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2015年10月03日
2015年10月02日のつぶやき
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2015年10月02日
アスペ嫁とは、一心同体という考えは無理です。つかず離れずという関係が適している。
「毎日退屈で退屈でしかたがないんだよね〜。」
「なんか面白いことないかなぁ〜。」
という人には、アスペ嫁はピッタリかもしれません。
なんせ一般的な大人を基準とした場合、
おかしな行動やおかしな発言を次から次へと
してくれるからです。
しかし何でなのでしょうね。
他人の嫁が、同じようなことをしたら、
多分聞いている方は面白い気持ちになると思うんです。
もちろん、嘲笑されるという場合もありますが、
あまりにもあり得ない話ばかりで、現実味が無くて
ゆかいな気分になれるのでしょうか。
一転、自分の嫁がやらかしたとなると、
全く笑えなくなります。むしろ怒りが強くなりますよね。
いい加減にしろ!って^^
これは、自分ともの凄く密接した関係もしくは、
アスペ嫁(夫)が自分と一心同体ぐらいの気持ちを
どこかで持っているからなのかもしれません。
そういう願望という名の妄想もありますよね。
私自身は、やはり古風な考え方が根っこにあるのかもしれません。
嫁の恥は家族の恥、旦那の恥。
「俺に恥をかかせるなよ!」というのが当たり前の夫婦関係
だと思っていたからです。
恥をかかせるもなにもないですよね。
今だから少し割り切れるようになりましたが、
本当に理解不能なことが多かった気がします。
いつからか、嫁のせいで自分の評価が下がったとしても、
「自分と嫁は別の人間だから、自分は恥ずかしがる必要ない」
そう考えるようになりました。
古い人間ほど、そういうときには、
「旦那の教育がなっていない!」とか言い出すのでしょうが、
子どものことを言われるなら致し方ありませんが、
自分の嫁や旦那を教育なんてできませんよ。はっきりいって。
過去と他人は変えられないんですから、自分色に染めようなんて
今の時代では虐待とかDVとか言われてしまいます。
もうね。自分は自分で良いんです。家族の一員ですけど、
無理に夫婦だからって、なんでもシンクロさせようなんて
思わない方が幸せなのかもしれません。
それでも、こだわってしまう場合は、やはり相手に依存している
ということになるのでしょう。この依存は共依存であることが
多く、断ち切るというのはなかなかの難易度の高さでもあります。
ACの難しいところは、共依存の相手に自分の幸せを吸い取られている
と思い込んでいることでもあります。まあ、半分ぐらい本当に吸い取られて
いるのかもしれないと思いますが^^
自分がイライラ、拗ねる、満たされないのは、共依存の相手のせいだ!
と心の片隅で言い訳の余地として残しているのです。
・離婚できないのは相手ののせいだ!
・毎日イライラするのは相手のせいだ!
・色々上手くいかないのは相手のせいだ!
・子どもが言うことを聞かないのは相手のせいだ!
何でも心の片隅では相手のせいだと思ってしまうんです。
これがもう自動思考ですから、止めようとしても止められない。
無意識に頭に思い浮かぶわけですからね。
自動思考⇒嫌な思いが残る⇒イライラ⇒子どもに当たる⇒自己嫌悪で落ち込む
こんな感じの繰り返しです。
離婚という意味でなく、相手に依存しなくても自分自身が幸せを
感じることが出来る生活を目指さないことには、結果的に、
この共依存のターゲット対象者が変更されるだけで、自分自身は
自立という道を歩むことは出来ないのです。
共依存対象者が自分の思い通りに変化してくれたら…
満たしてもらいたい相手ですからそう思うのは仕方ないんです。
でもパートナーが思い通りに変化するなんてことは本当にあるのでしょうか。
答えはNOです。少し相手が合わせてくれると一時的に気持ちは楽になりますが、
ACは、要求がエスカレートしていきます。自分への理解を限りなく100%へと
近づけようとしてしまうのです。
しかし、相手がアスペでなくても、100%理解は無理なのです。
これを続けても結局満たされない自分、不幸な自分という自動思考に
悩まされる日々を送ることになります。
そこらへんが少しずつ緩く考えられるようになってからは、
アスペ嫁と自分は、つかず離れずのパートナーでもいいやという
