2017年09月26日
師のオロモウツ滞在記4(九月廿三日)
「通訳・悲喜こもごも」と題された講演の原稿を読んで、改めて感じたのは、自分が本当の意味でプロの通訳としては仕事ができていなかったのだということだ。「通訳なんてまるで存在しないかのようになる」通訳は、始めて通訳の仕事をしたときから一度もできたことがない。だからと言って自分がこれまでやってきた仕事が無駄だとは思わないけど……。
講演が終わった後、ロシア人の女学生と話すシーンもなかなかに感動的である。どういう事情かは知らないがロシアからチェコに移ってきてオロモウツで日本語を勉強している女の子が、黒田師の講演に感動してお礼を言いに来るのである。最初はちょっと日本語で話して、ロシア語に切り替えられるのだが、どうしてそんなに簡単にそんなことができるのだろう。
ちょっと前まで、チェコ語で講演をし、恐らくは質疑応答もあったはずである。そして、ちょっと日本語を挟んでロシア語に切り替えるとなると、チェコ語と日本語とロシア語で混乱してしまいそうな気がする。こっちは、チェコ語と英語の切り替えもできずに、英語でしゃべろうと思ってもチェコ語が出てきてしまって、英語はそんなに難しくない内容を読むのにしか仕えなくなっていると言うのに。英語なんてできなくてもいいと広言しているから自業自得ではあるんだけどさ。
それで、ふと考えたことがある。師はしばしば、チェコ語ができればスロバキア語は問題なく理解できると書かれる。だけどそれって本当にチェコ語ができればという一つの条件で成立するのだろうか。チェコ語だけはそれなりにできるけれども、スロバキア語はやっぱり難しいというのが、長年チェコでスロバキア語に接して来ての実感である。
以前も書いたように発音が柔らかすぎて、チェコ語の硬さになれた耳には言葉として聞き取りにくいというのもあるのだが、意外と基本的な語彙の中に似ても似つかぬものがあることがあるのだ。ある程度はわかるようになっているけれども、なかなか覚えられないものもあって、「ナオザイ(=本当にだったかな)」には長らく悩まされたし、つい最近も「イバ(=だけ)」と言う言葉がわからないなんてことがあった。「だけ」は「レン」じゃなかったのかよ。こういう一見簡単な言葉がわからないと全体もわからなくなる。
そうすると、チェコ語だけができることが条件なのではなく、他のスラブの言葉ができるというものスロバキア語の理解をしやすくさせている面はありはすまいか。ロシア語はもちろんウクライナ語、ベラルーシ語という東スラブの言葉ができて、チェコ語、ポーランド語という西スラブの言葉、それにスロベニア語も勉強していて、他のスラブ語に関する知識もあるというのが師なのである。そういうことにでもしておかないとスロバキア語は難しいと泣きを入れてしまう自分が情けなくなる。
だからと言って、スロバキア語を理解するために他のスラブの言葉を勉強したいとは思えない。いや、スロバキア語も含めて今更他の国の言葉を勉強するのは無理である。今後もスロバキア語はわかるようなわからないような中途半端な言葉であり続けるだろう。ポーランド語は、似ているという人もいるけどほとんどわからんし、むしろ耳で聞くだけなら南スラブの言葉の方がわかりやすそうな気がするほどである。いや気のせいでしかないんだけどさ。
本題に戻ると、「十一年目の実践編」で一番心に残るのは、実は帰国してからの話である。オロモウツ滞在中のお話も十分以上に面白く心を打つのだけど、外国に住む人間としては、帰国後に登場するエディくんの気持ちが痛いほどにわかってしまうのだ。エディくんはアメリカの大学の学生だが、実はスロバキアの出身で、民族的にはハンガリー系である。来日して二週間ほどのところで、師とその教え子のハンガリー語ができる人と話せて喜びのあまり泥酔してしまうのである。
そんなエディくんに言っておきたい。チェコ語ができる日本人の全員が全員、そんなにスロバキア語が理解できるわけではないし、ハンガリー語ができる知り合いがいるわけでもないんだよ。数少ないチェコ語ができる日本人の中でも、数がそれほど多くないスロバキア語が問題なく理解できる人に出会えたのは本当に僥倖だったんだよ。その幸せをわかっているのかい。
まあ、師と直接会って一緒にお酒を飲んで泥酔までしてしまった外国人に対するやっかみがないとは言わない。いやはや本当にうらやましい話である。
以上、長々と書いてきたけれども、増補された文庫版の『その他の外国語 エトセトラ』の魅力が伝わったかどうかはこころもとない。こんな中途半端な文章を読むくらいなら、直接本を読んだほうがいいなどと、ここまで読んでくれた方がいたら失礼な言葉でこの件にはけりをつけることにする。
2017年9月25日23時。
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