アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年06月21日

後天性という、淡い期待。

就労移行支援事業所で色々経験するようになり、
僕は自分の脳の特性は後天的な要因で作られたと
少し期待してしまうことが増えた。

知能検査と、お医者さんによる正式な診断によって
「自閉傾向のある広汎性発達障害」(PDD-NOS)と
名前を付けられてからも。

→「凸凹能力を見つめ直すことが大切。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/206/0



病名や障害名が付いたからといって、
僕のアイデンティティが変わるわけではないが、

今になって、「生まれつきではないんだ」と
どこかで信じたくなったのかも知れない。

認めたくない、目を背けたい気持ちとは少し違う、
どうにもならないことじゃなく、改善できる能力
という期待という表現が近い。



だけど、苦手な「音」が飛び交う現場では、
その期待はしない方がいいことを思い知らされる。

お菓子を段ボールに詰める作業を周りが始めた時、
梱包用テープを出す際の「ビー!」という音にやられ
あっという間に離脱してしまった。

必要、不要な音を選別して聞く能力(?)
カクテルパーティ効果を僕は持っていないから。

→「音が全部入ってくる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/10/0

ライブハウスが苦手。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/103/0



その日の作業は終日、テープの音が響き渡り、
離れた部屋にかくまってくれたスタッフさんの計らいで
庶務の仕事をさせてもらえるようになった。

書類の補充、印刷、発注、おつかいなど、
PCを使う作業も多いが、こちらの方が穏やかな環境で
楽しく取り組むことができた。

仕事をする上で、自分が苦手な環境が1つわかったので、
これはこれでいい機会、

とはいえ「先天性かぁ…。」という
諦めに似た気持ちは消えなかった。


認めたくはない
だが確かな現実がここにある

受け入れろ 受け入れてしまえば
あとはただひたすら真っ直ぐな道が続くだけだろう


『あひるの空』 18巻 より

見た目にわからない特性を認めるのは、
とっくにできたと思っていたのに、
どうしてこのタイミングで
また諦めきれなくなったんだろう。

見た目にわからないことで
何か嫌なことを言われたりしたわけじゃないのに。

受け入れるというのは難しい。

一旦できたと思っても、
こうやってまた迷いが生まれる。

受け入れ、迷い、拒み、また進む。

この道が”真っ直ぐ”ではなくても、進む方向は前だ。


2019年06月14日

凸凹能力を見つめ直すことが大切。

今日も就労移行支援事業所での作業だったが、
朝一にちょっとした失敗をしてしまった。



今まで一般枠で働いた時からそうだったが、
僕はどうしても朝〜10:30くらいまでの間は
どうしようもない眠気で意識が飛びかけていることが多い。

10年以上、50mg服用し続け、
昨年やっとゼロにできたパキシルを始め、
抗うつ薬をやっと止められたのに、

副作用の眠気を心配しなくてよくなってからも
この傾向は強くて困っている。



9:30朝礼後、衣類の検品作業を始めて2着目、

飛び出た糸をハサミで切る作業の中で
気づかず自分の右手人差し指を切ってしまった。

幸い、商品に血を付けるのは避けられたが、
指の怪我によって衣類の検品ができなくなり、

これ以降はパンフレットや封筒を
指定枚数に仕分けする作業へ回った。



朝に極端に弱いのはともかく(?)、
この半月、ある程度の作業に従事する中で
明らかに得手不得手がはっきりしてきている。

今日、怪我をしてしまった衣類などの検品作業は、
細かくチェックしていけばキリがない上に
個人の主観など曖昧な基準が多数待ち構えている。

切り上げていいタイミングがわからないため、
処理数でかなり著しく後れを取っている。



これに対して、怪我をしてからずっと従事した
封筒などの仕分け作業や、

ポスティング資料を作るために
決められたチラシを封入する作業は、

工程にそれぞれの工夫はあれど、完成形は同じなので
極端な話、1日中でも続けていられる。

例えば50枚の束を作るという明確なゴールがあるので、
途中経過を自分なりにアレンジする中には
曖昧な基準がほとんど入り込まない。



検品と、これらの仕分け作業で何が違うのか、
それは具体的な数字や目標があるかないか。

発達障害の特性の1つとして、言外の言葉の意味の考察や、
曖昧な指示の全貌の想像が苦手ということが言われるが、
僕もその例に漏れず、具体的でない指示に混乱し易い。

→「あいまい表現が苦手。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/6/0

指示通りにやると怒られる不思議。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/27/0



例えば
「糸が出ていたら切る」
「シワがあれば伸ばしてからたたむ」
「ボタンの取り外しがスムーズか確かめる」

一見、簡単そうな指示に見えても、僕の頭の中では

「糸が出てるとは何mm、どれぐらいまで許容するの?」
「衣類にとって自然なシワと、整地すべきシワの明確な違いは?」
「何割の力で取り外しができればボタン正常判定できるの?」