気持ちに割り切れるようになってきたような気がします。
WordPressが簡単・すぐに使える『レンタルサーバーheteml(ヘテムル)』
「なんか面白いことないかなぁ〜。」
という人には、アスペ嫁はピッタリかもしれません。
なんせ一般的な大人を基準とした場合、
おかしな行動やおかしな発言を次から次へと
してくれるからです。
しかし何でなのでしょうね。
他人の嫁が、同じようなことをしたら、
多分聞いている方は面白い気持ちになると思うんです。
もちろん、嘲笑されるという場合もありますが、
あまりにもあり得ない話ばかりで、現実味が無くて
ゆかいな気分になれるのでしょうか。
一転、自分の嫁がやらかしたとなると、
全く笑えなくなります。むしろ怒りが強くなりますよね。
いい加減にしろ!って^^
これは、自分ともの凄く密接した関係もしくは、
アスペ嫁(夫)が自分と一心同体ぐらいの気持ちを
どこかで持っているからなのかもしれません。
そういう願望という名の妄想もありますよね。
私自身は、やはり古風な考え方が根っこにあるのかもしれません。
嫁の恥は家族の恥、旦那の恥。
「俺に恥をかかせるなよ!」というのが当たり前の夫婦関係
だと思っていたからです。
恥をかかせるもなにもないですよね。
今だから少し割り切れるようになりましたが、
本当に理解不能なことが多かった気がします。
いつからか、嫁のせいで自分の評価が下がったとしても、
「自分と嫁は別の人間だから、自分は恥ずかしがる必要ない」
そう考えるようになりました。
古い人間ほど、そういうときには、
「旦那の教育がなっていない!」とか言い出すのでしょうが、
子どものことを言われるなら致し方ありませんが、
自分の嫁や旦那を教育なんてできませんよ。はっきりいって。
過去と他人は変えられないんですから、自分色に染めようなんて
今の時代では虐待とかDVとか言われてしまいます。
もうね。自分は自分で良いんです。家族の一員ですけど、
無理に夫婦だからって、なんでもシンクロさせようなんて
思わない方が幸せなのかもしれません。
それでも、こだわってしまう場合は、やはり相手に依存している
ということになるのでしょう。この依存は共依存であることが
多く、断ち切るというのはなかなかの難易度の高さでもあります。
ACの難しいところは、共依存の相手に自分の幸せを吸い取られている
と思い込んでいることでもあります。まあ、半分ぐらい本当に吸い取られて
いるのかもしれないと思いますが^^
自分がイライラ、拗ねる、満たされないのは、共依存の相手のせいだ!
と心の片隅で言い訳の余地として残しているのです。
・離婚できないのは相手ののせいだ!
・毎日イライラするのは相手のせいだ!
・色々上手くいかないのは相手のせいだ!
・子どもが言うことを聞かないのは相手のせいだ!
何でも心の片隅では相手のせいだと思ってしまうんです。
これがもう自動思考ですから、止めようとしても止められない。
無意識に頭に思い浮かぶわけですからね。
自動思考⇒嫌な思いが残る⇒イライラ⇒子どもに当たる⇒自己嫌悪で落ち込む
こんな感じの繰り返しです。
離婚という意味でなく、相手に依存しなくても自分自身が幸せを
感じることが出来る生活を目指さないことには、結果的に、
この共依存のターゲット対象者が変更されるだけで、自分自身は
自立という道を歩むことは出来ないのです。
共依存対象者が自分の思い通りに変化してくれたら…
満たしてもらいたい相手ですからそう思うのは仕方ないんです。
でもパートナーが思い通りに変化するなんてことは本当にあるのでしょうか。
答えはNOです。少し相手が合わせてくれると一時的に気持ちは楽になりますが、
ACは、要求がエスカレートしていきます。自分への理解を限りなく100%へと
近づけようとしてしまうのです。
しかし、相手がアスペでなくても、100%理解は無理なのです。
これを続けても結局満たされない自分、不幸な自分という自動思考に
悩まされる日々を送ることになります。
そこらへんが少しずつ緩く考えられるようになってからは、
アスペ嫁と自分は、つかず離れずのパートナーでもいいやという
気持ちに割り切れるようになってきたような気がします。
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2015年10月01日
アダルトチルドレンと気づいたのに不幸感がぬぐえない理由。幸せの基準が高い?
