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2018年10月23日

実力テストの自己採点

昨日の学力テストの自己採点を行った。

最近の印刷機は性能が良いので、業者に送る前の生徒たちの答案を簡単に印刷できる。
だから、自己採点のための印刷も、あっという間に終わる。非常に便利になった。
一昔前であれば、「自分の答えを問題冊子に書き写して…」なんてことで、自己採点をしていたが、今やそういうことは必要ない。教育上よい、かどうかは別として、先生が楽になるということは、その分、別のクリエイティブな仕事に時間を割ける、という訳だ。

「あ〜9番、間違えちゃったよ。」

私の数学のクラスでは、「大問1の小問集合と大問2の基礎問題は、一問も間違えてはいけない」と指導している。ここを制覇すれば、偏差値55は簡単に超えることができるからだ。
実力テストの問題は、私の作る定期考査よりはるかに問題数が少ないので、配点が高い。だから、ちょっとミスで、ドバッと点数が下がり、結果、偏差値も落ちていく。

「H君、自己採点の結果を楽しみにしてるよ。」
声かけられた生徒は、まんざらでもなさそうに、得意な数学を採点している。

「あ〜。」
一問間違えた。
「残念。」

などと、たわいのない会話をしながら、採点作業が続く。

「静かに黙って採点しなさい。」
と、私が言いつつ、私自身が話しかけているのだから、矛盾している。だが、こういう時間は、うるさすぎなければいい、と思っている。

「記述式の部分点もあるだろうけど、厳しく採点しろよ。」
甘く採点して、結果が厳しいと、自己採点ばかりが高めに出る。だったら、厳しめに採点しておいた方がいい。

「○×つけて、採点するだけじゃ駄目ですよ。やり直しをするんだよ。」

しつこいくらい、何度もそう念押しする。

さっさと採点を終わらせた生徒が、やり直しを始めた。
そろそろクラス全体が静かにならなければいけない時間だ。

「なんだ、解けた…。」

実力テストの緊張した状態では解けなくとも、後からやってみると難なく解けることはよくあることだ。それを見越しての実力テストだ。

いつかやってくる大学入試なども、そうした緊張した状態で受験する。
そう考えると、ある程度テスト慣れをしていると、有利に働くとも言える。

テストを受けさせられることは、生徒にとっては嬉しいことでないだろうが、社会に出ても、受けなければいけないテストはある。

生まれつきの境遇ではなく、勉強をすれば、身を立てられる時代だ。

実は私は、この歳になってもテスト慣れできない。今でも、抑圧された夢を見る。

私のようにならないために、
「リラックスして試験を受けられる人になってくれ。」
と彼らの将来を願う。

やり直しを繰り返すと、実力が上がるぞ…。
実力が上がってくると…テストは怖くなってくる…かなあ。












先生、うちの子どうですか?

私の学校の場合、系列の高校へそのまま進学できるので、進路指導的な色合いは薄い。だから、話題はほぼすべて「学校での子どもの様子」ということになる。

保護者はたいていの場合、「自分の子どもが、うまく学校生活を送っているか」を知りたいのだ。
思春期、反抗期の中学校時代は、親とのコミュニケーションが一時的に疎遠になる。
親が何を言っても、面倒くさそうに振る舞う。返事をしてくれればまだいい方で、「俺の態度で察しろよ」とばかりに、わがまま放題に振る舞う…そんな時期だ。
だから、なおさら、学校ではどんな生活をしているかについて、情報が欲しいのだ。
「まさか、家と同じような、反抗的な生活をしていないだろうな…。」
と、いう一抹の不安を胸に、恐る恐る担任に尋ねるのである。
「先生、うちの子どうですか? 何かご迷惑おかけてしていませんか?」
と…。

ところが、ここで、
「実は○○君は…。」
と、普段気づいた気になるマイナス面、改善点を、語ってはいけない。

我々教員は、保護者よりも長い時間接していることも多い。実際、朝から晩まで、そして土曜も日曜日も関わっている。だからこそ、彼らの長所も短所もよく見えるのだが、保護者が求めているのは、子どもの短所ではなく、長所なのだ。

だから、「うちの子どうですか?」の裏には、「親が発見していない、何か褒めるべき良い部分はありませんか。」
と、聞きたいのだ。

万一、ここで、文面通りの質問と誤解し、生徒の粗ばかりを話してしまうと、取り返しがつかないことになる。

一度マイナス面をインプットされた保護者は、その後で、どんなに子どもを褒めたところで、最初のイメージは覆すことはでずに、結局、子どもの悪いところを聞かされて帰ることになるのだ。

