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2021年03月06日

自動運転の時代

一昨日、ホンダから、新しい自動運転技術を搭載したレジェンドが発表された。見出しにはレベル3、という文字があった。
210306ホンダレジェンド自動運転.jpg

自動運転には、その技術レベルに応じて、区分が設定されている。レベル1からレベル5までの5段階で、レベル1と2は、あくまでドライバーが運転しその運転を支援する自動運転ということで、レベル3からレベル5は、システムが運転する自動運転車というものになっている。
210305自動運転のレベル分け表.jpg

つまり、レベル3から上は、運転する主体が人からシステムになるということだ。ひらたくいうと、ドライバーが運転しているけれど、ちょっとだけステアリングから手を放しても車線をキープしてくれるなど「自動運転技術がドライバーをフォローしてくれる」というレベルと、ドライバーが運転しなくても「システムが運転を主体的にひきうけてくれる」というレベルの違いである。

これまで発表されてきた自動運転機能搭載車は、レベル2までの車だったが、今回は、自動運転システムが主体性を持つこともできる初の市販車ということになる。つまり一段階新しい次元に入ったということだ。時速30q以内、つまり渋滞中などであれば、ドライバーがスマフォを見ていても違反にならないという。これはかなりの驚きだ。そしてその次元に踏み込んだのが、日本の自動車メーカーの中では、運転する楽しさを常に主張し続けてきた本田宗一郎さんの意志を受け継ぐホンダであったことが、私にとっては、非常に印象的でもあった。

車は、人が操るべきものだと私は思っているし、自動運転システムが主体性を持つことには今もって、個人的には抵抗感が強い。しかし、ホンダが自動運転の発表で説明したように、安全を追求するものとして自動運転があるということは、少し理解ができた。

今、世界中の自動車メーカーが、ガソリンエンジンから電気自動車に転換しようとしている。石油は有限資源であり、地球温暖化などのことを考えても、これは、やむを得ない事だとは思う。しかし、以前も書いたけれど、ガソリンエンジンの持つ魅力と文化が消失してしまうことには、やはり寂しさを感じてしまう。
20代から30代にかけて、壊れそうなポンコツ欧州車を何台か乗り続けてきた。(あ、正確には今も乗り続けている(笑))ガソリンポンプが壊れたり、ガソリンタンクのフィルターにさびなどのゴミが詰まってエンジンが息切れしてとまりそうになったり、といったトラブルも数多く経験した。目白通りの真ん中で、車が止まり、自らの手でクルマを押して脇にどけたこともある。
しかし、いずれも思い出深く愛すべき車たちだった。私が免許を返納するまでは、経過措置を含めて、たぶん古いガソリンエンジン車には乗っていられるのではないかと思っているが、さて、その先にはどんなクルマ社会が待っているのだろうか?
#自動運転 #レジェンド自動運転

2021年03月05日

コロナ禍が生み出す新たな市場

今朝の朝刊に、小さな記事だが、興味深いものを見つけた。
パナソニックが、処方薬を宅配するロボットの実証実験を始めるというものである。
210305ロボで処方薬配達・北日本.jpg
(北日本新聞より)

コロナ禍によって生まれた新たなビジネスシーズが、「対面抑制」、「接触抑制」をキーワードとするマーケットであろう。このパナソニックのロボットは、リモートによる診察や処方に対応して、できるだけ対面せずに処方された薬をデリバリーしようというアイデアのようだ。ちなみに、パナソニックは、コロナウィルスワクチンを運搬するための冷凍ケースも、いち早く発表しているが、その商品には冷蔵庫で培われた断熱技術が活かされている。

コロナV感染を防ぐために、できるだけ人と直接対面することを避けることに関わる商品も様々なものが生まれている。
ホームセンターに行くと、透明なパーティッションがいつの間にか数多く売られている。段ボール製など様々な素材のものでデスクに置くタイプのものからお店用のスクリーンなどまで色々なものがある。
直接手に触れることをできるだけ避けようということについても、世界一衛生意識の高い?日本人ならではの「非接触関連商品」が増えている。
電気メーカーのTVCMで、ディスプレイやエレベーターのボタンに直接触れずに動作する非接触型の商品が告知されているのを見かけたが、エレベーターのボタンに手で触りたくない、という気持ちを汲み取り、技術によって商品化しようという発想は、世界でも日本人が傑出しているのではないかと思う。
手指の殺菌消毒グッズ関連は、ある意味直接的な商品だけに、消毒薬など既存商品の売上増を含めてこの一年で大きな市場が生まれたことだろう。

