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2018年06月12日
『物語を忘れた外国語』前(六月十一日)
言わずと知れた黒田龍之助師の著書である。「小説新潮」に、2015年11月号から2017年4月号まで、ほぼ一年半にわたって連載されたものを単行本化したもので、実は連載の第一回だけは、日本に住んでいる知人が、こんなの出たよと言って雑誌を送ってくれたので読んでいたのだが、新潮社では「小説新潮」の記事をネット上で読ませる気はないらしく、各回の題名とか、連載が続いていることぐらいしか確認できていなかった。新潮社も「週刊新潮」あたりのくだらない記事をネットで公開するぐらいなら、黒田師の連載を公開したほうが、新規の読者も獲得できてはるかにマシだと思うのだけど。
それより許せないのは「日本経済新聞」で、師のエッセイを公開してはいるものの、全文読むためには、読者登録をしなければいけない。題名と冒頭だけ読んでさあこれからというところでお預けを食わされるのである。もともと低かった日経への評価がさらに下がったことは言うまでもない。そんなに読みたきゃ登録しろとは言うなかれ、学生時代に、人生で成功したければ日経を読め的なキャンペーンに嫌悪感を感じて以来のアンチ日経なのである。記事を読むぐらいなら、そこに目をつぶるけれども、読者として登録なんてのは、やはりできない。悩むんだけどさ、いや今でも悩んでいるんだけど、もしかしたら我慢できなくなって登録してしまうかもしれないけれども、恨みつらみは大きくなる一方である。
話を戻そう。「小説新潮」の連載は読めないから、やがて確認もしなくなり、あの連載はどうなったのだろうかと思い出したのは、現代書館がネット上での連載をまとめて『ロシア語だけの青春』を刊行することを知ったときだった。無駄に忙しかった時期で、わざわざ確認する余裕もなかったのだけど、ひょんなことからすでに刊行されていることを知った。
一ヶ月ほど前のことになるだろうか。仕事上で付き合いのある人から、とは言っても面識はなくメールでのやり取りしかしたことはないのだが、個人的なメールをいただいた。それが黒田師の本、『その他の外国語 エトセトラ』についてだったのである。この方は宇都宮の方でと書くと、わかる人もいるだろうか。オロモウツのパラツキー大学から宇都宮大学に留学した学生を何人か知っているらしいのである。
そして、たまたま『その他の外国語 エトセトラ』を手にとって読んでみたら、明らかに知り合いと思えるチェコ人、パラツキー大学の学生が登場していることに感動して、メールを下さったらしい。こちらは、その方がたまたま手に取られた本が『その他の外国語 エトセトラ』であったことと、本に感動されたという事実に感動して、もしくはうれしくなって、即座に返事のメールを書いたのはもちろん、日本にいる黒田師と面識のある知人にも、メールを送りつけてしまったのである。
あらまほしきものは、先達ならぬ友なりけりということで、その知人が、「小説新潮」を送ってくれたのと同じ人なのだけど、最近黒田師の本が次々出版されていて月刊黒田状態であることと、『物語を忘れた外国語』も刊行済みであることを教えてくれた。のみならず、日本から送ってくれるというのである。贈ってのほうがいいかもしれないが、とにかく、改めて日本のほうを向いて拝むとともに、足を向けて寝られないという気持ちを新たにしたのであった。
いや、新しい本が出ていることを知らされたときには、最近利用を再開したhontoで購入しようかと思ったのだよ。海外発送も問題なくしてくれて、おまけに税金もかからないから、紙の本を買うハードルは以前と比べると断然に下がっている。でも、でもである。自らの収入の少なさを考えると、ここはお願いしておこうということで、申し訳ないと思いつつ、お願いしてしまった。
それが届いたのは、先週のことで、例によって郵便局まで取りに行った。最近在宅でも不在配達票が放り込まれることが多いのだけど、今回は本当に配達に来たと称する時間は不在にしていた。仕事に行く途中にショッピングセンターのシャントフカ内にある郵便局によって受け取ってきた。シャントフカ全体の営業時間である午後九時まで開いているらしいから仕事帰りでもよかったのだが、楽しみで待ち切れなかったのである。
歩きながら封筒を開けて、出てきた二冊、『物語を忘れた外国語』と『ロシア語だけの青春』のうち、まだ読んでいない部分の多い『物語を忘れた外国語』を読み始めた。職場まで人通りの少ない城下の公園を歩けたからできたことではあるけど、それができなかったら、無理やりトラムを使って職場に向かうことにしていただろう。
本の内容に入る前に、一日分の分量を越えてしまった。ということで、つづきはまた明日。
2018年6月11日23時40分。
2017年10月15日
訳読しないの?(十月十二日)
先ずこの文章を読んでいただきたい。先日紹介した出版社現代書館のホームページ上の黒田龍之助師の「ぼくたちのロシア語学校」の一節である。
外国語学習では、あるレベルに達すると、必ずまとまったテキストを読む練習をする。生徒はそのために、自宅で知らない単語を辞書で調べてきて、授業中に自作の試訳を発表する。教師は間違いがあれば訂正し、さらにコメントを加える。
いわゆる「訳読」だが、現在では世間から厳しく批判される。そんなことをしても、外国語が話せるようにはならないという。
第十四回「途中から参加するドラマ(その2)」より
http://www.gendaishokan.co.jp/article/WW0015.htm
正直今の日本の語学学習に対する姿勢がここまでおかしくなっているとは思わなかった。外国語で書かれた文章を、ノートに書き出し、それぞれの単語の文法的な属性を一つ一つ確認しながら、読み進めていくことは、外国語学習の基本であろう。これをおろそかにして話せるようになる外国語というのは、一体どんなものになるのだろう。恐ろしく文法的な正確さに欠けるものになるような気がしてならない。
自分のことを言えば、英語ではこれをサボった。いや中一で英語の勉強を始めたころには、テキストの文章をノートに書き写してあれこれ文法事項や、辞書で調べた意味を書いていたような気がするのだが、すぐに怠けるようになった。英語は名詞や形容詞の各変化がなく、動詞の人称変化もあってないようなものだったので、メモとして書き込むべき文法事項がそれほど多くなく、そんな分析的なことはしなくても何とかなりそうだったのもよくなかった。その結果、チェコ語を始める前の英語が一番使えていた時期でも、小手先でごまかすような、単語を並べて時制なんか知りませんというような何とも怪しい英語しか仕えなかったのである。
