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2021年04月26日

古城の夢想

今日は、日本のど真ん中に高気圧が鎮座してくれたおかげで、日本中が良いお天気だった。
父がデイサービスに出かける日だったので、レギュラーで通っている皮膚科とCPAPの呼吸器科の2つのお医者さんをはしごした後は、自分のための数時間のささやかな休日を楽しんだ。
210426古城公園DSC_0300.JPG

まずは、かかりつけ医からすぐのところにある古城公園をゆっくりと散策した。ここは、火事によって消失した富山城に代わって建設された前田利長の居城であった高岡城の城跡公園である。その後わずか数年で、幕府の一国一城というお達しにより、高岡城は廃城となり、今は城郭も残っていないのだが、お堀と公園のレイアウトは、ほぼかつての高岡城があった当時のままで、城の建物がないにもかかわらず日本100名城にも選ばれている。(ちなみに、私の通った高校は、この公園のすぐ近くで、高校から駅までの間に位置するこの公園は、当時付き合っていた彼女との思い出のデートコースでもある・・・)

お天気が良いから、海越しの立山が見えそうだなと思い、氷見まで車を飛ばした。
私の想像通り美しい海越しの立山を眺めることができた。ただ、晴れた日にも関わらず風が強くて、白波が立った激しい様相の海であった。
210426氷見の海.jpg

高岡城の縄張り(設計)をしたのは、実はキリシタン大名として知られている高山右近である。右近は城づくりにも才能があったようで、高岡に重要な客人として滞在しながら、高岡城の設計を行ったのであろう。設計した城が、幕府の指示で廃城になった時に、右近は、どのような思いを持っていたのだろうか?利長はどうだったのだろうか?
今は、本丸公園になっている芝生の広場をゆっくりと歩きながら、かつてここにあったであろう城郭を想像し、右近と利長がいた時代に、しばし思いをはせた。

わずか、6時間あまりの私のささやかな「休日」、晴れた日の白日夢、かな(笑)・・・。
#高岡城 #前田利長 #高山右近

2021年04月25日

電動工具は老人の味方!

前から買おうと思っていた電動丸のこを、ようやく手に入れた。
既にストレートタイプの電動のこぎりは持っていたが、回転式の丸のこは、やはり板材の切断には非常に重宝する。ちょっと急いで片付けるべき大工仕事が発生したので、このタイミングで買うのが良かろうと購入した次第。
充電式でケーブルフリーの物に、かねてより目星をつけていたのだが、意気揚々とそれを買いに行ったら、なんと、店頭の見本に表示されていた価格は、本体のみのもので、バッテリーと充電チャージャーは別売りで、全部を合わせると、店頭の本体見本品価格の倍くらいになることがわかった。年に数回程度しか使わないものなのに、そこまでの投資をする必要もあるまいということで、AC100Vにケーブルでつないで使う有線タイプのものを購入し帰宅した。
210425のこ.JPG

しかしながら、やはり丸ノコの威力は素晴らしかった。のこぎりを使うのは、中学生の頃から慣れ親しんでいたので特に苦痛ではなかったが、60代を超えてからは、ちょっとした部材を切断するのでも、2〜3枚ほど切ったところで、手指が痛くなったり腕がくたびれたりするようになってきた。
それがどうだ。巾30cmほどの木材を、いくつか必要な寸法に切るために要した時間たるや、わずか数十秒であった。あっというまに必要な枚数の部材の切断が完了した。普通ののこぎりでやれば、10分弱ほどはかかっただろう。体の疲れも、もちろんない。あっという間に作業完了だ。

ゴルフで、年をとって体力が落ちてきて、ドライバーなどの飛距離が出なくなってきたら、金を出して良いクラブを買って「飛距離を金で買う」んだよ、とうそぶいていた同僚がいた。それと同じというのもなんだが、体力が落ちた老人にとって、電動工具は、体力を金で買うようなものだなあと感じた。
何はともあれ、いくつになっても男の子は、新しい道具を手に入れるとワクワクする。かくして、本日は、必要もない木材をいくつか「試し切り」までしてしまった。
これでは、名刀を手に入れて切れ味を試したくなった辻斬りと同じだな、と思わず苦笑いした。
#DIY #電動丸ノコ

