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2019年09月22日
家にTVがない理由。
僕の家にはTVがない。
こう言うとなぜか大抵の人は驚くけど、
買えないわけではなくて、
何となく欲しいと思ったり、
必要だと思ったりしない。
点けていれば情報が受動的に入る感覚が
苦手というのはある。
観たい番組が特になくても、
知りたいわけじゃなくても、
TVを点けていると何かしら入って来る。
僕は気になったことは自分で調べたり、
自分から取りに行きたいので、
欲しくない情報まで否応なしに入る感覚が
苦手なのかも知れない。
あとは、深読みかも知れないけど
スポンサーの意向で操作された情報という、
ちょっとひねくれた受け止め方をしてしまう。
一旦そう思い始めると、ニュースでさえも
「裏で政治と金と電通と…」と延々考え始め、
素直に楽しむことが難しくなる。
情報なんて何が正しいのかわからないけど、
何となく、情報操作に巻き込まれることに
抵抗があるんだろうか。
子どもの頃はTVゲームで遊んだし、
「世界の謎に迫る」ような番組を
楽しみにしていた時期があったので、
きっと大嫌いではないんだろう。
総じて受け身に抵抗があるのかな。
もう一つあった。
待機電源の低周音というか、音にならない音が
聞こえてくるし、透明な電波が見えるのが気になる。
電源ランプが点いていても画面は真っ暗な時、
TVから「キーン」という音が見えてくる。
実際の音として耳で聞こえたり、
電波が色づいて見えるわけではないので、
周りに「TVが点いている」と言っても、
「画面真っ暗だ、消えてるじゃん」
と返されることが多かった。
TVの電源だけ入ってる「キーン」という音が
聞こえるかと尋ねても「聞こえない」と返され、
自分だけが聞こえるのかと戸惑ったことがある。
※生き物に限らず、色づくものから
声ならぬ声が「見える」という感覚を書いたことがあるが、
これを知人に話した時も不思議そうな顔をされた。
→「雪の音が見える。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/15/0
これはどうやら発達障害の特性の一つである
聴覚の過敏さから来ているらしい。
僕と同じように待機電源の音が気になる方の
手記があったので、一節ご紹介する。
同じように感じている人がいて、少し安心した。
TVを持たない、受動的に情報を得たくないという
独特のこだわりである可能性もある。
けど今のところ困ってないし、
どうやら電気代がかなり節約できてるみたいなので、
今後も我が家にTVが来る可能性は、低い。
静かな方が好き。
こう言うとなぜか大抵の人は驚くけど、
買えないわけではなくて、
何となく欲しいと思ったり、
必要だと思ったりしない。
点けていれば情報が受動的に入る感覚が
苦手というのはある。
観たい番組が特になくても、
知りたいわけじゃなくても、
TVを点けていると何かしら入って来る。
僕は気になったことは自分で調べたり、
自分から取りに行きたいので、
欲しくない情報まで否応なしに入る感覚が
苦手なのかも知れない。
あとは、深読みかも知れないけど
スポンサーの意向で操作された情報という、
ちょっとひねくれた受け止め方をしてしまう。
一旦そう思い始めると、ニュースでさえも
「裏で政治と金と電通と…」と延々考え始め、
素直に楽しむことが難しくなる。
情報なんて何が正しいのかわからないけど、
何となく、情報操作に巻き込まれることに
抵抗があるんだろうか。
子どもの頃はTVゲームで遊んだし、
「世界の謎に迫る」ような番組を
楽しみにしていた時期があったので、
きっと大嫌いではないんだろう。
総じて受け身に抵抗があるのかな。
もう一つあった。
待機電源の低周音というか、音にならない音が
聞こえてくるし、透明な電波が見えるのが気になる。
電源ランプが点いていても画面は真っ暗な時、
TVから「キーン」という音が見えてくる。
実際の音として耳で聞こえたり、
電波が色づいて見えるわけではないので、
周りに「TVが点いている」と言っても、
「画面真っ暗だ、消えてるじゃん」
と返されることが多かった。
TVの電源だけ入ってる「キーン」という音が
聞こえるかと尋ねても「聞こえない」と返され、
自分だけが聞こえるのかと戸惑ったことがある。
※生き物に限らず、色づくものから
声ならぬ声が「見える」という感覚を書いたことがあるが、
これを知人に話した時も不思議そうな顔をされた。
→「雪の音が見える。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/15/0
これはどうやら発達障害の特性の一つである
聴覚の過敏さから来ているらしい。
僕と同じように待機電源の音が気になる方の
手記があったので、一節ご紹介する。
同じように感じている人がいて、少し安心した。
”聴覚の過敏さ”
家電製品の待機電源の低周音が気になることがあります。
また、家族の見るテレビの音量が
大き過ぎると感じることがよくあります。
雑踏の雑音が気になって、
そういう場所では人と会話できません。
『大人のアスペルガー症候群』”当事者とその家族の手記” より
TVを持たない、受動的に情報を得たくないという
独特のこだわりである可能性もある。
けど今のところ困ってないし、
どうやら電気代がかなり節約できてるみたいなので、
今後も我が家にTVが来る可能性は、低い。
静かな方が好き。
2019年09月15日
元に戻さないと忘れ物になる。
バス停でバスを待つ。
財布の中の決まった場所にしまってある
ICカード乗車券(以下ICカード)を取り出す。
バスを降りる。
ICカードを使い、
財布の中の決まった場所にしまう。
これなら安全、何も起きないのに
財布の中の決まった場所ではなく、
漠然とした隙間に落とし込む、
と
帰りにどうなるか。
【回答】
ICカードを落としたと焦る。
バス停からの道のりをくまなく辿り、
道端に落ちていないか必死で探す。
落ちてなくてなお焦る。
交番へ、ワラを掴みに行こうか悩む。
勇気が出ないままカバンをひっくり返す、
実は落としてなかった可能性にすべてを賭ける。
見つからなくて更に焦る。
最後の可能性に賭けて財布をひっくり返す。
予想もしなかった場所に挟まっていて
その場で「よかった…。」とため息をつく。
…心臓に悪いから気をつけよう…。
僕はADHDと診断されたことはないけど、
(広汎性発達障害”PDD-NOS”)
おそらく不注意の傾向は強く、非常に忘れ物が多い。
財布を忘れたことは一度だけで、
この時は幸運にも拾われて戻ってきたが、
バスケに行くのに
タオルか飲み物はしょっちゅう忘れるし、
学生時代には教科書や参考書を
二日に一回くらい忘れていた。
大学生の時に一度、
ATMでお金を引き出したのにカードだけ回収し、
お金を取り忘れて実家に連絡が行ったことがある。
今回バスを降りた時になぜICカードを
決まった場所にしまわなかったのかというと、
たぶん外で何かの音がしたなどで
そちらに気を取られたんだと思う。
「ICカードを財布にしまう」という動作を
集中して最後までやり切ればいいものを、
新しく発生した刺激にすぐ反応してしまい、
注意が散漫になってしまったんだろう。
これまで定期入れを使用して来なかったけど、
毎回財布から出し入れするとこういう危ないことが起きる、
というか起こす自信があるので、
財布とは別で定期入れを入手しようと画策している。
定期入れを使い出したら、最初は
「いつもの場所じゃない」から戸惑ったり、
そもそも定期入れを家に忘れる恐れもある。
けど、落としたかもと大騒ぎするよりましなので、
そのあたりはアジャストしていきたい。
財布の中の決まった場所にしまってある
ICカード乗車券(以下ICカード)を取り出す。
バスを降りる。
ICカードを使い、
財布の中の決まった場所にしまう。
これなら安全、何も起きないのに
財布の中の決まった場所ではなく、
漠然とした隙間に落とし込む、
と
帰りにどうなるか。
【回答】
ICカードを落としたと焦る。
バス停からの道のりをくまなく辿り、
道端に落ちていないか必死で探す。
落ちてなくてなお焦る。
交番へ、ワラを掴みに行こうか悩む。
勇気が出ないままカバンをひっくり返す、
実は落としてなかった可能性にすべてを賭ける。
見つからなくて更に焦る。
最後の可能性に賭けて財布をひっくり返す。
