2018年03月09日
過去に捕らわれる男(三月六日)
昨年の下院の総選挙の結果が出て、国会内の役職をめぐる政党間の駆け引き、取り引きが本格化して以来、大きな問題の一つとなっているのが共産党選出の下院議員ズデニェク・オンドラーチェク氏の処遇である。おとなしく一般の国会議員として活動する分にはそれほど大きな反発もなかったのだが、所属する共産党がGIBSと呼ばれる警察の監査する組織を監督する国会議員からなる委員会の委員長としてオンドラーチェク氏を推薦したことで過去の行状が蒸し返されることになった。
この人、1989年のビロード革命に際して、デモを鎮圧するための警察の部隊の一員として派遣されたという過去があるのである。それでも目立っていなければよかったのだろうけれども、積極的に任務をこなすさまがテレビカメラに収められ、この件に関してインタビューまで受けているのである。父親が共産党政権の高官だったという事情もあって特別扱いされたらしい。そんな人物が民主国家の警察を監査する組織にかかわるのはおかしいというのである。
あのときの鎮圧部隊は、警棒を片手に、あれこれ抗議するデモの参加者をばんばん叩いて流血の巷を演出していた。オンドラーチェク氏は命じられた仕事を全うしただけで、何ら恥じるところはないと明言していて、それも一般社会の反感を買っている。ただ、父親が以前もらした話によると、オンドラーチェク氏も含めて、鎮圧に向かわされた部隊のメンバーは大半が、採用されたばかりのほとんど何の経験もない若者ばかりで、デモの群衆の圧力に負けてパニックを起こして、あれだけの暴力沙汰になってしまったのだという。
共産党政権の内部に、デモを鎮静化させるのではなくて、拡大させることを狙った勢力があったということなのだろうか。そうなると、オンドラーチェク氏もある意味陰謀の犠牲者と言えなくはないし、当時の社会で命令を受けて遂行しないことは、自分自身が逮捕されることを意味していたから、命じられたことをやったのだという主張に説得力がないわけではない。ただ、現在でも共産党員を続けている人たちはみなそうなのだが、ビロード革命前に共産党に命じられて行ったことを謝罪していないのが、社会に受け入れられにくい理由になっている。
オンドラーチェク氏は12月に一度GIBSの監督委員会の委員長に選出されたのだが、そのときの手続きに問題があるということで、改めて選出の手続きが行われ、先週の金曜日に与党のANOの支援を受けて、委員長に選出された。これに対して、国会だけでなくチェコ各地で、反対のデモが行われることになった。あまりの反対の大きさに一度はオンドラーチェク氏の選出を支持したバビシュ辞任中首相も、解任なんてことになるとあれだから、オンドラーチェク氏が自主的に辞任するのが一番いい解決法だなどと言い出していた。
反共産党の政党が、解任動議を出すとか出さないとか騒いでいる中、オンドラーチェク氏は今日になって突然辞任を表明した。直前まで共産党の同僚議員がオンドラーチェク氏の任命に何の問題もないことを演説で述べていたのにである。本人の言葉によれば、自分が選出されない理由も、解任される理由も、辞任しなければならない理由もあるとは思えないが、家族の身の危険を感じるようになったので家族を守るために辞任するというのである。デモとか抗議集会で反対の意を示すのはいいのだけど、調子に乗りすぎて脅迫じみたことまでやってしまうのが、その脅迫じみた言葉が届いてしまうのが、現在のネット社会の恐ろしいところである。
それにしてもビロード革命から30年近いときを経て、当時の行動が原因で批判を受ける。ゼマン大統領が大統領を続けているという事実も考えると、日本で戦後という時代がいつまでたっても終わらないように、チェコでもブロード革命後の90年代が未だに継続しているのではないかという気がしてしまう。仮にオンドラーチェク氏が、仕事だったとはいえ、デモ隊を警防で叩いたのは確かなのだから、その叩かれた人に対して謝罪をしていたら、今回の騒ぎは起こらなかったのだろうか。
2018年3月8日23時。
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