戦争が技術開発や商品開発、経済発展を促すということは昔から言われていることだが、ウィルスとの戦争も、どうやら新たな市場経済を生み出しているようだ。
#対面抑制 #接触抑制













2021年03月04日

朝の顔

テレビ好きの私は、当然何人か、ご贔屓の有名人やアナウンサーがいる。その一人は、「日本人のお名前」で、人気を博している赤木野々花アナである。あの古館アナの突っ込みにもひるむことなく、時にボケ、時につっこみ、と見事に対応しながら番組を引っ張っている。おおらかさとのびやかさを感じさせる現代的でチャーミングな女性だが、大学の後輩というところも、ついシンパシーを感じてしまう。おそらく私と同世代の日本中のオヤジたちが、心をわしづかみにされているに違いない。

そして、もう一人が、「あさイチ」のMCをつとめる近江アナである。ブラタモリの進行役の頃から、頭が良くて、タモリさんとのコンビネーションも良く、性格もよさそうなお嬢さんだな、と、すっかりファンになっていた。おそらくタモリさんも彼女のことはお気に入りだったのではないかと思う。(ブラタモリでタモリさんのお相手をつとめると、そのあとには大役が待っている、という流れになっているような気もするが。)
210304近江アナ.jpg

その近江アナが、この3月でNHKを退社し、新しい仕事にチャレンジするという。番組としては、明日5日朝の放送が最後だという!
ああ、なんということか!日本中のオヤジの嘆きが、ため息が、聞こえてくる・・・年金オヤジのアイドルが、ブラウン管から、いやディスプレイから消えていく!・・・・・

NHKの中では、今後を担う期待の女子アナのひとりだっただけに、突然の退職話は、局内でも大きなインパクトだったのだろうと拝察する。
彼女は、一見おとなしそうな雰囲気でありながら、随所に骨っぽいところを感じさせた。
最近結婚したという話だが、実は、社内結婚と言いながら、かなり年上の方との結婚で、現在はお互いの仕事の関係で別居婚との由(なんだか芸能週刊誌みたいだね(笑))

民放の、時にさわがしい女子アナが多い中で(すみません、あくまで個人的感想です)、大人が安心して視聴することのできる番組を担うことのできるアナウンサーは本当にありがたい。そんな彼女がいなくなってしまうのだ。フリーアナウンサーになって民放への出演?、という王道の路線ではなく、違う仕事をするとのことらしいが、どこで何をしても素晴らしいご活躍をされることだろう。
ちなみに、私は、介護とか社会福祉とかそういう社会的な仕事をされるのではないかとひそかに想像しているのだが、さてどうだろうか。

視聴者の気持ちを察知するのが上手な華丸大吉さんは、今朝の放送で、やめるのやめたら、というようなニュアンスの退職を惜しむコメントをしていたが、これまた日本中から「そうそう。いいぞ」という声が聞こえてくるような気がした。
近江アナもそうだが、華丸大吉というタレントが人気があるのも、風をうまくつかまえて、嫌味なくすぐに言葉にできる能力のなせる技だろう。
バラエティで売れっ子として仕事をこなしているタレントの多くは、そうした優れた対応力を持っている人が生き残っているように思う。

ちょっと話がそれてしまったが、今回の投稿は、近江アナへのオヤジファンからの惜別である。来週から、毎朝の楽しみがなくなってしまう。華大さんもすごいけれど、やはりそこに近江アナの姿がないと・・・・ああ!・・・・しばらくは近江ロスが続きそうである。
#近江アナ













2021年03月03日

吉田茂の魅力

吉田茂という政治家が昔から好きだった。
歴史に弱い私としては、あまりよくわかっていないにも関わらず、なんだかそのキャラクターに、ずっと好感を抱いていた。頑固おやじの風貌でありながら、国際感覚があり英語にも堪能な外交官出身で、反骨精神があり、アメリカも堂々と対峙した人、その程度のイメージしか持ち合わせていなかったが、犬好きのところなど特にシンパシーを感じていた。(実は、我が息子の名前は、吉田茂さんのご子息の名前も命名の理由のひとつであった)
そして、白洲次郎は、白洲正子さんの著作を読んでいたこともあり、また、30年くらい前に、雑誌BRUTUSで白洲さんの特集号があって、それを読んで以来ずっと憧れを抱いていた人である。
210302テレ東吉田茂.jpg
(画像は、テレ東サイトより:https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_bstvtokyo/program/detail/202103/24686_202103031900.html