恋人がいるのに、結婚してパートナーがいるのに、
子どももいるのに、どうしてかこうしてか心の底から幸せを
感じることが出来ない。
そんな風に思う人ってどれぐらいいるのでしょうか。
日本の場合は結構多いような気がします。
その理由としては、アダルトチルドレン体質の人間が多いから。
約8割近くの人がアダルトチルドレンではないかといわれるぐらい、
日本の教育文化に浸透している条件付きの愛。押しつけがましい愛
とでも言いましょうか。
「育ててやったのだから、しっかり親に恩を返しなさい」的な。
親からのこういった強制的で歪んだ条件付きの愛情に
大人になってからも縛られてしまっている人は思った以上に多いです。
そんな呪縛の元、パートナーや子どもが出来ても「愛情」という
言葉は知っているけど、本質が分かっていない人たちが結婚して
子孫を残すと言うことを繰り返していきます。
その結果、自分も親と同じような条件付きの愛情を我が子へ
してしまうという流れはちょっとやそっとでは歯止めがききません。
アダルトチルドレンは、何かしらインナーチャイルドを抱えている
わけですが、なんとなく生きづらいと感じていた人は自分がアダルトチルドレン
と気づくと、もの凄く安堵するのです。
「自分が悪かったわけではないんだ」ということがわかり、
今まで自責の念に駆られていた荷物が背中化から降りたようにも錯覚します。
しかし、しばらく時間が経過するとだんだん日常に心を侵食されて
また以前と同じような生きづらさを感じてたりもしてしまいます。
その理由としては、まずアダルトチルドレンと気づいたことは、
本来、回復のためのスタート地点なのですが、たいていのひとは、
気づいて安堵して、それでゴールになってしまっていることが多いのです。
気づいてから、ゆっくり絡まった紐を解くように自分と向き合う必要が
出てくるのですが、「時間」「心」「お金」に余裕がない場合は、そんなことは
後まわしになり、最終的には自分が上手くいかないのはこんな風にした
親や環境など周りのせいへと責任転嫁してフラストレーションを解消しようとします。
これこそが不幸感から抜け出せない一つの理由ではないでしょうか。
親や環境は、アダルトチルドレンになる要素を意識的にしろ無意識にしろ
植え付けたという事実は間違いありません。だから、根っこは親が未熟だったという
ことです。
ただ、いやだった過去を思い出し嫌悪感を抱いたり、憎悪心に震えたり、
今現在でおきていない過去のことを自分の頭で自動思考も含め思い出し、なんども
なんども自分を嫌な気持ち、不安な気持ち、怒りの気持ちにさせているのは、
自分自身の脳なのです。
種を植えた人が一番悪いのですが、親は自分の親にやられているんです。
ですから、被害者でもあり、加害者でもあるという不思議な立場になります。
植え付けられてからの思考の癖を育てたのは自分自身なんです。
つまり、いま不幸感があるのは自分が不幸だなぁって思うから。
何かと比較しているから。妄想という名の高いハードルの理想を基準としているから。
極端ですが、今、アフリカのど真ん中に一人で置き去りにされたとしたら
今の生活は、もの凄く幸せな物だと感じることが出来るでしょう。
普段から、「幸せの基準が高すぎる」と言うことなのです。
この思考状態で生活をしていると、すぐに不幸の主人公のような感覚をもちやすくなり、
幸せなことですら幸せに感じられないという危機的状況に陥っているわけです。
まずは、自分のインナーチャイルドをゆっくりなんであったのかを、
過去の自分と対話して受け止めることが先です。1つではないかもしれません。
一生掛けて探すつもりで取り組むのが良いと思います。
そこを解決して進まないと、どこかで偏屈な自分が自己防衛のために
自分の考えが正しくて周りが間違っているんだ!という思考しか働かず、
自分の思考の癖を緩めてあげるきっかけができないのです。
100の幸せを一度に得ようとせず、1ずつでも自分が幸せだと思えることを
自分の心と身体で実感して進しかないんですね。
1でも重ねていけば100にも200にもなるわけです。
そのためには、〇〇したら幸せになるというような発想は自粛して、
〇〇したらではなく、まず幸せに欠かせない条件を行動で表すことが
先なのかもしれませんね。具体的には、表情と発言です。
幸せな人は笑顔が素敵です。発言も前向き。
