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2021年04月17日

ささやかな休日

コロナ禍のため、感染を恐れてしばらく利用を差し控えていたが、15日の夜は、父にショートステイをしてもらった。
この3日ほど、父の認知症の症状がやや激しくて、幻視幻聴のせいで、夜中に何度も起こされる日が続き、心身共にまいっているのを感じていた。ちょっと怒りっぽくなっているのが自分でもわかったので、父と離れて少し休まないと自分が壊れてしまう、と切実に思った次第だ。

自宅で一人で介護をしていると、ちょっとしたことが重なるだけで神経がくたびれることがある。この数日、夜中の2時頃から30分から1時間おきくらいに父が私を呼び続けた。それも、ささいな用事で。
経験のない方は、なんだそれくらいとお思いになるかもしれないが、介護者はそもそもが、汚物処理など毎日の世話の積み重ねで消耗している。それをなんとかコントロールしながら、日々の家事をこなしている。だから、やっと眠りについた夜中に、30分おきに、名前を呼び続けられ、父のところに行くと、そこにないものを取ってくれとか、食事を食べてないとかを繰り返し言われると、やはり神経がまいってくるのだ。
一昨日は、真夜中の2時半、3時、4時、5時と4回も呼ばれた。どれも同じ幻想による用事を繰り返していた。無視しようとも思ったけれど、応じないと私の名前を10分以上も呼び続けるので、そうもいかない。同じようなことが3日も連続したので、さすがにちょっとこたえた。

そんなわけで、いつものように木曜にデイサービスに送り出しそのままショートステイをしてもらった。11時から翌日の3時過ぎまでの一日半だけの「休日」である。

210416ベニアカ.jpg
ランチタイムをゆっくりとすごし、夕食も、昨日作った牛肉のトマトソース煮込みと冷凍ピザという手抜きメニューではあったが、静かで穏やかな時間の中で、食卓の上のベニアカの花を見ながら食事を楽しんだ。食後は、食事中から聞いていた最近のお気に入りである内田光子さんのピアノを、防水ワイヤレススピーカーで流し、そのままバスルームに持ち込んで、久しぶりにバスタブにお湯を張ってピアノを聞きながらゆったりと過ごした。そして、入浴後は、好きなビデオなどを見てしまって、つい夜更かしもしたがそのまま眠りについた。翌日も、一人静かに自分のための朝食を作り、庭を眺めながらゆっくりと食べた。
たったこれだけのことで、心と体がとてもリラックスして、自分が落ち着いたことを強く感じた。

介護には、心の休息が本当に大切なこと、あらためてそれを痛感した2日間だった。
#介護の休日 

2021年04月15日

東京藝大・大浦食堂の閉店

4月11日にNHK「サラメシ」で再放送された東京芸術大学大浦食堂の閉店の様子。大学の食堂なのに閉店?と思ってちょっと検索してみたら、どうやら個人商店のようなお店であった。つまり町の食堂の閉店と同じということのようだ。この食堂の名物メニューであった「バター丼」と呼ばれて愛されたバター豆腐丼は、豆腐ともやしをバターで炒めて醤油などで味付けしたものである。私もサラメシを見た日のランチに、映像の記憶を手掛かりに作ってみたがなかなか美味しかった。本家のメニューは、きっともっとずっと美味しいに違いない。
210411バタ丼.jpg
(注:写真は、私の作ったバタ丼もどきです。オリジナルとは異なります)

検索していた中で、東京藝大のサイトのリレーコラムに、最後の店主となった店主の北澤さんの一文が掲載されていた。国立大学のサイトに、大学内の食堂の店主が自ら書いたコラムが掲載されているということからも、いかにこの食堂が愛されていたのかということがわかる。
210415芸大コラム大浦食堂.jpg
(東京藝大サイトより https://www.geidai.ac.jp/container/column/relaycolumn_023 )