今夜は、BSテレ東で、吉田茂のドラマを放送していた。
NHKのドラマに比べると、やや粗削りなつくりではあったが、見ごたえもあり、吉田茂と白洲の強烈な関係や、その骨太な人生をあらためて学ぶことができて、また彼のことが好きになった。吉田茂役の鶴瓶さんと白洲次郎役の生田斗真の熱演にも心を動かされた。

ドラマを見ながら、大学生の頃に小説吉田学校も読んだはずなのに、ちっとも身についていなかったことを痛感した。恥ずかしながら、サンフランシスコ講和条約の経緯や意義を、60代半ばにしてようやく少し理解できた気がする。
日米安保条約については、今もって賛否両論があり、ここではコメントを控えたいが、講和という方法論と安全保障というはざまで、吉田が真摯にそれについて考えた結果であることについては、あらためてきちんと受け止めるべきだと思った。

ドラマのエンディング、吉田の言葉、「しかし、人は死ぬ。しかし、国は生き続ける・・・」
1951年のサンフランシスコ講和条約から70年、吉田茂は既にこの世を去り、日本国は生き続けている。しかし、生き続けなければならない日本国だが、国の借金は大きく膨れ上がり、コロナや原発の後処理など解決すべき課題は山積している。

生き続けよ!日本! 政治家よ刮目せよ!

#吉田茂 #白洲次郎













2021年03月02日

豚バラ肉を楽しむ

考えてみたら、このところ食べ物について書いていなかったので、今日は豚バラ肉料理について。
私は、豚バラ肉が好きだ。それもブロックのものが。ただ、実質一人で食べることになるので、あまり大きなものだと持て余してしまうから、なかなかちょうど良い大きさでしかも安いものには出会わない。数日前、ちょうど手ごろな大きさのブロックが格安で売られているのを見つけて久しぶりに購入。どうやって食べようかなと考えていたが、まずは、肉の両端を整えるべく薄く数枚カットし、バラ肉のミニカツを作ってまずランチに食べた。(写真は取り忘れました(W))
そして、残りの肉を、半分は、角煮を作ることにして、半分はショウガとニンニクを入れた漬けダレに漬けておき、翌日魚焼きグリルで丸焼きを作ることにした。

というわけで、今日の夕食は、昨日から煮込んだ豚バラ肉の角煮と、ハチミツダレをかけながら焼いた焼き豚風の2つの味を楽しんだ。
210302DSC_0056.JPG

角煮は、何度作ってもお店のように柔らかい仕上がりにならないが、今回は、火加減に注意して2日間じっくり煮込んだのでかなり柔らかくなった。とはいえトロトロとまではいかない。(ネギは、トロトロで美味しく煮あがったけれど。)本当に難しいものだ。
焼き豚風のたれ焼きは、今回は、我ながらかなり良い仕上がりになった。一気に焼かずに、余熱を使いながら焼いたのが良かったようだ。最近の料理番組で良く言われるのが余熱である。唐揚も、揚げた後にアルミフォイルでくるんで余熱をかけると中までうまく熱が通る。今日の焼き豚も、余熱が功を奏した。
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料理は、熱をどうコントロールするかで、本当に味が変わる。常備菜で、鶏手羽元などを
煮込んだストックをよく作るが、うっかり強めの火で煮たりすると、とたんに肉が固くなる。

そういえば人間関係においても、ほどよい温度が大切だ。熱すぎるとやけどするし、さりとて気持ちが十分にあったまっていないと、恋も成就しない。料理でも、恋でも、火加減をとらえるのはなかなかに難しい。
#豚バラ肉 #豚角煮













2021年03月01日

春の気配

「二月逃げる」という言葉通り、二月が素早く逃げて三月になった。
途端に、気温が20度を越えた!久しぶりの暖かい晴れ間である。春の気配を感じる。
ちょうど父がデイサービスに行っている日でもあり、好天に誘われて市内の古城公園に出掛けた。以前からそろそろかな?と気になっていた公園の梅を見に行きたいと思っていた。

園内に入ると、やはり、梅の花が色づいていた。雪で枝が折れないようにする北陸独特の雪吊りと青空を背景に、梅の紅が映えている。
210301梅DSC_0038.JPG

