(注:写真は、私の作ったバタ丼もどきです。オリジナルとは異なります)
検索していた中で、東京藝大のサイトのリレーコラムに、最後の店主となった店主の北澤さんの一文が掲載されていた。国立大学のサイトに、大学内の食堂の店主が自ら書いたコラムが掲載されているということからも、いかにこの食堂が愛されていたのかということがわかる。
(東京藝大サイトより https://www.geidai.ac.jp/container/column/relaycolumn_023 )
それによれば、この食堂は、昭和12年から(途中休業もあったようだが)学生食堂として78年程営業してきたという。先代大浦英一氏の妻郁子さんから北澤さんが聞いた話によると、戦前は現在の食堂の場所の近くに梅林があったので「梅林食堂」という屋号で営業されていたが、昭和19年頃から学生が学徒動員で出陣すると、食堂としての経営が成り立たなくなりやむなく廃業。その後、学生が復員しはじめて、食堂の復帰運動が起こり昭和24年に再び営業することになったというが、以前の店名である梅林食堂は他の人が経営しており梅林の屋号は使えなかったため「大浦食堂」として再開されて、今に至ったのだという。
再開した当時は、米も配給制など食料事情も悪く、食事を提供するのにも四苦八苦したようだが、田舎のある学生さんにお米を提供してもらったりしながら食堂を運営していたのだという。
いかに愛された食堂であるかが、このエピソードからもわかる。最後の店主となった北澤さんは、先代から経営を引き継いできたが、コロナ禍による客足の減少と店主の高齢化から、今が潮時かな、と閉店に至ったようだ。
実は、私は、展覧会の見学か仕事か何かで藝大を訪れた際に、ここでランチを食べた記憶がある。ただしバタ丼を食べてはいなかったように思う。大変残念である。
サラメシの放送では、藝大の先生で映像クリエイターでもある箭内教授が、自ら撮影(たぶん編集も?)を行っていたが、自らも食堂の愛用者であった彼による番組には、食堂への愛情があふれていて、番組ディレクターが作る映像とは、まさに一味違ったものになっていた。
最後の営業を終え、たったひとりで、自分のまかない用に残しておいた材料で、バタ丼を作って食べている店主の姿をカメラがゆっくりと捉え、撮影者である箭内氏が語りかける。馴染みの先生でもある箭内氏が向けているカメラだからだろうか、そこには、自然な表情で、閉店を迎えた店主の万感の思いがすくい取られていた。
最後に、店主のサインが入った食堂のトレーと器を受け取った箭内氏が、子供のように嬉しそうにしている姿も印象的だった。食堂は、企業の経営するお店に変わるとのことだが、バタ丼のレシピだけは、北澤さんからの要望もあって引き継がれるとのことである・・・。
#サラメシ #大浦食堂 #バタ丼
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