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2021年04月22日

大正十一年のチェコスロバキアの政党(四月十九日)



 国会図書館オンラインで、チェコについての古い記述を探していたら、一般向けに刊行したのか、関係省庁にだけ配布したのかは知らないが、外務省が行った各国の政治状況の調査結果をまとめた本が見つかった。『各国の政党』と題された本は、大正十二年(1923)付けで刊行されているが、実際に調査が行われたのは、前年の大正十一年である。
 調査を担当したのは外務省の欧米局で、ヨーロッパだけでなく、南北アメリカ諸国も含めて、アイウエオ順に配列されているようである。その第十四編として「チエコ、スロヴアキア」国が挙げられている。ここに記されているのは、大正十一年四月時点のチェコスロバキアにおける政党の状況のようである。ちなみに次の第十五編は「智利國」で、恐らくはチリであろう。この時代政府の公文書では、漢字で表記される国名は「」に入れず、漢字の決まっていないカタカナの国名は「」に入れて、その後に「國」をつけるというルールがあるようである。

 まず、概要として、チェコスロバキア国内の政党が、「チエク」系、ドイツ系、ハンガリー系に分けることができ、それぞれ、八党、七党、二党存在することが記されている、政党間の対立は、おもにチェコ系とドイツ系の民族の対立に基づくものが多く、民族を超えて協力し合う例は、同様の政党名で同様の政策を掲げていてもほとんどないという。例外として共産党が、チェコ系とドイツ系で提携していたらしい。国名は「チエコ」なのに、政党の系統を示すときには「チエク」となっているのが不思議である。

 次にチェコ系の政党の説明として、全八党の議席を合わせると、下院の議員総数二百八十五のうち二百三という絶対的多数になり、これまでの内閣も全てチェコ系の政党が与党となっていたことが語られる。調査時点の内閣も、チェコ系の社会民主党と国民民主党の連立内閣だった。社会民主党は、建国直後から存在した政党で、百年の時を経て、現在は解党の危機を迎えているのである。
 ついでドイツ系の説明としては、全七党で下院に八十二名の議席を有していることが記される。以前はドイツ系の政党が主義主張を越えて、共同でチェコ系の政党に反対することが多かったが、最近は、単に政府に反対するのは経済上の不利益もあるということで、チェコ系の政党に接近する傾向があると説明されている。建国から三年ちょっとで、ドイツ系の政党が軟化をし始めていたということだろうか。
 ハンガリー系については、二党で下院に十議席を有することが記され、その勢力基盤がスロバキアの南部のハンガリー人居住地帯にあること、大抵は政府の政策に反対することが付け加えられているぐらいである。

 最後に結論として、最初の議会選挙(1920年4月)から二年ほどしかたっていないから、全系統あわせて十七の政党が分立して混沌とした状況を作り出していると断じる。政権の運用に当たっては、チェコ系の政党の領袖株を集めて結成された「五人委員会」の役割が大きいとする。これはチェコ語で言うところの「Pětka」かな。
 内閣についても、現在の内閣が、五代目の内閣で、いずれも短命の政権に終わっていることが指摘されている。独立直後のクラマーシュ内閣、第一次、第二次トゥサル内閣、チェルニー内閣を経て、ベネシュ内閣が五代目であることが記される。この中で最長は一年数ヶ月もったというチェルニー内閣である。人名表記にもあれこれ言いたいことはあるけれども、割愛する。

 付録として、「致須國」の政党一覧が付されているのだが、チェコスロバキアが略して「致須國」と書かれているのには驚いた。どこかで見かけた「致国」という表記は、外務省のこの表記が元になっていたようである。今度は「須國」でスロバキアを指している例を探してみよう。
 議席数や政党の主張などの細かいことは置いておいて、政党名だけを挙げてみると、チェコ系としては、社会民主党、農民党、「加特力」党、国民社会党、国民民主党、実業党、進歩社会党、共産党が並んでいる。ただ、「加特力」党がわからない。最初「加持力」と読み間違えていて、加持祈祷をする政党で、宗教系の政党かと思ったのだが、当たらずとも遠からずで、おそらく「カトリック」党と読ませるのであろう。党首が「シユラーメツク」で、これはシュラーメクのことだから、人民党である。つまり今のキリスト教民主同盟=人民党の前身である。このころはカトリック党と名乗っていたのか。
 ドイツ系は、ドイツ社会民主党、ドイツ農民党、ドイツ国民党、ドイツ基督社会党、ドイツ自由民主党、ドイツ社会党、ドイツ共産党の七つで、ハンガリー系が、マジャール社会民主党、マジャール農民党の二つとなっているから、社会民主党と農民党は三つの系統すべてに存在していたことになる。ヨーロッパ的社会民主主義なんてことを、現在の社会民主党の人たちは唱えるわけだけれども、旧態依然と見るべきか、ヨーロッパのほうが百年前から本質的には変わっていないと見るべきか。農民党がなくなった分ぐらいは変わったかな。

 付録の2はベネシュ政権の閣僚名簿で、それぞれの簡単な経歴も記されている。大臣の名称で気になるのは、まず法制統一大臣。これはオーストリア領だったチェコとハンガリー領だったスロバキアとで法制に違いがあったのを統一する必要があったということだろうか。それとは別にスロバキア大臣というポストもある。それから、郵電食料大臣というのもあまり見かけるものではないけど、建国直後のチェコスロバキアは、食糧不足で飢餓に陥りかけたという話も聞くから、郵便と電話を担当する大臣に食料の確保や配布なども担当させたと考えておこう。

 この書物、興味深いものではあるのだが、いかんせん時代を反映して、漢字カタカナ交じりで表記されている上に、句読点がないという非常に読みにくいものになっていて、細かいところまでは読みたくない。細かく見ればあれこれ書けることはまだありそうだけど、これでお仕舞い。
2021年4月20日24時30分。










posted by olomoučan at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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