新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2019年02月17日
SST。
先日、転院先の初診と併せて
デイケアの体験をさせてもらうことになった。
※「デイケアに行く。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/76/0
今回、体験参加したのは
「SST( ソーシャルスキルトレーニング講座」
内容はシリーズになっているようだが、
今回は演習や訓練ではなく、認知行動療法について、
少人数で意見を交わすような座学だった。
認知の歪みという概念は
「ダメモト障害年金。」で
診断書を書いてくれたお医者さんの前の病院で
心理士さんに教えてもらって知った。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/9/0
出来事と他人は変えられない、
それをどう捉えてどう解釈するか。
バスが遅れている、交通渋滞に巻き込まれている、
状況1つ取っても解釈はそれぞれだった。
僕は自分へのマイナスな影響や出来事が発生すると
果てしなく自分を責める認知の歪みがある。
これに気付くことすらないまま
これまでの人生を過ごしてきた僕にとって、
大きな発見だった。
自分を含め、何かのせいにしてしまうのは
ある意味では楽だ。
責任の一切を背負い込んでしまえば、
自分以外が傷つかなくて済むし、
面倒な原因究明や後始末などしなくてよくなり、
そういった面では思考停止ですらある。
ただそれはしんどい。
背負い込んで終わりでは、誰も幸せにならない。
一緒に参加した皆さんはいい人だった。
残念ながら言葉を交わす機会はなかったが、
きっと苦しんでここに辿り着いた人が多いんだろう。
僕は午前で終わりだったので、昼休みまでいられなかったが、
みんながどういう思いでこの場所へ集っているか、
聞いてみたくなった。
昨年、自立支援医療保健の更新を
うっかり忘れてしまった。
僕は「自閉症傾向の強い広汎性発達障害」と言われたが、
※「僕の発達障害。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/3/0
ADHDの不注意特性も多分に持ち合わせている。
とにかく忘れ物、無くし物が多い。
昨日は障害者手帳を忘れて、
とある施設の利用ができなかった。
という小話はいいとして、
デイケアは自立支援医療が使える。
※引用:
「精神科デイケア 自立支援医療制度を利用すると1割負担に」
http://www.allin1.co.jp/service/psychotherapy/daycare/#1-2
更新 / 再申請が完了したら、
ぜひ本番の利用申し込みを済ませ、
定期的に通いたい場所だ。
また、新しいことを1つ始めた。
このまま終わるつもりはない。
まだ存在が許されるなら、
もがいてもがいて、もがきまくってやる。
デイケアの体験をさせてもらうことになった。
※「デイケアに行く。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/76/0
今回、体験参加したのは
「SST( ソーシャルスキルトレーニング講座」
内容はシリーズになっているようだが、
今回は演習や訓練ではなく、認知行動療法について、
少人数で意見を交わすような座学だった。
認知の歪みという概念は
「ダメモト障害年金。」で
診断書を書いてくれたお医者さんの前の病院で
心理士さんに教えてもらって知った。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/9/0
出来事と他人は変えられない、
それをどう捉えてどう解釈するか。
バスが遅れている、交通渋滞に巻き込まれている、
状況1つ取っても解釈はそれぞれだった。
僕は自分へのマイナスな影響や出来事が発生すると
果てしなく自分を責める認知の歪みがある。
これに気付くことすらないまま
これまでの人生を過ごしてきた僕にとって、
大きな発見だった。
自分を含め、何かのせいにしてしまうのは
ある意味では楽だ。
責任の一切を背負い込んでしまえば、
自分以外が傷つかなくて済むし、
面倒な原因究明や後始末などしなくてよくなり、
そういった面では思考停止ですらある。
ただそれはしんどい。
背負い込んで終わりでは、誰も幸せにならない。
一緒に参加した皆さんはいい人だった。
残念ながら言葉を交わす機会はなかったが、
きっと苦しんでここに辿り着いた人が多いんだろう。
僕は午前で終わりだったので、昼休みまでいられなかったが、
みんながどういう思いでこの場所へ集っているか、
聞いてみたくなった。
昨年、自立支援医療保健の更新を
うっかり忘れてしまった。
僕は「自閉症傾向の強い広汎性発達障害」と言われたが、
※「僕の発達障害。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/3/0
ADHDの不注意特性も多分に持ち合わせている。
とにかく忘れ物、無くし物が多い。
昨日は障害者手帳を忘れて、
とある施設の利用ができなかった。
という小話はいいとして、
デイケアは自立支援医療が使える。
※引用:
「精神科デイケア 自立支援医療制度を利用すると1割負担に」
http://www.allin1.co.jp/service/psychotherapy/daycare/#1-2
更新 / 再申請が完了したら、
ぜひ本番の利用申し込みを済ませ、
定期的に通いたい場所だ。
また、新しいことを1つ始めた。
このまま終わるつもりはない。
まだ存在が許されるなら、
もがいてもがいて、もがきまくってやる。
2019年02月16日
本当は悲鳴上げてんだ。
就労しろ、週5フルタイムで働け。
あそこがいい、この会社に応募しろ、
農園に手伝いに行け、旅館に住み込みで働け。
あれしろ、これしろ、ここがいい、あれがいい、
男とはこうであるべき、こうするべき。
そうやって押し付けられたことは
数えきれないくらいあるけど、
君は本当はどうしたいの、
君の気持ちを聞かせてって
僕の意思を尋ねられたことはない。
あれしろ、これしろ、
あれするな、これするな、
やることなすこと
全て指定して制限して枠を設けて
それに見合わなければ協調性のないヤツ、
指示と違うことばかりする変なヤツ。
貴方はあまりに自己中心的、
お前はわがままなヤツだ、
人からどう見られるか考えろ。
耳にタコもイカも、その他の軟体動物も、
できすぎて足の踏み場が見当たらない。
違う、
違う、違う、違う。
僕はわがままなんかじゃない。
僕にはちゃんと意思がある、考えがある、
失敗したくて、怒らせたくて、
壊したくてやったんじゃない、
お願いだ聞いてよ。
「言い訳するな」と切り捨てないでよ。
おかしいよね。
僕はわがままなんかじゃないと
一人でいくら泣いたって叫んだって
一人なんだから助けなんか来ないし
誰に届くわけでもないのに、
なんで今、叫んでんだろ。
本当は助けてほしいんだよ。
つらいよ、苦しいよ、どうすりゃいいんだよって
悲鳴上げてんだよ。
かまってちゃんのすることじゃないか。
そんなことしたって味方なんかいないんだぞ。
誰も助けになんか来ないんだぞ。
一人ぼっちになったのは
味方が一人もいないのは
孤立したのは
僕のせいなのか
僕が悪いのか。
コミュニケーションってやつが
協調性ってやつが
うまくできないからなのか
僕が悪いのか
自業自得なのか
自己責任なのか
どうすりゃいいんだ。
そこを直せば
助けてもらえる資格を
取得できるのか。
いやそもそも
助けてもらうのに条件が必要なのか。
押し付けるばかりで
僕の意見を少しも聞かない家族も
上手い具合に渡って行けば
それなりにやって行けたであろう
「会社」って世界も
自分から切ったんだろう。
だから自業自得なのか
一人になったのは自分なんだから
一人で何とかするしかないのか。
きっとそんなの当たり前なんだろう
結局そうなのはわかってる
みんな自分のことで精一杯だ。
他人のことなんて気にしてる余裕なんてない。
苦しい、助けてなんていくら叫んだところで
みんないっぱいいっぱいなんだから
受け取る余裕なんてない。
そんなことわかりきってるはずなのに
なぜそれでも叫んでるんだ僕は。
僕が今ここで何を叫ぼうが
一人暮らしなんだから
誰にも聞こえないし届かない。
届いたところで
助けてくれるわけでもない。
そもそもこれは他力本願じゃないか
自分でなんとかしないで頼ってばかりじゃないか。
自分でやれるだけの手を尽くしたのか
助けてなんて言えるだけの手を。
これは精神論に毒された考えだ。
自分で抱え切れなくなる範囲や
人の悩みに大きいも小さいもない。
精神論、根性論を最も嫌い続けた僕は
まだ精神論に縛られてる。
苦しむこと、助けてと叫ぶことに
許可なんか、資格なんか、条件なんかいらない筈。
頭でそう分かっていてなお、
そうやって条件ありきの救済を叫ぶなんて
矛盾だらけで滑稽だ。
今、僕は悲鳴上げてんだ。
その悲鳴が聞こえただけでも、
自分から眼を逸らしていない証拠。
自分の心の声、聞こえた。
あそこがいい、この会社に応募しろ、
農園に手伝いに行け、旅館に住み込みで働け。
あれしろ、これしろ、ここがいい、あれがいい、
男とはこうであるべき、こうするべき。
そうやって押し付けられたことは
数えきれないくらいあるけど、
君は本当はどうしたいの、
君の気持ちを聞かせてって
僕の意思を尋ねられたことはない。
あれしろ、これしろ、
あれするな、これするな、
やることなすこと
全て指定して制限して枠を設けて
それに見合わなければ協調性のないヤツ、
指示と違うことばかりする変なヤツ。
貴方はあまりに自己中心的、
