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2021年03月16日

ホストタウンの憂鬱

東京オリンピックは、IOCからも日本政府からも、取りやめようという声はついぞ聞こえてこない。開会まであと4ケ月ほど。ここまでくるともう誰にも止められないだろう。というか、お金やら意地やら色んな事情で止められない人たちが頭を寄せ合って相談して決めているんだから、止まるわけがない。
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今日、ニュースを見ていたら、県内のK市が、インドのホストタウンになっており、受け入れ準備をすすめていて、インドの皆さんに対して歓迎の意志をアピールしていた。
そうか、ホストタウンというのもあるんだな、と気がついた。

7月の開会式より前に、各国から大量の選手や関係者が、東京だけでなく日本中のホストタウンを訪れて滞在するのだ。いや、すでに滞在している国もあるのかもしれない。
不謹慎だとお叱りを受けるのを承知でコメントする。コロナ感染という点において、これは、なかなかにリスキーなことだと思う。
東京の選手村に世界中の選手が集まった場合、そこは集中管理されたエリアの中である。ある意味で、隔離されたエリアに、一定のルールによって各国共通で管理された状態となる。東京の各施設を担当する職員は、おそらく、水も漏らさぬような管理体制で対応することだろう。
しかし、各ホームタウンは、県によって宿舎の構造も、移動手段や対応体制も異なるだろう。さらに国によって国民性が異なり、それにあわせた対応を行うことになる。もちろん日本の自治体職員というのは非常に優秀で、政府やオリンピック委員会からの指導を忠実に守り万全の体制を取って対応されることだろうと思う。
しかし、各国の人たちは、国民性もマナーもまちまちで、滞在地域の人たちと積極的に親睦を深める人も出てくるに違いない。そうなれば、日本中で新たな感染拡大が広がるかもしれない。ホストタウンとは、もともとがオリンピックを通して、日本の各地が、世界中の国と仲良くする機会を作る国際親善の趣旨が大きい。競技本番に参加する選手よりも、触れ合いの機会は各段に多くなるのではないか。
そして、暖かな交流の結果、東京にとどまらず日本中の地域で、変異型など新しいウィルスが一気に広がるかもしれない。

あと4ケ月、いや、祭典の終了後まで考えれば、5ケ月ほどで、私の心配がどのような結果になるのかがわかるだろう。
いや、これはあくまで杞憂であろう。私のよけいな心配に終わることを願っている。
#東京オリンピック 













2021年03月15日

ホタルイカの春

今年は、雪の多い冬であった。一人でやる雪かきは、そもそも体に堪えるのだが、毎日行うと体が悲鳴を上げる。何度かの積雪は、腰にも心にもかなりの負荷をかけていた。
そんな冬もようやく終わり、3月に入ってからは、いつのまにか春の気配が日に日に増している。先日買い求めた木瓜の花の小枝も、花弁が少し散り始めた。
今日は、医者に行った帰りに古城公園を散策したが、梅は満開に近く、桜の枝には、つぼみが、開花への力を蓄えていた。

3月に入ると、スーパーに出回る魚種にも変化が出てくる。冬のブリに代って(正確には、ブリもまだ売ってはいるけれど、旬は過ぎている)この時期もっとも季節を感じさせるのは、ホタルイカだろうか。ホタルイカの旬は、3月である。解禁から1ケ月ほどが、大量に水揚げされ、いちばんおいしい時期である。県内のスーパーには、ホタルイカが大量に売られている。
私は、それほどホタルイカに執着はない。ヤリイカなど普通のイカのほうがずっと好きだ。ホタルイカは、旬の頃に1〜2回食べられればそれで満足という感じだ。それから、こちらのスーパーでは、ホタルイカのパックは、かなりの量で詰められており、おひとりさまに近い老人家族には、食べきれず余ってしまってなかなか買えないということもある。昨日たまたま一人でも食べきれる程度の量のパックに久しぶりにお目にかかったので(父は、ホタルイカを噛むのはつらくなっている)思わず買い求めた。

