2015年12月05日
親からみて、わがままでない聞き分けの良い子ちゃんは要注意!抑圧された心が生み出すもの(その2 )
⇒親からみて、わがままでない聞き分けの良い子ちゃんは要注意!抑圧された心が生み出すもの(その1)
からの続きです。
小学生になってからの私は、本当はもっといろいろと買って欲しいという物があるにもかかわらず、
端から母親に言えばダメと言われると諦めて、聞き分けの良い子を演じていました。
母親からすれば、あれがほしいこれがほしいと騒がないし、親を困らせるようなことは、
めったにしないので、細かくみていなくても安心な子という気持ちはあったと思います。
母親からすれば、私が良いこと言うより、母親にとって都合の良い子であったのでしょう。
最近、ふと思い出したのです。小学生低学年の時だと思いますが、その抑圧された衝動を
自分の中に押し込めきれなかったのでしょう。母親の財布から、少しお金を抜くということ
をし始めたのです。小学生低学年ですから、数百円というところでしょうか。
自分の中に勝手に正当な理由をつくってしまうのです。
「いつも僕は我慢しているのだから、すこしぐらいは良いだろう」
もう善悪なんて関係なし、みてないところでばれなければ、いいだろうと。
お札を取ったりはしなかったので、ばれずにお小遣いの足しにしていたわけですが、
今思えば、この頃から既に、自分が何が欲しいという本当の気持ちを隠すということ
を生活の一部にしてしまっていたわけです。
高学年になると、母親の財布から小銭をくすねることが若干エスカレートしていったような気がします。
年齢と共に、買いたい物の単価も上がっていきます。しかし、欲しいなんてアピールしようものなら、
「何に必要なの」
「本当に大切にできるの?」
「同じような物もってるじゃない?」
みたいに言われるという先入観にさいなまれるわけです。
子どもにとっては、この論理的な意見が否定的な意見に聞こえてしまうんですね。
「だから、必要ないでしょ?」って^^
それで自分が傷つくのは嫌だ!という自己防衛本能だったのでしょう。
いわゆる価値感の押しつけです。母親にとっては必要なくても、子どもがその時
必要とか欲しい!と思った気持ちは、本人の気持ちなので、買うにせよ買わないにせよ、
まず受け止めて上げると言うことが、人間同士のコミュニケーションなのだと思います。
今思えば、母親が駄目でも、父親におねだりするという方法もあったはずなのですが、
私のような神経質な子どもは、子どもながらに母親が家計をすべて管理していることを
そんな小さい頃から意識しているのです。
これにも理由があって、前にも話したことがありますが、
母親は、家計簿を付けているときに子どもの前でいつも
「今月も赤字だ〜(ため息)」
「お金がないんだから無駄なことしない!」
「お金があれば色々買ってあげられるのに…」
など、胸の内を吐露していたのです。
母親からすれば、夫には相談できないし、自分がなんとかやりくりしないと
いけないわけですが、母親もはけ口がなかったんですね。私と同じタイプで、
他人に相談して物事を解決すると言うより、基本的にはすべて自分で解決する!
みたいな頑固というか執着というか、そういうところがありました。
自分の脳力(能力)以上のことをやっているのに、自分がオーバーヒートしている
ということを認めたくないんです。認めてしまうと向上心がない人間に自分の脳で
分類されてしまい、悪い人間となってしまうから。
併せて、他人から色々指示されたり、命令されたりされるのが嫌なんでしょう。
理由も今なら分かります。結局価値感や選択肢が狭いんです。自分が正義だと思っている
価値感付近のことしか容認できず、真逆の発想などは自分のことを否定されていると
勝手に思ってしまうたちが悪い被害者妄想の強い性格なのです。
こういうときに、ちょっとした相談相手がいたり、依存しすぎない頼れる存在があると
もっと楽に笑顔で母親も生活することができたのだろうと思いますね。
幼少期の私は、母親が最大の権力者であるという認識をしていたので、
父親に頼ろうとか、おねだりしようという発想が全く思いつきませんでした。
つづく
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
からの続きです。
小学生になってからの私は、本当はもっといろいろと買って欲しいという物があるにもかかわらず、
端から母親に言えばダメと言われると諦めて、聞き分けの良い子を演じていました。
母親からすれば、あれがほしいこれがほしいと騒がないし、親を困らせるようなことは、
めったにしないので、細かくみていなくても安心な子という気持ちはあったと思います。
母親からすれば、私が良いこと言うより、母親にとって都合の良い子であったのでしょう。
最近、ふと思い出したのです。小学生低学年の時だと思いますが、その抑圧された衝動を
自分の中に押し込めきれなかったのでしょう。母親の財布から、少しお金を抜くということ
をし始めたのです。小学生低学年ですから、数百円というところでしょうか。
自分の中に勝手に正当な理由をつくってしまうのです。
「いつも僕は我慢しているのだから、すこしぐらいは良いだろう」
もう善悪なんて関係なし、みてないところでばれなければ、いいだろうと。
お札を取ったりはしなかったので、ばれずにお小遣いの足しにしていたわけですが、