梅は美しい。北陸では、春とは名のみの冷たい空気の中で見ることが多いせいなのだろうか。どこか凛とした印象がある。桜も好きだが、年を経るごとに、梅の魅力に魅かれるようになった。

3月に入り、県の名産であるホタルイカ漁解禁のニュースが報道された。
冬の寒ブリから春のホタルイカへ。旬のおいしさも移り変わる。私は、食べ物の好き嫌いがほとんどない。しかし、ホタルイカは、嫌いではないけれどそれほど執着はない。旬の時に1〜2回食べられれば満足という感じである。
とはいえ、東京のスーパーに並ぶものとは違って、こちらのスーパーで買ったホタルイカはやはり美味しい。歯の悪い父は噛めなくなったから、今では、私一人しか食べないので、こちらで売っているパックでは大きすぎて持て余してしまうから今シーズンは食べられないかもしれない。

春の気配と書いたけれど、明日は天気が急変しそうだ。一気に冬型に変わり、冷たい雨か雪が降るという。
三寒四温というけれど、北陸の場合には、まだ少し春は遠いようだ。暖かい東京がうらやましい。

210301梅の碑DSC_0043.JPG

古城公園の梅のエリアには、大伴家持の歌碑がある。

  うぐいすの鳴き散らすらむ春の花 いつしか君と手折りかざさむ 

そんな甘い思いは、ずいぶんと遠い記憶になってしまった。
#梅











2021年02月28日

二月逃げる

「一月往ぬる二月逃げる三月去る」という言葉があるらしい。恥ずかしながら知らなかった。いつものようにラジオを聞いていたら、そんな言葉が流れてきた。一月から三月までは、色んな行事があるので、あっという間にすぎてしまうということのようだ。

その言葉通り二月も今日で終わりだ。ついこの間正月を迎え、年賀状を受け取り、それを整理しながら一月を終えた気がするのだが、二月がいくら日数が少ないとは言っても本当に逃げて行ったかのように三月となる気がする。NHKのガッテンで、年をとると時間の経過が早くなる理由を説明していたけれど思い出せない。確かに60才を過ぎてから、時間の速度が加速したかのように感じる。

コロナウィルスの蔓延も、時間の速度を早めたような気がする。いったいどうなるのだろうか?という不安と恐れの中で日々を過ごしていると、平常時にもまして時間の速度が加速する気がする。オリンピックという世界イベントも、開催日に向けたカウントダウンがつきものというせいもあってか、さらに拍車をかけた。
210228壊れた原発.jpg

そして、二月が終わり三月を迎えると、あの大災害から10年ということになる。10年と言われると驚く。もうそんなに時間が過ぎたのか、と。
まじめでたくましい日本国民は、未曽有の大災害のあとでも懸命に努力をして、驚くべき勢いで復旧をしてきた。世界中を見ても、これほどリカバリー力のある国はないのではないか?
しかし、失われた命は戻ることはなく、また、現在も苦しい生活を続けている人たちも数多くいらっしゃる。
何よりも、破壊された原子力発電所の後始末は、いまだ先が見えない。それどころか毎日溜まり続ける汚染土壌や、汚染水などの行き場は、有効な策が見つかっていない。汚染水を薄めて海に流すという案が有力案として出ている。確かに方法は限られるのだろうが、不安はぬぐえない。報道されないけれど、壊れた原子炉の中で進んでいる核物質の恐怖は、今も静かに進行しているはずだ。

原子力発電の稼働しない時間の中でも、この国の電力需要は、何とか維持されていた。それは、もしかすると原子力に頼らない社会の実現が可能かもしれないという一つの答えを示していたようにも思えるのだが、にも関わらず、国を動かす人たちは、原子力発電を縮小していくという道を歩もうとはしていない。
このところまた地震があちこちで起きている。もし、今度は、高浜や九州などの原発で、福島と同じ事故が起こったらどうなるのか?そのことをイメージできない政治家が国を動かしている。
接待問題で国会を空転させている場合ではない。もっと議論すべきことが、この国には山積している。
二月は逃げる、どころではない。国の未来が逃げていくかもしれないのだ。
#二月は逃げる










2021年02月27日

ブリ食いのケンミン

今日の地方紙の一面に、「ブリ支出再び全国一」という見出しの記事が載っていた。
(恐らくわが県以外の新聞紙面では、一面には掲載されていないと思うが。)
210227ブリ記事IMG_20210227_205731.jpg

