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2021年06月10日
『漫画 バビロン大富豪の教え 「お金」と「幸せ」を生み出す五つの黄金法則』PART1 ”黄金に愛される七つ道具”〜。
世の中には、あり余るほどのお金がある。
にもかかわらず、現実には
使い切れないほどのお金を持つ者と、
そうでない者がいる。
そして、お金を得る方法、増やす方法には
紀元前から変わらない法則がある。
『漫画 バビロン大富豪の教え 「お金」と「幸せ」を生み出す五つの黄金法則』
古代バビロニア王国に暮らす
貧しい武器職人の少年・バンシル。
「お金持ちになって、家族に楽をさせてあげたい」
そんな思いで「富を得るための真理」を学ぶ彼が、
幾多の困難を乗り越え、黄金に愛される者になるストーリー。
ー目次ー
- 収入の10分の1を貯金せよ
- 欲望に優先順位をつけよ
- 貯えた金を働かせよ
- 危険や天敵から金を堅守せよ
- より良きところに住め
- 今日から未来の生活に備えよ
- 自分こそを最大の資本にせよ
- まとめ
1.収入の10分の1を貯金せよ
籠の中に毎朝10個の卵を入れ
毎夕そこから9個の卵を取り出す
いずれ籠は卵であふれかえるだろう
真理とはいつも簡単なものだ
そうすればあなた方の財布は確実に膨らむことになる
第2章”学びの殿堂” より
大富豪アルカド
「はじめの扉を開かない者に次の扉は見えない」
第1章”バビロン1の大金持ち” より
すべては卵を残す、
そして残りの9個で生活する決意から始まる。
2.欲望に優先順位をつけよ
お金が足りなくなるのは宝石や装飾品など
必ずしも必要のないものまで欲しがっているからだ
だったら優先順位の低い欲望は切り捨てしまえ
生活水準は大して変わらない
そうすれば
一番やりたいことのためにお金を使うことができる
第2章”学びの殿堂” より
これは「身の程をわきまえろ」
ということではなく、
「自分にとって本当に必要なものは何かを考えよ」
ということ。
食べるのが好きなら食費に、服が好きならそちらに、
ゲームが好きなら、スポーツが好きなら、というように。
人間の欲望には際限がないからこそ、
残りの10分の9で叶えたいものの取捨選択が大切になる。
3.貯えた金を働かせよ
金を持っていることが財産ではない
「定期的に金が入ってくる仕組み」こそ
本物の財産なのだ
第2章”学びの殿堂” より
ある鉱石商人は、
金貨10枚の元手があれば、
遠方での採掘事業に投じて
巨万の富を得られたのにと言う。
別の者は、
元手の金貨10枚を定期的に盾職人に貸し、
毎回、利息をつけて返してくれると言う。
同じように元手を持っていて、
それを増やしたいと思っている。
その時に、本物の財産になるのは
1度の事業に投じて増やすことではなく、
定期的に利息が返ってくる仕組みで増やすこと。
4.危険や天敵から金を堅守せよ
ある人物が儲け話をもってきたとする
そういう時は必ず
その道に長けた人に相談することだ
賢者たちの忠告は時に
儲け話以上の価値がある
第2章”学びの殿堂” より
大きな利益で釣る
不安を煽って判断力を削ぐ
そんな手法でお金をだまし取ろうとする者は
いつの時代にもいる。
身近にも、
迷惑メール
振り込め詐欺
手数料めあての窓口
「高額収入」「簡単なお仕事です」という謳い文句
ふいに大金を失うリスクは
巷にあふれている。
だからこそ、いったん冷静になり、
詳しい者の声に耳を傾けることが大切。
5.より良きところに住め
住居とは幸せな生活と密接に関わっており、
そしてその幸せは貯金を増やすモチベーションとなる
住居への支払いは
心を豊かにする投資と言えるのである
第2章”学びの殿堂” より
”良きところ”には住居だけでなく、
自分の心を整えてくれるコミュニティも含まれる。
「お金を貯めよう、増やそう、そのために学ぼう」
その意志は、我慢に我慢を重ね、
苦しみばかりの心からは生まれない。
家族や気の合う人と過ごせる場所
楽しめる場所、リラックスできる場所
心に余裕を生み出してくれる場所
それは立派な”心の健康への投資”だ。
6.今日から未来の生活に備えよ
それすなわち「将来の不安」に対する道具
毎月少しずつでも金を積み立てていけば
老人になって働けなくなった自分や、
自分が死んだ後の家族に貯えを残すことができる
第2章”学びの殿堂” より
病気やケガで働けなくなった時
収入を得る手段を失った時
誰も逃れられない”死”が訪れた時
そんな「将来の安心を売る商売」として
保険会社が紹介されている。
7.自分こそを最大の資本にせよ
バンシル
「さっきアルカドは言った…
知識の前ではみんな平等だって…
そして俺たちはみんな一様に知識をもらった…
その境界を分かつ壁は…
動いた者とそうでない者!」
大富豪アルカド
「そう…勝利の女神は…行動した人間にこそ微笑む」
第2章”学びの殿堂” より
知識は誰にも盗まれない財産。
そして、
どれだけ有益な知識を持っても、
最後に行動するのは自分。
知識という財産を持って終わらず、
知識を使い、自分で成し遂げる者に、
黄金はやってくる。
8.まとめ
”黄金に愛される七つ道具”
- 収入の10分の1を貯金せよ
- 欲望に優先順位をつけよ
- 貯えた金を働かせよ
- 危険や天敵から金を堅守せよ
- より良きところに住め
- 今日から未来の生活に備えよ
- 自分こそを最大の資本にせよ
僕はこの本を読み終えてすぐに、銀行へ走った。
そして、
財布から収入の10分の1の金額を抜き取り、
別の口座へ預け入れた。
バビロン1の大富豪・アルカドは言った。
「はじめの扉を開かない者に次の扉は見えない」
「そう…勝利の女神は…行動した人間にこそ微笑む」
走り込む先は銀行でも、ATMでもいい。
”はじめの扉”を開くための行動はこれだけだ。
紀元前から伝わる、黄金に愛される法則は、
このシンプルで小さな行動の積み重ねだ。
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2021年06月04日
【バスケットボール心理分析】セルフィッシュな選手は、自己愛が強く自分に自信がない。
バスケットに限らず、
「試合で活躍したい」と思うのは自然なことだ。
だが、時にはボールを独占し、パスを出さない、
「セルフィッシュ(自己中心的)」な選手」に出会うこともある。
そんな選手と一緒にプレーするバスケットは
楽しさよりも苦しさが目立つ。
そんな苦い経験を少しでも有益にしようと、
彼らの心理を分析してみた。
セルフィッシュな選手はどんな心理なのか。
なぜ個人プレーばかりする選手になったのか。
その背景に何が隠されているのか。
彼らとの向き合い方に悩むバスケットプレーヤーの
参考になれば嬉しい。
ー目次ー
セルフィッシュな選手は、
基本的に自己愛が強い。
程度の差はあるが、
自分は特別な存在であり、周りから優遇され、
ほめたたえられるべき存在という
誇大な自己像を持っている。
そして、
そんな「特別に優れた自己像」を
作り上げたいがために、承認欲求も強い。
あまりにもボールを独占ばかりすれば、
周りの選手が冷めていき、敬遠される。
中にはそのことに気づいている選手もいる。
にもかかわらず、個人プレーを止めないのは、
自分を見てほしい
目立ちたい
実力を示したい
認められたい
という欲求を抑えられないからだ。
彼らはチームメイトに疎まれるリスクを抱えてまでも、
ボールの独占や個人プレーを止めない。
それは、「自分が、自分が」とアピールしたい欲求が
常に勝ってしまっているからだ。
個人プレーばかりするような選手は、
えてしてディフェンスでは手を抜く。
自陣に走って戻らない、
ヘルプやスクリーンアウトをしない、
悪い言い方をすれば「さぼる」。
5人という少人数で行うバスケットでは、
ディフェンス面で4対5になることは
致命的にもかかわらず。
なぜ彼らはディフェンスをさぼりがちなのか。
それは、
ディフェンスでは自己愛を満たせる機会が少ないからだ。
オフェンスに比べてディフェンスは地味だ。
ボールを持たないまま地道に足を動かし、
ひたすら「先読み」を繰り返す。
うまく守れたとしても、
ボールを持っていないから、
プレーの重要性が理解されることは少ない。
「ピンチを救った」ことは
わかりやすく称賛されるが、
「ピンチにならないよう芽を摘んだ」
ことは気づかれにくい。
サッカーでも、得点を取った選手は称賛されるが、
背後で懸命にディフェンスをする選手の働きが
理解されにくいという。
そういう
スポットライトを浴びにくい作業は、
自己愛や承認欲求を満たしたい者にとって、
コストパフォーマンスが悪い。
これも悪い言い方だが、
「疲れるわりに目立てない」からだ。
派手なブロックや華麗なスティールを
決められるならまだいい。
しかしそれが難しい場合、
自分をもっとも目立たせてくれるのは
得点に直結するプレー、つまりオフェンスになる。
だから「ディフェンスのさぼり」は、
自分が最大限に目立てるプレーを
効率よく行った結果なのだ。
これは意外に思われるかも知れない。
「自己愛が強い」
という視点で見ると、
個人プレーばかりする選手は、
本当は自分に自信がないのではないかと思う。
「自信満々だから『オレが決めてやる』
というマインドを持てるのでは?」
確かにその通りだ。
そして、実際にそういう選手は
周りよりも実力があることが多い。
だから本来、
わざわざそのスキルを誇示しなくても、
自然にみんなが認めてくれる。
にもかかわらず、「個人プレー」と思われてまで
自分で決めることにこだわるのはなぜか。
それは、
他の選手が上手いプレーを決めたら、
自分がその選手よりも下だと認めることになるからだ。
人間関係を何事も勝ち負けで捉えていると、
その人の中には「アイツは自分より上手いか下手か」
という序列が出来上がる。
自分より下だと思い込んでいる選手が、
シュートを決め、アシストを決め、勝利を決定づけたら、