それによれば、この食堂は、昭和12年から(途中休業もあったようだが)学生食堂として78年程営業してきたという。先代大浦英一氏の妻郁子さんから北澤さんが聞いた話によると、戦前は現在の食堂の場所の近くに梅林があったので「梅林食堂」という屋号で営業されていたが、昭和19年頃から学生が学徒動員で出陣すると、食堂としての経営が成り立たなくなりやむなく廃業。その後、学生が復員しはじめて、食堂の復帰運動が起こり昭和24年に再び営業することになったというが、以前の店名である梅林食堂は他の人が経営しており梅林の屋号は使えなかったため「大浦食堂」として再開されて、今に至ったのだという。
再開した当時は、米も配給制など食料事情も悪く、食事を提供するのにも四苦八苦したようだが、田舎のある学生さんにお米を提供してもらったりしながら食堂を運営していたのだという。
いかに愛された食堂であるかが、このエピソードからもわかる。最後の店主となった北澤さんは、先代から経営を引き継いできたが、コロナ禍による客足の減少と店主の高齢化から、今が潮時かな、と閉店に至ったようだ。

実は、私は、展覧会の見学か仕事か何かで藝大を訪れた際に、ここでランチを食べた記憶がある。ただしバタ丼を食べてはいなかったように思う。大変残念である。
210415サラメシ大浦食堂.jpg

サラメシの放送では、藝大の先生で映像クリエイターでもある箭内教授が、自ら撮影(たぶん編集も?)を行っていたが、自らも食堂の愛用者であった彼による番組には、食堂への愛情があふれていて、番組ディレクターが作る映像とは、まさに一味違ったものになっていた。
最後の営業を終え、たったひとりで、自分のまかない用に残しておいた材料で、バタ丼を作って食べている店主の姿をカメラがゆっくりと捉え、撮影者である箭内氏が語りかける。馴染みの先生でもある箭内氏が向けているカメラだからだろうか、そこには、自然な表情で、閉店を迎えた店主の万感の思いがすくい取られていた。
最後に、店主のサインが入った食堂のトレーと器を受け取った箭内氏が、子供のように嬉しそうにしている姿も印象的だった。食堂は、企業の経営するお店に変わるとのことだが、バタ丼のレシピだけは、北澤さんからの要望もあって引き継がれるとのことである・・・。

#サラメシ #大浦食堂 #バタ丼











2021年04月14日

ツバメの新居

週週間前に、ツバメが戻ってきた話をFacebookに書いた。ほぼ正確に去年と同じ時期にわが家に帰ってきた。その数日後に、ラジオでツバメがものすごく遠くから渡ってきていることを放送していた。台所で料理をしながら、へえーと思って聞いていたが、毎年車庫にある巣に出入りするたびに、車のフロントグラスやボディに、「落とし物」を置いていくのでちょっと迷惑していた。今年も、車を出すたびに、その落とし物が付着したフロントガラスを洗っていたが、この数日それがなくなっていた。

玄関脇の壁側の天井に、新しい巣をつくっていたことはわかっていたが、別のつがいかと思っていた。しかしどうやら、今年はそちらの巣がメインになったようである。
実は、玄関の天井脇には、昭和のはじめに、家での電気の使用が増加して次々と電気の配線を増設したケーブルの束がある。ツバメは、そのケーブルの上に巣を作り始めていた。
土を運び始めたばかりのところで、ケーブルを守るためにベニヤ板を打ち付けたら、今度はその上に新居を建設し始めた。たいしたものである。ちなみに、写真の右にある板は、「こっちに巣を作ってくれないかな?」と私が取り付けたものだが、結局見向きもしてくれなかった(笑)
210414ツバメの新居2.jpg

そして、無事新居が完成したようで、この数日は、その巣を出入りする姿を見かけるようになった。以前の巣は車庫のところなので、私の寝ている部屋のすぐ外になる。朝になるとその車庫からツバメたちの猛烈な「おしゃべり声」が聞こえてきたが、この数日はそれがなくなった。やはり、新しく作った巣が、今年のすみかということらしい。
フンで汚れたりと迷惑ではあるが、ツバメは鳥獣保護法で守られてもいるし、家にとって縁起の良い鳥とされているので、追い出すわけにもいかない。

ツバメ君たち、今年もしばらくの間宜しく。そして、できることなら、ささやかでよいから、わが家に幸せをもたらしてちょうだいね。

2021年04月13日

罪の後始末

福島原発事故の膨大な汚染水の海洋放出が決まった。
ニュース報道によれば、汚染水を浄化した処理水にして厳格に基準値以下にすれば、人体には問題ないとのことだ。
210413海洋放出菅首相.jpg
(画像はTBSニュース映像より)