お前はわがままなヤツだ、
人からどう見られるか考えろ。
耳にタコもイカも、その他の軟体動物も、
できすぎて足の踏み場が見当たらない。
違う、
違う、違う、違う。
僕はわがままなんかじゃない。
僕にはちゃんと意思がある、考えがある、
失敗したくて、怒らせたくて、
壊したくてやったんじゃない、
お願いだ聞いてよ。
「言い訳するな」と切り捨てないでよ。
おかしいよね。
僕はわがままなんかじゃないと
一人でいくら泣いたって叫んだって
一人なんだから助けなんか来ないし
誰に届くわけでもないのに、
なんで今、叫んでんだろ。
本当は助けてほしいんだよ。
つらいよ、苦しいよ、どうすりゃいいんだよって
悲鳴上げてんだよ。
かまってちゃんのすることじゃないか。
そんなことしたって味方なんかいないんだぞ。
誰も助けになんか来ないんだぞ。
一人ぼっちになったのは
味方が一人もいないのは
孤立したのは
僕のせいなのか
僕が悪いのか。
コミュニケーションってやつが
協調性ってやつが
うまくできないからなのか
僕が悪いのか
自業自得なのか
自己責任なのか
どうすりゃいいんだ。
そこを直せば
助けてもらえる資格を
取得できるのか。
いやそもそも
助けてもらうのに条件が必要なのか。
押し付けるばかりで
僕の意見を少しも聞かない家族も
上手い具合に渡って行けば
それなりにやって行けたであろう
「会社」って世界も
自分から切ったんだろう。
だから自業自得なのか
一人になったのは自分なんだから
一人で何とかするしかないのか。
きっとそんなの当たり前なんだろう
結局そうなのはわかってる
みんな自分のことで精一杯だ。
他人のことなんて気にしてる余裕なんてない。
苦しい、助けてなんていくら叫んだところで
みんないっぱいいっぱいなんだから
受け取る余裕なんてない。
そんなことわかりきってるはずなのに
なぜそれでも叫んでるんだ僕は。
僕が今ここで何を叫ぼうが
一人暮らしなんだから
誰にも聞こえないし届かない。
届いたところで
助けてくれるわけでもない。
そもそもこれは他力本願じゃないか
自分でなんとかしないで頼ってばかりじゃないか。
自分でやれるだけの手を尽くしたのか
助けてなんて言えるだけの手を。
これは精神論に毒された考えだ。
自分で抱え切れなくなる範囲や
人の悩みに大きいも小さいもない。
精神論、根性論を最も嫌い続けた僕は
まだ精神論に縛られてる。
苦しむこと、助けてと叫ぶことに
許可なんか、資格なんか、条件なんかいらない筈。
頭でそう分かっていてなお、
そうやって条件ありきの救済を叫ぶなんて
矛盾だらけで滑稽だ。
今、僕は悲鳴上げてんだ。
その悲鳴が聞こえただけでも、
自分から眼を逸らしていない証拠。
自分の心の声、聞こえた。
2019年02月13日
デイケアに行く。
昨日は転院先の精神科の初診日。
「ダメモト障害年金。」で綴った
障害年金の申請のための診断書を書いてくれた病院から
事情あってさらに転院しての今となる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/9/0
この病院は知的障害、発達障害のケアに
かなり力を入れていると聞いていた。
担当医師の前に、
研修医さんが詳しく話を聞いてくれた。
僕は着替えを持参していた。
というのは、僕は慣れない場所や人と会う時、
しゃべる権利はあるのか、聞いてくれる人がいるのか
という疑問から、大量の冷や汗をかいてしまうからだ。
替えのシャツはもちろん、下着も靴下も持参だ。
でも、いざ話をしてみて、
終わっても背中が濡れていないことに気付いた。
思い出してみると、話す前も最中も、
それほど緊迫した雰囲気ではなく、
僕が話し易いようにしてくれていたようだった。
「障害者の就労相談室へ。」で綴った時もそうだったが、
僕は自分の話を頭ごなしに否定されない時ほど驚く。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/61/0
何せそんな経験はめったにないし、
一方的に否定されること以外を想定していないからだ。
今回、新しい病院で話をいろいろした後、
相談室の精神保健福祉士さんが言っていた、
この言葉を思い出した。
「ご自身の特性を生かせる環境に身を置きさえすれば、
かなり高い能力を発揮できる印象を受けました。」
この病院はデイケアをやっている。
さっそく見学させてもらった。
陶芸、編み物、ヨガ、カラオケ、
体育館でのスポーツ、英会話
心理学、生活力向上講座、etc
保健適用で利用でき、自立支援医療保健も使える。
さっそく後日、体験参加することになった。
中には僕と同じように、聴覚が過敏で
集団の中や広い場所が苦手な人もいるという。
※「音が全部入ってくる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/10/0
僕が見学した時は午後のプログラム前の昼休み、
談笑している人、昼寝している人、PC作業している人、
思い思いに過ごしていた。
個性的に自分を表現した服装の人も多かった。
僕はKERAの服が大好きで、
服装と佇まいからか、時折バンドマンと間違われる。
今でこそかなり市民権を得てきたが、
その手の服装は未だに奇異な目で見られることが多い。
ただ好きだから着てるだけだが、
同時に奇異な目で見られることへの恐れもある。
ここへ来てる人たちが何のためらいもなく
自分の着たい服を来て自己表現している姿を見て、
奇異に見られる自分を責めなくていいんだと少しほっとした。
デイケア体験では
SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)講座を選んだ。
いずれは本決まりというか、
定期的に通うことになりそうだが、
まずは知って、飛び込んで、体験してみたい。
人と話す時に冷や汗が出なかったのは非常に大きい。
僕でも受け入れてもらえる場所があるのなら、
探して、足掻いて、もがいてみよう。
「ダメモト障害年金。」で綴った
障害年金の申請のための診断書を書いてくれた病院から
事情あってさらに転院しての今となる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/9/0
この病院は知的障害、発達障害のケアに
かなり力を入れていると聞いていた。
担当医師の前に、
研修医さんが詳しく話を聞いてくれた。
僕は着替えを持参していた。
というのは、僕は慣れない場所や人と会う時、
しゃべる権利はあるのか、聞いてくれる人がいるのか
という疑問から、大量の冷や汗をかいてしまうからだ。
替えのシャツはもちろん、下着も靴下も持参だ。
でも、いざ話をしてみて、
終わっても背中が濡れていないことに気付いた。
思い出してみると、話す前も最中も、
それほど緊迫した雰囲気ではなく、
僕が話し易いようにしてくれていたようだった。
「障害者の就労相談室へ。」で綴った時もそうだったが、
僕は自分の話を頭ごなしに否定されない時ほど驚く。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/61/0
何せそんな経験はめったにないし、
一方的に否定されること以外を想定していないからだ。
今回、新しい病院で話をいろいろした後、
相談室の精神保健福祉士さんが言っていた、
この言葉を思い出した。
「ご自身の特性を生かせる環境に身を置きさえすれば、
かなり高い能力を発揮できる印象を受けました。」
この病院はデイケアをやっている。
さっそく見学させてもらった。
陶芸、編み物、ヨガ、カラオケ、
体育館でのスポーツ、英会話
心理学、生活力向上講座、etc
保健適用で利用でき、自立支援医療保健も使える。
さっそく後日、体験参加することになった。
中には僕と同じように、聴覚が過敏で
集団の中や広い場所が苦手な人もいるという。
※「音が全部入ってくる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/10/0
僕が見学した時は午後のプログラム前の昼休み、
談笑している人、昼寝している人、PC作業している人、
思い思いに過ごしていた。
個性的に自分を表現した服装の人も多かった。
僕はKERAの服が大好きで、
服装と佇まいからか、時折バンドマンと間違われる。
今でこそかなり市民権を得てきたが、
その手の服装は未だに奇異な目で見られることが多い。
ただ好きだから着てるだけだが、
同時に奇異な目で見られることへの恐れもある。
ここへ来てる人たちが何のためらいもなく
自分の着たい服を来て自己表現している姿を見て、
奇異に見られる自分を責めなくていいんだと少しほっとした。
デイケア体験では
SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)講座を選んだ。
いずれは本決まりというか、
定期的に通うことになりそうだが、
まずは知って、飛び込んで、体験してみたい。
人と話す時に冷や汗が出なかったのは非常に大きい。
僕でも受け入れてもらえる場所があるのなら、
探して、足掻いて、もがいてみよう。
2019年02月07日
誰かが叱られる場面に遭遇。
休憩スペースの
キッズルーム的なところで遊んでいた子が
もうちょっと居たいと
駄々をこねて泣き叫んでいた。
お母さんは怒鳴りつけることはしなかったが、
たしなめて連れて行った。
僕の耳にはカクテルパーティ効果がなく、
全ての音が平等に入ってくる。
「音が全部入ってくる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/10/0
「街中ではイヤホン必須。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/37/0
