トランプ大統領がいなくなったせいか、世界中の国と自動車メーカーが、一斉に脱炭素への動きを加速させている。
菅総理も、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする脱炭素社会の実現を宣言しているが、各国からも様々な動きが顕著になっている。こうした脱炭素化への背景には、地球温暖化への対策もさることながら、環境・エネルギー分野への大規模な資金投入によって、雇用を促進しコロナ禍による経済的な大打撃からの回復を図ろうとするねらいもあるようだ。
そんな中で、ホンダが、2040年に世界で販売する全ての新車を電気自動車(EV)と燃料電池車(FCV)にすると発表した。世界的な脱炭素の流れを受けて、電動化戦略を一気に加速させようという経営戦略だという。
(画像は、Yahooより)
以前、ガソリンエンジンが消えてしまうのではないかという投稿をしたことがある。
ガソリンエンジンが消える、と書いたものの、あの時はまだ、多少執行猶予期間があるのだろうなと思っていたのだが、世の中の動きは、一気に様相を変えてゆく。
大トヨタが、EVへの宣言をするのは、政府に近い企業の発言なので、まあ、さもありなんと思うのだが、私にとっては、本田宗一郎の趣味的企業のようなホンダから、脱ガソリンエンジン宣言が出されると、ちょっとニュアンスは変わってくる。これは、社会が本気になっているぞ、と。
私も環境省の仕事をしたこともあるし、これでも社会的な意識は高いほうだと自負している。しかしながら、人類の偉大なる発明、ガソリンエンジンが消えてしまうかもしれないということが現実になるということについては、やはり胸が痛む。
ガソリンエンジンと言うのは、人類のいくつかの技術革新ステージの中でも、とても大きなエポックだと思う。しかも、それは、技術でありながら、エモーショナルな側面をあわせ持つものでもあった。昔のエンジンは人間臭くて、プラグやキャブレターが機嫌を損ねたり、名人と言われる職工の手にかかると、突然機嫌よく回ったりするなど、ともかく愛すべき存在であった。エンジンのタイプによっても個性があった。私の乗っていたカルマンギアのFLAT4エンジンは、バタバタとしたエンジン音が、愛すべきものであった。
私が乗ってきた数々のクルマの中でも、最初に乗ったホンダZという軽四のスポーツカー(そう呼びたい)は、1万回転以上も回るエンジンで、ワンメイクレースも行われていた。5速のレーシングミッションを備え、ちょっとしたコツがないとギヤはスムーズに入らなかった。私は、この駄々っ子を操りながら、第三京浜を何度も疾走した。ああ、あんな芸術的ともいえるような運転感覚は、もはや失われてしまうのだろうか。
まるで、モーターのように回転が上がるエンジン、というかモーターそのものに変わる?・・・うーん・・・
いや、もう何も言うまい。老兵は消えゆくのみ。免許返納まであまり猶予のないジジイには、もはや発言権もない。せめて、それまでは、我がオールドレディ・メルセデス(注:メルセデスは開発者の娘の名前=つまりこの車は、女性なのだ)を精一杯愛でるしかないのだろう・・・・
#脱炭素 #EV化
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