2021年04月24日

A LONG VACATION

1981年、僕は、入社4年目のサラリーマンで、会社にも慣れ、いっぱしのアドマン気取りで変化の大きな時代の空気の中を泳いでいた。そんな頃に、大瀧詠一のアルバム「A LONG VACATION」は発売された。
210424A LONG VACATION.jpg


僕は、大学時代には、大人数でフォークソングなどを歌う「シングアウト」という形式を中心とする音楽クラブに入って歌を歌いドラムを叩いていた。NHKのステージ101という番組があったのだが、あんなふうにポピュラー音楽を大人数のコーラスで歌うようなクラブであった。ちなみに、先輩たちは、そのステージ101にも出演した実績があった。

我々の学年も、銀座NOWという番組に、学生バンドとして出演したこともあったし、一番の自慢は、武道館で行われたヤマハが主催していた音楽祭・ポプコンの世界大会に、オープニング曲のコーラスシンガーとして予選と本番に出演したことである。オープニング曲の作曲・アレンジは、大学の先輩でもあった佐藤允彦氏で、何回か直接曲の歌唱指導を受けた。ハミングのようなコーラスの組み合わせが、各パートの音が重なりあった時に、ものすごい音の厚みを生み出す額曲で、武道館の本番のステージで歌った時には、その素晴らしさにあらためて感動して、体がふるえたことを覚えている。

そんな大学生時代には、ユーミンが現れ、竹内まりやは一級下で同じ大学に在籍し、新入生時代には、なんと我がフォークソングクラブにも1週間ほど体験入部してきたが、音楽性が違うため、残念ながら学食でのクラブのたまり場が隣のフォークソングクラブに入部してしまった。

はっぴいえんどを解散後に、大瀧詠一は、ナイアガラレーベルを設立して、話題のアルバムを次々と発表した。CMソングも数多く手がけている。
アドマン時代の心残りは、ユーミン、竹内まりや、大瀧詠一のいずれの方とも仕事をする機会がなかったこと、それが今でもとても残念である。

A LONG VACATION という驚異的なヒットアルバムを生み出した大瀧詠一は、65歳の時に、自宅で食事中に急死した。しばらくして、自宅でリンゴを喉に詰まらせて亡くなったというようなニュースをラジオで聞いた時には、耳を疑ったが、実際ちょうどリンゴを食べているときに、動脈瘤が原因で亡くなったようである。

大ベストセラーアルバムとなった「A LONG VACATION」発売から、40年が経った。
そんなこともあって今夜は、大瀧詠一へのオマージュのような番組がNHKで放送されている。このアルバムは、当時買ったはずなのだが、何故か手元に残っていない。誰かに貸したままなのかもしれない。

60代の若さで亡くなったこの天才といい、ユーミン、竹内まりや、山下達郎、サザンオールスターなどのアーチストと、同じ時代を生きて、一緒に年を重ねてこられたことを本当に幸せだと実感している今日この頃である。そしていずれのアーチストも40年前後もトップアーチストとして活動を続けていることに、あらためて驚かされる。これほど数多くの天才と同じ時代を生きられるということは、たぶんあんまりないことだろうと思う。

NHKの特番を見ながら、永遠のロングバケーションに入ってしまった天才・大瀧詠一のすごさを、あらためて実感している。大滝さん、素晴らしい音楽をありがとう。
#大瀧詠一 #A LONG VACATION

2021年04月23日

ガソリンエンジンの終焉


トランプ大統領がいなくなったせいか、世界中の国と自動車メーカーが、一斉に脱炭素への動きを加速させている。
菅総理も、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする脱炭素社会の実現を宣言しているが、各国からも様々な動きが顕著になっている。こうした脱炭素化への背景には、地球温暖化への対策もさることながら、環境・エネルギー分野への大規模な資金投入によって、雇用を促進しコロナ禍による経済的な大打撃からの回復を図ろうとするねらいもあるようだ。