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去年は、結局食べなかった気がするので2年ぶりくらいだろうか?久しぶりに酢味噌和えで食べてみた。「うまい!」やっぱり、美味しい。東京に住んでいた頃、新橋かどこかの店でホタルイカを見つけて、つい頼んだが、ちょっと生臭さが立っていて、がっかりしたことを思い出す。あれが味の記憶に刷り込まれてしまっていて、本来の地場物の美味しさを上書きして忘れさせていたのかもしれない。底引き網で獲るのと違って、こちらでは、定置網で獲る。だから、身の傷みが少ない。定置網の漁場は、港から近いので、短時間で市場に水揚げされるから新鮮で美味しい。まあそんなわけで、県内のホタルイカは美味しい。

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今回は、そろそろ旬が終わるアカモクの味噌汁も一緒に食べた。海の滋養が染み入るような味わいだ。旬のものをを食べると健康に良く長生きすると言われている。生き物のいちばん良い時の命を頂くことで、人間の体にエネルギーをもらう。春の旬を楽しみながら、自然への感謝と、この県に生まれた幸せをあらためてかみしめている。
#ホタルイカ #旬を食べる














2021年03月14日

食欲と言う本質的記憶

認知症の父が、食事を食べたのに食べていない、という事が多くなってきた。これは認知症の典型的な症状のひとつである。以前も書いたけれど、ご存知ない皆さんのためにこのことをまた書いておこうと思う。
今週はほぼ毎日それが起きている。知らない方は当然ぴんとこないだろうから、笑い話みたいなものだと思われるだろうが、介護をする人間にとっては、30分ごとくらいに繰り返し同じように、ご飯を食べてない、と言われ続けるのはかなり堪える。それが週に何度もおきると、けっこう神経がまいってくる。
彼の記憶の中では、食事をした記憶が消えているので、食べていないということが、彼における事実なのだ。だから困ってしまう。説明しても受け入れられない。彼の記憶の中には食べたという事実がメモリーされていないのだから。
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最近感じるのだが、こういう状態は、ちょっとコンピューターのメモリーのデータ書き込みに似ている気がする。食事を食べた、という記録データがちゃんと書き込まれていないと、いつまでたっても食べていないという状態のままになっている。だから、食事が欲しいというシグナルを起こし続ける〜
人の記憶データの中で、食事をしたかどうかは、命に係わる重大事だから、おそらくメモリーの優先順位が高いのだろう。それの書き込みとメモリーが、老化によってディスクが劣化してしまっていて正確に行われなくなる。「食べていない」、という一大事の信号だけが優先的に残ってしまう、そんなメカニズムなのかもしれないと思う。

介護をしていると、食べる、眠る、排泄する・・・人間というのは、本当にそのリズムで生きているんだということを痛感する。そのサイクルが乱れたり止まったりすると、生命維持に関わる。去年の9月に、父が体調を崩して口から食事を食べられなくなったことがあった。わずか3日ほどで、父はあっという間に衰弱した。主治医も、口から食事ができなくなると高齢者はあっという間に危険な状態になるのでご注意下さいと話していた。
点滴を3日ほど続けて父が回復し始めたところで、私はゼリーなどの流動食などともかく口から食べさせるということを一生懸命やった。そのかいあってか、主治医が驚くほど回復した。

人間の色認識で、紫色とか、青色とかは、食べ物が腐ったり危険な状態だったりすることが多い色なので、本能の中に生きる上で「危険な色」としてメモリーされているという話を読んだことがある。おそらくそうだと思うことは多い。

生命を維持するうえで、自らの意志で行う大切なアクションの筆頭は、食べることなのだろう。
父は、今日もアクティブに食べてくれた。人は、子供などに食事を与えている時に本質的な安心感を感じるという。子供がパクパク食べているのを見ると、とても幸せな気持ちになる。同じように、最近のわたしにとっては、父がうまいうまい、と言いながら食事を食べてくれるとほっとする。

そして、今夜も、夕食を食べ終わってしばらくしてから、「おい、メシを食べてない・・」と、父が言いだした・・・・
#認知症 













2021年03月13日

番組改編の季節

3月は、テレビやラジオの番組が変わる季節である。提供番組に関係する人たちにとって、改編期は、なにかと落ち着かない季節だ。もちろん改編に関わる仕事は、3月ではなくもっと何ケ月も前で、局が番組を打ち切るとか、ドラマであれば次の番組内容をいち早くクライアントに説明して、提供の契約を継続してもらうように交渉するなどの仕事をする。時には、接待をしながら契約継続をお願いすることもある。提供打ち切りや、他社の扱い番組に乗り換えられた時などは、胃がきりきりと痛んだ人も多いだろう。