もちろん同席の子どもだって、担任から、「あれもだめ、これもだめ」と指摘され続けたら、滅入ってしまうだろうし、親だって嬉しくない。

だから、面談時には、保護者も知らない意外な部分で、めいいっぱい生徒のいいところを褒めたい。

我々は教育者なのだから、プラスもマイナスも知った上で、生徒たちを指導している。
その中で、保護者のニーズを察知して、
「有意義な三者面談だった。」
と、思ってもらえる、最大限の努力をしなければならない。

これまで、数多くの失敗を重ねてきた私自身の自戒を込めて…。

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宿題提出状況チェック

週初めになると、宿題提出状況一覧を作るのが、学年主任の仕事の一つになっている。
先週一週間分の、各教科の宿題の提出状況を、クラス毎にリストにして、とりまとめの先生に報告する。

今日も、
「宿題提出状況の方向をお願いします。」
というメッセージが届いた。
最近は便利になって、PCでお互いメッセージやファイルを送り合うことができる。
うちは、全部署でChat&Messengerというフリーソフトを使っている。

本来、宿題のチェックは、授業担当者が行うものだ。
授業をする先生が、宿題出し、それをチェックし、定着を図る。
ところが昨今、学校全体として、「宿題を出さなくてもへっちゃら」というムードになり、さらにまた、
宿題を出させる指導のできない先生も増えてきたのだ。

「宿題くらい授業の一環として、授業担当がきちんと提出させなさい。」
と、いうのが私の考えだが、それができないから、担任の先生に
「○○君と□□さんが宿題を出していないので、先生からも注意して下さい。」
などと、臆面もなく、当たり前のようにお願いされ、
「おい、また△△先生から連絡来てるぞ。宿題だせや。」
と、おかしな伝言ゲームがなされている。

私だったら、
「○○君が宿題を出していませんので、催促してください。」
などとは恥ずかしくて言えない。まさに赤面もの。
「私は、宿題指導もまともにできません。」
と、皆に宣伝しているようなものだ。

もちろん、逆はある。
宿題を全く取り組んでいない生徒がいる若手の教科担当の先生に、
「宿題出していない生徒がいたら、言って下さい。私も協力しますから…。」
と、助け船を出すことはある。

しかしやはり、本来は教科担当の仕事だと思う。

『どう指導して、彼らをやる気にさせるか』
『どんな仕組みで、全員に宿題を提出させるか』
は、教師としての悩みではあるが、いろいろな方法も考え出すという醍醐味もあるだろう。

「宿題はいらない。授業で完結すればいい。」
という意見もある。
しかし私は、理解の早い上位の生徒なら、それでも定着するかもしれないが、こと暗記や繰り返し練習の必要な学習活動においては、絶対的な勉強時間が必要だと思う。

また、
「どうせ答えを写すなら、やらせる意味がない。」
と、考える方もいるが、そうした生徒には、『自分自身には嘘がつけないこと』や、『知的正直さ』をこんこんと語りたい。そのうえで、『学びの楽しさ、喜び』を伝え、少しでも興味を持たせ、やる気にさせたい。

教師が教育活動を拒否してはいけないと思う。

という訳で、今週も「宿題提出状況一覧表」なるものを作っている。
中には、報告がない先生もいるので、
「○○先生、先週の宿題未提出者の人数を教えて下さい。」
などと、聞き回る。

正直なところ、
「本当にこの表を作ることに意味はあるのだろうか。」
「宿題提出率が上がったら、指導がうまくいっていると言えるのだろうか。」
「このシステムにより、若手教員の養成ができているのだろうか。」
などなど、いろいろな疑問点が湧く。

本当は、特定の宿題未提出者への個別指導ではないだろうか。

学校あげて、一覧表作りをすることで、確かに宿題提出状況は高まった。

生徒たちに、「宿題は提出するもの」という、当たり前の認識が得られたならば、そろそろ、次の段階に来ているのではないだろうか。

さて、また先週分の「宿題提出状況一覧表」を作り始めるとするか…。

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2018年10月22日

水かけ合戦

掃除時間後、2階にある中学2年生のあるクラスでは、窓際にいたカメムシを、霧吹きで退治しようとしていた。

すると、上から水滴が落ちてきた。どうやら3階の高校生2年生の教室から水が垂れてきたらしい…。

中2は、高校生がわざと水を垂らしたと考えた。
だから、霧吹きをジェットにして、窓から乗り出し、3階の教室へ飛ばす。
しかし重力には逆らえないので、なかなか水は上まで届かない。