以前も書いたけれども、チェコ語の勉強は、英語の勉強を反面教師にしたので、この訳読を、個人的には熟読といいたいけれども、サボらなかった。テキストの例文、長文は必ずノートに書き写し、品詞の区別をし、名詞、形容詞の場合には性、単複の区別、格、それに一格の形を書き込み、動詞の場合には人称と原形などをすべて、同じ言葉が別な分に出てきていたとしても再度書き込んだ。それが正しいかどうかをチェックして、間違いがあった場合には、間違えた言葉の各変化や、人称変化を覚えたと確信できるまで繰り返し書いた。
その上で、日本語訳の部分を隠して頭の中で日本語に訳して、教科書の訳と比べる。逆にチェコ語の部分を隠して、日本語訳からチェコ語訳してこちらはノートに書いて原文と比較する。これを間違えなくなるまで繰り返したから、ミール・ロシア語研究所の暗唱に近いことをやっていたと言ってもいいのかもしれない。当初は自学自習で発音を見てくれるような先生はいなかったから、声に出してチェコ語の文を読むようなことはしなかったが、カセットテープをウォークマンに放り込んで通勤時間はひたすら聴いていた。本当に聞いていただけなので、それが何かの役に立ったかどうかはわからないけど。
思い返してみれば、あの時こんなうんざりするような繰り返しに耐えられたのは、古文と漢文の勉強でこの手の繰り返しの大事さを思い知らされていたからだろう。高校時代から古文の勉強の一環としていわゆる品詞分解を繰り返した。原文をノートに書き写して、単語に分解して品詞の種類、変化形などあらゆる情報を書き込むのである。そのおかげで古典文法の基礎となった平安時代の和文は、今でもそれなりに読めるし、完全にはわからなくてもどの言葉を辞書で引けばいいかは分かるのである。
漢文は、大学入試で求められる漢文のレベルは低かったので、高校ではそれほど厳しい勉強はしなかったが、大学で鍛えられた。まず訓点の施されている漢文を書き下し文にする。その書き下し文を漢文の文法を思い出しながらもとの白文に戻す、所謂復文を行なう。そして、白文に自分で訓点を施す。この三つを教科書に出てくる文章を使って繰り返した。そのおかげで今でも唐宋ぐらいまでの漢文であれば辞書を片手に何とか読むことができるはずである。最近和製漢文しか読んでないからいまいち確信はないんだけど。
とまれ、文法事項を徹底的に確認しながらチェコ語の文章を読んで勉強したおかげで、間違えることはあっても自分で間違いに気づけるようになったし、師匠に「お前の外国語も外国人離れしてきたなあ」と言ってもらえるまでになったのだ。外国人にチェコ語を教えることを専門の一つにし、長きにわたって教えていた師匠にこう言われたことは、誇りであると同時にチェコ語を使うときの支えになっている。
2017年10月13日17時。
2017年10月12日
外国語を勉強すると言うことは(十月九日)
またまた、ネット上の話で申し訳ないのだが、こんなページを発見してしまった。
http://www.gendaishokan.co.jp/wW2WWW201.htm
我が外国語学習に関する師である黒田龍之助師のロシア語学習記が、『羊皮紙に眠る文字たち』の版元である現代書館のHPで連載されているのである。著者が通ったすでになくなってしまったロシア語学校時代の学習の思い出が記されている。
その学校の名前が「ミール・ロシア語研究所」。同じスラブ系のチェコ語から推測すると、「ミール」は「平和」ということになるのだろうか。かつてチェコスロバキアなど東側の国を舞台に行なわれていた自転車のステージレースも、ザーボット・ミールだったし、どことなく時代を感じさせる名前である。ソ連の宇宙関係のものの中にもミールって名前のものがなかったっけ。
現在13回まで連載が進んでいて、仕事の合間についつい最後まで読みふけってしまったのだけど、やはり語学の勉強というものは大変なものなのだと思わされた。語学というのは、一部のいるかどうかもわからない天才を除けば、短時間で大きな成果を上げられるようなものではなく、時間と労力をかけて少しずつ進歩していくしかないものなのである。
このことは、これまでの著書にも書かれていることではあるのだけど、本人の実体験をもとに書かれていると説得力が違う。今語学を勉強している人が読めば、この著者でさえこれだけ苦労して、楽しそうだけど、苦労してロシア語を勉強してきたのだから、自分も頑張らなきゃいけないというモチベーションにつながりそうな気がする。自分もチェコ語を勉強していたころならそんな思いを抱いただろうし、あの頃読めていたらなあと思わなくもない。
チェコ語の勉強というものをしなくなって、時々復習はするけれども、あの頃のように何が何でも新しい言葉や文法を覚えようなんてことはしなくなって久しい身には、スラブ語関係の専門書をかけるような人ですらここまで苦労されたのだから、自分があれだけ苦労したのは当然なんだとか、同病相哀れむではないけれども、同じように外国語の学習で苦労した人に対する同士のような感情を抱いてしまう。
こんなことを書くと、お前も楽しそうに思い出しているんだから、苦労したと言いつつ楽しかったんじゃないのかなんて疑問も起こるかもしれない。でも、語学を勉強する際の苦労と苦しみを正面から受け止めて、それを乗り越えたからこそ、今となってはあのときはあんなに苦労したんだよねえなんて笑い話にできるのだ。一年目のサマースクールの話とか、受験勉強でもあんなに苦しんだ記憶はない。
外国語つながりで言えば、英語に関しては苦労を避けて楽して勉強することしか考えていなかったし、受験前には諦めて受験さえ何とかなればいいという方向にシフトしたから、英語の勉強を回想すること自体がほとんどない。むしろ忘れてしまいたい記憶で、触れるとすれば、英語の勉強には失敗したからと一言で済ませるぐらいである。
この連載に登場するミール・ロシア語研究所の授業は、ものすごく独特である。とにかく声を出して、下手をするとロシア人よりも正確な発音を身につけさせようとしていたようである。しかし、大切なのは、そのために繰り返し繰り返し、正確に発音できるまで暗唱を繰り返し、他の学生の暗唱を自分のと比較しながら繰り返し聞いていたことなのだろう。語学の学習で大切なのは、特に初学の頃に大切なのはこの繰り返しなのだ。繰り返すことで、知識が骨身にしみこみ、普段は考えることなく使えるようになる。そして、その言葉で考えるための基礎となるのである。