しかし漁業関係者をはじめとする地元の人たちは、当然風評被害などを懸念し反対している。
とはいえ、増え続ける汚染水は、大気中に放出するか、海に流すか、問題は多いけど地中に埋めるかくらいしかおそらく方法がない。既に、恐るべき数の貯水タンクが林立していて、ドローンで撮ったその姿を見ると、ちょっと信じられないくらいのタンクの数に圧倒される。しかもそれは、今のところ毎日増え続けていくものなのだ。
個人的には、安全性の面などからいうと海洋放出案になるのだろうな、と漠然と思っていたが、例によって政権は、なかば一方的に、ブルドーザーで押し倒すかのようにあわただしく海洋放出を決定した。漁協の責任者に会って話を聞いたことも、ともかく意見は聞いたというアリバイ作りのようにしか見えないプロセスだった。

そんな時、私の友人が面白い意見をFBで投稿していたので紹介したい。
彼曰く、「厳格に基準値以下にすれば人体には問題ないとのこと。飲んでもトリチウムは人体から排出されるらしいです。それでも国民の支持を得るためには諸々の不安を払拭する必要がありますよね顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗) いい事を思いつきました。総理大臣、環境相、農水相、経産相、官房長官と東電の幹部の皆様が日常の飲料水として使えば良いのですウインク
雁首揃えて雛壇に並んで、一斉に処理水をテレビカメラの前で飲み干すと言ったパフォーマンスもアリだと思います。今後2年間、毎日処理水を飲んで頂いて、全く体調に影響が無ければ国民も安心することでしょう〜」(以下略)

これは、政権への皮肉を別にしても、なかなか良いアイデアではないかと思う。風評被害を最大限食い止める必要がある、と首相自らもコメントしていたが、対策に予算をかけるよりも、このパフォーマンスを連日放送するほうが、はるかに効果が期待できると思う。
政府関係者の皆様、いかがでしょうか?おそらく海外メディアからも、「命をかけたサムライ首相!」などとおほめの報道が、世界中を飛び交うことだろう。これまでにないスーパーパブリシティになりますよ、きっと。・・・知らんけど。(笑)

2021年04月12日

マスターズという夢舞台

今日は、やっぱりこのことについて書きたい。
松山英樹が、日本人初のマスターズ優勝という快挙を成し遂げた!
210412マスターズ.jpg 
(画像は、TBSのサイトより)

彼がマスターズに挑戦したのは10年前、東日本大震災の年からである。東北福祉大出身の彼にとって、それは象徴的な事のようにも思える。そして10年目の今年、日本人男子ゴルファー初のメジャー制覇が、マスターズ優勝である。
今朝の未明から生中継を見続けた人は、今頃眠くてたまらないかもしれない。あるいは今もアドレナリンが出続けているだろうか?私と同じように、つい先ほど、21時前までやっていた再放送を見ていた人も多いに違いない。そして今夜、深夜に放送される再々放送を、きっとまた見てしまうだろう。

3日目を65でホールアウトした松山を見ていて、「これはいける!?」と思った人は多かっただろう。私も、今年はちょっと違うぞ!と思った。しかし、昨夜は、生中継を見る勇気はなかった。(もし負けてしまったら、自分が見ていたせいかも・・・・と思うのが怖かった・・・)だから、朝起きた時に良いニュースを聞けることを祈って、眠りについた。
そして、朝、いつものように朝食の支度をしながらラジオを付けたら、「嬉しいニュースが飛び込んできました!」とNHKの三宅アナが、叫んでいた。思わずテレビをつけたら、松山優勝の映像が飛び込んできた!やったー!と思わず叫んだ。

オーガスタゴルフクラブは、悪魔が作ったようなゴルフ場である。私のような元ダボさん、いやトリさんゴルファーでも、その難しさは理解できる。11番から13番までのホールなどは、「アーメンコーナー」などという神に祈らずにいられないという名前の難コースまであるのだ。ニクラウスが、タイガーが、いくど天を仰ぎ、叫んだことだろうか?

最終日の松山も、やはり苦しみながら戦っていた。15番の池ポチャでボギーにした時には、これで崩れてしまうか?と不安になったけれど、それでも彼はふみとどまってくれた。
2位と2ストロークの差を保って、最終18番ホールのグリーンに立った彼は、ウィニングパットとなるパーパットをはずした。一瞬、苦笑いをしたが、すぐに照れくさそうにしながら折り返しを打ってボギーで上がり、そして優勝を手にした!