そんな記憶もかなりあいまいになってきている今日この頃である。今や隠居した年金老人だが、一人の視聴者として好ましく思っていた番組が、この時期なくなるというニュースは、やはり寂しいものがある。

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今年の改編期で、私が残念に思っているのは、「サワコの朝」の終了である。このことを知った時には、耳を疑った。人気番組であり、進行役のサワコさんは私と同世代とはいえ、まだまだお元気で、トークの切れも変わらず素晴らしい。視聴率もおそらく悪くなかったのではないか。
番組の打ち切りは、視聴率不振が原因のこともあれば、クライアントの事情に左右されるケースも多い。あとは出演するタレントなどのギャラを含めた製作費の高騰もある。サワコの朝は、近年では珍しくなった電気大手P社の1社提供である。コロナ禍の影響もあって、今期のP社は、厳しい経営環境にある。番組を降りるということも十分にあり得るかもしれない。今回もこうしたクライアント事情によるものかもしれないが、私はもはや情報ソースを持たないので、いずれもあくまで個人的な想像の域である。

ともあれ、阿川佐和子さんの巧みなトークによって、ゲストの魅力を引き出し楽しませてくれた楽しい番組がなくなるのは寂しいことだ。
土曜の朝、台所で朝食の支度をしながら、ドリス・デイが歌う”Tea for Two”が流れてくる。和田誠さんのタイトルイラストがオーバーラップする。今日のゲストは誰だっけ、と思いながらテレビをチラチラと眺める。面白そうなゲストの時には、手をとめて見入ったりもした。
そういえば、和田誠さんも亡くなられたなあ。時は移り、人も変わる。
さて、4月からは、どんな土曜の朝になるのだろうか。
#サワコの朝 

2021年03月12日

アトムの心

私は60代である。私が子供の頃に出会った最初のヒーローは、鉄腕アトムだった。
アトムの名前は、実は、原子力のアトミックから取られている。だからアトムを動かす100万馬力の原動力は、原子力という想定だった。
私が小学生から中学生にかけて、東海村の原子力発電は、時代の寵児だった。原子力は未来を作るエネルギーだと、我々はずっと教えられてきたように思う。社会科の授業でも習ったような記憶がある。中学生の頃、私は未来を作る東海村の原子力発電に関わるエンジニアになりたいという憧れを持っていた。

10年前、未来を作るエネルギーだったはずの原子力が、大地震によって凶器に変わった。未来を作るはずの放射能が、人の住めない町を作ってしまった。
大災害の報道映像、信じられないような津波の映像、そして津波がもたらした福島第一原発の事故という未曽有の危機。原子力発電所がメルトダウンを起こし、放射能を日本中に広げるかもしれないという恐怖。その危機と恐怖は、残念ながら現在も様々な形で継続している。
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今日、NTVで、映画「FUkushima 50」を放映していた。壮絶な映画だった。原子力発電所が、まるで悪の権化のように見られてしまうような事態になったが、そこで働いていた人たちは、本当に命をかけて戦い続けていた。
原子力の是非をあらためて考えることは必要なことだ。しかし、現在の発電施設で働く人たちは、誇りを持ってその仕事に取り組んできた人たちだ。未来を作るエネルギーに心血を注いできたことだろう。
映画に登場した吉田所長は、事故の放射能によるガンによってお亡くなりになったと聞く。まさに命をかけてこの事故に対処された方だ。彼以外のスタッフの皆さんも、この映画の通り、死を覚悟しながら懸命に働いておられたに違いない。
いきなりの現場視察に代表される当時の総理の愚かさと虚しさは、映画としての演出を差し引いても、実際のところこれに近かったのではないか。

映画のラスト近くで、佐藤浩市の運転する車が、人気のない町に入っていく。
その車が走っていく上には、「原子力あかるい未来のエネルギー」という看板。

原子力を平和エネルギーとして活用しようとした科学者は、おそらく明るい未来への純粋な情熱で取り組んだはずだ。しかし、原子力の持つ危うさを人は忘れてはならないことをこの事故は教えてくれた。
この事故以来、私は原子力による発電にはリスクがあるから、未来への選択肢としては選ぶべきものではないと思っている。鉄腕アトムは、手塚治虫先生は、どう思っているだろうか・・・
#福島第一原発 #Fukushima 50  #原子力

