その言葉通り二月も今日で終わりだ。ついこの間正月を迎え、年賀状を受け取り、それを整理しながら一月を終えた気がするのだが、二月がいくら日数が少ないとは言っても本当に逃げて行ったかのように三月となる気がする。NHKのガッテンで、年をとると時間の経過が早くなる理由を説明していたけれど思い出せない。確かに60才を過ぎてから、時間の速度が加速したかのように感じる。
コロナウィルスの蔓延も、時間の速度を早めたような気がする。いったいどうなるのだろうか?という不安と恐れの中で日々を過ごしていると、平常時にもまして時間の速度が加速する気がする。オリンピックという世界イベントも、開催日に向けたカウントダウンがつきものというせいもあってか、さらに拍車をかけた。
そして、二月が終わり三月を迎えると、あの大災害から10年ということになる。10年と言われると驚く。もうそんなに時間が過ぎたのか、と。
まじめでたくましい日本国民は、未曽有の大災害のあとでも懸命に努力をして、驚くべき勢いで復旧をしてきた。世界中を見ても、これほどリカバリー力のある国はないのではないか?
しかし、失われた命は戻ることはなく、また、現在も苦しい生活を続けている人たちも数多くいらっしゃる。
何よりも、破壊された原子力発電所の後始末は、いまだ先が見えない。それどころか毎日溜まり続ける汚染土壌や、汚染水などの行き場は、有効な策が見つかっていない。汚染水を薄めて海に流すという案が有力案として出ている。確かに方法は限られるのだろうが、不安はぬぐえない。報道されないけれど、壊れた原子炉の中で進んでいる核物質の恐怖は、今も静かに進行しているはずだ。
原子力発電の稼働しない時間の中でも、この国の電力需要は、何とか維持されていた。それは、もしかすると原子力に頼らない社会の実現が可能かもしれないという一つの答えを示していたようにも思えるのだが、にも関わらず、国を動かす人たちは、原子力発電を縮小していくという道を歩もうとはしていない。
このところまた地震があちこちで起きている。もし、今度は、高浜や九州などの原発で、福島と同じ事故が起こったらどうなるのか?そのことをイメージできない政治家が国を動かしている。
接待問題で国会を空転させている場合ではない。もっと議論すべきことが、この国には山積している。
二月は逃げる、どころではない。国の未来が逃げていくかもしれないのだ。
#二月は逃げる
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