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2019年09月07日

文化祭初日

今日の文化祭では、以前務めていて同僚や卒業生が来てくれた。
私はほとんどホールで舞台発表の写真撮影をしていて、あまり校内をうろついていなかったのだが、それでも出会えたのは嬉しい。

予想だにしなかった人との出会いには感動する。
私も仕事中なので、長話はできないが、ほんの少し交わす会話や、その雰囲気を通して、皆が輝いて見えたことは事実だ。

この春卒業した卒業生のK君は、中学時代に一緒に過ごした青年である。
中2から私の担当する数学の上位クラスに来たが、なかなか苦しいようだったので、私は彼のために毎日プリント教材を作った。それが二年ほど続いたので、今はそれが重要な授業ノートにもなっている。すべて手書きなので、作成には小一時間はかかったが、活字にすればさらに時間はかかるはずだ。いずれ活字にすれば、教科書ができるくらいの内容だ。

オリジナルはすべてK君に渡してしまったので、私の手元には、スキャンしたコピーしか残っていないが、あの頃を知る宝物だ。

卒業生のM君も、彼が一の時に私が担任だった。
その後、芸能系に進路を進め、今やユニットで活躍している。まもなく正式デビューだそうだ。

文化祭ではたくさんのクラス劇が行われたが、どれもクオリティが高かった。
まず役者が達者なのである。
将来、女優、俳優の雛たちがたくさんいる、ような感じ。
ストーリーも生徒作で、オリジナルも申し分ない。

その一つだけ、私が涙が出た作品があった。
高校2年生の劇で、タイムスリップの恋愛ものだが、その純粋さと演技力が共感を生んだ。

演劇部の作品も、「丹澤先生、関東大会行けるオア、あとでアドバイスを…」、と言われたので、写真を撮りつつ見せてもらった。淡々と会話する女子高生の喜怒哀楽が豊かに表現されている新鋭の作品だった。

昨年私が学年を持っていた中3の劇も達者だった。
何より彼らがのびのび演技している。
「私が関わらない方が、こんなふうに成長できるんだなぁ…」と、多少自虐的ではあるが、彼らの成長に感動する。

参加はしないが、見学はできるたくさんの高3とも出会った。
「丹澤先生、卒業式来て下さいよ。」
「嫌だよ…。」
などと、たわいのない会話をしながら、用を思い出し、「さらば…」、と手を挙げ階段を上る中で、私は涙が溢れた。

背後から、「絶対にまた丹澤先生を泣かせるから…」、という声がした。

明日もまた感動があるかな…。

2019年09月03日

練習をサボったI君

部活時間直前に雨になった。
少し強めではあったが、それまで降っていなかったので、グランドはぬかるんでいない、と判断し、校外のグランドで練習をすることにした。

主力メンバーである中2のTが、同じく同級生のIに尋ねる。
「今日、練習あるの?」
「あるよ!」
「Iの言うことは信じられない。こんな雨であるわけがないだろ…。」
と、勝手に判断したTは練習をサボったのだ。

グランドに着くと、案の定良い感じで湿っており、ベストな状態。
だが、前日の練習でボール拾いを怠ったらしく、十何個もボールが落ちている。

当然のことながら、グランドのジョギングは15周にも及ぶことになった。

その後キャッチボール、ボール回しをすると、辺りは薄暗くなってきた。
雨雲に覆われたそらは、日の入りが近づくとさらに暗くなる。
この時期の日の入りは18時過ぎ。
この先は、ライトが必要になりそうだ。

Iがサボったので、私はへそを曲げる。
「この先三週間くらいは、活動停止にしようかな、と迷っているんだ。」
と、彼等に伝える。
そのことをずっと考えていた。
一年生だけの練習にしようか、それとも本当に停止してしまうか…。
試合に勝つと、すぐに隙ができる。駄目なチームの典型だ。