予想もしなかった場所に挟まっていて
その場で「よかった…。」とため息をつく。
…心臓に悪いから気をつけよう…。
CASE 7 ”物を忘れる、なくす”
とくにADHDのある人で不注意の特性が強い場合は、
本人も忘れっぽいことを自覚しているのですが、
それでも忘れ物が多く、財布や書類など重要な物も
ふとどこかに置き忘れて信用を落としてしまうこともあります。
『もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?』第三章 より
僕はADHDと診断されたことはないけど、
(広汎性発達障害”PDD-NOS”)
おそらく不注意の傾向は強く、非常に忘れ物が多い。
財布を忘れたことは一度だけで、
この時は幸運にも拾われて戻ってきたが、
バスケに行くのに
タオルか飲み物はしょっちゅう忘れるし、
学生時代には教科書や参考書を
二日に一回くらい忘れていた。
大学生の時に一度、
ATMでお金を引き出したのにカードだけ回収し、
お金を取り忘れて実家に連絡が行ったことがある。
今回バスを降りた時になぜICカードを
決まった場所にしまわなかったのかというと、
たぶん外で何かの音がしたなどで
そちらに気を取られたんだと思う。
「ICカードを財布にしまう」という動作を
集中して最後までやり切ればいいものを、
新しく発生した刺激にすぐ反応してしまい、
注意が散漫になってしまったんだろう。
CASE 5 ”仕事に集中できない”
音や目に入るものなどの刺激に対して非常に敏感で、
ちょっとしたことでもすぐに反応してしまい、
気が散って作業が滞ることがあります。
また、集中の糸が切れて、
せっかくひらめいたアイディアなどを
忘れてしまうといったことも起こります。
『もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?』第三章 より
これまで定期入れを使用して来なかったけど、
毎回財布から出し入れするとこういう危ないことが起きる、
というか起こす自信があるので、
財布とは別で定期入れを入手しようと画策している。
定期入れを使い出したら、最初は
「いつもの場所じゃない」から戸惑ったり、
そもそも定期入れを家に忘れる恐れもある。
けど、落としたかもと大騒ぎするよりましなので、
そのあたりはアジャストしていきたい。
2019年09月02日
目を合わせるのが怖い。
僕は人とほとんど目を合わせることができない。
これは確か、僕が大学生くらいの頃から
誰ともなく指摘されてきた。
それでは対人関係でいろいろ困るからと、
人の眉間や鼻筋を見なさいというようなことを
いろいろ教わって、何とかその方法を実行している。
「広汎性発達障害」でお医者さんが書いた診断書にも
「目を合わせることはできない」と記載されていたから、
何かしらの関連性はあるのかも知れない。
バスケをプレーしている時、
僕自身は周りを見渡しているつもりでも、
「うつむき気味だから、もっと顔と目線を上げてみたら?」
と指摘されることがある。
言われてみると確かに、
人の顔の目から上を見るのが怖いので、
きょろきょろしながらも周りと目を逸らしていた。
相手の目を見ることができれば、
視線のフェイクや次のプレーの読みに役立つので、
指摘されて以来、なんとか克服しようと
プレー中はなるべく相手の目線を見るようにしている。
人と目が合ってしまった時、僕が一番に感じるのは
「怖い」という感情。
怖いの内容として一番大きいのは
「何か悪いことしたかな…?」という罪悪感。
人の視線が多数集まるような場所は特に苦手で、
そういう場所では顔や視線を上げられず、
「自分はどこか変なのかな…?」という思いと、
自分を笑っているかも知れない視線が刺さる。
目が合ったことによって、絡まれたり
何か不利益になった経験はないけど、
例えば駅の構内を歩いていて
ふと目が合ってしまうと急いで逸らす。
そして条件反射のように、心の中から自動的に
「目が合ってしまってすみませんでした」
という謝罪の言葉が出ている。(口には出さない)
人と目を合わせる、目が合うことに対して
ここまで卑屈なのはどうしてだろう。
遡っていって、1つは短かった幼稚園時代。
当時、幼稚園児の時点で眼鏡をかけるのは珍しく、
園児の中で僕一人だけが眼鏡っ子だった。
珍しいので当然、眼鏡に注目が集まり、
僕には「メガネザル」というあだ名が付けられた。
とても嫌だったが、当時は眼鏡を外すと
ほとんど何も見えなかったので外すことができず。
園児の中で唯一眼鏡をかけている僕に視線が集まり、
嬉しくないあだ名で呼ばれることにストレスを感じた。
もう1つ思い浮かぶのは中高バスケ部時代。
僕は今でもそうだが、無駄に代謝がよく、
ものすごい量の汗をかく。
1回の練習で5〜6枚のシャツを使い、
時には汗ジミが見えることもある。
中高バスケ部の面々はそれを見逃さず、
部室の壁に「汗ジミのあるウェアは認めない」
という部の規則のような文章を書いて
僕のことをいじめてきた。
このいじめを受けて以来、
僕は白いウェアを部活で着れなくなり、
中高6年間は濃紺や黒のウェアのみで
過ごすことを余儀なくされた。
自分が身に着けているものが奇異に見られ、
不名誉なあだ名を付けられる。
自分が着ているウェアを不潔がられ、
部室の壁に書かれるくらいのいじめを受ける。
人からの目を恐れ、人と目を合わせられない
直接の原因はこの2つの苦い経験かも知れない。
今、僕の周りには目が合ったことで
何かを言ってくる人はいないし、
目を合わせられないほど怖い人もいない。
面談などで相手と向き合う時は
できる限り相手の目か、眉間、鼻筋を見ようと
努めている自分がいる。
人からのマイナスな気持ちの目線に晒された過去があって、
僕は人からの視線を恐れているのは確か。
大丈夫、もう誰も自分のことを攻撃してこない。
そう自分に言い聞かせながら、
今日も相手の目を見て話す訓練をしている。
これは確か、僕が大学生くらいの頃から
誰ともなく指摘されてきた。
それでは対人関係でいろいろ困るからと、
人の眉間や鼻筋を見なさいというようなことを
いろいろ教わって、何とかその方法を実行している。
「広汎性発達障害」でお医者さんが書いた診断書にも
「目を合わせることはできない」と記載されていたから、
何かしらの関連性はあるのかも知れない。
バスケをプレーしている時、
僕自身は周りを見渡しているつもりでも、
「うつむき気味だから、もっと顔と目線を上げてみたら?」
と指摘されることがある。
言われてみると確かに、
人の顔の目から上を見るのが怖いので、
きょろきょろしながらも周りと目を逸らしていた。
相手の目を見ることができれば、
視線のフェイクや次のプレーの読みに役立つので、
指摘されて以来、なんとか克服しようと
プレー中はなるべく相手の目線を見るようにしている。
人と目が合ってしまった時、僕が一番に感じるのは
「怖い」という感情。
怖いの内容として一番大きいのは
「何か悪いことしたかな…?」という罪悪感。
人の視線が多数集まるような場所は特に苦手で、
そういう場所では顔や視線を上げられず、
「自分はどこか変なのかな…?」という思いと、
自分を笑っているかも知れない視線が刺さる。
目が合ったことによって、絡まれたり
何か不利益になった経験はないけど、
例えば駅の構内を歩いていて
ふと目が合ってしまうと急いで逸らす。
そして条件反射のように、心の中から自動的に
「目が合ってしまってすみませんでした」
という謝罪の言葉が出ている。(口には出さない)
人と目を合わせる、目が合うことに対して
ここまで卑屈なのはどうしてだろう。
遡っていって、1つは短かった幼稚園時代。
当時、幼稚園児の時点で眼鏡をかけるのは珍しく、
園児の中で僕一人だけが眼鏡っ子だった。
珍しいので当然、眼鏡に注目が集まり、
僕には「メガネザル」というあだ名が付けられた。
とても嫌だったが、当時は眼鏡を外すと
ほとんど何も見えなかったので外すことができず。
園児の中で唯一眼鏡をかけている僕に視線が集まり、
嬉しくないあだ名で呼ばれることにストレスを感じた。
もう1つ思い浮かぶのは中高バスケ部時代。
僕は今でもそうだが、無駄に代謝がよく、
ものすごい量の汗をかく。
1回の練習で5〜6枚のシャツを使い、
時には汗ジミが見えることもある。
中高バスケ部の面々はそれを見逃さず、
部室の壁に「汗ジミのあるウェアは認めない」
という部の規則のような文章を書いて
僕のことをいじめてきた。