自分はその選手よりも劣っているということになる。
強い自己愛によって、
「特別にすごい自分」を作り上げている者にとって、
他者の成功は自分そのものの否定になる。
「誰よりも上なはずの自分」
という誇大な自己像が傷つくことを
何よりも恐れている。
だから他者に成功の機会を与えたくない。
与えないためにはボールを渡さなければいい。
自分で決めてしまえば、もろい自己愛で作り上げた
「すごい自分」が崩されなくて済む。
試合終盤の勝負どころなら、
もっともスキルのある選手に託すのは立派な戦術。
だが、ボールを持つたびに
そういうプレーをする選手は、
自信満々な仮面をかぶって怯えているようにも見える。
ここまで見てきた通り、
個人プレーばかりする選手と思われることには
多くのデメリットがある。
しかし、彼らもバスケットを始めた当初から
セルフィッシュな選手だったわけではない。
なぜそうなったのか、3つの原因を考察した。
バスケット歴の中で、
いつも周りより飛び抜けて上手い存在だった場合、
「エース」と呼ばれ、もてはやされる。
そのように特別視され続けると、自己愛が肥大化する。
そして、
「自分はエースだ、すごい存在だ。
だから自分のやりたいようにプレーするのが当たり前だ」
という考えに至り、それがバスケット観になる。
エースとは真逆の境遇で過ごしたパターン。
「お前はドリブルするな」
「このプレーだけをしろ」
など、自由なプレーを制限されてきた反動。
抑圧され続けると、
それを我慢しなくてよい環境に移ったとき、
反動で「本当に自由に」プレーするようになる。
ずっとボールを触らせてもらえなかったのなら、
好きなだけボールを持っていたくなる。
シュートを打たせてもらえなかったのなら、
すべて自分でシュートにいきたくなる。
それが「周りよりも上手い」場合、
やはり自己愛の肥大化が加速する。
プレーや出場機会の抑圧に似ているが、
より根本的な問題。
生育歴の中で、
自分を認めてもらえない経験や、
否定ばかりされる経験が多かったパターン。
「うまくいかないと認めてもらえなかった」
「そのままの自分を見てほしいのに見てもらえなかった」
そんな、自己愛を満たされなかった体験は、
耐えられないほどの心のすき間になる。
それを埋め合わせる手段が、
周りより優位な場所でスキルを披露することであり、
「ボールを独占して目立つこと」というわけだ。
セルフィッシュな選手が味方にいると、
周りの選手はモヤモヤする。
「バスケットがつまらない」と思ったり、
「一緒にやりたくない」と思ったりすることもある。
とは言え、彼らが「自分が、自分が」となってしまうのは、
きっと悪意からではない。
人より強く、抑えきれない自己愛を
満たすことに必死なのだろう。
それはもしかすると、
幼少期までさかのぼる心の傷かも知れない。
長いバスケット人生では、
今後もそんな選手と出会うことがあるだろう。
その時に、
ただモヤモヤして終わるよりも、
その心理を想像して過ごす方が有益だと思う。
「認めてほしくてたまらないのかな」
「”理想の自分”が心のよりどころなのかな」
そうやって、一歩引いて彼らを眺めた方が、
充実したバスケット人生を送れるんじゃないだろうか。
「試合で活躍したい」と思うのは自然なことだ。
だが、時にはボールを独占し、パスを出さない、
「セルフィッシュ(自己中心的)」な選手」に出会うこともある。
そんな選手と一緒にプレーするバスケットは
楽しさよりも苦しさが目立つ。
そんな苦い経験を少しでも有益にしようと、
彼らの心理を分析してみた。
セルフィッシュな選手はどんな心理なのか。
なぜ個人プレーばかりする選手になったのか。
その背景に何が隠されているのか。
彼らとの向き合い方に悩むバスケットプレーヤーの
参考になれば嬉しい。
ー目次ー
- 基本的な性格傾向:自己愛が強い、承認欲求が強い
- ディフェンスで手を抜くのは、自己愛を満たしづらい作業だから
- セルフィッシュな選手は、本当は自信がない
- セルフィッシュな選手になる3つの原因
@常に「エース」だったバスケット歴
Aプレーや出場機会を抑圧された経験
B否定や無視の多い生育歴 - 彼らを一歩引いて眺め、有益なバスケットライフを
1.基本的な性格傾向:自己愛が強い、承認欲求が強い
セルフィッシュな選手は、
基本的に自己愛が強い。
程度の差はあるが、
自分は特別な存在であり、周りから優遇され、
ほめたたえられるべき存在という
誇大な自己像を持っている。
そして、
そんな「特別に優れた自己像」を
作り上げたいがために、承認欲求も強い。
あまりにもボールを独占ばかりすれば、
周りの選手が冷めていき、敬遠される。
中にはそのことに気づいている選手もいる。
にもかかわらず、個人プレーを止めないのは、
自分を見てほしい
目立ちたい
実力を示したい
認められたい
という欲求を抑えられないからだ。
彼らはチームメイトに疎まれるリスクを抱えてまでも、
ボールの独占や個人プレーを止めない。
それは、「自分が、自分が」とアピールしたい欲求が
常に勝ってしまっているからだ。
2.ディフェンスで手を抜くのは、自己愛を満たしづらい作業だから
個人プレーばかりするような選手は、
えてしてディフェンスでは手を抜く。
自陣に走って戻らない、
ヘルプやスクリーンアウトをしない、
悪い言い方をすれば「さぼる」。
5人という少人数で行うバスケットでは、
ディフェンス面で4対5になることは
致命的にもかかわらず。
なぜ彼らはディフェンスをさぼりがちなのか。
それは、
ディフェンスでは自己愛を満たせる機会が少ないからだ。
オフェンスに比べてディフェンスは地味だ。
ボールを持たないまま地道に足を動かし、
ひたすら「先読み」を繰り返す。
うまく守れたとしても、
ボールを持っていないから、
プレーの重要性が理解されることは少ない。
「ピンチを救った」ことは
わかりやすく称賛されるが、
「ピンチにならないよう芽を摘んだ」
ことは気づかれにくい。
サッカーでも、得点を取った選手は称賛されるが、
背後で懸命にディフェンスをする選手の働きが
理解されにくいという。
そういう
スポットライトを浴びにくい作業は、
自己愛や承認欲求を満たしたい者にとって、
コストパフォーマンスが悪い。
これも悪い言い方だが、
「疲れるわりに目立てない」からだ。
派手なブロックや華麗なスティールを
決められるならまだいい。
しかしそれが難しい場合、
自分をもっとも目立たせてくれるのは
得点に直結するプレー、つまりオフェンスになる。
だから「ディフェンスのさぼり」は、
自分が最大限に目立てるプレーを
効率よく行った結果なのだ。
3.セルフィッシュな選手は、本当は自信がない
これは意外に思われるかも知れない。
「自己愛が強い」
という視点で見ると、
個人プレーばかりする選手は、
本当は自分に自信がないのではないかと思う。
「自信満々だから『オレが決めてやる』
というマインドを持てるのでは?」
確かにその通りだ。
そして、実際にそういう選手は
周りよりも実力があることが多い。
だから本来、
わざわざそのスキルを誇示しなくても、
自然にみんなが認めてくれる。
にもかかわらず、「個人プレー」と思われてまで
自分で決めることにこだわるのはなぜか。
それは、
他の選手が上手いプレーを決めたら、
自分がその選手よりも下だと認めることになるからだ。
人間関係を何事も勝ち負けで捉えていると、
その人の中には「アイツは自分より上手いか下手か」
という序列が出来上がる。
自分より下だと思い込んでいる選手が、
シュートを決め、アシストを決め、勝利を決定づけたら、
自分はその選手よりも劣っているということになる。
強い自己愛によって、
「特別にすごい自分」を作り上げている者にとって、
他者の成功は自分そのものの否定になる。
「誰よりも上なはずの自分」
という誇大な自己像が傷つくことを
何よりも恐れている。
だから他者に成功の機会を与えたくない。
与えないためにはボールを渡さなければいい。
自分で決めてしまえば、もろい自己愛で作り上げた
「すごい自分」が崩されなくて済む。
試合終盤の勝負どころなら、
もっともスキルのある選手に託すのは立派な戦術。
だが、ボールを持つたびに
そういうプレーをする選手は、
自信満々な仮面をかぶって怯えているようにも見える。
4.セルフィッシュな選手になる3つの原因
ここまで見てきた通り、
個人プレーばかりする選手と思われることには
多くのデメリットがある。
しかし、彼らもバスケットを始めた当初から
セルフィッシュな選手だったわけではない。
なぜそうなったのか、3つの原因を考察した。
@常に「エース」だったバスケット歴
バスケット歴の中で、
いつも周りより飛び抜けて上手い存在だった場合、
「エース」と呼ばれ、もてはやされる。
そのように特別視され続けると、自己愛が肥大化する。
そして、
「自分はエースだ、すごい存在だ。
だから自分のやりたいようにプレーするのが当たり前だ」
という考えに至り、それがバスケット観になる。
Aプレーや出場機会を抑圧された経験
エースとは真逆の境遇で過ごしたパターン。
「お前はドリブルするな」
「このプレーだけをしろ」
など、自由なプレーを制限されてきた反動。
抑圧され続けると、
それを我慢しなくてよい環境に移ったとき、
反動で「本当に自由に」プレーするようになる。
ずっとボールを触らせてもらえなかったのなら、
好きなだけボールを持っていたくなる。
シュートを打たせてもらえなかったのなら、
すべて自分でシュートにいきたくなる。
それが「周りよりも上手い」場合、
やはり自己愛の肥大化が加速する。
B否定や無視の多い生育歴
プレーや出場機会の抑圧に似ているが、
より根本的な問題。
生育歴の中で、
自分を認めてもらえない経験や、
否定ばかりされる経験が多かったパターン。
「うまくいかないと認めてもらえなかった」
「そのままの自分を見てほしいのに見てもらえなかった」
そんな、自己愛を満たされなかった体験は、