それが本心で思っているかどうかは別の話です。
まずそう言う癖を行動していかないことには幸せは寄ってきません。
ブスッとしたくらい顔で、もうダメだーとかいっているひとが自分の
周りにいたら、申し訳ないですがあまり近づきたくないでしょう。
嘘から出た誠でもいいから、自分の悪い行動や癖などを見直して無理なく
できることを義務感でなく、自分が楽しむためにやる。
これが大切なのかもしれません。
2015年09月30日
まさにジャイアン症候群。自分の頭で思ったことがルールになるアスペ嫁。
お祭りや縁日などの出店っていいですよね。
なんだか楽しい気持ちになります。
しかしまあ、アスペ嫁とこういう場所に行くと、
2人でデートというならまだ良いのでしょうが、
子どもを連れて行くとなると気苦労が多くて困ります。
アスペルガー症候群の人だけではないでしょうが、
特に自分が思い込んだことは絶対と思ってしまうことが
多いアスペ嫁。客観的に見てどうだとか、一般的には
こう考えられるなどということも出来ないため、
独自に自分ルールを作って固定化していることも間々あります。
例えばおまつりなどで色んなアトラクションありますよね。
・きんぎょすくい
・ボンボン風船すくい
・射的
などなど、折角楽しんで足を運んでもだんだんイライラしてきてしまう
ということがあるのです。
例えば、ボンボン風船すくい。小さいゴム風船の中に少量の水がはいっていて、
さらに結び目にゴムが付いて、ボムボム出来るあれです。
なんだかアスペ嫁がにやにやして水風船すくいをやりたそうにしていた
ので、どうしたのかきいてみると、
嫁「良い物持ってきてあるんだよね〜」
私「なにさ、いいものって」
嫁「じゃじゃん!針金出てきた水風船釣り!」
私「は?そんな物どうするの?」
嫁「もちろんいっぱいとるんだよ」
私「本気で言ってるの?そんなのが使えると思ってるの?」
嫁「ダメなの?持ち込み不可って書いてないけど」
私「当たり前だろ!!!ダメだよ」
もうね。ありえませんよ。こういうガキが考えるような
ことを平気で自分ルールにしてしまう感覚、面白いという
見方も出来ないではないですが、子どもがいますからねぇ…
そして、射的では…
お店によってルールは違いますが、大体は、
当たって落とすか、倒れるかすると景品がもらえるというあれ。
どうやらアスペ嫁が子ども達と射的をやってきたようで、
何か不機嫌そうな顔でこちらへきました。
嫁「あのお店信じられない!」
私「どうしたの?」
嫁「射的したんだけど、当たったのに景品くれないの」
子ども「ママが当たったらくれるっていってたんだよ」
私「射的って普通は当たっただけじゃもらえないんじゃないの?倒れたり落ちたりするのがルールでしょう」
嫁「そんなのおかしいでしょ。あんなの倒れたり落ちないよ」
私「そんなに文句言うならやる前にルール聞けば良いじゃん」
嫁「だって普通は当たったら良いと思うじゃない」
私「ママの普通は世の中の普通じゃないんだよ」
嫁「まったくお金無駄にしちゃったわ」
私「いつも言ってるけど、確認しようよ。こっちが恥ずかしいわ」
自分ではこうだとおもっていた!これは誰にでもあることです。
ただ、絶対自分が悪いとか、確認不足だとか思わないのが
アスペ嫁。なんだかモンスタークレーマーを見ているようです。
もちろん悪質な細工をしている的屋なんていうのもいるとは
思いますが、最初からお祭りの的屋に期待を持ちすぎることが
おかしいでしょう。それなら、良心的なゲーセンでUFOキャッチャー
で景品を取った方が面白いと思いますわ。
楽しむはずのお祭りの出店。なんだか顔から火が出そうな気持ちで
悶々としたまま帰宅することになりました。
ただ、何度言ってもどうせ変わりませんから、
夫婦といえど、嫁の恥は、旦那なの恥と思わないようにしてます。
嫁は家族ですが、嫁単独の恥。私には関係ないことです。
そう思って生活していかないと、気にしすぎて表に出られません。
なんだか楽しい気持ちになります。
しかしまあ、アスペ嫁とこういう場所に行くと、
2人でデートというならまだ良いのでしょうが、
子どもを連れて行くとなると気苦労が多くて困ります。
アスペルガー症候群の人だけではないでしょうが、
特に自分が思い込んだことは絶対と思ってしまうことが
多いアスペ嫁。客観的に見てどうだとか、一般的には