このいじめを受けて以来、
僕は白いウェアを部活で着れなくなり、
中高6年間は濃紺や黒のウェアのみで
過ごすことを余儀なくされた。
自分が身に着けているものが奇異に見られ、
不名誉なあだ名を付けられる。
自分が着ているウェアを不潔がられ、
部室の壁に書かれるくらいのいじめを受ける。
人からの目を恐れ、人と目を合わせられない
直接の原因はこの2つの苦い経験かも知れない。
今、僕の周りには目が合ったことで
何かを言ってくる人はいないし、
目を合わせられないほど怖い人もいない。
面談などで相手と向き合う時は
できる限り相手の目か、眉間、鼻筋を見ようと
努めている自分がいる。
人からのマイナスな気持ちの目線に晒された過去があって、
僕は人からの視線を恐れているのは確か。
大丈夫、もう誰も自分のことを攻撃してこない。
そう自分に言い聞かせながら、
今日も相手の目を見て話す訓練をしている。
2019年08月05日
1000人に1人。
100人に1人が抱えて生まれると言われる
自閉症スペクトラム。
人類の10〜11パーセントと言われる左利き。
僕は自分が左利きであることは
ものすごい”当たりくじ”だと思ってる。
だけど自分が自閉症スペクトラムを抱えて生まれたことは、
未だに「なんで自分が選ばれたんだ」と
”外れくじ”を引いた気持ちが強い。
100人に1人、その中のさらに1割なんだから
1000人に1人の個性を生まれつき授かったんだと
前向きに捉えることができないでいる。
騒がしい場所や大きな音のする場所ですぐに疲れたり、
指示されたことを忠実に遂行したのに「指示と違う」と言われ、
失敗する経験をするたびに、
どうしてみんなが難なくできることができないんだと
自分を責めたり、自分を呪ったりしてしまう。
一体どうすれば、自分の特性は”当たりくじ”と
思えるようになるだろう。
自分は四つ葉のクローバーだと
どうすれば思えるようになるだろう。
答えを見つけられず、もがく自分がいる。
一人暮らしでフリーターをしていた頃は、
自分の特性を把握できていなかったこともあり、
とにかくがむしゃらにアルバイトをしていた。
アルバイトや就職以外に稼ぐ道を知らなかったので、
とにかく誰にも頼らずに生活してやると、
転々としながらも次々面接を受けていた。
やっていた仕事の中身のほとんどは、
最も苦手とする接客と電話だった。
そんな苦手の渦から、今は脱出した。
自分の得意なこと、四つ葉のクローバーになれる場所を
見つけるために、模索する毎日を送っている。
自分は”外れくじ””どうして自分が”という思いは
変わらないままに。
今後もし、自分だけが唯一できることを見つけて
何かに成功したとしても、
つまづくたびに「自分はどうせ”外れくじ”」と
自責する気持ちは蘇ってしまうんだろう。
先天性の発達の偏りが消えないように。
だけど、そんな後ろ向きな気持ちが
残ったままでもいいから、
「自分は1000人に1人の四つ葉のクローバー」
と思える瞬間を少しずつ増やしていければいい。
”外れくじ”と思っている自分さえも
受け入れられる日がくればいい。
自閉症スペクトラム。
人類の10〜11パーセントと言われる左利き。
僕は自分が左利きであることは
ものすごい”当たりくじ”だと思ってる。
だけど自分が自閉症スペクトラムを抱えて生まれたことは、
未だに「なんで自分が選ばれたんだ」と
”外れくじ”を引いた気持ちが強い。
100人に1人、その中のさらに1割なんだから
1000人に1人の個性を生まれつき授かったんだと
前向きに捉えることができないでいる。
騒がしい場所や大きな音のする場所ですぐに疲れたり、
指示されたことを忠実に遂行したのに「指示と違う」と言われ、
失敗する経験をするたびに、
どうしてみんなが難なくできることができないんだと
自分を責めたり、自分を呪ったりしてしまう。
100人の当たりくじの一員がわたしだと思った。
いもうとが、いってた。
しょうがいの人は「よつばのクローバー」って!!
『アスペルガーの心(1)』 より
一体どうすれば、自分の特性は”当たりくじ”と
思えるようになるだろう。
自分は四つ葉のクローバーだと
どうすれば思えるようになるだろう。
答えを見つけられず、もがく自分がいる。
一人暮らしでフリーターをしていた頃は、
自分の特性を把握できていなかったこともあり、
とにかくがむしゃらにアルバイトをしていた。
アルバイトや就職以外に稼ぐ道を知らなかったので、
とにかく誰にも頼らずに生活してやると、
転々としながらも次々面接を受けていた。
やっていた仕事の中身のほとんどは、
最も苦手とする接客と電話だった。
そんな苦手の渦から、今は脱出した。
自分の得意なこと、四つ葉のクローバーになれる場所を
見つけるために、模索する毎日を送っている。
自分は”外れくじ””どうして自分が”という思いは
変わらないままに。
今後もし、自分だけが唯一できることを見つけて
何かに成功したとしても、
つまづくたびに「自分はどうせ”外れくじ”」と
自責する気持ちは蘇ってしまうんだろう。
先天性の発達の偏りが消えないように。
だけど、そんな後ろ向きな気持ちが
残ったままでもいいから、
「自分は1000人に1人の四つ葉のクローバー」
と思える瞬間を少しずつ増やしていければいい。
”外れくじ”と思っている自分さえも
受け入れられる日がくればいい。
2019年08月03日
犠牲にした力、代償で得た力。
僕の耳と脳には聴覚過敏の傾向があるらしく、
騒がしい場所や大きな音のする場所が苦手。
特に、突然の大きな音、
何かが壊れるような、引き裂くような音がすると、
びっくりし過ぎての冷や汗と、背中のすくみが起きる。
だから、音楽活動をしている身でありながら
エレキギターの引き裂くようなストローク音が
とても苦手でライブハウス内に長居できなかった。
→「ライブハウスが苦手。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/103/0
通っている就労移行支援事業所での作業の中に
お菓子の箱詰めと梱包がある。
梱包作業用のテープを引き出す時、
「ビー!!」という引き裂くような音がこだまする。
よくある光景と音、かも知れないが
この音は僕にとってものすごく苦手で、
いつまでも耳に残っては再生されてしまう。
この特性は治らないのかなぁ…生まれつきか…と
少し憂鬱になったことがある。
→「後天性という、淡い期待。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/212/0
昨日から今日にかけてこの作業で、
ずっと苦手な音を聴き続けたことで調子を崩し
今日は早退してしまった。
この音が苦手と前回スタッフさんに伝えていたことで、
幸い今回も静かな環境で別の作業をもらうことができた。
そのことはとても感謝しているが、一方で自分のために
他のメンバーさんの席移動など環境作りをさせたことに
罪悪感を感じている自分もいた。
発達障害のあるメンバーさんは他にもいると思われるが、
同じようにテープの音が苦手で別室へ移動したメンバーさんは
今回もいなかったので、
なおさら「自分のせいで手間をかけさせた」
という気持ちが強かった。
箱詰めと梱包という、一見ありふれた作業が難しい自分。
物理的にできないわけではないけど、
音がネックになって作業現場に居ることが難しい自分。
比べても仕方ないとわかっていても、
どうして普通の人ができることができないんだろうと
もどかしい気持ちになった。
だけど、僕は大きな音への耐性を
犠牲にして生まれた代わりに、
気になった物事をどこまでも深く掘り下げる探求心と、
ゾーンに入ったら止まらない集中力を持っている。
「視点が独特」とよく言われるような、
突飛なくらい独特な発想力を持っている(らしい)。
あとは、音楽活動やモデル、ヒーローショーのアクターなど
誰でも挑戦するわけではないことにためらいなく挑戦する好奇心。
生まれた時に払った代償と、その代わりに得た力。
だったらいいなぁ。
僕が現在服用している視覚過敏の薬と違い、
先生曰く聴覚過敏の薬はまだないらしい。
薬に頼りたくはないけど、薬云々の前に
僕がやっていく必要のあることは
普通の人ができることでつまづく自分を認めること。
比べてしまうのが人間の性、とはいえ、
僕は大きな音の少ない環境で活躍するための力を
生まれた時に獲得しているじゃないかと。
苦手な土俵には無理に上がらず、
自分の手持ちの武器で有利に戦える場所で勝負する。
