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2021年03月11日

言葉の記号化

今日は、3月11日である。あの忘れがたい大震災から10年。テレビもラジオも新聞も、今週は、数多くの震災関連番組や特集を伝え続けている。
210311東日本大震災.jpg

あの大震災以来10年の間、ニュース報道などでいくつかの言葉が、頻繁に使われるようになった。
「きずな」、「ふれあい」、そして「寄り添う」などである。中でも、私は、この「寄り添う」が、ずっと気になっていた。
寄り添うとは、本来は、「ぴったりそばに寄る」「ふれるほど近くに寄る」という意味なのだが、心の共感を表す表現でも使われるようになってきた。とはいえ、なにか、違和感を感じていた。(あくまで個人的な感想ですが)

報道や、コメントにおいては、こうした災害などの時に、相手を思いやる言葉が求められる。相手にも、見ている方にも失礼がなく、共感を得られる言葉が欲しい。そうしたニーズの中で、ぴったりの言葉がいつの間にか選ばれ頻繁に使われるようになっていく。それは、やがて、共感を表現する使いやすい記号として定型化していく・・・
「寄り添う」もそんな記号となった言葉のひとつではないかと感じている。
元々言葉は、意志や思いを伝えるツールであり、そもそも文字を組み合わせた記号性をもったものである。何が悪いんだとお叱りを受けるかもしれないが、違和感なのである。
言葉のあるべき姿を超えて、便利な言葉の記号になって使いまわされているのではないかと。
本来の意味のように、本当にそばに寄りそうことはできないわけで、そこが多分私の感じる抵抗感、違和感なのだろう。思いを寄せる、というほうが、言葉の持つ意味に無理がない気がする。同様に、きずな、も便利さが拡大して記号化されて使われすぎているようにも感じてしまうのだ。こういう時には、きずなを使えば無難だ、というように。

本来言葉が持つべき適切な意味や使われ方を越えて、便利な記号として使いまわされてしまうと、受け手の中にも言葉の変質が起きてしまうのではないか、そんな気持ちになってしまう。
とはいえ、メディアとも関わりを持って仕事をしてきた人間としては、便利な言葉の力は、十分に理解できるし、自分でも原稿などで、じゃあ、これはこの言葉で、と簡単に使ってしまったこともあるのだろうけれど。
言葉というものは、本当に奥が深い。

#東日本大震災 
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