自分が高校生だったときのことを思い返すと、こんな勉強方法は拒否していた可能性が高い。当時から暗記、暗唱などのいわゆる詰め込み教育は批判されていたし、努力しない言い訳を探していた怠け者は、英単語すら受験勉強が本格化していよいよやばいという状況になるまでは、単語帳を使ってひたすら覚えるという勉強法は拒否していたのだ。古文の助動詞の活用も、詰め込むのは拒否していたのだが、覚えやすかったこともあって、数回テストを受けさせられたらいつの間にか覚えてしまっていた。
今なら、いや、チェコ語の勉強を始めたころなら、この繰り返しの学習の意味とその価値を正当に評価することが可能になっていたかもしれない。基本的な知識のない応用、基本的な知識を身につけないまま考察することの無意味さはすでに十分以上に思い知らされていたし。日本人の例にもれず、他人の前で外国語を大きな声で発音するのは苦手だったので、最初の壁を乗り越えるのは大変だっただろうけど。
最近も、教育に関して、知識よりも考える力だとかいう声が高まっているけれども、基本的な知識もないのに考える力もくそもあるものか。昔から言うじゃないか、馬鹿の考え休むに似たりと。そして考える力なんて教えられるものではないのだ。もし、かつての日本の教育が批判されるべきだとしたら、基本的な知識を詰め込もうとしたことではなく、応用までも、考える方法までも詰め込もうとしたことにある。
その意味で、このミール・ロシア語研究所の授業の単語や文法事項など自分で勉強できることは自分でやっておけと言わんばかりの姿勢(そんな印象を受けたけど実際は違ったのかもしれない)は素晴らしい。先生に手を引っ張ってもらって最初から最後まで教えてもらうのは、小学校だけで十分だし、何を学ぶのであれ高校生以上であれば、勉強したくなければしなくてもいいという突き放すような厳しさは必要だろう。
もう一度繰り返しておく。チェコ語も含めて語学の学習というのは死ぬほど大変で、好むと好まざるとにかかわらず、基本的な語彙や文法事項は繰り返し繰り返し勉強して頭に詰め込まなければならない。詰め込んだ知識がなければ、話そうとしたところで内容のない空虚なものになり、あえて話すまでもないということになるのである。
2017年10月10日24時。
2017年09月26日
師のオロモウツ滞在記4(九月廿三日)
「通訳・悲喜こもごも」と題された講演の原稿を読んで、改めて感じたのは、自分が本当の意味でプロの通訳としては仕事ができていなかったのだということだ。「通訳なんてまるで存在しないかのようになる」通訳は、始めて通訳の仕事をしたときから一度もできたことがない。だからと言って自分がこれまでやってきた仕事が無駄だとは思わないけど……。
講演が終わった後、ロシア人の女学生と話すシーンもなかなかに感動的である。どういう事情かは知らないがロシアからチェコに移ってきてオロモウツで日本語を勉強している女の子が、黒田師の講演に感動してお礼を言いに来るのである。最初はちょっと日本語で話して、ロシア語に切り替えられるのだが、どうしてそんなに簡単にそんなことができるのだろう。
ちょっと前まで、チェコ語で講演をし、恐らくは質疑応答もあったはずである。そして、ちょっと日本語を挟んでロシア語に切り替えるとなると、チェコ語と日本語とロシア語で混乱してしまいそうな気がする。こっちは、チェコ語と英語の切り替えもできずに、英語でしゃべろうと思ってもチェコ語が出てきてしまって、英語はそんなに難しくない内容を読むのにしか仕えなくなっていると言うのに。英語なんてできなくてもいいと広言しているから自業自得ではあるんだけどさ。
それで、ふと考えたことがある。師はしばしば、チェコ語ができればスロバキア語は問題なく理解できると書かれる。だけどそれって本当にチェコ語ができればという一つの条件で成立するのだろうか。チェコ語だけはそれなりにできるけれども、スロバキア語はやっぱり難しいというのが、長年チェコでスロバキア語に接して来ての実感である。
以前も書いたように発音が柔らかすぎて、チェコ語の硬さになれた耳には言葉として聞き取りにくいというのもあるのだが、意外と基本的な語彙の中に似ても似つかぬものがあることがあるのだ。ある程度はわかるようになっているけれども、なかなか覚えられないものもあって、「ナオザイ(=本当にだったかな)」には長らく悩まされたし、つい最近も「イバ(=だけ)」と言う言葉がわからないなんてことがあった。「だけ」は「レン」じゃなかったのかよ。こういう一見簡単な言葉がわからないと全体もわからなくなる。
そうすると、チェコ語だけができることが条件なのではなく、他のスラブの言葉ができるというものスロバキア語の理解をしやすくさせている面はありはすまいか。ロシア語はもちろんウクライナ語、ベラルーシ語という東スラブの言葉ができて、チェコ語、ポーランド語という西スラブの言葉、それにスロベニア語も勉強していて、他のスラブ語に関する知識もあるというのが師なのである。そういうことにでもしておかないとスロバキア語は難しいと泣きを入れてしまう自分が情けなくなる。
だからと言って、スロバキア語を理解するために他のスラブの言葉を勉強したいとは思えない。いや、スロバキア語も含めて今更他の国の言葉を勉強するのは無理である。今後もスロバキア語はわかるようなわからないような中途半端な言葉であり続けるだろう。ポーランド語は、似ているという人もいるけどほとんどわからんし、むしろ耳で聞くだけなら南スラブの言葉の方がわかりやすそうな気がするほどである。いや気のせいでしかないんだけどさ。
本題に戻ると、「十一年目の実践編」で一番心に残るのは、実は帰国してからの話である。オロモウツ滞在中のお話も十分以上に面白く心を打つのだけど、外国に住む人間としては、帰国後に登場するエディくんの気持ちが痛いほどにわかってしまうのだ。エディくんはアメリカの大学の学生だが、実はスロバキアの出身で、民族的にはハンガリー系である。来日して二週間ほどのところで、師とその教え子のハンガリー語ができる人と話せて喜びのあまり泥酔してしまうのである。
そんなエディくんに言っておきたい。チェコ語ができる日本人の全員が全員、そんなにスロバキア語が理解できるわけではないし、ハンガリー語ができる知り合いがいるわけでもないんだよ。数少ないチェコ語ができる日本人の中でも、数がそれほど多くないスロバキア語が問題なく理解できる人に出会えたのは本当に僥倖だったんだよ。その幸せをわかっているのかい。
まあ、師と直接会って一緒にお酒を飲んで泥酔までしてしまった外国人に対するやっかみがないとは言わない。いやはや本当にうらやましい話である。