その場所を見つけることが、自分への敬意。
騒がしい場所や大きな音のする場所が苦手。
特に、突然の大きな音、
何かが壊れるような、引き裂くような音がすると、
びっくりし過ぎての冷や汗と、背中のすくみが起きる。
だから、音楽活動をしている身でありながら
エレキギターの引き裂くようなストローク音が
とても苦手でライブハウス内に長居できなかった。
→「ライブハウスが苦手。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/103/0
通っている就労移行支援事業所での作業の中に
お菓子の箱詰めと梱包がある。
梱包作業用のテープを引き出す時、
「ビー!!」という引き裂くような音がこだまする。
よくある光景と音、かも知れないが
この音は僕にとってものすごく苦手で、
いつまでも耳に残っては再生されてしまう。
この特性は治らないのかなぁ…生まれつきか…と
少し憂鬱になったことがある。
→「後天性という、淡い期待。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/212/0
昨日から今日にかけてこの作業で、
ずっと苦手な音を聴き続けたことで調子を崩し
今日は早退してしまった。
この音が苦手と前回スタッフさんに伝えていたことで、
幸い今回も静かな環境で別の作業をもらうことができた。
そのことはとても感謝しているが、一方で自分のために
他のメンバーさんの席移動など環境作りをさせたことに
罪悪感を感じている自分もいた。
発達障害のあるメンバーさんは他にもいると思われるが、
同じようにテープの音が苦手で別室へ移動したメンバーさんは
今回もいなかったので、
なおさら「自分のせいで手間をかけさせた」
という気持ちが強かった。
アスペルガーの人は、ふつうの人じゃできないことが、
すらすらできてしまう部分がある。
そのかわり、ふつうの人はすぐにできることなのに、
できないこともある。
『アスペルガーの心(2)』 より
箱詰めと梱包という、一見ありふれた作業が難しい自分。
物理的にできないわけではないけど、
音がネックになって作業現場に居ることが難しい自分。
比べても仕方ないとわかっていても、
どうして普通の人ができることができないんだろうと
もどかしい気持ちになった。
だけど、僕は大きな音への耐性を
犠牲にして生まれた代わりに、
気になった物事をどこまでも深く掘り下げる探求心と、
ゾーンに入ったら止まらない集中力を持っている。
「視点が独特」とよく言われるような、
突飛なくらい独特な発想力を持っている(らしい)。
あとは、音楽活動やモデル、ヒーローショーのアクターなど
誰でも挑戦するわけではないことにためらいなく挑戦する好奇心。
生まれた時に払った代償と、その代わりに得た力。
だったらいいなぁ。
アスペルガーの人は、生まれるまえに
「ふつうの人ができないことができる」ことを魂が望んで、
じぶんの力の一部を犠牲にしているのかもしれない。
『アスペルガーの心(2)』 より
僕が現在服用している視覚過敏の薬と違い、
先生曰く聴覚過敏の薬はまだないらしい。
薬に頼りたくはないけど、薬云々の前に
僕がやっていく必要のあることは
普通の人ができることでつまづく自分を認めること。
比べてしまうのが人間の性、とはいえ、
僕は大きな音の少ない環境で活躍するための力を
生まれた時に獲得しているじゃないかと。
苦手な土俵には無理に上がらず、
自分の手持ちの武器で有利に戦える場所で勝負する。
その場所を見つけることが、自分への敬意。
2019年07月24日
足並みそろえてついていけなくなった時。
最近、就労移行支援事業所での軽作業に
ついていけなくなってきた実感がある。
ついていけなくなったというのは
モチベーションの問題ではなくて、
みんなで一斉にスタートする作業でも
必ず出遅れたり、出来上がりが1人だけ遅かったりと
スピードやタイミングの面でいつも後れを取るということ。
「足並みそろえて」進めるメンバーの後を
いつも必死で追いかけて追いつけないという感覚。
引っ込み思案が原因とはっきりわかっているものもある。
例えば、1つしかない共同のものをみんなで使う時、
僕はどうしても遠慮して最後に使う。
そうすると作業開始も一番遅くなり、
さらに作業スピードそのものも遅いから、
当然、出来上がりも最後。
下手したら他の人が次の作業の説明を受けて
取り掛かっている最中に、ようやく終わって報告する。
人のスピードと比べるものじゃないとわかっていても、
ここ最近は周りと一斉にやる作業についていけなくなり、
自信を失って凹んでの帰宅が続いている。
他の原因は僕の脳の特性からくる問題。
意識としてなるべく時短、効率的にと気をつけても、
手ではできるだけ丁寧に、完璧に近づけようと
1つ1つに労力と時間を割いてしまっている。
これに加えて、最も力を入れるべき作業と、そうでない枝葉の
優先順位の付け方が甘いのも原因と思われる。
思い返せば、僕は過去の一般枠での就労時も
仕事の手順をすべて覚えるまでは作業スピードが極端に遅く、
もしランキングを付けるとしたら最下位に近かったと思う。
大学時代、バイクで郵便配達をしたことがあるが、
コースの全容や各家庭のポストの位置を完全に覚え、
16時の終業までに完遂できたのは3日目から。
最初の2日間は配達コースの3割も進めないまま
16時を迎えて強制帰還となっていた。
夕方から残り7割を配達させてしまった局員さんには
感謝と申し訳なさが今でもある。
一方でPCを使う作業では、
おどおどした振る舞いが別人のように
てきぱき仕事をこなす自分がいる。
大好きなPC作業、しかも興味のあること、
そして何よりみんなと足並みをそろえなくて済み、
1人で黙々と没頭できるからと思われる。
あまりに集中し過ぎて、
気づいたら事業所の終業時間である15時
ということもPC作業の場合はざらにある。
障害のある人が集う作業所で、
持っている特性はそれぞれ違うけど
そういう人たちに混じっても僕は後れを取る。
そしてPC作業になると別人のように生き生きする。
ここまで能力に極端な偏りがあるのだから、どうりで
「何でも平均的にそつなくできる」ことが求められる
一般枠での就労で失敗を重ねるわけだ。
「みんなについていけなくなってきた」と
スタッフさんに悩みを相談したら、
「足並みを無理してそろえる必要はないよ」
と言ってくれた。
急ぎの作業がある場合はもちろんお願いするけど、
それ以外は自分のペースで、リズムよく負担にならず
淡々とできる方法を見つけてもらえればいいよ、
作業が得意で速い人がいて、その人たちがやってくれるし、
理琉くんはPCを使うと生き生きするんだから
そっちで力を発揮すればいいんだよ、と。
僕が今やるべきことは、ペースについていけなくて
凹んで帰宅することじゃない。
これほど得意、不得意の差が大きくて
能力の偏りが大きい自分を認めること。
そして、ペースについていけなくても、
あの場所でおどおどするのを少しずつ減らすことだ。
ついていけなくなってきた実感がある。
ついていけなくなったというのは
モチベーションの問題ではなくて、
みんなで一斉にスタートする作業でも
必ず出遅れたり、出来上がりが1人だけ遅かったりと
スピードやタイミングの面でいつも後れを取るということ。
「足並みそろえて」進めるメンバーの後を
いつも必死で追いかけて追いつけないという感覚。
引っ込み思案が原因とはっきりわかっているものもある。
例えば、1つしかない共同のものをみんなで使う時、
僕はどうしても遠慮して最後に使う。
そうすると作業開始も一番遅くなり、
さらに作業スピードそのものも遅いから、
当然、出来上がりも最後。
下手したら他の人が次の作業の説明を受けて
取り掛かっている最中に、ようやく終わって報告する。
人のスピードと比べるものじゃないとわかっていても、
ここ最近は周りと一斉にやる作業についていけなくなり、
自信を失って凹んでの帰宅が続いている。
他の原因は僕の脳の特性からくる問題。
意識としてなるべく時短、効率的にと気をつけても、
手ではできるだけ丁寧に、完璧に近づけようと
1つ1つに労力と時間を割いてしまっている。
これに加えて、最も力を入れるべき作業と、そうでない枝葉の
優先順位の付け方が甘いのも原因と思われる。
思い返せば、僕は過去の一般枠での就労時も
仕事の手順をすべて覚えるまでは作業スピードが極端に遅く、