こう考えられるなどということも出来ないため、
独自に自分ルールを作って固定化していることも間々あります。
例えばおまつりなどで色んなアトラクションありますよね。
・きんぎょすくい
・ボンボン風船すくい
・射的
などなど、折角楽しんで足を運んでもだんだんイライラしてきてしまう
ということがあるのです。
例えば、ボンボン風船すくい。小さいゴム風船の中に少量の水がはいっていて、
さらに結び目にゴムが付いて、ボムボム出来るあれです。
なんだかアスペ嫁がにやにやして水風船すくいをやりたそうにしていた
ので、どうしたのかきいてみると、
嫁「良い物持ってきてあるんだよね〜」
私「なにさ、いいものって」
嫁「じゃじゃん!針金出てきた水風船釣り!」
私「は?そんな物どうするの?」
嫁「もちろんいっぱいとるんだよ」
私「本気で言ってるの?そんなのが使えると思ってるの?」
嫁「ダメなの?持ち込み不可って書いてないけど」
私「当たり前だろ!!!ダメだよ」
もうね。ありえませんよ。こういうガキが考えるような
ことを平気で自分ルールにしてしまう感覚、面白いという
見方も出来ないではないですが、子どもがいますからねぇ…
そして、射的では…
お店によってルールは違いますが、大体は、
当たって落とすか、倒れるかすると景品がもらえるというあれ。
どうやらアスペ嫁が子ども達と射的をやってきたようで、
何か不機嫌そうな顔でこちらへきました。
嫁「あのお店信じられない!」
私「どうしたの?」
嫁「射的したんだけど、当たったのに景品くれないの」
子ども「ママが当たったらくれるっていってたんだよ」
私「射的って普通は当たっただけじゃもらえないんじゃないの?倒れたり落ちたりするのがルールでしょう」
嫁「そんなのおかしいでしょ。あんなの倒れたり落ちないよ」
私「そんなに文句言うならやる前にルール聞けば良いじゃん」
嫁「だって普通は当たったら良いと思うじゃない」
私「ママの普通は世の中の普通じゃないんだよ」
嫁「まったくお金無駄にしちゃったわ」
私「いつも言ってるけど、確認しようよ。こっちが恥ずかしいわ」
自分ではこうだとおもっていた!これは誰にでもあることです。
ただ、絶対自分が悪いとか、確認不足だとか思わないのが
アスペ嫁。なんだかモンスタークレーマーを見ているようです。
もちろん悪質な細工をしている的屋なんていうのもいるとは
思いますが、最初からお祭りの的屋に期待を持ちすぎることが
おかしいでしょう。それなら、良心的なゲーセンでUFOキャッチャー
で景品を取った方が面白いと思いますわ。
楽しむはずのお祭りの出店。なんだか顔から火が出そうな気持ちで
悶々としたまま帰宅することになりました。
ただ、何度言ってもどうせ変わりませんから、
夫婦といえど、嫁の恥は、旦那なの恥と思わないようにしてます。
嫁は家族ですが、嫁単独の恥。私には関係ないことです。
そう思って生活していかないと、気にしすぎて表に出られません。
2015年09月29日
アスペ嫁は、計画が立てられない。仮に立てても計画表を見ることを忘れる。
アスペ嫁と同じ屋根の下で暮らしていて一番大変なことは、
やはり、心のコミュニケーションがうまくやりとりできないこと。
コミュニケーションがうまくできないことは承知しているはずでも、
ACの満たされない心が相手へ返して欲しいという気持ちが
出てきてしまい自己嫌悪する人もいるのではないでしょうか。
次に問題なのは、計画が立てることが非常に苦手だと言うこと。
計画を立てるためには、色々なシチュエーションを想定したりする
ことが必要で、アスペ嫁の特性からすると難しいことは百も承知なの
ですが、重要なことからそうでないことまで、その場の気分次第という
のが多いんです。
もしくは、周りの人に流されるというか、自分の意見や計画が思いつかないから、
周りが「こうしようよ。」「ああしようよ。」というとよほど拒絶する内容
ではない限り、その案について行きます。
日常の生活や、仕事上でも計画が立てられないと問題は多く、
自分自身の信頼度を下げることにも成りかねません。
結婚生活の中では計画というのはどういうことがあるでしょう。
・子どもを作るかどうか、作るなら時期など。
・子どもが産まれれば、どう教育していくか。
・家計の収入と支出を管理したり、貯蓄したりすること。
・夫婦や家族での楽しむ時間をどうつくるか。