ところが、高2でも、同じようにカメムシ退治のために、水を吹きかけていたのだ。

つまり、中2は高2から水を掛けられたと勘違い、それに応戦するために水を飛ばしたのだ。
そのうち、その様子に気づいた高2の生徒は、今度は中学生から挑発されていると勘違い。

水かけ合戦は、お互いが水を飛ばし合う状態へと発展する。
そのうち、お互い挑発の言葉も飛び交い、一気に戦争状態に陥った。

中2の後輩から謂われのない攻撃をされた高2は、いよいよ頭にきて、バケツごと水をぶちまけた。
その一部が、窓から中2の教室に入り、教室は水浸しになった。

そこを先生に発見される。

中2と高2は、昨年の降雪時にも、雪玉を当てだの、当てられただののトラブルがあり、今回のメンバーはその再燃でもある。

高2から見ると、生意気な中2。
中2からすると、性格の悪い高2。

お互いがそんな思いで、対峙している。

幸い階をまたいでの戦いで、乱闘騒ぎにはならなかったが、状況によってはそうなってもおかしくはなかった。

お互いの行動や思いを想像できない、思いやりのなさが、こうした事件を招く。

相手を嫌だと思えば、相手からも嫌な思いで見られるのだ。
自分の立場のことしか考えられないから、相手が見えない。
相手の行動を客観しできないし、行動からその思いも想像できないのだ。

幼さ故の悲しさとも言える。

しかし、よく考え見れば、こんなことは大人の世界でも起こっている。
お互いが自分のことしか考えていないから、相手の行動が見えない。
何を考えているかも分からない。
立場に立って、冷静に考えれば分かることも、間違った判断をして、誤解してしまう。

すべては自己中心的な考えから来ている。

水かけ合戦で、社会の縮図をみたような気がした。












学力推移調査

今日は某社の学力推移調査。中学生は全学年この実力テスト(模試)が行われた。
うちは私立なので、中学校ながら年3回のこの試験を受ける。

検定外教科書を使った独自のカリキュラムで、中学3年間を学習させているが、「対外的な実力も測らねばならぬ」ということで、希望者ではなく、全員がこの試験に臨む。

試験を受けると言うことは、受けっぱなしということはあり得ないので、当然、学年ごとに目標設定と重点項目、そしてその結果どうであったか、の検証がなされる。

たとえ入学時の成績が今ひとつであっても、徐々に成績を上げていくのであれば、各教科(国・数・英)とも、指導がうまくいった、と判断されるわけだ。また、偏差値で輪切りにされた成績を見て、全体の平均が上がっても、「上位層が減った」とか、「下位層が増えた」となれば、「どこか指導にミスがあったのではないか」と、職員会議で指摘される。

私立学校としては、成績を上げていくことは、募集に直結する大きなミッションの一つ。
模試が近づくと、各教科とも、いろいろ工夫をしながら、点数アップに努めるのだ。

「実力テストなのだが、何もしないで受けたのが、本当の実力だろう。」
という考えもあるが、英語と数学は先取りで教えていることもあり、どこかでまとまった復習をしておかないと、それこそ、「定着率きわめて低い」ということになり、『先取り学習に意味があるのか』という議論にもつながりかねない上に、管理職からお叱りを受けることになる、という具合である。

だから、「復習して解ける問題ならば、解けるようにしておきたい、」
と、思うのが、先生たちの総意でもある。

最近は、生徒会企画でも、「模試の成績を上げよう」というイベントが行われ、学年、クラスごとで目標が決められ、時、大きく成績がアップした生徒は表彰される。集団での教育効果を狙ってのことで、まずまずの成果を上げてはいる。しかし、学校を休みがちの生徒は、なかなか積極的になれない。

そもそも、学校を休みがちということは、たいていの場合成績も芳しくない。そうした生徒が、たまに登校して、模試を受ければ、当然、その結果も今ひとつなわけで、全体としては平均点を下げてしまうことになるのだ。それを察してか、そうした不登校傾向の生徒は、この試験の当日は、学校を休んでしまう傾向が大きくなるのだ。

中学生なら、
「○○さんが受けたから、平均が下がった」
などと、臆面もなく言いかねない。
生徒主体で競争させると、こうした弊害が起こってくる。
「お互いに教え合おう、成績を高め合おう」というカルチャーは、ある程度学齢が上がらないと難しいのだ。