もしランキングを付けるとしたら最下位に近かったと思う。
”仕事の段取りが苦手”
・作業の優先順位がつけられない
朝から「これをやろう」と思ったらとにかく終わるまでやり続け、
その日の残りすべての仕事が滞る、一番重要な仕事が終わらない、
という事態に陥りがいです。
どれが重要な作業か見極めがつかないため、
「こっちは後回しでいいから、あれを優先しよう」
といった切り替えもうまくいきません。
・完璧にやろうとしすぎてしまう
PDDのある人の場合、「完璧にやらなくては」という思いが強く、
それが大きな負担になることがあります。
『もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?』 第三章 より
大学時代、バイクで郵便配達をしたことがあるが、
コースの全容や各家庭のポストの位置を完全に覚え、
16時の終業までに完遂できたのは3日目から。
最初の2日間は配達コースの3割も進めないまま
16時を迎えて強制帰還となっていた。
夕方から残り7割を配達させてしまった局員さんには
感謝と申し訳なさが今でもある。
一方でPCを使う作業では、
おどおどした振る舞いが別人のように
てきぱき仕事をこなす自分がいる。
大好きなPC作業、しかも興味のあること、
そして何よりみんなと足並みをそろえなくて済み、
1人で黙々と没頭できるからと思われる。
あまりに集中し過ぎて、
気づいたら事業所の終業時間である15時
ということもPC作業の場合はざらにある。
障害のある人が集う作業所で、
持っている特性はそれぞれ違うけど
そういう人たちに混じっても僕は後れを取る。
そしてPC作業になると別人のように生き生きする。
ここまで能力に極端な偏りがあるのだから、どうりで
「何でも平均的にそつなくできる」ことが求められる
一般枠での就労で失敗を重ねるわけだ。
”オールマイティを目指して悪循環に”
これまでは分業して、それぞれで取り組んでいたものが、
1人でこなすように要求され、しかも
速さと完璧さを求められてしまう。
「誰もが、同じように、なんでもそつなくこなせる」
ことが要求される傾向があるようです。
『もしかして私、大人の発達障害かもしれない!?』 第一章 より
「みんなについていけなくなってきた」と
スタッフさんに悩みを相談したら、
「足並みを無理してそろえる必要はないよ」
と言ってくれた。
急ぎの作業がある場合はもちろんお願いするけど、
それ以外は自分のペースで、リズムよく負担にならず
淡々とできる方法を見つけてもらえればいいよ、
作業が得意で速い人がいて、その人たちがやってくれるし、
理琉くんはPCを使うと生き生きするんだから
そっちで力を発揮すればいいんだよ、と。
僕が今やるべきことは、ペースについていけなくて
凹んで帰宅することじゃない。
これほど得意、不得意の差が大きくて
能力の偏りが大きい自分を認めること。
そして、ペースについていけなくても、
あの場所でおどおどするのを少しずつ減らすことだ。
2019年07月20日
「見た目、働けそうだよね。」
見た目に何も変わったところがない、
それこそが発達障害の最大のハンディ。
見た目は働けそう。
それこそが実務をこなした時に露呈する
かけ離れたパフォーマンスを余計に目立たせ、
発達障害者を苦しめる呪文。
僕は身長180センチでバスケをしている身体からか、
見た目はヘルプが必要とは思われにくい。
その”フツウ”の見た目の人間が
仕事のパフォーマンスに悪い意味のギャップを見せた時、
「怠け」「甘え」「わがまま」の
烙印三種の神器を浴びせられる。
地下鉄やバスの優先席にある
「見た目にわからない内部障害」という記述。
それから、僕もバッグに付けてるヘルプマーク。
見た目にわからず針のむしろにずっといた
発達障害を持って生まれてきた人たちへの救済の手。
実際にその席を使うのは気が引ける。
僕はまだ使ったことがないけど、
見た目にわからない内部障害を
理解しようとしてくれる社会の姿勢は嬉しい。
僕が通所している就労移行支援事業所へ
通う橋渡しをしてくれた相談室の担当者さんと
今日面談した。
内容は、恐らく8月下旬〜9月に申請するであろう
生活保護について。
「理琉くんて、見た目働けそうだよね。」
担当さんが言ったこの台詞には、実は続きがある。
→「だからこそずっと苦労してきたんだよね。」
発達障害、僕の場合は自閉症スペクトラムが
存在し、厄介で、とんでもないハンディだということを
世の中に広めてくれた研究者や医師には感謝している。
見えないものを証明することに、たくさんの
「見た目で判断する」者たちの反対があっただろう。
心無いネットへの書き込みは未だに多いし、
僕の嫌いな言葉「アスペ」を連発して馬鹿にする知り合いは
残念ながら1人いる。これが現状。
実際に生活保護の申請に行く時は僕1人ではなく、
担当者さんが同伴してくれる。
水際作戦や、ごまかされて追い返されるのを
防ぐためだと言っていた。
見た目が働けそう、という理由で
何とか生活保護費を削ろうとしてくる対策として、
僕が通っている精神科の主治医が
生活保護について肯定的な考えで推してくれていることを
ばっちり伝えれば大きな武器になるらしい。
発達障害者が生活保護を申請する際、
一番のハードルは「見た目、働けそう」ということ。
身長があって身体もしっかりしてて、
どうして就職活動ではなく就労移行支援事業所なの、
という役所からの反撃を凌ぐための戦略を立てている。
障害者手帳や、過去に発達障害と診断された時の
診断書のコピーなど、武器は多い方がいいそうだ。
僕の場合は更に、障害年金に落ちた時の書類と、
申立て時に書いた病歴が役立つかも知れない。
区役所の人間に
「発達障害の特性により一般就労が難しい」ことを
納得してもらうのが、生活保護に通るためのキーだそうだ。
発達障害は見た目ではわからないから、
実際に区役所の人から「見た目、働けそうだよね。」と
突っ込まれる可能性は大いにある。
それでも、僕と担当さんは乗り越えて
申請に漕ぎ着けることができるだろうか。
見た目にわからないという
発達障害の最大のハンディを納得してもらえるだろうか。
それこそが発達障害の最大のハンディ。
見た目は働けそう。
それこそが実務をこなした時に露呈する
かけ離れたパフォーマンスを余計に目立たせ、
発達障害者を苦しめる呪文。
僕は身長180センチでバスケをしている身体からか、
見た目はヘルプが必要とは思われにくい。
その”フツウ”の見た目の人間が
仕事のパフォーマンスに悪い意味のギャップを見せた時、
「怠け」「甘え」「わがまま」の
烙印三種の神器を浴びせられる。
地下鉄やバスの優先席にある
「見た目にわからない内部障害」という記述。
それから、僕もバッグに付けてるヘルプマーク。
見た目にわからず針のむしろにずっといた
発達障害を持って生まれてきた人たちへの救済の手。
実際にその席を使うのは気が引ける。
僕はまだ使ったことがないけど、
見た目にわからない内部障害を
理解しようとしてくれる社会の姿勢は嬉しい。
僕が通所している就労移行支援事業所へ
通う橋渡しをしてくれた相談室の担当者さんと
今日面談した。
内容は、恐らく8月下旬〜9月に申請するであろう
生活保護について。
「理琉くんて、見た目働けそうだよね。」
担当さんが言ったこの台詞には、実は続きがある。
→「だからこそずっと苦労してきたんだよね。」
発達障害、僕の場合は自閉症スペクトラムが
存在し、厄介で、とんでもないハンディだということを
世の中に広めてくれた研究者や医師には感謝している。
見えないものを証明することに、たくさんの
「見た目で判断する」者たちの反対があっただろう。
心無いネットへの書き込みは未だに多いし、
僕の嫌いな言葉「アスペ」を連発して馬鹿にする知り合いは
残念ながら1人いる。これが現状。
実際に生活保護の申請に行く時は僕1人ではなく、
担当者さんが同伴してくれる。
水際作戦や、ごまかされて追い返されるのを
防ぐためだと言っていた。
見た目が働けそう、という理由で
何とか生活保護費を削ろうとしてくる対策として、
僕が通っている精神科の主治医が
生活保護について肯定的な考えで推してくれていることを
ばっちり伝えれば大きな武器になるらしい。
発達障害者が生活保護を申請する際、
一番のハードルは「見た目、働けそう」ということ。
身長があって身体もしっかりしてて、
どうして就職活動ではなく就労移行支援事業所なの、
という役所からの反撃を凌ぐための戦略を立てている。
