に広く知れ渡ったことです。

というわけで、今回は岐阜事件で有名になった名言の真相について語りたいと思います。

事件の経緯

明治十五年(1882年)春、前年10月に自由党を結成し党首となった板垣退助は東海地方で精力的に遊説を行なっていました。

板垣は静岡、浜松、名古屋と西へ進み、4月6日に岐阜の神道中教院で演説を行ないました。

午後6時半、板垣が中教院での演説を終えて帰途に就こうとした時、突然「将来の国賊!」と叫びながら暴漢が襲ってきたのです。

暴漢は刃渡り27aの短刀を振りかざして襲い掛かり、揉み合いの末、板垣は刺傷を負ってしまいます。

そこへ板垣の秘書をしていた内藤魯一(ろいち)が暴漢を取り押さえ、犯人は現行犯逮捕されました。
岐阜事件.jpg
 岐阜事件の様子を描いたもの

犯人は相原尚褧(なおぶみ)という自由党を敵視していた小学校教員でした。

板垣は両胸や手など全身に7ヶ所の傷を負ったものの、幸いにも命に別状はありませんでした。

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“あの名言” で板垣は人気者に!

この事件の際に板垣が叫んだといわれるのが

「板垣死すとも自由は死せず」

という言葉です。

板垣は(たとえ自分が死んでも、我々が志す自由民権の精神は消えることはない)と唱えたのです。

この名言は4月11日付の大阪朝日新聞に初めて掲載されて一躍有名になりました。

自分の命が狙われた大事件にも関わらず、それでも民主主義を訴えた板垣にたちまち称賛の声は高まります。

板垣の評判があっという間に世間に広まったことで板垣人気は沸騰、板垣が演説会を開くと板垣見たさに多くの民衆が殺到したといわれています。

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実は創作 !? 名言の真相

しかし、人々に語り継がれているこの名言、実際に板垣が叫んだ言葉とは違うといわれています。

実はこの言葉を叫んだのは、暴漢を取り押さえた内藤魯一らしく、内藤の機転で板垣が叫んだことにしたというのが真相のようです。

あるいは、刺された直後に駆け寄ってきた党員たちに板垣が「自分が死んでも自由は亡びぬ」と言ったのを、後に党員が「暴漢に向かって叫んだ」と新聞記者に説明したという説もあります。

実際の板垣は、襲撃直後に土佐弁で「痛いがぁやき、早よう医者を」(痛い!早く医者を)と叫ぶのが精一杯だったそうです。

後に板垣自身も

「(襲撃時には)アッと思うばかりで声も出なかった」

と、回想しています。

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まとめ

  • 岐阜事件とは、自由党党首の板垣退助が遊説中に岐阜で暴漢に襲われた事件

  • 板垣は襲われた時「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだことが評判となり称賛された

  • しかし、この名言は自由党員や新聞記者による創作と考えられている


この名言がマスコミによって創り上げられたものと知り、僕は元近鉄・加藤哲郎氏の「巨人はロッテより弱い」発言を思い出しました。(笑)
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カナケン
元高校教師。 以前に「日本史講座」のタイトルでツイッターをやってました。 ここでは(現代にも繫がる日本史)をテーマにエピソードを多数紹介し、肩肘張らず(ほー、なるほど)と思える話を語っていきたいと思います。
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