という疑問が次々に生まれてきて
キリがないくらいに1着を延々と検品し続けてしまう。

チェック済みのモデルが1着あって、
「全てこの状態にしてください」という指示なら
問題なく理解できるのかな、と思う…。



僕はこれまで、親との関係性や
アダルトチルドレンに関する勉強を進めてきて、

もしかすると自分は先天性の発達障害ではなく、
子どもの頃の環境によって作られた”愛着障害”ではと
思い始めていた節があった。

発達障害と愛着障害は見分けが難しいそうだが、

WAIS-V(ウェクスラー成人知能検査)での検査結果、
70ものIQ乖離があったことや、

お医者さんがちゃんと判断をした結果だから
根本から疑ってるわけではない。

→「僕の発達障害。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/3/0



最近では人との関わり方や心理状況などを学ぶ機会に恵まれ、
ようやく上手に対応できるかな?と思い始めてたが、
こうやって実務に入ると、否が応でも気付かされる。

あ、僕ってやっぱり、色んな能力の発達が
極端にアンバランスな、凸凹な頭してるんだなって。

ある程度、何でもできるかも知れないと思っても、
やっぱり僕は「何でもそつなく、それなりに」
とはいかないんだと実感させられる。

過信や自惚れとは違うけど、
少し自信が付いたり、上手く物事が回り出すと

自分の基本性能、根っこの能力を忘れてしまうから、
原点に立ち返る良い機会になった。



ただし、就労移行支援事業所とは
このことに気付き、長所を生かす環境や術を模索する場所。

だからこの気付きは大成功ということ。

「あ、何でもできるかも」
という自信を付けるのは大切、

それと同じかそれ以上に、今回のような
自分の能力の特性を見つめ直すのも大切。

とりあえず、来週は指の切り傷を直して臨みたい。


2019年03月11日

恐怖のフラッシュバック。

普段一緒に練習しているチームとは
別のチームで出ているリーグ戦の公式試合があった。

僕がそのチームで求められているのは
自由にプレーして得点を多く取ること
ではなく、

・ボール運びと中継と相手ガード陣のディフェンス
・インサイド中心に攻めるチームコンセプトに従い
 ポストへボールを供給すること
・とにかく一旦ポストにボールを入れる”形”を作ること



その試合では
ゴール下で非常に強力な相手センターがいて
インサイド陣が苦戦していた。

僕は相手ポイントガードを何とか抑えていたが、
試合終盤、こちらが10点リードを保っていた中、
流れの中でマークマンの入れ替え(スイッチ)が発生。

一瞬、僕が相手インサイドプレーヤーに付いた時、
相手にオフェンスリバウンドを取られてしまった。

次の瞬間、味方から怒号が飛んで来た。



「こっち頑張ってんだからリバウンド取れよ!!」



僕は味方のこの一言に凍り付き、
試合中にも関わらずその場で心臓を押さえて
うずくまってしまった。

どこか痛かったわけではなく、
過去に怒鳴られた時の映像がフラッシュバックし、
恐怖に頭が支配され真っ白になったから。



居酒屋アルバイト時代
年末年始の最繁忙期に満席のホールで店長に怒鳴られ
恐怖のあまりその場でフリーズし、

苛立ちが頂点に達した店長に胸ぐらを掴まれ
大勢の客の前で追撃を食らった記憶。



過去に参加した練習で、
やはり何かのきっかけで怒鳴られ
「ごめんなさい、ごめんなさい」とうずくまった時、

周りの選手たちが
「大人なんだから耐えろよ、邪魔なんだよ」
と罵ってきた記憶。



この時、ファウルが発生し
フリースローとなっていた(かどうか覚えていない)のか、
試合が一旦止まっていた。

試合再開、
相手がオールコートでプレスをかけてきて、
リードが一気になくなり、そして逆転負けを喫した。



長年悩まされている発作のようなものだが、
はっきり言ってスポーツをするには足枷にしかならない。

それは重々承知している。

熱くなったら誰だってこうなる可能性はあるし、
怒鳴られながら練習して試合するのが当たり前の環境で
ずっとバスケをしてきた人だってたくさんいる。

増してサイズもパワーもある相手センター相手に
フラストレーションが溜まっていたインサイド陣からすれば
文句の1つも言いたくなるのは当然だ。

それは頭ではわかってる。

試合後、僕の顔色が悪いことを指摘してくれたメンバーが
「試合中なんてそんなものだから気にしないで」と
声をかけてくれた。

彼だって悔しさを噛み締めてるはずなのに。

僕はいい仲間に恵まれている。



”アスペルガー症候群とPTSD(心的外傷後ストレス障害)の類似点”