障害者手帳や、過去に発達障害と診断された時の
診断書のコピーなど、武器は多い方がいいそうだ。
僕の場合は更に、障害年金に落ちた時の書類と、
申立て時に書いた病歴が役立つかも知れない。
区役所の人間に
「発達障害の特性により一般就労が難しい」ことを
納得してもらうのが、生活保護に通るためのキーだそうだ。
発達障害は見た目ではわからないから、
実際に区役所の人から「見た目、働けそうだよね。」と
突っ込まれる可能性は大いにある。
それでも、僕と担当さんは乗り越えて
申請に漕ぎ着けることができるだろうか。
見た目にわからないという
発達障害の最大のハンディを納得してもらえるだろうか。
2019年07月03日
”言葉の虫食い”を読み取るのが苦手。
山折り谷折りの折り目が付いた台紙に
サンプルを挿し込む作業を手掛けた。
作業開始前、
予め山折り谷折り部分に軽く折り目を付ければ
スムーズに作業できると僕は考えた。
作業開始後、「台紙を折らないでくださいね」と
全体に向けて言われた。
僕の頭には多くの疑問が浮かんだ。
・最初の指示には折り目について指定がなかったが、
折り目をつけていいのか、折ってはいけないのかどちらだろうか
・台紙のどこを折ってはいけないのか
・どこも折らずに挿し込み作業は可能なのか
・その差し込む隙間を作るための山折り谷折りの折り目なのに、
じゃあこの印は何のために付いてるのか
次の瞬間、「あー!折らないでくださいってー!」
注意を受け、最初からやり直しになった。
そして、折り目を避けながら上手く差し込む方法を
レクチャーしてもらい、「次から気をつけてくださいね」
と言われてその場は収まった。
僕は「言われた通りに作業して、なぜ注意されるの?」と
悔し泣きしながら、残りの作業をこなした。
僕の持つ障害「自閉症スペクトラム」(ASD)は、
一般的に言葉の裏の読み取りや、加減を察するのが
苦手という特徴を持つ場合が多い。
状況に応じて言外の意味を想像する力が弱いために
文字通り、言葉通りに受け取ってしまうのだ。
一通り作業を終え、気持ちを切り替え
冷静に考えるとわかったのが、
あの時の「台紙を折らないでくださいね」という指示には
2箇所の”言葉の虫食い”があったこと。
フルで訳すと、恐らくこんな感じになるだろうか。
「台紙を”できるだけ”折らないで、”うまいこと差し込んで”くださいね」
・最初の指示の時点で
「折らないで」と言われなかったので
山折り谷折り部分を折った
・”できるだけ””うまいこと”という
言外の意味を察することができなかった
この2つの食い違いによって、
僕は「指示と違うことをした」と認定されたのではと
終業間際になってようやく理解できた。
高校1年の時、古文の教科担任の先生に
「理琉は勉強はよくできるが、指示と違うことばかりする」
と、クラス全員の前で注意されたことがある。
「次回までに問題集P65〜67を解いてくること」と
「次回の授業では参考書Aを持ってくること」
すると次の日、
問題集P65〜67はしっかり解いて来るが、
参考書Aを持ってきて教科書を持って来ないを
何度かやらかした経緯あっての注意だった。
なぜ教科書を何度も忘れたかというと、
「次回の授業では参考書Aを持ってくること」
の中に”教科書”が含まれていないから。
僕も先生も、どっちも間違ってはいないんだと思う。
僕はただ言葉の通りに忠実に従っただけ、
先生は自分の意図の理解も期待して言っただけ。
ただ、かみ合わなかっただけ。
僕ら自閉症スペクトラム当事者が
「指示と違うことばかりする」と言われ
社会でつまづくのは
言葉のウラを読み取り、意図を理解し、
「教科書は持ってくる前提」と察することのできる人が
世の中には圧倒的に多いから。
自閉症スペクトラム当事者は約100人に1人。
マイノリティに酷な世界だというのは
歴史の教科書が証明している。
脳の障害だから見かけはみんなと一緒。
こうやってやり取りが食い違い、
「指示と違うことばかりする」と言われて
初めてみんなが目の当たりにできる。
見えないから理解されにくい。
見えないから「甘え」「怠け」と言い易い。
でも、本人は一生懸命。
決してふざけてない。
言われた通りにできるよう必死。
ここまで具体的に決まってないと
正確に仕事をこなせないのかと自己嫌悪し、
自分の脳を取り換えたくなったこともある。
偏りの無い脳を持って生まれたかったと、
自分の運命を呪ったこともある。
この偏りを一生背負って生きるのが
嫌になったこともある。
事実は2つ、
失敗できたことと、その失敗を書けたこと。
サンプルを挿し込む作業を手掛けた。
作業開始前、
予め山折り谷折り部分に軽く折り目を付ければ
スムーズに作業できると僕は考えた。
作業開始後、「台紙を折らないでくださいね」と
全体に向けて言われた。
僕の頭には多くの疑問が浮かんだ。
・最初の指示には折り目について指定がなかったが、
折り目をつけていいのか、折ってはいけないのかどちらだろうか
・台紙のどこを折ってはいけないのか
・どこも折らずに挿し込み作業は可能なのか
・その差し込む隙間を作るための山折り谷折りの折り目なのに、
じゃあこの印は何のために付いてるのか
次の瞬間、「あー!折らないでくださいってー!」
注意を受け、最初からやり直しになった。
そして、折り目を避けながら上手く差し込む方法を
レクチャーしてもらい、「次から気をつけてくださいね」
と言われてその場は収まった。
僕は「言われた通りに作業して、なぜ注意されるの?」と
悔し泣きしながら、残りの作業をこなした。
僕の持つ障害「自閉症スペクトラム」(ASD)は、
一般的に言葉の裏の読み取りや、加減を察するのが
苦手という特徴を持つ場合が多い。
状況に応じて言外の意味を想像する力が弱いために
文字通り、言葉通りに受け取ってしまうのだ。
”会話がうまく成立しないのは「言葉のウラが読めない」から”
アスペルガー症候群の人たちには文章力の高い人が少なくありません。
会話ではコミュニケーションがうまくできないのに、
メールでは格調高い文章を書くといったことがよくあります。
つまり、文語には強いけれど、その場の状況によって
意味合いが微妙に変化する口語に弱いのです。
『大人のアスペルガー症候群』第一章 より
一通り作業を終え、気持ちを切り替え
冷静に考えるとわかったのが、
あの時の「台紙を折らないでくださいね」という指示には
2箇所の”言葉の虫食い”があったこと。
フルで訳すと、恐らくこんな感じになるだろうか。
「台紙を”できるだけ”折らないで、”うまいこと差し込んで”くださいね」
・最初の指示の時点で
「折らないで」と言われなかったので
山折り谷折り部分を折った
・”できるだけ””うまいこと”という
言外の意味を察することができなかった
この2つの食い違いによって、
僕は「指示と違うことをした」と認定されたのではと
終業間際になってようやく理解できた。
高校1年の時、古文の教科担任の先生に
「理琉は勉強はよくできるが、指示と違うことばかりする」
と、クラス全員の前で注意されたことがある。
「次回までに問題集P65〜67を解いてくること」と
「次回の授業では参考書Aを持ってくること」
すると次の日、
問題集P65〜67はしっかり解いて来るが、
参考書Aを持ってきて教科書を持って来ないを
何度かやらかした経緯あっての注意だった。
なぜ教科書を何度も忘れたかというと、
「次回の授業では参考書Aを持ってくること」
の中に”教科書”が含まれていないから。
僕も先生も、どっちも間違ってはいないんだと思う。
僕はただ言葉の通りに忠実に従っただけ、
先生は自分の意図の理解も期待して言っただけ。
ただ、かみ合わなかっただけ。
僕ら自閉症スペクトラム当事者が
「指示と違うことばかりする」と言われ
社会でつまづくのは
言葉のウラを読み取り、意図を理解し、
「教科書は持ってくる前提」と察することのできる人が
世の中には圧倒的に多いから。
自閉症スペクトラム当事者は約100人に1人。
マイノリティに酷な世界だというのは
歴史の教科書が証明している。
脳の障害だから見かけはみんなと一緒。
こうやってやり取りが食い違い、
「指示と違うことばかりする」と言われて
初めてみんなが目の当たりにできる。
見えないから理解されにくい。
見えないから「甘え」「怠け」と言い易い。
でも、本人は一生懸命。
決してふざけてない。
言われた通りにできるよう必死。
”アスペルガー症候群は「病気」?それとも「個性」?”