耐えられないほどの心のすき間になる。
それを埋め合わせる手段が、
周りより優位な場所でスキルを披露することであり、
「ボールを独占して目立つこと」というわけだ。
5.彼らを一歩引いて眺め、有益なバスケットライフを
セルフィッシュな選手が味方にいると、
周りの選手はモヤモヤする。
「バスケットがつまらない」と思ったり、
「一緒にやりたくない」と思ったりすることもある。
とは言え、彼らが「自分が、自分が」となってしまうのは、
きっと悪意からではない。
人より強く、抑えきれない自己愛を
満たすことに必死なのだろう。
それはもしかすると、
幼少期までさかのぼる心の傷かも知れない。
長いバスケット人生では、
今後もそんな選手と出会うことがあるだろう。
その時に、
ただモヤモヤして終わるよりも、
その心理を想像して過ごす方が有益だと思う。
「認めてほしくてたまらないのかな」
「”理想の自分”が心のよりどころなのかな」
そうやって、一歩引いて彼らを眺めた方が、
充実したバスケット人生を送れるんじゃないだろうか。
リンク
2021年06月01日
【ブログ900日連続更新】〜ブログもYou Tubeも続ける、表現が楽しいから〜。
本記事をもって、
ブログ900日連続更新を達成。
900記事目を執筆してから
今日までの間に達成したことは、
【You Tube】英訳つきMV:2作目『月と狼』完成。
また、
無料動画編集ソフト「AviUtl」を
使った作品としても2作目になった。
ちなみに、
「AviUtl」を使った1作目がこちら。
見比べると、
わずかながら編集スキルが上達している。
振り返れば、
淡々と続けてきたようで、
産みの苦しみを乗り越えたようでもある。
書きたい記事、
動画で表現したいイメージは
あふれている。
なのに、
頭の中でぐちゃぐちゃになって、
どれも出せないことも多い。
それでも、続ける。
自分の内面を、
作品として表現するのが楽しいから。
ブログはもとより、
動画制作という
楽し過ぎるものに出逢ってしまったから。
ブログ900日連続更新を達成。
900記事目を執筆してから
今日までの間に達成したことは、
【You Tube】英訳つきMV:2作目『月と狼』完成。
また、
無料動画編集ソフト「AviUtl」を
使った作品としても2作目になった。
ちなみに、
「AviUtl」を使った1作目がこちら。
見比べると、
わずかながら編集スキルが上達している。
振り返れば、
淡々と続けてきたようで、
産みの苦しみを乗り越えたようでもある。
書きたい記事、
動画で表現したいイメージは
あふれている。
なのに、
頭の中でぐちゃぐちゃになって、
どれも出せないことも多い。
それでも、続ける。
自分の内面を、
作品として表現するのが楽しいから。
ブログはもとより、
動画制作という
楽し過ぎるものに出逢ってしまったから。
2021年05月29日
【一人暮らし料理】『豚肉のピリ辛山賊焼き丼』。
包丁を使わない一人暮らし料理シリーズ。
19〜20時頃にスーパーを訪れたなら、
狙うは「お肉コーナーの半額祭り」
そして味付き豚肉を獲得したなら、
すかさず野菜と一緒に炒め、ご飯にのせよう。
『豚肉のピリ辛山賊焼き丼』
ー目次ー
★完成★
豚さん、野菜さん、
半額祭りに参加できたタイミングさん、
ありがとう。
ごちそうさまでした。
19〜20時頃にスーパーを訪れたなら、
狙うは「お肉コーナーの半額祭り」
そして味付き豚肉を獲得したなら、
すかさず野菜と一緒に炒め、ご飯にのせよう。
『豚肉のピリ辛山賊焼き丼』
ー目次ー
- 材料
- 作成手順
- ポイント・小ネタ
1.材料
- 味付き豚肉:山賊焼き※半額
- 刻み野菜(ラーメン用:もやし、人参、キャベツ、タマネギ)
- ご飯
2.作成手順
- フライパンに刻み野菜を敷く
- その上に豚肉山賊焼きを敷く
- すかさず炒めてご飯にのせる
★完成★
3.ポイント・小ネタ
- 野菜の上から肉を敷き、タレをまぶす
フライパンで炒める時、
まず野菜を敷き詰めてから肉を入れる。
そうすることで、味付きのタレを
野菜にまんべんなくかけられる、気がする。 - フライパンごと食べる
写真は撮影用にお皿によそったもの。
これはおそらく、
多くの一人暮らしがやっていると思う。
お皿を使わずフライパンにご飯を入れて混ぜる。
洗い物が減る上に、
フライパンに残ったタレを
残さずご飯にかけられる。
豚さん、野菜さん、
半額祭りに参加できたタイミングさん、
ありがとう。
ごちそうさまでした。
2021年05月27日
思い通りにならないと怒りをぶつけてくる人は「ママのいじわる!」と言っている子ども。
自分の思い通りにならないと文句を言ったり、
怒りをぶつけてくる人に悩んでいないだろうか。
「思っても口に出すかどうかは選べるのに、
どうしてわざわざ言うんだろう」
そう感じながらも、
相手の気分を害した自分への罪悪感が止まらない。
そんな経験はないだろうか。
自分の思い通りにならないと、
相手に文句を言ったり怒りをぶつけたりする人。
彼らがなぜそうするのか、
どのような心理が働いているのかを考察した。
彼らと適切に距離を取り、
自分を守るための一助になれば嬉しい。
ー目次ー
自分の思い通りにならないと、
相手に文句や怒りをぶつけるのはなぜか。
それは
罪悪感や恐怖感を与えて
相手をコントロールしたいから。
自分の行動に罪を感じた時、人の心は弱くなる。
それを知ってか無意識か、
彼らはこちらに罪の意識を持たせようとしてくる。
怒りをぶつけて恐怖感を与えれば、
人は命の危機を感じて弱くなる。
「怒らせてはいけない」
「怒らせると命に関わる」
だから、生き延びるためには従うしか選択肢がなくなる。
彼らは心の底で、それを狙っている。
なぜ罪悪感や恐怖感を与えてまで、
自分の思い通りにコントロールしたいのか。
それは、
相手を思い通りに支配することで優越感を満たし、
自分の存在や力を確認できるから。
「他者を意のままに操れる自分はすごい存在だ」
「それだけ能力も影響力もある存在だ」
そんな優越感、万能感を、他者を使って確認できるから。
ただし、それは裏返せば、
自分ひとりでは自分の力も存在意義も
認められないということ。
自分という存在を保つために他者を支配する。
それは他者に甘え、依存しているのと同じ。
「他者を自分の思い通りにしたい」
そんな支配欲は誰もが持っているという。
なのに、それを表に出さない人と、
彼らのようにすぐに相手にぶつける人がいるのはなぜか。
「こう言ったら相手がどう思うか」よりも、
自分の気持ちをぶつけることが最優先。
「思い通りにならなかった」
そのときの感情を自分だけで処理できないから、
他者にぶつけて処理してもらおうとする。
もしくは、これまでの人生で
「相手が嫌な気持ちになるかも知れない」
と考えることを学んでこなかったため。
これまでの人生で、
この手法で相手をコントロールできたという
成功体験によるもの。
また、
それを周りに許されてきたり、
咎められた経験が少なければ、
それが正義と信じて疑わなくなる。
自分の行いは「成功」「正義」なので顧みる必要がなく、
そのまま大人になったパターン。
子どもが言うことを聞かなかった時、
親が同じような方法でコントロールしてきたため。
子どもの頃から自分がそうされてきたことで、
「これが人を思い通りに動かす方法だ」と学んでいる。
また、親にそうやって抑圧されてきたことへの怒りを、
親にやり返すことができない。
だから今度は自分より格下だと思う者に、
親への怒りを代わりにぶつけている。
自分の思い通りにならないと、
文句を言ったり怒りをぶつけたりする人は、
誰にでもこのようなことをするんだろうか。
そういう人もいるだろうが、
おそらく多くの場合は相手を選んでいる。
その場合、
穏やかでお人好しな人、
性格的、立場的に逆らえないような人が狙われる。
親子の例えがわかりやすいが、
彼らのターゲットはコントロールできそうな人、
自分より弱いと思っている人だ。
彼らは自分より明らかに上の人や、
言うことを聞かなそうな人には言わない。
コントロールできないことがわかっているからだ。
下手に手を出せば返り討ちに遭い、
なけなしのプライドを傷つけられてしまう。
彼らの目的は格上に挑んで勝つことじゃない。
格下を支配して「自分はすごい」と思い込むことだ。
彼らは、優越感を得られない相手には手を出さない。
「思い通りにならないからって、
わざわざ言わなくてもいいじゃないか」
そう彼らに言い返して戦うのも手だ。
「言い返したら相手と同じ土俵に上がる」
「争いは同じレベルでのみ起きる」
確かにそうかも知れない。
が、「嫌だ」と感じた自分の気持ちを
尊重するための戦いなら充分に意義がある。
ただ、
この記事を見つけて読んでくれたということは、
それができなくて悩んでいるんだと思う。
言い返して戦える人なら、とっくにやり返している。
それに、やり返してもおそらく相手は変わらない。
長い年月をかけて形成された人格だ。
「思い通りにならない相手が悪い」という価値観は、
1度や2度やり返されたくらいでは揺らがない。
彼らからすれば、
支配されて当然の格下(と思っている者)が
歯向かってきたのだから、余計に気分を害する。
よって、非常に悔しいが
真っ向勝負は徒労に終わる可能性が高い。
正面から戦うことが難しくても、ここで大切なことは2つ。
彼らは
コントロールできそうな相手を探して、
「すごいはずの自分」を確認したい。
それが叶わない相手だと思わせられれば、
自分から去っていく。
だから、自分が「嫌だ」と思ったなら断る。
その過程で何度も、相手からの言葉の刃物が刺さるだろう。
とても痛いが、ここが正念場。
その痛みを乗り越えた先に「支配されない自分」が待っている。
そして、その痛みを乗り越えるために役立つのは、
彼らの心理メカニズムを知ること。
「なぜそうするのか」
「隠された本当の目的は何なのか」
彼らの幼い言動の裏側を理解すれば、
距離の取り方を変えられる。
