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2014年03月28日
ラルマナイ川に巨大洞窟出現
恵庭の人造湖・恵庭湖に流れ込む川に漁川とラルマナイ川がある。道々恵庭岳公園線沿いのラルマナイ川上流には、三段の滝や白扇の滝という見所があり、紅葉時期の恵庭渓谷は多くの観光客でにぎわう。釣りを行うものにとっては、奥行きの深い漁川のほうが馴染み深く、シーズンには漁川上流に沿って延びる林道のゲート前に多くの車が並ぶ人気河川だ。ラルマナイ川も、漁川との合流点から白扇の滝までの1キロほどの区間、うぐいが邪魔をするがアメマスと虹鱒を楽しむことができる。
このラルマナイ川で、昨年から気にかかっていたことがある。3年前の台風で川が氾濫、三段の滝から下流に300メートルほどいった川沿いの砂れきで形成された崖が濁流で崩れ落ちた。その後に出現したのは巨大な洞窟。下の写真を見てもらいたい。崖の表層は縦7メートル、横30メートルほどの規模で崩れ落ちた痕がある。
しかし、ただ崩落したのではない。崖に激しく打ち付ける濁流が音叉のように共鳴して、崖の中にあった洞窟の天井も合わせて崩壊したのだろう。洞窟内部の瓦礫の量から推測して、今回の崩落で作られたのではなく、もともと洞窟としての空間が存在していたということだ。洞窟は奥行き40メートル、天井の高さは15メートルを越える巨大な空間を形づくっている。
なぜ気にかかるかというと、このラルマナイ川に義経の黄金伝説があるからだ。源義経は、兄の源頼朝に追われ、1189年に衣川館で一生を終えたとされる。しかし、武蔵坊弁慶らと共に、北海道に逃げ延びたという伝承が全道に残されている。この恵庭渓谷にも義経が財宝を埋めたという伝説がある。三段の滝に、恵庭観光協会が設置した案内看板には「平泉から蝦夷地に逃げてきた義経は、財宝を恵庭の熊の沢と呼ばれる沢地に埋め、その書付と場所を示す絵図、義経の笹竜胆(ささりんどう)の紋のついた黄金の目録を残した。その後、絵図は四等分されて二片はアイヌの酋長の手に残された。明治に入って、この絵図と目録を手にした男が石狩川上流で三段の滝付近のラルマナイ川流域の熊の沢の山林で絵図に符合する地形を見つけたが、結局財宝のありかは謎のままとなった」と記載されている。過去には大規模な調査が行われたこともあるらしい。
台風による川の氾濫で姿を現したこの巨大な洞窟が、義経伝説とどのように結びついていくのか分からない。しかし、地形的にこの恵庭渓谷の山の中にはラルマナイ川と同じような洞窟が人知れず存在していると思う。そこには義経やアイヌの財宝が隠されているのかもしれない。
ラルマナイ川の氾濫で姿を現した巨大な洞窟。まだ本格的な調査が行われた形跡がない。
このラルマナイ川で、昨年から気にかかっていたことがある。3年前の台風で川が氾濫、三段の滝から下流に300メートルほどいった川沿いの砂れきで形成された崖が濁流で崩れ落ちた。その後に出現したのは巨大な洞窟。下の写真を見てもらいたい。崖の表層は縦7メートル、横30メートルほどの規模で崩れ落ちた痕がある。
しかし、ただ崩落したのではない。崖に激しく打ち付ける濁流が音叉のように共鳴して、崖の中にあった洞窟の天井も合わせて崩壊したのだろう。洞窟内部の瓦礫の量から推測して、今回の崩落で作られたのではなく、もともと洞窟としての空間が存在していたということだ。洞窟は奥行き40メートル、天井の高さは15メートルを越える巨大な空間を形づくっている。
なぜ気にかかるかというと、このラルマナイ川に義経の黄金伝説があるからだ。源義経は、兄の源頼朝に追われ、1189年に衣川館で一生を終えたとされる。しかし、武蔵坊弁慶らと共に、北海道に逃げ延びたという伝承が全道に残されている。この恵庭渓谷にも義経が財宝を埋めたという伝説がある。三段の滝に、恵庭観光協会が設置した案内看板には「平泉から蝦夷地に逃げてきた義経は、財宝を恵庭の熊の沢と呼ばれる沢地に埋め、その書付と場所を示す絵図、義経の笹竜胆(ささりんどう)の紋のついた黄金の目録を残した。その後、絵図は四等分されて二片はアイヌの酋長の手に残された。明治に入って、この絵図と目録を手にした男が石狩川上流で三段の滝付近のラルマナイ川流域の熊の沢の山林で絵図に符合する地形を見つけたが、結局財宝のありかは謎のままとなった」と記載されている。過去には大規模な調査が行われたこともあるらしい。
台風による川の氾濫で姿を現したこの巨大な洞窟が、義経伝説とどのように結びついていくのか分からない。しかし、地形的にこの恵庭渓谷の山の中にはラルマナイ川と同じような洞窟が人知れず存在していると思う。そこには義経やアイヌの財宝が隠されているのかもしれない。
ラルマナイ川の氾濫で姿を現した巨大な洞窟。まだ本格的な調査が行われた形跡がない。