以上、長々と書いてきたけれども、増補された文庫版の『その他の外国語 エトセトラ』の魅力が伝わったかどうかはこころもとない。こんな中途半端な文章を読むくらいなら、直接本を読んだほうがいいなどと、ここまで読んでくれた方がいたら失礼な言葉でこの件にはけりをつけることにする。
2017年9月25日23時。
2017年09月23日
師のオロモウツ滞在記3(九月廿日)
その後、スロバキア語の夕食、ポーランド語の昼食、チェコ語の酒宴を経て、チェコ語での講演が行われる。その日本語訳も収録されているのがうれしい。チェコ語で講演するのに、日本語で書いたものをチェコ語に訳すのではなく、最初からチェコ語で書いたというのは、さらっと書いてあるけれども、実はすごいことなんじゃなかろうか。
このブログの文章ぐらいだったら、最初からチェコ語で書くのもそんなに大変ではないけど、いや一部与謝野晶子について書いた文書とか、小右記について書いた文章とか、内容的に難しく、思う付いたままに垂れ流すのではなく、全体の見通しを考えながらかなければならなかった文章については、最初からチェコ語で書く自信はない。
パラツキー大学での通訳についても講演も、全体を通して最初からチェコ語で書くのは大変だったろうなあと思わせる内容である。それだけでなく、面白い。大事な話の間に、くすぐりが出てきて、この辺チェコ人笑うだろうなあという場所が何か所もある。話す場合でも、文章を書く場合でも、こういう緩急をつけるというのは大事なのだ。
講演では通訳をする際に気を付けなければならないことが、実例を交えながら説明されるのだが、学生時代にこんな話を母語で聞くことができたというのは幸せなことである。そのことに気づくのは、大学を卒業して日本語を使った仕事を始めてからになるかもしれないけど。個人的にもチェコ語を勉強して始めての通訳の仕事をする前に聞いて、いや読んでおきたかったと思う。
注意すべき点の一つに、動物の名前、植物の名前は、訳しただけだと相手を満足させられないこともあるから、「〜の一種」とか「日本の〜」という表現を使ったほうがいいというのがある。これについては、以前、チェコに住む日本人と、チェコのČápと日本のコウノトリは本当に同じものなのかという話で盛り上がったこともあるので、その通りだと思っていた。同じ動物、植物だけど日本のとは見た目が微妙に違うとか、同じように見えるけど実はちょっと違う種類だとかいう例はいくらでもあるし、全く同じものだと言われても確信が持てないから、例えば「さくらんぼ」ではなく、「さくらんぼの一種」と言われた方が安心するという面があるのだ。
それが、先日、この考えとは合わない体験をしてしまった。九月の初めに頼まれてツアーでオロモウツに来た人たちのガイドをした。このツアーは、普通の観光ツアーではなくて、山登りやトレッキングを目的としてチェコ、スロバキア、ポーランドをめぐるという特殊なツアーだったらしく、チェコの最高峰スニェシュカに登り、スロバキアとポーランドの国境にそびえるタトラ山地に向かう途中で、オロモウツに一泊したようだ。せっかくだからオロモウツの観光もということで、こちらにお鉢が回ってきたのである。
ご本人達の言葉では、シルバー軍団だと言うのだけど、ただのシルバーではなく、元気なシルバー軍団で、アルプスなんかのヨーロッパの有名どころは大半歩いたので、穴場のチェコにやってきたという人が多かった。こういう方々を相手に、街中だけを回っても喜んでもらえないのではないかと考えて、八月の初めに知人を案内したコースから始めることにした。つまり最初に向かったのはオロモウツ城を、オロモウツの城壁を見上げることができる城下公園だった。
黒や茶色のリスが走り回っているのはよかった。日本のリスとまったく同じものなのかはわからないけれども、いかにもリスだったしみなさんリスだということで納得していた。今思えば、ここで日本のリスと同じなのかなとならなかった時点でこの人たちが普通の観光客ではないことに気づくべきだったのかもしれない。
その後、公園に生えている木の名前を聞かれたのだが、日本語でもチェコ語でもなんと言うかわからなかった。準備不足などというなかれ、事前に公園に出かけて生えている木の種類を確認する必要があるとは思いもしなかったし実際必要なかったのだ。
「あれ、これ姫リンゴだわ」
質問された方が自分で葉っぱや生っている実を見て、何の木なのか気づいてしまわれた。日本だと盆栽にして小さく育てることが多いという話まで教えてもらってしまった。
マロニエの実を拾った方は、
「これって栃のみなんだよね。ヨーロッパの奴は日本のとはちょっと違ってマロニエっていうことが多いけど」
なんてことを教えてくれた。マロニエは知ってたけど、栃の実が近縁種だとは知らんかったぜ。やっぱり日本語でも言葉でしか、知識としてしか知らないものを、見ただけでそれが何かわかるというのは至難の業なのだよなあ。
今回案内した方々は普段から山を歩いて自然に触れているから、その結果として自然に自然に対する観察眼もが鋭くなっているのだろう。そうなると、通訳やガイドには出る幕がない。
だから、動植物の名前を訳すときには、「〜の一種」とか「日本の〜」という表現を使ったほうがいいというアドバイスには、ただし例外もあると付け加えさせてもらう。その例外は、ガイドされる人たちの方がガイドよりもはるかに動植物について詳しい場合である。その場合にはもう白旗をあげて任せてしまうしかない。かなり希少な例外にはなると思うけどね。
本についてはほとんど書かないままこんなところまできてしまったので、この件、もう少し続く。このブログにまともな本の内容の紹介や、書評めいた文章を期待してはいけないのである。
2017年9月22日23時。
2017年09月22日
師のオロモウツ滞在記2(九月十九日)
昨日に続いて、『その他の外国語 エトセトラ』(今気づいたけど、文庫版では書名も増補されていた)、いやその増補された第四章についてである。
オロモウツのパラツキー大学で講演をすることになった経緯、日本での準備を経て、オロモウツについて最初に登場するのは、日本語が上手なスロバキア人のベロニカさんである。仕事がらオロモウツの日本語ができるチェコ人、スロバキア人の知り合いは多いのだけど、どのベロニカだろう。宇都宮大学に留学したという話だからあれかななどと読み進めていると、さすが、と膝をたたきたくなるような記述が出てきた。
会話志向の外国語学習者は珍しくないが、多くの学生がスラングを覚えたがる。くだけた口調で同世代とペラペラやってみたいという願望が非常に強い。だがはっきりいって、そんなものは何の役にも立たない。(str. 340)