以前は傷つくだけだった彼らからの言葉も
大らかに捉えられるようになる。
「おもちゃ屋の前で駄々をこねる子どもと一緒」
いろいろ言ってくるが、要は「ママのいじわる!」だ。
そう考えれば、心へのダメージを減らすこともできる。
思い通りにならないと怒る人に悩んでいる、優しい人へ。
どうか、自分を守ってほしい。
→あわせて読みたい
気にしないのも大切だけど、気にする自分も否定しないであげてね。
優しい人が突然いなくなるのは、我慢の限界を超えた時。
怒りをぶつけてくる人に悩んでいないだろうか。
「思っても口に出すかどうかは選べるのに、
どうしてわざわざ言うんだろう」
そう感じながらも、
相手の気分を害した自分への罪悪感が止まらない。
そんな経験はないだろうか。
自分の思い通りにならないと、
相手に文句を言ったり怒りをぶつけたりする人。
彼らがなぜそうするのか、
どのような心理が働いているのかを考察した。
彼らと適切に距離を取り、
自分を守るための一助になれば嬉しい。
ー目次ー
- 怒りをぶつける理由:罪悪感や恐怖感でコントロールするため
- コントロールする理由:他者を支配し優越感を得たいため
- 怒りを表に出す理由:自分の感情が優先・成功体験・親がそうだから
@自分の感情が何よりも優先
A成功体験
B親がそうだから - 怒りをぶつけられる”格下”を探し、選んでいる
- 言い返して戦うことで解決するか
- 幼い相手の心理を知り、距離の取り方を変える
1.怒りをぶつける理由:罪悪感や恐怖感でコントロールするため
自分の思い通りにならないと、
相手に文句や怒りをぶつけるのはなぜか。
それは
罪悪感や恐怖感を与えて
相手をコントロールしたいから。
自分の行動に罪を感じた時、人の心は弱くなる。
それを知ってか無意識か、
彼らはこちらに罪の意識を持たせようとしてくる。
怒りをぶつけて恐怖感を与えれば、
人は命の危機を感じて弱くなる。
「怒らせてはいけない」
「怒らせると命に関わる」
だから、生き延びるためには従うしか選択肢がなくなる。
彼らは心の底で、それを狙っている。
2.コントロールする理由:他者を支配し優越感を得たいため
なぜ罪悪感や恐怖感を与えてまで、
自分の思い通りにコントロールしたいのか。
それは、
相手を思い通りに支配することで優越感を満たし、
自分の存在や力を確認できるから。
「他者を意のままに操れる自分はすごい存在だ」
「それだけ能力も影響力もある存在だ」
そんな優越感、万能感を、他者を使って確認できるから。
ただし、それは裏返せば、
自分ひとりでは自分の力も存在意義も
認められないということ。
自分という存在を保つために他者を支配する。
それは他者に甘え、依存しているのと同じ。
3.怒りを表に出す理由:自分の感情が優先・成功体験・親がそうだから
「他者を自分の思い通りにしたい」
そんな支配欲は誰もが持っているという。
なのに、それを表に出さない人と、
彼らのようにすぐに相手にぶつける人がいるのはなぜか。
@自分の感情が何よりも優先
「こう言ったら相手がどう思うか」よりも、
自分の気持ちをぶつけることが最優先。
「思い通りにならなかった」
そのときの感情を自分だけで処理できないから、
他者にぶつけて処理してもらおうとする。
もしくは、これまでの人生で
「相手が嫌な気持ちになるかも知れない」
と考えることを学んでこなかったため。
A成功体験
これまでの人生で、
この手法で相手をコントロールできたという
成功体験によるもの。
また、
それを周りに許されてきたり、
咎められた経験が少なければ、
それが正義と信じて疑わなくなる。
自分の行いは「成功」「正義」なので顧みる必要がなく、
そのまま大人になったパターン。
B親がそうだから
子どもが言うことを聞かなかった時、
親が同じような方法でコントロールしてきたため。
子どもの頃から自分がそうされてきたことで、
「これが人を思い通りに動かす方法だ」と学んでいる。
また、親にそうやって抑圧されてきたことへの怒りを、
親にやり返すことができない。
だから今度は自分より格下だと思う者に、
親への怒りを代わりにぶつけている。
4.怒りをぶつけられる”格下”を探し、選んでいる
自分の思い通りにならないと、
文句を言ったり怒りをぶつけたりする人は、
誰にでもこのようなことをするんだろうか。
そういう人もいるだろうが、
おそらく多くの場合は相手を選んでいる。
その場合、
穏やかでお人好しな人、
性格的、立場的に逆らえないような人が狙われる。
親子の例えがわかりやすいが、
彼らのターゲットはコントロールできそうな人、
自分より弱いと思っている人だ。
彼らは自分より明らかに上の人や、
言うことを聞かなそうな人には言わない。
コントロールできないことがわかっているからだ。
下手に手を出せば返り討ちに遭い、
なけなしのプライドを傷つけられてしまう。
彼らの目的は格上に挑んで勝つことじゃない。
格下を支配して「自分はすごい」と思い込むことだ。
彼らは、優越感を得られない相手には手を出さない。
5.言い返して戦うことで解決するか
「思い通りにならないからって、
わざわざ言わなくてもいいじゃないか」
そう彼らに言い返して戦うのも手だ。
「言い返したら相手と同じ土俵に上がる」
「争いは同じレベルでのみ起きる」
確かにそうかも知れない。
が、「嫌だ」と感じた自分の気持ちを
尊重するための戦いなら充分に意義がある。
ただ、
この記事を見つけて読んでくれたということは、
それができなくて悩んでいるんだと思う。
言い返して戦える人なら、とっくにやり返している。
それに、やり返してもおそらく相手は変わらない。
長い年月をかけて形成された人格だ。
「思い通りにならない相手が悪い」という価値観は、
1度や2度やり返されたくらいでは揺らがない。
彼らからすれば、
支配されて当然の格下(と思っている者)が
歯向かってきたのだから、余計に気分を害する。
よって、非常に悔しいが
真っ向勝負は徒労に終わる可能性が高い。
6.幼い相手の心理を知り、距離の取り方を変える
正面から戦うことが難しくても、ここで大切なことは2つ。
- コントロールされないという姿勢を持つ
- 相手の心理やメカニズムを理解する
彼らは
コントロールできそうな相手を探して、
「すごいはずの自分」を確認したい。
それが叶わない相手だと思わせられれば、
自分から去っていく。
だから、自分が「嫌だ」と思ったなら断る。
その過程で何度も、相手からの言葉の刃物が刺さるだろう。
とても痛いが、ここが正念場。
その痛みを乗り越えた先に「支配されない自分」が待っている。
そして、その痛みを乗り越えるために役立つのは、
彼らの心理メカニズムを知ること。
「なぜそうするのか」
「隠された本当の目的は何なのか」
彼らの幼い言動の裏側を理解すれば、
距離の取り方を変えられる。
以前は傷つくだけだった彼らからの言葉も
大らかに捉えられるようになる。
「おもちゃ屋の前で駄々をこねる子どもと一緒」
いろいろ言ってくるが、要は「ママのいじわる!」だ。
そう考えれば、心へのダメージを減らすこともできる。
思い通りにならないと怒る人に悩んでいる、優しい人へ。
どうか、自分を守ってほしい。
→あわせて読みたい
気にしないのも大切だけど、気にする自分も否定しないであげてね。
優しい人が突然いなくなるのは、我慢の限界を超えた時。
リンク
2021年05月17日
【会話泥棒】何でも自分の話にすり替える人は、認めてほしくて、自信がなくて、怯えている。
どんな話題で会話が始まっても、
話をすり替えて自分の話に持っていく人。
いわゆる「会話泥棒」に対して
モヤモヤを抱えた経験はないだろうか。
会話はスピーチでもプレゼンでもなくキャッチボール。
にもかかわらず、なぜ彼らは会話泥棒するのか。
彼らはどんな手口で、どんな心理で、
自分の話題にすり替えようとしているのか。
会話泥棒として疎まれても、
なぜ彼らは会話泥棒を止めないのか。
これらを考察した。
ー目次ー
会話泥棒が何でも自分の話にすり替えるのは、
人に認めてほしくてたまらないから。
「自分はすごい人間だと認めてほしい」
「自分はこんなに苦労していることを労ってほしい」
そんな承認欲求が強すぎて、黙っていられない。
隙あらば自分をアピールしていないと耐えられない。
会話泥棒する瞬間の彼らを観察していると、
その表情には焦りと余裕のなさが垣間見える。
そして、
まるで時間制限でもあるかのように、
自己アピールを早口でまくし立てる。
「今だ、泥棒するチャンス!逃してなるものか」
そんな、必死の叫びが伝わってくるように。
→あわせて読みたい
「【愚痴・自慢話】いつも同じ話をする人の深層心理の分析。」
会話泥棒をするにはまず、
獲物(聞き手)と会話を始める必要がある。
とはいえ、
何でも自分の話にすり替える人は
「めんどくさい人」と思われ、会話を避けられやすい。
そのことに気づいてか、無意識か、
会話の機会に恵まれない彼らは
次のような方法で会話の糸口を掴もうとする。
もちろん、ここで言う会話とは
「キャッチボール」ではなく、
自分の話にすり替えるチャンスのこと。
「●●さんは△△ができてすごいよね」
そうやって、自分を褒められては悪い気はしない。
だからつい、その人との会話を始めてしまう。
しかし、それこそが会話泥棒の狙い。
「しめた、土俵に上がってくれた」
そこからは、相手を褒めつつ、
自分の話に持っていくだけだ。
たとえば
「●●さんはすごいけど、自分は○○ができるんだけどね」
質問は会話の基本。
相手に興味を持ち、
相手が大切にしていることを知り、
共有できる価値観を探す。
しかし、
会話泥棒にとって質問は、
相手に興味があると見せかけて、
会話開始の抵抗感を無くすために使われる。
「相手を褒める」と似ているが、
自分に興味を持ってくれた相手に
気さくに質問されれば悪い気はしない。
だが、やはりこれも
「相手を自分の土俵に上げる」ための手段なのだ。
さらに言うと、
質問することで相手の能力や境遇、