受験後は、解答用紙をコピーしての自己採点。
結果が戻ってくるまで、一ヶ月以上はかかるから、「やりっぱなし」ではなく、きちんとやり直しをさせようというものだ。

私は、模試の後にはこんな話をする。

模試は『実力を測る』、という意味もあるけれども、それよりも大切なことがある。
失礼だけど、この中に、『すごく実力がある』人はいない。
つまり、ほとんどの人が、『実力がない』わけで、残念ながらこの試験が、『実力がないことを確認するための』試験になっているわけだ。
『お金を払って、実力のないことを確認している』、というのはなんとも馬鹿らしい。
だから、発想を変えよう。
この模試を受けることで、とても良い問題集を買ったのだと思うことにしよう。
君たちには、詳しい解説冊子が配られた。ここには、答えや解説だけではなく、関連事項まで細かく説明させている。これを使わない手はない。模試は終わったが、その良問を、もう一度解く。
何度も解けるようになるまで、真に分かったと言えるようになるまで解く。
そうすることで、君たちの実力はぐんとアップする。
その意味では、実力テストで実力をつけたことになる。
この繰り返しで、君たちの実力はどんどん上がっていくのだ。


さぁ、これから自己採点。
今回もこの話をしなければ…。













2018年10月21日

校長の一言、「いつも私たちに尻拭いさせる」

いじめ案件のトラブルがあったのちの三者面談。
「相手が一方的に悪い」と思っていた父親は、私の、「お互いに傷つき、悪い部分があった」という一言に、激怒した。その場では、直接は私に言わなかったが、一ヶ月後に、母親からその思いを縷々綴った手紙が上層部に届き、私は呼び出され、問い詰められた。
「どうして謝らなかったのですか?」
と…。

三者面談時に、私は不覚にも
「ずいぶん機嫌の悪い父親だなぁ。」
と思っていたが、激情に駆られていたとは気づかなかった。

手紙は8割くらいは、妄想で、事実に反していたが、これ以上トラブルを避けたい校長らは、一方的に私が悪いことにして、保護者に謝罪する。

一部でも悪ければ、謝らなければいけない世界なので、それは仕方のないことと、私は、打ちひしがれながらも受け入れた。

「丹澤先生には、きっちり反省してもらいましたし、研修にも参加してもらいます。」
などと言って、保護者を納得させたらしい。
この件があって、今年度は彼女を私のクラスから外したし、その後その保護者とも会っていない。

学校現場では、こうした若干、理不尽だと思うことも、時折起こる。
「保護者の満足度を上げることが、学校の評判を上げることになるのです。それが募集につながり…。」私学では、まさにそのとおり。保護者から言う、不適格な教員がいれば、学校の評判は下がる、という訳だ。

このとき、校長は私に、
「丹澤先生は、いつも私たちに尻拭いさせる。」
と、言った。

さすがにこの言葉には傷ついた。

管理職だから、立場上そういう思いがあってもいいが、面と向かって言われると、何だか、人間否定され、「教員不適格宣言。お荷物教員宣言」されたように思った。

その後、何ヶ月も落ち込んだことを思い出す。
もうすぐ三者面談期間になるから、あれからもうすぐ一年になる。

もしかしたら、校長も私も似たところがあるのかも知れない。
校長と私、私と生徒の関係で、私も同じように、生徒たちを傷つけているのだろう、とも思う。

この歳ながらも、もっと褒め上手にならないと、「ただのうるさい老人教員」と思われる以上に、「信頼できない教員リスト」に入ってしまうのだろうな。

残念ながら、私の本心、『生徒のへの愛』は、保護者へは伝わらないらしい。
もちろん、校長にも…。
















カメラの連写機能でピッチングフォームを撮る

久しぶりの野球の練習。
「いやぁ、一週間ぶりにボール投げた。」
などど、恐るべきことを言いながら、キャッチボールをしている。
駅伝に向けて、一切、野球の練習はしなかったので、確かに一週間ぶりの野球になる。
感覚を取り戻すのに、少し時間はかかるが、幸い次の試合まではまだ間がある。

そこで今日は、ピッチングフォームの写真を撮ることにした。
昔ならば、ビデオで録画したものをPCで取り込み、編集ソフトや自作ソフトで、一つひとつコマを取り出す。通常のビデオは一秒間に29.97コマに分解できるので、このコマの中で象徴的な静止画を取り出すことで、いわゆる分解写真のもとが取れる。それを位置をずらしながら重ね合わせば、分解写真ができる。
今は、こんな面倒なことはしない。
私の場合は、カメラの連写機能で一秒間に6コマ撮れるので、ピッチングやバッティングならば、うまくタイミングを合わせることができれば、十分特徴的なコマを撮影することができるのだ。
それを、すぐに生徒に見せて、自分でフォームを修正させる。