僕がショッピングモールや
家族連れが多く訪れるような場所が苦手なのは
入って来る音が多すぎて処理し切れないのもあるけど、
子どもが叱られる声や泣き叫ぶ声がたくさん入ってきて
勝手に罪悪感を感じて消耗してることも一因かも知れない。
大きな音、穏やかでない感情が含まれた声、
大声で叫んだり怒ったり泣いたりする声が聞こえると、
まるで自分が怒られているような、
自分に向けて言われているような錯覚を覚える。
そして一人で
「ごめんなさい、ごめんなさい」と呟き続ける。
その子の叱られ具合がエスカレートすると、
耳を塞いでその場にしゃがみ込むこともある。
数年前まではコントロールできなかったが、
今はかろうじて、その場を離れてから
人気のない場所でうずくまることができるようになった。
事情のわからない知り合いが近くにいた際、
僕がうずくまるたびに困惑させてきたことを
この場を借りてお詫びしたい。
誰かが責められたり、怒鳴られている場面なんて
気持ちのいいものではないと思う。
こういう場面に過剰に反応するようになってしまった原因、
恐らく僕の幼少期に、常に父に怯えていたことがあると思う。
「父との関係(1) -小学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
今、もし同じ場面に遭遇したとしても、
あそこで怒られてる声が怖いんです、すみませんと、
隣にいる人に事情を説明できるようになった。
自分の中では大きな進歩だと自画自賛しているが、
その時に決まって言われるのが、
「貴方に言ってるんじゃないから気にしないの」
誠にその通り、自分には何の関係もない。
だから気にしない、
というのが僕にはどうもできない。
これがきっと「認知の歪み」「自動思考」。
穏やかでない事態が発生したら、
電気回路のように自動的に自分に矛先を向ける、
そんな心の癖がついてしまってるんだろう。
今でこそ言われなくなったが、
恐怖でしゃがみ込んだのを周りが見た時、
「被害妄想」と罵倒され続けてきたのが
それを助長してるのかも知れない。
障害年金の申請のための診断書を断られた病院では、
お医者さんは僕によそよそしい演技じみた態度だったが、
僕の「認知の歪み」に気付いて
認知療法を実施してくれた心理士さんが、
僕の思考パターンを細かく紐解いてくれた。
「ダメモト障害年金。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/9/0
自分を痛めつける思考の癖がついてる。
自分と関係ない場所で発生したことですら、
瞬時に自分に矛先を向けてしまうほど、
強固な自分責め回路が完成してしまってる。
その矛先を自分から反らしたいし、
これ以上自分で自分を痛めつけたくない。
何があろうと、自分だけは
自分をねぎらってあげようと決めたはずだ。
「何があっても、自分だけは自分の味方。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/68/0
形成された自分責め回路は年季が違う。
書き換えるのは簡単じゃないが、
「あ、今自分に矛先を向けた。」
と気付けるようになったことは
被害を被る癖を変えていく上での第一歩だと思ってる。
気付いては元に戻り、また自分を責めての繰り返しだけど、
何年かかってでも認知し直して、ゆっくり歩んでいこう。
キッズルーム的なところで遊んでいた子が
もうちょっと居たいと
駄々をこねて泣き叫んでいた。
お母さんは怒鳴りつけることはしなかったが、
たしなめて連れて行った。
僕の耳にはカクテルパーティ効果がなく、
全ての音が平等に入ってくる。
「音が全部入ってくる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/10/0
「街中ではイヤホン必須。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/37/0
僕がショッピングモールや
家族連れが多く訪れるような場所が苦手なのは
入って来る音が多すぎて処理し切れないのもあるけど、
子どもが叱られる声や泣き叫ぶ声がたくさん入ってきて
勝手に罪悪感を感じて消耗してることも一因かも知れない。
大きな音、穏やかでない感情が含まれた声、
大声で叫んだり怒ったり泣いたりする声が聞こえると、
まるで自分が怒られているような、
自分に向けて言われているような錯覚を覚える。
そして一人で
「ごめんなさい、ごめんなさい」と呟き続ける。
その子の叱られ具合がエスカレートすると、
耳を塞いでその場にしゃがみ込むこともある。
数年前まではコントロールできなかったが、
今はかろうじて、その場を離れてから
人気のない場所でうずくまることができるようになった。
事情のわからない知り合いが近くにいた際、
僕がうずくまるたびに困惑させてきたことを
この場を借りてお詫びしたい。
誰かが責められたり、怒鳴られている場面なんて
気持ちのいいものではないと思う。
こういう場面に過剰に反応するようになってしまった原因、
恐らく僕の幼少期に、常に父に怯えていたことがあると思う。
「父との関係(1) -小学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
今、もし同じ場面に遭遇したとしても、
あそこで怒られてる声が怖いんです、すみませんと、
隣にいる人に事情を説明できるようになった。
自分の中では大きな進歩だと自画自賛しているが、
その時に決まって言われるのが、
「貴方に言ってるんじゃないから気にしないの」
誠にその通り、自分には何の関係もない。
だから気にしない、
というのが僕にはどうもできない。
これがきっと「認知の歪み」「自動思考」。
穏やかでない事態が発生したら、
電気回路のように自動的に自分に矛先を向ける、
そんな心の癖がついてしまってるんだろう。
今でこそ言われなくなったが、
恐怖でしゃがみ込んだのを周りが見た時、
「被害妄想」と罵倒され続けてきたのが
それを助長してるのかも知れない。
障害年金の申請のための診断書を断られた病院では、
お医者さんは僕によそよそしい演技じみた態度だったが、
僕の「認知の歪み」に気付いて
認知療法を実施してくれた心理士さんが、
僕の思考パターンを細かく紐解いてくれた。
「ダメモト障害年金。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/9/0
自分を痛めつける思考の癖がついてる。
自分と関係ない場所で発生したことですら、
瞬時に自分に矛先を向けてしまうほど、
強固な自分責め回路が完成してしまってる。
その矛先を自分から反らしたいし、
これ以上自分で自分を痛めつけたくない。
何があろうと、自分だけは
自分をねぎらってあげようと決めたはずだ。
「何があっても、自分だけは自分の味方。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/68/0
形成された自分責め回路は年季が違う。
書き換えるのは簡単じゃないが、
「あ、今自分に矛先を向けた。」
と気付けるようになったことは
被害を被る癖を変えていく上での第一歩だと思ってる。
気付いては元に戻り、また自分を責めての繰り返しだけど、
何年かかってでも認知し直して、ゆっくり歩んでいこう。
2019年02月02日
お店を手伝っていた子から学ぶ。
今日も冷え込みが厳しいです。
寒いというより冷気が痛い。
コンビニに寄ったら
5〜6歳くらいの元気な女の子と、
恐らくその子のお母さんであろう店員さんが
一緒に品出しと陳列をしていて、
その子が「いらっしゃいませ」と
笑顔で言ってくれました。
きっと勤務中のお母さんの手伝いに来たんだろうなと
ほほえましく見てました。
急ぎではなかったし、
なんだか邪魔しちゃ悪いなと思いましたが、
店内には他の店員さんの姿が見えなかったので、
心苦しくもレジ対応をお願いしました。
その間もその子は陳列を続け、
わからないことはお母さんに聞いて
てきぱきと進めてました。
「気軽に話せる親子関係に嫉妬。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/49/0
にて綴りましたが、
ほほえましさと同時に、何の覚悟も決める必要もなく、
進んで親の手伝いができるなんて
うらやましいと思ってしまった…。
その子の仕事ぶりがあまりにも的確で
わからないことをちゃんと聞いて進めていたことに
すごく関心してしまい、見習おうと思いました。
「わからないことは聞いてね。」
という台詞をどこまで鵜呑みにしていいか、
本当に何でも聞いていいのか、社交辞令なのか、
僕はいつもこれが掴めません。
言った本人にとって
聞いてほしくなかったであろうタイミングと
しつこいと認定される領域まで掘り下げたことで、
気付かない内に人をイラつかせてきました。
わからないことを小さい子が聞くと許され
わからないことを大人が聞くと
そんなこともわからないのかと怒られる。
正直それは解せません。
ただし自分をこれ以上傷つけないため、守るためには、
わからないことを聞いても怒られなかったパターンを
改めて思い出してみようと思います。
いつ、どのタイミングで、どこまで詳しくなら、
質問しても怒られないのか、リアルタイムで読み取れないので、
「言葉への変換が。」でご紹介した
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
人を怒らせずに質問できたパターンのテンプレを
脳内Tan-suから引き出すことは必須です。
あの子が脳内Tan-suを使ってるか不明だけど、
あの子が質問していたタイミングでは、