得手不得手などの情報を集められる。
その中で自分よりも劣っている(と思われる)部分があれば、
「マウンティング」もしやすくなる。
彼らにとって、
質問には会話開始の手段だけでなく、
マウンティングの材料を増やす効果もある。
「自分なんかこれができなくて」
「自分なんかこれが下手で」
これも会話を始めるための手段だが、
泥棒に持ち込むまでの道順が少し異なる。
この場合、
いったん自分を否定したり、落としたりすることで、
相手の「そんなことないよ」を引き出したいのだ。
相手から励ましをもらえたら、
そこが会話泥棒のチャンスになる。
そこからは
冒頭で「できない」と否定した以外の、
自分ができることを延々と語る。
会話泥棒という行為は、
自分の周りから人が離れるリスクが大きい。
他者の時間と、話をしたい欲求を奪い、
「この人と話したくない」と思われてしまうからだ。
たとえそれを自覚していても、
彼らはリスクよりも自分のアピールを
優先していることになる。
なぜなら、
「人が離れていくリスク」よりも
「自分はすごいと認めてもらえないことへの恐怖」が
はるかに大きいからだ。
人に会話を避けられるようになっても、
彼らには
「自分の話をし過ぎたかな」
「もう少しキャッチボールを意識しよう」
などと、行動を省みる余裕などない。
「本当はすごくないかも知れない自分」から
目を逸らすのに精一杯だからだ。
彼らは自信満々だから、
自分の話が有益で面白いから、
会話泥棒をするわけじゃない。
「自分はすごい”はず”なんだ」と
言い続けなければ、恐怖と不安に
飲み込まれてしまうからだ。
その行為がまた人を遠ざけ、
会話のチャンスを自ら減らしているにもかかわらず。
→あわせて読みたい
優しい人が突然いなくなるのは、我慢の限界を超えた時。
彼らの親も会話泥棒、もしくは親に自分の話を
聞いてもらえなかったのかも知れない。
「何もできないお前は無価値だ、できたら愛してやる」
そんな、条件付きの愛情しかもらえなかった結果、
「できる自分」を必死でアピールするように
なったのかも知れない。
「認めてほしい、褒めてほしい」
そんな悲痛な叫びに押し潰されまいと、
会話泥棒になるしかなかったのかも知れない。
それでも、
会話泥棒が他者の「時間」と「話したい欲求」を
奪っている事実に変わりはない。
彼らの辛い過去を想像し、理解はしよう。
だが、
ストレスを抱えながら我慢して付き合うか、
最小限の関わりに抑えるかは自分で選べる。
人生は自分が思っているよりもずっと短い。
一度きりの限りある天寿は、
会話泥棒ではなく、話していて楽しい人と過ごせばいい。
→あわせて読みたい
聞き役に疲れたら 〜聞き役は、飢えた人の心を救う”お母さん”〜
話をすり替えて自分の話に持っていく人。
いわゆる「会話泥棒」に対して
モヤモヤを抱えた経験はないだろうか。
会話はスピーチでもプレゼンでもなくキャッチボール。
にもかかわらず、なぜ彼らは会話泥棒するのか。
彼らはどんな手口で、どんな心理で、
自分の話題にすり替えようとしているのか。
会話泥棒として疎まれても、
なぜ彼らは会話泥棒を止めないのか。
これらを考察した。
ー目次ー
- 会話泥棒する理由:認めてほしくてたまらない
- 会話泥棒する3つの手口:相手を褒める・質問する・自分の否定から入る
@相手を褒める
A質問する
B自分の否定から入る - 会話泥棒が止められない心理:承認されない恐怖と不安
- 会話泥棒への理解:辛い過去は想像しても、自分の気持ちは守ろう
1.会話泥棒する理由:認めてほしくてたまらない
会話泥棒が何でも自分の話にすり替えるのは、
人に認めてほしくてたまらないから。
「自分はすごい人間だと認めてほしい」
「自分はこんなに苦労していることを労ってほしい」
そんな承認欲求が強すぎて、黙っていられない。
隙あらば自分をアピールしていないと耐えられない。
会話泥棒する瞬間の彼らを観察していると、
その表情には焦りと余裕のなさが垣間見える。
そして、
まるで時間制限でもあるかのように、
自己アピールを早口でまくし立てる。
「今だ、泥棒するチャンス!逃してなるものか」
そんな、必死の叫びが伝わってくるように。
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「【愚痴・自慢話】いつも同じ話をする人の深層心理の分析。」
2.会話泥棒する3つの手口:相手を褒める・質問する・自分の否定から入る
会話泥棒をするにはまず、
獲物(聞き手)と会話を始める必要がある。
とはいえ、
何でも自分の話にすり替える人は
「めんどくさい人」と思われ、会話を避けられやすい。
そのことに気づいてか、無意識か、
会話の機会に恵まれない彼らは
次のような方法で会話の糸口を掴もうとする。
@相手を褒める
もちろん、ここで言う会話とは
「キャッチボール」ではなく、
自分の話にすり替えるチャンスのこと。
「●●さんは△△ができてすごいよね」
そうやって、自分を褒められては悪い気はしない。
だからつい、その人との会話を始めてしまう。
しかし、それこそが会話泥棒の狙い。
「しめた、土俵に上がってくれた」
そこからは、相手を褒めつつ、
自分の話に持っていくだけだ。
たとえば
「●●さんはすごいけど、自分は○○ができるんだけどね」
A質問する
質問は会話の基本。
相手に興味を持ち、
相手が大切にしていることを知り、
共有できる価値観を探す。
しかし、
会話泥棒にとって質問は、
相手に興味があると見せかけて、
会話開始の抵抗感を無くすために使われる。
「相手を褒める」と似ているが、
自分に興味を持ってくれた相手に
気さくに質問されれば悪い気はしない。
だが、やはりこれも
「相手を自分の土俵に上げる」ための手段なのだ。
さらに言うと、
質問することで相手の能力や境遇、
得手不得手などの情報を集められる。
その中で自分よりも劣っている(と思われる)部分があれば、
「マウンティング」もしやすくなる。
彼らにとって、
質問には会話開始の手段だけでなく、
マウンティングの材料を増やす効果もある。
B自分の否定から入る
「自分なんかこれができなくて」
「自分なんかこれが下手で」
これも会話を始めるための手段だが、
泥棒に持ち込むまでの道順が少し異なる。
この場合、
いったん自分を否定したり、落としたりすることで、
相手の「そんなことないよ」を引き出したいのだ。
相手から励ましをもらえたら、
そこが会話泥棒のチャンスになる。
そこからは
冒頭で「できない」と否定した以外の、
自分ができることを延々と語る。
3.会話泥棒が止められない心理:承認されない恐怖と不安
会話泥棒という行為は、
自分の周りから人が離れるリスクが大きい。
他者の時間と、話をしたい欲求を奪い、
「この人と話したくない」と思われてしまうからだ。
たとえそれを自覚していても、
彼らはリスクよりも自分のアピールを
優先していることになる。
なぜなら、
「人が離れていくリスク」よりも
「自分はすごいと認めてもらえないことへの恐怖」が
はるかに大きいからだ。
人に会話を避けられるようになっても、
彼らには
「自分の話をし過ぎたかな」
「もう少しキャッチボールを意識しよう」
などと、行動を省みる余裕などない。
「本当はすごくないかも知れない自分」から
目を逸らすのに精一杯だからだ。
彼らは自信満々だから、
自分の話が有益で面白いから、
会話泥棒をするわけじゃない。
「自分はすごい”はず”なんだ」と
言い続けなければ、恐怖と不安に
飲み込まれてしまうからだ。
その行為がまた人を遠ざけ、
会話のチャンスを自ら減らしているにもかかわらず。
→あわせて読みたい
優しい人が突然いなくなるのは、我慢の限界を超えた時。
4.会話泥棒への理解:辛い過去は想像しても、自分の気持ちは守ろう
彼らの親も会話泥棒、もしくは親に自分の話を
聞いてもらえなかったのかも知れない。
「何もできないお前は無価値だ、できたら愛してやる」
そんな、条件付きの愛情しかもらえなかった結果、
「できる自分」を必死でアピールするように
なったのかも知れない。
「認めてほしい、褒めてほしい」
そんな悲痛な叫びに押し潰されまいと、
会話泥棒になるしかなかったのかも知れない。
それでも、
会話泥棒が他者の「時間」と「話したい欲求」を
奪っている事実に変わりはない。
彼らの辛い過去を想像し、理解はしよう。
だが、
ストレスを抱えながら我慢して付き合うか、
最小限の関わりに抑えるかは自分で選べる。
人生は自分が思っているよりもずっと短い。
一度きりの限りある天寿は、
会話泥棒ではなく、話していて楽しい人と過ごせばいい。
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聞き役に疲れたら 〜聞き役は、飢えた人の心を救う”お母さん”〜
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2021年05月16日
英領サウスジョージア島〜シャクルトン大漂流の舞台はペンギンの楽園に〜。
僕は毎朝、以下の手順で
英語シャドーイング学習を続けています。
映像と字幕を後追いすることで、
場面に沿った言い回しが何となくわかってきます。
少しずつですが、言葉が理解できるようになれば、
英語の物語を見るのが楽しくなります。
本日の参考動画は『英領・サウスジョージア島』
探検家シャクルトンが南極海を漂流した末に、
帰り着いた場所です。
ー英語学習・目次ー
『How an Abandoned Whaling Station Turned Into a Penguin Paradise』
Abandoned for the last 53 years, this eerie whaling station stands remote, rusted, but reclaimed by the wildlife it once hunted to near extinction.