「あれ、こんな投げ方だったんだ。」
と思って、修正しようという気持ちになれば成功。

普段から、注意されている部分も、証拠写真として見せることができるから、
「やば、こんな感じなんだ。」
と、思ってくれてもOKである。

ポイントはいくつもあるが、直していくのはまずは一つでいい。
いろいろ言い過ぎると、生徒は頭がごちゃごちゃになってしまうし、あれもこれも直そうとして、フォームがめちゃくちゃになることもあるからだ。

象徴的なコマの写真を印刷して、掲示したり、本人に渡したりもする。
また、綺麗なフォームの(他校の選手)の写真と比べさせてもよし。

今の時代、さっと見せられるのがいい。
カメラの液晶では小さいけど、それでもすぐに見られるのはありがたい。
ビデオの動画のままだと、欲しいシーンで一時停止するのが難しいから、この連写機能は大変重宝する。
動きのあるスポーツのフォーム修正のための撮影には、便利な機能だ。

「先生、さっきの写真印刷してくれませんか。」
と、言いに来たら本人が自覚し、すぐにでも修正しようと思っている証拠。

今のところ、声がかかっていないのだが…。























2018年10月20日

駅伝の写真撮影

いろいろなドラマがあった駅伝練習。今日がその本番。
昨年は雨だったが、今年は綺麗に晴れた。
私は、今年も写真撮影。
いつも通りの場所に陣取り、選手を待つ。
手持ちの一眼レフカメラで、選手を狙う。
その間、4時間。

「先生、今年はどんな写真ですか?」
レース後、男子の第一走者のYが尋ねてきた。
「うん、変な写真だよ。」
だいたい、走っている写真の表情は、カメラ目線の写真とは違う。
連写で目の前を通過する選手たちの表情を狙っている私は、その写真の中に、学校を背負って走っている責任感と、全力を尽くそうと努力する、美しいスポーツマンの姿を見る。私にとって、表情など、たまたま見えてくる一瞬の出来事のように思える。

「やめてくださいよぉ。」
「第一走者は、団子で走ってくるから、撮影するの難しいんだ。」
というやりとりの後、
「僕は、去年の先生が写真を撮っている場所、覚えていたんで、わざと他の選手のそばにいたんですよ。」「え、そんなこと考えていたの。それがあと数秒で繰り上げスタート担ってしまった原因か?」
「違いますよ。頑張って、前の選手について行ったんです。」
正確なところは不明だが、確かに去年よりは早い。
残念ながら男子も最終走者が繰り上げスタートになってしまったが、もう後ろから選手が来ていて、ほんのあと何秒かで、たすきをつなぐことができたのが、今年のチームだ。
「えっ、やっぱり繰り上げになっちゃったんですか?」
と、がっかりしていたので、
「惜しかったなぁ…。もう、あとちょっとだ。」
と最大限に励ました。

スポーツの写真撮影は難しい。
特に走ってくる人間を、ズーム調整を変えながら、ピントを維持しつつ、シャッターを切り続けるのは、そう簡単ではない。だから、申し訳ないが、私は黙々と写真をとる。
連写で、「カシャカシャカシャカシャ」というのが、私の応援の声なのだ。
今の私の技量では、とてもとても、応援の声を出しながら、シャッターを切り続けることは困難だ。

「あと、ちょっとで繰り上げ逃れたんですよ。ほんと、惜しかったんですよ。」
バディをつとめた中2の選手が興奮して語る。
「来年は君たちがメインのメンバーだよ。」
「はい。」
まんざらでもない表情で答えた。

いい走りっぷり見せてもらった。
ほんとにありがとう。





















駅伝本番

今年も駅伝がやってきた。
写真撮影の特権で、少し遅れて会場に着いた私は、各校のテントを回った。
知り合いの先生や、お世話になっている校長先生に挨拶をするためだ。

ひと通り、挨拶を終えたとき、同じ市の学校の先生に声を掛けられた。
「市内駅伝では、先生の学校、すごかったですね…。どんな秘策を取ったんですか? それに試走の時も、みんな元気があって、とても気持ちよかったですよ。」

