2016年09月26日
とっちゃん、今日の誕生日によせる想いとは・・
おはようございます、とっちゃんです!!
今日は私の誕生日です
9月26日生まれの有名人と言えば
芸能界では 吉谷彩子 秋山莉奈 佐藤藍子 クミコ 天童よしみ 牧伸二 池谷幸雄
スポーツ界では 野球の西口文也 ゴルフの園田俊輔 女子ゴルフの藤田光里など
そして「七色の誕生日占い」によれば
「アイデアマンにしてロマンチスト」とのタイトルで
多くの人にとって魅力的で親しみを持てる心優しい人柄の持ち主です。
非常に社交的で親切でかつ上品なので誰からも慕われ、
頼りにされることが多いでしょう。
一方で冴えた頭脳と揺るがない意思を持っている人でもあります。
内面的には感受性が強く、ロマンティストな一面もあるため、
様々な人の感情に触れて心が揺れ動く経験をするでしょう。
サービス精神も旺盛なため、人を喜ばせるアイデアを
常に考えて大きな成功を収めるでしょう。
芸術面にもとても興味を持っているため、
映画や演劇の評論家などもピッタリな職業といえます。
私に当てはめてみると大体当たっているかもしれません。
私はこの占いにあるように
小学生の頃から歌が大好きで山本君という友達と
放課後に体育館で二人歌謡ショーをやってました
勿論、観客は誰もいません・・よく叱られなかったな・・
私は 橋幸夫 舟木一夫 三田明
彼は 西郷輝彦 が専門でした
いまだに彼らの曲はほとんどモノマネできます・・
その後もレパートリーを広げ、前川清、森進一、五木ひろし、
和田アキ子、田原俊彦、近藤真彦など20名位は
コピーで歌えます
だからコロッケのショーを見に行ったのかも知れませんね・・
中学ではバレーボール
高校では入学式の前日にギックリ腰をやり最初から約一ヶ月の休学・・
ブラスバンドでトロンボーンを吹いていました
大学である友人と出会い彼の誘いでスキーと出会いました、
そしてそこで、今の家内と出会いました(運命だな・今思えば)
今だに大学の仲間数人とは付き合いがあります
スキーに誘ってくれたその友人はリクルートに入社し
常務取締役まで出世しました
その後角川さんの誘いがあって角川書店の社長を努め、
途切れることなくJ.comジュピターの副社長となりました
当時は「東洋経済」はじめ各経済誌によく紹介されてました
彼は、今だに私にとって一番の親友であり恩人でもあります
ある飲み会で彼に「通行人でもいいから映画に出してくれ」と
冗談で頼んだことがありましたが、そんなに簡単なものでは
ないそうです。
私は
社会に出てからは各地を転勤
神戸、広島、岐阜、東京は足立、池袋、静岡は富士、
そして神戸(前川清じゃないけど)
第二の職場である特殊法人ではさいたま新都心、
前橋、またさいたま新都心と異動しました
よく働いていますね!!
そしてこの春リタイアしました
ところで
皆さん、誕生日って何歳位まで嬉しいものですか?
また、祝ってくれる人はいますか?
<ここから独自の解釈>
私の勝手なこじつけを言えば
昔は、子供とくに乳幼児や幼児の生存率が低く、お祝いは
よくここまで育ってくれたね、
という両親の感謝を表した儀式とも考えられます。
逆に、お年寄りについては、米寿や喜寿などのお祝いに
代表されるように長生きそのものがおめでたいものだ
という考え方に基づいているものと考えられます
しかし、今の時代は超高齢化社会で、
「まだ、生きてるの?」てな顔をされたり、
独居老人という社会問題にまで発展しています。
きみまろの漫談の中に
亡くなったご主人にかける言葉のくだりがあります
「あなた、生きてる時は、あーしたい、こーしたいと
言ってたけど本当に死体になっちゃったわね」
「あーぁ、手が冷たいわね、大丈夫もうすぐとても熱くなるから・・」
最後に今日の私の誕生日に皆さんにある謂(いわ)れを贈ります
正確には覚えてなくて申し訳ありませんが
たしか・・
「幼子(おさなご)を叱るでない、皆が通って来た道じゃもの、
年寄りを嗤(わら)うでない、これから歩んでいく道じゃもの」
いつまでも、通用して欲しい言葉だと思います・・・
さて皆さん、今日も元気で頑張りましょう!!