そんな中で、ホンダが、2040年に世界で販売する全ての新車を電気自動車(EV)と燃料電池車(FCV)にすると発表した。世界的な脱炭素の流れを受けて、電動化戦略を一気に加速させようという経営戦略だという。
210423ホンダすべてEV&FCVに!.jpg
(画像は、Yahooより)

以前、ガソリンエンジンが消えてしまうのではないかという投稿をしたことがある。
ガソリンエンジンが消える、と書いたものの、あの時はまだ、多少執行猶予期間があるのだろうなと思っていたのだが、世の中の動きは、一気に様相を変えてゆく。

大トヨタが、EVへの宣言をするのは、政府に近い企業の発言なので、まあ、さもありなんと思うのだが、私にとっては、本田宗一郎の趣味的企業のようなホンダから、脱ガソリンエンジン宣言が出されると、ちょっとニュアンスは変わってくる。これは、社会が本気になっているぞ、と。
私も環境省の仕事をしたこともあるし、これでも社会的な意識は高いほうだと自負している。しかしながら、人類の偉大なる発明、ガソリンエンジンが消えてしまうかもしれないということが現実になるということについては、やはり胸が痛む。

ガソリンエンジンと言うのは、人類のいくつかの技術革新ステージの中でも、とても大きなエポックだと思う。しかも、それは、技術でありながら、エモーショナルな側面をあわせ持つものでもあった。昔のエンジンは人間臭くて、プラグやキャブレターが機嫌を損ねたり、名人と言われる職工の手にかかると、突然機嫌よく回ったりするなど、ともかく愛すべき存在であった。エンジンのタイプによっても個性があった。私の乗っていたカルマンギアのFLAT4エンジンは、バタバタとしたエンジン音が、愛すべきものであった。
私が乗ってきた数々のクルマの中でも、最初に乗ったホンダZという軽四のスポーツカー(そう呼びたい)は、1万回転以上も回るエンジンで、ワンメイクレースも行われていた。5速のレーシングミッションを備え、ちょっとしたコツがないとギヤはスムーズに入らなかった。私は、この駄々っ子を操りながら、第三京浜を何度も疾走した。ああ、あんな芸術的ともいえるような運転感覚は、もはや失われてしまうのだろうか。
まるで、モーターのように回転が上がるエンジン、というかモーターそのものに変わる?・・・うーん・・・

いや、もう何も言うまい。老兵は消えゆくのみ。免許返納まであまり猶予のないジジイには、もはや発言権もない。せめて、それまでは、我がオールドレディ・メルセデス(注:メルセデスは開発者の娘の名前=つまりこの車は、女性なのだ)を精一杯愛でるしかないのだろう・・・・
#脱炭素 #EV化

2021年04月22日

コロナウィルスの拡大と聖火

コロナウィルスの感染拡大が止まらない。私の住む富山県は、これまで、一日当たりの感染者数は、ひとけケタ台の数字で推移することが多かったのだが、ここ数日間は、2ケタ台での動きが続いている。他のエリアはそれどころではない。東京も、大坂も、兵庫も、大都市圏の感染拡大は、本当にとどまるところを知らない勢いだ。感染力の強い変異型ウィルスが、蔓延しつつあることが大きいという。

東京都は、今日、感染状況を分析するモニタリング会議を開いた。その中で、会議に出席した専門家からは、ウィルスが感染力の強い変異型にほぼ全て置き換わった場合、2週間後には、1日の新規感染者が2000人超、その時点での入院患者数は6000人を超える!との試算を示し、さらなる人出の抑制などを求めたという。
210422コロナ拡大.jpg
(写真は、ヤフーニュースより)