Welcome to Grytviken.
Grytviken was a working whaling station on the British island of South Georgia, located 1,500 miles away from the foot of Argentina.
Founded in 1904, the vacated settlement was once the largest whaling station in the area.
Over 60 years, over 175,000 whales were killed on the island, out of which nine million barrels of oil was produced from the blubber, meat, and bone.
The station closed in 1966, after the local whale populations were decimated.
But there is hope for the wildlife on this island.
Beyond Grytviken, the island as a whole is thought to be the most important penguin and bird breeding area in the world, hosting over three million penguins a year.
And the whales are making a comeback.
Although their populations are thought not to be fully recovered, the waters are now a vibrant whale sanctuary.
The island stands as a testament to the natural world's great gift to bounce back and reclaim what was once theirs.
『放棄された捕鯨基地がペンギンの楽園に変わるまで』
過去53年間放棄されたこの不気味な捕鯨基地は、
遠く離れた場所にあり、錆びていますが、
かつては絶滅の危機に瀕していた
野生生物に埋め尽くされました。
グリトビケンへようこそ。
グリトビケンは、
アルゼンチンの沿岸から1,500マイル離れた
サウスジョージア島にある捕鯨基地でした。
1904年に設立されたこの集落は、
かつてこの地域で最大の捕鯨基地でした。
60年以上にわたって、
島で175,000頭以上のクジラが殺され、
そこから900万バレルの鯨油が
脂身、肉、骨から生産されました。
近海のクジラの個体数が減少した後、
捕鯨基地は1966年に閉鎖されました。
しかし、この島の野生生物には希望があります。
グリトビケンを超えて、
この島全体が世界で最も重要なペンギンと鳥の
繁殖地であると考えられており、
年間300万羽以上のペンギンが生息しています。
そしてクジラは復活を遂げています。
彼らの個体数は
完全には回復していないと考えられていますが、
現在、この海域は活気に満ちたクジラの聖域となっています。
この島は、かつて彼らのものだったものを
跳ね返して取り戻すという
自然界の素晴らしい贈り物の証です。
サウスジョージア島は、
探検家シャクルトンの南極海漂流の記録
『そして、奇跡は起こった!―シャクルトン隊、全員生還』
を読んで知った。
彼らは南極大陸横断を目指しながら、
大陸へ辿り着けず遭難。
そして極寒の南極海を2年も漂流しながら、
1人の隊員も死なせず生還した。
サウスジョージア島は、
シャクルトン一行が南極大陸へ向かう前に
立ち寄った島。
そして、
南極海の孤島に取り残された彼らが
小さな救命ボートで南極海を横断し、
辿り着いた島。
この時代、
もしサウスジョージア島に捕鯨基地がなかったら、
シャクルトン一行は助からなかったかも知れない。
シャクルトンの偉業が生まれた一方で、
捕鯨基地の稼働によって失われた自然もある。
南大西洋に浮かぶ絶海の孤島は、
そんな皮肉な物語を背負っているように感じる。
英語シャドーイング学習を続けています。
- 英語動画を英語字幕で視聴
- シャドーイング
- 英語に文字起こし
- 日本語に翻訳
映像と字幕を後追いすることで、
場面に沿った言い回しが何となくわかってきます。
少しずつですが、言葉が理解できるようになれば、
英語の物語を見るのが楽しくなります。
本日の参考動画は『英領・サウスジョージア島』
探検家シャクルトンが南極海を漂流した末に、
帰り着いた場所です。
ー英語学習・目次ー
- 本日の参考動画
- 英語に文字起こし
- 日本語に翻訳
- サウスジョージア島は”シャクルトンの大漂流”の舞台
1.本日の参考動画
2.英語に文字起こし
『How an Abandoned Whaling Station Turned Into a Penguin Paradise』
Abandoned for the last 53 years, this eerie whaling station stands remote, rusted, but reclaimed by the wildlife it once hunted to near extinction.
Welcome to Grytviken.
Grytviken was a working whaling station on the British island of South Georgia, located 1,500 miles away from the foot of Argentina.
Founded in 1904, the vacated settlement was once the largest whaling station in the area.
Over 60 years, over 175,000 whales were killed on the island, out of which nine million barrels of oil was produced from the blubber, meat, and bone.
The station closed in 1966, after the local whale populations were decimated.
But there is hope for the wildlife on this island.
Beyond Grytviken, the island as a whole is thought to be the most important penguin and bird breeding area in the world, hosting over three million penguins a year.
And the whales are making a comeback.
Although their populations are thought not to be fully recovered, the waters are now a vibrant whale sanctuary.
The island stands as a testament to the natural world's great gift to bounce back and reclaim what was once theirs.
3.日本語に翻訳
『放棄された捕鯨基地がペンギンの楽園に変わるまで』
過去53年間放棄されたこの不気味な捕鯨基地は、
遠く離れた場所にあり、錆びていますが、
かつては絶滅の危機に瀕していた
野生生物に埋め尽くされました。
グリトビケンへようこそ。
グリトビケンは、
アルゼンチンの沿岸から1,500マイル離れた
サウスジョージア島にある捕鯨基地でした。
1904年に設立されたこの集落は、
かつてこの地域で最大の捕鯨基地でした。
60年以上にわたって、
島で175,000頭以上のクジラが殺され、
そこから900万バレルの鯨油が
脂身、肉、骨から生産されました。
近海のクジラの個体数が減少した後、
捕鯨基地は1966年に閉鎖されました。
しかし、この島の野生生物には希望があります。
グリトビケンを超えて、
この島全体が世界で最も重要なペンギンと鳥の
繁殖地であると考えられており、
年間300万羽以上のペンギンが生息しています。
そしてクジラは復活を遂げています。
彼らの個体数は
完全には回復していないと考えられていますが、
現在、この海域は活気に満ちたクジラの聖域となっています。
この島は、かつて彼らのものだったものを
跳ね返して取り戻すという
自然界の素晴らしい贈り物の証です。
4.サウスジョージア島は”シャクルトンの大漂流”の舞台
サウスジョージア島は、
探検家シャクルトンの南極海漂流の記録
『そして、奇跡は起こった!―シャクルトン隊、全員生還』
を読んで知った。
彼らは南極大陸横断を目指しながら、
大陸へ辿り着けず遭難。
そして極寒の南極海を2年も漂流しながら、
1人の隊員も死なせず生還した。
サウスジョージア島は、
シャクルトン一行が南極大陸へ向かう前に
立ち寄った島。
そして、
南極海の孤島に取り残された彼らが
小さな救命ボートで南極海を横断し、
辿り着いた島。
この時代、
もしサウスジョージア島に捕鯨基地がなかったら、
シャクルトン一行は助からなかったかも知れない。
シャクルトンの偉業が生まれた一方で、
捕鯨基地の稼働によって失われた自然もある。
南大西洋に浮かぶ絶海の孤島は、
そんな皮肉な物語を背負っているように感じる。
リンク
2021年05月09日
【900記事】ブログ毎日更新877日 〜挑戦すれば、何かを成し遂げられる〜。
本記事をもって、
900記事目の執筆と、
ブログ877日連続更新を達成。
800記事目を書いてから、
この100日間で新しく挑戦したことは、
挑戦すれば、行動すれば、何かを成し遂げられる。
ー目次ー
2020年12月に