アスペルガー症候群の人は、頭の中にしまってある視覚的な記憶を、
たった今目の前で起きていることのように思い出す。
しかもその記憶は時系列に沿っていない。

それはPTSDのフラッシュバックに似た想起であり、
脳内でも同様のメカニズムが働いていると考えられている。


『大人のアスペルガー症候群』第二章 より

強い言葉に晒されるというトリガーは
まだ判りやすいからましで、

平静時でも何の前触れもなく
パッと記憶が、当時の映像が、甦ってくることも多い。

集中して何かに取り組んでいる時以外は
いつ起こるかわからない。

一人でいる時、誰かといる時、
それも関係なく発生するので、

何もなかったように振る舞うのも大変。



僕の脳に言いたいのは、
「本当にもう止めてほしい」ということ、
だけどコントロールできないのが悩み。

じゃあ試合行くなよ、というと極論だが、
このままでいいなんて微塵も思っていない。

苦しいから治したい。

記憶を消すことは難しい、
だけど、過去に縛られたくない。



来週も試合がある。
この1週間で心を修正できるか。


国民健康保険料の軽減。

国民健康保険料、
僕は現在失業中で、その月に払えないので
1ヵ月遅れで何とか払ってるという話をちょろっとした。

→「貧困、もう嫌。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/98/0



1ヵ月遅れでの納付が続いているせいか、
今月頭に「納付をお忘れではありませんか」という
保険料の納付相談に関する手紙が区役所から来た。

高額な国保保険料に毎月苦しんでいたので、
ダメ元でもいいやと区役所の保険年金課へ行った。



あっさり軽減となり、
過払い分は後日返金となった。



実は国保保険料には減免制度がある。

僕もそれは知っていたが、軽減対象者の条件一覧に
「解雇、倒産等による離職」とあったため、

失業はしたが「解雇」されていない僕は対象外だと思い込み、
相談に行かず実直に払っていた。

言葉を字義通りに受け取る特性の弊害だ。



区役所からの手紙には
「失業や極度の営業不振により納付が困難な場合は
ご相談が必要です」とあった。

僕は「解雇」ではないが失業には当たるので、
もしかしたら自分は対象になるかも知れないと、
ここで初めて気付いた。

もしこの手紙に「失業」と書かれていなかったら
恐らく今回も区役所へ行ってなかったと思う。



解雇という言葉の裏には
離職したことによる失業が含まれると想像しろよ
→離職はしたけど解雇はされていないよ
→屁理屈こねるな

こういうやり取りに疲れた周りを
きっとカサンドラ症候群に苦しませているんだろう。

→「旦那さんはアスペルガー 奥さんはカサンドラ。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/101/0

誠に申し訳ない。



僕を含め発達障害のある者が
どれだけ言葉をそのままの意味で捉えるかは、

言葉の裏を読み取る能力のある者からすれば
想像を絶する凄まじさがある。

僕からすれば
「書かれていないことはわからない」
というのが当然の認識だが、

指示通りできないと怒られた時にそれを言うと
「屁理屈」という単語の出現率が高かったから、
世間が求める対応とズレているのは明白だった。

→「指示通りにやると怒られる不思議。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/27/0

 「遠まわしな頼み事は天敵。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/58/0

「あいつは指示通りにできない」
=「言外の指示者の意図を汲んだ行動ができない」

だから世間が求めているものはきっと、
「”指示者にとっての”指示通り」にすることなんだろう。



話が横道に逸れてしまったが、

国保保険料の軽減手続きは
失業保険の給付に使う「雇用保険受給資格者証」と、

返金となった場合に使う
口座情報のわかるカードや通帳などを持参すれば
その場で書類を記入してあっさり終わった。

もっと早く来ればよかったと後悔したが、
身をもって体験できたからまぁいいや。

ひとまず来月も米が買えそうだ。



全額免除か減額かは離職理由によるが、
「解雇」でなくてもいいみたいなので、

離職等で国保に切り替えたが保険料に苦慮している場合は
思い切って相談に行ってみてもいいかも知れない。



2019年03月09日

ライブハウスが苦手。

音楽活動をしている(現在休止中)身で
こんなことを言っていいのかわからないが、

僕はライブハウスで聴く
バンドサウンドの爆音がものすごく苦手。

※弾き語り音楽活動あれこれ
 「路上ライブ時代の話。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/45/0