僕が見ていた限り誰も怒ってませんでした。
忙しさにもよるでしょうけど、
少なくともあのタイミング、空気感であれば
誰も不快にしないのかなーと思いながら店を後にしました。
人を怒らせずに疑問点を解消するヒントを1つ、
あの子に教えてもらいました。
寒いというより冷気が痛い。
コンビニに寄ったら
5〜6歳くらいの元気な女の子と、
恐らくその子のお母さんであろう店員さんが
一緒に品出しと陳列をしていて、
その子が「いらっしゃいませ」と
笑顔で言ってくれました。
きっと勤務中のお母さんの手伝いに来たんだろうなと
ほほえましく見てました。
覚悟を決めずに親を手伝えるっていいなぁ…
急ぎではなかったし、
なんだか邪魔しちゃ悪いなと思いましたが、
店内には他の店員さんの姿が見えなかったので、
心苦しくもレジ対応をお願いしました。
その間もその子は陳列を続け、
わからないことはお母さんに聞いて
てきぱきと進めてました。
「気軽に話せる親子関係に嫉妬。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/49/0
にて綴りましたが、
ほほえましさと同時に、何の覚悟も決める必要もなく、
進んで親の手伝いができるなんて
うらやましいと思ってしまった…。
あの子の仕事ぶりから、質問方法を学ぶ
その子の仕事ぶりがあまりにも的確で
わからないことをちゃんと聞いて進めていたことに
すごく関心してしまい、見習おうと思いました。
「わからないことは聞いてね。」
という台詞をどこまで鵜呑みにしていいか、
本当に何でも聞いていいのか、社交辞令なのか、
僕はいつもこれが掴めません。
言った本人にとって
聞いてほしくなかったであろうタイミングと
しつこいと認定される領域まで掘り下げたことで、
気付かない内に人をイラつかせてきました。
わからないことを小さい子が聞くと許され
わからないことを大人が聞くと
そんなこともわからないのかと怒られる。
正直それは解せません。
ただし自分をこれ以上傷つけないため、守るためには、
わからないことを聞いても怒られなかったパターンを
改めて思い出してみようと思います。
人を怒らせずに疑問点を解消するヒント
いつ、どのタイミングで、どこまで詳しくなら、
質問しても怒られないのか、リアルタイムで読み取れないので、
「言葉への変換が。」でご紹介した
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
人を怒らせずに質問できたパターンのテンプレを
脳内Tan-suから引き出すことは必須です。
あの子が脳内Tan-suを使ってるか不明だけど、
あの子が質問していたタイミングでは、
僕が見ていた限り誰も怒ってませんでした。
忙しさにもよるでしょうけど、
少なくともあのタイミング、空気感であれば
誰も不快にしないのかなーと思いながら店を後にしました。
人を怒らせずに疑問点を解消するヒントを1つ、
あの子に教えてもらいました。
2019年01月29日
遠まわしな頼み事は天敵。
・手順が明確でないあいまいな指示
・ストレートでない表現
・要望を遠まわしに言われる
・察してオーラ
発達障害がコミュニケーションに著しい支障が出ると言われるのは
上記4つが登場する場面が顕著です。
僕もこれらがものすごく苦手です。
※あいまい表現が理解できなかったエピソード。
「あいまい表現が苦手。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/6/0
「他にご質問ありますか。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/32/0
「指示通りにやると怒られる不思議。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/27/0
今回は僕が最も苦手とする
遠まわしな頼み事を察することを求められたエピソードです。
やってほしいことをストレートに出さず、
ぼかして察してほしいというような内容は、
リアルタイムな会話の中で言われてもわかりません。
メールなどの文章であれば
考える時間がたっぷりあるので、
前後の文脈などからじっくり精査すれば、
意図を読み取ることができる場合があります。
そんな中、最近困ったのがこれ。
「今日の練習参加人数は
遅れることが濃厚な自分を含め10名、保険をかけたい…。」
これはメールでもらったんですが、
保険?この場面でどうして保険の話?何か変だな…。
と気になりつつも、字面通りに捉えたので、こう返しました。
「本日の参加人数について承知しました。
保険とは何でしょう、スポーツ保険のことでしょうか?
加入したいということであれば調べておきます。」
結局その後、
再び返信が来ないないまま、練習を迎えました。
僕は返信が来なかったことを気にかけていて、
練習直前になって、もしかしたら別の意味があったのでは、
あるとすればどういうことかを知りたくなりました。
それと、定型発達の第三者の意見を聞きたかったので、
別のメンバーにこっそりこのメールを見てもらい、
どういう意味か聞いてみました。
すると、
「人数がギリギリなので、もう2〜3人くらい参加者がほしい、
知り合いに声をかけてくれないかということを
察してほしい狙いがあるんだよ。」
と教えてくれました。まさに目から鱗。
同時に、これこそが僕のもっとも苦手とする場面、
察してオーラだったのかと、恐れおののきました…。
また読み取れなかった。
やっぱりいくら経験しても、
こればかりはできるようにならない。
幸い、このことについては大事に至らなかったし、
仕事のことではないので損害も出していません。
これで仲違いしたり、
いじめや仲間外れのようなことにもなっていません。
なっていませんが、言葉の裏を読み取れない、
曖昧な言い回しが理解できないことで支障が出るとは
つまりこういうことです。万事こうです。
わざとでなく、ふざけてもいません。
僕はいつも、何とか相手の意図の通りに任務を遂行しようと
頭をフル回転させています、真剣そのものです。
このような察して系の表現にいつ遭遇しないかと
いくら必死でアンテナを立てようともキャッチできません。
これが日常であり、
生きてる限り、誰かと会話が発生する限り
ずっと続くと考えてもらって差し支えないです。
見逃したが最後、字面通りに返答したその瞬間から
「空気読めないヤツ」「変人」認定され、
決してそのレッテルは剥がれません。
仕事だろうが、前触れもわからず無差別に発生するので、
ノーヒントの地雷地帯を歩くのと同じです。
レッテルが貼られコミュニケーションに支障が出たことで
「ミス」にカウントされ、心ない集団では減点方式で孤立が始まります。
敢えて言葉に出さず、あるいはストレートに言わずに
心情を伝えることは日本語の繊細さ、美しさであり、
漫画が大好きな僕はそれを読み取れて感動することはあります。
今回はメール文章だったので、
こうやって別の可能性をじっくり考える時間がありましたが、
何気ない会話、一瞬のやり取りの中で
要望をあえて言わないで遠まわしに頼まれたとしたら、
ざっと思い出す限り応えられた記憶はありません。
自分がしゃべった直後に周りが一気に怪訝そうな表情になった、
という経験ならばいくらでも思い出せます。
これを読んで、
「当然読み取れるでしょ、こんなこともわからないの?」
と思われる方もいるかも知れません。
そうです。こんなこともわからないんです。
だから僕は障害者手帳を持ってます。
飾りでも大袈裟でも何でもありません。
ヒトが群れで生きる上で支障が出るレベルだからこそです。
ネット上のお悩み掲示板などを見ていると、
職場の同僚と、同級生と、コミュニケーションが取れず
困っているといった内容をよく見ます。
「コミュ障」「アスペ」といった暴言を見ると、
悔しくも悲しくもあります。
リアル、ネットを問わず、そういう人が身近にいて
悩んでいる方に、自閉の1人としてお願いです。
僕と同じ特徴を持ってるかも知れません、
どうかその可能性を考えてあげてください。
・ストレートでない表現
・要望を遠まわしに言われる
・察してオーラ
発達障害がコミュニケーションに著しい支障が出ると言われるのは
上記4つが登場する場面が顕著です。
僕もこれらがものすごく苦手です。
※あいまい表現が理解できなかったエピソード。
「あいまい表現が苦手。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/6/0
「他にご質問ありますか。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/32/0
「指示通りにやると怒られる不思議。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/27/0
今回は僕が最も苦手とする
遠まわしな頼み事を察することを求められたエピソードです。
頼み事を遠まわしに言われ困惑
やってほしいことをストレートに出さず、
ぼかして察してほしいというような内容は、
リアルタイムな会話の中で言われてもわかりません。
メールなどの文章であれば
考える時間がたっぷりあるので、
前後の文脈などからじっくり精査すれば、
意図を読み取ることができる場合があります。
そんな中、最近困ったのがこれ。
「今日の練習参加人数は
遅れることが濃厚な自分を含め10名、保険をかけたい…。」
これはメールでもらったんですが、
保険?この場面でどうして保険の話?何か変だな…。
と気になりつつも、字面通りに捉えたので、こう返しました。
「本日の参加人数について承知しました。
保険とは何でしょう、スポーツ保険のことでしょうか?
