しかし、あっさりと上司はプログラマーとして派遣にOKをくれたのです。
派遣先は、アパレルの卸問屋から6億円の商品管理・経理システムを受注した企業。臨時で6か月間の人員増強のための派遣でした。
私と一緒にもう一人、自分よりも5歳ほど年上の方と一緒に派遣されました。私よりも確実に経験と知識のある方でした。
最初に与えられた仕事は、仕様書と出来上がった部分的なプログラムを渡され、不具合が無いか、出力される数値に間違いがないかをチェックする作業です。いわゆる「デバッグ」です。
アクセスで SQL を学んでいたおかげで、難解な仕様書を理解する事ができ、なんとか仕事をこなすことができました。それから、たまたま簿記の資格を持っていたことも、仕様書に出てくる科目の理解の助けとなりました。
現在、思い返してみると、あの程度の知識でよくプログラマーとして働きたいと思ったものだと恥ずかしくなります。
プログラミングの知識が低いのを補うため、コミュニケーションに特に気を使いました。挨拶は快活に。返答や受け答えは、はっきりと活舌よく、を心掛けました。そうしていると、一ヵ月ほど経ったある日の事。
一緒に派遣されたもう一人の方が、契約解除されてしまったのです。上司の話によると派遣先に仕事ができないと判断されてしまったようです。確実に自分の方が知識がないにもかかわらずです。
その方は仕事はできるのに、コミュニケーションを取るのが少し苦手がゆえに、解除されてしまったのです。本当は自分も苦手なのですが、必死に補おうとしていました。
結局、仕事において重要なのは「コミュニケーション」というのを学んだ25歳夏の出来事です。
少しずつ、難しい仕事もするようになり、半年はあっという間でした。半年といいますか、一日があっという間なんです。物事に集中していると会社に来て、あっという間に昼になり、あっという間に夜になる。という日々を繰り返しました。別に楽しいからではありませんよ。
現在でも、パソコンを使って長丁場な仕事をしていると、時間の進みを速く感じ、一日では大した作業がこなせない事にいら立ちを感じることがあります。これに似た感覚です。
プログラマーとしての派遣の半年が過ぎ、派遣会社の事務へ戻ってくることになりました。仕事の満足感はあったものの、目指している SE は、はたして本当に自分がやりたい仕事なのか、という疑問にブチ当たりました。
やりたい仕事ではなく、体験してみたい仕事、だったのかもしれません。一日中、パソコンと向き合って、あっという間に日が暮れる生活に一気に熱がさめた気がしました。
作るのは好きですが、与えられた設計図を組み立てる。同じことを延々と毎日繰り返す。この事に冷めてしまったのだと思います。
自分はどちらかというと、自分で考えたアイデアを形にしたい。色々な仕事をやりたいと思う性格です。SE になれば、自分の考えたアイデアをある程度形にはできます。しかし、下積みを何年もやっての話です。それから、いくら SE でも顧客の要望を無視してアイデアを形にすることはできません。そして SE になるとパソコンにあまり触らなくなるという現実。
そういった「自分の性格に合ってないんじゃないか」という仕事内容を、より垣間見ることができて挫折してしまったのです。
最後は体よく言葉にしましたが、「もっと楽しそうな他の仕事が見えて来た」というのも大いにあります・・・。
次回は、そんな目指すものが無くなってしまった私が、ある日突然、無職になったお話をさせて頂きます。
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