ありがたい言葉だ。
生徒はもちろん、駅伝の監督の先生や、試走の引率の先生たちも頑張ってくれたということだ。

当初、私の学校が駅伝に参加して、一番喜ばれたことは、
「これで、ビリにならずに済む。」
と、よその学校の先生に思われたことだ。新参の学校が入ってくれるなら、自分たちの学校の最下位は免れるだろう、という思いだ。
しかし近年、私たちの学校は、上位にこそほど遠いが、決して最下位にはなっていない。

他校のような長い練習期間もない。
朝練も、昼練もない。
唯一、協力する部が一丸となって、自分たちの活動をすべて投げ捨てて、駅伝練習に参加しているだけだ。

トップ校の、一般の部よりも早く走ってしまう、全国入賞クラスの学校はさておき、
「同じ中学生なのだから、そんなに差をつけられてたまるか。」
という思いもある。

さて、試走をサボった中2の選手だが、どうやらきちんと謝罪ができたようで、今朝はちゃんと参加していた。
うち一人は、昨日も練習に参加していなかったので、
「残りの二人は、きちんと謝って、連れて行ってもらうことになったんだよ。君はどうするの?」
と、プレッシャーを掛けておいたのだ。やればできるじゃないか…。

毎年、「来年は、もっと沢山の生徒を連れて駅伝に参加したい。」と思う。今年は去年よりは増えたので、来年はもっと増やそう。授業をやめて、中学校全員で応援に行ったっていい。
なんと言っても、この地区で、唯一全部の学校が参加する一大イベントなのだから…。

「僕は授業があるから、行けないよ。」
と、今日も応援に来なかった校長も、来年は、否応なしに巻き込んでしまおう。

少し色づいた公園内の駅伝コースに、爽やかな青春の風が吹き抜けた。




















子どもの事故

駅伝のレース中、幼児が自転車でコースを走ってしまった。
先導の係が
「選手通ります!」
と大声で叫ぶも、幼児には話が通じない。
先導の係は、自分の自転車を倒すようにして、幼児をかばい、選手のために道を開けた。
幸い、事故にはならなかったが、選手が幼児とぶつかったら大変なことになった。
公式試合なので、大会記録として有効かどうかも議論になるし、何より子どもが怪我をしたら、取り返しがつかないことになる。
先導の係は、どこかに不満をぶつけるかのように、
「お母さん、どこですか?」
と、叫んだが、母親はいなかった。

「お母さんは、赤ちゃん、いるから、おうち。お父さんはテニス。」

その幼児は、姉弟たちとその公園に来ており、父親はテニスをしていたのだ。
テニスコートの外側に、仮設の机などを置き、子供たちは、自転車を持ち込み、乗り捨てるように置いててあった。

その後、気の利いた人が、何が起こったか分からない幼児をなだめた。
そしてまた、別の人が、他の姉弟とその幼児をテニスコートに連れて行き、父親に引き渡した。

子どもだけで遊ばせるには、あまりに危険な場所であったのだ。
事故にならなくて良かったと思う。

子どもはどんな動きをするか分からない。
外界に対する認識力がきわめて低いからだ。

私も、幼い頃、父親に連れられてゴルフ練習場に行ったことがある。
父親は、ゴルフの練習をすべく、ゴルフボールを置き、懸命にゴルフのスイングをしていた。
そんな中、だんだん暇になってきた私は、「何か、父親の役に立てることはないか」、と考えたのである。そして、「そうだ。ボールを緑の上に置くことくらいはできる」、と思ったのである。
私は、ボールを一つ取って、緑の敷きもののピンに置こうとした。
そのとき、父親が私に気づかず、バックスイングをした。
父親のグラブは私のおでこに直撃して、そのまま救急車で病院に運ばれた。

私が覚えているのは、「痛いよー」と、泣いていたことと、手術室の天井のライトである。
幸い命に別状はなく、おでこを何針か縫っただけの怪我だった。
その後、父親はゴルフを辞めた。おそらく肝を潰したに違いない。一歩間違えば、息子を殺していたことになる。

子どもは、大人から見ると予想不可能な動きをする。
子どもの立場からすると、彼らなりに考えての行動なのだが、残念ながら周りが見えない。
自分の思ったことだけに集中してしまう。

人間が二十年近くも欠けて育てられるのは、学ぶべきことが沢山あるからなのだろう。
と、同時に、幼少期は余りに無力で、無防備は存在というになる。
こと、中学生にしても、まだまだ大人にはほど遠いのかも知れない。

とにかく、今日は事故にならなくて良かった。





















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