今回は東京で中継をしていたTBSの小笠原アナは、「ついに日本人がグリーンジャケットに袖を通します。日本人が招待を受けて85年。ついに、ついに世界の頂点に松山が立ってくれました」と伝えた直後に言葉を失い、しばらくの間沈黙した。解説の中嶋常幸プロも言葉を失い、泣きながら「すみません」と一言。宮里優作プロも感極まっていた。しかし、その3人の声の気配が、むしろ誠実な感動になった。私も思わずもらい泣きしてしまった。おそらく日本中でもらい泣きした涙腺の弱いオジサンたちは多かったに違いない。中継番組としてもなかなか良い物になったのではないかと思う。

グリーン上での記念撮影に、チーム松山と称するキャディやトレーナーなどのメンバーが一緒になって肩を組んでいた。これもなんだか素敵な光景だった。朴訥で口下手な松山が、ずいぶんしっかりとしゃべっていた。FBの知人は、相変わらず言葉少なだった、と書いている人もいたが、私はずいぶん上手になったなあと思って眺めていた。

実は、私はオーガスタをラウンドしたことがある。・・・もちろん本物のコースではない。パソコン上での話だ。数十年前、「遥かなるオーガスタ」というヒットゲームソフトで、何度もラウンドしたが、それでも難しかった。あれは、ずいぶん古いソフトだから、今のPCの上では残念ながら動かない。たぶん新しいバージョンがあるだろう。松山優勝の感動が残っているうちに、またやってみたくなった・・・

おめでとう!松山英樹!!君はまだ29歳の若者だ。前途洋々、これからも頑張れ!!
#オーガスタ #メジャー制覇 #松山英樹

ロッキングチェア

今住んでいる私の実家には、なぜか1台のロッキングチェアがある。
210411ロッキングチェア.jpg

和室しかない100年古民家の日本風町家にロッキングチェア。ちょっと不思議な取り合わせなのだが、病気がちな母のために50年ほど前、母が最初の発作を起こした頃に父が買い求めたものだと思う。なぜ父がこれを買おうと思ったのか、わからない。今の認知症の父に聞いても「覚えとらん」と言うだけだ。
何しろ50年も前だから、この町には家具屋もないし、この手の物を買おうと思ったら、当時唯一の大手流通である地元のデパートの外商担当にでも頼むしかないだろう。もしかすると我が家担当の外商が、これいいですよと売り込んだのかもしれない。
父には、彼一流の思い込みによる不思議な「やさしさ」がある。(少なくとも彼はそれがやさしさであると思い込んでいる)
母のためになりそうだ、これはいい!おおかたそんな思い込みで買ったのだろう。

ともあれ、その椅子は、もう何十年も二階の物置に置きっぱなしだった。ところが、私も60代半ばになり、少しでも楽に過ごせる椅子が欲しいという思いも出て来て、ふと物置に入れっぱなしのこの椅子を思い出した。
引っ張り出して掃除をしてみたら、昔の製品はちゃんと作ってあるから傷もなくガタつきなどもない。実にしっかりしている。座ってみると、これがなかなか心地よい。

そんなわけで、このところ、ランチのあと、後片付けも終えて一息付ける時などに、この椅子に座ってJAZZのCDをかけたりしながらコーヒーを飲んでいると実に落ち着く。

そうか、こういう年になると、こういう物に座って時を過ごすのがしっくりくるんだなあと妙にはまってしまった。
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そういえば、ROCKIN' CHAIR LADY というタイトルのアルバムを出していた歌手もいたなあ、などという事を思い出した。ミルドレッド・ベイリーである。ロッキンチェアに座って聞くには、まさにぴったりかもしれない(笑)

追伸:今日も無事に投稿、と思ったら、デスクの上の置き時計が15分も遅れていて、日付変更線を超えていた!でも、私の中では、この投稿は4月11日発信のものです(笑)

2021年04月10日

クリエイティブワークということ

昨日は、高岡のほとり座という映画館をはじめて訪れた。
知人で、元TBS、いや現氷見市副市長の篠田さん監督・プロデュースの映画 「シンプル・ギフト」を見るために。
210408シンプルギフト.jpg