You Tubeチャンネルを開設。
それまで使っていた
Windows標準搭載の「ビデオエディター」から
フリー動画編集ソフト「AviUtl」に変更。
ブログで英語シャドーイング学習をしていることを活かし、
英訳つきミュージックビデオの作成に挑戦。
完成した動画がこちら。
<参考サイト>
・ソフトのダウンロード
AviUtlのお部屋
・ソフトの使い方
AviUtlの易しい使い方
編集能力、構成力、演出、etc。
「まだまだだなぁ」と思う反面、
どこまで上達できるか、自分にわくわくした。
そして気づいてしまった。
動画作成があまりにも楽しいことに。
2021年5月から、
本格的に草野球を始めた。
1年目は投げ方の基礎から、
打球の追い方、捕り方を学んだ。
「いずれはマウンドに立ちたい」
そんな目標が芽生えても、
手の届かないような、遥か遠くに思えた。
野球を始めて2年目。
僕はいつの間にか、
打撃投手を務められるまでになっていた。
「左投げでも、二遊間をやってみたい」
「投手に挑戦したい」
そんな目標を語っても、
誰ひとり否定せず応援してくれた。
僕は本当に、友達に恵まれている。
「2年後、マウンドで投げてるよ」
2年前の自分にこう言っても、
おそらく信じなかっただろう。
どんな小さなことでも、
どんなに下手でも、
成功体験は自信になる。
たとえ、
思い描いた通りの結果ではなくても、
「やってみたい」を行動に移せば、
自分に何かが残っている。
挑戦すれば、行動すれば、
何かを成し遂げられる。
今できることは、
自信を「過信」にも「奢り」にもしないこと。
そして、
これまで通り、淡々と続けること。
今日まで
900の記事を書き続けてきたように。
900記事目の執筆と、
ブログ877日連続更新を達成。
800記事目を書いてから、
この100日間で新しく挑戦したことは、
- You Tube:英訳つきミュージックビデオの作成
- 野球2年目:投手に挑戦
挑戦すれば、行動すれば、何かを成し遂げられる。
ー目次ー
- You Tube:英訳つきミュージックビデオの作成
- 野球2年目:投手に挑戦
- 挑戦すれば、何かを成し遂げられる
1.You Tube:英訳つきミュージックビデオの作成
2020年12月に
You Tubeチャンネルを開設。
それまで使っていた
Windows標準搭載の「ビデオエディター」から
フリー動画編集ソフト「AviUtl」に変更。
ブログで英語シャドーイング学習をしていることを活かし、
英訳つきミュージックビデオの作成に挑戦。
完成した動画がこちら。
<参考サイト>
・ソフトのダウンロード
AviUtlのお部屋
・ソフトの使い方
AviUtlの易しい使い方
編集能力、構成力、演出、etc。
「まだまだだなぁ」と思う反面、
どこまで上達できるか、自分にわくわくした。
そして気づいてしまった。
動画作成があまりにも楽しいことに。
2.野球2年目:投手に挑戦
2021年5月から、
本格的に草野球を始めた。
1年目は投げ方の基礎から、
打球の追い方、捕り方を学んだ。
「いずれはマウンドに立ちたい」
そんな目標が芽生えても、
手の届かないような、遥か遠くに思えた。
野球を始めて2年目。
僕はいつの間にか、
打撃投手を務められるまでになっていた。
「左投げでも、二遊間をやってみたい」
「投手に挑戦したい」
そんな目標を語っても、
誰ひとり否定せず応援してくれた。
僕は本当に、友達に恵まれている。
「2年後、マウンドで投げてるよ」
2年前の自分にこう言っても、
おそらく信じなかっただろう。
3.挑戦すれば、何かを成し遂げられる
どんな小さなことでも、
どんなに下手でも、
成功体験は自信になる。
たとえ、
思い描いた通りの結果ではなくても、
「やってみたい」を行動に移せば、
自分に何かが残っている。
挑戦すれば、行動すれば、
何かを成し遂げられる。
今できることは、
自信を「過信」にも「奢り」にもしないこと。
そして、
これまで通り、淡々と続けること。
今日まで
900の記事を書き続けてきたように。
2021年05月03日
【おすすめ本】『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』〜PART2 威圧的な人に支配される〜壊れた”脳の緊張のスイッチ”〜。
「人の感情を読み過ぎて疲れてしまう」
「嫌だと言えない、断ることができない」
「支配的な人と上下関係ができてしまう」
頭でわかっていても、いつまでも変われない。
そんな自分は意志が弱いのか?
そうやって悩んでいる時、この本に出逢った。
『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』
なぜこんなに他者の感情に
振り回されてしまうのか
なぜ他者のちょっとした仕草から
感情を読み取りすぎてしまうのか
そこに深く関わる脳のメカニズムを、
この本は簡単な言葉で伝えてくれる。
今回は
「威圧的な人に支配される〜壊れた”脳の緊張のスイッチ”〜」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章:第2章”知らぬ間にできあがる力関係の正体”
ー目次ー
なぜ威圧的な人には下手に出て、
上下関係ができてしまうのか。
それは、その人の
「脳の緊張のスイッチ」が壊れていることで、
攻撃されないよう、相手に気を使ってしまうから。
常に緊張のレベルが高く、怯えていると、
威圧的な相手に自己主張できなくなる。
その結果、相手の要求に応えるようになり、
振り回され、支配されてしまうという。
では、なぜ「脳の緊張のスイッチ」が
壊れてしまったのか。
大きな原因は
乳幼児期のネグレクトだという。
いちばん抱きしめてほしい時、
いちばん関心を寄せられ保護してほしい時に、
してもらえなかった。
守られているという安心感が育まれなかったため
「脳の緊張のスイッチ」が壊れてしまった。
それによって、他者への怯えが消えず、
いつも相手に気を使って支配されてしまう。
「威圧的な人に従う必要なんてない、
離れればいいじゃないか」
それでも、威圧的な人から
離れられないのはなぜか。
それは、
「緊張のホルモン」分泌がいつまでも止まらず、
逃げることも戦うこともできなくなるからだという。
威圧的な人の支配から
脱することができないのは、
「意志が弱い」からでも
「勇気がない」からでもない。
常に緊張度が高く、
逃げたり戦ったりするべき時に
力をうまく発揮できないからだった。
たとえば、
家族やパートナーからのDVやモラハラで、
ひどいことをされても離れられない。
あるいは、
アルコールやドラッグ依存症のパートナーが
「この人には私がついていなければ」
と思い、離れられない。
威圧的な人に支配され、
上下関係ができてしまうのは、
脳の仕組みによって常に緊張し
怯えているからだった。
そして攻撃されないよう、相手に過度に気を使い、
相手がしてほしいことをしてしまう。
それは「脳の緊張のスイッチ」が壊れてしまったからで、
原因は「乳幼児期のネグレクト」。
「生まれた直後に育まれるはずだった安心感」
これはまさに愛着障害と深く結びついている。
現在進行形で威圧的な人に悩んでいる人は、
長い間ずっと、高い緊張をしてきた。
身体に染みついた緊張をほぐすのは
難しいかも知れない。
それでも、
敵の正体や脳の仕組みを知ることは、
自分を救うために大いに役立つ。
威圧的な人、支配的な人から自分を解放し、
苦しむ必要のない人生を送るために。
ーー合わせて読みたい『愛着障害』の本ーー
「嫌だと言えない、断ることができない」
「支配的な人と上下関係ができてしまう」
頭でわかっていても、いつまでも変われない。
そんな自分は意志が弱いのか?
そうやって悩んでいる時、この本に出逢った。
『「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法』
なぜこんなに他者の感情に
振り回されてしまうのか
なぜ他者のちょっとした仕草から
感情を読み取りすぎてしまうのか
そこに深く関わる脳のメカニズムを、
この本は簡単な言葉で伝えてくれる。
今回は
「威圧的な人に支配される〜壊れた”脳の緊張のスイッチ”〜」
について、
参考になった筆者の意見を紹介していく。
※参考章:第2章”知らぬ間にできあがる力関係の正体”
ー目次ー
- 常に緊張し、怯えているから上下関係ができてしまう
- 乳幼児期のネグレクトにより、人への安心感が育まれなかった
- 高い緊張によって逃げられず、戦えず、支配から脱せない
- まとめ:敵の正体、脳の仕組みを知り、自分を救う
1.常に緊張し、怯えているから上下関係ができてしまう
なぜ威圧的な人には下手に出て、
上下関係ができてしまうのか。
それは、その人の
「脳の緊張のスイッチ」が壊れていることで、
攻撃されないよう、相手に気を使ってしまうから。
「脳の緊張のスイッチ」が壊れて
緊張しっぱなしになってしまうと、
常に相手におびえて気を使って、
「支配される人」になります。
緊張度が高いとみんなと打ち解けられず、
常にビクビクして
「自分が攻撃されないように」とか
「嫌われないように」と
周囲に気を使ってしまうからです。
第2章”知らぬ間にできあがる力関係の正体” 61ページより
常に緊張のレベルが高く、怯えていると、
威圧的な相手に自己主張できなくなる。
その結果、相手の要求に応えるようになり、
振り回され、支配されてしまうという。
2.乳幼児期のネグレクトにより、人への安心感が育まれなかった
では、なぜ「脳の緊張のスイッチ」が
壊れてしまったのか。
大きな原因は
乳幼児期のネグレクトだという。
いちばん抱きしめてほしい時、
いちばん関心を寄せられ保護してほしい時に、
してもらえなかった。
守られているという安心感が育まれなかったため
「脳の緊張のスイッチ」が壊れてしまった。
それによって、他者への怯えが消えず、
いつも相手に気を使って支配されてしまう。
3.高い緊張によって逃げられず、戦えず、支配から脱せない
「威圧的な人に従う必要なんてない、
離れればいいじゃないか」
それでも、威圧的な人から
離れられないのはなぜか。
それは、
「緊張のホルモン」分泌がいつまでも止まらず、
逃げることも戦うこともできなくなるからだという。
普通の人は威圧的な人を見たときに、
