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2017年05月06日

憲法記念日(五月三日)



 ゴールデンウイークというものの恩恵を受けられなくなって久しい。日本にいたときにゴールデンウイークだから何をしたかにをしたということがあるわけではないのだけど、祝日というものはそれだけでありがたいものだった。最近は生活のリズムが狂うので鬱陶しい思うこともあるけど。とまれ久しぶりに五月三日が憲法記念日だということを意識したのは、安倍首相の発言によってだった。
 2020年までに憲法を改正して、自衛隊の存在を憲法に反映させたいのだという。自衛隊が憲法で規定されるべきものなのかどうかはともかく、予想通り大きな反響を巻き起こし賛否両論が飛び交っているようである。

 外国に長く暮らしていると、日本で盛んな憲法第九条を巡って、自衛隊は軍隊なのかどうかという議論がいかに無意味なものなのかが実感できる。いや、日本にいても気づこうと思えば気づけたのに、目に入ってこなかったというか、無視していたというか、とにかく軍隊というものは、どこの国でも自国を守るためのものとして規定されているのだ。軍関係の役所はたいてい防衛省とか国防省となっているわけだし。
 チェコでも日本の自衛隊に関して紹介する際に、自衛隊を直訳したような言葉よりも、軍を意味する言葉が使われることの方が多い。チェコの軍隊だって、基本的には国家を守るための戦力なのだから、日本の自衛隊もチェコ人にとっては明らかに軍隊なのである。専守防衛だから軍隊ではないなどという詭弁は通用しない。チェコ軍も、NATOの活動の枠内でしばしば国外に支援に出ることはあるけれども、それは決して国外で戦争をするためではないのである。

 だから、議論されるべきは、自衛隊を取るか、いや自衛隊の有する戦力を取るか、現行憲法を取るかである。自衛隊は軍隊ではないのだから憲法を変える必要はないというのでは、話にならない。首相がどれだけの覚悟を持って発言したのかは知らないが、仮にも一国の首相がこれだけ思い切った発言をしたのだから、反対派もただ反対するだけでなく、問題の根本の部分に立ち返って表層的な部分ではなく、本質的な部分に関して議論する必要があろう。
 改憲賛成派の議論は明確である。憲法を改正して自衛隊を国を護るための戦力として規定しなおそうというのだろうから。反対派が、憲法第九条を守れと言うときに、自衛隊の廃止、つまり日本の非武装化まで覚悟の上の発言なのかどうか、心もとない。自衛隊を廃止して日本の防衛を米軍に丸投げするという考えでも、軍隊のない未来の世界の構築に向けて日本が先鞭をつけて非武装化するというのでも、その実現性はともかく、この問題を本質的な部分で捉えているという意味で、自衛隊は軍隊ではないから憲法は改正しなくてもいいという詭弁に比べればはるかにマシだし、議論の対象にできるのだけど。

 そもそも国際化、国際化とうるさい連中が、この問題になると、どうして日本独自の解釈にこだわるのだろうか。昨今流行のグローバルスタンダードなんてものを、完全に無視して、日本独自の路線に突き進むというのなら、自衛隊を軍隊ではないと言いぬける日本的な、あまりに日本的な解決方法を支持してもいいと思うけれども、残念ながら現実は全く逆である。
 外国に住んで長いので、自分自身が改憲に賛成なのか反対なのかを声高に叫ぶつもりはない。日本で議論を尽くして結論を出してくれれば、それに粛々と従うのみである。どんな結論が出ようと、ある意味国を捨てた人間には反対する権利はないと思っている。問題は、議論がかみ合わないままに感情的な議論に終始して、議論を尽くして出した結論なんてことにはなりそうもないところにある。

 ところで、現在の国民国家の軍隊が、国防以外の名目で戦争をするということは可能なのだろうか。フランス革命時だって、フランスの国民軍はもともと外国からの干渉を跳ね除けるために戦っていたわけだし。結局ナポレオンが出てきて国を護るために外国に攻め込むという論理の飛躍が起こってしまったけれども。逆にチェコスロバキアの軍隊は、第二次世界大戦前のミュンヘン協定の際にも、1968年のプラハの春の際にも、政治的な決定の前に、国を護るために戦うことさえ許されなかった。
 文民統制の原則から言って政治家が軍隊が戦うか否かを決定するのは正しいのだろう。そう考えると、自衛隊が軍隊であると規定することが、そのまま外国への侵略につながるとは思えない。だから、自衛隊が軍隊であると規定されるかどうかよりも、法律で論理の飛躍が起きないような網をかけておく方がはるかに重要な気がする。

 ロシアという脅威が陸続きに存在しているチェコに住んでいると、軍隊が、国防のための軍隊が存在することは、心強いと感じる。テロの脅威が高まっていることも考え合わせると、非武装国家なんてことは考えようもない。だからこそ、ウクライナに余計な手を出して必要以上にロシアを刺激したり、アラブの春を中途半端に支援して中東から北アフリカに至る地域を混乱に陥れたEUの想像力が欠如しているとしか思えない外交政策に腹を立てるのである。
 とまれ、東京オリンピックの時に、自衛隊が日本の軍隊として警備を担当することになるのか、未来を体現した非武装国家日本でオリンピックが行われるという事態になるのか、結局何も変わらず今の自衛隊の存在をあいまいにしたままの状態が続くんだろうなあ。

 この五月三日は、東京オリンピックのアイドル、ビェラ・チャースラフスカーの誕生日だったので、こっちについて書いたほうがよかったかもしれない。明日スポーツ界のあれこれでまとめて書くかもしれない。
5月4日23時。





posted by olomoučan at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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