2021年03月11日

言葉の記号化

今日は、3月11日である。あの忘れがたい大震災から10年。テレビもラジオも新聞も、今週は、数多くの震災関連番組や特集を伝え続けている。
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あの大震災以来10年の間、ニュース報道などでいくつかの言葉が、頻繁に使われるようになった。
「きずな」、「ふれあい」、そして「寄り添う」などである。中でも、私は、この「寄り添う」が、ずっと気になっていた。
寄り添うとは、本来は、「ぴったりそばに寄る」「ふれるほど近くに寄る」という意味なのだが、心の共感を表す表現でも使われるようになってきた。とはいえ、なにか、違和感を感じていた。(あくまで個人的な感想ですが)

報道や、コメントにおいては、こうした災害などの時に、相手を思いやる言葉が求められる。相手にも、見ている方にも失礼がなく、共感を得られる言葉が欲しい。そうしたニーズの中で、ぴったりの言葉がいつの間にか選ばれ頻繁に使われるようになっていく。それは、やがて、共感を表現する使いやすい記号として定型化していく・・・
「寄り添う」もそんな記号となった言葉のひとつではないかと感じている。
元々言葉は、意志や思いを伝えるツールであり、そもそも文字を組み合わせた記号性をもったものである。何が悪いんだとお叱りを受けるかもしれないが、違和感なのである。
言葉のあるべき姿を超えて、便利な言葉の記号になって使いまわされているのではないかと。
本来の意味のように、本当にそばに寄りそうことはできないわけで、そこが多分私の感じる抵抗感、違和感なのだろう。思いを寄せる、というほうが、言葉の持つ意味に無理がない気がする。同様に、きずな、も便利さが拡大して記号化されて使われすぎているようにも感じてしまうのだ。こういう時には、きずなを使えば無難だ、というように。

本来言葉が持つべき適切な意味や使われ方を越えて、便利な記号として使いまわされてしまうと、受け手の中にも言葉の変質が起きてしまうのではないか、そんな気持ちになってしまう。
とはいえ、メディアとも関わりを持って仕事をしてきた人間としては、便利な言葉の力は、十分に理解できるし、自分でも原稿などで、じゃあ、これはこの言葉で、と簡単に使ってしまったこともあるのだろうけれど。
言葉というものは、本当に奥が深い。

#東日本大震災 

2021年03月10日

職人技

私は、日曜大工が好きで、高校生の頃に作ったオーディオスピーカーは、今も使っている。現在住んでいる古民家の玄関にある照明のいくつかは、木と電灯のブラケットを使って手作りしたものだ。しかし、当然ながらプロの職人さんには遠く及ばない。大工さんの仕事などを見ていると、上手いなあ、とわくわくしてしまう。

10日ほど前の夜、ゲリラ豪雨のような激しい雨が2時間ほど降ったことがあった。その時に、古民家の母屋と蔵をつなぐ廊下の継ぎ目にあたる台所の天井から突然雨漏りがした。
翌日、以前屋根瓦を直してもらった屋根工事の会社にすぐ連絡をして点検と修理をお願いしていたのだが、今日ようやくその工事が行われた。
工事といっても、屋根瓦を取り、瓦の下地に防水シートを新たに貼って瓦を貼り直すというものだ。
母屋と蔵をつなぐ渡り廊下の屋根には、ヒバの木の落ち葉が大量に溜まっていた。下見に来た営業担当いわく、母屋二階の大屋根の雨樋にもヒバの葉が詰まっていたので、大量の水が流れずに樋からオーバーフローして滝のように真下に落ちて、瓦に溜まったヒバの葉をつたって浸透して雨漏りしたのだろうという。雨漏り部分以外には問題ないだろうとのことで、今回は、台所の上にあたる廊下のつなぎ目部分から3mほどだけをまずは修理することになった。
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朝やってきたのは、職人一人だけで、あれっと思ったけれど、この方が素晴らしかった。一騎当千である。朝8時に到着して現場を見て、板やシートなどの材料と工具を二階に運び込み準備を整えると、あっという間に瓦をはずし、下地の板を止める古い桟のいたんだところを次々と取り外し、新たに取り付ける下地板をあっという間に適切なサイズや形に切断していく。
作業に興味津々なのだが、朝のことなので、私と父の朝食の支度をして自分も食べ、父にも食べさせて片付けをしてというルーティンワークがあるので、その区切りにちょこちょこのぞきに行った。
様子を見にいくたびに、目覚ましく作業が進んでいた。あっというまに新たな下地板が取り付けられ、固定用の新しい桟が打ち付けられ、防水シートが固定されていく。朝食の片付けを終えた頃には、屋根部分の作業はかなり終了していて、雨樋の取り外しと新しい雨樋の切断・固定作業も進んでいた。また、屋根にたまっていたヒバの落ち葉は、修理部分だけでなく屋根全てが掃除されていた。銅の針金を巧みに操って、次々と瓦の取り付けを行っていく手先の技とスピードにも感心した。