実は、富山市は、2018年までの47年間、ブリへの家計支出が連続日本一だった!しかし、2019年は4位に陥落し連続記録が途切れてしまっていたのだ。それが、2020年の家計調査で再びトップの座に返り咲いたというわけである。トップに戻った2020年の富山市の1世帯あたりのブリへの支出額は、6990円だそうで、購入数量も1位で、4775gだという。仮に400円の刺身パックで換算すれば、年間17パック弱ていどだから、これくらいなら県内どこの家庭でも、間違いなくそれ以上買っているだろう。私の場合でも、この時期は、刺身と切り身両方を合わせれば、月に3〜4回は買って食べていると思う。一年を通じて販売されているけれど、ブリのいちばんおいしい旬の時期が3〜4ヶ月だとすれば、その間だけでも12回〜14回は買っていることになる。仮に家計調査データーのブリに、もしフクラギまで含まれているのなら、もっと多くなるだろう。

とにかく県内のスーパーでは、ブリの売り場はかなり場所を取っている。刺身も切り身も常時大量に並べられている。こんなに毎日大量に並べて食品ロスは大丈夫かなと思うくらいだが、見ていると、ブリの刺身や切り身を手にする人はしょっちゅう見かける。夫婦で買い物している人だと、なんとなくご主人のほうがブリのパックを手に取り、奥様は、値段の安いフクラギにしなさいよ、と言っていることも多い気がする。私もそうだが、ケンミンは、フクラギ好きも多い。フクラギは、ブリになる前の呼び名で、ふくらはぎくらいのサイズだからこの名がついたという説も有力だ。ブリよりさっぱりしてあきがこない。

ともかく秋から冬にかけて、ブリやフクラギの刺身や焼き物、あるいはブリ大根などの煮物が食卓に登場しないことなど、ケンミンはあまりイメージできないだろう。

ここ数年は、ブリの漁獲高の少ない年が続いたが、今年は比較的豊漁の日が多かったと思う。そのせいで昨年よりもスーパーでのブリの値段がこなれているようにも感じた。そのことも多少、日本一に影響したのかもしれない。
昔は、春先のブリは、ケンミンは食べなかったので、旬の時期は、2月いっぱいくらいまでだったような気がする。春先のブリは虫がいるなどという人も昔はいたが、今ではそんなこともなくなったのか、最近は初夏くらいまでスーパーに並ぶようになっている。

我が家では、私が中学生くらいまでは、正月に親戚が集まり、ブリ1本を家でさばいて、みんなで食べていた記憶がある。
氷見では、娘さんがお嫁に行った時には、その年暮れに嫁ぎ先にブリ一本を丸ごと贈るならわしがある。魚をさばけないご家庭が多くなっているから、頂いた先のおうちによっては、巨大なブリを前にして、途方にくれていることがあるやもしれぬが。

いずれにせよ、出世魚として縁起が良いとされ、美味しい旬のブリも、コロナウィルスのおかげで、観光客が味わうこともなかなか思うようにいかない日々が続いている。来シーズンには、また日本中から美味しいブリを食べに来ていただけるようになることを願っている。

#寒ブリ 











2021年02月26日

雲上のデジタル改革

朝刊を読んでいたら、全日空が機内誌を、紙からデジタルに変更するという記事が目に留まった。
4月1日から、おなじみの機内誌を、全日空アプリを通じてデジタル提供する形にするという。
210226ANA機内誌をデジタル化.jpg
(写真は、共同通信サイトより)
確かに膨大な印刷部数で、しかも用紙も高級紙を使っているし非常にレベルの高い印刷をしているのでコストの高い印刷物だろうな、とPR誌やカタログなどの印刷物も作っていた経験のある広告代理店OBは、新聞を眺めながらうなずいた。

デジタルに変えることで、年間1540トンの紙の使用を抑えることができ、年間5億3千万円ものコストを削減できるという。コロナ苦境にあえぐ航空会社にとっては、大きな節約だろう。
とはいえ、飛行機に乗り込んで座席に座り、シートベルトを締めてひと息ついたところで、イヤフォンを耳に装着してコードをジャックに差し込み、シートポケットの機内誌を取り出して開くという一連の動作を行うと、さあこれから離陸だという旅気分が広がっていくものだった。
これが、小さなスマフォ画面を開き、たぶんインストールしたアプリを起動して雑誌の画面を開くとなると、老眼のおじいさんには、なかなか大変だし、ゆったりとした空の旅も妙にせせこましい印象になることだろう。記事を読むためには、たぶんピンチアウト(指で画面に触れて拡大する動作)して読むのだろうか?
航空会社をクライアントに持った経験もあり、人一倍飛行機会社を愛しているものとしては、経営難の状況を鑑みてもやむを得ないことだとは思うのだが、なんだか旅心が少しスポイルされる気がしないでもない。