そして翌日の今日。Iは平気な顔をして練習時間にやってきた。
その前に、私と何度も顔を合わせたのに、何を言うでもなく、ここまで先伸ばししたのである。

「来週、新人戦の組合せ抽選があるんだが、登録用紙を出さないという方法もある…。」
と、私は静かにIに語りかける。

Iを車に乗せることはなかった。
「しばらく、車には乗せない…。」
と宣言し、グランドまで走らせた。片道5キロある。

そんな中でも、
「学校を走っていてもいいですか?」
などと、なめたことを言う。

少し前、雨で練習が筋トレになって、万歳をした男である。
9月から自分だけで30G使えると、大喜びしているスマホ中毒の男である。

今日も練習前に大雨が降ったので、グランドは使えまい。
だが、何かはできるはずだと、グランドに行き、小雨の中ネットティーをさせた。

当然、Iにはやらせない。
そして帰りも走って帰ってもらった。

いつもの何倍も早く走っていたように見えた。

まだまだ甘いのである…。








2019年09月02日

文化祭準備に思う

VRのための身体を張った撮影文化祭準備に思う

今日からいよいよ本格的に文化祭の準備が始まった。
文化祭は今週末にある。

クラス担任を外れた私は、何とも気楽に、この時期を過ごすことができている。
「こんなに楽していいの?」、と思うくらい、「頑張れ!」と声援を送るのみである。

学年に所属しているのだが、クラスの協力をすればいいのだが、いい加減な私は、クラス発表の内容すら完全には把握していない。
クラスの話し合いの時には、時間が合わなかったし、企画書もよく見ていないのだ。

そういう意味で、「この時期、何か別のクリエイティブな仕事に取りかかろう」、と思っている。

これまでの例年ならば、クラス劇の準備に奔走していたのだが、今年はそれから解放された。
いらぬプレッシャーを感じることなく、若干リラックスいてこの時期を過ごせるのはいい。

以前の私ならば、「クラスがないのは淋しい。断腸の思い」、と感じたはずだが、今は、「年齢の近い若い先生が生徒に寄り添って作り上げる方がよかろう」、と思うようになった。

もちろん上手くいかないことばかりだろうが、それも勉強。
そうした経験を通して、教員としてのスキルもアップしていくだろう。
私がやれば、そつなくできるのだろうが、それではお互いが面白くない。
新たな発想も生まれないかも知れない。

文化祭では、あっと驚く展示や劇が見られるに違いない。
おそらく私は撮影係だろうから、その一端でも記録に残せ、激励できればいい。

「もしかしたら、こんな風に、生徒から離れ、現場から去って行くのだろうか…。」
などという思いが、ふとよぎるが、生徒と関わることは好きなので、もう一踏ん張りはしようと思う。

担当している中2の生徒が、
「丹澤先生。『一点から等距離にある点の集まり』の図形を書きたいので、道具を貸して下さい。」
と、尋ねてきた。

和はニヤリとして、彼にコンパスを貸し出す。
学校備品だが、自分が使っているものである。

朝の職員打ち合わせで、
「生徒が借りに来ても、簡単に貸さないで下さい。壊れたり、戻ってこなかったり、汚されたりします。」
と、警告があったのだが、私は構わず貸し出した。

「いつ返すの?」
と尋ねると、
「40分に返します。」
と言う。

彼はきちんと返却してくれた。
「これでいいんだ…」

そう、私はほくそ笑む…。









2019年09月01日

VRのための身体を張った撮影

文化祭のクラス発表で、高校生がVRをするという。
テーマは『三途の川』だそうで、その撮影のために川に連れて行って欲しいとのことで、部活の前に彼らを近隣の河原へ釣れて行った。
事前にそのクラスの責任者と下見をしていおき、場所を決めておいたのである。

学校からは6キロほどのところである。

ご存じの通り、『三途の川』は、この世とあの世を分ける川である。
あの世に旅立つ時、誰もが通過しなくてはならない川である。

生前の生き方によってその渡り方が変わる。
川の上をすーっと、通過する聖人から、自分で泳ぎ、溺れながら向こう岸(彼岸)に渡る者もいる。

川の底には、金銀財宝、いわゆるこの世のお宝が落ちているという。
そうしたこの世的執着を捨てなければならないのが、三途の川。
だから、執着を捨てられない人は、溺れながら、瀕死の状態で渡りきることになる。
もちろん、三途の川を渡るということは、もうこの世の命は終わっている。