加入したいということであれば調べておきます。」
結局その後、
再び返信が来ないないまま、練習を迎えました。
定型発達の第三者の意見
僕は返信が来なかったことを気にかけていて、
練習直前になって、もしかしたら別の意味があったのでは、
あるとすればどういうことかを知りたくなりました。
それと、定型発達の第三者の意見を聞きたかったので、
別のメンバーにこっそりこのメールを見てもらい、
どういう意味か聞いてみました。
すると、
「人数がギリギリなので、もう2〜3人くらい参加者がほしい、
知り合いに声をかけてくれないかということを
察してほしい狙いがあるんだよ。」
と教えてくれました。まさに目から鱗。
同時に、これこそが僕のもっとも苦手とする場面、
察してオーラだったのかと、恐れおののきました…。
また読み取れなかった。
やっぱりいくら経験しても、
こればかりはできるようにならない。
”会話がうまく成立しないのは「言葉のウラが読めない」から”
アスペルガー症候群の人たちには文章力の高い人が少なくありません。
会話ではコミュニケーションがうまくできないのに、
メールでは格調高い文章を書くといったことがよくあります。
つまり、文語には強いけれど、その場の状況によって
意味合いが微妙に変化する口語に弱いのです。
『大人のアスペルガー症候群』 第一章 より
ノーヒントの地雷地帯を歩くのと同じ
幸い、このことについては大事に至らなかったし、
仕事のことではないので損害も出していません。
これで仲違いしたり、
いじめや仲間外れのようなことにもなっていません。
なっていませんが、言葉の裏を読み取れない、
曖昧な言い回しが理解できないことで支障が出るとは
つまりこういうことです。万事こうです。
わざとでなく、ふざけてもいません。
僕はいつも、何とか相手の意図の通りに任務を遂行しようと
頭をフル回転させています、真剣そのものです。
このような察して系の表現にいつ遭遇しないかと
いくら必死でアンテナを立てようともキャッチできません。
これが日常であり、
生きてる限り、誰かと会話が発生する限り
ずっと続くと考えてもらって差し支えないです。
見逃したが最後、字面通りに返答したその瞬間から
「空気読めないヤツ」「変人」認定され、
決してそのレッテルは剥がれません。
仕事だろうが、前触れもわからず無差別に発生するので、
ノーヒントの地雷地帯を歩くのと同じです。
レッテルが貼られコミュニケーションに支障が出たことで
「ミス」にカウントされ、心ない集団では減点方式で孤立が始まります。
発達障害の可能性をどうか考えてあげて
敢えて言葉に出さず、あるいはストレートに言わずに
心情を伝えることは日本語の繊細さ、美しさであり、
漫画が大好きな僕はそれを読み取れて感動することはあります。
今回はメール文章だったので、
こうやって別の可能性をじっくり考える時間がありましたが、
何気ない会話、一瞬のやり取りの中で
要望をあえて言わないで遠まわしに頼まれたとしたら、
ざっと思い出す限り応えられた記憶はありません。
自分がしゃべった直後に周りが一気に怪訝そうな表情になった、
という経験ならばいくらでも思い出せます。
これを読んで、
「当然読み取れるでしょ、こんなこともわからないの?」
と思われる方もいるかも知れません。
そうです。こんなこともわからないんです。
だから僕は障害者手帳を持ってます。
飾りでも大袈裟でも何でもありません。
ヒトが群れで生きる上で支障が出るレベルだからこそです。
ネット上のお悩み掲示板などを見ていると、
職場の同僚と、同級生と、コミュニケーションが取れず
困っているといった内容をよく見ます。
「コミュ障」「アスペ」といった暴言を見ると、
悔しくも悲しくもあります。
リアル、ネットを問わず、そういう人が身近にいて
悩んでいる方に、自閉の1人としてお願いです。
僕と同じ特徴を持ってるかも知れません、
どうかその可能性を考えてあげてください。
2019年01月28日
必要のない人間。
米が尽きかけた。
フードバンクへ食糧をもらいに行った。
いつも僕を担当してくれてる人は不在だったので
代理の人が対応してくれたが、
その人に言われた言葉がショックで、さっきまでずっと
「自分 必要のない人間」のキーワードで検索しては
自己嫌悪に陥っていた。
ようやくこうして
今日の出来事を記事にできるくらいになったので、
暴露してみる。反面教師用にお読みいただきたい。
「たびたび来てるけど仕事見つかったの?」
「生活を守るために何かしてるの?
食糧支援にはやぶさかではないんだけど、
一時的なものだから。」
僕は言葉を絞り出してこう答えた。
う…その、あの…。
今ブロガー活動を中心に自分のビジネスを育ててますが、
結果が全然出てないんです…。
「わかった、用意して待ってるから、
雪降ってるし気を付けて来てね。」
「お前は何もしていない」と責められているように感じて、
受け取りに行った時に号泣してしまった。
・お前は食糧を受け取るだけで
状況を改善しようと努力していない
・なぜ就職しようとしないのか
生活を何とかしようという姿勢が見受けられず
何もしていないように見える
暗にこう言われたような気がして
これまでに何度繰り返したかわからないが、
自分の存在価値を見い出せずに泣いた。
純粋な心配だったかも知れない。
責められてると感じること自体が考え過ぎ、
そもそも被害妄想かも知れない。
なぜそこまでネガティブな方向に結び付けられるんだと
呆れられるかも知れない。
対応してくれた職員さんも困惑しただろう、
相当に気を遣わせてしまっただろう、誠に申し訳ない。
なぜそこまでマイナスに掘り下げられるんだ、
何だか悪いこと言ってしまったみたいだな、と。
気を悪くされていないか、今も気になって仕方がない。
だが過去に、
理由不明なまま「おかしい」「奇行」と認定され
責められたりつるし上げられたりした時に、
決まって言われたのがこの言葉。
「自分がどう見られてるか考えた方がいいよ。」
僕は過去に属して来た集団でつるし上げをくらうたびに、
なぜこう言われるのかが心から疑問だった。
正直、今も。
僕の行動にはちゃんと意味がある、理由がある。
就職したくないし、そもそも跳ねられるのでできなかった。
過去に何度か一般枠で潜り込めたことはあったが、
ことごとく孤立し失敗してきた。
そんな辛かった場所にこびへつらって戻りたくない。
10万円ちょっとのために消耗する人生なんてもう嫌だ。
あさって、障害者の就労支援A型について
専門の支援機関に相談に行くことになっている。
今したいこと、できることは就職じゃない。
自分の人生の失敗体験をこうして書き残すこと。
だから自分なりに一生懸命に記事を書いている。
同じ障害で孤立したり苦しんでる人の反面教師になれたら、
こういうヤツが誤解されて孤立するんだよ、
こいつみたいに生きないようにしなよと、
ダメな具体例として貢献できたらそれでいい。
「親に褒められたかった。」で綴った通り、
自分にとって生きることは否定されること。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/17/0
殴られるより辛い否定される人生がこれ以上続くなら
もうここで終わって全然いい。
駅のホームは避ける。
誰にも迷惑をかけない方法は選ぶ。
だから
周りが満足するような行動=就職活動をしていない。
2019年没になって何の問題もないから。
このようなちゃんとした理由があるのに、
仕事に就こうとしていない=怠け、普通じゃない、おかしい
みたいな見られ方をしているのだろうか。
あからさまに否定する人とは距離を置いたので、
今は面と向かって否定する人はいないが、
応援されたこともないということは、つまり
”自分がどう見られてるか考えていないヤツ”
という評価なのだろう。
いきなり何をわがままなことを言い出すんだろう。
自分の居場所は自分で見つけるもの。
決して過程を無視するわけではないが、
結果が伴っていない以上、僕は
”自分がどう見られてるか考えていないヤツ”
でしかない。抜け出したければ結果が必要。
でもそこから抜け出すことは
少なからず他人基準の行動になる。
自分の気持ちに素直な行動をする限り、
僕はずっと”自分がどう見られてるか考えていないヤツ”である。
曲げるべきか、貫くべきか。
貫く限り、きっとこれからも孤立し続ける。
曲げれば多少は変わるかも知れないが、
自分の気持ちから遠ざかって行く。
どちらが正解かなんてわからない。
ただ、もがくのに疲れた。
社会は僕がいなくても回る。残酷だが事実。
そして僕と同じように、そのことに気づいた人が増えたからこそ、
自分の存在価値を確かめたくて、必要とされているかを確かめたくて、
TwitterやInstagram、TikTokといったツールの隆盛があるのだろう。
ワンピースに”ベビー5”というキャラクターが登場する。
彼女は貧しい村の出身、
母親から口減らしのために捨てられた過去から、
必要とされることに過剰なまでに喜ぶ性格となった。
人からの頼み事の断れなさは「病的」とも言われるが、
僕は彼女が必要とされることに喜ぶシーンを見るたび、
深い共感を覚える。
自分は必要か。この問いに終わりはあるのか。
フードバンクへ食糧をもらいに行った。
いつも僕を担当してくれてる人は不在だったので
代理の人が対応してくれたが、
その人に言われた言葉がショックで、さっきまでずっと
「自分 必要のない人間」のキーワードで検索しては
自己嫌悪に陥っていた。
ようやくこうして
今日の出来事を記事にできるくらいになったので、
暴露してみる。反面教師用にお読みいただきたい。
誤解だと叫びたい
「たびたび来てるけど仕事見つかったの?」
「生活を守るために何かしてるの?