福祉的な立場からは「個性」ととらえることもできる
しかし…医学的には「病気」である
アスペルガー症候群は、生まれながらにして
脳機能に偏りのある「発達障害」という病気である。
病気としてとらえることによって、
適切な「治療」や「療育」が可能になり、
本人の「生きやすさ」につながる。
『大人のアスペルガー症候群』第二章 より
ここまで具体的に決まってないと
正確に仕事をこなせないのかと自己嫌悪し、
自分の脳を取り換えたくなったこともある。
偏りの無い脳を持って生まれたかったと、
自分の運命を呪ったこともある。
この偏りを一生背負って生きるのが
嫌になったこともある。
事実は2つ、
失敗できたことと、その失敗を書けたこと。
2019年06月29日
一方的な父のASD特性。
僕が市内のマンションに一人暮らしで
親との繋がりがまだ途絶えていなかった頃、
父からいきなり
「食糧を届ける、あと30分くらいで着く
不在なら玄関に置いていく」
という連絡が割と多く入っていた。
ちょうど外出する直前であってもお構いなし。
とはいえ、せっかく来てくれるのに
不在にするわけにもいかず、
外出の予定を少し遅らせたり
場合によっては先方に遅れることをお詫びしたり
という事態になっていた。
そして到着後、
「早く冷蔵庫に入れなさい
これでひとまずしばらくは生きられるだろ」
と言いながら次々に荷物を運び入れる。
せっかくだからお茶でも出そうとすると、
「いいからいいから、
帰ってアンタの下2人にも食わせなきゃいけないから」
と、僕の話も聞かずに去ってしまう。
食糧をくれたこと自体はとてもありがたいのに
何だか一方的で、こちらの都合や話、そして気持ちを
聞こうとしないスタンスに、もやもやを隠せなかった。
もらった食糧を冷蔵庫に詰めている最中、
父はずっとしゃべり続ける。
病気で入退院を繰り返していること
祖父母と同じ病気だから、これは家系だということ
そのせいでお酒と煙草を断たないといけなくなったこと
だから楽しみがない、生きている意味がない
というようなことを大声で。
これをマンションの通路でも同じように、
外に出て母と共に車に乗り込むまで続ける。
特に通路では音が響いて、下手をすると
「うるさい」とクレームになりかねないと
僕は相当ヒヤヒヤしていた。
声のボリュームを落としたり、話すのを控えたり
できないのかなぁと、正直あまり好ましくなかったが、
場に関係なく自分の話したいことをひたすら話すのは
もしかしたら僕の家系が持つ発達障害の
遺伝的な特性なのでは、とも思った。
僕は逆に、その場でパッと言葉が出ない、
場にふさわしい言葉かどうかを一旦考える力はあるので
場に関係なく思ったことを言う特性は
受け継いでいないようだが、
自閉症とLD(学習障害)で障害年金1級を受給している
6歳下の弟がまさに父と同じことをする。
自分の好きなロボットアニメのことを
祖父の葬儀の場でも話し続けていた。
発達障害は遺伝する可能性が高いと
今の時点では言われているようなので、
ただの素人目から見る限り、
父と弟の言動は遺伝により受け継がれた
ASD(自閉症スペクトラム、旧アスペルガー症候群)
の特性にかなり当てはまる。
もう1つ、人にものをあげる際に
相手の都合を考えないところ。
繰り返すが、食糧を届けてくれたこと自体は
とても助かったし感謝している。
だから邪険にするつもりはない。
が、これをしている父の心の中に、
たぶん僕はいなかった。
いついつ食糧を届けに行こうと思うが
予定はどうだ、というやり取りは一度もなく、
連絡はいつも到着間際だった。
余裕あるとはいえない生活をしている
→なら食糧をあげるのが良いはずだ
→よし、思いついたから今行こう
→届けた!喜ぶはずだ、自分なら嬉しいから
相手が不在だったら、予定があったら、
望んでいなかったら、という点は
恐らく考えてなかったんじゃないかな…と思う。
これもASDの独特なコミュニケーションの特性に
かなりマッチする。
自分の言いたい事を長々と演説する父については
これまでも分析してきたが、
自分の無力感や人生への不満、不安感と同じくらい、
発達障害の特性が強く出た結果かも知れないことに
気付き始めている。
だけど、気付いたから仕方ない、自分も違う形で
受け継いでいるかも知れないから気を付けよう、
と片付けられない自分がいる。
単に「ありがたいな、嬉しいな」と思えなくて、
「一方的だな、愛情じゃないのかな」と
ここまで書いてきたような疑いを持つ自分もいる。
歪んだ、深読みばかりして物事を捉える僕、
自分がしたい事を一方的にするばかりの父、
この疑心暗鬼な関係をどう捉え
何を学び取るのかは、これからの僕次第だ。
親との繋がりがまだ途絶えていなかった頃、
父からいきなり
「食糧を届ける、あと30分くらいで着く
不在なら玄関に置いていく」
という連絡が割と多く入っていた。
ちょうど外出する直前であってもお構いなし。
とはいえ、せっかく来てくれるのに
不在にするわけにもいかず、
外出の予定を少し遅らせたり
場合によっては先方に遅れることをお詫びしたり
という事態になっていた。
そして到着後、
「早く冷蔵庫に入れなさい
これでひとまずしばらくは生きられるだろ」
と言いながら次々に荷物を運び入れる。
せっかくだからお茶でも出そうとすると、
「いいからいいから、
帰ってアンタの下2人にも食わせなきゃいけないから」
と、僕の話も聞かずに去ってしまう。
食糧をくれたこと自体はとてもありがたいのに
何だか一方的で、こちらの都合や話、そして気持ちを
聞こうとしないスタンスに、もやもやを隠せなかった。
もらった食糧を冷蔵庫に詰めている最中、
父はずっとしゃべり続ける。
病気で入退院を繰り返していること
祖父母と同じ病気だから、これは家系だということ
そのせいでお酒と煙草を断たないといけなくなったこと
だから楽しみがない、生きている意味がない
というようなことを大声で。
これをマンションの通路でも同じように、
外に出て母と共に車に乗り込むまで続ける。
特に通路では音が響いて、下手をすると
「うるさい」とクレームになりかねないと
僕は相当ヒヤヒヤしていた。
”ひとり暮らしの娘のもとに料理を届け続ける母親”
母親は彼女に連絡もせずに、いきなりやってきます。
そして彼女が不在のときは、
合い鍵で部屋に入って料理を置いて帰ります。
中略
母親の話は決まって人の噂話や愚痴ばかりです。
それを一方的に聞かされる彼女は閉口せずにはいられません。
そのくせ、彼女に話したいことがあって話し始めても、
途中で話の腰を折られたり、彼女が言う端から
意見を否定されたりしてしまいます。
『母と娘の「しんどい関係」を見直す本』
第五章 ”「親から心理的に離れる」レッスン” より
声のボリュームを落としたり、話すのを控えたり
できないのかなぁと、正直あまり好ましくなかったが、
場に関係なく自分の話したいことをひたすら話すのは
もしかしたら僕の家系が持つ発達障害の
遺伝的な特性なのでは、とも思った。