ほとり座は、とても雰囲気の良い小さな映画館だった。ソーシャルディスタンスに配慮してセットされた座席は、20席くらいだろうか?そのせいもあって、ゆったりとしていて居心地が良かった。かなりマニアックな映画作品をかけるシネマスペースである。率直に言って真面目で地味な作品であり、平日の午後ということもあってか、私の他にはもう一人女性客がいるだけだった。私の前には、誰も座っていない。おかげで、貸し切り気分でゆったりと映画を楽しむことができた。
210408ほとり座.jpg

映画は、心温まる素晴らしい作品だった。真面目な篠田さんらしいなあと思った。奥様の紺野美沙子さんのナレーションも誠実な印象で、真面目な映画にぴったりであった。作中の、「レクイエム」という曲のシーンでは、ほろりと涙がこぼれた。音楽の力と温かさを感じた。

映画館を出て、近くにある画材店で、ペインティングナイフを買った。
なんだか、久しぶりに油絵を描きたくなった。

クリエイティブワークとの出会いは、心にクリエイティブな欲求を呼び覚ましてくれることがある。
#ほとり座 #シンプル・ギフト

2021年04月09日

4月になれば・・・・

4月になって1週間余りが経過した。
新年度である。サラリーマンをやめて8年ほどが経過した。
年度変わりというのは、色々な変化やスタートの時期であったことを思い出す。
3月に出た人事異動に基づき、組織が変わったり、自分や同期や色んな人のポジションが変わる。そんな頃には、飲み屋で会話する人たちが増え、自分も含めて、笑うやつ、苦虫をかみつぶしているやつなど悲喜こもごもの人生模様が展開された。

会社が東京駅の丸の内側にあった頃には、この時期に駅北口の2階にあったバーに行くと、部長級のメンバーがひそひそと話している姿があったことを懐かしく思い出す。
私自身も、上司に誘われて、このバーで異動の話を聞かされたこともあった。

企業を取り巻く環境変化は大きくなっている。私が在職時代よりもはるかにその変化の度合いは大きい物があるに違いない。リモートでの仕事環境など典型だろう。
しかし、その変化は、働き方の意識を変革するきっかけになったことは、これからの日本を考えた時に、良いことも多いのではないかと期待している。
田舎でも都会でも同じ仕事ができる、という発想転換は、くらしの大きな変化をもたらしつつある。とりわけIT系や、コンテンツ系の仕事であれば、ネット環境さえあれば田舎にいても仕事はできる、ということになり、だったらより快適な生活環境を得られる田舎暮らしが現実的な選択肢になってきたのではないか?

210409ペイペイ銀行.jpg

そんなことを思っていたら、私が長年愛用してきたジャパンネット銀行も、ペイペイ銀行、と名前を変えて様変わりしていた。みずほ銀行などは、合併による異なるシステム統合が、思いがけないエラーを生み出してきた。ジャパンネットもペイペイもIT系企業だから、みずほよりはトラブルリスクは少ないのではと思っているのだが、さてどうだろうか。
もっともこの銀行は、ネットの原稿料の受け取りとか、ちょっとした遊びの支払いとか、ペイペイの支払いと受け取りとかで使っているくらいなので、万一トラブルが起きてもたいした実害はないので、まずは様子見、と安心していられる。(まあ、メインバンクにもたいした資産はないけれど)

April, come she will 〜 ポールサイモンは、「4月になれば彼女は〜」と新しい季節の変化を歌ったが、さてこの春はどんな時代の変化が訪れるのだろうか?

2021年04月07日

ダッチオーブンは炎の申し子

父がかつて、家の中の土間のようなところで使っていたダルマストーブがある。
器具の掃除やメンテナンスをほとんど行わない彼が使っていたものなので、煙突は一部が壊れ、使うたびに煙が室内にも漏れ出していて、介護のために私が帰郷した7年前には、ストーブを設置してあった土間の天井は、真っ黒にすすけていた。
さらに、煙突がきちんと機能していなかったために、正常に排煙されず、ストーブを使うたびに猛烈な煙が出てご近所からたびたび苦情も出ていた。そんなこともあって、帰郷した折に、私が煙突を取り外し、ストーブ本体も蔵の前に転がしてあった。
しかし、ふと思いついて、昨年それを庭に出して火を入れてみたら、父が使っていた時よりもはるかに穏やかに燃焼し煙もそれほど出ない。これはたき火代わりに安全に使えると思い、以来時々火を入れている。