食糧支援にはやぶさかではないんだけど、
一時的なものだから。」
僕は言葉を絞り出してこう答えた。
う…その、あの…。
今ブロガー活動を中心に自分のビジネスを育ててますが、
結果が全然出てないんです…。
「わかった、用意して待ってるから、
雪降ってるし気を付けて来てね。」
「お前は何もしていない」と責められているように感じて、
受け取りに行った時に号泣してしまった。
・お前は食糧を受け取るだけで
状況を改善しようと努力していない
・なぜ就職しようとしないのか
生活を何とかしようという姿勢が見受けられず
何もしていないように見える
暗にこう言われたような気がして
これまでに何度繰り返したかわからないが、
自分の存在価値を見い出せずに泣いた。
被害妄想かも知れない
純粋な心配だったかも知れない。
責められてると感じること自体が考え過ぎ、
そもそも被害妄想かも知れない。
なぜそこまでネガティブな方向に結び付けられるんだと
呆れられるかも知れない。
対応してくれた職員さんも困惑しただろう、
相当に気を遣わせてしまっただろう、誠に申し訳ない。
なぜそこまでマイナスに掘り下げられるんだ、
何だか悪いこと言ってしまったみたいだな、と。
気を悪くされていないか、今も気になって仕方がない。
だが過去に、
理由不明なまま「おかしい」「奇行」と認定され
責められたりつるし上げられたりした時に、
決まって言われたのがこの言葉。
「自分がどう見られてるか考えた方がいいよ。」
僕は過去に属して来た集団でつるし上げをくらうたびに、
なぜこう言われるのかが心から疑問だった。
正直、今も。
自分なりにちゃんとした理由がある、なのになぜ…
僕の行動にはちゃんと意味がある、理由がある。
就職したくないし、そもそも跳ねられるのでできなかった。
過去に何度か一般枠で潜り込めたことはあったが、
ことごとく孤立し失敗してきた。
そんな辛かった場所にこびへつらって戻りたくない。
10万円ちょっとのために消耗する人生なんてもう嫌だ。
あさって、障害者の就労支援A型について
専門の支援機関に相談に行くことになっている。
今したいこと、できることは就職じゃない。
自分の人生の失敗体験をこうして書き残すこと。
だから自分なりに一生懸命に記事を書いている。
同じ障害で孤立したり苦しんでる人の反面教師になれたら、
こういうヤツが誤解されて孤立するんだよ、
こいつみたいに生きないようにしなよと、
ダメな具体例として貢献できたらそれでいい。
「親に褒められたかった。」で綴った通り、
自分にとって生きることは否定されること。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/17/0
殴られるより辛い否定される人生がこれ以上続くなら
もうここで終わって全然いい。
駅のホームは避ける。
誰にも迷惑をかけない方法は選ぶ。
だから
周りが満足するような行動=就職活動をしていない。
2019年没になって何の問題もないから。
このようなちゃんとした理由があるのに、
仕事に就こうとしていない=怠け、普通じゃない、おかしい
みたいな見られ方をしているのだろうか。
あからさまに否定する人とは距離を置いたので、
今は面と向かって否定する人はいないが、
応援されたこともないということは、つまり
”自分がどう見られてるか考えていないヤツ”
という評価なのだろう。
これ以上誤解されたくない、必要とされたい
いきなり何をわがままなことを言い出すんだろう。
自分の居場所は自分で見つけるもの。
決して過程を無視するわけではないが、
結果が伴っていない以上、僕は
”自分がどう見られてるか考えていないヤツ”
でしかない。抜け出したければ結果が必要。
でもそこから抜け出すことは
少なからず他人基準の行動になる。
自分の気持ちに素直な行動をする限り、
僕はずっと”自分がどう見られてるか考えていないヤツ”である。
曲げるべきか、貫くべきか。
貫く限り、きっとこれからも孤立し続ける。
曲げれば多少は変わるかも知れないが、
自分の気持ちから遠ざかって行く。
どちらが正解かなんてわからない。
ただ、もがくのに疲れた。
社会は僕がいなくても回る。残酷だが事実。
そして僕と同じように、そのことに気づいた人が増えたからこそ、
自分の存在価値を確かめたくて、必要とされているかを確かめたくて、
TwitterやInstagram、TikTokといったツールの隆盛があるのだろう。
ワンピースに”ベビー5”というキャラクターが登場する。
彼女は貧しい村の出身、
母親から口減らしのために捨てられた過去から、
必要とされることに過剰なまでに喜ぶ性格となった。
ついて来るんじゃないよ、
役に立たないお前は必要のない人間なんだから。
ママにも?ママにもひつようないの?
ONE PIECE 77巻 771話より
人からの頼み事の断れなさは「病的」とも言われるが、
僕は彼女が必要とされることに喜ぶシーンを見るたび、
深い共感を覚える。
自分は必要か。この問いに終わりはあるのか。
2019年01月17日
腕が付いてることを忘れる。
僕は色んなところに
頭と足先と指先をぶつけます。
注意しようと思っても
次の瞬間に外部からの刺激があると
そちらに意識が向いてしまって忘却します。
僕は便宜上、
自閉症傾向のある広汎性発達障害と言われましたが、
いろいろぶつけるところはADHDの特徴で言われる
不注意の要素を含んでいると思われます。
なぜ治らないのか、なぜぶつけるのか、
そしてその時にどう感じたかについて
書いてみようと思います。
・料理していて、ふと顔を上げた時、
自分の頭がどの高さにあるかを忘れる
天井の換気扇のカバー角に後頭部を強打し悶絶する
・ふすまを開けるも、ふすまを開けることにのみ集中し
鴨居におでこを強打し悶絶する
・足元まで台座がある机に向かう時、
自分の足先がどこにあるかを忘れ
つま先で台座に蹴りを入れる格好になる
大きな音が苦手なくせに
「ガン!」と蹴り音を立てて自分でびびる
決して八つ当たりでなく不注意だったことを
毎度弁明して回る
・ふと振り向いた時、
自分に腕が付いてることを忘れる
ラリアットを繰り出した格好となり
近くの突起物に指を強打し悶絶する
・体育館に着き、
バッシュを履く前に誰かに呼ばれた時、
足元が靴下であることを忘れる
止まり切れずに滑りこける
「漫画か」と言われて初めてシューズ未着用と気づく
「4コマ漫画か」と言われるかも知れませんが
本ブログはノンフィクションを信条としています。
すべて日常です。
誰かが最初にやったから漫画のネタがあるんです。
・料理してる
・机が迫って来てる
・呼ばれた!対応しなきゃ
頭の中はこれらでいっぱいです。
そしてこのような新たな刺激に出会うと
純粋な混じり気のない「1つのこと」にしか意識がいきません。
その時点で視界に入っていないものの状況が
頭に入ってこないんです。
冗談抜きで本当に身体の1箇所に注意が集中してます。
眼の前の鍋やまな板、調味料の棚が見えるだけで、
それ以外は自分の身体がどう動いてるかも忘れます。
自分の身体が今どの位置にあって、
どれくらいの位置に何があるかを把握する感覚を
「固有感覚」というそうです。
Wikipedia「感覚」より引用
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/感覚
僕は恐らく、
自分の身体と周囲にあるものの境界線や
距離感を把握できていないんだと思われます。
あとどれくらい動かせばギリギリで止められるのに、
その調整能力が鈍麻なため、動かし過ぎてぶつける。
急に呼ばれて振り向いたり、頭の中に何かがよぎった時、
コントロールできてるのは首から上だけです。
自分の身体なのにそんなことある?