私の場合は、最低限こういう話はパートナーとするものだと
思っていたのですが、アスペ嫁はどのはなしも聞けばフリーズです。
芸能人が離婚したとか結婚したとか、私たちには直接的にはどうでもいい
情報はマシンガンのように言ってくるのですが、肝心な話になると、
貝になります状態^^
もちろん、話したくなくて話していないわけではないことは分かっている
のですが、私の理想の夫婦やもちつもたれつの夫婦という発想がある
私からすると、どうしても自分だけが損を為ているような気持ちになるのかもしれません。
「計画を立てられないなら、立てるのを手伝えば良いんだ」
そう思って、毎日計画を立てる訓練をしたことがあります。
しかし、ダメなんですよね。自分がやりたくないことを無理矢理やらされても。
一応1日の計画表は出来ますが、立てることがゴールになってしまい、
次の日にはそれを見ることすら忘れてしまうのです。
どんなに私がアスペ嫁を変えようと思っても難しいと気づきました。
どうしても計画的な生活をしたい場合は、私が一人で立てるしかないのです。
夫婦なのに寂しいですよね^^でもそれがこのタイプの人と生活するということ
なのかもしれません。
うちの場合はまだましかもしれないと思うのは、女性のアスペだから
多動性などがあまり見られないと言うことです。動かないことはもどかしいですが、
男性のアスペの場合は、奥さんの苦労は半端ない物になるでしょう。
全ての男性アスペがそうとは言えませんが、金銭感覚がない夫に
なることが多いようです。そのため奥さんが1円単位で家計をやりくり
して節約していても、アスペ夫が散在してしまい、挙げ句の果てには
いつの間にかに借金をしてなんてことも珍しくはないのです。
アスペ嫁も金銭感覚はありませんが、散在するというよりは
変にこだわってケチだったりします。借金して散財するよりは
いいですが…
結婚は、感情とお金のコントロールが出来ない人は向かないだろうと
いまになっておもいます。
計画はたててもその通りいくとはかぎりませんが、
全く無計画というも何か違うと思います。
とはいっても、自分一人で家族の計画を立てるっていうことに
まだまだ慣れない日々がAC夫を悩ませるのでした。
やはり、心のコミュニケーションがうまくやりとりできないこと。
コミュニケーションがうまくできないことは承知しているはずでも、
ACの満たされない心が相手へ返して欲しいという気持ちが
出てきてしまい自己嫌悪する人もいるのではないでしょうか。
次に問題なのは、計画が立てることが非常に苦手だと言うこと。
計画を立てるためには、色々なシチュエーションを想定したりする
ことが必要で、アスペ嫁の特性からすると難しいことは百も承知なの
ですが、重要なことからそうでないことまで、その場の気分次第という
のが多いんです。
もしくは、周りの人に流されるというか、自分の意見や計画が思いつかないから、
周りが「こうしようよ。」「ああしようよ。」というとよほど拒絶する内容
ではない限り、その案について行きます。
日常の生活や、仕事上でも計画が立てられないと問題は多く、
自分自身の信頼度を下げることにも成りかねません。
結婚生活の中では計画というのはどういうことがあるでしょう。
・子どもを作るかどうか、作るなら時期など。
・子どもが産まれれば、どう教育していくか。
・家計の収入と支出を管理したり、貯蓄したりすること。
・夫婦や家族での楽しむ時間をどうつくるか。
私の場合は、最低限こういう話はパートナーとするものだと
思っていたのですが、アスペ嫁はどのはなしも聞けばフリーズです。
芸能人が離婚したとか結婚したとか、私たちには直接的にはどうでもいい
情報はマシンガンのように言ってくるのですが、肝心な話になると、
貝になります状態^^
もちろん、話したくなくて話していないわけではないことは分かっている
のですが、私の理想の夫婦やもちつもたれつの夫婦という発想がある
私からすると、どうしても自分だけが損を為ているような気持ちになるのかもしれません。
「計画を立てられないなら、立てるのを手伝えば良いんだ」
そう思って、毎日計画を立てる訓練をしたことがあります。
しかし、ダメなんですよね。自分がやりたくないことを無理矢理やらされても。
一応1日の計画表は出来ますが、立てることがゴールになってしまい、
次の日にはそれを見ることすら忘れてしまうのです。