 「24歳で鍵盤を始めた話。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/46/0



全組が弾き語りのアコースティックライブなら問題ないが、
バンドが多く出演するようなノンジャンルのライブだと、

共演するバンドさんの楽曲は
全曲聴いていたいという思いとは裏腹に、

頻繁に会場を出入りして
ぐったりした表情を回復させる作業が必要になる。



歌詞重視で物語に深く入り込める曲を
小さい頃から好んで聴いていたのと、
元々ライブを観に行く習慣がなかったので、

生のバンドサウンドを初めて聴いた時は
特にエレキギターの”引き裂くような”ストローク音に
耳が割れるかと面食らった。



高校の文化祭で
軽音部が第二体育館でライブしていて、
友人に手を引かれて行った時は

やはり爆音に耳が割れそうになって
その場にうずくまってしまった。

連れて行ってくれた友人には、
顔を潰すようなことをしてしまったかも知れない。



今は場数を踏んだからか
ライブハウスでバンドの生演奏を
聴いていられるようになったが、

どんなに惹かれるバンドが連続で登場しても、
観続けられるのはせいぜい1バンドの中盤くらいまで、
時間にすると20分が限界。

それを過ぎると
立っていられないほどの疲れが眼に来る。

例えるなら、自分の中に空のシリンダーがあって
水がどんどん注がれる感覚。

水で満たされると突然、眠気とは違う、
ちくちくするような疲労感が両眼に刺さる。



大きな音と強い光の象徴みたいな場所に
僕はどうして長居できないんだろうと
ずっと原因がわからなかったが、

僕に視覚と聴覚に過敏があることと照らし合わせると
ライブハウスで突然疲れる説明がついた。

※視覚過敏エピソード
 「雪の音が見える。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/15/0

※聴覚過敏エピソード
 「音が全部入ってくる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/10/0

 「街中ではイヤホン必須。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/37/0



何種類もの楽器の音が折り重なって
それが遠近 / 大小関係なく全て均等に入ってくる。

各種楽器の音の聴き分けと、
それら楽器の音にかき消されるボーカルの歌声の聴き取りに
かなりの体力を持っていかれる。

観客の歓声も、演奏と同じ音量で入って来る。

耳から入ってくる情報処理でいっぱいいっぱいなのに、
薄暗いホールに映えるミラーボールの強い光が
ちかちかと眼に突き刺さる。



単純に眩しいから、
もしくは音量が大きいから疲れてると思ってたけど、

実は疲れてるのは眼じゃなく、
入って来る情報量が多すぎて頭が疲れてる可能性が高い。



聴覚に関しては、必要な音だけを選別する
カクテルパーティ効果を持っている人なら
適切な音を取捨選択して耐えられるんだろうし、

過敏な視覚から得られる情報への依存度が高くなければ
みんなどうやってるかはわからないが
うまく選り分けしてるのかも知れない。



さっき、ボーカルの歌声の聴き取り、と書いたが、
その場にいる友達数人に尋ねた限り、

ボーカルが歌っているメロディラインと歌詞が
はっきり聴き取れていると言っていた。

別々のスピーカーからちゃんと音が出てるし、
スピーカーの位置や響き方の設定によって独立してると。

「静かにして下さい」とアナウンスが流れる前に
校長先生が話し始めた全校集会前を思い起こしていた僕とは

みんなの聴こえ方は根本的に違うのかなと感じた。

”すべての音が耳に入ってくるため「選択的注意」ができない”