と言われても
本当に首から下がどう動いてるかわかってません。
なので、
特に振り向いた時に顕著ですが、
回転の反動で勢い付いた手がムチのようにしなり
近隣の突起物に指先を強打して悶絶します。
この後も
決して八つ当たりでも自暴自棄で殴ったのでもなく、
不注意でぶつかったことの釈明会見は必須です。
※これについては以下のサイトで
すごく説得力のある解説がありましたので、
紹介させていただきます。
「身体の部位や位置が分からない」
https://hattatu-jihei.net/autism-is-crashed-against-a-thing
食器売場でこれをやらかして
あたり一帯を割れたガラス畑にしたり、
ラリアットで国宝のツボを割ったり、
壊れやすいモノの周辺でモノを壊したことは
幸いにもまだありません。
理由は自分の身体を制御できてるからじゃなくて、
「割らないこと」に全神経を集中してるからです。
最低限これができてるので、
大きな損害を出していないのがまだ救いです。
固有感覚に不得手がある場合、
「感覚統合療法」を受けることで
ある程度の改善が期待できるそうです。
「感覚統合療法とは – 自閉症の療育手法」
https://theprompt.jp/autism/sensory_integration/
この療法についてはまだ知って間もないのと、
今のところ大規模なやらかしはやらかしてないので、
そういうものがあるということを
転院先のお医者さんに今度話してみようと思ってます。
頭と足先と指先をぶつけます。
注意しようと思っても
次の瞬間に外部からの刺激があると
そちらに意識が向いてしまって忘却します。
僕は便宜上、
自閉症傾向のある広汎性発達障害と言われましたが、
いろいろぶつけるところはADHDの特徴で言われる
不注意の要素を含んでいると思われます。
なぜ治らないのか、なぜぶつけるのか、
そしてその時にどう感じたかについて
書いてみようと思います。
身体がどこにあるかわからない時がある
・料理していて、ふと顔を上げた時、
自分の頭がどの高さにあるかを忘れる
天井の換気扇のカバー角に後頭部を強打し悶絶する
・ふすまを開けるも、ふすまを開けることにのみ集中し
鴨居におでこを強打し悶絶する
・足元まで台座がある机に向かう時、
自分の足先がどこにあるかを忘れ
つま先で台座に蹴りを入れる格好になる
大きな音が苦手なくせに
「ガン!」と蹴り音を立てて自分でびびる
決して八つ当たりでなく不注意だったことを
毎度弁明して回る
・ふと振り向いた時、
自分に腕が付いてることを忘れる
ラリアットを繰り出した格好となり
近くの突起物に指を強打し悶絶する
・体育館に着き、
バッシュを履く前に誰かに呼ばれた時、
足元が靴下であることを忘れる
止まり切れずに滑りこける
「漫画か」と言われて初めてシューズ未着用と気づく
「4コマ漫画か」と言われるかも知れませんが
本ブログはノンフィクションを信条としています。
すべて日常です。
誰かが最初にやったから漫画のネタがあるんです。
本当に1つのことにしか意識を向けられない
・料理してる
・机が迫って来てる
・呼ばれた!対応しなきゃ
頭の中はこれらでいっぱいです。
そしてこのような新たな刺激に出会うと
純粋な混じり気のない「1つのこと」にしか意識がいきません。
その時点で視界に入っていないものの状況が
頭に入ってこないんです。
冗談抜きで本当に身体の1箇所に注意が集中してます。
眼の前の鍋やまな板、調味料の棚が見えるだけで、
それ以外は自分の身体がどう動いてるかも忘れます。
固有感覚が鈍麻
自分の身体が今どの位置にあって、
どれくらいの位置に何があるかを把握する感覚を
「固有感覚」というそうです。
Wikipedia「感覚」より引用
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/感覚
固有感覚とは、体の様々な部位の位置する場所を感じているという"無意識"である。
僕は恐らく、
自分の身体と周囲にあるものの境界線や
距離感を把握できていないんだと思われます。
あとどれくらい動かせばギリギリで止められるのに、
その調整能力が鈍麻なため、動かし過ぎてぶつける。
急に呼ばれて振り向いたり、頭の中に何かがよぎった時、
コントロールできてるのは首から上だけです。
自分の身体なのにそんなことある?
と言われても
本当に首から下がどう動いてるかわかってません。
なので、
特に振り向いた時に顕著ですが、
回転の反動で勢い付いた手がムチのようにしなり
近隣の突起物に指先を強打して悶絶します。
この後も
決して八つ当たりでも自暴自棄で殴ったのでもなく、
不注意でぶつかったことの釈明会見は必須です。
※これについては以下のサイトで
すごく説得力のある解説がありましたので、
紹介させていただきます。
「身体の部位や位置が分からない」
https://hattatu-jihei.net/autism-is-crashed-against-a-thing
美術館の高級ツボを壊したことはまだない
食器売場でこれをやらかして
あたり一帯を割れたガラス畑にしたり、
ラリアットで国宝のツボを割ったり、
壊れやすいモノの周辺でモノを壊したことは
幸いにもまだありません。
理由は自分の身体を制御できてるからじゃなくて、
「割らないこと」に全神経を集中してるからです。
最低限これができてるので、
大きな損害を出していないのがまだ救いです。
固有感覚に不得手がある場合、
「感覚統合療法」を受けることで
ある程度の改善が期待できるそうです。
「感覚統合療法とは – 自閉症の療育手法」
https://theprompt.jp/autism/sensory_integration/
この療法についてはまだ知って間もないのと、
今のところ大規模なやらかしはやらかしてないので、
そういうものがあるということを
転院先のお医者さんに今度話してみようと思ってます。
2019年01月14日
街中ではイヤホン必須。
聴覚過敏は厄介です。
ライフポイントが光の速さで減っていきます。
「音が全部入ってくる。」で触れた通り、
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/daily/201812/02/
僕の脳はカクテルパーティ効果を持ち合わせておらず、
全部同じボリュームで音が入ってきます。
だから街中の雑踏が苦手なのはもちろん、
満員に近い地下鉄に10分乗ったくらいでも、
降車する頃にはぐったり…。
仮眠したい。もしくは静かな部屋で休ませて…。
だもんで、ウォークマンとイヤホンは必須です。
巷で悪者扱いされてる「歩き爆音」はしてません。
地下鉄車内ではできるだけ音量を下げます。
視覚過敏の対策で目も閉じて、
情報をできるだけシャットアウトします。
スリには気をつけてます。
今は街中に毎日出てるわけじゃないけど、
いつも目的地に着くまでにライフポイントが無くなるので、
これはそろそろ真剣に対策を考えなきゃなぁと思ってます。
いつも音楽を聴いてるわけにはいかないので、
考えてるのはノイズキャンセリングイヤホン。
高いものは数万円すると聞いたことがあるので、
実際の価格をちょっと調べてみたところ、
やっぱり一万円以上はするものなんですね。
今後どこかで働くとなった時に、
コードが付いてると持ち込みNGも考えられるので、
ワイヤレスも探してみましたが、
けっこういい値段しますね。
気軽に「いますぐ購入」は躊躇する額です。
とはいえ、世知辛いこの世、
桃太郎電鉄のように
目的地に着くことが目標ではありません。
ファイナルファンタジー、ドラクエよろしく
着いてからが戦いなわけで。
着くまでにライフポイントが削られてる僕はいわば
魔王の城の入口で力尽きてるようなもの。
身を守る防具を充実させることは
いずれ必要になってきます。
長い冒険に耐えるには鎧を着て、盾を持って、
装飾品で魔力を上げたりして、まずは倒れにくくする。
ノイズキャンセリングイヤホンを調達するには
だいぶ少しだけゴールド(日本円)が足りないので
現実的なのは耳栓でしょうかね。
・年明けに逝去したノートPC(商売道具)
・身を守る必須アイテムのイヤホン
何かとゴールド(日本円)のかかる時期に、
なかなかゴールドのかかる調達品が増えるとは
やりくりして乗り越えてみろ、ということですね。
ライフポイントが光の速さで減っていきます。
「音が全部入ってくる。」で触れた通り、
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/daily/201812/02/
僕の脳はカクテルパーティ効果を持ち合わせておらず、
全部同じボリュームで音が入ってきます。
だから街中の雑踏が苦手なのはもちろん、
満員に近い地下鉄に10分乗ったくらいでも、
降車する頃にはぐったり…。
仮眠したい。もしくは静かな部屋で休ませて…。
だもんで、ウォークマンとイヤホンは必須です。
巷で悪者扱いされてる「歩き爆音」はしてません。
地下鉄車内ではできるだけ音量を下げます。
視覚過敏の対策で目も閉じて、
情報をできるだけシャットアウトします。
スリには気をつけてます。
今は街中に毎日出てるわけじゃないけど、
いつも目的地に着くまでにライフポイントが無くなるので、
これはそろそろ真剣に対策を考えなきゃなぁと思ってます。
いつも音楽を聴いてるわけにはいかないので、
考えてるのはノイズキャンセリングイヤホン。
高いものは数万円すると聞いたことがあるので、
実際の価格をちょっと調べてみたところ、
やっぱり一万円以上はするものなんですね。
今後どこかで働くとなった時に、
コードが付いてると持ち込みNGも考えられるので、
ワイヤレスも探してみましたが、
けっこういい値段しますね。
気軽に「いますぐ購入」は躊躇する額です。
とはいえ、世知辛いこの世、
桃太郎電鉄のように
目的地に着くことが目標ではありません。
ファイナルファンタジー、ドラクエよろしく
着いてからが戦いなわけで。
着くまでにライフポイントが削られてる僕はいわば
魔王の城の入口で力尽きてるようなもの。
身を守る防具を充実させることは
いずれ必要になってきます。
長い冒険に耐えるには鎧を着て、盾を持って、
装飾品で魔力を上げたりして、まずは倒れにくくする。
ノイズキャンセリングイヤホンを調達するには
現実的なのは耳栓でしょうかね。
・年明けに逝去したノートPC(商売道具)
・身を守る必須アイテムのイヤホン
何かとゴールド(日本円)のかかる時期に、
なかなかゴールドのかかる調達品が増えるとは
やりくりして乗り越えてみろ、ということですね。
2019年01月10日
他にご質問ありますか。
(電話などの結びに)
「他にご質問はありますか?」
「あ、う、えっと…あり、ありません。」
(本当はあるけど、頭に浮かんだ言葉が口から出て来なくて後悔)
ってなりません?