11時半頃に、ランチの支度のために台所に立って調理準備をしていたら、12時少し前に職人さんが降りてきて資材などを下ろしてきた。昼休憩かな、と思ったら、「作業が終わりましたので、現場確認と説明をします」とのこと。すごい!屋根部分の修理と雨樋の交換の両方をあわせて正味3時間ほどで完了である!あっぱれ!

職人さんと一緒に二階へ上がると、ゴミもなくなった屋根と新しい雨樋が美しく、また頼もしくも見えた。雨樋に落ち葉などが詰まった時に取り外してゴミを除くやり方も説明してくれた。若く見えたけれど、作業中に聞いたら24年ほどこの仕事をしているという。ベテランですね、と言ったら、いやまだまだかけ出しです、とはにかみながら笑った。素敵な笑顔だった。これで10年くらいは持ちますねと私が言うと、いや、樋も屋根も少なくとも20年以上は大丈夫だと思いますよ、との頼もしい返事。しかし、この古民家も、おそらく私の代までだろうなあと思いながら屋根を眺めた。
#職人 #屋根瓦

2021年03月09日

こんにゃくランチ

昨年から、パンを焼くのとケーキ作りにハマって、ケーキやらパンやらをいろいろ作り続けてきた。実は、これまで、夜は酒を飲むので、炭水化物はあんまり摂らないようにしていた。それが、焼きたてのパンがおいしくて、ついワインと一緒に食べすぎたり、お菓子も、自分で作ると一人で食べるにはちょっと多いので、つい食べ過ぎてしまう。
結果、この半年ほどで、体重が激増した。
これはマズイ!、と大反省してトライしはじめたのが、こんにゃくランチ。
朝は、お米を食べたい人なので、これをやめるのはつらい。夜も、たまにはパンとワインを楽しみたい。そうなると、ランチの炭水化物を減らすしかない。
かくして、こんにゃくランチが始まった。
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やり始めると、意外に苦痛はなくて、今日はどんなメニューにするかな?というのも結構大変だと思ったが、7種類くらいの基本メニューを定番化して、それを中心に回していけば、それほど苦痛なく楽しめるようになった。1週間のうち1回くらいは、こんにゃく以外のものでもいいじゃないか、というゆるいルールでやっているので、それも功を奏しているかもしれない。

ということで始めたこんにゃくランチも、のべ24回! 一ケ月弱続いていることになる。
レシピをあれこれ考えるのもなかなかクリエイティブなことで、自分への刺激にもなる。これで、ウェストがぐっとしまってくれればいうことはないが、残念ながら今のところあまり大きな成果は出ていない。
#こんにゃくダイエット

2021年03月08日

官僚の転落

「文春砲」の迫撃によって、総理大臣の長男による接待事案は、多くの「負傷者」を出している。先日東北新社の接待問題で懲戒処分を受けた総務省の谷脇審議官は、今度はNTTによる接待を受けていたことも判明して、内閣官房付に異動となった。今日のニュースでは、事実上の更迭、という文字が躍っていた。
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(画像はヤフーニュースより)
谷脇氏は、インターネットや携帯電話、ITなどのエキスパートで、総務省でもこの分野では屈指の存在だった。実は著作も数多く出版されており、2012年に出版された情報産業のこれからの姿と課題を描いた「ミッシングリング」は、霞が関の官僚が書いたとは思えないということで、ITなどの業界筋でも評判になっていた。
役人らしからぬ柔らか頭の人で、なかなかユニークな存在という印象で、自身のSNSやブログも早くから展開されていた。私もフォロワーとして時々ツイッターなどを読んでいたが、興味深い投稿も多かった。(当然だろうが、現在はツイッターもブログも非公開となっている)
私の知人には、彼と接点のあった人もいて、優秀で面白い人だという話も何度か聞いたことがあった。いずれは総務省の次官級まで行くのではないかというような声も、当時耳にした。ITネットワークの情報通だっただけに、情報収集や人脈形成にも積極的な人だったようだから、今回の件は、ある意味そうした異色の存在としての「軽快な」フットワークが、裏目に出たというところかもしれない。