今思えば、この頃から既に、自分が何が欲しいという本当の気持ちを隠すということ
を生活の一部にしてしまっていたわけです。
高学年になると、母親の財布から小銭をくすねることが若干エスカレートしていったような気がします。
年齢と共に、買いたい物の単価も上がっていきます。しかし、欲しいなんてアピールしようものなら、
「何に必要なの」
「本当に大切にできるの?」
「同じような物もってるじゃない?」
みたいに言われるという先入観にさいなまれるわけです。
子どもにとっては、この論理的な意見が否定的な意見に聞こえてしまうんですね。
「だから、必要ないでしょ?」って^^
それで自分が傷つくのは嫌だ!という自己防衛本能だったのでしょう。
いわゆる価値感の押しつけです。母親にとっては必要なくても、子どもがその時
必要とか欲しい!と思った気持ちは、本人の気持ちなので、買うにせよ買わないにせよ、
まず受け止めて上げると言うことが、人間同士のコミュニケーションなのだと思います。
今思えば、母親が駄目でも、父親におねだりするという方法もあったはずなのですが、
私のような神経質な子どもは、子どもながらに母親が家計をすべて管理していることを
そんな小さい頃から意識しているのです。
これにも理由があって、前にも話したことがありますが、
母親は、家計簿を付けているときに子どもの前でいつも
「今月も赤字だ〜(ため息)」
「お金がないんだから無駄なことしない!」
「お金があれば色々買ってあげられるのに…」
など、胸の内を吐露していたのです。
母親からすれば、夫には相談できないし、自分がなんとかやりくりしないと
いけないわけですが、母親もはけ口がなかったんですね。私と同じタイプで、
他人に相談して物事を解決すると言うより、基本的にはすべて自分で解決する!
みたいな頑固というか執着というか、そういうところがありました。
自分の脳力(能力)以上のことをやっているのに、自分がオーバーヒートしている
ということを認めたくないんです。認めてしまうと向上心がない人間に自分の脳で
分類されてしまい、悪い人間となってしまうから。
併せて、他人から色々指示されたり、命令されたりされるのが嫌なんでしょう。
理由も今なら分かります。結局価値感や選択肢が狭いんです。自分が正義だと思っている
価値感付近のことしか容認できず、真逆の発想などは自分のことを否定されていると
勝手に思ってしまうたちが悪い被害者妄想の強い性格なのです。
こういうときに、ちょっとした相談相手がいたり、依存しすぎない頼れる存在があると
もっと楽に笑顔で母親も生活することができたのだろうと思いますね。
幼少期の私は、母親が最大の権力者であるという認識をしていたので、
父親に頼ろうとか、おねだりしようという発想が全く思いつきませんでした。
つづく
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
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コメントありがとうございます。
いつも励みにさせていただいております。
ひとことでいうと、私は「共感」をえられないまま、大人へと成長
してしまった気がします。幼い頃は、母親に自分の気持ちの繋がりという
共感を持ちたくて、一生懸命働きかけるも思うように行かず、友人や恋人
に対しても、自分をさらけ出して共感を得ると言うより、相手に合わせた
共感を演出して関係を保っていたような気がします。
大福さんのおっしゃるように、子どもだろうが、大人だろうが、素直な心で
話せる人がいると言うことは、本当にすばらしいことなのだろうと思います。
本来は、その役をパートナーがするのが一般的という感覚がありますから、
そこでえられない共感は、生き地獄並の本人しか分からない苦しみになるの
だと思います。疲労困憊度合いが数倍跳ね上がりますからね^^
大福さんは、十分今まで役割を果たしているはずですから、浮気とか不倫という
意味でなく、旦那さん以外に目線を向けて自分が楽しいと思える生活に
邁進できるといいですね!
私が誰にも言ったことがない過去と同じです。
小学3年生の頃でしょうか。母の財布から小銭を抜き取ったことがあります。
弟は言い分を聞いてもらえるのに、姉だからとか無駄だからと言われ要求がスンナリ通ったことは殆どありません。
家計が大変なのは子供ながらに分かってて自己主張できない、でも友達と同じものが欲しい…
今思えば誰かが子供の心を受け止めてくれたらそんな事しなくて済んだかもしれませんね。でも、母は見栄を張る事には一生懸命でした、いや今もです。
母に「よく頑張ったね」と笑顔を向けられた記憶はありません。
何時も欠点をみつける母です
私自身そんなになんでもできるタイプじゃないのかもしれません。
母の求める子供でいるうちに何でもこなす器用な子供になっただけのことでしょう。
家計を私に丸投げの夫のお蔭で生活に困る事はなく今まできました。自由に買い物もできます。貯蓄もわずかながらあります。
でも、何か満たされない自分の心に苦しみます。
私の求める理想の夫像が大きすぎるから辛いのかとも思いますが、年齢相応の言動ができない夫をフォローし、親戚や子供からの苦情対応をし、1人で解決することが多くて疲れます。
子供でなくても相談相手や甘える人は必要に思います。
夫に相談も世間話も健康不安も話せないなんて思ってもみませんでした。