力強く断言してくれているのが心強い。友達同士でぺらぺら意味もないことを喋り散らせればそれで満足というのなら、勝手にしろだけれども、将来学んだ言葉を仕事に使いたいと考えているのなら、くだけた表現、スラングを身につける意味はない。でも、日本語を勉強しているのなら、日本に行って変な日本語を使う変な外人と言う立場でテレビタレントになるという形でなら生かせるかもしれないか。
くだけた言葉遣いもできるというのなら、状況に応じて使い分けられるというのを前提にしたうえで、意味がなくはない。しかし、くだけた言葉遣いしかできないのであれば、仕事で使うのには役に立たない。せいぜい同レベルの言葉遣いしかできない連中と内容のない会話をくだくだ繰り返すだけに終わるだろう。そんな話をするためなら、苦労して外国語を勉強する意味はない。
想像してみてほしい。仕事で、仕事じゃなくてもいいや、あまりよく知らない外国人にいきなり「あんたさあ」とか、「いいじゃんそれ」とか言われたら、どんな印象を持つだろうか。外国人ではなく日本人であったとしても、こいつとは近づきたくないと思うに違いない。スラングやくだけた表現は、知ってはいても普段は使わないと言う姿勢が求められるのである。
チェコ語にだって、知っているけど使わない表現はいくらでもある。「ty vole」や「do prdele」なんかの意味は、よく知っているし、チェコ人が使うのを聞くこともよくある。でも自分では絶対に使わない。それは、自分のチェコ語を下品なものにしたくないからだし、通訳として仕事をする人がそんな言葉を使ったら信用されないのではないかと考えるからでもある。
それに、現地の人が使うスラングは、現地の人が使うからこそかっこよく響くのであって、関係のない人間が使ったら滑稽に響くだけである。関西出身じゃない人間が関西方言でしゃべるのに通じる痛さがあるといえばわかってもらえるだろうか。聞くに堪えないのである。プラハ人みたいに「dobrej」なんて言うのは、自分の口から出たと想像するだけでもおぞましい。
だから、ブルノのハンテツという方言から広まって使う人の増えた「シャリナ(=トラム)」も、オロモウツの人間としては使えない。ただ、トラムの定期券だけは、ほかにいい言葉がないので「シャリンカルタ」と言ってしまうことが多かったのだけど、最近職場まで歩くことで定期券を買わなくなったので使う必要がなくなった。歩くのは健康にいいだけでなく、精神衛生上もいいのである。
下品な表現はともかく、多少のくだけた言葉を意図的に使う場面がないわけではない。それは、仕事とは関係のない雑談をしていて笑ってもらう必要があるときである。通訳なんかの仕事をする際に、一緒に仕事をする人たちとは、ある程度打ち解けた関係が作れた方が効率がよくなることが多いので、休憩時間なんかに日本人ともチェコ人ともあれこれ雑談をするのだけど、そんなときに多少くだけた表現を使って話すと、外国人がこんなことまで言うというので笑ってもらえるのである。
その場合に方言を使うこともある。「Já sú z Olomouca(=私はオロモウツの出身です)」なんて言うと喜んでもらえることが多い。他にも驚いたときに使う「Ježíš Maria」の代わりに、「Kristova noho」、「Samozřejmě」の代わりに「Baže」なんて言うと結構笑ってもらえる。外国人がスラング、くだけた表現を使うってのは冗談にしかならないのである。
その点ベロニカさんの日本語は上品で、「皇室や大臣を迎えて通訳をしても、まったく問題ないレベル」だというから素晴らしい。パラツキー大学には、今後も上品な日本語、端正な日本が使えるチェコ人、スロバキア人の学生を育てていってほしいものである。
2017年9月21日23時。
親本もまだ生きているみたいである。9月21日追記。
2017年09月21日
師のオロモウツ滞在記1(九月十八日)
日本に行っていた知人がお土産として、黒田龍之助師の著作を二冊持って帰ってきてくれた。ありがたいことである。ついつい旧作に手を伸ばして、斜め読みのつもりが読み込んでしまって仕事に支障が出ているのだけれども、師の本を読むのは仕事に優先するのである。椅子に座ってコンピューターでする仕事というのは、誘惑が多くていけない。
一冊は『寝る前五分の外国語』で、白水社から2016年に出版されたものである。白水社のPR雑誌「白水社の本棚」に2003年から2010年にかけて連載された語学書の書評をまとめたものだという。語学書の書評ってことは、チェコ語の教科書についてもあるかなとぱらぱらめくってみたら、一冊だけ取り上げられていた。旧版の『エクスプレスチェコ語』(str.134-135)である。とりあえず、そこだけ読んでみた。
この教科書、日本語の「ある/いる」もしくは「だ」にあたる動詞「být」の現在変化ではなく、未来変化から文法の説明が始まるという入門書にあるまじきものなのだが、「わたしは恐れをなし、ほとんど開くことがなかった」と書いてあるのに、ちょっと安心してしまう。スラブ語に属する言葉をいくつも勉強している黒田師にしてこうだったのだ。英語すら物にならなかった外国語音痴が第一課を見た瞬間に購入したことを後悔し、本棚に放り込んだまま、なかったことにしたのも仕方がないことだったのだ。
末尾に「『エクスプレス』には日本のチェコ語教育の未来があったのかもしれない」と書かれているけれども、そんな未来は嫌だ。『エクスプレス』シリーズが初心者を対象とした入門書であることを前提とするのなら、やはり文法事項は、つまらないと言われようとオーソドックスな並びであるべきである。『エクスプレス』でチェコ語の基本を身につけた人が、復習するための教材なら未来形から始めるという並びも悪くない。第八課にまとめられているらしい挨拶なんかはすっ飛ばしてもいいくらいだけどさ。
そもそも、外国語の未来という時制は日本語に対応するものがないのである。かつての英語教育では、未来形を日本語に訳すのに「だろう/でしょう」を付けさせるという無茶なことをやっていた。「だろう」は本来推量の助動詞で未来なんてものとは何の関係もないのにさ。そんなことをするから子供たちの日本語がおかしくなっていくのだ。今ではそんな珍妙なことをさせる先生はいなくなっていると信じたい。