よく臨死体験で、川を渡ろうとしたら「止められた」というのが、この三途の川である。
渡ってしまうと、この世に戻ることはできなくなる。

そうした三途の川の映像を撮ると言う。
当然、溺れるシーンも必要で、身体を張っての撮影である。

私は昼頃、練習終わりに迎えに行ってやろうと、連絡したが、結局は夕方まで撮影してたとのことで、自分たちで歩いて帰ってきた。

ここ田舎では、路線バスなどない。

途中、メインのカメラを落として壊したり、スマホを入水させたり、クロックスや眼鏡が流されたり、とハプニング続きだったという。

「メイキング映像の方が面白いんじゃねぇ。」
などと、いい加減なアドバイスをしたが、彼らはこれから必死で映像処理をして、本番に備える。

「できるかどうか、不安なんです…。」
責任者の生徒が、不安をつぶやく。

アイデアも企画も面白い。

一度撮影した映像を見せてもらったが、なかなかの力作である。

私のできることは、「頑張れ!」、という声援しかないが、陰ながら見守るとしよう。

2019年08月31日

練習試合3勝目

「今日の練習試合で負けたら、新人戦は出場辞退する!」
と、プレッシャーをかけて臨んだ練習試合。
苦しみながらも何とか2勝できた。

実力があり、野球技術の高いチームには、まだ刃が立たないが、一年生主体の若いチームならば、いい試合ができるようになった。

力のないチームが、めきめき力をつけていく様は、指導していても面白い。

世の中には、どんなチームでも勝たせてしまうような先生もいる。
私にはそうした技量はないが、それでも、今のチームの進化は面白く見ている。

今日の相手も、同じく若いチームで、野球初心者が半分を占めるような状況だが、これからの伸びしろを感じさせる面白さがあった。

それでも、中1のバッテリーに翻弄されるようではいけない。

動きは分かっても、まだまだ技術が追いつかなくて、ミスが出る。

「相手がミスしてくれているから、点が入らないでいられるんだよ。本当ならば、5点も6点も取られているんだ。」
そう彼等を戒める。

実際、私たちのチームは2アウトからも点が取れたが、相手チームは、2アウトまで追い込んだら、点数が入らなかったのだ。

練習試合を通して、プレー上のいろいろな学びがあるのも面白い。

新人戦は9月末。
今のところ次の予定はない。
あと何回練習試合ができるか分からないが、こつこつ練習を重ねて行こう。

「2年生が足を引っ張っているので、逆に自分たちがチームを引っ張っていけるように頑張ります。」
野球ノートにそんな風に書いてあった。

心理戦であり、プレッシャーとの戦いとなる野球の試合は、楽しくリラックスしていた方が、いいプレーが出る。

選手たちはリラックスとだらしなさの境界線が分からないようだが、そこは、私がコントロールする。

「どこまで実力を伸ばしていけるか…」。
面白いではないか。








2019年08月29日

責任を負う

「いじめによる転校生徒を出してしまったことは、すべて私の責任です。」
職員会議で、学年主任が涙ながらに語った。

「いじめた生徒が悪い。」
「いじめられる側にも責任がある。」
などと、逃げの姿勢のスタイルよりも、教師側に責任を求める方がいい。

縁あって関わった生徒を、善導し、育てていくのが私たち教師の務めだ。
事故あって、それが成し遂げられなくなった場合は、やはり教師の責任と言えよう。

そうやって自分を責めすぎてもまずいが、責任逃れはダメだ。
我々は教育のプロなのだから、何らかの失敗があれば、それを次に生かさなくてはならない。
そして、その失敗を共有し、同じ失敗を繰り返さない知恵も必要だろう。

その話を聞き、
「私にはまだまだ矢面に立てるほどのエネルギーはないな…。」
と思ってしまった。

今の心境ならば、担任や学年主任をお願いされても、引き受ける自信も、パワーもない。

だいぶ力は貯まりつつあるが、まだまだだ。

「担任としての指導が行き届かず…。」
転校生徒のクラスの担任も語る。

状況の共有のための会議だ。別につるし上げの場でもなければ、反省だけの場でもない。

何かの事件が起こったとき、ほかのものにその原因を求めてしまうマインドは、「自己責任の放棄」である。

人は、概して疲れたときや、精神的にまいっているときはそうした傾向になりやすい。
自分自身もそうした経験は数多くあるのだから、私はそのことを責めようとも思わない。

「親の心子知らず」ならぬ、「教師の心親知らず」の場面は、おうおうにして起こる。

我々プロは、罵詈雑言、悪口雑言に耐え、信じる道を歩むしかないのだろう。

2019年08月28日

親の気持ち

親は子供ためならば何でもする。
この歳になって、その気持ちが非常によく分かるようになった。

教員である限り、理不尽な保護者の要求もあるが、概してそれは、「子供のためを思って」、という場合である。

たとえそれが、「将来的には子供ためにはならない」、と思われることであっても、親は子供ために死力を尽くす。

なんと言っても、最後まで子供を護るのは親なのだ。
その姿を見て、親子の絆を深める場合もあれば、逆にさらに距離ができてしまうこともある。

先日転校した生徒の父親は、受け入れ先の公立中学校に不満を抱き、早速教育委員会に電話を入れた。自分たちの要望が通らなかったからである。そして、母親は「以前いた学校では、何もしてくれなかった」、と学校に訴えた。