私がサラリーマン時代の後半期に、IT関連のセミナーなどで、谷脇氏の講演を聞いたこともあった。
不謹慎だと怒られるかもしれないが、携帯電話の料金値下げや5G時代の今後の展開などのキーパーソンだっただけに、彼が更迭されたことは、実はけっこう多方面に影響があるのではないかという気もしている。

かつて、あのダイアナ妃は、パパラッチの追撃によって命を落とした。日本では、その昔、FOCUS、Fridayといった写真情報誌のスクープ写真が芸能人を攻撃したこともあった。そして、最近は文春砲である。その威力は、霞が関のエリートたちを次々と撃墜し、時には政権をゆるがす存在にもなっている。

谷脇氏の著書「ミッシングリング」の宣伝コピーには、次のような一文がある。
「霞ヶ関からの緊急提言。電機・情報通信産業の5つの環が切れている!つなげば日本は浮上できる」
出世の階段を順調に登っていたエリートの運命は一変した。この先彼の失われた運命のリングが復活して、再び浮上できる日は訪れるだろうか?・・・
#谷脇審議官


木瓜の春

昨日、いつも花を買うスーパーのコーナーをのぞいたら、木瓜の小枝があった。
たいていは、鉢植えで売っていることが多いが、買ってきてもたいてい枯らしてしまっていた。小枝で売っていることは珍しい。しかも安かった!思わず買い求めた。
小枝といっても、家に持ち帰ってみたら、けっこうな大きさで、花瓶にはおさまらず、やむなくいくつかに切り分けて活けた。
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父の介護をしてから8年ほどになる。途中ゴルフができるくらいまで半年ほど回復した時期もあったけれど、しばらくして、また要介護になった。完全に歩けなくなったのは、この2年弱ほどだろうか。その少し前から、冬の終わりのこの時期に、木瓜の鉢植えを買うことが何度かあった。淡い色のやさしい花と、「ボケ」という花の名前が、ボケ老人の世話をしている自分に妙に似つかわしいようなちょっと皮肉な気持ちもあったのかもしれない。介護に疲れ、心がくたびれていたことは確かだったと思う。しかし、じっくり眺めていると可憐で優しい花だなあと思った。

私は、植物とはあまり縁のない人間だった。独身の頃から、ポトスなど観葉植物を時々部屋に飾ったこともあったけれど、植物の世話とはどうも相性が悪いようで、いつも枯らしてしまっていた。そんなわけで、50代くらいまでは、あまり花を飾ったりすることもなかった。ところが、60代を過ぎてから、散歩の途中に目にする季節の草花などに目がいくようになった。時々切り花を活けるようにもなった。なにしろ、蔵の中には山のように安物の花器があった。花を飾る器には困らない。かくして色々な切り花や鉢植えを買ってきたりするようにもなった。面白いものだ。

ボケは、瓜に似ている果実が実ることから、木になる瓜ということで「木瓜(もけ)(もっけ)」と呼ばれていたそうだ。この「木瓜(もけ)」が訛ってボケとなったと言うのが名前の由来の有力な説のようである。

昨日買ってきて、枝を切って、3つほどに分けたのだが、いちばん花の多い枝が、今日は少し開花してきたように思う。枝の状態でどれくらい持ってくれるのかわからないけれど、ささやかな春の楽しみではある。

五弁の花を模った「五つ木瓜」(いつつもっこう)は、織田信長の家紋だという。
「先駆者」「指導者」「熱情」「平凡」「退屈」「妖精の輝き」「魅感的な恋」など様々な花言葉もある。熱情と平凡と退屈では、ずいぶんと大きな違いがあるようにも思うけれど。
そんなことを調べながら、淡い赤い色を眺めていると、ようやく長い冬が終わり、百年古民家にも、春がやってきたような気持になる。

3月11日の大震災から10年目の春、コロナの春、木瓜の春。
#木瓜
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