今日も、庭の落ち葉の処理を兼ねて小枝や落ち葉を、このストーブで燃やした。
210407ダッチオーブン.jpg

ちゃんと、水を入れたバケツと消火器を用意して使っている。
ただ火を燃やすだけでは、エネルギーがもったいないので、ストーブの上に小さなダッチオーブンを置いて使っている。今日は、焼きいもとローストチキンを同時に作った。
210407ダッチオーブン芋と鶏.jpg

わずか14cm、たぶん一番小さなサイズのダッチオーブンだが、使うたびにオイルを塗っているのでかなり鉄の表面がなじんで、いい具合になっている。小さいけれどちゃんとダッチオーブンとしての個性は発揮してくれる。
今日作った焼きいもは、私がこれまで食べた中で、もっとも美味しいと思うくらいの焼き上がりだった。トロトロに焼き上がり、皮の外に蜜も少し出ていて、中は柔らかく、口に入れると砂糖も入れていないのにまるでケーキのような甘さであった。それはちょっとした感動だった。

先週は、パンを焼いてみたが、これも素晴らしく美味しいパンが焼きあがった。
210401ダッチオーブンのパン.jpg

ダッチオーブンは、ふたの上にも焼いた炭を置けることで、まさにオーブンのごとき力を発揮する優れた道具だ。私は、ふたの上に炭を置いたりして使ってはいないが、それでも十分に素晴らしい力を発揮してくれている。これまでは、ガスレンジで使ってポトフやシチューを作ったり、燻製を作ったりしていたが、やはり炎の上で使ってこそ力を発揮する道具だなあとあらためて実感した。

ダッチは、オランダ人のことである。開拓時代に、オランダ人が使っていた道具は、百年以上の時を越えて今に生き続けている。

直火の上でこそ本来の個性を発揮する銑鉄の無骨な道具は、火とともに暮らしてきた営みを
実感させてくれる楽しくも優れた道具である。

#ダッチオーブン #たき火

2021年04月06日

氷見から宝塚のトップスターが!

相撲界では、富山市出身の大関朝乃山が活躍し、バスケットボールでも、八村塁が大活躍して、連日新聞やテレビで報道されている中で、富山県民にとって、またひとつ嬉しいニュースが飛び込んできた。
氷見市出身で宝塚歌劇団月組娘役の海乃美月さんが、次期トップ娘役に決まったという。
月組トップといえば、宝塚の看板役者(古いね(笑))ということになる。まさしく、宝塚のスーパースターである。(画像はヤフーニュースより)
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残念ながら、美月さんご本人にお会いしたことはないが、お父上は知人である。実は氷見市の有力者で、いわば氷見のスーパースター?。メディアにも何度も登場されていて、氷見を舞台にした映画に出演された実績もあるなど、なかなかにアクティブなご仁である。お父上を存じ上げているだけに、私にとってもなんだかとても身近なニュースに感じた。ちなみに、大関朝乃山のお母さんも氷見市の出身である。

富山県出身のスポーツ選手や芸能人も数多くいらっしゃるけれど、これほどメディアに登場するスターが続出していることはあまりないのではないか?
そういえば、芸能界では、柴田理恵さん、西村雅彦さん、室井滋さんなどは、押しも押されもせぬスターだし、日本人初の米国アカデミー賞受賞監督である滝田洋二郎氏も、高岡市出身だ。(ちなみに彼は、私の幼馴染でもあるが)

宝塚の海乃美月さんに戻ろう。宝塚のスターは、退団後もテレビなどで活躍される方が多い。今から退団後の話をするのも失礼ながら、それくらい素晴らしい存在だということである。

郷土のスターというのは、その土地の人の心を明るくして、前向きな気持ちを生み出してくれる。今日は、県知事のところに、八村塁氏の広報担当が表敬訪問したニュースも報道されていた。アメリカでも、機会あるごとに富山県のPRも積極的に行いたいというコメントもあったという。
コロナ禍で明るい話題が少ない今、県民の心を明るくしてくれるニュースから、元気をもらった。
#海乃美月
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