そうなると心配してしまう公立学校側は、再度、私たちの学校に連絡をしてくる。
「保護者の言っていることは、本当に正しいのでしょうか…。」
となる。

恐らくは、期待して入学し、楽しく学校生活を送っていたはずなのに、挫折してしまったことへのいらだちと、やるせない気持ちが、気持ちを混乱させているのだろう。

親戚らを説得して入学させ、何年も前から授業料等の金策に走り、期待をかけて通学させてきたのだ。
それが、何ヶ月かの不登校という期間を経て、転校となった。

学校としては義務教育でもあり、転校なのだが、保護者からみれば、『退学』という意識だろうし、親子ともに大きな挫折体験であろう。

私の学校の校長が、自宅に謝罪に行くことを連絡したが、保護者はそれを拒否した。
「電話で十分」、と言うのである。

彼等の混乱は当分続くだろう。
そして、受け入れてくれた公立中学校の混乱も続いてしまうに違いない。

一人の人間を育てることは、こんなにも大変なのだ。

いじめた側とされる生徒たちは、
「俺たち納得できません…。」
と、訴えてきた。

そこに保護者も、「話を聞きたい」と、昨日は来校した。
子供が困った姿を見て、いても経ってもいられなくなったのだ。

傷は大きい…。




2019年08月27日

いじめによる転校

人には強い者と弱い者がいる。
言葉の達者の者もいれば、朴訥としてなかなか話せない人もいる。
念力が強く、強面で、その人の一言が、大きく他に影響を与える人もいる。

社会はもちろん、学校の中でも、いろいろな生徒の中にそうした人間は存在する。
そこにいじめの芽ができる。

グループは当然、強い者がリーダー的存在になり、その雰囲気と、グループにいれば安心という思いから、接近してくる人もいる。
誰かに頼りたい、という思いなのだろうが、主体性の強い人は、あえてそうしたグループと距離を置く。

グループにいることが、傘下のメンバーとしての安心と安全が確保されるわけだ。
だから、そのグループから追い出されたり、追い出されそうになる発言をされると、焦る。
そのリアリティが高ければ高いほど、本人は動揺し、自分で自分を追い込んでいく。

最近は、『出荷』という言葉が流行っているそうだ。
いわゆる、「グループから追い出す」という意味なのだが、この一言で悩み苦しみ、学校を転校して行った生徒が出た。

実際は一学期から学校に来てはいなかったのだが、ここにきて、転校となったのだ。

今日の学年集会で学年主任が言う。
「○○君は、ずっと悩み苦しんで来ました。学校に来たくても恐怖で来られませんでした。」

大方の生徒は真剣に聞いていたが、実際「いじめ」と認定されてしまった当事者二人の心中は穏やかではなかっただろう。

恐らくは冷めた目で、「先生たちは信用できない…」、と思ったに違いない。

「結局は俺たちが加害者で、俺たちが悪なんだ。」

私の学校では、きちんと善悪を教える。
「いじめられた側も悪かった…」、というスタンスはとらない。

「見て見ぬ振り」も同罪。
「その勇気のなさを反省せよ」、という訳だ。

傷ついているのは、転校した生徒だけではないのだ。

社会では必ずこうしたトラブルが起こる。
学校だけの問題ではない。

大切なのは『愛』の心だ。
相手を思いやる心だ。

「この言葉が相手を傷つけることはないか」、と、その先を予想できる習慣も欲しい。

強き者は弱き者を助ける義務がある。
強き者だって、弱い部分を持っているのだ。そうした部分を弱き者がフォローしながら、真の友情関係が築かれていく。

ちょっと後味の悪い学年集会ではあったが、私も支えていかねば…。








2019年08月26日

練習中止

始業式に試合で不在だったので、私にとっては実質今日が二学期の初日。

夏休みを過ぎると、背が伸びていたり、顔つきが大人びていたり、真っ黒に日焼けしていたり、と久しぶりに見る生徒たちの姿が頼もしい。

しかし体力的にフルタイムに慣れていない私は、授業はもさっとしたものになってしまった。
明らかに準備不足なのだが、今ひとつ気合いが入らないのは、夏の疲れだろうか。

このところ朝晩はめっきり涼しくなった。
もりかしたら、朝は20℃を下回っているかしらん、と思うほど、Tシャツ一枚で愛犬の散歩に行くことはもうできない感じ。爽やかな空気が気持ちよいが、いつの間にか虫の音の季節になっている。