どんなに私がアスペ嫁を変えようと思っても難しいと気づきました。
どうしても計画的な生活をしたい場合は、私が一人で立てるしかないのです。
夫婦なのに寂しいですよね^^でもそれがこのタイプの人と生活するということ
なのかもしれません。
うちの場合はまだましかもしれないと思うのは、女性のアスペだから
多動性などがあまり見られないと言うことです。動かないことはもどかしいですが、
男性のアスペの場合は、奥さんの苦労は半端ない物になるでしょう。
全ての男性アスペがそうとは言えませんが、金銭感覚がない夫に
なることが多いようです。そのため奥さんが1円単位で家計をやりくり
して節約していても、アスペ夫が散在してしまい、挙げ句の果てには
いつの間にかに借金をしてなんてことも珍しくはないのです。
アスペ嫁も金銭感覚はありませんが、散在するというよりは
変にこだわってケチだったりします。借金して散財するよりは
いいですが…
結婚は、感情とお金のコントロールが出来ない人は向かないだろうと
いまになっておもいます。
計画はたててもその通りいくとはかぎりませんが、
全く無計画というも何か違うと思います。
とはいっても、自分一人で家族の計画を立てるっていうことに
まだまだ慣れない日々がAC夫を悩ませるのでした。
2015年09月28日
アスペ嫁の音痴は、聴覚の異常が原因なのか?
これはアスペルガー症候群の人が音痴であるかどうか、
ということはわかりませんが、アスペ嫁が音痴であること、
そして、アスペ嫁の母親(アスペ気味)も音痴であるという
ことからの推測になります。
アスペ嫁は、面白いぐらい音痴なのです。
ちょい音痴とかでなく、あきらかに音が外れている感じ。
しかし、生まれてこの方自分が音痴だと思ったことがない
ということのほうが私は驚かされました。
人からの評価を気にする反面、あまり周りの人にも
傷つけるようなことは極力言わないようにしていた
AC夫ですから、アスペ嫁と付き合っていたときから
音痴気味であることは知っていましたが、傷つけてしまうと
いけないと思って、あまりその辺のことは指摘しなかったのです。
私自身は、音痴ではないけど人の歌をけなすほど上手では
ないと思っていたため、そうしたのかもしれませんが^^
そんなレベルの私が音痴だと思うぐらいですから、結構な物です。
正直言って、歌が音痴でも生活上では全く支障は来しません。
なぜ、アスペ嫁に音痴であることを直接伝えるようになったか
というと…
子どもが出来て、幼稚園の年長ぐらいになったときでしょうか。
幼稚園で色んな歌を覚えてくるじゃないですか、子どもって。
それで、嬉しくて家に帰ってきてからも歌うんです。
一緒になってアスペ嫁も一生懸命歌ってあげるのですが、
子どもが怒るんですよ。
子ども「ママの歌っている歌ちがう!」
嫁「えっ?ママも一緒に同じ歌を歌ってたんだよ」
子ども「全然音が違うよ。」
子どもも、最初はそんなに気にしていなかったのですが、
音がずれている歌を一緒に歌われることがいやだったみたいで、
子ども「ママは一緒に歌わないで!違う歌になるから!」
と、間接的に音痴であることを伝えているのですが、
肝心のアスペ嫁は気づかないのです。自分が音痴だと言うことを。
今まで生きてきて誰もそう言う指摘をしてくれなかったのでしょう。
嫁「違う歌なんか歌ってないのに、機嫌が悪いのかな」
なんていって、自分の音程が問題であることに気づいていないので、
私「ママ、前からだけど結構音が外れているよね?」
といったんです。そしたら自分では音痴だと思っていないから、
ちょっとビックリした顔で、
嫁「私、小さい頃からピアノを習っているんですけど?」
そう、私もてっきり小さい頃からピアノを習っているという
ことを聞いていたので、先入観で音痴と言うことは無かったのです。
子どもと歌っているときはふざけているのかとも思ったのですが、
やはり、そうでなく本気でうたっていたそうです。
私が音痴だと思うと言うまで、自分が音痴だとは思わなかったそうです。
今思えば、聴覚過敏というか特殊な聞こえ方がすることが
もしかしたら音程を整えることの妨げになっているのかもしれません。
ただ、アスペルガーの女性というだけでもレアですから、
他のアスペ女性の人が音痴かどうかは検証できずにいます。
実際どうなのでしょう。アスペの女性は音痴なのでしょうか?