「選択的注意」というのは、たくさんの情報の中から
自分に必要な情報だけを取り出すことのできる能力です。

たとえば、雑踏の中で友人と話をしていても相手の声が聞こえるのは、
それ以外の騒音にフィルターをかけることができるからです。

ところが、アスペルガー症候群の人は、
うるさい環境の中ではすべての音が耳に入ってきてしまうため、
相手の声に集中することができません。


『大人のアスペルガー症候群』 第一章 より



そんなこんなで今回は
僕がバンドサウンドが苦手な原因を分析してみたが、

ライブハウスでバンドの演奏を聴くこと自体は
短い耐久時間ながら楽しめるようになった。

みんなが言っていた”各楽器とボーカルの音は別個”
という感覚は残念ながら僕には経験が難しいけど、

頻繁な会場出入りを大目に見てくれるなら、
またライブハウスを楽しみたい。


2019年03月07日

旦那さんはアスペルガー 奥さんはカサンドラ。

読了。

アスペルガー症候群(現在の呼び名は自閉スペクトラム)の
旦那アキラさんと情緒的な繋がりを感じられず

カサンドラ情動剥奪障害に陥り
苦悩する著者ツナさん。



この著書は発達障害者のパートナーの目線で書かれているので、

一見すると発達障当事者は異なる者、
理解できない言動ばかりする悪者
という側面も持ち合わせているかも知れない。

実際、僕も読み始めてしばらくは
自分が悪者にされているような錯覚に陥ってしまった。

だけど、最後の方で
「誰も悪くない」「犯人はいない」と気付くツナさんの言葉で、
自分の錯覚に気付くことができた。

あくまで当事者と近しい距離にいる人が見た世界であり、
当事者に寄り添った内容ではないことを
頭に入れて読むのがいいかも知れない。



数社から借金をしており、
「サラ金のカードを全部出して」と言われたから
サラ金のカードを全部奥さんに預ける。

しかしこの時、
「信販系のカード」とは言われなかったので
信販系のカードは提出しなかったアキラさん。

これは言葉を字義通りにしか
受け取れないことから来るエピソード。



「どうして●●したの!?」
「だから貴方は××なのよ!」と怒鳴られると、

何に対して怒っているかの内容ではなく
「怒られている」という1点にのみ意識が集約され、
状況が理解できずにフリーズする。

ツナさんの主治医曰く、
”理解し噛み砕くまで2週間程度かかることもある”



僕にはサラ金のカード提出エピソードはないが、
アキラさんの言動を読み進めれば進めるほど、
自分に当てはまり過ぎて感動した。

しかし、それと同時に
これまで自分と接したすべての人に対し、

カサンドラ症候群もしくは予備軍にさせてしまい
苦しみを負わせて申し訳ございませんと謝りたくなった。



僕らは人に共感できなかったり、
共感するつもりがないわけではない。

決して人に無関心なわけでもないし、
相手が何を思っていて何をしてほしいのかを
理解したいという気持ちはちゃんと持ち合わせてる。

何とかしてあげたい気持ちはあるし、
相手がどうして怒ったり悲しんでるかを
できる限り読み取りたい。

具体的に何か言われなくても察して
先回りしてほしい気持ちに応えたい。



ただ僕らは、
その気持ちをうまく相手に伝えることが苦手であり、
だからこそ”障害”と呼ばれている。

特に共感する姿勢や気持ちが
相手に上手く伝わっていないがために

悲しませたり怒らせたりしてきたことは
自分が気付いてないことも含めると相当数あっただろう。

今さら弁明をするつもりはないが、
改めて僕に接したことにある人へ
この場を借りてお詫びしたい。



この著書を読んだ後、
ネット上の読書レビューに幾つか目を通してみた。

身近に当事者がいる人、パートナーが当事者の人、
そして当事者からは理解を示す意見が多かったが、

一方で「ただの逃げ」「本人の自分勝手」「意地悪」
「アスペの発症件数多すぎ」という心ない言葉も散見された。

こういう意見を述べている理由や背景はわからないし、
どの世界にも理解を拒む者は少なからず存在するが、
個人的にすごく悔しくて、画面から目を逸らしたくなった。

障害自体の知名度が上がってきたのは喜ばしいことだが、
やっぱりまだこういうことを言う人が居る現実も、
今後生きて行く上で受け止めなければと思った。



障害特性エピソードの1つ、フリーズ。
これは僕が仕事をして来た中で最も大きな悩みの1つ。

「怒られる」「責められる」ことのみに意識が集約し
フリーズすることはプライベートでもたまにあるし、

過去に所属した職場では
たとえ接客の現場だろうと容赦なくフリーズして
周りを怒りの渦に突き落としたことが多々ある。

こういう痛い目にたくさん遭って学んだのか、
僕はフリーズの予兆がある時の火消し策として

自分が何を考えているか、どこが疑問なのかを
目に見える形で書き出して伝える試みをしている。

「何を考えているかわからない」ことで
相手に与える苛立ちを軽減できたらと思う。



これ1冊だけ読むと、
当事者:アキラさんの気持ちの描写がほとんどないが、
それこそがツナさんの大きな悩みなんだと思う。

個人的にはアキラさんの意見や心理描写を見てみたいが、
それはきっとアキラさん本人も表現が難しいのかも知れない。

上手く伝えるということ自体のハンディだから。

僕は自閉スペクトラム当事者の1人として、
上手く伝えたりその場で読み取ったりする能力のハンディを
できるだけ書き出して伝えることで代用を試みている。

周囲の理解も大切だが、自分は何ができるか、
自分の手持ちの武器でどう代用するかということも
考えさせられた1冊だった。


2019年03月05日

障害年金、落ちた。

昨年11月末に申請していた障害年金、
落ちました。

自閉症、発達障害の発覚から5年、
診断書の作成を断られ2度の転院など、
色々あってやっと申請に漕ぎ着けましたが、

残念ながら
国から生きる許可を与えられませんでした。



ダメモト障害年金。」で、
落ちたら腹黒い感情をつらつら書くと宣言しましたが、
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/9/0