ーーーーーーーーーー
さて、いきなりの出だしですが、
電話などでよく言われる、この結びの言葉が苦手です。
何についての質問なのか、暗黙的に絞ったり、
全体と通しての一般的な疑問点を出したりすることを
恐らく期待されて言われるんだと思います。
もう電話が終わるけど、ここでこの一言を入れた方が印象が良い
もしくは軽い一言二言くらいの質問くらい来るかも知れない、
というような、もっと気軽な感じと推測してます。
僕の特性上なのか、深く考え過ぎる特性上なのか、
電話や窓口対応の結びに、質問の有無を聞かれると
以下の走馬灯が回り始めます。↓
ーーーーー走馬灯ここからーーーーー
質問、質問…あり、あります。幾つも。
何日の何時から何時の間に
担当の方からお電話をいただけるとのことでしたが、
・担当の方とは何の担当でしょう
・担当の方とは男女どちらでしょう
・お電話いただける電話番号は何番でしょう
・出れなければ折り返して問題ありませんか
・etc
せっかく聞いてくれたから、がっつり質問したい、
ただ相手はもう終了ムードだから長々と聞くのもアレだ。
いやしかし、不明点を残して分かったフリもまずいから
なるべく相手の負担にならないよう手短に質問して終わろう。
よし、頭の中では質問の文章が組み上がったから、
あとは口周辺の筋肉に伝えて言葉に直すだけ。
……?
言葉が出て来ない。
まるで川を塞き止める河口堰の如く。
まずい、そうこうしてる内に
電話口の向こうから怪訝そうな雰囲気が。
一言でもいいから不明点を解消して終わりたいのに
どうして言葉が出て来ないんだろう。
「あり、ありません…。」(後で後悔と1人反省会)
ーーーーー走馬灯終わりーーーーー
クロージングトーク、定型文、社交辞令、
雑談、今度よかったら、機会があれば、考えておきます、
僕にとってこれらの言葉は、上の走馬灯を経て
ようやく定型文その他と判別できる一大事業です。
みなさん一体どうやって乗り切ってるんでしょう。
というか、広い意味で取れるようなことを言われた時、
僕みたいに膨大な量の疑問点が自動的に浮かんでるんでしょうか。
だとしたらどうやって素早く処理して、
制限時間内に的確な一言で返してるんでしょうか。
会社で働いてたり、役所やお店に行ったりすると、
ざっくりと質問を求められる機会が無数にあるじゃないですか。
「ご質問ありますか?」の一言と出くわした後に残るのは
僕の場合、フル回転してぐったりした頭、冷や汗をかいた背中と
霞んだ虚ろな眼の3つです。
電話口では一大事業を軽やかに終わらせ
着替えることもなく次の行動に移る強靭な精神と肉体。
慣れもあるんでしょうが、周りの人を見ていて
僕がいつも驚くのはそこです。
これだけ頭をフル回転させた後、
どこかに腰掛けて仮眠しなくても動けるなんて、
なんてタフなんだろうと。
うらやましい気持ち、
言葉が出ない自分の無力感、そして、
だから障害者手帳を持ってるんだという再認識。
悔しいです、わかっていてできないことが。
対策らしい対策と言えば、僕の脳内にストックした
対応テンプレートを引き出して、ある程度は
型通りに受け答えすることです。
頭の中の引き出し、タンスということで
「脳内Tan-su」と呼んでます。
→「言葉への変換が。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
あとは、対策とは少し違いますが
最近では「ありません」と答えるようにしています。
パターン化された想定内のことから外れるのが苦手、
この特性以外に、「同時進行が苦手」という特性も
関係してるんじゃないかと思うんです。
だから、必死に話を聞きながら、かつ質問を考えるのは
僕にはきっと難しいんじゃないかと思います。
だから、下手にその場をしらけさせるよりは
きっぱり「ありません」と言い切る、
もしくは「質問あれば改めて」作戦が
今のところ有効と実感しています。
慣れや訓練でなんとかなるかは不明ですが、
結びに質問を求められるトークは
今後も無数に遭遇することなので、
いちいちぐったりしてたらもたないですね。
きっぱりした対策に見えるかも知れませんが、
とにかく臨機応変ということが苦手な僕なりに、
今はこの2つが気持ち的に一番楽な方法です。
「他にご質問はありますか?」
「あ、う、えっと…あり、ありません。」
(本当はあるけど、頭に浮かんだ言葉が口から出て来なくて後悔)
ってなりません?
ーーーーーーーーーー
さて、いきなりの出だしですが、
電話などでよく言われる、この結びの言葉が苦手です。
何についての質問なのか、暗黙的に絞ったり、
全体と通しての一般的な疑問点を出したりすることを
恐らく期待されて言われるんだと思います。
もう電話が終わるけど、ここでこの一言を入れた方が印象が良い
もしくは軽い一言二言くらいの質問くらい来るかも知れない、
というような、もっと気軽な感じと推測してます。
僕の特性上なのか、深く考え過ぎる特性上なのか、
電話や窓口対応の結びに、質問の有無を聞かれると
以下の走馬灯が回り始めます。↓
ーーーーー走馬灯ここからーーーーー
質問、質問…あり、あります。幾つも。
何日の何時から何時の間に
担当の方からお電話をいただけるとのことでしたが、
・担当の方とは何の担当でしょう
・担当の方とは男女どちらでしょう
・お電話いただける電話番号は何番でしょう
・出れなければ折り返して問題ありませんか
・etc
せっかく聞いてくれたから、がっつり質問したい、
ただ相手はもう終了ムードだから長々と聞くのもアレだ。
いやしかし、不明点を残して分かったフリもまずいから
なるべく相手の負担にならないよう手短に質問して終わろう。
よし、頭の中では質問の文章が組み上がったから、
あとは口周辺の筋肉に伝えて言葉に直すだけ。
……?
言葉が出て来ない。
まるで川を塞き止める河口堰の如く。
まずい、そうこうしてる内に
電話口の向こうから怪訝そうな雰囲気が。
一言でもいいから不明点を解消して終わりたいのに
どうして言葉が出て来ないんだろう。
「あり、ありません…。」(後で後悔と1人反省会)
ーーーーー走馬灯終わりーーーーー
クロージングトーク、定型文、社交辞令、
雑談、今度よかったら、機会があれば、考えておきます、
僕にとってこれらの言葉は、上の走馬灯を経て
ようやく定型文その他と判別できる一大事業です。
みなさん一体どうやって乗り切ってるんでしょう。
というか、広い意味で取れるようなことを言われた時、
僕みたいに膨大な量の疑問点が自動的に浮かんでるんでしょうか。
だとしたらどうやって素早く処理して、
制限時間内に的確な一言で返してるんでしょうか。
会社で働いてたり、役所やお店に行ったりすると、
ざっくりと質問を求められる機会が無数にあるじゃないですか。
「ご質問ありますか?」の一言と出くわした後に残るのは
僕の場合、フル回転してぐったりした頭、冷や汗をかいた背中と
霞んだ虚ろな眼の3つです。
”会話がうまく成立しないのは「言葉のウラが読めない」から”
社会人になると、
会議で誰に向かって言ったか判然としない指示や
その場の雰囲気で、なんとなく今後の仕事の方向性が決まり、
出席者の間で暗黙の了解になることがよくありますが、
そこでアスペルガーの人はひとり取り残されてしまうのです。
『大人のアスペルガー症候群』 第一章 より
電話口では一大事業を軽やかに終わらせ
着替えることもなく次の行動に移る強靭な精神と肉体。
慣れもあるんでしょうが、周りの人を見ていて
僕がいつも驚くのはそこです。
これだけ頭をフル回転させた後、
どこかに腰掛けて仮眠しなくても動けるなんて、
なんてタフなんだろうと。
うらやましい気持ち、
言葉が出ない自分の無力感、そして、
だから障害者手帳を持ってるんだという再認識。
悔しいです、わかっていてできないことが。
対策らしい対策と言えば、僕の脳内にストックした
対応テンプレートを引き出して、ある程度は
型通りに受け答えすることです。
頭の中の引き出し、タンスということで
「脳内Tan-su」と呼んでます。
→「言葉への変換が。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
あとは、対策とは少し違いますが
最近では「ありません」と答えるようにしています。
パターン化された想定内のことから外れるのが苦手、
この特性以外に、「同時進行が苦手」という特性も
関係してるんじゃないかと思うんです。
だから、必死に話を聞きながら、かつ質問を考えるのは
僕にはきっと難しいんじゃないかと思います。
だから、下手にその場をしらけさせるよりは
きっぱり「ありません」と言い切る、
もしくは「質問あれば改めて」作戦が
今のところ有効と実感しています。
”電話対応がうまくいかない”
・2つのことを同時に進められない
電話の話を聞きながらメモを取るという、
2つの行動を同時にするのが難しい人もいます。
・想定外のことに対応できない
急に想定外のことを言われたときに、
対応するのが苦手という人もいます。
・こうすればうまくいく
対応フォーマットを決める
いったん電話を切って周囲に相談
混乱してきたらクールダウン
『もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?』 第三章 より
慣れや訓練でなんとかなるかは不明ですが、
結びに質問を求められるトークは
今後も無数に遭遇することなので、
いちいちぐったりしてたらもたないですね。
きっぱりした対策に見えるかも知れませんが、
とにかく臨機応変ということが苦手な僕なりに、
今はこの2つが気持ち的に一番楽な方法です。