警戒して緊張して「逃げる!」か「戦う!」
ということで自分を守ることができます。
一方、緊張のスイッチが壊れてしまった人は、
危ない人が近くに来ると逆に固まって動けなくなり、
相手にいいように利用されてしまう可能性が高くなります。
第2章”知らぬ間にできあがる力関係の正体” 64ページより
威圧的な人の支配から
脱することができないのは、
「意志が弱い」からでも
「勇気がない」からでもない。
常に緊張度が高く、
逃げたり戦ったりするべき時に
力をうまく発揮できないからだった。
4.まとめ:敵の正体、脳の仕組みを知り、自分を救う
たとえば、
家族やパートナーからのDVやモラハラで、
ひどいことをされても離れられない。
あるいは、
アルコールやドラッグ依存症のパートナーが
「この人には私がついていなければ」
と思い、離れられない。
威圧的な人に支配され、
上下関係ができてしまうのは、
脳の仕組みによって常に緊張し
怯えているからだった。
そして攻撃されないよう、相手に過度に気を使い、
相手がしてほしいことをしてしまう。
それは「脳の緊張のスイッチ」が壊れてしまったからで、
原因は「乳幼児期のネグレクト」。
「生まれた直後に育まれるはずだった安心感」
これはまさに愛着障害と深く結びついている。
現在進行形で威圧的な人に悩んでいる人は、
長い間ずっと、高い緊張をしてきた。
身体に染みついた緊張をほぐすのは
難しいかも知れない。
それでも、
敵の正体や脳の仕組みを知ることは、
自分を救うために大いに役立つ。
威圧的な人、支配的な人から自分を解放し、
苦しむ必要のない人生を送るために。
ーー合わせて読みたい『愛着障害』の本ーー
2021年04月28日
【愚痴対策・”親切心で殺す”】相手の愚痴をすべてポジティブな応援メッセージに変換して返事する試み。
「いつも愚痴の聞き役になってしまう」
と悩んでいる人は多いと思う。
そして僕も、会うたびに
愚痴や他人の悪口を聞かされる人に悩んでいた。
初めは話を聞いて、
共感するのが優しさだと思い込んでいたが、
だんだん苦しくなっていった。
そしてある時、その行為は
成長しない相手を甘やかし、
嫌だと言えない自分から逃げているだけだと気づいた。
愚痴の聞き役から卒業したい、
嫌だと言える自分になりたい、
そんな時に、この言葉に出逢った。
「親切心で殺す」
そこで、
次に愚痴の聞き役になってしまったなら、
「親切心で殺す」を実践しようと決めた。
相手の愚痴を
すべてポジティブな応援メッセージに
変換して返事する試み
その結果と、そこから学んだことをシェアしたい。
ー目次ー
愚痴や誰かの悪口を聞かされた時の
具体的な返事は、すべて
「解決策と、不快に気づいたことへの賞賛」
「じゃあ次は○○すれば解決できるね!」
「自分が○○されたら嫌なんだと気づけて良かったね!」
次に生かすことと、未来を良くすることに
スポットライトを当てた。
愚痴への共感は敢えてしない。
それをすると「わかってもらえた」と思われ、
さらに愚痴を加速させてしまうから。
「あれ?いつもの共感の言葉が返ってこない」
そんな肩すかしを食らったのかも知れない。
マシンガンのようだったネガティブな言葉に、
詰まる頻度が高まった。
「ええと、次に何を話そう…。」
鈍くなった口調から、
次の話題に困っている様子も見られた。
「お母さん、あのね、今日こんなひどい目に遭ったんだ」
以前はまるで母親に話すように、
嬉しそうな表情で愚痴をぶつけていた。
ところが、
言葉に詰まる頻度と比例して、
嬉しそうだった表情が陰り始めた。
何だかバツが悪そうで、申し訳なさそうで、
滑ってしまったかのように。
話題に困ることと関連する。
愚痴ばかり言う人は
「過去を見ることが癖になっている」
ことがわかった。
「あの時、こうされて腹が立った」
「○○年前、あんなことがあったのはあいつが悪い」
自分はもう”あの時”にはいない。
にもかかわらず、いつまでも
”あの時”の感情を自分で解決できていない。
彼らは、生きている時間軸が違う、
「過去の住人」だった。
自分の言葉は
自分がいちばん近くで聞いている。
そして、どうやら脳は主語を理解できない。
だから
「あいつが悪い」
「あいつがおかしい」
など、他者へ向けた言葉でも、
脳は「悪い」「おかしい」という言葉を
しっかり切り取っている。
それをポジティブな言葉に変換することは
自分を前向きに、幸せにすることになる。
ものごとの捉え方、言い方ひとつで、
良い気分になれることにも気づく。
そして、それは自分の心を守り、
大切にすることにつながる。
今回の「親切心で殺す」試みは、
一定の効果があったと言える。
そういう人に会っても、以前のように
何の躊躇もなく愚痴を聞かされることは減った。
ここまで書いてきたことは、
あくまで僕の主観。
彼らが本当はどう感じたかはわからないし、
すべての愚痴対策になるとも限らない。
それでも、今回の試みで確信が持てたことは
「愚痴を言う人は、
愚痴を聞かせても問題ない人を選んでいる」
ということ。
そして、それを嫌だと言えない裏には
「嫌われたくない」
「怒らせたくない」
「傷つきたくない」
という自分の不安も隠れているということ。
「いつも愚痴の聞き役になるのは嫌」という課題から、
自分の内面の弱さと深く向き合うことができた。
僕らにできることは、
「親切心で殺される」側にならないこと。
嫌なことではなく、
幸せを数える癖をつけること。
そして、過去の住人にならず、
幸せに生きること。
ーー誰かの言動に心を振り回される時、参考にしたい本ーー
と悩んでいる人は多いと思う。
そして僕も、会うたびに
愚痴や他人の悪口を聞かされる人に悩んでいた。
初めは話を聞いて、
共感するのが優しさだと思い込んでいたが、
だんだん苦しくなっていった。
そしてある時、その行為は
成長しない相手を甘やかし、
嫌だと言えない自分から逃げているだけだと気づいた。
愚痴の聞き役から卒業したい、
嫌だと言える自分になりたい、
そんな時に、この言葉に出逢った。
「親切心で殺す」
悪口、陰口、嫌がらせ、筋トレ pic.twitter.com/BzhNKpgaH8
— Testosterone (@badassceo) August 6, 2017
そこで、
次に愚痴の聞き役になってしまったなら、
「親切心で殺す」を実践しようと決めた。
相手の愚痴を
すべてポジティブな応援メッセージに
変換して返事する試み
その結果と、そこから学んだことをシェアしたい。
ー目次ー
- 【具体的な返事の内容】解決策と、不快に気づいたことへの賞賛
- 【結果1:口調が鈍くなる】愚痴のテンポが落ち、言葉に詰まる
- 【結果2:表情に陰り】申し訳なさそうな、バツが悪そうな表情
- 【結果3:生きる時間軸の違い】”過去の住人”という確信
- 【自分への好影響】ポジティブな捉え方の癖をつけられる
- 【総評】”親切心で殺される”側にならず、幸せを数える
1.【具体的な返事の内容】解決策と、不快に気づいたことへの賞賛
愚痴や誰かの悪口を聞かされた時の
具体的な返事は、すべて
「解決策と、不快に気づいたことへの賞賛」
「じゃあ次は○○すれば解決できるね!」
「自分が○○されたら嫌なんだと気づけて良かったね!」
次に生かすことと、未来を良くすることに
スポットライトを当てた。
愚痴への共感は敢えてしない。
それをすると「わかってもらえた」と思われ、
さらに愚痴を加速させてしまうから。
2.【結果1:口調が鈍くなる】愚痴のテンポが落ち、言葉に詰まる
「あれ?いつもの共感の言葉が返ってこない」
そんな肩すかしを食らったのかも知れない。
マシンガンのようだったネガティブな言葉に、
詰まる頻度が高まった。
「ええと、次に何を話そう…。」
鈍くなった口調から、
次の話題に困っている様子も見られた。
3.【結果2:表情に陰り】申し訳なさそうな、バツが悪そうな表情
「お母さん、あのね、今日こんなひどい目に遭ったんだ」
以前はまるで母親に話すように、
嬉しそうな表情で愚痴をぶつけていた。
ところが、
言葉に詰まる頻度と比例して、
嬉しそうだった表情が陰り始めた。
何だかバツが悪そうで、申し訳なさそうで、
滑ってしまったかのように。
4.【結果3:生きる時間軸の違い】”過去の住人”という確信
話題に困ることと関連する。
愚痴ばかり言う人は
「過去を見ることが癖になっている」
ことがわかった。
「あの時、こうされて腹が立った」
「○○年前、あんなことがあったのはあいつが悪い」
自分はもう”あの時”にはいない。
にもかかわらず、いつまでも
”あの時”の感情を自分で解決できていない。
彼らは、生きている時間軸が違う、
「過去の住人」だった。
5.【自分への好影響】ポジティブな捉え方の癖をつけられる
自分の言葉は
自分がいちばん近くで聞いている。
そして、どうやら脳は主語を理解できない。
だから
「あいつが悪い」
「あいつがおかしい」
など、他者へ向けた言葉でも、
脳は「悪い」「おかしい」という言葉を
しっかり切り取っている。
それをポジティブな言葉に変換することは
自分を前向きに、幸せにすることになる。
ものごとの捉え方、言い方ひとつで、
良い気分になれることにも気づく。
そして、それは自分の心を守り、
大切にすることにつながる。
6.【総評】”親切心で殺される”側にならず、幸せを数える
今回の「親切心で殺す」試みは、
一定の効果があったと言える。
そういう人に会っても、以前のように
何の躊躇もなく愚痴を聞かされることは減った。
ここまで書いてきたことは、
あくまで僕の主観。
彼らが本当はどう感じたかはわからないし、
すべての愚痴対策になるとも限らない。
それでも、今回の試みで確信が持てたことは
「愚痴を言う人は、
愚痴を聞かせても問題ない人を選んでいる」
ということ。
そして、それを嫌だと言えない裏には
「嫌われたくない」
「怒らせたくない」
「傷つきたくない」
という自分の不安も隠れているということ。
「いつも愚痴の聞き役になるのは嫌」という課題から、
自分の内面の弱さと深く向き合うことができた。
僕らにできることは、
「親切心で殺される」側にならないこと。
嫌なことではなく、
幸せを数える癖をつけること。
そして、過去の住人にならず、
幸せに生きること。
ーー誰かの言動に心を振り回される時、参考にしたい本ーー