いざ通知を受け取ってしまったら
あっけないほどにスッパリ切られた感覚で、

今のところ、
ここに書いていること以外何も出てきません。



「精神の障害に係る等級判定ガイドライン」では
”生活に支障が出ているかどうかの点数”が
合否判定の基準となります。

※引用:日本年金機構 認定基準
https://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/shougainenkin/ninteikijun/index.html

申請に際して、
お医者さんも年金事務所の方も

・僕が一人暮らしであること
・中身はどうあれ一般枠で就労してきたこと
・中身はどうあれ大学を出ていること

この3点を指摘しては、
「無理無理、通らない」と言っていました。



推測でしかありませんが、一人暮らしでは
生活状況を監視する証人がいないため、

第三者であるお医者さんとしては
「普通にできる」としか書きようがないんでしょう。

一人暮らしの人への障害年金受給の門戸は
閉ざされているのでしょうか…。



これで終わりにするか、再度申請するかは
現時点で決めていませんが、

先月、デイケアをやっている病院へ転院したばかりなので
お医者さんとよく相談の上、決めたいと思います。

→「デイケアに行く。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/76/0

初診日が判明しているし、病歴をもっと詳しく書けて、
生活への支障を明確に伝えることがもしできたなら、

いずれは診断書の作成費用などを捻出の上、
再度トライするかも知れません。



僕の経験談に限っての意見となりますが、
もし今後、発達障害関連で障害年金の申請をお考えであれば、

診断書の作成を断られる可能性は充分ありますので、
万が一の転院先を予め調べておくことをお勧めします。

出生から現在まで、障害によるつまづきや失敗経験などを
細かく把握している親族や知り合いがいれば、
病歴の欄に詳しく書けますので押さえておいてください。



それと、僕は今回、社会保険労務士事務所など
各種相談機関に頼らず、1人で申請をしましたが、
書類の多さ、手続きの煩雑さはものすごいものがあります。

健康な人でもなかなかの手間を要する長丁場の闘いですので、
二次障害で鬱病などを抱えている場合にはなおさら、
申請前に疲れ切ってしまう可能性大です。

なので、味方になってくれる社会保険労務士さんを
予め見つけておくこともお勧めします。

※年金事務所の社会保険労務士さんは
 申請が通るように尽力してくださる方もいますが、

 できるだけ通さない、申請前に諦めさせることを目的とし、
 「あなたは無理」としきりに言ってくる担当者さんにも
 何度かあたってしまいました。

 そのため、確実な味方を得る場合は
 年金事務所に在籍する社会保険労務士さんではなく、
 一般の社労士事務所を頼ることをお勧めします。

僕と同じ轍を踏まないことを祈ります。



発達障害のハンディは見た目で判別できず、
集団の中で浮き彫りになります。

最も誤解といじめと生きづらさに襲われ易い、
れっきとした脳の障害です。

身体障害の方を侮辱するつもりは毛頭ありませんが、
外から見えないだけで、手がない、足がない、
本来あるべき脳の一部機能がない、それと一緒です。



最近、NHKさんが特集という形で
発達障害に対する誤解を解こうとしてくれましたが、

日常生活ではまだまだ差別や陰口、親からの無理解、
いじめの標的にされ易い現実を感じています。

※引用:「NHK 発達障害って何?」
http://www1.nhk.or.jp/asaichi/hattatsu/about_dd.html



僕の5年間の障害年金との闘いは
ひとまずこれで終わりです。

悔しくないと言ったら嘘になるし、
泣きたくないと言ったら強がりになるけど、

障害年金が不支給となったことで、
「見てろよ国、お前らに切り捨てられようと絶対に生きてやる」
という、謎の反骨心が燃え始めたのも事実です。

近々、泣き明かすかも知れませんけどね。



僕のやることは変わりません。

2度死んだ発達障害者が、
3度目の人生ではやりたいことを残さずやる。

明日死んでも後悔しない生き方をする様を
綴るだけです。

目に見えないが確かに存在する脳のハンディ、
1人でも多くの人に認知、理解してもらって、

同じ障害を抱える人がこれを読んで
何かを感じてくれたら、

僕が生きた証の一つになったみたいで嬉しいです。



僕はこれからも、
命の限り闘っていきたいと思います。


2019年02月26日

右手用のものを右手で使ったら違和感。

何年ぶりかに
ガスの元栓とガスコンロのツマミを右手で回した。

本来、右手で回し易いようにできてるはずなのに、
ものすごく回しづらく、違和感たっぷりだった。



左利きでよかった。」で綴った通り、
僕は右手使用を強制されても従わない、頑なな左利き。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/7/0

