2018年01月29日
行ってきました、これがまるごと宮古島!! ぐるりと一周編
とっちゃんです
さて今回は、ゴルフの合間に巡った宮古島ぐるりと一周編をお届けします。
前回の東平安名崎もそのひとつですが、これは割愛します。
まずは島の南部に位置する「うえのドイツ文化村」です。
ここは、ホテルのマネージャーから「行かない方がいい、がっかりするから」と言われたスポットです。
どの位がっかりするのか、試してみたくて行ってみました。
そして実は、私はここに来てこの宮古島に下記の歴史があることを初めて知りました。
1873年(明治6年)7月、ドイツの商船ロベルトソン号が航行中に台風に遭い、宮古島の上野宮国沖で座礁しました。
これを見つけた宮国の住民は、荒波の中に小さな船で漕ぎ出して乗組員を救助し、1ヶ月近くの間、手厚く看護した上、無事本国へ帰国させたそうです。
帰国した船長から報告を受けたドイツの皇帝ウィルヘルム一世は、これに感動して島民の博愛の心を称えるために1876年に軍艦を派遣して、宮古島に「博愛記念碑」を建立しました。
ただ、当時は座礁した場所などが不明確なため、上野村ではなく、平良港近くにこの記念碑は建てられました。
これは今も残っています。
こうした交流を背景として、ドイツ文化をテーマとしたテーマパークを作ろうという構想が持ち上がり、1996年に完成したのが「うえのドイツ文化村」というわけです。
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2000年の沖縄サミットの際には、当時のドイツのシュレーダー首相も「文化村」を訪れて話題になりました。
何かあの有名な和歌山県とトルコとの交流の話によく似ていますね。
日本人の生真面目さと自らの危険を顧みない人としての行動に心打たれました。
●これが正面入口と案内マップ
●そして案内標識
●このマルクスブルク城(博愛記念館)の展望室からの眺めは絶景です。
有名なシギラリゾートも見えます。
●恋人岬と呼ばれているところからはハート岩が見られます。(マップ右上)
●また、先端にはシーサー岩があります。(マップ右上)
うーん、ともかく広い・・広いけど風が強くて寒い!!
●次にキンダーハウスに行ってみることにしました。(マップ右下)
ところで皆さんは、ベルリンの壁崩壊という歴史をご存知ですか?
第二次世界大戦でソ連が占領していた東ベルリンとアメリカ、イギリス、フランスが占領していた西ベルリンとの間で、東側から西側への人口流出を防ぐために作られた壁の事です。
西と東の境界線60kmを隔てるという認識は間違いで、西の周囲全域の165Kmに亘って作られた壁というのが正解です。
そして、1989年11月9日、東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊し、資本主義陣営と社会主義陣営の東西冷戦が終結する契機になった大事件です。
本物のベルリンの壁がキンダーハウスにあります。
●これがそれです、高さは4.3m。
西側と東側を比べてみると夫々のおかれていた状況が分かって興味深いですね。
●さて次はマネージャーお薦めのユートピアファーム宮古島です。
特にパッションフルーツのソフトクリームは欠かせないとのことで食べてみました。
家内は美味しいと言っていましたが、私はそもそもソフトクリームが余り好きではないので一口だけ・・しかも寒いし
ファームの中は正に南国でブーゲンビリア、ハイビスカス、三角バナナ、スターフルーツなどが楽しめます。
そして車は、島の北西に向かいます。
●まずは人気の砂山ビーチ
●砂浜までデリバリをしてくれるこの店はツィッターで広まり超人気店となったそうです。
ビーチまで登りと下りの深い砂道が続きます。
足が埋まって歩けない。
結構しんどいぞ・・
●波の浸食によってできたドーム状の大岩と白い砂浜は撮影スポットとしても人気があります。
はーい、残念ながらここで予定の紙面がなくなりました。
一周できなくてゴメンナサイ
■とっちゃんのまとめと感想
うえのドイツ文化村は行ってみた方がいいですね。
当時のドイツの庶民生活の様子も詳しく分かりますし、中世にタイムスリップできます。
それに当時の難破した船長の日記などは感動ものです。
また、係員の話では、ドイツに旅行するとお土産でベルリンの壁を砕いたものをアクセサリーや飾り物として売っているようですが大半は偽物だそうです。
ご注意を!!
次回は、島の北西部の残りと島の突端である西平安名崎そして池間島編をお届します
今日はここまで!!
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