何度も書いたので、もういい加減嫌になっているけれど、あと3ケ月ほどすると、世界中からオリンピック関係者が大挙して来日し、観戦できないとわかっていてもオリンピックの空気感を味わいたいという外国人もおそらく世界中からやってくる。
もう一度繰り返すが、世界中からオリンピック関係者が来日しなくても、1日の感染者数が、2000人になる可能性のある都市に、まもなく世界中から大勢の人がやってくるのだ。この状況下で、いったい誰がオリンピックの開催を判断したのだろうか?責任の所在を云々するレベルではない事態が、スポーツの祭典のあとにやってくる気がしているのは、私だけではないだろう。

県内では、今月中旬過ぎから、ワクチン接種券が配布されると報道されていたが、前期高齢者である私には、まだ接種券は届いていない。届いたところで、実際に接種できるのは、それからさらに先になるという。介護老人を抱えた肺病やみの私としては、一刻も早くワクチンを打ちたいと言う気持ちが強いけれど、なかなかそれもかなわない。
世界屈指の医療先進国であったはずの日本が、ワクチン接種において世界各国の後塵を拝しているこの現実は、どうしても納得がいかない。

オリンピックの聖火は、今まさに日本国内を駆け巡りリレーされている。それが運ぶものは、果たして希望の光なのだろうか?

2021年04月21日

東京藝大・大浦食堂の後日談

大浦食堂の名物「バター丼」についてSNSに書いたら、知り合いの藝大OBのデザイナーの方から何年ぶりかでメッセージを頂いた。
210415芸大コラム大浦食堂.jpg
(画像は、東京藝大の大浦食堂に関するサイトのページ:
https://fanblogs.jp/dominosan/file/210415E88AB8E5A4A7E382B3E383A9E383A0E5A4A7E6B5A6E9A39FE5A082.jpg

まず、最初に、私のバター丼は、もやしが少ないとのご指摘を受けた。(笑)
バター丼は、女子学生に人気のあった豆腐のバター焼きから、男性向けの丼に発展して男子の人気も博したとの由。
ちなみに彼のランチの定番は、アジフライとシジミ汁がお気に入りだったそう。これも聞くだけで美味しそうである。
食堂の閉店については、やはり色々事情があるとのことだが、残念ながら詳しくは書けないけれど興味深いお話だった。
また、大学構内には、大浦食堂のような個人経営のお店がいくつかあって、そのうちのひとつは、絵の好きな方ならご存知だと思うが、お茶の水にある画材店の老舗「LEMON画翠」が最初に開いたお店「画翠」が構内にあるそうだ。
その他、音楽系学部の校内(藝大の人は、音校と呼ぶようだが、かつての東京美術学校、東京音楽学校時代からの略称が今も生きているらしい)にあった楽譜などを扱うお店も個人経営とのこと。
大浦食堂なきあとは、キャッスルと言う同じく個人経営のお店が奮闘しているそうで、OBにとってはもはや貴重な思い出の場所になっているという。

そんなわけで、SNSからの思いがけないご縁から、より深いお話を聞くことができた。
SNSという現代の「人づて」も、なかなか捨てがたいところがある。
#大浦食堂 #バター豆腐丼

2021年04月20日

ケンさんのキャンプ式ブラウニー

BSの人気番組「三ツ星キャンプ」でおなじみの田中ケンさんが、ダッチオーブンでブラウニーを作っていた。材料を混ぜ合わせて型に流し入れ、ダッチオーブンに放り込んで焼くだけという感じだったので、私もさっそくトライしてみた。小麦粉や砂糖、切ったバナナ、刻んだチョコレートなどを、玉子と混ぜ合わせて生地を作る。あとは、パイ型に流し込んで焼くだけだ。
210420ブラウニーDSC_0238.JPG

材料の正確な量の説明はなかったので、録画を見ながら、目見当で材料の分量を決めていった。
ケンさんは、火力の強いダッチオーブンで9分でやっていたが、私は家庭用オーブンなので、今回は15分でやってみた。小麦粉が少なかったのか、ケンさんのものほどは膨らまなくて、薄いクッキーみたいになってしまったけれど、なかなか美味しいブラウニーが、ちゃんと仕上がった。これなら十分食べられる。
210420ブラウニーDSC_0243.JPG