右手で使用し易いようにできてるものも
頑固なまでに左手で使ってきた結果、

右手用のものを右手で使ってるはずなのに、
拭えない違和感をもやもや感じる。



人間の適応能力とは不思議なもの。



左利きの人の平均寿命は
右利きより短いと言われている。

世の中のほとんどのものが右手用に作られていて、
左手で使う無意識のストレスが一因と言われるが、

僕の場合、潜在意識レベルではともかく、
顕在意識に限れば左手を使わない方がストレス。

これは自閉症スペクトラム障害に特徴的な
いつもと同じ習慣であることへのこだわりだと思う。




左利きである点に限らず、生活の何気ない順序についても
こだわりから来てると自覚することは色々と思い当たる。

・リップを塗ってから外出する
・ハンドクリームを塗ってから就寝
・歯磨きは必ず上の左奥から

ざっと思いつくだけでもこれだけある。



自閉スペクトラムは想像力の障害、
いつもと違うことの先を想像できないから
いつもと同じことをして心の安定を図るというのは
普段の行動を振り返ってみるとすごく納得できる。

とりあえず、
いつもと同じにこだわって左手を使い続けたことで
人を激怒させたのは小3の書道の授業だけなので、

利き手にこだわっても
誰にも迷惑をかけていないと見受けられる。

ひとまず、ほっとしている。



人と食事に行くと、
着席時に会話のネタを調達できる。

左利きなので手がぶつかりますよ
そんなん気にしないから早く席に着け

こんなやり取りが発生すると、何だか嬉しいし、
左利きで謎に得した気分になる。

左利きは間違っている、
罰するべきだと考えられた時代もあった中、

個性として受け入れられる時代に生まれたことは
とても幸運だと思っている。

2019年02月24日

誤解へ立ち向かう。

自分のこだわりを持って
他人がどう言おうと自分の考えを貫いて、

ずっと、
自分がどうしたいかを基準にして
物事に取り組んできたと思ってた。

バスケ、音楽、ダンス、
過去には遠方への進学、モデル、ヒーローショー出演、

そして昨年から取り組んでる就職しない生き方の模索
これらは自分がやりたいからやっていると胸を張って言える。



だけど、その中身を細かく振り返ってみると
明らかに「他人から怒られないこと」を基準にして
相手に迎合するような行動をしていることも多かった。

それは例えば、バスケをやっていても
考え過ぎてバスケが下手になる。」で綴ったような、
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/79/0

誰かに怒られないために迷ったり、
遠慮してプレーすることだったりするし、

これまで働いてきた数々の「会社」と呼ばれる組織では、
周りより成果を出すことではなく、

「指示と違うことをするな」と怒られないことに
全神経を集中させてぐったりしてきたことが多い。

※あいまいな指示や字義の裏読みができなかったことによる
 各種はみ出しエピソード↓
あいまい表現が苦手。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/6/0

指示通りにやると怒られる不思議。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/27/0



自分ができることを最大限やりつつ、
周りとうまくやっていくこと、
折り合いをつけるのは大切だが、

これまではみ出してきた数々の組織でも、
僕は決して喧嘩を吹っ掛けたいわけじゃないし、
うまくやれるならやっていきたいと思ってる。

そんな思いとは裏腹に、いつもこう言われる。
「わがまま」「自己中心的」
「他人からどう見られるか考えろ」



うまく調和して振る舞うことと、
他人からの評価にこびへつらって動くことは別問題だ。

求められたことをしっかりこなしつつも
自分で決めて動くべきは自分で動く

もしかすると、ここの折り合いやバランスが
周りから見て取れていないことが
自己中心的、わがままと言われる原因の1つかも知れない。
発達障害の人は、周囲からの理解が得にくい言動をしがちなので、
「どうしてそんなことするの?」「いったい何回言ったら……」
と叱責や非難を受けやすく、多くの人が大なり小なりの
失敗体験を積み重ねてきています。


『もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?』 第一章 より



自分で決めて動くことを求められる場面で
誰かに怒られないように怯えた真似をしていたり、

ここは流れに身を任せればいいような場面で
独特のこだわりを発揮してしまったり。

「パフォーマンス」とは少し意味が違うが、
音楽でもダンスでも何でも”見せ方”は大切。

こだわりを主張すべき場面と、そうでもない場面。

状況に応じた特性の出し入れができれば、
もっと組織に馴染めて、自分を苦しめずに済んだかも知れない。



極論を言ってしまえば、それを読み取れないから
僕は障害者手帳を持っているわけだが、

だから仕方ないで済ませるつもりはない。

「わがまま」「自己中心的」
「他人からどう見られるか考えろ」と
罵倒された場面に共通していたこと、

そしてその時に一番拾われて
つつかれた言動の分析結果なら、

頭の中のタンスにちゃんとストックしてある。
※「言葉への変換が。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0