まあ、私としては歌の音痴はどうでも良いのですが、
人の気持ちの音痴や、方向音痴のほうが生活に支障を来すので^^
ということはわかりませんが、アスペ嫁が音痴であること、
そして、アスペ嫁の母親(アスペ気味)も音痴であるという
ことからの推測になります。
アスペ嫁は、面白いぐらい音痴なのです。
ちょい音痴とかでなく、あきらかに音が外れている感じ。
しかし、生まれてこの方自分が音痴だと思ったことがない
ということのほうが私は驚かされました。
人からの評価を気にする反面、あまり周りの人にも
傷つけるようなことは極力言わないようにしていた
AC夫ですから、アスペ嫁と付き合っていたときから
音痴気味であることは知っていましたが、傷つけてしまうと
いけないと思って、あまりその辺のことは指摘しなかったのです。
私自身は、音痴ではないけど人の歌をけなすほど上手では
ないと思っていたため、そうしたのかもしれませんが^^
そんなレベルの私が音痴だと思うぐらいですから、結構な物です。
正直言って、歌が音痴でも生活上では全く支障は来しません。
なぜ、アスペ嫁に音痴であることを直接伝えるようになったか
というと…
子どもが出来て、幼稚園の年長ぐらいになったときでしょうか。
幼稚園で色んな歌を覚えてくるじゃないですか、子どもって。
それで、嬉しくて家に帰ってきてからも歌うんです。
一緒になってアスペ嫁も一生懸命歌ってあげるのですが、
子どもが怒るんですよ。
子ども「ママの歌っている歌ちがう!」
嫁「えっ?ママも一緒に同じ歌を歌ってたんだよ」
子ども「全然音が違うよ。」
子どもも、最初はそんなに気にしていなかったのですが、
音がずれている歌を一緒に歌われることがいやだったみたいで、
子ども「ママは一緒に歌わないで!違う歌になるから!」
と、間接的に音痴であることを伝えているのですが、
肝心のアスペ嫁は気づかないのです。自分が音痴だと言うことを。
今まで生きてきて誰もそう言う指摘をしてくれなかったのでしょう。
嫁「違う歌なんか歌ってないのに、機嫌が悪いのかな」
なんていって、自分の音程が問題であることに気づいていないので、
私「ママ、前からだけど結構音が外れているよね?」
といったんです。そしたら自分では音痴だと思っていないから、
ちょっとビックリした顔で、
嫁「私、小さい頃からピアノを習っているんですけど?」
そう、私もてっきり小さい頃からピアノを習っているという
ことを聞いていたので、先入観で音痴と言うことは無かったのです。
子どもと歌っているときはふざけているのかとも思ったのですが、
やはり、そうでなく本気でうたっていたそうです。
私が音痴だと思うと言うまで、自分が音痴だとは思わなかったそうです。
今思えば、聴覚過敏というか特殊な聞こえ方がすることが
もしかしたら音程を整えることの妨げになっているのかもしれません。
ただ、アスペルガーの女性というだけでもレアですから、
他のアスペ女性の人が音痴かどうかは検証できずにいます。
実際どうなのでしょう。アスペの女性は音痴なのでしょうか?
まあ、私としては歌の音痴はどうでも良いのですが、
人の気持ちの音痴や、方向音痴のほうが生活に支障を来すので^^