目次を見る限り、自分で使ったことのある教科書、辞書は一冊もない。学校の授業以外で、自分で教科書を買って勉強したのはチェコ語しかないのである。チェコ語の『エクスプレスチェコ語』(旧版)は本当に買っただけだし、学校で勉強した英語とドイツ語は義務で勉強しただけなので、自分で教科書を探して買ってまで勉強しようなんて気にはならなかった。日本の中学高校で推奨されるようなものを著者の黒田師が取り上げると思えない。
現時点では、いくつかの教科書への書評をつまみ食い的に読んだだけだけど、読んだだけでその外国語を、いやその教科書を使って勉強した気分にさせてくれる。真面目な読者なら、その教科書を使ってみたいと思うのだろうが、外国語はチェコ語だけで十分だと言ってはばからない人間としては、書評を読んで勉強した気になれれば、それでお腹一杯である。チェコ語を勉強したときのことを、今更他の言葉で繰り返したくはない。
そして、持ってきてくれたもう一冊が、今年の春に筑摩書房から刊行された『その他の外国語』の文庫版である。現代書館から2005年に刊行された親本は持っている。持っているだけでなく、その中の一節を元にこのブログの記事を書いたこともある。でもこの文庫版は、ただの文庫版ではなくて増補版なのである。
その増補された部分が第四章の「十一年目の実践編――チェコ共和国講演旅行記」で、「十一年目」ということは、2005年を一年目とすれば、2015年に黒田龍之助師がオロモウツに滞在してパラツキー大学で講演をされたときのことが、さまざまな特に言葉に関するエピソードを交えながら書かれているのである。
これはもう、全てを放り出して読むしかないということで、本来は巻頭から読み始めるべきところを、第四章だけ先に読んでしまった。個人的には、チェコ語だけでもその海でおぼれかけているわけだし、ここまで多言語な世界に放り込まれるのは勘弁してほしいところなのだが、黒田師が描き出すさまざまな言葉とのふれあいは魅力的である。
本題であるこの「十一年目の実践編」については、例によって例の如く長くなったので稿を改める。
2017年9月20日15時。
2016年11月05日
師の疑問に答えてみる(十一月二日)
久しぶりに、例外的な辞書の話を除けば、久しぶりにチェコ語の話である。黒田龍之助師の著書『その他の外国語――役に立たない語学の話――』を一年ぶりぐらいに再読していたら、チェコ語に関して気になる記述を見つけた。
チェコの本屋で、スウェーデンの作家リンドグレーンの『屋根の上のカールソン』という子供向けの本のチェコ語版を探す話である。その話自体も面白いのだけど、チェコ語を学ぶ人にとって気になるのはチェコ語訳である。問題になるのは「屋根の上の」の部分で、師は「ナ・ストシェシェ(na střeše)」だろうと、推測するのだが、発見された本の題名では、「ゼ・ストシェヒ(ze střechy)」となっていた。そのニュアンスの違いがよくわからないと書かれている。
おそらく師はチェコ語の専門家ではないという謙遜から、そう書いているだけであって、実際にはわかっているのだと思う。ただ、チェコ語を勉強していてよくわからないという人もいるだろうから、おこがましいのは百も承知で、この件に関して説明を加えておく。
ナ・ストシェシェ(na střeše)のほうは、前置詞naに六格がついた形なので、場所をあらわす表現になる。場所をあらわす表現のチェコ語における混乱ぶりについては、過去の、かなり昔の記事を読まれたい。それはともかく、この表現を使った場合に本の題名を違いが出るように日本語に訳すと、「屋根の上にいるカールソン」、もしくは「屋根の上におけるカールソン」ということになり、本の中の物語が、屋根の上だけで展開するような印象を与えてしまう。
それに対して、ゼ・ストシェヒ(ze střechy)は、起点をあらわす表現になるので、「屋根のから下りてきたカールソン」、または「屋根の上出身のカールソン」ということになり、カールソンが屋根の上だけではなく、他のいろいろな場所にも出没していろいろなことをするような印象を与える。本の内容は知らないけれども、舞台が屋根の上だけってことはないだろうから、チェコ語訳はこちらの表現が選ばれたのだろう。
共産主義の時代の子供向けの番組に「わたしら小さな町の女の子」と訳せる番組がある。チェコ語では「ミ・ホルキ・ズ・ムニェステチカ(My holky z Městečka)」で、ここでも前置詞zに二格がついた形が使われている。この番組は、南モラビアのスロバーツコと呼ばれる民俗色豊かな地方の中心の一つであるキヨフとその周辺を舞台に小学校高学年ぐらいの女の子たちの姿を描いており、キヨフの町から外に出て、時にオーストリアとの国境近くにまで足を伸ばすことになる。だからz+二格なのである。
ところで、このz+二格は、出身地、もしくはどこから来たのかを表す表現としてよく使われるのだが、チェコ語を勉強していて不思議に思った人はいないだろうか。疑問の表現としては、zではなくodを使うのである。もちろん一語化して「オトクット(odkud)」となっているのだが、「オトクット・イステ(Odkud jste?)」とod を使って聞かれて、「イセム・ズ・ヤポンスカ(Jsem z Japonska)」とzを使って答えるのに違和感を感じた人もいるのではなかろうか。特に方言の「ス・カマ(z kama)」の存在を知ったときなんかにさ。
実はこの手の出身を表すための文で、odを使うこともないわけではないのである。もう十年近く前になるだろうか、新聞でサッカーの監督のインタビュー記事を読んでいたら、「イセム・オト・キヨバ(Jsem od Kyjova)」というのを見つけて、びっくりしたことがある。間違いじゃないのかと聞いたら、正しいと言う。
「イセム・ス・キヨバ」と言った場合には、キヨフ市内の出身であることを示し、「オト・キヨバ」の場合には、キヨフ周辺のの出身であることを示すらしい。つまり、チェコ人でも知らないような小さな村の名前を挙げて、その出身と言うよりは、近くの大きく有名な町の名前を上げてあの辺の出身なんだよと言ったほうがわかりやすいということである。さすがに出身の国を言うのに、odを使うわけにはいかないけど。
東京近郊の出身の人や、東京近郊に住んでいる人は、チェコに来たら、「イセム・オト・トキア」と言えばいいのだ。以前チェコに着たばかりのころ、来る前に住んでいた川崎を使って「イセム・ス・カワサキホ」と言っていたのだが、チェコ人は川崎というと、バイクメーカーだと思ってしまう。それで、川崎というのは東京と横浜の間にある町だとか説明しなければならなかった。あの頃「オト・トキア」という表現を知っていれば使えたのに。まあ使わなくても何とかなる表現だから、授業で教えたりはしないのだろうけど。