自閉症、発達障害については
メディアでかなり取り上げてもらえるようになったとはいえ、

普通に生活していて、見ず知らずの人と話したり
騒がしい場所へ行ったりすると

やはり自分にはハンディがあると実感する場面は多い。

見た目にわからないことをオープンにするのは
正直リスクがあると実感する場面も多い。

だからきっと、
これからも大なり小なり誤解はされる。



だけど、見せ方1つで誤解され続けるのは
もう嫌だし、自分の人生を変えたい。

その場で感じ取る能力を欠いているのは
この先も変わらないが、

脳内にタンスを置く能力を磨くことはできる。

誤解されずに乗り切れた経験のテンプレ、
ストックを増やして、引き出す力と速度を磨いて
自分ならではの戦い方で勝負はできる。

『ONE PIECE』 87巻
キャロットの長所を見出したペドロの台詞より


強くなる道は1つじゃない。
その者に見合った道があるんじゃないのか。

方法は何でもいい、
これからは強い戦士となって備えろ。

人には必ず出番がある。






みんなと同じ方法でアプローチする力は
きっと生まれる前に犠牲にしてきた。

その犠牲と引き換えに授かった能力が
脳内にタンスを設置する力なんだとしたら、

僕は僕ならではの方法で、この世界へ立ち向かう。

生まれる前に
ふつうの人ができないことができるということを魂が望んで
自分の力の一部を犠牲にしているのかもしれない

『アスペルガーの心 2』 より


2019年02月19日

繰り下がりの引き算。

小2の授業で習った繰り下がりの引き算。

メジャーな方法として、
隣から10を借りて来て云々と聞くが、

僕はこの”借りて来る”という方法を
実は後から知った。

どこで覚えたかわからないが、小2では習わないはずの
答えが0より小さいマイナス値になる計算を用いて
独特(と周りが言っていた)の方法で勝手に解いていた。



例えば42−15。

僕は頭の中に架空の定規を置いて、
こんな方法で繰り下がりの計算をしてる。

※文章にすると何だかうまく表せないが、
 精一杯に表現したつもりなのでご容赦願いたい。



1. 一の位は2−5=−3

2. 十の位が4から3になった
  →30台の目盛り上に突入したことを踏まえつつ、
  30台の10目盛り分から、手順1. で出した−3を更に引く

 → 一の位の目盛りは7で決定

3. 手順2. で、
  十の位が3になったことを踏まえてるので
  十の位は30台の3から、”15”の十の位:1を引いて2だ

  →答えは左から書くと27だ



計算というよりは、
一の位、十の位、それぞれ位ごとに別々の定規が置いてあって、
その上で目盛りを動かしてるイメージ。

頭の中の定規は0より小さいマイナス方向にも
−1、−2、−10…と、果てしなく伸びている。

2−5のような場合は目盛りが−3へ移動する。
当時40台だった十の位の目盛りは、
それに伴い30台へ移動するという感じ。

手順に書き出してみると膨大で回りくどく見えるが、
目盛りを動かすだけなので見た目ほど大変ではないし、
計算に時間を食うわけでもない。



僕は繰り下がりの引き算を
授業で初めて聞く前からこの方法でやっていたので、

借りて来るという発想は斬新だなぁ、
自分のやり方とずいぶん違うなぁと思って聞いていた。

当時のカリキュラムでは
答えがマイナスになる計算は中学校で初登場だったので、

オフレコとはいえ、
小2時点でマイナスの計算をしているのは
いいことなのかという迷いもあった。



自分のやり方が変わってるだけかと
ずっと思っていたが、

最近になって、これも発達障害の独特の捉え方、
偏った思考の産物だと知った。
出典:「算数の問題」
http://www.autism.jp/knowledge/whatisas/web-j.html



借りて来る方法での計算もできなくはなかったが、

どうにもやりづらかったので、
テストでは内緒で自分の方法を貫いて解いた。

高校受験、大学受験とこの計算方法でくぐり抜けて来たし、
要は答えが合ってればいいんだから、続けても問題ないのだろう。



繰り下がりの引き算は小学校算数の壁・その1と聞く。

僕は一体何があったのか知らないが、
幸運にもここではつまづかなかった。方法は独特ながら。

引き算をこの方法で解いてることは
ほとんど人に話したことがないので、
書いていてとても新鮮な気持ちになった。

これもきっと、自閉症に見られる
独特のこだわりの1つなんだと思うが、

思いがけず計算問題の難関をクリアできていたあたり、
悪いことばかりじゃなかったんだなぁ。


検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。