キッチンにあるテレビのHD(ハードディスク)の最近の録画リストは、圧倒的に料理番組が多い。それを見ながら料理を作ることも多い。ビデオデッキと違って、HDは小さいからかさばらずキッチンなどでは便利だ。私と同じように録画を利用している人もきっと大いに違いない。
料理のレシピも、料理名やキーワードでネット検索すれば、すぐにいくつも見つけることができる。今や料理を作るための情報環境は激変している。そんな中で、ビデオやネットにふさわしい料理番組も数多く出てきている。あの有名な食の雑誌dancyu の植野編集長が出演する植野食堂という番組では、最後の数分で、作り方をネット映像風の固定カメラで紹介している。私は、この数分だけを録画している。

けれど、料理の情報は、やはり母や祖母などから、一緒に調理をしながら教わるのが本来の在り方なのだろうな、とも思う今日この頃ではある・・・・
#ブラウニー 












2021年04月19日

ユエンナツバラ〜言葉の記憶

「ユエンナツバラ」・・・私と同世代以上の年配の人であれば、ピンとくるかもしれない。
実は、エルビスプレスリーが歌う「ハウンドドッグ」という曲の、 ” You ain’t nothin’ but a hound dog. Cryin’ all the time ” 〜 という最初のフレーズである。
子供の頃、ラジオかテレビで初めてこの曲を聴いた時、私の頭には、「ユエンナツバラ」=「湯煙夏原」という言葉の記憶が形成された。以来、しばらくの間、私の中では「ユエンナツバラ」という不可思議な響きが、不思議な言葉の記憶としてメモリーされた。後にどなたかのエッセイを読んでいて、私と同様に、「湯煙夏原」というイメージで記憶したということを書いていた人がいて、我が意を得たりと膝を打ったことがある。
210419プレスリーハウンドドッグ.jpg

今朝、ラジオを聞いていたら、映画「タイタニック」についての話題の中で、タイタニックが作られたのが、アイルランドのベルファストだと紹介されていた。
ベルファスト、という言葉を聞いたとたんに、私の記憶の中で、何かひっかかるものがあった。スパイ映画か何かの中で登場したベルファストが、その言葉の響きから、私の記憶に妙に残っていたようだ。ラジオを聞きながら、しばらく私の脳細胞は、古いメモリーの上をスキャンしていた。

言葉の記憶とは不思議なものだ。その人の感じ方や、その人を取り巻くエピソードなどとシンクロしてメモリーされる。言葉の響きの面白さだったり、その時の映像の記憶だったりが、言葉を印象づける。

しかし、言葉の記憶よりも、映像の記憶のほうが、実はより強いのだという。昔の知り合いに町で偶然出会った時に、顔は覚えているけれど名前が出てこないということがある。これがまさに、そうした記憶のメカニズムを象徴しているのだという。

とはいえ、言葉の記憶も不思議なものだ。昔、台所で料理をしている時に、突然天啓のように、「チャガタイオゴタイイルキプチャク」という言葉が降りてきて、口をついて出てきた。チンギス=ハン没後のモンゴル帝国が、4つの国に分裂した時の名前である。(ちなみに、この原稿のために調べてみたら、現在では、4ケ国でなく3ケ国=3つのハン、と教えられているそうである)
世界史で習った時に、その不思議な呪文のような語感が、鮮烈に記憶に刷り込まれた。それが、突然数十年後に、記憶の底から蘇って口をついて出てくる。

ハウンドドッグを聴くたびに、私の頭には、箱根のような山の温泉の夏の原っぱが脳裏に広がってくる。
#ユエンナツバラ #湯煙夏原











絵と過ごした午後

昨日は、射水市の博物館で開催されている郷倉和子さんの展覧会が、18日までだということを思い出して、父の昼食の世話を終えるとすぐに家を飛び出した。絵を見る時間を含めて、急げば往復2時間でなんとかなる。
原画をぜひ見たいと思っていた屏風絵「夜明け」を見ることができただけで、車を飛ばしてきたかいがあった。梅をモチーフにした絵には定評があったが、この絵には、何とも言えぬ静謐な奥行きのある時間が描かれていた。
210417郷倉和子.JPG
(作品の写真は、掲載できないので、博物館入り口のポスター画像にてご容赦)