これに限らず、アナログのグラフィカルなものが与えてくれる感覚というのは、デジタルでは得られないところがあることを最近特に感じる。例えばLPである。昔からLPジャケットの30p角のサイズに印刷されたジャケットデザインは、一種のアートでありメッセージだった。ジャケットからレコードを取り出し、レコードプレイヤーに乗せ、多くの人は、ジャケットを目の前に立てかけながら音楽を楽しむ。音を聞きながら、ジャケットと音楽との一体の中で、アーチストの考えているイメージが、より強く感じられる。
機内誌もまた、内外の美しい景色などの写真を眺めながら、ページをめくって記事を読み、そして水平飛行に移った頃には眠りにおちて雑誌は膝の上に開いたまま置かれている・・・そんな時間が空の旅の楽しさでもあった。

デジタル時代の中で、アナログの持つ力とか魅力が再認識されている。デジタルの良さを活かしながら、アナログも捨てることなく共存していく。それが、コロナ禍がもたらした生活の中で、あらためて大切なもののように思える。
#ANA機内誌 










2021年02月25日

黒メガネの五箇さんの言葉

昨日NHKラジオの「ごごラジ」を聞いていたら、あの黒メガネに革ジャンという個性的ないでたちの国立環境研究所の五箇公一さんの話が非常に興味深かった。
210224五箇さん.jpg
(画像はNHKのサイトより)

まず印象的だったのは、地球の生き物の中で、生物学的に最も弱いはずの人間が、はびこりすぎて自然のバランスを壊すようになってきたから、生態系を維持するために、いわばウィルスが「天敵」として反撃しようとしている、という言葉。ウィルスが、生態系の安定性を保つ「監視役」として機能したというのである。面白い。

彼は、さらに続ける。「人間は、自然がもたらす資源やエネルギーを大量に奪い、野生生物に対する圧迫を続けている。生態系のバランスを崩すほどに増加した人間に対して、生態系は<元に戻そう、復元しよう>とする機能が働いているのだと思います。新型コロナウイルスはその最新型として、まさに人間に対する「自然界からの逆襲」ととらえるべき存在だといえます。」と。

以前、私も、コロナウィルスは、人間のおごりに対する警鐘のようなものか?というようなことを書いたことがある。ウィルスのこれほどの猛威は、何か神様が、人間に対していい加減にしなさいと言っているような気がしていた。私が感じたそんな思いを、五箇さんは自然科学の立場から解析してくれた。確かにそうなのかもしれない。産業革命以来、人間は地球の資源と自然のバランスを崩すような活動を繰り広げてきたのだろうか?

バイデン大統領は、過去のどの戦争よりも、このウィルスによって亡くなった米国民の数のほうがはるかに多い、とスピーチした。その通りだ。世界の死者数は、少し前に1億人を越えて1億1千2百万人を越えた。日本国民全員が亡くなったのと同じ数だ。

五箇さんは、こんな風にもコメントしていた。感染が拡大して、自分さえよければという利己的な考えが蔓延し、マスク警察などの歪んだ正義感が人々の分断をもたらした。国際的にも自国主義が優先し、ワクチン確保に各国が躍起となり、ワクチン接種の格差が生じ国際的なあつれきが悪化して、紛争や戦争にもつながりかねない。こんな時こそ、本来人間が持つ「人間性」というものを見つめ直して欲しい、と。人間には、助け合いの精神があり、その「互恵的利他精神」が、人間という種の進化をもたらし、生物学的に非常に弱いはずの人間が、地球全体に広がり、強い存在になり得たとも。

番組の最後を、彼はこんな言葉で結んでいた。
「助け合いの精神は、我々人類に与えられた宝です。必ずコロナウィルスに打ち勝つ日が来る」と。

ちなみに、彼は、私の高校の後輩である。わが母校も、なかなか面白い人材を輩出しているものだ。

*彼の出演した番組は、NHKのらじるらじるで、1週間聞くこともできます。また彼の言葉は、このサイトで読むことができます。https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/gogocafe/cSXzP09EOc.html

#コロナウィルス  #五箇公一 #










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