11月2日23時。
役に立たないなんてことはないと思うのだけど。師の著書は読み返すたびに発見がある。我が文章は読み返すたびに誤植が発見される。11月4日追記。
2016年10月22日
師に逆らうわけではないけど1−−「新しい」をめぐって(十月十九日)
著書を通じてこちらが勝手に師と呼んでいる黒田龍之助師の言語学に関する著書には、しばしば日本語における現象の言語学的な説明が登場する。もちろんこの部分は師が自ら研究されたことではなくて、言語学的な日本語の研究の業績の中から引用したものであろう。だから、直接師に逆らうというわけでもないし、無頼派を気取っている以上は、師の書かれたこと、言われたことを、はいはいとありがたくすべて受け入れてはいけないのだ。ということで、気になる部分に別な解釈を施すことにする。
最初に取り上げるのは「あたらし」と「あらたし」の問題だと言えば、国語学(断じて日本語学ではない)を多少かじった人なら、何のことだかわかるだろう。新しいという意味の言葉は、本来「あらたし」であって、それが後に「あたらし」に変わったという例の話だ。これについて、言語学の用語で音位転換という小難しい言葉で説明されているのを読んで、首を傾げるしかなかった。
今では、この説明は現象を説明する言葉としては、それで十分なのかもしれないと思えるようになった。しかし、それが何になるのだろうか。いろいろ調べてみたら、音の入れ替わりが起こっていましたで満足なのだろうか。ここはやはり、どうしてそんな変化が起こったのかを知りたいと思うのが人情というものだろう。
かつてかじった国語学の世界では、以下のように説明されていた。新しいという意味で使われた形容詞は本来「あらたし」であるが、これとは別に「あたらし」という、残念だとかもったいないというような使い手の惜しむ気持ちを表す形容詞が存在した。その両者が混同されて、新しいという意味でも「あたらし」が使われるようになり、「あらたし」と惜しむ気持ちを表す「あたらし」は次第に忘れられていった結果現代日本語では、新しいという意味で「あたらしい」を使うのだと。
本来新しいが「あらたし」であった痕跡は現代日本語にも残っていて、形容動詞となっている「新たな」は、「あたら」ではなく、「あらた」と読むし、新しくすること、新しくなることを示す動詞も、「あらためる」「あらたまる」であって、「あたら」ではない。この辺の派生表現は、「あたらし」が新しいという意味で使われるようになる以前に派生していたために、混同に巻き込まれずにすんだと考えていいのだろうか。
一方、惜しむ気持ちを表す「あたらし」の痕跡としては、特に戦争などで若い命を散らすことを惜しんで使われる「あたら若い命を」の「あたら」を挙げることができよう。使われると言っても、日常的に使われるわけではないので、聞いたことがないという人や、後の「若い」からの連想で、「あたら」を新しいという意味で理解してしまう人もいそうな気もする。
それから、大半のと言うと実際よりも多くなってしまうかもしれないが、中学、高校の国語の教科書に載っているはずの折口信夫ではなくて、釈迢空の短歌「葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きしひとあり」(句読点は覚えていないので省略)の「あたらし」も現代語の新しいではなく、古語なので、踏み潰されて飛び散った花の色を惜しむ気持ちを表現している。でも、現代語の新しいで理解して、ついさっきこの道を通った人がいるというふうに解釈する人もいそうだなあ。この新しいの意味でも解釈できそうな「あたらし」の用例があることも、「あたらし」と「あらたし」の混同を起こりやすくしたのだろう。
以上が、かつて国語学の範囲で学んだ「あたらし」をめぐる説明である。初めてこの話を聞いたときには、「新」の訓読みである「あたらしい」と「あらたな」が、どうして形容詞と形容動詞で語幹が違うのかだけでなく、よくわかっていなかった「あたら」についても言及されていて、目を開かれる思いがしたものだ。
では、「あらたし」が「あたらし」になったのは、音位転換という現象なんだよと言われて、感動できるかとというと首をかしげざるを得ない。言語学的な説明だと、こういう場合には発音上の要請で変化が起こると説明されることが多いような気がするが、「あたらし」「あらたし」の場合に発音のしにくさが原因だというのなら、「あらたな」「あらためる」はなぜ変化しなかったのかという疑問が出てくる。
「あらたし」が「あたらし」に変わったという現象の表面的な部分を捉えて、音位転換という名称で呼ぶことまで否定する気はない。ただそれがどうしたのという感想を持つことを禁じえないのである。この現象に名前をつけることで満足しているような印象が言語学的な日本語の研究にはつき物で、いまだに亡霊のようにしばしばよみがえる主語論争にしても、日本語のあれが、主語であれなかれ、主語と呼ぼうが呼ぶまいが、学校文法で主語と呼んでいる現象は日本語に存在するのである。呼び方や定義が変わったからといって、日本語そのものが変わるわけではない。敬語の分類にしてもそうだけれども、無駄に命名することに意義を見出していているように見えてしまう。
この点に関しては、かつて形容動詞をどう扱うかということをあれこれ考え、形容動詞というものを廃して、名詞扱いにしたとしても、ほかの名詞とは違う特別な名詞として扱う必要が出てくることに気づいたとき、名称が形容動詞であっても、名詞の特別なグループであっても、日本語の本質は変わらないことを思い知らされた。若かったからね。学校文法に反発してみたかったのだよ。しかし、その結果理解させられたのは、いろいろな問題をはらみながらも、学校文法、いや橋本文法を超える日本語を体系的に記述した文法は存在しないということだった。
10月20日23時。
2016年10月08日
浪漫主義言語学2(十月五日)
さて、『外国語を学ぶための言語学の考え方』に於いて提唱される浪漫主義言語学、果たして自分は浪漫主義言語学の徒になれるのだろうか。ちょっと検証してみよう。
浪漫主義言語学の条件の最初の一つは、外国語を学んで、外国語における現象から改めて母語、すなわち日本語を見直すことである。これならできる。と言うよりもできている。本書でも触れられている外国語の言葉をカタカナで表記するときに、子音のみを表記するのに普通はウ段のカタカナを使うのにTだけは、ウ段の「ツ」ではなく、オ段の「ト」を使う理由は、チェコ語を勉強して、日本語の単語をチェコ語のアルファベットで書き表すことで理解できるようになった。
