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2019年01月06日

指示通りにやると怒られる不思議。

僕が集団の中で何か任務を遂行する時、
これまでで理由不明で怒られた割合が最も多いのが、

「言われたことをその通りにやったら怒られた、どうして?」

というもの。



僕は言葉の裏を読んだり、
語られない意図をその場ですぐに察することが苦手です。

正確に言うと、
時間をかけてその場の状況を分析して考えに考えた結果、
もしかしたらこういう意味合い、こんな可能性もあるのでは、
と気づくことはできます。

そのできなさたるや、
高確率で周りをイラつかせることは日常。

つい先日の、
僕の知り合いチームと定期的に行っている練習試合前の
何でもないこんなやり取りでさえできない始末です。↓



自チーム
「こちらのチームが全員黒いウェアを着るから
相手チームに『黒以外のウェア持ってますか』って
聞いてきてくれる?」

理琉
「わかりました、『黒以外のウェア持ってますか?』」

相手チーム
「持ってるけど全員分はないわ、えんじ色や赤でもいいの?」

理琉
「えんじや赤でもいいかどうか聞いてきます。」

「えんじや赤でもいいですか?」

自チーム
「黒以外ならいいよ」

理琉
「わかりました、黒以外ならいいそうです。」

相手チーム
「うちらは全員同じ色で統一は難しいわ、
黒しかない人はどうするの?」

理琉
「えっと…ちょ、ちょっと聞いてきます」

「黒しか持ってきてない方もいるそうですが
どうしたらいいですか」

自チーム
「黒以外のウェア持ってる人に借りればいいでしょ」

理琉
「わ、わかりました…」

「黒以外の色になっていただくことは可能ですか?」

相手チーム
「黒以外のウェアは全員分あるかわかんないけどいい?」

理琉
「あ、え、う…えっと…わからないので聞いてきます…」

「黒以外のウェアは全員分あるかわからないそうです、
確認できるまで待ちますか…?」

自チームキャプテン
「もういいよ、自分が直接言ってくるわ。」



この直後、
一連の黒その他騒動は5秒で解決します。↓

自チームキャプテン
「チーム分けをわかり易くしたいので、
そちらは黒以外のなんでもいいので
違う色のウェアを着ていただけますか?」

「理琉、気にすんな顔上げて、プレーに影響出るよ。」

相手チーム
「わかりました、そうします。」



要は、同じチームとわかり易いように
濃淡ウェアで色分けさえできればなんでもよかったんです。

僕もそれは承知ですし、
そこが理解できないわけでもありません。

が、
いざ任務遂行の現場に直面すると、
何をどうしてもこのような思考回路になるんです。

指示をもらった
→指示通りにしよう

→指示通りにしたけどうまくいかなかった
 または質問で返された、やばい予想外

→指示と違うことするとこれまでの人生では例外なく怒られてきた
 だから今回も間違いなく怒られるだろう

 だから指示にないことはしないようにして
 わからないから聞いてこなくちゃ

→どうして指示通りにできないのか、指示と違うことをするのかと怒られる
 あいつは指示したことができない奴と言われる

→なぜ?(泣)

”会話がうまく成立しないのは「言葉のウラが読めない」から”

アスペルガー症候群の人たちには文章力の高い人が少なくありません。
会話ではコミュニケーションがうまくできないのに、
メールでは格調高い文章を書くといったことがよくあります。

つまり、文語には強いけれど、その場の状況によって
意味合いが微妙に変化する口語に弱いのです。


『大人のアスペルガー症候群』 第一章 より



僕は診断上では
PDD-NOS(自閉傾向のある広汎性発達障害)ですが、
ASD(自閉症スペクトラム、旧:アスペルガー症候群)
の要素を多分に含んでいます。

今回の黒その他騒動は職場での出来事ではないし、
ある程度理解してくれてるチームメイトだから
僕がこうやって定期的にやらかすのも
看過してもらえてるのかも知れません。

ただ、同じようなやり取りでの失敗は
過去に在籍した職場で無数に経験してきましたし、
職場ではそこで「顔上げて」と声をかけられることなく
ただ「できないやつ」認定されるだけです。



治せるなら治したい、けど何をどうしても治らない。



何かの記事で見ましたが、文化人類学の1つの考え方として、
群れから外れる少数派の集団が重要な存在だったそうです。

・集団の内部に気を配る多数の個体
・集団からはみ出して外部に気を配る少数の個体

これらのバランスにより、今日まで種の保存に
成功してきたというのを聞いたことがあります。

この分類で言うと僕は後者なんでしょうし、
生物という大きなくくりでは必要なのかも知れません。

集団からはみ出そうが否定されようが気にせず、
むしろそれすらも楽しんで強く生きれる個体なら
その役割を全うせるのでしょう。



ただ、こういう失敗を繰り返して否定を浴び続けて、
そんな自分がそもそもオンリーワンでかけがえのない存在だ
と思えるほど僕は強くありません。

肯定されない人生が積み重なって思うことは
人類のために、なんて自己犠牲に満ちた崇高な感想ではなく

・それをなぜ僕が引き受けなければならなかったんだ

・なぜ僕が発達障害の当事者として生まれなければならなかったんだ

・前世かその前で何があったか知らないが、
 神様とやらがいるとしたら、僕に一体何の恨みがあって
 一生もののハンディを与えて世に送り出したんだ

・ヒトは基本的に単独生活ではなく群れで暮らす生き物なのに、
 肝心の群れで暮らせない障害なんてあんまりじゃないか
 なぜわざわざピンポイントでその能力を欠落させたんだ

という後ろ向きで恨めしい言葉ばかり。



ハンディに苦しむ人は僕だけではないし、
なんで自分がこんな目に、なんて考えてるうちは
視野が狭くなってしまうのもわかってます。

比較すること自体が無意味だというのも
頭ではわかってます。

でも、僕は昨年、最後に在籍した会社を辞めた時、
「言葉のない世界に行きたい」と思ったくらい、
自分の人生にとって深刻です。

もうなんでもいいからバイトしようかと
折れかけてる今もその思いは変わらないけど、

言葉にしてしゃべって伝えることを限りなく排除した環境で
少しでも生き易くなるために何ができるか、
もう少し考えてみようと思います。


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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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