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2014年03月22日

常紋トンネルそばの墓

 明治から昭和初期にかけて、北海道の開拓には莫大な資金や人員が投じられた。この商機に乗じて暗躍したのが口入れ屋。道路整備や鉱山発掘、トンネルの掘削に政治犯などの囚人や、借金を背負わされて来たものがタコとして監禁され、過酷な労働を強いられた。司法の目が行き届かないことから、最後は無残な死にかたをするものも少なくなかったという。その名残が北海道の各所に慰霊碑として残されている。
遠軽から北見に向かう、JR石北線・金華駅そばの国道沿いに「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建てられている。このトンネル掘削や、金華峠にかかる道路の工事にも多くの囚人やタコが関わり亡くなった。昭和43年に起きた十勝沖地震で常紋トンネルの壁が剥がれ落ち、その改修工事を昭和45年に行ったところ、大量の人骨が発見された。
常紋トンネル工事殉難者追悼碑の案内看板.jpg
 トンネルの壁に遺体を塗り込めたからだろうが、なぜそんなことをしたのかという疑問が残る。例えば工事を行う業者が、死んだ労働者を墓に埋葬して供養することなく、工事中のトンネルの壁に塗りこんだ。あるいは、遺体を生け贄・人柱として塗り込めた、などが考えられる。まさか、生きたまま人柱として生け贄にされたとは考えたくない。
 こうした過去の悲惨な出来事を知らないで、車で常紋トンネルそばの金華峠を幾度も通った。JRを利用して網走や北見に行ったときも、特急オホーツクでこの場所を何度も見ている。常紋トンネルから大量の人骨が発見された話など、後で知ったこと。それまでは、トンネルを特別に注意して見たことはなかった。

 昨年の7月中旬、仕事のために札幌発午後3時の特急オホーツクに乗って北見に向かった。常紋トンネルを過ぎる頃は時間的に日没直前で、深い樹木に囲まれていたこともあり、線路の進行方向は薄い闇に包まれていた。
 その闇の中に一箇所だけ空から照明が当てられているような、輪郭のはっきりとした大きな墓が車窓左側の丘の上に見えた。線路からの距離は10メートルほどで、墓の傍には模様の入った旗が2〜3本たなびいていた。地方に行けば、自分の地所に先祖の墓を設ける農家が多い。そうしたものと同じだろうと、勝手に判断した。墓のロウソクには火が灯っており、線香の煙も漂っているのが遠目からも確認できた。しかし、墓の周りには人影は見当たらない。旗がたなびくほどの風の中、ロウソクの火は灯ったままだ。それよりも、その墓の一角だけが周りの暗闇に溶け込まないのはなぜだったのか、未だに分からない。

札幌に戻って、地図や航空写真でその場所を確認したが、そんな個人の墓など見つかるはずもない。しかし検索を進めていく中で、常紋トンネルで大量の人骨が発見されたという、当時の記事が見つかった。あの墓自体は、過去の過酷な開拓工事とは係わりのないものかも知れない。ただ、墓への興味が当時常紋トンネルに従事したタコと、トンネルから発見された人骨の存在を明らかにした。あの墓が常紋トンネルの話に導いた、と考えるのは穿がちすぎか。
金華峠沿いの高台に建立された「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」の案内看板(上)と国道から見たJR金華駅(下)

国道から見る金華駅.jpg









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