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2017年05月04日

プラハ駅観光2(五月一日)



 プラハ中央駅の一番ホームの片隅に、右手で男の子を抱え、左手を脇に立つ女の子の肩に置いた眼鏡をかけた男性の像が置かれているのに気づいた人もいるかもしれない。右側には、大きなトランクのようなものが置かれているから、プラハ駅から鉄道で出発しようとしている姿をかたどったものであろうことは、推測できるだろう。この男性こそ、本日のテーマであるニコラス・ウィントン氏である。

 ウィントン氏は、第二次世界大戦前夜、ボヘミア・モラビア保護領成立直後のプラハから、ユダヤ人の子供たちをイギリスに送り出したことで知られている。3月から8月にかけて合わせて669人のユダヤ人の子供たちが、ウィントン氏の準備した列車に乗ってイギリスに出発することで命を救われたのである。ただ、9月1日に出発が予定されていた子供たち250人を乗せた列車は、この日に第二次世界大戦が勃発したことによってロンドンに向けて出発することはなかったという。プラハ駅の像は、ウィントン氏がちょうど100歳を迎えた2009年のこの日、9月1日に除幕されている。
 もちろん、ただ単に、ユダヤ人の子供たちをイギリスに連れ出すといっても、当時の保護領の役所、ひいてはナチスの許可が下りるはずがないので、ウィントン氏はイギリスで、子供たちを養子として受け入れてくれる家庭を探し、ナチス側からクレームが付けられないように書類をしっかりと整えプラハに送っていたようである。列車の運行に必要なお金を集めるために、あちこちで寄付をつのる活動もしていたらしい。

 このウィントン氏の業績は、昔からよく知られていたというわけではないようだ。ニュースなどにしばしば登場するようになったのは、ここ10年ぐらいだろうか。すでに1998年にハベル大統領が、T.G.マサリク勲章を授与したらしいが、当時はまだチェコにいなかったので詳しいことは知らない。ウィントン氏が105歳を迎えた2014年には、ゼマン大統領がチェコでは最上位の勲章、白獅子勲章を授与した。この授賞式はテレビで見た覚えがあるのだけど、わざわざプラハ城まで来てくれて車椅子に乗って出席して勲章を受け取っていた。同時に同じ勲章を受章したのは、死後の受賞ではあるけれども、第二次世界大戦当時のイギリスのチャーチル首相で、こちらは本人に代わって孫が出席して受け取っていたのかな。
 一時は、チェコの大学生たちが中心になって、ウィントン氏にノーベル平和賞をという署名活動が行われ、ノミネートされたこともあるようであるが、残念ながら受賞を待つことなく、2015年に亡くなった。享年106歳。本人はものすごく控えめな人で、プラハからユダヤ人の子供たちを救い出したことを、自ら語ることもなかったようだし、ノーベル賞なんぞもらわなくとも、チェコの人々、ユダヤの人々に知られていればそれでいいような気もする。特に最近のノーベル平和賞は、政治的になりすぎて、ウィントンのような人にはそぐわない。

 ナチスの行なったユダヤ人虐殺、いわゆるホロコーストに対して、ユダヤ人を救うために活動した人物として、日本でもよく知られているのはアメリカ映画にもなったオスカー・シンドラーと、リトアニアの日本領事館で多くのユダヤ人を含む戦災難民にビザを発給したという日本の外交官杉原千畝の二人だろうか。
 この二人、実はチェコに縁があって、シンドラーは現在のチェコのスビタビの出身だし、杉原千畝はドイツの保護領時代のプラハの日本大使館に勤務したことがあると聞いている。ただ、この二人が救ったのはチェコのユダヤ人ではなかったからか、チェコでの知名度はそれほど高くない。

 ちなみに、ウィントン像の近くにある駅舎の入り口の両脇に掲げられている記念碑は、1939年から1945年にかけてのナチス占領時代における犠牲者に捧げられたものである。
5月2日23時。





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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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