郷倉和子さんは、かの郷倉千靱の娘さんである。富山県が誇るべき射水市出身の親子二代の天才画家だ。女子美時代の作品も展示されていたけれど、父が書いたと揶揄されたというエピソードを、なるほどほどと納得させるほど素晴らしいものであった。

射水博物館は、道の駅に併設されているのだが、ちょっと奥まった位置にあって目立たないレイアウトになっているためか、いつも驚くほど静かである。道の駅に来たついでに見学する方もいるだろうけれど、それでも訪れる人は少ない。雨の土曜日の午後とはいえ、相変わらず静かな空間の中で、ゆっくりと作品を楽しむことができた。
この博物館で絵を見るのは、中学時代の私の美術の先生で、現在は著名な日展作家である高越甚先生の個展を見に来て以来だ。あれからもう数年が経ったなあ、と思いつつ、郷倉さんの絵を眺めていた。

父のショートステイに続いて、ゆっくりと心の洗濯をすることができた。
よし、また明日から頑張ろう!

#郷倉和子 












2021年04月17日

外食意識の変化

昨日、16日は、ランチタイムをはさんで出掛ける用事があったので、久しぶりに外食をすることになった。出先の近くに、以前から気になっていた熊本ラーメンの店があることを思い出して、そこに行ってみることにした。
210416熊本ラーメンすみれ.jpg

店に着いて、あらためて店構えを見て、初めて入るので、「狭い店で、席が密集していたらいやだな・・」ととっさにそう思った。美味しいかどうかという期待の前に、密であるかどうかが先に頭に浮かんだのだ。
自宅で介護をしていることと、自分が呼吸器系の重病の既往症があるためコロナVの感染については人一倍神経を使う。だから、この1年ほどは、ほとんど外食をしていない。しかし、毎日仕事をしている皆さんは、そうはいかないだろうから、外食の時に注意をはらうことが、私以上に変化しているに違いない。

最近はあまり耳にしなくなったが、コロナ禍によって、「新しい生活様式」ということが盛んに言われた。言葉は聞かなくなったけれど、明らかに新しいスタイルの生活様式が定着しつつある。おそらく、今、誰かと外で食事をする時には、店内の様子がわかっているところで、ある程度客同士の距離を保ちやすいお店を選ぶという意識が、かなり自然になっているのではないかと思う。とりわけ大都市のビジネスパーソンはそうだろう。

歓迎会や送別会といった、ビジネスシーンにつきものだった会食も、おそらく今は行われないか、小人数でやっているのだろうか。二次会のカラオケも、激減したに違いない。きっと、歌いたくてウズウズしている人はいっぱいいることだろう。
夜のクラブ活動は、かなり減ったのだろうが、しかし、ああいうところに行く人種は、コロナくらいでへこたれない人もけっこういるだろうから、いまだに女性に密着しながら冗談をとばしているのだろうか?そもそも女性が接客するクラブにおいて、客との間にスクリーンをはさんで商売が成り立つのか、おおいに疑問であるけれど。

初めて入った熊本ラーメンのお店は、想像通りせまい店内で、席の間隔を多少離してはあったものの、ほとんど申し訳程度であった。幸い、入口に近いカウンター席の端っこが空いていたので、そこに陣取った。
オーダーしたラーメンが運ばれてきたが、九州支社時代になじんだ熊本ラーメンとはちょっと違っていた。ただ、おなじようにこってり系ではあったが。
隣の席のサラリーマンは、大声で話をし続けながらラーメンを食べていた。私は彼らに背を向けて、入口のほうに体を向けながら、そそくさと麺をすすった。なんだか、食べた気がしなかった。
こんな思いをせずに、楽しく外食ができる日は、いつやってくるのだろうか?

#熊本ラーメン #外食の変化












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