僕は逆に、その場でパッと言葉が出ない、
場にふさわしい言葉かどうかを一旦考える力はあるので
場に関係なく思ったことを言う特性は
受け継いでいないようだが、
自閉症とLD(学習障害)で障害年金1級を受給している
6歳下の弟がまさに父と同じことをする。
自分の好きなロボットアニメのことを
祖父の葬儀の場でも話し続けていた。
発達障害は遺伝する可能性が高いと
今の時点では言われているようなので、
ただの素人目から見る限り、
父と弟の言動は遺伝により受け継がれた
ASD(自閉症スペクトラム、旧アスペルガー症候群)
の特性にかなり当てはまる。
もう1つ、人にものをあげる際に
相手の都合を考えないところ。
繰り返すが、食糧を届けてくれたこと自体は
とても助かったし感謝している。
だから邪険にするつもりはない。
が、これをしている父の心の中に、
たぶん僕はいなかった。
いついつ食糧を届けに行こうと思うが
予定はどうだ、というやり取りは一度もなく、
連絡はいつも到着間際だった。
余裕あるとはいえない生活をしている
→なら食糧をあげるのが良いはずだ
→よし、思いついたから今行こう
→届けた!喜ぶはずだ、自分なら嬉しいから
相手が不在だったら、予定があったら、
望んでいなかったら、という点は
恐らく考えてなかったんじゃないかな…と思う。
これもASDの独特なコミュニケーションの特性に
かなりマッチする。
自分の言いたい事を長々と演説する父については
これまでも分析してきたが、
自分の無力感や人生への不満、不安感と同じくらい、
発達障害の特性が強く出た結果かも知れないことに
気付き始めている。
だけど、気付いたから仕方ない、自分も違う形で
受け継いでいるかも知れないから気を付けよう、
と片付けられない自分がいる。
単に「ありがたいな、嬉しいな」と思えなくて、
「一方的だな、愛情じゃないのかな」と
ここまで書いてきたような疑いを持つ自分もいる。
歪んだ、深読みばかりして物事を捉える僕、
自分がしたい事を一方的にするばかりの父、
この疑心暗鬼な関係をどう捉え
何を学び取るのかは、これからの僕次第だ。
2019年06月27日
視覚過敏の薬物療法。
・大きな音、騒がしい場所
・赤、黄色、オレンジなど暖色系の強い色彩
・動くものが多く、目まぐるしく変化のある環境
特にこれらが苦手な僕は
視覚と聴覚が過敏な傾向があると自覚していてる。
聴覚については、ショッピングモールや
ステージに立っていた割にライブハウスが苦手と
以前書いたことがある。
「音が全部入ってくる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/10/0
→「ライブハウスが苦手。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/103/0
就労移行支援事業所での作業の1つに
ポスティング用のチラシや、お歳暮のカタログの
仕分けや封入、封止めというのがある。
肌色や青一色の封筒、白黒だけのチラシは
難なくさばける一方、
商品の写真と字がびっしりのチラシや、
赤、黄色、オレンジをふんだんに使ったパンフレットは
目に強烈に刺さり、見ていられなくなる。
そこで、強い暖色の刺激に何とか対策できないかと思い、
精神科の先生に視覚過敏の検査や診察は可能かを尋ねてみた。
具体的な検査は残念ながら難しいが、
薬物療法により、少し抑えることは可能とのこと。
10年かかってパキシルを止められた僕にとって、
薬が増えるのはできるだけ避けたかったが、
それで対策できるのならと思い、
少量ながら今日から新しい薬を飲むことにした。
刺激に過剰反応する脳の働きを抑えるので、
飲み始めてしばらくは日中眠くなるかも知れない、
そして変化を感じるのに少し時間がかかるという。
今でも日中、特に午前10時くらいまでの眠気には
たまに悩まされるので、ちゃんと起きていられるだろうか。
だけど、この眩しい世界の刺さるような刺激が
少しはマシになるのなら試してみようと思う。
動くものが新規で発生するとそちらに注意が行く、
明るい色は強すぎて、すぐに目を逸らして休憩、
そういう特徴を持っていなかったら
どんなに楽だろうと思うことはある。
能力や感覚の凹凸が少ない、
バランスの取れた脳を持って生まれたかったと、
ないものねだりすることは今でもある。
ないものねだりしては受け入れ、
受け入れたくなくてないものねだりの繰り返し。
持って生まれたものに葛藤を繰り返しながら、
変えられないものを受け入れ、
変えられるものを見つけて対策する、
自分理解の旅は続く。
・赤、黄色、オレンジなど暖色系の強い色彩
・動くものが多く、目まぐるしく変化のある環境
特にこれらが苦手な僕は
視覚と聴覚が過敏な傾向があると自覚していてる。
聴覚については、ショッピングモールや
ステージに立っていた割にライブハウスが苦手と
以前書いたことがある。
「音が全部入ってくる。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/10/0
→「ライブハウスが苦手。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/103/0
就労移行支援事業所での作業の1つに
ポスティング用のチラシや、お歳暮のカタログの
仕分けや封入、封止めというのがある。
肌色や青一色の封筒、白黒だけのチラシは
難なくさばける一方、
商品の写真と字がびっしりのチラシや、
赤、黄色、オレンジをふんだんに使ったパンフレットは
目に強烈に刺さり、見ていられなくなる。
そこで、強い暖色の刺激に何とか対策できないかと思い、
精神科の先生に視覚過敏の検査や診察は可能かを尋ねてみた。
具体的な検査は残念ながら難しいが、
薬物療法により、少し抑えることは可能とのこと。
10年かかってパキシルを止められた僕にとって、
薬が増えるのはできるだけ避けたかったが、
それで対策できるのならと思い、
少量ながら今日から新しい薬を飲むことにした。
刺激に過剰反応する脳の働きを抑えるので、
飲み始めてしばらくは日中眠くなるかも知れない、
そして変化を感じるのに少し時間がかかるという。
今でも日中、特に午前10時くらいまでの眠気には
たまに悩まされるので、ちゃんと起きていられるだろうか。
だけど、この眩しい世界の刺さるような刺激が
少しはマシになるのなら試してみようと思う。
動くものが新規で発生するとそちらに注意が行く、
明るい色は強すぎて、すぐに目を逸らして休憩、
そういう特徴を持っていなかったら
どんなに楽だろうと思うことはある。
能力や感覚の凹凸が少ない、
バランスの取れた脳を持って生まれたかったと、
ないものねだりすることは今でもある。
ないものねだりしては受け入れ、
受け入れたくなくてないものねだりの繰り返し。
持って生まれたものに葛藤を繰り返しながら、
変えられないものを受け入れ、
変えられるものを見つけて対策する、
自分理解の旅は続く。