今日は私の誕生日です
9月26日生まれの有名人と言えば
芸能界では 吉谷彩子 秋山莉奈 佐藤藍子 クミコ 天童よしみ 牧伸二 池谷幸雄
スポーツ界では 野球の西口文也 ゴルフの園田俊輔 女子ゴルフの藤田光里など
そして「七色の誕生日占い」によれば
「アイデアマンにしてロマンチスト」とのタイトルで
多くの人にとって魅力的で親しみを持てる心優しい人柄の持ち主です。
非常に社交的で親切でかつ上品なので誰からも慕われ、
頼りにされることが多いでしょう。
一方で冴えた頭脳と揺るがない意思を持っている人でもあります。
内面的には感受性が強く、ロマンティストな一面もあるため、
様々な人の感情に触れて心が揺れ動く経験をするでしょう。
サービス精神も旺盛なため、人を喜ばせるアイデアを
常に考えて大きな成功を収めるでしょう。
芸術面にもとても興味を持っているため、
映画や演劇の評論家などもピッタリな職業といえます。
私に当てはめてみると大体当たっているかもしれません。
私はこの占いにあるように
小学生の頃から歌が大好きで山本君という友達と
放課後に体育館で二人歌謡ショーをやってました
勿論、観客は誰もいません・・よく叱られなかったな・・
私は 橋幸夫 舟木一夫 三田明
彼は 西郷輝彦 が専門でした
いまだに彼らの曲はほとんどモノマネできます・・
その後もレパートリーを広げ、前川清、森進一、五木ひろし、
和田アキ子、田原俊彦、近藤真彦など20名位は
コピーで歌えます
だからコロッケのショーを見に行ったのかも知れませんね・・
中学ではバレーボール
高校では入学式の前日にギックリ腰をやり最初から約一ヶ月の休学・・
ブラスバンドでトロンボーンを吹いていました
大学である友人と出会い彼の誘いでスキーと出会いました、
そしてそこで、今の家内と出会いました(運命だな・今思えば)
今だに大学の仲間数人とは付き合いがあります
スキーに誘ってくれたその友人はリクルートに入社し
常務取締役まで出世しました
その後角川さんの誘いがあって角川書店の社長を努め、
途切れることなくJ.comジュピターの副社長となりました
当時は「東洋経済」はじめ各経済誌によく紹介されてました
彼は、今だに私にとって一番の親友であり恩人でもあります
ある飲み会で彼に「通行人でもいいから映画に出してくれ」と
冗談で頼んだことがありましたが、そんなに簡単なものでは
ないそうです。
私は
社会に出てからは各地を転勤
神戸、広島、岐阜、東京は足立、池袋、静岡は富士、
そして神戸(前川清じゃないけど)
第二の職場である特殊法人ではさいたま新都心、
前橋、またさいたま新都心と異動しました
よく働いていますね!!
そしてこの春リタイアしました
ところで
皆さん、誕生日って何歳位まで嬉しいものですか?
また、祝ってくれる人はいますか?
<ここから独自の解釈>
私の勝手なこじつけを言えば
昔は、子供とくに乳幼児や幼児の生存率が低く、お祝いは
よくここまで育ってくれたね、
という両親の感謝を表した儀式とも考えられます。
逆に、お年寄りについては、米寿や喜寿などのお祝いに
代表されるように長生きそのものがおめでたいものだ
という考え方に基づいているものと考えられます
しかし、今の時代は超高齢化社会で、
「まだ、生きてるの?」てな顔をされたり、
独居老人という社会問題にまで発展しています。
きみまろの漫談の中に
亡くなったご主人にかける言葉のくだりがあります
「あなた、生きてる時は、あーしたい、こーしたいと
言ってたけど本当に死体になっちゃったわね」
「あーぁ、手が冷たいわね、大丈夫もうすぐとても熱くなるから・・」
最後に今日の私の誕生日に皆さんにある謂(いわ)れを贈ります
正確には覚えてなくて申し訳ありませんが
たしか・・
「幼子(おさなご)を叱るでない、皆が通って来た道じゃもの、
年寄りを嗤(わら)うでない、これから歩んでいく道じゃもの」
いつまでも、通用して欲しい言葉だと思います・・・
さて皆さん、今日も元気で頑張りましょう!!
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