ヘボン式のローマ字でも「tsu」と書くように、「ツ」の子音はTではないのだ。ローマ字表記では「t」も「ts」も大差ないし、ろくに意識できなかったが、チェコ語で、「t」と「c」というまったく別の文字で表記されるのを見ることで、子音が違うということがすんなり認識できた。「チ」の子音はチェコ式表記では「č」になるから、タ行には三つの子音があることがわかる。ローマ字を使っていたころは、「tsu」とか「chi」とか気取っている気がして、かたくなに「ti」「tu」を使っていたもんなあ。
そうすると、「カムチャツカ」と書いて、「カムチャッカ」と読む人の多いロシアの半島も、ロシア語では、今なら「カムチャトカ」と書くような発音なのではないかとか、「ウォッカ」もかつては「ウォツカ」と書かれていて、ロシア語の発音は「ウォトカ」に近いのではないかとか考えをめぐらしてしまう。
日本語に於ける否定疑問文への答で、「はい/いいえ」のどちらを使うかについて考えがまとまったのもチェコ語のおかげだ。「飲みにいかない?(Nechceš jít na pivo?)」と聞かれて、「うん、行く(Ano, chci)」と返すのはチェコ語でも同じなので問題ないのだけど、「これで、気にならない?(Nevadí ti to?)」と聞かれて、「うん、気にならない(Ano, nevadí)」と返すとぎょっとされてしまう。
日本語では、動詞が否定か肯定かでも、内容が否定か肯定かでもなく、問う人の期待する答えかどうかを基準に「はい/いいえ」を選ぶのだ。「はい/いいえ」だけで答えると、誤解が起こるわけである。これも日常的にチェコ語を使っていなかったら理解できていなかっただろう。かつて、日本にいたころ、この点について日本語のできるチェコ人に質問されて、頭をひねりにひねったのにちゃんとした答を返せなかったことがある。
でも、次の条件の複数の外国語を学ぶというのは満たせそうにない。確かに、中学校からは英語を勉強させられたし、大学では第二外国語としてドイツ語を選択した。しかし、そのどちらも日本語を別の視点から見ることができるようなレベルにまでは到達していないし、今更勉強を再開する気にもなれない。だから、この点では浪漫主義言語学の徒にはなれそうもない。
いや、ちょっと待て、ある。あったぞ。ちゃんと学んで自分の日本語を見つめなおすきっかけになった言葉が。いや、むしろそのおかげでわが日本語がまともなものとして定着したと言ってもいい。漢文、ことに和製漢文があるじゃないか。あれだって、日本語でない以上は立派な「外国語」である。高校時代にあれこれ迷走して、壊れかけていたわが日本語がある程度まともな形になったのは、大学時代の漢文の授業と、平安時代の漢文日記の講読のおかげである。だから、とあえて繰り返すが、複数の外国語を学ぶという条件は、何とか辛うじて満たしていると考えさせてもらおう。今でも漢文日記読んでいるし。
検定試験を重視しないというのももろ手を挙げて賛成。暇つぶしや、話のタネに受けることまでは否定しないが、語学の学習の目的が検定試験の合格というのでは、本末転倒だとしか言いようがない。チェコ語のA1の試験を受けたことはあるが、あれはチェコの永住許可のようなものを申請するのに必要だったから受けだけで、受験料もチェコの内務省が出してくれたのだった。テストで一番問題だったのは、問題文を読まずに応えたので、正しいものに○をつけるのか、間違ったものに×をつけるのか確認せずに始めてしまって、最後まで答を書いてから、間違いに気づいて答えを書き直さなければならなかったことだった。もちろん、一番下のレベルだったから、「来た、見た、合格した」である。
今でもときどき、しゃれで一番上のC2を受けてみようかと、思うこともなくはないが、その試験のために特別な勉強をしようとは思わない。まあ、いつも受験料の高さに、こんな金を払ってまで受けることはないわなという結論になるのだけど。それはともかく、この手の試験というものは、普段の学習の成果、もしくは現時点での能力のレベルを確認するために受けるのだから、試験前に合格のための対策をするのには、健康診断を受ける前の数日節制して健康的な生活を送ろうとするのに似た不毛さを感じてしまう。中学、高校時代から試験勉強をしない言い訳として同じようなことを言っていたから、我ながら成長がないと言うべきか、三つ子の魂百までと言うべきか。
留学に関しては、仕事を辞めてチェコに留学して、そのままチェコに住んでいる人間が、留学なんか要らないといっても説得力はないだろうから、留学するなら日本で初級から中級ぐらいまでの文法事項を身につけてからするべきだと言っておこう。語学は、特に最初は母語で勉強するべきである。日本語で説明されてわからない、覚えられないことが、チェコ語であれ、英語であれ、外国語でなんか理解できるもんか。留学先に期待すべきことは、まず第一に実践の場であって、第二に語彙を増やす場である。そう考えると、本書に書かれているように、長期の留学じゃなくても、旅行やサマースクールでも十分なのか。チェコ語の勉強のためにチェコに来た人間のせりふじゃねえよなって、この点では浪漫主義言語学の徒たる資格がないのか……。
最後の、会話、特に自分がしゃべることを重視する現代の傾向に背を向けるのは、言葉を深く広く理解するには必須のことである。古臭い考えだと言われようが、語学の基本は読み書きにあるという意見を変えるつもりはない。読み書きを身につけて、耳を鍛えて聞くことができるようになれば、話すのは問題なくできるようになるはずである。この順番でいけば、語彙も充実しているだろうし、内容のある話ができるはずだ。読み書きもろくにできないまま、話そうとしたところで、語彙も、文法も圧倒的に欠けているのだから、話せることは、特に話さなくても問題のないことばかりであろう。
こうして検討してみると、我があり方は、浪漫主義言語学の範疇から少しばかりずれてしまうようだ。「言語学」付いているのがいけないのだな。と言うことで、浪漫主義言語学の片隅に、入りたいけど入りきれない人たちのために、浪漫主義、いや無頼派語学と言うものを立てさせてもらってそこに属するということにしよう。そして、今後も黒田龍之助師の不肖の(著書を通じての)弟子を自称していくことにする。無頼派に師匠はいらない? いやいや、そんなことはないのだよ。師匠にべったりくっついて頼りきりにならなければいいのだ。と、かつて無頼派と親交のあった本人も無頼派っぽい方がおっしゃっていたのだから。あの方も、弟子と呼んではもらえなかったけど我が師である。
10月5日23時30分。