この地の秋は短いので、9月の末に稲の刈り入れが終わると、あっという間に冬に近づく…。
このところ日の出も遅くなり、日の入りも早くなった。
部活時間もどんどん短くなってしまう。

放課後の部活動も本格スタートだ。
ところがである。
「丹澤先生、J君が宿題再提出になっています。」
と言う。

私は、「新学期に一人でも未提出者や再提出者がいたら、活動をしない!」、と夏休み中から宣言していた。
おまけに、水着を忘れたことによる体育の水泳の授業を見学した生徒、喉が痛いと自首的に水泳を見学した生徒がいた。

そんな生徒が部活動に参加して言い訳がない。
部活動も見学するのなら話は別だが、元気なのである。

…と言うわけで、今日は練習中止。
一切の自主練も禁止した。

本来連帯責任は好まないが、チームプレーはどこかでミスが起こると、そのフォローができなければ、全体が崩れていく。

今回の再提出や、忘れ物は、フォローしようと思えばできることだ。

少ないメンバーながらも、さらにチームが一体化するためには、こうした手段もやむを得まい。

周りを見る目。
お互いをフォローする意識と行動。

こんな心遣いを育てたい。

2019年08月25日

落ち着いた日曜日

四、五日前、隠れ家の集落の班長さんから電話が入った。
最初は誰だか分からなかったが、よく聞くと『草刈り』の話。
その話で、班長を務めてる方からの電話と分かった。

この田舎に移って10年あまりになるが、今でも、なまった言葉がすべて理解できるわけではない。
面と向かって話すときは、8割方理解し、ほぼコミュニケーションに問題はないが、電話となると状況は一変する。班長さんからの電話の理解度は5割程度といったところか…。

だから、『草刈り』の時間も、その他の話もよく分からなかった。
本当は、回覧板で連絡がくるところだが、今回は回覧板が回ってこなかったのだ。
届いたのは、昨日の夕方。どうやらどなたかが止めてたらしい…。

今朝は愛犬の散歩が終わる頃には、皆さん草刈りを始めていた。
一歩遅れをとったという感じ…。

田舎のこうした活動は、時間に遅れるということはあり得ない。
それどころか、十分も二十分も、三十分も早く始まることが多い。

急いで刈払機の燃料を入れ、草刈りを始めた。

一頃よりもずいぶん涼しくなって大分助かったが、それでも小一時間草刈りしているだけで汗だくになる。
草刈りの始まりも三々五々ならば、終わるのも三々五々。

おのおのの定められた領域を終え、他の人も概ね終わったならば、そこで終了。

草刈り後は、例によって野球部の練習。
昨日の大敗に今日の練習はどうかな…、と思ったが、まあ、少しだけ気合いが入っていた感じ…。

朝晩は涼しいのだが、日中の日差しの強さは、一頃のものと変わらない。
ジリジリとした焼ける日差しが容赦なく降り注ぐ…。

今日は、彼等に粗相があって、全員5キロ先のグランドまで走って行くことになったこともあり、全員が汗だくだ。

日差しが強い日なたには、ブヨがあまりいないのがせめてもの救い。
以前早朝練習時は、涼しかったのだが、ブヨだらけでもあったのだ。

少しずつしか上達はしないが、それでも手応えはある。
彼等の一生懸命さが、伝わってくるからだ。

「先生、明日から学校ですよね…。」
「いやいや、昨日が始業式だよ。」

と、たわいのない会話で笑いが起きる。

練習は午前で終了。
このくらいの運動量でちょうどいいようだ。

土曜日に出勤しないと、ちょっと日曜日が気楽になるのは気のせいか…。
いろいろな仕事があっても、精神的にリラックスするように思えるのだ。

夕方の愛犬お散歩時には、途中でにわか雨にやられた。
本日三回目のシャワーを浴びることになった…。












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