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2016年03月12日

ルハチョビツェ(三月九日)



 オロモウツから南に向かうブジェツラフ行きの電車に乗って45分ほど、スタレー・ムニェストの駅で乗り換えて、東へ、ウケルスケー・フラディシュテやウヘルスキー・ブロットを経て、一時間弱で到着するのがモラビア最大の温泉地ルハチョビツェである。以前出かけたときには、もう一回乗り換えたような記憶もある。現在では、一日に数本プラハから直通電車があるので、時間によっては行きも帰りも直通を使えるかもしれない。

 ルハチョビツェは、現在でも温泉のある保養地として人気だが、すでに第一共和国の時代にはモラビア地方のお金持ちが保養のためのバカンスに出かける場所としての地位を築いていたようで、昨日書いた「チェトニツケー・フモレスキ」にも数回登場する。一回目は、偽造した銀行の預金通帳で多額の預金を引き出すと同時に、その一部を恵まれない学生に奨学金として提供するという善悪つけがたい片足の詐欺師と、偽造通帳に気づいて詐欺師を脅迫して一緒に逃亡することを強いた女性銀行員が、選んだ逃亡先がルハチョビツェだった。お金持ちの集まる町で多少の豪遊をしても目立たないという計算だったのか、お金持ちとはいえない女性銀行員のあこがれの場所だったのか、何とも言いがたいところである。
 次はアラジムとルドミラが休暇で旅行に出かける場所として登場する。もちろん出かけた先で、休暇中と言いながら、殺人事件にぶつかり、現地の憲兵隊員やブルノからやってきた部下たちに捜査の指示を出して解決に導くのだけれども。捜査以外の場面では、保養に訪れたお金持ちたちの間で、アラジムは落ち着けなさそうにしているのである。

 ルハチョビツェもチェコの温泉の例にもれず、湧き出した水、もしくはお湯を汲んで飲むのだが、いくつかの泉源がある中で、一番有名なのはビンツェントカだろう。ここの水は、瓶入りのミネラルウォーターとして販売されているように、他の温泉の水よりは飲みやすかったような気がする。昔々行ったカルロビ・バリでもマリアーンスケー・ラーズニェでも、フラニツェの近くのテプリツェでも、地元の人への礼儀として、特にテプリツェでは案内してくれた友人への礼儀として、頑張ってあちこちの温泉水を飲んでみたが、どれも何とも言い難い味がして、一口飲んだだけで十分、いや口に入れた後にこっそり吐き出してしまったものが多い。でも、ビンツェントカだけは、何とかコップ一杯分飲めたような気がする。本来は医者の処方箋をもらって治療のために飲むものらしいので、美味しくたくさん飲める必要はないのだろうけど。
 ルハチョビツェでも、温泉地につきものの、温泉の水を利用した丸い形のウェハースが売られていて、箱だけではなく、一枚ずつでも買えるようになっていた。もしかしたら、売店によって使用している水が違って、味も微妙に違うのかもしれないが、残念ながらそれがわかるような舌はしていない。
 温泉を利用した保養地なので、健康のために散歩が勧められているのか、ホテルなどの療養施設の立ち並ぶ地区や、周囲の山には歩きやすいように散歩道が整備されている。いくつもある温泉水を飲むためだけでも、かなりの距離を歩かされるし、何も考えずに森の中や並木道をのんびり歩き回れるもの気持ちがいい。現在では第一共和国時代のように高い服を身にまとったお金持ちが優雅に歩き回っているというわけではないけれども。川をさかのぼると、ダムがあって夏場は遊泳場としても使われていたらしい。

 この町はまた、スロバキアの建築家ユルコビチの設計した建築物が多く残ることでも知られている。二十世紀の初めに活躍したこの建築家は、ベスキディ山中のプステブニに残した独特の木造建築群で有名である。民俗建築的な味のある木材の使い方、大胆な色の使い方が、ルハチョビツェに他の温泉地の町とはちょっと違った雰囲気を与えている。
 現在どうなっているのか確認はしていないが、ユルコビチの設計した屋外プールは、以前出かけたときには、更衣室などの付属設備も含めて改修されておらず、残念であった。「チェトニツケー・フモレスキ」ではここで泳ぐシーンがあったような気もするので、改修が始まったのかもしれない。撮影のためだけに、無理やり使えるようにした可能性もあるが。

 それから、スメタナ、ドボジャークに次ぐ、チェコ第三の作曲家レオシュ・ヤナーチェクがこの町がお気に入りで、頻繁に訪れていたことでも有名である。出身地のフクバルディからそれほど離れていないこの町で、いくつかの作品を書き、インスピレーションを得たといわれている。
3月10日22時。



ルハチョビツェもカタカナではなく、チェコ語で入れないと検索できなかった。温泉付きの療養施設は、宿泊もできるが、ホテル扱いではないのか出てこない。ちょっと残念。ユルコビチの設計した建物の宿泊費は……高いんだろうなあ。3月11日追記。




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